前の20件 | -
猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その47~ 注文の多い置物 [猫と暮らせば]
注文の多い置物
■ 平穏の理想形は座る猫の姿の中に存在している。(ジュール・ルナール)
The ideal of calm exists in a sitting cat. (Jules Reynard)
アメショーのハルがウチに里子に来て六年が経つ。引き取られたときに二歳だったから今年で八歳になるのだけれど、最近は5キロ越えの大猫の部類に…。肥満がちょっと心配だが毎日二度の目薬をさす以外はいたって元気だ。モモやレオが居て賑やかだったご飯タイムも今は一人で寂し気だ。
ハルは今は絡む相手もいないから寝ていることが多い。昼寝をするのにお気に入りの場所は何カ所かあってそこにいることが多いのだけれどいつも眠っているとは限らない。特にお気に入りの出窓に座っている時にはジッと遠くを見つめていることが多い。
猫が前脚を胸毛の内側へ折り曲げて座るスタイルを「香箱座り」というらしいのだが、その姿は安定していてルナールの言うようにいかにも平穏で静謐な印象を与える。ウチのハルもよくその香箱座りをしている。そんな姿を見るとぼくも癒されて猫時間に包まれてしまう。
猫時間に包まれてぼくもまったりしている時、ハルがいきなりすっくと立ちあがってぼくの方にやってきてぼくの脚に身体をこすりつける。時には体当たりしてくるような勢いで。そういう時は必ず何かのお願いなのだ。おやつかお水か、トイレの掃除か、まぁ大抵はブラッシングの要求だ。
レオが何か注文があるときには真っすぐぼくの方にやって来て顔を見つめてニャーと鳴いたのだけれど、ハルは一切鳴かないのでこの体当たり作戦なのだ。アート作品の置物のような静的な姿からいきなり、活発なおねだり猫になるギャップがまた何とも可愛い。
ハルは今は絡む相手もいないから寝ていることが多い。昼寝をするのにお気に入りの場所は何カ所かあってそこにいることが多いのだけれどいつも眠っているとは限らない。特にお気に入りの出窓に座っている時にはジッと遠くを見つめていることが多い。
猫が前脚を胸毛の内側へ折り曲げて座るスタイルを「香箱座り」というらしいのだが、その姿は安定していてルナールの言うようにいかにも平穏で静謐な印象を与える。ウチのハルもよくその香箱座りをしている。そんな姿を見るとぼくも癒されて猫時間に包まれてしまう。
猫時間に包まれてぼくもまったりしている時、ハルがいきなりすっくと立ちあがってぼくの方にやってきてぼくの脚に身体をこすりつける。時には体当たりしてくるような勢いで。そういう時は必ず何かのお願いなのだ。おやつかお水か、トイレの掃除か、まぁ大抵はブラッシングの要求だ。
レオが何か注文があるときには真っすぐぼくの方にやって来て顔を見つめてニャーと鳴いたのだけれど、ハルは一切鳴かないのでこの体当たり作戦なのだ。アート作品の置物のような静的な姿からいきなり、活発なおねだり猫になるギャップがまた何とも可愛い。
*ルナールの名著「博物誌」には、紹介されている各動物のところにシンプルな筆書きの挿絵が載っています。上の猫のイラストも猫の項目の処に載っていたものです。とてもシンプルですが猫の特長が鋭く捉えられていてぼくの大好きな挿絵の一つです。実はこの挿絵を描いたのはあのボナールなんですね。それにしても、旨いなぁ。
ツーリズムを考える [新隠居主義]
ツーリズムを考える
先月のそろそろ梅雨が始まろうという頃、友人がぼくとカミさんを一泊二日の温泉旅行に誘ってくれたので久しぶりに彼の車で山中湖方面にでかけた。初日にはまっすぐホテルに入るには時間が早いので山中湖近くにある「花の都公園」に寄った。花の端境期なのか広々とした花壇には全く花が見えない、二枚目の写真は辛うじてそこだけネモフィラが咲いていた一角を撮ったものだけれどそれ以外は全く花の気配はない。
