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日本人の質問 黄犬忌 [にほんご]

日本人の質問 黄犬忌

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 2月24日ドナルド・キーンさんが亡くなって丸一年になる。養子のキーン誠己(せいき)さんがこの日を「黄犬忌(キーンき)」と名付けたらしいが、これはキーンさんが生前から自分の署名に黄犬(キーン)を良く使っていたかららしい。いつもはぼくの敬愛する人の命日にはブログの左にあるサイドバーで「I remember...」というタイトルで書いているのだけれど、今回は本編の中で少し自分の体験とあわせて書いてみたい。

 ぼくの好きなドナルド・キーンさんの著書に「日本人の質問」というのがあって、昔新書版の本で読んだことがある(二年前くらいに文庫版で再出版されている)。元原稿は多分30年以上も前に書かれたものだから今とは状況も違っているかもしれないが、留学生たちの話を聞いているとキーンさんの書いたことと同じようなことが今でもあるみたいで面白い。

 留学生たちが日本に来て必ず聞かれるのは「納豆は食べられますか?」「お寿司は好きですか?」「生卵は大丈夫?」「皆と一緒に温泉に入れますか?」「日本語は難しいですか?」等など。キーンさんも本書の中で「…日本人でも刺身を食べない人がいるのに、私に「お刺身は無理でしょうね」と尋ねる人は、変な日本人の方には関心を持たないようである。…」と言っている。

 また彼は日本人にあまりうるさく「食べられないものはないか」と聞かれたら「ワニの卵が嫌いです」とか言いたくなる時があるとも…。まぁ、日本人の方は話のとっかかりの一つとして聞いている面もあるのだけれど、のべつ幕なしに同じような事を聞かれる方にとってはたまらないかもしれない。ましてやキーンさんのように日本に何十年も住んでいて、日本文化に関する知識もそんじょそこらの日本人にはかなわないような人にとっては尚更である。

 ぼくが以前大学で日本語教室の社会人クラスを担当していた時も、もう長いこと日本に住んでいる外国人の受講生もいて同じようなことを言っていた。そんな時どういう風に答えているかが興味もあったので、何人かの受講生たちと話してどんなことを聞かれたかメモしてみた。極めて個人的な質問もあったけれど、そういうものを除くとやはり食べ物に関してが多い。あとは自分の国の事とか、日本で驚いたこと、行きたい場所など等…。

 そういった質問を30個くらいカードにして、各々の項目を複数枚つくり全部で60枚くらいの「日本人の質問」カードを作った。遊び方はいろいろあるけど、その時は授業の前にいわゆるアイスブレイクという時間をとってその時の話題とか、今週はどうでしたか、とか軽い会話をして場の緊張を解いてから授業に入るのだけれど、学生から中々言葉が出てこない。そこで授業の初めにこのカードを一枚づつひいてもらって、その質問に答えてもらうということにした。

 最初はどんな質問が出るかかえつて緊張していたけれど、大体は以前聞かれたことがあるのでバスする学生は少なくなった。また他の人の答えに対して自分はこう答えたとか会話の広がりも出てきたことを覚えている。今はあまり使っていないが、今度初めての学生の自己紹介の時に各自一枚ひいてもらうというのをやってみようと思っている。まぁ、キーンさんはもうたくさん、と言っているかもしれないけど…。


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ドナルド・キーンさんの日本文化に関する著書の中でも比較的読みやすく、日本人が自分の文化を見直す良いきっかけになりそうな本で「日本人の質問」以外にも下記の本が特に面白かった。(すべて文庫本)

■「日本語の美」…ぼくらがもう忘れてしまった、日本語が現代日本語にたどり着くまでに特に明治時代以降に起きていたことや、Ⅱ部ではキーンさんの広い交友の中での人物像なども語られていて興味深い。

■「果てしなく美しい日本」…元は英語で書かれたものを訳者が翻訳している。キーンさんのかなり初期の著書で第一部はLIVING JAPANといういわば日本文化史的な内容であり、二部は世界の中の日本文化と題した日本文化論的エッセイで生涯変わらなかった彼の日本への愛の原点のような著書。読みごたえがある。

■「日本人の美意識」…中世からの日本文学や演劇に造詣の深いキーンさんの目から見た日本文化、そしてそれが明治以降にどう変質していったかという洞察も興味深い。そして日本人が持つ曖昧性に根付いた美意識など、指摘されて初めて思い当たる点もあり、これも読み応えのある本となっている。


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[もう少しだけ…]
 
 キーンさんは「日本人の質問」の中でこう言っている。「…口に合わないものを外国人に食べさせたくないと思うのは、日本人の親切心のあらわれと思われるが、その裏には「日本の特殊性」という意識が潜在している…」と日本人の特殊主義のようなものを見抜いている。

 例えば「日本語は難しいでしょ」と言うが、世界には東欧系の言葉のように難しい言語は沢山あるのだけれど、本当の日本語は外国人には無理だと思っている。歌舞伎にしたって、能にしたって会場で外国人を見かけると何の根拠もなしに「わかるのかしら…」なんて思ったりして。

 もちろんそんなことはぼくら日本人がドイツのバイロイト音楽祭に行けば、日本人にワグナーが分かるのかみたいな反応には会うので、言わば「文化の血の驕り」みたいなのはどこの世界にもあるのだけれど、それが日本には強いように思う。この「特殊主義」みたいなものは民族のアイデンティティとは少し違って、とにかく日本文化の多方面で自分たちは特殊で他からは中々理解されにくいという信仰みたいなものがはびこっているような気がする。

 例えばドイツで言えば勿論ドイツなりのアイデンティティはあっても、その底流に西欧文明というものへの心理的なしっかりとした親和感みたいなものがあるのだけれど、それでは日本に中国文明に対するそういった親和感が今あるかというと、それは中々素直に認めたがらない心理が働いているらしい。難しいことはよく分からないけど、どうもそうなったのは日清戦争以降で、それ以前は文化人たるもの教養の基本はヨーロッパ人にとってのラテン語のように中国文化だった。(逆に日本文化は中国文化の亜流だと自虐的に言う日本人もいるが、それにもキーンさんは異をとなえているが…)

 そこらへんはキーンさんも「日本人の美意識」の中で少し触れている。さらに日本文化の特殊性ということについてキーンさんはそれを認めつつも、日本人が世界と分かり合える道筋を「特殊性の中にある普遍性」という言葉を示してぼくらに勇気を与えてくれているので、少し長いけれど引用をしておきたい。それはぼくにとって生涯の珠玉の言葉となっている。

 「…日本の全てが西洋を逆さまにしていると書きたがる旅行者は現在でもいるし、一方で日本の特殊性を喜ぶ日本人も少なくない。
 
 が、私の生涯の仕事は、まさにそれとは反対の方向にある。日本文学の特殊性---俳句のような短詩形や幽玄、「もののあはれ」等の特徴を十分に意識しているつもりだが、その中に何かの普遍性を感じなかったら、欧米人の心に訴えることができないと思っているので、いつも「特殊性の中にある普遍性」を探求している。

 日本文学の特殊性は決して否定できない。他国の文学と変わらなかったら、翻訳する価値がないだろう。日本料理についても同じ事が言える。中華料理や洋食と違うからこそ、海外において日本料理がはやっている。が、いくら珍しくても、万人の口に合うようなおいしさがなければ、長くは流行しない。納豆、このわた、鮒鮨などは日本料理の粋かも知れないが、日本料理はおいしいと言う時、もっと普遍性のある食べ物を指している。…」
 (「日本人の質問」)

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Tokyo Blue [Ansicht Tokio]

Tokyo Blue

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 ■ あどけない話
 智恵子は東京に空が無いという
 ほんとの空が見たいという
 私は驚いて空を見る
 桜若葉の間に在るのは
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ
 智恵子は遠くを見ながら言う
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとの空だという
 あどけない空の話である。
  (高村光太郎)

 歳をとってから冬は苦手になったけれど、東京の冬の空は大好きだ。都心に出るためライナーを待っている間、駅の壁の隙間から覗く東京の空は素敵だ。雲ひとつない晴天という言葉があるけど、ぼくはサッと刷毛ではいたような、或いはポッポッとアクセントのように雲のある青空の方が好きだ。

 

 高村光太郎の詩によると智恵子は東京には空がないという。この詩の詠まれたのは昭和の初期だがその頃でも地方に比べれば東京の空は汚れていたというのはわかるような気がする。もちろんその頃のことはぼくには分からないが安達太良山の上の空はずっと青かったのかもしれないけれど、東京の青空は時代を映して紆余曲折を経ている。

 

 ぼくが物心ついた頃覚えているのは、近所の原っぱから見上げた冬の日の抜けるような青い東京の空だ。戦争、そして東京大空襲で焼け野原になり全ての生産的な施設も失った東京の上に広がっていたのは紛れもなく青い空だった。しかし、それはやがて経済復興、高度成長の進展と共に小津安二郎の映画「東京物語」に出てくるような下町の上に広がる灰色の空に変わっていった。

