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印象派みたいに [gillman*s park]

印象派みたいに
 
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 連休も最後に差し掛かってきた日、ちょっと間が開いたあとに散歩。どうも運動不足か股関節が痛んで公園に来られない日が続いた。でも、今日は天気もいいしゆっくりと歩いた。東京は連休中も非常事態宣言中とあって都立の公園は閉鎖なのだけれど、ここの公園も都立だけど駐車場やテニス場は閉めているが公園自体は柵がないので自由に入れる。

 公園に入ると中はかなりな人出。もしかしたら今年のお花見のときより多いかもしれない。芝生や木陰のあちこちに小さなテントが張ってある。でも全然密ではないし、シートを敷いて座っている人も目立って飲食をしている風はない。原っぱでは子供たちが追いかけっこをしたり、ボール遊びをしたり、そのわきのテントではお父さんは昼寝をしている。今はやりのチェアリングというのだろうか、持ってきた折り畳みの椅子に腰かけて本を読んでいる人もいた。

 メタセコイアの並木道の両側に設けられたベンチではお年寄りたちが寛いでいる。ちょっと夏めいた光の中で深い緑色に囲まれた彼らの後ろ姿に優しいまだら模様の木漏れ日があたって、どこかフランスの印象派絵画のような感じがした。周りからは少し控えめに、それでもはしゃいでいることが明らかに分かる声が聴こえてくる。

 何もない原っぱでもそれぞれが自分なりの楽しみ方で…、ぼくはいつも思うのだけれど、〇〇ランドのように周到に用意された施設の中で「遊ばせてもらう」のも悪くはないが、こういう風に自分のスタイルで「遊ぶ」方がぼくは好きだ。お金もかからないし…。そういう意味では昔から大好きな公園なのだけれど、この公園でも先年バーベキュー場が整備されたのについで、大掛かりなフィールドアスレチック場も殆ど完成して、ここもまた設備に頼って「遊ばせてもらう」類の場所になってゆくような感じがする。


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  池のほとりに行くと、ここのカモは人がいじめないから余り人を怖がらないのでつがいで草原の上をよく散歩している。それを幼い姉妹が目ざとく見つけて、カモの後ろについてゆく。驚かさないように両手を後ろに組んで二羽と二人が道端を散歩している姿がなんとも可愛い。そのうちお姉ちゃんの方は飽きたらしく戻って行ったけど妹の方はずっとカモの散歩にお付き合いしていた。

 丘の上には筋雲みたいな刷毛ではいたような雲が青空と良い割合で空を飾っている。今は彼らの愛の季節なのだろう、地上ではハトの求愛ダンスが空ではカラス達の追っかけっこが盛んだ。散歩の犬はのどが渇いたのか水飲み場で美味しそうに水を飲む。局地的にこの公園だけを見れば、以前のお花見時のように大勢の人が集まりゴミだけを残してゆく姿が消えて、ちょうどいいくつろぎの空間になったと言えるけど…。一方では長引くコロナ禍の中で商売が続けられず塗炭の苦しみにあえいでいる人が多くいることも忘れてはならない。

 日本に限らずこのパンデミックはその社会の弱いところを浮き彫りにするようだ。コロナ禍で日本の政治や官僚システムが迅速に戦略的に動けないこと、ITが世界から周回遅れで遅れてしまっていたこと、医療の体制や政策がリスク対応できないシステムになっていたこと等々、多くの課題が浮き彫りになった。この教訓を将来に活かせればいいのだけれど、のど元過ぎれば…ということにならなければ良いが。

 
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猫宅の必需品 [猫と暮らせば]

猫宅の必需品

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 昔から多頭飼いで猫を飼っているので、家の中の環境には気を使っているつもりだ。家具や家の壁や柱などが爪などで傷むのはこれは織り込み済みの前提として仕方ないけど、猫のためにも清潔な環境に保つのは結構手間のかかることも多い。
 
 トイレの砂をまき散らしたり、毛も飛ぶから一日何回も掃除機はかけるけど、草を食べた後毛玉を吐いたり、我が家ではこれを「猫のゲー」(猫がゲーゲー言って吐き出すもの)と言っているけど、それが床や絨毯の上に散乱することは日常茶飯事で、最近は一番年上の猫のレオが歳のせいか寝起きに寝ぼけてあらぬところにオシッコやら、もうちょっと立派な固形物を残してゆくことも頻繁になってきた。

 歳でなくとも唯一の雌猫のモモは若猫のハルが自分のテリトリーをないがしろにすると、時々ストレス、不満が爆発して「え~い、ここでしてやるっ!」とあれや、これやの不満の塊をお出しになる。特に和室の絨毯の上にされると大変なのだ。そのたびにペーパータオルとバケツと雑巾と電動ブラシとそれから絨毯から水分を吸い取るケルヒャーの吸引機をもって駆け回ることになるのだ。

 ケルヒャーの吸引機は元々ガラスや車を洗った後の水滴を吸引するものだからそんなに吸引パワーはない、と言って専門のリンサークリーナーはそれだけで7~8万円もするのでそんなの買えない。と、ぼやいているうちにあのアイリスオーヤマがやってくれました。それにうってつけのリンサークリーナーが安価にそれも7000円程度で買えるものを出してくれたので、さっそくゲット。

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 それが昨日配送されてきたけど、結構大きい。タンクにホースとブラシ付きノズルが付いたような感じ。組み立てるとコンパクトに収納できる工夫はされているので、いざというときこれ一つ抱えて駆けつければ事足りる。ノズルにスプレーが付いていてそこから水かぬるま湯を吹き付けるようになっている。泡の出る洗剤は使えないけど、ぼくはアルカリウオッシュか超電解水を予め絨毯に吹き付けてやっているけど効果はてきめん。