よくある「ばえ写真」ってこういうものなんだろうなぁ。それを見る人は勝手にその光景を写真の外側にも広げて想像してしまうのだけれど、もちろんそれは現実とは違ったりして…。ところが最近はややこしいことに例えばその写真で半分くらいのスペースにしか花が咲いていなくても生成AIが画面いっぱいの満開状態に変えてくれる。便利だが使いすぎると現実離れした欺瞞的な世界に浸ることになる。
公園は広いので園内の他所には咲いている所もあるかと思って入園したが全く咲いていなかった。花は咲いていなかったが最盛期と同じ料金をとられてどうにも腑に落ちなかった。(時期によって無料から600円まで3段階に分かれているが、せめて入り口で今はどこも咲いていないという案内が欲しかった)
二日目も帰る前に時間があるので忍野八海に寄っていった。30年くらい前はキャンプの道すがら何度か寄ったこともありひなびた良いところだったけれど、今はその原型をとどめない、というかものすごい変わりようだった。いくつかある湧き水の出る池を囲んで土産物屋や食べ物屋が立ち並び一見アメ横にいるような錯覚に陥る。
目玉となる一番大きな池をよく見るためには土産物屋の中を通らなければ行けないようにしてある。もちろん以前はそんなことはなかった。あちこちで観光客の大きな声が響き渡り、ほとんど日本語を聴くことはできない状態。それでもようやく一枚目のような写真を撮って早々に退散。ぼくやカミさんはちょっと辟易したけれど、初めて来たという友人に同行した彼の倅は「活気があって面白いところですね」という、ぼくには意外な印象。そういう見方もあるのか。
今、日本中に蔓延しつつある観光地で客に群がり金をむしり取るような(とぼくには見える)商店の光景や逆にSNSでバズった「ばえシーン」に群がる観光客を見ていると、大昔ネス湖の近くの街インバーネスを訪れたときのことを懐かしく思い出す。
当時からネス湖の怪獣ネッシーは世界的に有名だったので、日本人的に考えるとインバーネスにはネッシークッキーだの、ネッシーまんじゅう(笑)だの、ネッシーキャンデーだの、ネッシーのぬいぐるみだの、色々な土産物を売っているんだろうなぁ、と想像していた。ところがそこで見かけたのは何種類かの絵葉書と小さなキーホルダーだけ。ちょっと拍子抜けしたのを覚えている。街は静かで本当に良いところだった。あの時代が懐かしいなぁ。
よくある「ばえ写真」ってこういうものなんだろうなぁ。それを見る人は勝手にその光景を写真の外側にも広げて想像してしまうのだけれど、もちろんそれは現実とは違ったりして…。ところが最近はややこしいことに例えばその写真で半分くらいのスペースにしか花が咲いていなくても生成AIが画面いっぱいの満開状態に変えてくれる。便利だが使いすぎると現実離れした欺瞞的な世界に浸ることになる。
公園は広いので園内の他所には咲いている所もあるかと思って入園したが全く咲いていなかった。花は咲いていなかったが最盛期と同じ料金をとられてどうにも腑に落ちなかった。(時期によって無料から600円まで3段階に分かれているが、せめて入り口で今はどこも咲いていないという案内が欲しかった)
二日目も帰る前に時間があるので忍野八海に寄っていった。30年くらい前はキャンプの道すがら何度か寄ったこともありひなびた良いところだったけれど、今はその原型をとどめない、というかものすごい変わりようだった。いくつかある湧き水の出る池を囲んで土産物屋や食べ物屋が立ち並び一見アメ横にいるような錯覚に陥る。
目玉となる一番大きな池をよく見るためには土産物屋の中を通らなければ行けないようにしてある。もちろん以前はそんなことはなかった。あちこちで観光客の大きな声が響き渡り、ほとんど日本語を聴くことはできない状態。それでもようやく一枚目のような写真を撮って早々に退散。ぼくやカミさんはちょっと辟易したけれど、初めて来たという友人に同行した彼の倅は「活気があって面白いところですね」という、ぼくには意外な印象。そういう見方もあるのか。