 

 東京が青空を取り戻すのには大分時間を要したし一筋縄ではいかなかった。環境汚染対策や環境保護技術の進展もあるけどやはりバブル崩壊もその要因になっているかもしれない。それに脱化石燃料の動きも寄与しているのだろうけど、それは一方で原発問題を引き起こしてもいる。さまざまな想いを映して東京の空は正直だ。今、ライナーの車内から眺める東京の空はTokyo Blueに染まって眩しいくらいだ。今のうちにスマホから目をあげてこの青空に浸っておこう。

 

 ■ 冬青空 わが魂を 吸ふごとし (相馬遷子 「山河」)

 


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もうすぐ…
荒川土手

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mask [新隠居主義]

mask

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 新型コロナウイルス(COVID-19)が何か大変なことになってきた。あのサーズ(SARS)の時の騒ぎでその時色々な教訓を各国の政府も役所も社会も学んでいたはずなので今の事は想定内のはずなのだが…、毎日のように想定外みたいな事が起きている。大体今回の感染拡大は発生時点から不可解なことが多く、またしても世界にリスクをばらまいてしまった国の政府の責任は重いと言わざるを得ない。

 そんこなことボヤいていても始まらないので、みんな自己防衛に走り薬局にはマスクはないし消毒グッズもなく、医療機関でも不足するなどの事態に陥っているらしい。ウチは秋と春にぼくの花粉症があるのでマスクは常時2箱は常備している。こういう時あの相田みつをの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉を思い出す。普段から日用品については必要な時必要なだけ+α(流通備蓄)を心がけているのだけれど、こうなるとこの+α分がどこまで持つかはいささか心もとないけど、外出を控えるなどで対応しようと思っている。

 昨日久しぶりに山手線に乗ったら、当然ぼくもマスクをしていたけど、車両の中はマスクマンで一杯。自分でも着けていてなんだけど、やっぱり異様な雰囲気。日本以外でも台湾や中国ではマスク姿は珍しくはないけけど、欧米の人が街なかでマスク姿を見るとギョッとするらしい。今、山手線に乗ったらさぞ驚くだろうと思う。

 大体マスクは英語ではmask、ドイツ語でもMaskeというけれど、そのマスクといえばそれは普通顔を隠すもので、仮面舞踏会などのいわば仮面を意味するらしい。日本語で言うマスクは英語ではsurgical mask(外科医のマスク)とかface maskとか言うらしい。ドイツ語ではMundschutz(口を守るもの)でやっぱり特殊なものという感じがする。これからこの感染騒ぎがどういう展開になるか一向に先が見通せないが、何とか一日も早く終息してもらいたいものだ。

 ■ 怒りゐる ことがありあり マスクの目 (遠山みよ志)


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~

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 ■ きみはぼくの猫、そしてぼくはきみの人間。 (ヒレア・ベロック)
  You are my cat and I am your human. (Hilaire Belloc)


 この二月でアメショーのハルがウチに里子で来てからちょうど二年になる。来た時が二歳だから今四歳ということだ。ハルの里子の話があった時は随分と迷った。今まで何匹も猫を飼ったけれど、子猫で来てもみんなあっという間にぼくの歳を追い越してあっちへ行ってしまう。今までは…。

 ところがぼくも気が付くと七十を過ぎて、これから子猫を飼うとひょっしたらこちらの方が先に行ってしまうかもしれないという状況になってきた。と、いろいろ考えたのだけれどずっと最後までハルの面倒をみるのもこちらのボケ防止やら生きる励みになるかもしれないということで引き受けることにした。

 ハルは今でも目の病気やアレルギーなど医者通いはあるものの元気いっぱい毎日暴れまわっている。そのハルとも最近やっとお話が出来るようになった。ぼくもハルのしたいことが分かるし、向こうもこちらの言うことが分かるようになってきた。



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 ときたまハルがぼくの顔を覗き込むことがあるのだけれど、そんなときは冒頭のベロックの言葉のように「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」だね、一緒に歳をとろうねという思いでハルの頭を撫ぜてやる。ベロックがこの言葉をどういうコンテクストで言ったのかは残念ながら分からないけど、彼は奴隷国家について考察を巡らせ、思考を深めた人なので猫とヒトは対等な立場としてとらえた言葉なのかな、と勝手に思ったりしている。

 動物の中には牛や馬や豚や羊など、いわゆる経済動物とみなされている動物もおり、それらは決して対等ではなくヒトに隷属的な関係に置かれている。もちろんペットだって冷徹にみればヒトと対等ではないかもしれない。ウチの猫たちみたいに長生きしてもらいたいと思って家の外には出さないことだって、彼等の意に添っているか分からないし、飼い主が餌をあげなければ餓死してしまうに違いないのだから。

 しかし、人間の他人同士でもそうかもしれないのだけれど、長いこと一緒に暮らすということは生き物同士の間に何らかの情緒的な絆をもたらすということもあながち否定することはできないと思う。今まで何匹もの一緒に暮らした猫たちを見送った時も、その時頭に去来するのは一緒に過ごした温かい時間とそのことへの感謝だった。

 ということで、今日も対等でありつつも、時には猫たちに叱られつつ、恐らくはヒトと猫の双方にとって幸福な誤解と容認に基づく関係の中で「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」と呟きながら穏やかに一緒に暮らして行きたい。



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日常という冒険 [gillman*s Lands]

日常という冒険

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 奄美最後の一日は島の北部に移動して空港にも行きやすい名瀬の港に泊まった。今までの風光明媚な村落からフラッと来ると素っ気ないくらい何もない港町。何もないというのは生活感以外は、観光的なものなど何もないという意味。でも、その何もないのが良い。街に生活感のある日常があふれているのが良い。ぼくもどこへ行ってもスーパーを覗くのが好きなのだけれど、やはりスーパー好きの友人とイオンで部屋飲み用の酒を買って、時折雨のぱらつく街をぶらり一周りして、ファミマで温かいコーヒー買って前の埠頭に腰掛けて港を見ながら黙って飲んだ。さて、夜は何処で飲むかだ。


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 自分にとっては二種類の旅があるような気がする。ひとつは「しに行く」旅そしてもう一つは「しない」旅。「しに行く」旅は美術館を観たり、音楽を聴いたり(最近はたいていは、このどちらかなのだけれど…)それか特定の土地を観たいとか何か行動的目的を持ってする旅。若いころは自分を旅へと駆り立てていたのは美術や音楽というよりは、異国の土地への憧れといったものが強かったように思う。

 そしてもうひとつの「しない」旅はそういった目的もなくする旅で、その旅自体殆ど必要性がなさそうな旅。もうリタイアして久しいからバカンスに象徴されるような日常のストレスや忙しさから逃避する必要もないし、かと言って頭の中にリゾートしたいといったような贅沢な感覚もない。

 基本は今の日常が好きなのたけれど、ただ何となく寝たり、起きたり、食べたり、呑んだり、読んだり、歩いたりという日常のパッケージをいつもと違う環境や土地に適用してみたいという欲望のようなものかもしれない。日常という冒険。心の何処かではそれによる何らかの化学反応も期待しているのだろうか。

 でも、これをやるのは言うほど楽じゃない。金銭的な制約があるし、持ってゆくものだって限られてしまうけど最低限の日常パッケージは欠かせない。それに何処でも良いということではなくてできるだけ今と環境の異なる処で非日常的な日常を送りたい、そう言う場所を見つけるのが結構大変なのだが…友達に教わることも多い。遠い所、出来れば外国が良いと思うのだけれど中々見つからない。今のところ沖縄がそんな感じだけれど、今回の奄美もそんな要素がある。


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 大島海峡。「海峡」と言う言葉を聞くともうそれだけで、ちょっとウルッとくる。高校生の頃初めての列車旅、青函連絡船で津軽海峡を渡った。そして若い頃、船でソ連に向かった時も津軽海峡を渡った。その後アフリカに渡るときに夢にまで見たジブラルタル海峡を渡ったこと…。友人の実家でクリスマス休暇を過ごすために渡ったドーヴァー海峡。リタイアしてノンビリと渡ったボスポラス海峡等など。海峡に想いを馳せて。