 パワーも強いけど音もすごい、でも見る見る汚い色した水がタンクに吸い込まれて、しかも丁寧に吸引ブラシをかけた後は絨毯が少し湿っている感じくらい。これで心理的ストレスがずっと楽になった。終わった後にクリーナー自体を掃除するのが結構めんどうで大変だけれど、こういう作業はぼくは嫌いじゃないので気にはならない。絨毯だけでなく布製のソファや椅子の座面もリンスできるのでいい。猫のみなさん、さぁ、いつでもかかっていらっしゃい。



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 *アイリスオーヤマさんからは特に広告料などは貰っていませんので、お使いになる場合はあくまで自己責任でどうぞ。w

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世代を分かつコロナ [gillman*s park]

世代を分かつコロナ
 

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 若い者はとにかく、この世界は自分たちとともに今初めて始まったのだ、と思い込むので困る、と老人たち。ところが、こう非難する老人たちも老人たちで、自分たちとともにこの世界は終了する、と、若者顔負けにつよく思い込んでいるのだ。
 (ヘッベル「日記」) 

 Der Jugend wird oft der Vorwurf gemacht,sie glaube,daß die Welt mit ihr erst anfange. Aber das Alter glaubt noch öfter,daß mit ihm die Welt aufhöre.
 (Hebbel,Tagebücher)
 

 最近新型コロナのせいで、世代間抗争を煽るようなネットでの発言やマスコミ報道が多いのが気にかかっている。もとはと言えばこの狡猾な新型コロナウィルスCOVID-19が主に高齢者を重症化させ、若者は罹りにくいか罹っても比較的軽症ですむ、という側面をもって登場したことだ。

 そのことが主に二つの世代の間に大きなクサビを打ち込んだ。高齢者は、若者の感染に無関心で軽率な行動を指摘し、若者はひとえに高齢者を守るという題目で自分たちの行動のみでなく生活手段にも大きな制約を被っている気持ちになっている。それに輪をかけてマスコミが抗争を助長するような絵作りや情報を流している。

 しかし冷静になって考えれば、海外の様子を見ても、これほど世代に関係なく押しなべて実直にマスク着用を励行している国民も、政府の無策に大規模なデモ一つ起こさない国民などどこを見回してもありはしないと思う。冷静な戦略と検証、適切で真摯な説明、迅速な行動と情報開示。この一年間どれをとっても今目につくのは劣化した国の機能であり政治の実態だと思う。

 今急速にウィルスの変種が蔓延しつつあり、それは一部には若い世代といえども安閑としていられない感染力を持つともいわれている。もう世代間抗争をしている時ではないし、国民として立ち向かってゆかねばならないのだろう。若者はこの状態が長引けば結局は経済的側面でも自分たちに降りかかってくることを、年寄りは色々言われていてもリスクを犯しながらでも現実社会の日々を若者が支えているということに思いを致すべきなのだろう。

 明日からはまた緊急事態宣言でもしかしたら、この公園も立ち入り禁止になるかもしれない。一見平和そうな公園を歩きながら考えた。かつて年寄だった若者はいないけど、年寄りは皆かつては若者だった。若い時の一日が自分にとってどれだけ大事だったか、歳をとった今思い知っているはずだ。それをもう一度思い出して、その目を若者に向ける知恵と余裕が年寄りにも今のマスコミにも必要だと思う。



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生涯の友 ジャズとスピーカー [新隠居主義]

生涯の友 ジャズとスピーカー

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 TANNOYのスピーカーRectangular Yorkがうちに来てからもう45年になる。買った当時はまだ若かったから良いものを長く使うなどという哲学などなかったけれど、結果としてそうなった。その時は分不相応でもなぜかどうしても欲しかった。でも自分の給料の何か月分にもなるし、ましてや結婚して間もなくで家計も火の車だった。

 背中を押してくれたのはカミさんだった。後でずっと後悔するようならば買った方が良いわよと、あとは仕事で頑張ればいいと。だからずっと愛用できたのかもしれない。45年の間にはコーンの張替え、これは船便でイギリスに送って張り替えてもらったけど、数年前にはとうとうエッジがダメになったのでこれは北九州の業者に送って張り替えてもらった。

 サランは自分で3回ほど張り替えたので元々のベージュのTANNOYらしい雰囲気は無くなったけど、音にはそんなに大きな影響はないので良しとした。最初両方のスピーカーについていた TANNOYのロゴは、前の猫がイモリみたいにスピーカーの前面に張り付いて遊んでいるうちに引搔いて剥がした上にかみ砕いで、その内どこかにいってしまった。

 これもまぁ、音には関係ないのだからと10年くらい放っておいたのだけれど、最近は45年も頑張ってくれたんだからまたロゴでもつけてあげたいなとは思っていた。以前、何度かオークションで見かけたような気はしたのだけれど、国内では見つからなくてイギリスのオークションでロゴだけ売っているのを見つけて買ってみた。

 ものはしっかりして新品に近いけれど、イギリス国内や日本での送料や関税やら業者の手数料やらで結局落札価格の倍くらいになってしまった。半月ほどしてやっと今日届いて何とかつけてみたら音には関係ないけどやっぱりロゴがあった方が良いなぁ。このスピーカーとは生涯の付き合いになりそうなのでぼくからのちょっとしたプレゼントというところか。 …気になるのは、さっきから、やんちゃ猫のハルが金色にキラキラ光るこのロゴをじっと見つめていることだ。
 
 
 
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春うらら、でも… [gillman*s park]

春うらら、でも…
 
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 ■  谷川俊太郎
 
 かわいらしい郊外電車の沿線には
 楽しげに白い家々があった
 散歩を誘う小径があった
 
 降りもしない 乗りもしない
 畠の中の駅
 かわいらしい郊外電車の沿線には
 しかし
 養老院の煙突もみえた
 
 雲の多い三月の空の下
 電車は速力をおとす
 一瞬の運命論を
 僕は梅の匂いにおきかえた
 
 かわいらしい郊外電車の沿線では
 春以外は立入禁止である
 
  (二十億年の孤独)
 
 Spring
 
 Cheerful white houses
 lined the curve,lovely suburban train
 and there was an inviting trail to hike.
 