今、日本中に蔓延しつつある観光地で客に群がり金をむしり取るような(とぼくには見える)商店の光景や逆にSNSでバズった「ばえシーン」に群がる観光客を見ていると、大昔ネス湖の近くの街インバーネスを訪れたときのことを懐かしく思い出す。
当時からネス湖の怪獣ネッシーは世界的に有名だったので、日本人的に考えるとインバーネスにはネッシークッキーだの、ネッシーまんじゅう(笑)だの、ネッシーキャンデーだの、ネッシーのぬいぐるみだの、色々な土産物を売っているんだろうなぁ、と想像していた。ところがそこで見かけたのは何種類かの絵葉書と小さなキーホルダーだけ。ちょっと拍子抜けしたのを覚えている。街は静かで本当に良いところだった。あの時代が懐かしいなぁ。
*とは言え、泊まったホテルのお風呂と食事は素晴らしかったので大満足でした。ぼくには観光地を見て回るよりコロナ以前には沖縄でやっていた散歩→昼寝→読書→夜の飲んだくれ、という気ままサイクル旅が向いているような気がします。近場でそういうのんびりできる場所が見つかると良いのですが…。もちろんお手軽な値段でというのが条件ですが。
ぼくのこういうスタイルがいつ頃から身についたか考えてみたら、まだ若いころ毎年夏場に両親が四万温泉に湯治に行っていたのですが、ぼくも会社で夏休みがとれたら必ずそこに行っていたのでその頃のスタイルがそうだったような気がします。湯治生活は一日三回風呂に入ってその間は昼寝と読書か散歩、夜は温泉街の総菜屋で買ってきた総菜を肴に飲んだくれていました。
German Jokes [German Jokes]
German Jokes
娘「パパ~。アイスが食べたい」
父「だよね~。パパもそうしたいなぁ。だけどママはビール三杯分のお金しか僕達にもたせてくれなかったんだよ」
今日は夏みたいに熱い。で、ネットからとっておいたドイツのこんなジョークを思い出した。日本人がドイツ人に抱いているイメージからいうと真面目とか堅物だと思うのだけれど、確かにそういう一面はあるけどドイツ人はジョーク好きでもある。
ぼくは落語が好きなので笑いという事には興味がある。笑いにも色々な種類があって落語はどちらかというと本来「諧謔(かいぎゃく)」つまり気の利いた洒落や冗談。どちらかというとエスプリとかユーモアというものに近いと思う。フランスコントなんかもそういう匂いを持っている。
ぼくはそこらへんは詳しくないのだけれど、どの国にも笑いの世界はあるが、笑いのツボみたいなのはその国によって微妙に違うようだ。フランスでは気の利いたセクシャルなジョークが多いみたいだけれど、日本にも落語の一分野として艶笑譚(えんしょうたん)とか艶噺(つやばなし)とかいうのがあって、古今亭志ん生なんかの艶噺は実に洒脱で色っぽい。
テレビでは流せないような噺だから触れる機会は少ないけど、寄席での貴重な音源があってそれを聴くと実に洒脱でくすっと笑ってしまう。いやらしさはない。フランスのもそういうテイストのものが多いけど、ドイツ人は下ネタも嫌いじゃないけどドイツのは意外とストレートな感じがする。
一方、ドイツなど中央ヨーロッパから東ヨーロッパにおいてはジョークの対象は政治であることが多い。ドイツなどのキャバレーは日本のキャバレーとは違って主に政治を茶化して笑いをとるようなコントをやる場所をキャバレーと称していた。
コメディアンもそういう劇を作り演じる人をいうのであって、これもぼくら日本人がいうコメディアンとは少し違っている。そんなこともあってウクライナでゼレンスキーが大統領になったとき日本ではコメディアンが大統領になったと大騒ぎだったが、向こうの人たちからしてみればそう意外ではないのかもしれない。
話はそれてしまったけれど、ドイツ語の勉強にもなると思ってよくドイツのジョークを目にするのだけれど、ぼくの非力な語学力ではどうしてもそのジョークの笑いのツボが分からないことがある。ずっと分からないこともあれば、しばらくたってからあ~そうか、ということもあるけど。