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[写真]
名瀬の港…港の巨大なケーソン基地を眺めながら。
加計呂麻島に渡る海上タクシー…住民の足となる数人乗りの小さなボート。
島の黒糖焼酎「龍宮」…口当たりが良く友人と二人で二日で一升瓶を空けた。
島の豆腐屋さんの朝定食…揚げ出し豆腐、ピーナツ豆腐、くみあげ湯葉などの朝食プラス山芋豆腐、くみあげ豆腐などのバイキング付き。900円。
名瀬の飲み屋さん「木の花」 屋仁川通り(やんご通り)のお店。豚骨や地元のおでん、もずくの天ぷらなど郷土料理が美味しかった。女将さんや旦那も気さく。
古仁屋の魚屋「あま海」店内で…那覇の「節子鮮魚店」のような店内でも食べられる魚屋さん。黒マグロを食べた。
加計呂麻島の野見山のイノシシ焼肉…友人が以前泊まった宿のオヤジさんはマタギで自分で獲ったイノシシを焼肉で食べさせてもらった。
野見山のマタギのオヤジさん…加計呂麻島で獲れるイノシシは琉球イノシシといって内地のイノシシよりは大分小型のイノシシらしい。
清水(せいすい)のイタリアンレストラン「真寿」のテラスから…泊まった宿のある嘉鉄の集落から峠を超えた隣の集落にあった小さなお店。海に面したテラスからは海峡を行きかう船が見える。
同店のピザ…本格的な窯で焼いたピザは美味しかった。
フェリーで大島海峡を渡る…短時間の航海だが旅情のある風景が見られる。
清水のレストラン店内から海峡を覗く…ここから見る海峡の眺めは本当に素晴らしい。天下一品だ。


 *気ままな旅をしているようでも歳ですねぇやっぱり疲れが出たのか東京に帰ってくるなりインフルエンザに罹ってしまい寝込んでしまいました。そうなるとやっばりウチが良いなぁと思ったり…。いつまで日常パッケージを背負いこんで旅ができるか、考えどころではあります。w


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一村の冬 [gillman*s Lands]

一村の冬

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 奄美は今回が初めてで、いつもなら今頃は冬のない沖縄方面に行くことが多いのだ。奄美大島はその沖縄から340キロほど北になるので、ここにはまだかろうじて「冬」と言う概念がありそうな感じがするのだけど…。

 

 鹿児島から沖縄まで約700キロ程あるから奄美はその丁度真ん中にある。その鹿児島には明かに冬があるので、そこから沖縄に向かって南下半ばの奄美にはまだ「冬」のようなものが残っていると言う表現はあながち勝手な思い込みだけではないのかもしれない。

 

 尤も冬と言っても平均気温でも15度ほどあるので東京とは10度近くの差があるが、一方奄美の冬は雨が降る事が多く8日間居た間でも1日のどこかでは雨が降ってたような気がする。その雨は冷たく感じた。

 

 長々と奄美の冬について述べてたのは奄美の画家、田中一村を想う時どうしても晩年のゴーギャンのように南国の画家と言うイメージから入って行きそうなので、必ずしもそうばかりではないと言うことを自分でも現地で感じたからだ。旅の中できっと一村も見、そして感じたに違いない南国の冬の光景を自分も感じとりたかった。

 

 

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 旅の前半も後半も滞在した宿のあった集落から隣の集落に行くにはかなり歩かなければならないし、たいていは峠を越えて行かねばならない。それは今のぼくの脚では無理なので、同じ集落やその周辺を何度も散策する事になるのだけれど、それで飽きてしまうということはない。

 

 同じような場所を数日間何回も時間を変えて歩くたびに、光も変わり、空気も変わる。島の天気は目まぐるしく変わるから一瞬夏のような顔を見せたかと思うと、次の瞬間には墨絵のような世界に引きずり込まれることもある。

 

 一村が好んで描いた蝶は季節的にも今回は見られなかったけど、これも彼が好んで描いたクロトンなどは普通に家の庭先に自生している。ぼくも好きな木なのだけれど東京ではガーデンショップなどで観葉植物として売っている。

 

 そしてぼくはその二つの区別がよくつかないのだけれど、アダンタコの木のシルエットを見るとそれだけで一村のいろんな絵の図柄が頭に浮かんでくる。現実には肌寒いのにそのシルエットをみるともう南国というイメージが沸々と湧き上がってくるから不思議だ。

 

 島の南部の嘉鉄の村の中を、夕刻いつものように何度目かの散歩をしている時、何度もその前を通った一軒の民家の前を通り過ぎ振り返って見たら、冬の夕空にすっくと屹立する一本の蘇鉄が目に入った。残照を受けて微かに茜色を帯びた雲をバックに一本の蘇鉄のシルエットが孤高の様相で立ち上がっている。どこか南国の冬に立つ一村の姿のように見えた。

 

 


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[写真]

夕陽に立つ蘇鉄…嘉鉄の集落には庭先に立派な蘇鉄が植わっている家が何軒かあって夕暮れになるとそのシルエットが南の島の情景を演出している。

区根津の夕陽…泊まった宿は海岸にちょっと飛び出た所にあり、そのベランダから見た夕景は素晴らしい。そのベランダに黒糖焼酎の一升瓶を持ちだして景色を肴に友人としこたま飲んだ。忘れられない一夕となった。

区根津の墓地…奄美のお墓は沖縄の亀甲墓や破風墓のような壮大なものではなく、内地と同じような墓石だけれど、文字が金色で彫られているというのがちょっと異なる。墓地の周りにはクロトンの茂みが見られる。

蘇鉄の花…蘇鉄の花を初めて見たのは石垣島だったが、その巨大さと奇異な形に驚かされた。蘇鉄には雌花と雄花があるらしいのだけれどこれはどちらなのか。花は咲き終わっているみたいだ。蘇鉄の葉のプラスチックのような質感と間から芽を出した他の植物の瑞々しい緑の対比が面白かった。

区根津の海岸…ここの海岸は干満の差が大きいのか潮の満ち引きで海岸線が大きく変わる。潮が引いた後取り残されたボートの緑色と短い冬の晴れ間に顔を出した空の青さのコントラストが美しい。

嘉鉄の海岸…アダンと思しき海岸の木がまさに一村の絵で良く見かける特徴のあるシルエットを作り出していた。
嘉鉄の海岸(パノラマ)…久根津にしても嘉鉄の海岸にしても集落のすぐそばにあるのにこの時期は人と殆ど出会うことはない。
久根津の海岸(パノラマ)…宿の目の前が海岸なので天候、潮の満ち引き、時間による光の変化を楽しむことができた。

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奄美にて… [gillman*s Lands]

奄美にて…

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 例年なら今頃は沖縄に行くことが多いのだけれど、歩けなくなってからここ二年ほどはそれもやめていた。しかし、昨年の秋カミさんと行ったウィーン旅行で平地ならそこそこ歩けるという自信も少しついたので年明けくらいには沖縄に行こうかなとは思っていた。

 そうこうしているところに沖縄や石垣島を何度か一緒に旅行したことがある三十年来の友人から奄美大島に行かないかと誘われた。彼はいわば旅行マイスターみたいなもので、奄美大島も何度も訪れている。奄美大島といえば画家の田中一村が浮かんでくる。前々から奄美大島にある田中一村美術館を訪れてみたいと思っていたので今回はリハビリも兼ねて行くことにした。

 幸い片道2,990円という破格に安いLCCのピーチエアーのフライトがタイムセールで手に入ったので、出発は成田空港8時30分と早すぎるきらいはあるけど頑張ってそれに乗ることにした。もちろん安いには安いなりの理由があるのだが、それは使う人のチョイスということだと思う。手荷物の機内持ち込みは二個まで、さらに合計は7Kgまでと決まっているのでここは考えどころだ。もちろん追加料金を払えばトランクでも預け荷物でも可能だとは思うのだけど色々と面倒くさそうだし、その7Kgの範囲内で持ってゆくことにした。

 東京は大寒を控えた真冬だし、しかも東京と奄美の温度差は10度以上ある。また南国とは言えまだTシャツ一枚というわけにもいかない。結局出発時は着込めるだけ着込んで、奄美ではそれを脱いたり着込んだりして調整することにして、結果は一週間着た切り雀の状態だった。靴下と下着は一度洗濯したけどそれ以外はずっと着っぱなし。座席はめちゃ狭いのだけれど何席かある前が多少広めの席が取れたので(料金790円追加)3時間程度のフライトなら何とか我慢できる。


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 この旅行では出来るだけ写真を撮ろうと決めていった。まだ小型とは言ってもぼくには重く感じる本格的なミラーレスカメラを持ってゆくのはためらわれたので、レンズ交換のいらないコンパクトなミラーレスカメラを持ってゆくことにした。いつもはそんなことはしないのだけれど、今回は撮影のリハビリも兼ねているのでテーマを「南国の冬の抒情」と「旅情」ということにして出来るだけシャッターを切ることにした。

 今回一緒に行った友人との旅のスタイルはいつも決まっている。ぼくもそうだけど、彼もいわゆる観光というものは殆どしないで、数日滞在する宿の周辺をぶらついたり、その他は昼寝と読書。基本は別行動だが、ただし、一つだけお互い決めているのは食事は一緒にしようということくらいか。ということになれば朝以外は食うたびに飲む、ということで今回も地元の美味しい黒糖焼酎をしこたま飲んだ。

 ぼくは今回も平たんな道しか歩かないけど、彼は健脚なので二時間ほどかけて隣の集落まで峠を終えて歩いてゆく。泊まっていたいた集落には食堂がないのである時は一緒に昼食をとるために彼は歩いて峠を越えて、ぼくは一日数便あるマイクロバスのオンデマンド走行の車で隣の集落の食堂で落ち合ったり…。まぁ、言ってみれば好い加減、イイカゲン、どちらの意味でも良い加減の旅だ。