 A station in the midddle of a field --
 no one got of or on.
 
 But along this cute,lovely line
 I could also see the chimney of an old folk's home.
 
 Under an overcast March sky
 the train slowed down.
 In a moment I let the scent of plum blossoms
 replace my fatalism.
 
 Along the line of this cute suburban train
 everything is off-limit except spring.
 
  (The Billion Light-Years of Solitude)
   Trancelated by William I.Elliott & Kazuo Kawamura
 


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 桜の季節が過ぎて緑の季節になった。もっともここの公園は桜の種類がとても豊富だから本命のソメイヨシノが散っても八重桜の番が回ってくるので、普通の桜の名所のようにあっという間に桜の季節が終わってしまうわけではないのだけれど…。

丘の上に一本ある真っ赤なツツジが咲き始めた。少し顔を覗かせた青空とそれに園児たちの青い帽子が赤いツツジを引き立たせているのか、それともツツジの赤が青色を引き立てているのか、いずれにしても気持ちの良い色合い。

 八重桜は散って足元には見事な花のじゅうたん。春の光の中でカラスはシロツメクサの中で遊び、カワウは一休みで羽を乾かし、ひな鳥は石の上で昼寝。ありふれた光景だけど、幸せな公園の光景。春うららか、でも…子供たちをみれば、幼稚園の園児もちゃんとマスクをしている。本当の春はまだほど遠いのかもしれない。
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冬の鴉 [gillman*s park]

冬の鴉
 
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 この冬はほとんど毎日と言ってよいくらい公園に散歩に行った。おかげで今までにない程冬の光景を楽しむことができたのだけれど、その中でも裸になった樹々の素の姿の美しさに心を奪われた。そしてその素になった樹に独特の叙情を加えるのが、枝にとまっている鴉(カラス)なのだ。

 この枯れ枝(実際には枯れてはいないのだけれど)に鴉の図柄は昔から多くの水墨画でも描かれ、ぼくが好きな版画家の小原小邨の版画にも、雪の積もった枯れ枝に鴉がとまっている「雪中の鴉」という名作がある。また俳句で言えば自由律俳句の種田山頭火には鴉の句が多いことでも知られている。

 ■ 鴉啼いたとて誰も来てはくれない (草木塔/柿の葉)
 ■ 鴉ないてわたしも一人 (草木塔/鉢の子)
 
 山頭火は山野を行く行乞の旅の途中で頻繁に鴉の姿を目にしたはずで、そのたびにその姿に自分の境遇や心情を投影させた句を読んでいる。幼少の頃、母の入水自殺を目撃してしまったことに始まり、父の放蕩によるその後の実家の没落そして弟の自殺と人生の奈落へと山頭火を引きずり込む運命に抗う術が彼にとっては俳句と酒だった。その彼が全てを捨てて行乞の旅に出て見つけた唯一の旅の友が鴉だったのかもしれない。

また、この光景で思い起こされるのがシューベルトの歌曲「冬の旅」のなかの一曲「カラス(Krähe)」で、この曲でも鴉は旅人についてまわっている。

Eine Krähe war mit mir
Aus der Stadt gezogen,
Ist bis heute für und für
Um mein Haupt geflogen.
一羽のカラスが僕と一緒に
街からやって来た
それから今日までずっと
僕の頭の周りを飛んでいた
 
 「冬の旅」の鴉は死を暗示していてシューベルトの短い人生を思わせるところもあるけど、この歌でも彼は鴉に友達のように語りかけており、必ずしも不気味な存在とはしていないと思う。今、公園ではこれらの樹々は青々として緑のドレスで着飾っている。風が吹くと葉がこすれる音がして、それはいかにも春のメロディーにも聞こえる。
 


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 *山頭火の場合カラスには「鴉」という字を使っています。普通は「烏」の字の方を使うことが多いのかもしれないですね。「烏」の方はカラスの形から来た象形文字だが、「鴉」の方は漢字の「牙(ガ)」の方がカラスの鳴き声を現す擬声語らしいです。

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 *公園で撮った今の時期の鴉です。梅に鶯、桜に鴉。(笑) 何だか不釣り合いな感じもしますが、実はあの小原古邨「花鳥獣図・桜に鴉」という素晴らしい絵を残しています。とにかく鴉は絵になる鳥なのです。


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街酔い [Ansicht Tokio]

街酔い
 
 
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 もうずっと散歩か通院以外は殆ど出歩いてはいないのだけれど、どうしても観ておきたかった展覧会があったのでほんとに久しぶりに渋谷に出た。緊急事態宣言が解除になってもリバウンドや変異種のリスクがましており東京はまだ異常事態であることはかわらないのだけど、電車の中も渋谷の街の人出もコロナ以前と殆ど変わらない感じがした。

 と言っても、視界に入る人々のほぼ100パーセントがマスクをしているというのはさすが日本だなぁという気がした。コロナ禍になってからは人混みを避けているので考えてみたら、こんなに大勢の人がマスクをして自分の周りを取り囲んでいるみたいな光景を目にしたことはなかったかもしれない。

 ハチ公の辺りには待ち合わせをしているらしい人が多いのはその誰もがマスクをしていることを除けば以前と変わらないのだけれど、遠くから眺めていると異常さの日常化みたいな感じがしてこれが「慣れ」とか「緩み」みたいに言われるなのかなと思ったりした。

「慣れ」とかを悪いことのように言われるけど、人類は本来「順応」に長けた生き物だ。人類を今まで生き残らせ繁栄させた主な要因は道具を使う知恵とどんな環境にも慣れるその順応能力の高さ故だと思っているけど、今その「慣れ」が生き物のもう一つの側面である防衛本能を鈍らせてしまっていることが問題なのかもしれない。