面白いなと思ったものは訳してみるけど、日本語でも笑えるようにするのはちょっとした意訳や崩しも必要になって中々手ごわいこともある。こういうのはAI翻訳機もまだ苦手なようだ。AIに笑いまでもっていかれてはたまらないけど…。
[おまけのドイツ・ジョーク]
ある男が死の床で…
「聞いてくれ、アーデルハイト、ぼくたちは五人の息子を育てたが、四人は黒髪なのに一人だけ赤毛だ。あの赤毛の息子は誰の子なんだ、最後に打ち明けてくれないか」
「ええ、いいわ、ハインリヒ。彼はあなたの子よ」
父の金メダル [新隠居主義]
もうすぐ父の日だけど、想い起してみても父の日を祝った記憶はあまりない。小さな時から母の日には何かプレゼントしたりしていたけれど父の日となると、昔はもしかしたらその日が父の日であるという事もしらないでいたかもしれない。父の晩年、父が完全に仕事を辞めてからは毎年カミさんが洋服などをプレゼントしていたので、ああ今日は父の日なのかと思い出していたくらいだ。
父の事は小さな頃は「とうちゃん」と呼んでいたけれど、成人してからは母やカミさんには「親父(オヤジ)」と呼んでいたかもしれないが、面と向かってそう呼んだ覚えはない。親父は寡黙な人だったし、大体男の子と父親なんてそういつも話をしているわけではない…、とも思っていたし。
親父は菓子製造の小さな町工場をやっていたが、本人は根っからの菓子職人で、営業はあまり得意ではなかったし、会社の切り盛りはもっぱら母がやっていたような気がする。問屋筋からは商品の評判はよく商品を菓子博覧会のような品評会に出さないかという誘いもあったようだ。良く解釈すれば商品に箔をつけてやろうという問屋の配慮だったかもしれないが、もちろんその背後にはそれで売上があがるという読みもあったのだろう。
時折行われる業界の寄り合いでも、仲間の菓子屋が品評会で〇〇賞を取ったなどと言う話をきいても「あんなもなぁ、金さえ出せば貰えるんだから…」と取り合わなかった。実際大手の某社が金を使って金賞を貰ったなどと言うまことしやかな噂も取りざたされたこともあるようだ。親父は世渡りが不器用なところもあって、そういうことは特に嫌っていた。
その親父がどういう風の吹き回しで品評会に出品することになったのかはいまだに分からないし、もしかしたら問屋筋からやんわりと圧力があって断り切れなくなっていたのかもしれない。親父はその年、昭和43年(1968年)に札幌で開催された第17回全国菓子博覧会に商品を出品して、その商品が金賞を受けた。その前後の定かな記憶はぼくにはないけれど、暫くすると家の床の間の片隅に大きな金メダルのはめ込まれた金賞の表彰盾が置かれていた。
親父はそのことについてその後にも何も話さなかったけれど、金メダルはそれからずっと床の間の隅に置かれていたがそのうち見当たらなくなっていた。親父の死後その遺品の中からそれは出てきた。きっと実直な親父にとってそれは真っ向勝負でとった金メダルだったのだと思う。
今その金メダルはぼくの手元にある。それを手に持つと大きくずっしりと重く、それが職人としての親父が菓子作りにかけていた想いみたいな気がして…。が、親父の心子知らず、親不孝息子であるぼくは今その金メダルを便利にペーパーウエイトに使っている。親父、ごめんな。
父の事は小さな頃は「とうちゃん」と呼んでいたけれど、成人してからは母やカミさんには「親父(オヤジ)」と呼んでいたかもしれないが、面と向かってそう呼んだ覚えはない。親父は寡黙な人だったし、大体男の子と父親なんてそういつも話をしているわけではない…、とも思っていたし。
親父は菓子製造の小さな町工場をやっていたが、本人は根っからの菓子職人で、営業はあまり得意ではなかったし、会社の切り盛りはもっぱら母がやっていたような気がする。問屋筋からは商品の評判はよく商品を菓子博覧会のような品評会に出さないかという誘いもあったようだ。良く解釈すれば商品に箔をつけてやろうという問屋の配慮だったかもしれないが、もちろんその背後にはそれで売上があがるという読みもあったのだろう。