 同じところを一人で何日か歩くと段々と見えてくるものが変わってくる。昨日気が付かなかったものが、あれ、こんなものがと思うこともあるし。写真をやらない人でも見る景色が時間や天気でその光が刻々と変化していることに気が付くのではないか。ぼくはこれが本当の意味での「観光」、つまりその土地の光を観るという意味でもそうではないかと、勝手に思っている。

 今回色々なところでファインダーを覗いてシャッターを押した結果を見ると、抒情というものを撮ろうとするときにどうしてもあの川瀬巴水の抒情的な光景が浮かんでしまう。天気はあまり良くなかったし、現地の人は暖房を入れるくらいだから奄美の冬、という田中一村の極彩色の南国のイメージとはまた異なっている感じがした。沖縄の冬もそうだけれど、外部からきたぼくには現地の人が感じるのはとまた違った冬の抒情があるのだと思うし、逆にもしかしたら島を去った元島民の人が故郷を想って思い起こす光景はあの夏と共にこんな光景でもあるかもしれないと思った。



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[写真]
嘉鉄の海岸に面した庭…夏などは地元のお年寄りなどが寄り集まって寛いでいる場所らしいのですが、今回は誰もいなかったのでここでしばしまったりとさせてもらいました。こちらも年寄りだし…。木々の間から見える海の眺めは天下一品です。
久根津の集落から見た太陽…島の天気は良く変わります、今が照っていると思ったら瞬時に曇って太陽がまるで月のようで…、南国の山の稜線の上にまあるい太陽が浮かんでいます。
嘉鉄の海岸…これから家を建てるらしい平地(ひらち)になった場所の前の海岸で男の人が二人話をしています。
久根津の宿の前の海…凪になると湾内は海面が鏡のようになって波音もなく静寂そのものです。
ほのほし海岸の荒波…ここは打って変わって外洋に面しているので荒波が押し寄せています。ちょっと見ただけでは日本海の海辺のような光景が広がっています。
古仁屋のコーラル橋…二つのアーチを持つとても美しい橋です。橋の中ほどに海に突き出したテラスのような場所があって案内にはデートコースとありました。


IMG_8877.JPG 良い所ですが、ハブが居ます。w
 


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また少しづつ… [Ansicht Tokio]

また少しづつ…

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 一昨年うまく歩けなくなってから、もう長いことカメラを持って歩かなくなった。スマホで記録としての画像は充分撮れる時代になったというのもあるけど、今までやっていた趣味としての街撮りが出来なくなった。

 

 重い一眼レフを処分して軽めのミラーレスデジカメにしたのだけど、それでもやっぱりステッキをつきながらでは中々カメラを持って出る気にならなかったというのが正直なところだ。

 

 リハビリを重ねたお陰で昨年の秋にウイーンに行った頃からなんとかステッキなしで歩けるようになったので今は日本語学校の方も含めて以前の生活に戻すよう努力している。

 

 


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 先週、渋谷に写真展を観に行ったのだがその時本当に久しぶりにカメラを持って出かけた。カメラと言っても小さなコンパクトミラーレスなのだが、使い勝手が良いので気に入っている。

 

 カメラを持って街に出るとやっぱり自分の目線が今までとは違っている事に自分でも気づく。色んな情景に目には見えないフレームを無意識に当てはめて見ている感じがして、ああ、こんな感じだったんだなぁと面白がった。

 

 目の前に広がる取り留めのない現実に「視点」というフレームを当てて現実の一部を切り取って自分の意識の中に取り込んでいく。それによって雑多な現実が自分にとって特定の意味を持つようになるというのが面白いところだと思う。

 

 自分の生まれ育った東京という日々蠢いているこの街を多面的に自分の意識の中に取り込みたいと思うのだけれど、それはホログラムの映像のように常に揺れ動き視点を定めることが難しい。特に都会の情景とは自然の風景とは異なり、無機物と人もしくは人の痕跡が交錯しながら都会の情景を作り上げている。

 

 最近ぼくがその写真集をよく見る、主に都会を写す二人の写真家、Vivian Maier(ヴィヴィアン・マイヤー)とSaul Leiter(ソール・ライター)の写真に於いてもアプローチこそ違うものの人が彼らの写真の重要なファクターであることに変わりはない。

 

 Maierは不躾なくらい正面から、Leiterは少し距離を置いたエリアから…。尤も肖像権意識が異常なほど強い今の日本では特にアマチュアにとってはMaierのように真正面から一般の人を撮ることなどは不可能に近い。かと言って予め許可を取ってニコッとこちらを向いて撮らせてもらっても、ぼくにとってそれは何の意味もない写真になってしまう。

 

 でも元来ぼく自身の人との距離感自体がどちらかと言えばLeiterの距離感に近いので、肖像権の配慮をしながらも都会のファクターとしての人間を入れてその情景を撮っていきたいとは思っているのだけれど、その為にはまずは「脚」と「腕」を鍛えねば…。

 

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昭和チックな良い正月だったが… [新隠居主義]

昭和チックな良い正月だったが…

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 浅草寺の本堂から仁王門を望む


 の喪が明けて初めての正月。のんびりはしたが、どこか気抜けしたような感じもした。二日には親類も集まって新年のお祝いをし、三日には近くの西新井大師に初詣に行った。参拝客の多さは例年通りで本堂に行きつくまで長い時間がかかるのを覚悟していたけれど、毎年の事なので警察などによる整理の方も手馴れてきたのか手際よく思ったほど時間はかからなかった。

 参拝後、人混みの中をのろのろ歩きの状態で境内を進むと、毎年見慣れた屋台風景の中に混じって去年と同じ場所に射的屋が店を出している。ぼくの知る限りもう何十年もの間正月にはこの場所に射的屋がでている。もう令和の正月なのだが、これだけを見ていると何とも昭和チックな正月風景だった。

 正月三が日が明けると天気がぐずついたけれど、9日になって良い天気になったのでカミさんと今度は浅草寺に初詣に行った。平日でも浅草は大変な人出だ。日暮里からバスで行ったのでいつものように雷門からではなく二天門の方から入り先に三社様の浅草神社からお参りした。境内では猿回しが始まったところでしばし見物。

 浅草寺の本堂で参拝してお堂の上から仁王門(宝蔵門)の方を眺めると、お線香の煙がもうもうと立ちあがっている。境内の人々の雑踏の音、本堂から聞こえてくるゴマを焚く読経の声、どれも昔から馴染んだ正月の風景だ。しかし少し耳をすませば聞こえてくるのは殆どが外国語。参道には見るからに安手の派手な着物姿もどれも外国人らしい。皆楽しそうでハッピーでこっちだって決して厭な気持にはならないけど変わったなぁ、というのが実感。ぼくのように毎日ぼーっと暮らしていても、ハッと気が付くと世の中が大きく変わっていることに愕然とする瞬間というのがあるものだ。


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    西新井大師の初詣風景


 見た目は穏やかで昭和チックな正月だったが、世情はイラン攻撃だのゴーンの遁走、カジノの汚職などで波乱の幕開けの予感。時は容赦なく進んでいる。誰もが感じていることだと思うけれどもうここ数年世界の歯車が狂い始めているという不安をぼくも持っている。何か得体のしれない、大人しくじっとして頭を低くくしているだけでは容易に通り過ぎて行ってはくれないような…。

 多くの国で台頭しつつある国家の露骨なミーイズム。わが国でも本来ちゃんと残して歴史の判断に委ねるべき国民の大切な情報が毎日のように抹殺され、官僚が見え透いた嘘を繰り返したり…。人類が貴重な血を流しながら長い時間をかけて少しづつ積みあげて来た民主主義的な思考やシステムが世界のあちこちで綻び崩壊寸前の状態になっている。

 これはきっと短時間で一朝一夕に解決できることではないし、これからもっと大変なことが起きるような気もして、出口が見えない。考えてみるとベルリンの壁が崩壊して東西デタントが起きた頃が歴史のターニングポイントだったように思う。あの出来事で大戦後は西側の勝利ということになったのだが、それは祝福や安堵ではなく皮肉にも傲慢と暴走を招いたように思う。

 それまで西側社会は東側の社会主義に対して、資本主義のその正当性・優位性を主張するために絶えず自己検証を続けてきた。それはある意味で人権意識や公正さや格差是正など今では民主主義の根幹をなす思考を発展させ磨きをかけることにもなっていたと思う。こちら側の社会の方がそっちより真っ当だと言えるように…。

 そのタガが外れたか、それとも比較すべき世界を喪失したからか、みなが夢見た世界は次第に遠のいていったように思う。一握りの金持ちが潤えば、やがてそのおこぼれで下の階層も潤うようになるというフリードマンのトリクルダウンのまやかしにも世界はもう気づき始めている。 と…まぁ、んなこと、なにも正月から考えなくてもいいか。