 なんて思いながら街を歩いていると、渋谷の街の喧騒の音と春の日に照らされた鮮やかな色彩が意識に飛び込んできてふらつくような気分になってきた。そんな言葉はないけど、言ってみれば「街酔い」みたいなものかな。本来、街撮りが好きで時間があればカメラを持ってうろつきたい方なんだけど、街から遠ざかっているうちに感覚が変わってきたのかも…。これもそのうちリハビリがいるなぁ。

 調子が良かったら渋谷の近隣に住んでいる友人に連絡してお茶でもしようと思っていたけど、とにかく写真展を観たらお茶も食事もしないで一直線に帰ってきた。
 
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You must believe in Spring [gillman*s park]

You must believe in Spring
 
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 公園は本格的な春の用意ができたようだ。本命のソメイヨシノはまだ咲かないけれど、ユキヤナギは湧き立つ真っ白な雲海のように咲きみだれ、黄色いレンギョウはその向こうに見える河津桜光陽桜などの早咲きの桜のピンク色と絶妙の春の色彩を演出している。

 緊急事態宣言が延長されて春どころではないと思いつつも、季節は確実に春になっている。今年も例年並みのお花見は無理だろうけど、浮かれるのではなくて気持ちを前に向けるように背筋を伸ばしてゆっくりと春を味わうという春の迎え方をしたいなぁと思いながら公園を散歩した。

 丘の上ではうららかな春の陽の下で母子がベンチに座っている。その前を短パンにブーツをはいた若いお母さんがさっそうと乳母車を押してゆく。元気の出る春の光景。新型コロナで外にも出られない鬱々とした長い冬を抜けてやっと出会った春。もちろん浮かれてはいけないけど、今年の春はしみじみと味わいたい。

 そんな時、ぼくが大好きな曲「You must believe in Spring」という曲の名前が浮かんできた。散歩の間は大抵iPhoneに入れた音楽を聴いていることが多いのだけれど、その曲も入っていることを思い出して坂の下の東屋でその曲をセットし聴きながら歩いた。ビル・エバンス(Bill Evans)のピアノの囁くようなイントロが深く心にささった。いつかほんとうの春が来るから…You must believe in spring…。

 この曲もとはカトリーヌ・ドヌーヴが出演したフランス映画「ロシュフォールの恋人たち」で使われた曲で作曲がミシェル・ルグラン。原曲はフランス語だけれど英語のタイトルがYou must believe in Springだった。英語の作詞はアラン&マリリン・バーグマン夫妻でこのコンビはぼくも好きな「風のささやき(The Windmills of Your Mind)」の作詞者でもある。この曲は今ではジャズのスタンダードナンバーの一つになっている。

 この曲のタイトルは同時にエバンスのアルバムのタイトルにもなっていて1977年の録音。エバンスはその前年兄を自死で亡くし、翌年続いてエレイン夫人が亡くなるという失意の中だったことを想うと、このタイトルにエバンスは特別な気持ちを込めたのではないかと…。

 でも結局このアルバムが発表されたのは1980年エバンスが亡くなった後だった。理由はよくわからないけど、演奏が暗いという説もあるが、ぼくは暗いのではなくどこまでも透明なのだと思っている。ぼくにとってはしみじみとこの春を味わい尽くすための大切な曲だ。
 
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You must believe in Spring
Recorded in 1977
released in 1980.
[Personnel]
Bill Evans…piano; electric piano
Eddie Gómez…bass
Eliot Zigmund…drums

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花曇り 春 [gillman*s park]

花曇り 春
 
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 こんな日を花曇りと言うのだろうか。温度は決して低くはないのだけれど、何となくうすら寒い。影のない視界は全体にどこかのっべりとしている。今日は午後から天気が崩れるというので朝方に公園を散歩した。うかうかしている間に公園の河津桜はあっという間に満開になって散っていった。

 いつも今頃の時間帯は近所の保育園の園児たちの野放しタイム(ぼくが勝手にそう呼んでいるだけなのだが)なので今日も元気に芝生の上を走り回っている。当然引率の保育士さんたちは園児たちが視界からはみ出さないように目を光らせてやはり走り回っている。しばらくして、今度は残り花になりかけた河津桜の下に園児を集めて…。
 
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 薄桃色の桜の向こうに赤い椿と黄色いレンギョウ、その間をピンクの帽子を被った園児たちが動き回っている。春の色が満ちてなんかやっと本当に春が来るんだなと納得した。丘の下には雪柳が噴き出すように白い花をつけている。黒い長い糸のようだった枝垂れ柳の枝は芽吹いてほんの数日で瑞々しい青柳になった。

 いつもは池の中の杭棒の上で羽を広げているカワウが今日は池の中の小島にある柳の樹にとまって池を睥睨している。その前をユリカモメが横切りカモたちが泳いでゆく。こんな光景もそろそろ見納めかもしれない。花曇りの時期は渡り鳥たちが帰ってゆく時期でもある。

 俳句の季語では「鳥曇り(とりぐもり)」とも言い、また「鳥雲に入る(とりくもにいる)」といえばこの頃の季語で渡り鳥達が雲の向こうへ帰ってゆく様を示すものらしい。本当は鳥たちでなくて新型コロナこそ雲の向こうへ消えてほしいのだけれど…。緊急事態宣言も延長され、さらに変異種の登場などまだまだ本当の春は遠いような気がする。
 
 ■ 鳥ぐもり 子が嫁してあと 妻残る (安住敦)
 
 
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日本語学校 卒業の春 [新隠居主義]

日本語学校 卒業の春
 
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 首都圏は緊急事態宣言下ではあるけど河津さくらも盛りを過ぎていよいよ桜本番の季節を迎えようとしている。ということは卒業の季節でもあるのだけれど、去年に引き続いて卒業生たちが抱き合って別れを惜しむようないつもの光景はみられない。オンラインだったり、式典をやるにしても父兄や在校生の居ない卒業生だけのまばらな席がなんだか寂しい卒業式の光景がみられる。