時折行われる業界の寄り合いでも、仲間の菓子屋が品評会で〇〇賞を取ったなどと言う話をきいても「あんなもなぁ、金さえ出せば貰えるんだから…」と取り合わなかった。実際大手の某社が金を使って金賞を貰ったなどと言うまことしやかな噂も取りざたされたこともあるようだ。親父は世渡りが不器用なところもあって、そういうことは特に嫌っていた。
その親父がどういう風の吹き回しで品評会に出品することになったのかはいまだに分からないし、もしかしたら問屋筋からやんわりと圧力があって断り切れなくなっていたのかもしれない。親父はその年、昭和43年(1968年)に札幌で開催された第17回全国菓子博覧会に商品を出品して、その商品が金賞を受けた。その前後の定かな記憶はぼくにはないけれど、暫くすると家の床の間の片隅に大きな金メダルのはめ込まれた金賞の表彰盾が置かれていた。
親父はそのことについてその後にも何も話さなかったけれど、金メダルはそれからずっと床の間の隅に置かれていたがそのうち見当たらなくなっていた。親父の死後その遺品の中からそれは出てきた。きっと実直な親父にとってそれは真っ向勝負でとった金メダルだったのだと思う。
今その金メダルはぼくの手元にある。それを手に持つと大きくずっしりと重く、それが職人としての親父が菓子作りにかけていた想いみたいな気がして…。が、親父の心子知らず、親不孝息子であるぼくは今その金メダルを便利にペーパーウエイトに使っている。親父、ごめんな。
and also...
電話恐怖症 2 [新隠居主義]
電話恐怖症 2
以前にも電話恐怖症のことについて書いたけれど、電話の主役が家電(いえでん)からスマホに変わった今もその状況はあまり変わっていない。家電は今もあるけど警察の勧めもあってオレオレ詐欺防止のために留守録がセットしてあるから実際は使っていないのに等しい。
コロナで三年近く友人や親類などと会う機会が減って、今までなら電話で近況確認しあうなどの機会が増えそうなものだけれど、今はメールやLineのチャットなどもあつてぼくにはそちらの方が向いているのかそういう機会はかえって増えたけれど、電話の機会は減り続けていた。ということで電話に対するアレルギーも忘れかけていたところに揺り戻しみたいなものが来た。
今はリハビリのために週何度かジムでトレーニングをしているのだけれど、一月のある日その日の午前中もジムのトレーニングエリアでストレッチをしていた。その時床に置ていていたスマホが振動したので画面を見るといとこの息子からLine通話が入っている。彼とはチャットは良くするけれど通話が入ることは珍しいし、思い当たる節もあったので急いでロッカールームに行ってかけなおした。
思い当たる節というのは、昨年来いとこは末期がんの宣告を受けて抗がん剤を使用しながら自宅療養を続けていたのだ。それでも正月には食欲もあるし元気な様子も垣間見られたので少し安心はしていたのだけれど…。電話はすぐ通じて彼と話が出来たのだけれど、その内容はショッキングなものだった。
彼はいとこと小さな小料理屋をやっていてその日も前夜の営業のあと店をかたずけ少し仮眠をとってから家に戻ったら浴室でいとこが亡くなっていた。すぐ消防署と警察に連絡をしてその直後にぼくに電話してきのだった。ショックでなす術もなく一人で不安な様子がみてとれたので、着替えてすぐ行くと伝えて電話を切った。もちろん電話のせいではないのだけれど電話に対する昔のいやな感覚がよみがえってしまった。ぼくもまだちゃんとは立ち直れないでいる。