 ■ 目出度さも ちう位也 おらが春 (一茶)


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浅草神社の猿回し


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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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 *葉書ベースでは今年で二十年以上続けた「誤変換」年賀状。さすがにネタ切れで以前使ったありネタの使いまわしですが、今年からブログ年賀状にも…。今年も楽しい一年でありますように。

 

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香りの復権 [新隠居主義]

香りの復権

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 嗅覚はもう長いことゼロの状態が続いていた。前にも書いたことがあるけど、嗅覚がゼロということは日常生活においてガス漏れや失火などに気づかないで大事に至るというリスクもあるけれど、ぼくにとってはそれ以上に日常のいろいろな局面において現実感が無いという点で心理的なストレスが大きい。

 旅行に行っても、例えば海外であればその国独特の匂いというものがあって、それはその国の空港に降り立った時からその香りと共に旅が始まっているという意識があった。ところが先年カンボジアのマーケットを訪れた時も目と耳ではその市場の喧騒が充分感じられるのだけど、その光景からするときっと強烈な匂いがしているはずなのに何も匂ってこない。それはまるで他人事の映画のシーンを観ているように現実感が欠けている。

 この間ウィーンを訪れた時も、若い時にリング通りのあの地下道で早朝感じた焼き立てのパンの匂いも実際には感じることはなかった。でも、不思議なことに脳はその時の記憶を覚えているらしく、そこを通り過ぎた瞬間頭の中をその香しい香りがよぎっていった。

 去年、母が亡くなる直前一時嗅覚が戻り始める兆しがあった時期があったのだけれど、多分ストレスと疲労のためらしいのだけれど、それは短時間で幻のように消えてなくなった。そして今年になって新たに転院した病院で三度目の手術を勧められてこれが最後というつもりで受けることにした。それは嗅覚をとりもどすというよりは医師の話では鼻腔内の状態自体が悪化しているためだった。嗅覚自体は戻らないかもしれないとは言われていた。

 結局今年の6月に手術を受けてそれ以来経過をみていたがなかなか嗅覚は戻らない。それでも嗅覚のリハビリとステロイドによる治療を続けていたら夏の終わりごろに少し匂いを感じるようになった。といっても匂いの種類はリハビリに使っているラベンダーなど数種類のみ。生活上で感じるはずの匂いは殆どゼロに近かった。

 それでも諦めずに治療とリハビリを続けていたら、この秋に友人といった旅行の際、ホテルの部屋のコーヒーメーカーでコーヒーを入れてみた時突然コーヒーの強い香りを感じた。ほんの数秒間だけど今までになかったことだ。今もステロイド治療とあわせて毎朝数種類のアロマとワインジャーナリストのAさんに頂いたソムリエも使うという40数種類のワインを構成するアロマのカプセルを使ってリハビリしている。

 もっとも今も感じられるのは数種類のアロマとコーヒーやカルキの匂いなど特定の匂いでそれも持続時間はせいぜい数秒間。嗅覚がもどっても多分正常な嗅覚を100とすれば1~5くらいだろうけれども、医者も言うように「0」と「1」との差は天地の差がある。複雑な香りは最終的にも分からないとしても、それは良しとしなければならない。最近はしまい込んでいたコーヒーの道具を持ち出して毎朝一杯入れて飲むのが嗅覚のリハビリに加わった。全く香りがゼロの朝もあるけど、その日の嗅覚の調子のテストでもある。またゼロに戻らないことだけは祈っている。


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 *今わかるのはコーヒーやお香、ラベンダーや水道水のカルキ臭など比較的強くて特徴的な匂いですが、何故かカレーの匂いは全く分からなかったり逆に微かなお茶の香りが分かったり一筋縄ではいかないようです。

 ワインの香りはたぶん一番難しい部類の香りだと思います。ワイングラスの中に鼻を突っ込むと香りの存在を感じることができますが、焦点がボケた画像のようでどういう香りか判別はつきません。40種類を超すワインのアロマのカプセルはまだもちろん全戦全敗で香りの感知はゼロです。いつかは一つでも判るようになるといいのですが…。

 **コーヒーはその日の嗅覚の状態のバロメーターみたいなものです。ゼロの日もあれば比較的はっきりしている日もあります。沸騰したお湯を鉄瓶に移してドリップすると、温度も良くマイルドになるような…気がします。

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チェコのクリスマスミサ [新隠居主義]

チェコのクリスマスミサ

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  東京の洗足にあるカトリック教会で行われるチェコのクリスマスコンサートに今年も行った。なんでチェコかというと、ドイツ時代にお世話になった元駐チェコ大使にお声をかけて頂いて以来毎年今の時期を楽しみにしている。手作りのコンサートという感じがいかにも温かく好きだ。

 その日の演目はチェコの作曲家ヤクブ・ヤン・リバの「チェコのクリスマスミサ」がメインプログラムだ。合唱がラテン語でなくチェコ語というところがいい。チェコの民俗的メロディも多くドイツ系のミサ曲とは一味違っている。もっともぼくはラテン語もチェコ語も分からないけど…。

 クリスマスミサ曲の前に目黒学園合唱部の学生さんたちによるクリスマスキャロルが披露されたけれど、本当に清浄な歌声が教会の中に響き渡って、大昔にアルバイトで全国を公演旅行した時に聴いたウィーン少年合唱団の歌のことを思い出してしまった。

 リバのチェコのクリスマスミサ曲を聞くのはもちろん初めてだけれど、キリエ(Kyrie)、グローリア(Gloria)に始まる9つのパートからなり変化にとんだ展開で合唱部分はもちろんチェコ語だから合唱は殆どが日本人なので覚えるのに大変だったろうと思う。

 ソリストのパートには男女4人のプロの声楽家が入っていたけれど、彼らにしてもドイツ語やイタリア語などの声楽曲はお手の物だろうけどチェコ語となると話は別だ。ぼくは東ヨーロッパ系の言葉は難しいという漠とした概念を持っているので楽譜を見ながらとはいえ大したものだと感心した。

 最後は出演者と会場の聴衆を含めて「しずけき真夜中(きよしこの夜)」を歌う。歌詞は日本語、ドイツ語そしてチェコ語の順に歌うので本番の前に皆でチェコ語部分の練習をしたのだけれど、当然全然歌えない。

 以前は教会内は撮影は禁止だったのだが、今年から最後に皆で合唱する「きよしこの夜」の時だけは撮影がOKになった。SNSに載せるのもOKという。これも時代の流れかな。安らかなひと時だった。


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落 葉 [新隠居主義]

落 葉

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 ■落 葉」 ポール・ヴェルレーヌ 
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
    (上田敏訳 「潮海音」より)


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 枯葉の季節になると上田敏の訳したこの「落葉」を想い出すけれど、最初はヴィオロンがヴァイオリンのことだとは知らずに口調が良いので何となく詩全体をそらんじていた。確か映画「地上最大の作戦」の冒頭のシーンだったと思うのだけれど、フランスのレジスタンスがノルマンディー上陸作戦の決行の合図を待ってラジオに聞き入っている時この詩が流れてきたのを覚えている。

 それはレジスタンスに向けての上陸作戦決行の合図だったのだけれど、それにヴェルレーヌの詩が使われるなんて粋だなぁ、と思った。上田敏の訳は調子も良く実にリズミカルだけど、要は今でいう「超訳」みたいなもので必ずしも原作に忠実ではないらしく、それ自体を一つのすばらしい新たな作品と考えても良いのだと思う。内容的には金子光春の訳のほうを読んで、あぁそういうことかと、かなりはっきりと理解できたのだけれど、それでぼくの中の上田敏の訳の評価が下がったというわけではない。


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 ちょっと晴れ間が出たので、ひさしぶりにスマホとミラーレスカメラをもって散歩にでた。いつも行く近所の公園ではなくて、反対側にあるやはりすぐ近くの公園にイチョウを見に行く。こちらの方が近いので歩いて行きやすいということもあるけれど、毎年ここのイチョウ並木のイチョウが見事に黄葉することを思い出したからだ。

 昨日の雨で大分葉が散ってしまったけれどまだ何とか…。イチョウ並木の隣が工業高校になっているので、時たま学生が自転車で通るのだけれど…。平日の10時くらいなのに何をしに行くのだろう。かと思えば、オジサンがビールらしきものを飲みながら自転車で通り過ぎてゆく。

 日常のなんでもない風景が自分の前を当たり前のように過ぎ去ってゆく瞬間が何とも愛おしくて、楽しい。やっとカメラを持って少し歩けるようになったので、また少しづつ持って歩こうと思う。

    ■ 敷きつめし 銀杏落葉の 上に道 (池内たけし)

 

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 今の時期の曲の定番と言えば「枯葉」。晩秋になるともう耳にタコが出来るほど聞かされた曲だけど、アレンジを楽しむ余地はまだまだある。そんな中でも正統的で大人の雰囲気があり深く心にしみる「枯葉」の一曲がデ・フランコのクラリネット。彼のアルバムThe Artistry Of Buddy De Franco(1954)の中に入っている一曲。