 今日は日本語学校の卒業式だけれど、やはり基本的には卒業生だけの式典になって、ぼくも今年は残念ながらオンラインでの参加になった。今回の卒業式の留学生たちは大半が新型コロナ以前に日本に来て一番大事な時期をこのコロナ禍の環境下で過ごさなければならなかった。この日本語学校は短期コースを除けば一年~二年コースがあるので年のうち何回かは新しく学生が入ってくるのだけれど、新型コロナ以来は入国をストップされて自国で待機せざるを得ない学生も多かった。

 特に第一波のコロナ禍の一時期は全てオンライン授業になった時期もあったし、その後も留学生たちはバイトも出来なくなって経済的にも大変だったと思う。もちろん感染対策を万全にするなどそれを支える日本語学校の先生方のご苦労も並大抵ではなかったと思う。片や慣れないオンライン体制の構築に加えてオンラインによる授業のためのシラバス変更などやるべきことが山積みだったに違いない。

 ぼく自身は昨年は残念ながら全てオンラインでのサポートになったので実際には会えなかった卒業生が殆どだ。高齢に加えて持病もちでステロイド治療もあったり、さらに学校までは電車を乗り継いで一時間半くらいかかることもあって万が一にも自分が感染したり、もしくは学校に感染を持ち込んで迷惑をかけるというリスクを考えるとオンライン・リモートでの留学生サポートが必要と感じ、その形をとった。

 オンラインによるコミュニケーションは最初は隔靴掻痒の感があっのだけれど、オンライン環境も安定し慣れてくるにつれてそれなりの利点も見えてきた。特に先ほども述べたように入学したけど自国で足止めを食らっている学生たちとのオンラインは意義があったと思う。一旦日本留学を決めたのになかなか行けないという生煮えの状況では日本語学習のモチベーションを保つのも難しいし、これからの日本での生活への不安もつのってくる。そういう点ではオンラインで繋がりを保てたのはよかったと思っている。そういう中で、彼らの不安と同時に片方ではこちらがたじろぐような彼らの留学への期待も強く感じた。

 ぼく自身も経験があるけど、若くして異国で暮らし学ぶということはそれだけでもとても大変な経験なのだけれど、さらにコロナ禍というストレスフルな環境に耐えて勉強した経験はこれからの人生で必ず役に立つと思う。卒業後は進学する者、就職する者、国にかえる者、その道は様々だけど、みんな頑張れ。卒業おめでとう
 
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and also....
新しい繋がり

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冬の素顔 [gillman*s park]

冬の素顔
 
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 そもそもこのブログを始めるきっかけは、16年前の夏たまたまこの公園を散歩していてそこに居る虫や鳥や足元の野草などの生き物の姿に目を奪われたことだった。それから頻繁に散歩に来るようになったのだが、その頃はとにかく珍しいものに目が行ってそれをブログにアップしていた。いろいろなポケット図鑑を持ち歩いてそれを見ながらカメラを向けるのが楽しい時期だった。

 それから大分時間が経って、もちろん今でもそういうものは大好きで何かあればカメラを向けるのだけれど、今は同時に公園といういわば人工的な小自然の中での季節の移ろいや自分を含めてこの公園を訪れる人々の日常といったものに、より目が向くようになっているかもしれない。

 冬は歳をとるにつれて段々と公園に脚が向かなくなっていたのだけれど、このコロナ禍でほぼ毎日公園を訪れるようになって冬の情景の素晴らしさに魅せられた。紅葉に彩られた秋が去って、一見色を失ってしまったような冬の景色はシルエットの素晴らしい季節といえる。その主人公は鳥たちと樹々。とくに葉もすっかり落ちて言わば素顔になった樹々の姿は毎日見ていても飽きない。

 冬の樹々の姿がこれほどに美しいことはついぞ忘れていた。そういえば樹々の形の美しさに初めて気づいたのはまだ二十歳代の頃、モスクワから列車でウィーンに向かう途中、雪が舞い始めたポーランドの平原の所々にポツンと立つ樹の形の美しさだった。葉が落ちて骨組みだけになった素のままの樹々の凛とした姿。今でもその姿が目に焼き付いている。

 夕暮れにかけて公園を散歩すると彩りを変えながら落ちてゆく夕日に照らされた樹々のシルエットが例えようもなく美しい。身体の周りに無数の微細な糸を垂らしたような枝垂れ柳、実に群がる鳥たちを自らの模様の一部にしてしまうハゼノキ、夕日に両手を広げたような落羽松。みんな素晴らしい骨格を持っている。冬でなければ見られない彼らの素顔もあと少し、やがて化粧をし始める春が来る。



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My Park 秋冬編
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ぼくは人々の日常と深くかかわっている公園の小自然の中の季節の移ろいが好きで、前々からスライドショーを作りたいと思っていたのだけど、このコロナ禍で時間が出来たのでとりあえず秋冬編を作ってみた。

ぼくはバック音楽から決めてゆくスタイルなのでNeil Diamondの歌うこの「The Windmills of Your Mind」が好きでこれにした。この歳になるとその歌詞が身に染みてくる。(本動画は限定公開でYoutubeの検索対象外で期間も暫定的なものです)

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マグリットのように [gillman*s park]

マグリットのように


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 コロナ禍のせいで電車に乗っての外出がままならなく、また日課だったスポーツジムに行くのも憚られて、小さなお散歩カメラを持って日課として散歩するようになって三か月位経った。最初は脚が弱り切って脚を前に出すのに神経を使って、かつ度々ベンチで休憩しなければ歩けなかったのでそちらの方に気を取られて正直写真どころではなかった。

 今でも息切れはするし脚ももたつくけれど、何か気になったものを写すのに足を止めるのが取り敢えず休息の代わりにもなるらしく、何かを撮ろうという気が起きてきた。毎日同じところを散歩していると天候や時間や季節の変化に気を留めるようになるらしい。また光ということで言えば、その間全く同じ光の日はなかったように思う。