昔、会社に勤めている頃一時、「お客様相談室」という顧客からのいわばクレームを受ける部署を担当したことがあるのだが、その頃の嫌な感覚もよみがえってきた。その頃は今のようなカスハラなどと言う言葉も概念もなく、電話の向こうで担当者を罵倒するようなクレーマーの声に怯え鬱症状に陥る担当者も少なくなかった。これももちろん電話という装置に責任があるわけではないけれど…。突然電話が鳴りだすと、その背後に色々な思いが立ち上がってくる。
とはいえ自分も段々と歳をとって中々好きな友人や知人、親類などと頻繁に会うことができなくなる時が来るのは間違いないので、かつキーボードなどで文字を打つのが億くうになることもあるかもしれない…、そういう時はやはり電話などで肉声を聞きつつ無駄話などできることは心強いし、その有難さも判っているので…なんとか今から考えておかねば、とは思っている。
コロナで三年近く友人や親類などと会う機会が減って、今までなら電話で近況確認しあうなどの機会が増えそうなものだけれど、今はメールやLineのチャットなどもあつてぼくにはそちらの方が向いているのかそういう機会はかえって増えたけれど、電話の機会は減り続けていた。ということで電話に対するアレルギーも忘れかけていたところに揺り戻しみたいなものが来た。
今はリハビリのために週何度かジムでトレーニングをしているのだけれど、一月のある日その日の午前中もジムのトレーニングエリアでストレッチをしていた。その時床に置ていていたスマホが振動したので画面を見るといとこの息子からLine通話が入っている。彼とはチャットは良くするけれど通話が入ることは珍しいし、思い当たる節もあったので急いでロッカールームに行ってかけなおした。
思い当たる節というのは、昨年来いとこは末期がんの宣告を受けて抗がん剤を使用しながら自宅療養を続けていたのだ。それでも正月には食欲もあるし元気な様子も垣間見られたので少し安心はしていたのだけれど…。電話はすぐ通じて彼と話が出来たのだけれど、その内容はショッキングなものだった。
彼はいとこと小さな小料理屋をやっていてその日も前夜の営業のあと店をかたずけ少し仮眠をとってから家に戻ったら浴室でいとこが亡くなっていた。すぐ消防署と警察に連絡をしてその直後にぼくに電話してきのだった。ショックでなす術もなく一人で不安な様子がみてとれたので、着替えてすぐ行くと伝えて電話を切った。もちろん電話のせいではないのだけれど電話に対する昔のいやな感覚がよみがえってしまった。ぼくもまだちゃんとは立ち直れないでいる。
昔、会社に勤めている頃一時、「お客様相談室」という顧客からのいわばクレームを受ける部署を担当したことがあるのだが、その頃の嫌な感覚もよみがえってきた。その頃は今のようなカスハラなどと言う言葉も概念もなく、電話の向こうで担当者を罵倒するようなクレーマーの声に怯え鬱症状に陥る担当者も少なくなかった。これももちろん電話という装置に責任があるわけではないけれど…。突然電話が鳴りだすと、その背後に色々な思いが立ち上がってくる。
とはいえ自分も段々と歳をとって中々好きな友人や知人、親類などと頻繁に会うことができなくなる時が来るのは間違いないので、かつキーボードなどで文字を打つのが億くうになることもあるかもしれない…、そういう時はやはり電話などで肉声を聞きつつ無駄話などできることは心強いし、その有難さも判っているので…なんとか今から考えておかねば、とは思っている。
*電話アレルギーのもう一つにはこちらが何かの作業に集中している時や大事な音楽を聴いている時などにこちらの都合に関係なく「さあ、出ろ!」とたたみかけるようにいきなり鳴り出すのも苦手な点かもしれません。
メールなどであればお互いが無理のないタイミングでできそうな気もするのですが、もちろん肉声のようなウェットなコミュニケーションはできないので、ケースバイ・ケースで使い分けられるのがいいのでしょうが…。
メールなどであればお互いが無理のないタイミングでできそうな気もするのですが、もちろん肉声のようなウェットなコミュニケーションはできないので、ケースバイ・ケースで使い分けられるのがいいのでしょうが…。
and also...