 アート・ブレイキー等とのカルテットを解散しソニー・クラーク達との新しいカルテットで吹き込んだLP。この中では何と言っても5曲目の「枯葉」が最高。枯葉はいろんなアーティストが演奏しているがぼくはBill EvanceそれにWynton Kellyの枯葉と並んで彼のこの演奏が大好きだ。

 DeFrancoのしっとりとしたクラリネットに寄り添うようなSonny Clarkのピアノもたまらない。アルバムタイトルの「Artistry=腕前、技巧」というところにもDeFrancoの意気込みが感じられる。12月はデ・フランコの祥月命日の月でもあるので…。

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[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Sonny Clark (p)
Gene Wright (b)
Bobby White (ds)


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グリンツィング徘徊 [gillman*s Lands]

グリンツィング徘徊

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 帰る前の日になって、やっぱりウィーン郊外のハイリゲンシュタットに行きたくなった。前回ウィーンに来た時ヴァッハウ渓谷まで遊びに行った帰り鉄道でKrems(クレムス)からHeiligenstadt(ハイリゲンシュタット)に出たので寄りたかったのだけれど、結構疲れていたのでそのままウィーンに戻ってしまった。

 ハイリゲンシュタットに行きたいと思ったのは、50年近く前に初めてウィーンに来た時に宿を探してそこら辺をうろついたことがあって、また行ってみたくなったのだ。それにハイリゲンシュタットの近くのグリンツィング地区にはホイリゲが多いので、最後の晩をそこで飲んだくれて過ごしたいというのが本音。(帰ってきてから調べたら1970年にハイリゲンシュタットを訪ねたときの日記があった。↓)

 ■1970・5・4 ウィーン 晴
 朝8時頃ユースホステルを出て、シュネルバーン(国電のようなもの)とシュトラーセンバーン(路面電車)を使って、ハイリゲンシュタットに行く。英語やドイツ語で何回も何人にも聞いて、やっとベートーベンの住んでいたエロイカ・ハウスにたどりついた。

 中は修理中とかで大工の他は誰もいなかった。家の前に立っていた女の人に聞いたら、話は半分位いしかわからなかったが、どうやら僕なぞベートーベンを知っているはずがないというような口ぶりであった。

 宿を探しながらグリンツィングまで歩いてゆく。味わいの深い街だ。近くのレストラン「グリンツィンガー亭」で食事をする。いたる所に杉の小枝を軒先に下げたホイリゲがある。…

 ということで、今回は3時からウイーンでペーター教会のオルガンコンサートを聴いた後カミさんともう一人年配のご婦人を伴ってシュテファンプラッツから地下鉄に乗ってショッテントーア駅まで行き、そこから38番のトラム(路面電車)に乗ってグリンツィングに行った。終点で降りてメイン通りに出たけれど、どうも様子が違う。もちろん50年前だから記憶も殆どいい加減なものになっているのだけれど…。

 そのうち気が付いたのは昔はハイリゲンシュタット駅で降りてグリンツィングに向かって歩いたのだけれど、今回はグリンツィングでトラムを降りているから要は逆コースになっているらしいということ。坂道を上がったり下りたり途中で人に聞いたりしたけれど、なにしろぼく自身が方向音痴なのであまり進展しない。そこらへんは50年前と少しも進歩していないのだ。

 但し、お陰で昔は通らなかったグスタフ・マーラーの葬儀が行われたプァル教会(Grinzinger Pfarrkirche)の前を通った。そのすぐそばに彼のお墓もあるのだけれど今回は一人ではないし脚も疲れてきたので、とにかくどこかのホイリゲに入らねばと、既に日が傾き始めていることもあって先を急いだ。そういえばあの教会でのマーラーの葬儀の様子を音楽家のシェーンベルクが絵に描いていて、その絵を先日国立新美術館で行われた「ウィーン・モダン展」で見たばかりだった。マーラーの葬儀の日は嵐のような雨模様だったという。



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 結局、昔歩いた路地や入った店のある辺りはずっと坂を下りた先にあることが分かって、途中のどこかのホイリゲに入ろうということになり、坂の中ほどにある良さげな店に入った。本来なら今頃の時間は観光客でここら辺はごった返しているはずなのだが、もうシーズンオフに入ったと見えて客は数人しかいなかった。

 入ったお店はBach-Henglという店で後でガイドブックを見たら出ていて、以前クリントン大統領も来たことがあると書いてあった。と言っても料金はいたって庶民的で白ワインを結構飲んで料理もそこそことったのだけれどかなり安かったのでこの店にして正解だった。きっとシーズン中はもっと高いのかもしれない。

 ぼくらが飲んでいるうちにかなり客も入ってきて、隣のテーブルに来た髭面の南ドイツのオジさん一行と意気投合してはしゃいで飲みすぎた感がある。その一家は毎年今頃この店に来ているらしい。各テーブルを回っているバイオリン弾きのオジさんがプーチン大統領そっくりなので、似てるねというとよく言われると苦笑いしていた。

 ジョッキで飲む白ワインはいくらでも飲めてしまいそうだったけど、まだ二人のご婦人を路面電車と地下鉄を乗り継いで無事ホテルまで連れて帰らねばならないので…。でも、やっぱり酔っていたらしくホテル近くの地下鉄の駅に着いたら出口を間違えてしまった。市立公園の冷たい夜風に吹かれながらほろ酔いの意識の中で「また来たいなぁ」とつぶやいた。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その38~ お土産 [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その38~ お土産

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 ■ 猫のいない人生はありうる、しかしそれはナンセンスだ。(ゲーテ) 
     Ein Leben ohne Katze ist möglich, aber sinnlos. (J.W.von Goethe)
      (A life without cats is possible, but noncense.)
  
 ぼくはどちらかというと旅行に行ってお土産の類は買わない方だ。旅行で撮った写真や旅行での体験自体がお土産だと思っているからそういう意味では爆買いもしないから、観光地の経済にはあまり貢献していないかもしれない。

 例外といえば行った美術館の図録や画集(これはバカにならないくらい重い)や、せいぜい気に入ったものがあれば、かさばらないピンバッジ等のミュージアムグッズ位なので、何かの具合で他の人のためにお土産を買うような事になるとハタと困ってしまう。

 ところが今回珍しく欲しいと思った土産物があったので買ってしまった。と言ってもごくお安いものなのだけれど…。ザルツブルクの郊外のヴォルフガング湖という湖のほとりに「白馬亭(Im WEISSEN RÖSSL) 」というホテルがあって昔一度訪ねたことがあるのだけれど、そこはオペレッタ「白馬亭にて」の舞台になったことで今は観光地になっている。

 そこで昼食を取った後、隣の土産物屋を見ていたら店先に猫の絵と猫に関する格言が描いてあるドアプレートが並んでいた。その一つが写真のやつだ。色々あったけどこれが一番気に入って裏返してみるとドイツ製だった。オーストリア製でもないし白馬亭ともザルツブルクとも関係ないけどやたら欲しくなって買ってしまった。

 家に残してきた猫たちが恋しいという自分の気持ちにぴったりだったのか…。帰ってきて調べたら、あのドイツの詩人ゲーテの言葉だった。(ドイツ語のsinnlosとは英語のナンセンスと同じで、猫のいない人生も在りうるけど、それじゃ意味がないね、といったことだと思います) ゲーテも猫好きだったのかな。

 ぼくらも歳が歳なので最近は旅行に来るたびあと何回とか、これが最後かとか考えてしまい、その後のじっと家で暮らす生活が頭を過るのだけれど、猫の頭を撫でながら日永一日暮らすのも、それはそれで悪くはないと思うようになった。猫とカミさんさえ居れば…。


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「白馬亭」の前。右隣の土産物屋さんのラックにこの猫格言のプレートが掛っていた。


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 *帰ってくると当たり前のことかもしれないですが、我が家はヤッパリ良いなぁと。猫と一緒の時間は毎日不思議な旅をしているようで飽きないです。昨日テレビを観ていたら今は空前の猫ブームらしく番組が子猫をいっぱい登場させてはやし立てていました。

でも、テレビがブーム扱いすると、今までもロクなことはなかったですねぇ。ブームは必ず去りますから、その時街に飼い主に見捨てられた可哀そうなノラ猫が増えないことを祈っています。

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さらばウィーン [gillman*s Lands]

さらばウィーン

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 初めてここウイーンに来てから、もう五十年近くになるんだ。横浜から船で当時のソ連邦(今のロシア)にわたりシベリア鉄道とプロペラ機を乗り継いでモスクワに入り、それからまた列車でポーランドを抜けてやっと辿り着いたのがここウイーンだった。

 南駅に着くとカフェで偶然今乗ってきた国際列車の運転手と同じテーブルに座ったので、彼の方から話しかけてきた。それがウイーンで初めて話したドイツ語だった。半分ぐらいしか分からなかったけれど、別れ際にわざわざキオスクでウィーンの絵葉書を買ってきて、ぼくにくれた。