 この公園は空が広いから光の変化に敏感にもなるのかもしれない。当たり前のことだけど、光は空からくるということがここにいると身にしみて分かる。カメラを持って散歩すると光の変化にいつもドキドキして飽きることがない。ところが、今度はそれを自分のカメラで捉えきれないジレンマみたいなものが…。

 毎回散歩に出る前にその日撮るものや撮り方なんかのテーマを考えて出るのだけれど、なかなかうまくはいかない。でも毎日同じ所を撮っているうちに自分の視点が変わってきているのを感じることはある。うまく表現はできないけれど、見えてくるものが変わってくるような感覚…。散歩は考え事には良いというけれど、考えながら歩いて、その思考でファインダーを覗くという…そうじゃないな。やっぱり巧く言えない。

 かつてシュールレアリスムの画家ルネ・マグリットは「目に見える思考」という言葉をよく使っていたけれど、それほど小難しいことでなくても、見てその場の空気感や画面の外へと繋がるストーリーのようなものが自然に伝わる撮り方みたいなものがあるのかと思ったりして。まぁ、今はそれよりもまず体力をつけて歩くことだ。ローアングルで撮ろうとするだけでも体力が足りない。まず、そこだな。
  
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ねぐら [gillman*s park]

ねぐら
 
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  ■枯木に鴉が、お正月もすみました (山頭火/草木塔)
  ■啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない (山頭火/草木塔)
 
 山頭火の句にはカラスを詠んだ句がじつに多い。カラスにあたる漢字には「烏」と「鴉」と「雅」という三種類の字があるけど、山頭火はいつも「鴉」の方を使っていた。「鴉」の方の漢字は左の偏の方が「アア」と鳴くカラスの鳴き声を表している。山頭火は行乞の旅の中で頻繁に見かけるカラスの存在に自分をなぞらえていることが多いのもこの字を使っている理由の一つかもしれない。

 ぼくも元来カラスは嫌いではない。夕暮れの公園を散歩した時など、カラスがねぐらに帰る光景はどこか郷愁を誘う。昔、子供のころ原っぱで遊びに夢中になって陽が傾きかけたのも気が付かないで親が迎えに来る頃カラスもねぐらに帰る。カラスが鳴きながら茜色の夕空を横切る姿は子供のころから目の底に焼き付いている光景だ。
 
 
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 でも、最近のこの公園にはいかにもカラスが多すぎる。その一つの原因になっていると思われるのが、この公園を訪れる人のカラスや野鳥への餌やりだ。いつも午前中に公園を散歩するとよく見かけるカラスおじさんがいる。公園では野鳥への餌やりは禁止されているのに頻繁にカラスに持ってきた餌をやってるのを見かける。

 一昨日は餌やり禁止の張り紙の前で堂々とやってるのでさすがに見かねて注意した。最近は変な人が多いから怖いので無暗に注意するなと前もカミさんに釘を刺されているけど…。
「ここは餌やり禁止ですよ」
「…かわいそうじゃねぇか」
「カラスが自然に自分で取れる以上の餌をやれば増えすぎて結局は駆除されて、もっとかわいそうなことになるんじゃないですか」
「…ふぅん」
こちらの方を見るでもなく、餌をやり続けている。

 昔の自分のブログを見たら2005年に公園に都が設置したカラスのトラップの写真が出ていた。最初に経験の浅い若い烏がかかってそれを見に他のカラスもやってくる。トラップにかかったカラスがなんとか出ようとしてずっと鳴いていたのを覚えている。今でもかわいそうに思っている。また、そんなことにならなければいいのだけれど…。

 最近は近隣からもカラスが餌を当てにして公園に集まって来ているし、気の強いカラスを避けてか渡り鳥の飛来は逆に減っているような気がする。こういう独りよがりのカラスおじさんやハトおばさんがあとをたたない。優しさがその行為の発端なのは分かるけど、その方向性が間違っているような…。
 
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 *夕暮れ時はマジックアワーと言われるように魅力的な時間帯で刻々と変わってゆく光に見とれてしまうこともありますが、この日もそんな日でした。茜色の空が広がる頃、カラスたちが三々五々ねぐらの樹に帰ってきます。

 木のてっぺんの一番いい場所を取ろうとあちこちで小さな小競り合いが…。空が薄暗くなり始めるとその内静かになってきます。暮れきる直前に森の向こうに赤黒い残照が垣間見え手前に黒々とした木々と鴉たちのシルエットがぞくっとするほど美しかったです。その色合いがどこか加山又造の日本画のようでした。

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世界を埋め尽くす情熱 ザルツブルク大聖堂 [NOSTALGIA]

世界を埋め尽くす情熱 ザルツブルク大聖堂
 

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 先の一人旅の話の続きなんだけども…、20代で初めて欧州(当時はまだそんな言葉がぴったりだった)に渡った時、シベリア鉄道と飛行機を乗り継いで最初にたどり着いた大きな都市がモスクワだった。その後はじめて足を踏み入れた当時の西側自由圏の都市がウィーンだった。

 そこで最初に感じたのは西洋はつくづくと石の文化だなぁということ。同時にぼくらはいかに木に囲まれて暮らしていたかということだった。多くの教会を訪れたけれどもぼくの好きだった日本の寺院のような人の心を静謐にそして安寧にしてくれるような気配を感じることはできなかった。

 それはもちろん育った環境の要素が大きくて、西洋で育った人たちはそこに静謐と精神の安寧を感じるのだと思うのだけれど、ぼくには威圧という感覚の方が強かった。のしかかるような石の重み。西欧の街に住み始めてからも石の街で感じる孤独感は果てしのない、日本の寺院で感じるようなあのどこか包み込まれるようなある種居心地の良い孤独感とは無縁の感覚だった。それはまさに異文化の感覚だった。
 
 
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 それから、もう一つ感じていた異文化感覚が西欧の、巧くは言えないのだけれど、「世界を何かで埋め尽くしたいという情熱」のようなものだった。それは絵画や建築にも表れている。美意識の点からみても日本の文化は言わば「余白の文化」と言おうか、描かれないもの、語られないものに思いを巡らすという美意識、価値観のようなものがある。