 当時ぼくはまだ二十代の初めの頃だから体力はあった筈なのだけれど、ウィーンに入ってから水にあたったのか共産圏から自由圏に入って緊張が解けたのか、下痢が続いて二日ほど寝込んでしまった。三日目の朝に腹ぺこのお腹を抱えてオペラ座の前のリンク通りの地下道を彷徨ってる時に、何処からともなく漂ってきた焼き立てのパンの匂いを、嗅覚の無くなった今でもはっきりと覚えている。それは今でもぼくの中でウィーンを象徴する香りになっている。あれからもう五十年近く…。


 とまあ、今はアルベルティーナ美術館のカフェにカミさんと座ってまったりとビールなんか飲んでいるけど、今回日本を出る前々日には台風の避難勧告を受けて避難所で一夜を明かして、なんかそのままバタバタして…。よく来られたものだ。洪水に遭って辛い思いをしている人も多いのに申し訳ない様な気持ちだけれど、ぼくの手術やらでもう二回も延期した上でやっと出発という事で、こちらも一筋縄ではいかなかった。

 ウイーンは若い頃初めて触れた西欧の大都市で、当時の東側のモスクワともまた雰囲気は違っていた。その後日本に帰ってきてからも学生時代にはウイーン少年合唱団の日本公演の通訳のバイトをしたり何かと縁もあってウイーンは今でも好きな街だ。それ以来何回か来ているけど音楽あり、美術館ありで何日居ても飽きない。ドイツ語も五十年近く使っていないから殆ど忘れてしまったけれども、思い出しながら旅をするのも悪くはない。

 今回はカミさん孝行のつもりで二人で来たけど、カミさんの希望はそっちのけで結局ぼくの観たい美術館辺りで引き回してちっともカミさん孝行になっていないと内心反省しているのだけれど…。とはいえ美術ファンにとってこんなチャンスはめったにない。というのは今ウィーンの3つの美術館でそれぞれ魅力的な特別企画展、それも大規模なものが3つも開かれているのだ。

 第一が美術史美術館での「カラヴァッジョ&ベルニーニ展」、第二がアルベルティーナ美術館での「アルブレヒト・デューラー展」そして最後がレオポルド美術館での「リヒャルト・ゲルストル展」だ。各々の美術館の常設展はもちろん十分とはいかないけど何度か観ているが特別展は今だけの展示でいわば巡りあわせみたいなものだ。駆け足だけれど幸い今回は全ての特別展を観ることができた。美術館の帰り途重い図録を抱えながら、フト、ぼくも歳が歳だからウィーンもこれが最後になるのかもしれないと思った。だとしても今回は良い巡り合わせだったと思う。


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初めての避難 [新隠居主義]

初めての避難

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 物心つき始めた子供の頃には何度か床上浸水の大水(おおみず…洪水のことをこう呼んでいた)にあったことはあるのだけれど、大人になってからは幸いそういう目にはあわなかった。それが昨日、突然スマホに緊急メールで「避難勧告」が飛び込んできて慌ててしまった。

 原因は未曽有の大型台風19号が関東を直撃するということなのだけれども、いきなり「避難勧告」が飛んでくるとは思わなかった。勧告の理由は荒川水系や中小河川の綾瀬川などいくつかの河川が大雨と高潮などの影響で氾濫する危険性が出てきたためと言うことだった。

 普段から自分の地域のハザードマップは気にしているのだけれど、言われてみるとそのハザードマップの予測前提条件が、①潮位の高い時期に②大潮の満潮時刻と重なってさらに③台風などの激しい大雨に見舞われれるという、まさに今回の台風の条件にそっくりなのだ。とはいっても、それでもいきなり「避難」ということはすぐには頭に上ってこなかった。

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 そうこうしているうちに、古い一軒家なので雨漏りも始まりかつ雨戸のないガラス戸には養生テープを貼ったのだけれど、風の勢いは刻々と恐ろしいほど強くなってくる。もう夕方でもあり避難するなら明るい内がタイムリミットであることは明白だった。ネットで調べると洪水時の避難所は近くの小学校となっている、決めかねてウチの隣とその隣のお宅に電話をして動向を尋ねてみることにした。

 隣家は数年前に新築したしっかりした家なので、風にも強いし万一の場合は垂直避難をするつもりということだった。その先のお宅はやはり三階建てのしっかりした家なのだけれども、奥さんと話すと一人でいると不安なので避難所に行くことを考えているという。旦那さんが町会の役員で今、その避難所のスタッフとして動いており、その旦那さんから電話があって一人で家にいるより避難所に来ていた方が安心できるので来たら、ということだった。

 こういう時は迷っているだけで行動しないのが一番よくないので、我が家も奥さんと一緒に避難所に行って少なくとも台風が去って洪水の危険が去るまでそこに留まることにした。急いでレンジで温めた簡単な夕食をとり、猫の餌と浸水時に彼らが二階に逃げられるようにドアを開けて通路を確保するなど準備を整えたけれど、避難所に一体何を持っていったら良いかも分からない。

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 急いでネットで調べて、とりあえず一晩過ごせるようなものをリュックに詰め込み家を後にした。もう風も傘がさせないほど強くなっていた。避難所へは五分くらいしかかからないのでその点はありがたい。避難所となる小学校の体育館にはマットを敷いた避難者用の区画がいくつも設けられていてもうすでに何組もの避難者が座り込んでいた。ぼくらも受付で登録してミネラルウォーターと毛布を貰って一つの区画に陣取った。

 避難所のスタッフで来ているご主人とも挨拶して、やっぱりこういう時は地域のコミュニティーの触れ合いがあると不安な気持ちが少し和らぐような気がする。ぼくらが避難所に入って一時間くらいで避難所のキャパが一杯になったらしい。区画の間隔を狭めてつめたりして譲り合ったが、そのうち校舎の2階の教室も使えるるようになってスペースは余裕が出てきた。洪水対応の避難所なので、浸水が間近に迫る情報が来れば全員が2階以上に移動することになっているので、最初からそのスペースも確保してあるということだった。

 避難所は人が多くなってくると室温が高くなってくるので大型の扇風機を入れたり、子供が多かったので遊び場所を作ったり、スタッフの方が甲斐甲斐しく動いていた。しかしさすがに長時間床に座っていると体が痛くなるし眠ることも難しく、このような状態で数日間もしくは数週間もいたら身体も神経自体もおかしくなってしまうのは容易に想像できた。洪水の危険が増すたびに全員のスマホが一斉に甲高い音を立ててエリアメールを受ける。緊張が続いた。先のことを考える余裕もなく、ただひたすらその夜が無事に過ぎてくれることだけを祈っていた。

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 *幸いぼくたちの地域では洪水には至らず、翌朝の明け方には避難所を後にすることができたのですが、自宅の前の花海棠のかなり太い幹が真ん中から真っ二つに折れて吹き飛ばされていたのを見て風の強さを実感しました。

ちなみに、急いでリュックに入れて避難所に持って行ったものは以下のものでした。
・ミネラルウォーター(これは避難所でも支給されました)
・食べ物、すぐに食べられ日持ちするチョコバー、ナッツ、レーズンなど(避難所では希望者にはアルファ米のピラフなどが支給されました)
・着替えの下着ワンセット
・タオル
・ティッシュ、ウェットティッシュ
・懐中電灯
・スマホ+モバイルバッテリー(2個)
・飲んでる薬+お薬手帳+保健証
・貴重品、千円札と百円玉多目にウェストポーチに入れて(身につけられるように)
・ラジオ
・家の鍵
・ビニール袋

 *持って行かなかったけれど、持って行った方が良かったと思ったもの
・アイマスク…避難所はもちろん真っ暗にはしないので結構明るかったです
・空気枕か枕の代用になるもの…床に直に寝るので頭を載せるものが欲しいです。昨日はリュックにタオルを巻いて枕の代わりにしました


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追悼 ウィーン三羽烏 [新隠居主義]

追悼 ウィーン三羽烏

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 ウィーンのピアニストパウル・バドゥラ=スコダ(1927~2019)が先月25日に亡くなったのだけれど、その時同じくウィーンのピアニスト、イェルク・デムスも今年の4月に他界していることを知って、そちらもショックだった。その頃はぼくもバタバタしていてその記事に気が付かなかったのだろうけど、うっかりしていた。

 亡くなったスコダとフリードリヒ・グルダ(1930~2000)そしてイェルク・デムス(1928~2019)は日本では「ウィーン三羽烏」と称して親しまれていた。三羽烏とはいかにも古い言い方だけど向こうでは「トロイカ」となるらしいが、この三人を括って特別な思い入れを持っているのは日本人が多いかもしれない。

 三羽烏のイェルク・デムスだけど、ぼくが彼の演奏を始めて聴いたのは1972年のハイデルベルク大学の大学講堂での演奏会でぼくはまだ二十代半ば、デムスも四十代の壮年の頃だった。四日間にわたる一連のバッハ演奏会の一夜だった。その時のチケットが手元に残っているけど当時の値段で2マルク50。その時の日本円に換算しても300円足らずの金額。学生街での学生だからこその特権かもしれない。

 それから彼は丁度往年の名ピアノ伴奏家ジェラール・ムーアのように一流の声楽家のピアノ伴奏家としてのキャリアと名声を積み上げていった。その後日本でも2004年にリリアホールで彼のリサイタルを聞いたりしたが、一番印象深かったのは2007年に友人に誘われて行った声楽家の岡村喬生のシューベルト「冬の旅全曲コンサート」で伴奏をデムスがやった時だ。当時76歳になっていた岡村喬生が冬の旅全曲を歌い通すのもすごかったけれど、80歳にならんとするデムスが全曲を弾いていることもすごいと思った。

 その時はたまたまコンサートの後に岡村氏を囲む昼食会があり近くのテーブルにぼくらも座っていたのでデムス氏に挨拶すると同時に以前から聞きたかった質問をすることができた。ウィーンのピアニストとしてはベーゼンドルファーのピアノが彼のお気に入りだと思い込んでいたので、それについて聞くと明確に「いや、ベヒシュタインがぼくは一番好きだ」と即座に答えた。その時の印象が強く残っている。これでウィーン三羽烏は皆居なくなり、またひとつ古い時代の区切りがついたような気がする。合掌。


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 *イェルク・デムスのCDで一番好きなのがこのGradus Ad Parnassum – Die Geschichte Des KlaviersというCDでサブタイトルに「ピアノの歴史」とあるように鍵盤系の楽器の歴史をたどって今日まで保存されている数々の名機を演奏している。先のベヒシュタインやベーゼンドルファーそしてスタインウェイなどの響きを聴き比べることもできて素晴らしいCDになっています。

 デムス自身が北ドイツのアルスター湖畔にクリストフォリ・ミュージアムというピアノの博物館のようなものを管理しそこに保管されているピアノも録音の中に入っているようです。また彼は東日本大震災のときほとんどが帰国したり来日を中止した欧米系の音楽家のなかで、敢えて来日しコンサートを開いてくれた数少ないミュージシャンの一人でもあります。

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動き出す言葉 [新隠居主義]

動き出す言葉 
  
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 日本語学校での活動を始めてもう15年超になるけど、学校で毎年行われる日本語スピーチコンテストは楽しみの一つだ。知り合った当初は日本語がほとんど話せなかった外国の若者が壇上で堂々と日本語のスピーチをする姿を目にすると胸に熱いものがこみ上げてくる。

 昨日はその日本語学校恒例の日本語スピーチコンテストの日だった。プログラムは午前と午後の部に分かれており、午後はどちらかというと初級者の発表の場だが、日本語の語彙が少なくてもそれだけに一つ一つの言葉に対する彼等の思い入れは大きいので聞き応えがある。今は日本語が彼等の生活の中でも心の中でも有効な意味をなしてくる、いわば言葉としての日本語が動き始める時だ。

 テーマも様々。将来の夢から日本での人との出会い、ぼくらではなかなか気づきにくい点に気づかされる事もある。台湾からの留学生は、お店でお釣りをもらった時に店員がお札の向きをそろえて渡してくれたことに驚いていた。そう言われてみればそんなこともあるかもしれない。でもぼくらは、日常の中では見逃しがちだ。彼らと話して初めて気が付き、教えられることは多い。

 世界中が混沌としてささくれ立った言葉に満ち満ちている今、ここに居る若者たちの日本語はたどたどしいけど優しい言葉で満ちている。元気を貰った一日だった。

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 ここ数年でぼくの行っている日本語学校でも留学生の出身国の構成が大きく変わってきている。ずっと以前は中国、韓国そして台湾などからの留学生が多かったのだけれど、今は以前は少なかったベトナムやミャンマーやネパールなどからの留学生の比率が急激に増えている。

  以前に比べてアルバイトをする学生の比率や時間も増えているようにも思う。留学生達とは色々な話をするけど、ぼくは彼らに日本のいい話ばかりをする気はない。いい話ばかりをしたって、アルバイトをするようになれば嫌な思いもするだろうし、幻滅することもあるに違いない。ただ彼らがその中で誤解をしたり、一人で苦しむような思いをさせたくないと思っている。

 よく日本人は知日派と親日派を混同していることが多いけれど、現実には日本語ができて日本の事を外国に住んでいる他の外国人よりもよく知っているからと言って、必ずしも日本の事を良く思っているとは限らない。日本を知っているからこそ日本が嫌いになった外国人だって少なくはない。歪(いびつ)な海外研修員制度などで過酷な扱いを受け日本が嫌いになって国に帰る外国人も少なくはないはずだ。

 これから日本の社会は望むと望まざるとにかかわらず益々国際化していかざるを得ない。不都合なことを覆い隠して自分の国を良く見せようとするより、まず、知れば知るほど好きになるような国を作る努力をすることが大切だと思う。それが結局はぼくら自身も住みやすい社会を作ることにもつながると信じている。


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 *ぼくは今から約50年程前の1970年代、ドイツに人手不足を補うためガストアルバイター(Guest Worker、国際的出稼ぎ労働者)として大量のトルコ人、ユーゴスラビア人などの外国人が流入したときの社会の混乱を目の当たりにしています。

そのガストアルバイターのお陰もあってその時ドイツは大きく発展したのですが、その後の景気後退時にもドイツが一時的と考えていた外国人労働者のほとんどは国に帰らずドイツに居住する〇〇系ドイツ人となって現在に至っています。結局ドイツの社会はそれを受け入れました。

さらについ最近のメルケル政権によるコントロールの効かない難民(一部非難民も含めて)政策によってドイツの社会状況は一変してしまい、多くのドイツ人がそのことに自分たちの文化面や治安面でも不安を覚えると同時に、それがきっかけでAfD等の右寄りの勢力が勢いづいているという現実があります。

ぼくの浅薄な見方ですが、これらは明確なコンセプトや確たる見通しがないままに経済的実利だけを求めたり、政治的アピールをするために生じた結果でもあるような気がします。もちろんドイツは社会が多民族化、国際化することによって以前よりもずっと多様な価値観を持つ広い視野の国になったことも事実ですが、これからもそうあり続けるかは誰にもわからないと思います。

日本の社会は時代の流れとして今、望むと望まざるとにかかわらず確実に国際化しつつあるにもかかわらず、日本語教育や外国人労働者の労働条件等も含めて脆弱な国際化インフラのまま、さしたる議論もなく、なし崩し的に変化が起こっています。この変化には本来国民の理解とコンセンサスが不可欠と思っていますが、マスコミもジャーナリズムもそのことにあきれるくらい無関心であることに大きな疑問を感じています。



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夏 遠ざかる景色 [新隠居主義]

夏  遠ざかる景色


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 今年の夏の天候は全くおかしい。と、言ってもそんなことを言い出してからもう随分時がたっていると思うのだけど…。身内だけの内々のの一周忌が行われたのも台風が関東に近づいている昼頃だった。前日には法事の間天気が持つか危ぶまれたけれどなんとか持ちこたえたが、空は怪しい雲行きだった。

 母が亡くなってから一年。短いようで、しかし自分にもいろいろな事があって長いようでもあった。もう98歳だったから大往生には違いないのだけれど、長生きしたということはそれだけこちらも長い時間を一緒に過ごしたということなので、居ないということに慣れるのには時間がかかってもしょうがないような気がする。

 ぼくは大多数の日本人同様言わば名ばかりの仏教徒だけれども、葬儀や法事などの仏教の仏事には人生の別れに際して、残された者を少しづつ新しい状況に慣れさせてゆく知恵のようなものが隠されていると思うこともある。もちろん法外な戒名や宗派ごとの形式にとらわれすぎた面もあるのだけれど…。

 ただ嘆き悲しむだけでなく、故人との距離が少しづつ、少しづつ遠くなってゆく、できればその遠ざかる景色の中で楽しかったこと、嬉しかったことが多く浮かびあがってくるような遠ざかり方が出来ればそれが一番いい。今は母がやっていたように、朝起きるとまず仏壇にお茶と線香をあげ過去帳を今日の日付にめくって簡単にお祈りをする。

 母がやっていたようには般若心経を唱えることはできないけれど、その日過去帳に載っている人の名前が面識のある人であれば心の中でその顔を思い浮かべて拝むと、優しくしてもらった叔父の顔や叔母の顔と共にその時の景色や光景が脳裏をかすめる。一年経って今ではやっとそれが日課になってきた。

 父の命日ももうすぐで、両親とも夏が命日なのだけれども、これから毎年のように今年の夏はおかしいなぁ、と言い続けるのだろうかといらぬ先の心配までしている。


   ■ 湯上りの 母の坐しゐる 秋彼岸  (阪田昭風)


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