 もちろん日本にも洛中洛外図や若冲の動植綵絵のように、画面の隅々まで埋め尽くしたいという情熱を持った絵も存在するけど、それは例外的なものに留まっている。ザルツブルク~ウィーンの一人旅でどうしても撮りたかったのがモーツァルトが洗礼を受け、カラヤンの葬儀が行われたザルツブルクの大聖堂の天井画だった。

 建物は17世紀に建築家のサンティノ・ソラーリの手になるものだが、天井画はドナート・マスカニートによるものとされている。その画家についてはぼくは余り知らないのだけれど、そこにはまさに世界を何かで埋め尽くしたいという並々ならぬ情熱が感じられる。絵画とその周りを囲む彫刻は目のくらむち密さで天井を埋め尽くしている。 

カメラを天井に向けて頸が痛くなって限界になるまで撮り続けたがもちろん切りがない。どこまで行ってもフレスコ画や彫り込まれた彫刻達が「まだだ、まだだ…」と言い続けているようだった。
 
 
 
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*絵画や建築で見られる「世界を何かで埋め尽くしたいという情熱」は西欧のものであると同時にバロック、ロココでその頂点を極める長きにわたって西欧を突き動かしていた時代の情熱だったのかもしれません。

 印象派などで幕開けした近代の西欧の美意識は産業革命を通してよりシンプルで機能的なものへと変質していったような気がします。しかし身の回りには今でも厳然として当時の美意識の世界が存在していることも確かだと思います。

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ウィーンの光と影 [NOSTALGIA]

ウィーンの光と影
 
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 緊急事態宣言が出て旅行の、ましてや海外旅行の機会はまた遠のいた感じがする。今は旅行どころかぼくの場合は通院以外は町なかへの外出は殆どなく散歩が外の空気に触れる唯一の機会と言ってよい。

 ということで、ここのところ旅行で撮った昔の写真ファイルを整理している。旅行先で写真を撮ることは多いのだけど写真を撮るための旅行というのは後にも先にも国内外にかかわらず一度しかない。それは2009年にウィーンとザルツブルクに写真を撮るために一人で一週間旅した時だ。

 安いエアーとホテルだけ押さえてあとはカメラを抱えて街を撮り歩くという意気込みで行ったのだけれど、正直言って体力がついていかなかったのを覚えている。いつもは旅行には軽い小型のデジカメを持ってゆくのだけれど、その時は気負いもあって重いN社のデジタル一眼カメラにこれまた重いレンズをつけて持って行ったものだから…。

 歩いているうちに頸が痛くなる。頸椎を手術しているので頸に負担がかからないように斜め掛けにするようにはしたのだがそれでも次第に耐え難く痛くなってくる。加えて当然だが教会をはじめ三脚の持ち込みやフラッシュの使用は禁止だから、重いレンズを付けた重いカメラをしっかりと固定して保持しなければならない。でも手持ちの限界はあった。
 
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 それでもどうしても撮りたかったのがザルツブルクの大聖堂とウィーン市内のバロックの精髄ペータース教会だ。ウィーンには二つの素晴らしいバロックの教会がある。このペータース教会とやはり市内にあるカルルス教会。この二つは同じバロックでも随分と雰囲気が異なる。ぼくはペータース教会の方が好きで、不謹慎な言い方かもしれないけど艶やかというか、その様式美が素晴らしい。

 その教会は三脚とフラッシュさえ使わなければ自由に撮影することができた。撮りたかったのは以前に見た光景。天窓から光が差し込み教会の壁を照らし始める。祭壇の中央に鎮座している十字架のキリスト像の足元を照らす光と相まって荘厳な空間を作り出す。教会の木のベンチにカメラを固定して待った。またいつか、今度は軽いカメラを持ってどこかに撮りに行きたいのだけれど…。
 
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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年


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冬の公園 [gillman*s park]

冬の公園

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 公園の散歩を再開して半年くらいになるけど、毎日のように来ていると段々と見えてくるものが変わってくるような気がする。お散歩カメラを持って歩いているということもあるけれど、季節の移ろいだけでなく公園に来る人のありようや視界に入る鳥たちのこと等など。

 逆に毎日来ることによって見えなくなってくるものもあるかもしれない。目が慣れるというか、最初は珍しかったものが次第にあたりまえのモノとして視界に溶け込んでしまうこともある。それは写真を撮るものにとっては一番気を付けなければならないことかもしれないなぁと思っているが…。
 

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 今はコロナ禍ということもあって平日の昼間でも公園を結構いろいろな人が散策している。もちろん話はしないけれど何度も見かけて会釈するようなこともあったりする。ぼくも大体散歩コースは決まっているが必ずそのなかで丘の上から街を見下ろすことにしていて、そういう人も多いらしく丘の上に来ると同じ時間帯には見かけた顔が多い。

 必ず体操をしている老人、母親らしい女性を車いすに乗せて来る中年の男性、夫婦でいつもベンチに座って街並みを見下ろしている人も。夕方になると学校帰りの学生達や買い物帰りらしい主婦等など。そういう意味ではこの丘は人生の交差点みたいなものかもしれない。

 散歩は考え事をするのに良いというが何かまとまった考え事をするのでなくとも、散歩中に目にしたものから色々なことが頭をよぎったり、新たな感情が湧いてきたりして良い刺激にはなる。日々変化してゆく寒椿の艶やかな姿を見ると季節が動いてることも実感できる。まだまだ旅などの遠出ができない今、公園散歩はぼくの心の支えになっている。
 
 ■ 寒椿 咲きたることの 終りけり (富安風生)
   ■ 寒椿 散り了へていま 完成す (加藤楸邨)
  
 
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 *本年はこのブログをご覧いただき本当にありがとうございました。来る年が皆さまにとっても良い年になるよう心より祈念いたします。来年もよろしくお願いいたします。

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天と地を繋ぐもの [gillman*s park]

天と地を繋ぐもの
 
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 西洋絵画では宗教画の添え物的な存在だった風景をひとつの独立した絵画分野に仕上げたのは17世紀のオランダ絵画だった。

  宗教改革によって絵画の主要な発注者である教会を失ったフランドルの絵画界に新たに顧客として登場したのが聖職者や貴族にかわって台頭してきた裕福な市民たちで、彼らの家の部屋には富のあかしとして肖像画や風俗画や風景画が求められた。

 オランダで風景画が誕生したのはそういう時代背景に加えて、その地方に広がる広い空、つまり山のないフランドルの風景は地平線が限りなく低い位置にある。ヤコブ・ファン・ロイスダールの絵の構図のように自然と目線は空へと向かう。刻々と変わる空の光と雲の様相、それ自体が絵の主人公になった。今までになかった風景画の誕生だ。

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 ロイスダールの風景画のように、この公園の地平線も低い。散歩しながら見上げなくとも空がいつも視界に入る。さらに丘の上に登れば地平線は目の下に広がる。もちろん公園の魅力は空だけではない。地上では椿の花が落花し、空には筋雲がたちあがる。

 地上では春には新しい草が芽吹き、夏の朝には草の葉の朝露が足元を濡らす。カラフルな枯れ葉を踏みしめる秋から、そして冬の今は鳥たちが落ちたハゼの木の実をついばんでいる。

 その鳥たちが何かの拍子に驚いて一斉に空に舞い上がる光景は都市の中にいることを一瞬忘れさせてくれる心躍る瞬間だ。冬は天と地を行き来する鳥たちの姿が最も目立つ時期でもある。散歩くらいしかできない今だからこそ見えてくるものもあるのかもしれない。


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その41~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その41~
 
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 ■どれだけ多くの時間をかけても、猫との良き思い出は消えない。 
   どれだけ多くのテープを使おうと、ソファに残されたネコの毛は取り除けない。
  (レオ・ドウォーケン)

 No amount of time can erase the memory of a good cat, and no amount of masking tape can ever totally remove his fur from your couch. (Leo Dworken)


 冬の晴れた日のカーテン越しの光が好きなのだけれど、その光が居間の丸テーブルの上に美しい縞状の影を作り出して思わずスマホで写真を撮ったまではよかったのだけれど、後で見たらテーブルの上には細かい猫の毛があちこちに…。

 

 お気に入りの柿の香合と色の取り合わせも気にいっているし、後ろの柿色のソファともマッチしていたんだけどなぁ。家中どんなに気を付けてもよく見ると細かい毛が落ちている。もっとも最近は老眼が進んで眼鏡をかけてよく見ないと見えないのだけど。

 

 猫が三匹いると、毛の色も毛の質も違っていて虫眼鏡でみると誰の毛だかは分かるが丸テーブルの上の毛はハルの毛らしい。家のそこら中にブラシやコロコロや通販で買った猫の毛取りが置いてあるけどまぁ気休めみたいなものだ。

 

 猫が居ると毛だけではなくて、爪研ぎのダンボールのクズや猫砂の粒が床の上に落ちていたりするから一日に三回くらい掃除機をかける。トイレがちょっとでも汚れていると文句を言いにくる猫もいるからこれも一日に三回くらい掃除。これが仕事だったら絶対に愚痴るところだろうけど、時々嬉しげにやっている自分に気がついて一人で苦笑いしている。

 

 洗面所に行くたびに今まで飼っていた猫たちの爪の跡が柱に残っていてそれを見る度にその猫たちとの時間が頭をよぎる。今まで何匹もの猫を見送ってきたけど、今いる一番若い猫のハルは4歳だから下手すると今度はこっちが先にいくかもしれない。猫は死んでも毛が残るけど、こちらはそろそろ残す毛もなくなりつつある。まぁ、仲良くやろうぜ。



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失ったものと得たものと [gillman*s park]

失ったものと得たものと
 
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 よく晴れた日曜の朝、いつものように公園を散歩する。少しづつ明るい褐色に色づき始めた落羽松の下を日曜とあって子供連れの家族や犬を連れた人たちが多く散歩している。

 池の畔を大きな声を出しながら一人の子供が駆けてゆく。その先には犬を連れた一組の男女がそちらを振り向いて立ち止まっている。犬もそちらを向いている。どうやら両親と離れて遊び回っていた子供が急いで戻ってきたらしい。

 その光景は何だか幸せというものの見本を見せられているような瞬間だった。もちろんその家族の本当のところは分かりはしないのだけれど、今この刹那幸せそうに見えることは間違いなかった。
 
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 コロナ禍になって公園の日曜日の昼間には家族連れが目立つようになった。カラフルな簡易テントを持参して日永一日そこで過ごす人たちもいるみたいだ。子供を遊ばせて昼寝しているお父さんもいる。

 〇〇ランド等とは違ってお弁当でも持参すればお金もかからないし、ジェットコースターは無くても子供はどこにでも遊びのネタをみつける天才だから、そこら辺中を走り回っている。

 コロナ禍の中で得たものの一番はこの時間かもしれない。今までずっと外に向けられ細切れにされて管理されていた時間というものが、突然閉ざされて内向きのまとまった塊として家族や恋人たちや独り身のもとにも出現した。その塊の中で、今までの来し方を考え直す者、家族の絆に改めて気づく者そしてそれをただ持て余す者。それは千差万別だけれども誰にとっても大きな変化であることには違いない。

 一方、それに比べても失ったものも多い。今この瞬間にも停滞した経済のはざまに苦悩し生存を脅かされている多くの人たちがいるし、それに対して今のところ明快な解が存在しないことがその苦悩を更に堪えがたいものにしている。衣食足りて礼節を知るという言葉があるけど、そういう人たちにとっては時間はただ苦悩を深める要素でしかないのかもしれない。
 
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