Back To The Future [新隠居主義]
この間の母の日に以前カラー化した母の写真をiPad に入れたアルバムで見ていたら、昔観た映画”Back To The Future “を思い出してしまった。
マイケル・J・フォックス扮する若者マーティーがタイムマシンに乗って時を遡り結婚前の母親に出会う、という事から物語は始まる。その時代に行くとさえない青年だった父は母の関心を引くどころか、母は目の前に現れたマーティーに恋心を抱いてしまう。
このままいくと、母が父と結婚しなければ自分は生まれず未来が変わってしまうと一緒にタイムスリップをしてきたドクに忠告され、マーティーは何とか父と母が結ばれるように腐心する、というのが映画のあらすじ。未来を変えることをしてはいけないというタイムマシンものにありがちなお約束だけれど、この映画のストーリーは実によくできている。
ぼく位の歳になると人生を遡って俯瞰してみると、いくつかのところで人生の大きな岐路に立っていたという時点が今は見えてくる。もちろん人生自体が言ってみれば選択の連続なのだけれど、その中でもその後の人生を大きく左右する選択や岐路のようなものが見え隠れしてくる。その選択肢や出会いがちょっとズレても今の状況は大きく変わっている、ということも。
中には自分で意識して選択したものもあるけれど、その多くは人との出会いとか巡り合わせで自分だけではどうにもならないことも多い。例えば父母の出会いといったものはその最たるものかもしれないけれど、子供にはなす術もないしぼくもそうだけれどその出会いの仔細さえ知ってはいない。
母の日に、少女時代の母の写真を見ながら、この少女の選択がちょっとでも違ったものになっていたら今はどうなっていたのだろうか…などと思ったりした。人それぞれにそれぞれの"Back ToThe Future"があるような…気がする。
*母は大正九年(1920年)の生まれだったのでこの写真は16歳の頃で昭和十一年(1936年)頃のものと思われます。1936年といえばイギリスでは1月にジョージ5世が死去、エドワード8世が即位しましたが、同年12月10日には王位よりシンプソン夫人を選び退位しました。
また日本では2月に二二六事件が勃発、7月にはスペイン内乱が勃発するなどそれからの長くて暗い時代への足音が迫っていた時でした。そういう時代背景の中での一人の少女のポートレートとして見ると自分の母ならずとも感慨深いものがあります。
レオの納骨 [猫と暮らせば]
レオの納骨
朝から夏のような天気。今日は前からお寺さんに頼んでおいたレオの納骨の日なので昼前にずっとウチの居間の出窓に置いておいたレオの骨壺をもってカミさんと谷中のお寺にいった。
お寺で住職さんに挨拶をして墓所に行くと、係りの人がすでに墓石の蓋を開けて納骨する準備がしてあった。いくら猫だからといって、こちらが勝手にお墓の蓋を開けて骨壺を入れるわけにはいかない。やっぱりそこらへんはお寺のしきたりがあるのでそれはもちろん尊重しければならない。
蓋を開けるとそこには先に葬ったモモの小さな骨壺があってその隣に並べてレオを置いた。狭い石室の中に小さな骨壺が肩を寄せるように並んでいる。もっと早く持ってこようと思ったけどなかなか踏ん切りがつかないでとうとう連休明けになってしまった。これで少しほっとしたけど、寂しさも増した。
お寺をでると、今日は土曜日という事もあって御殿坂を昇ったお寺の前の通りには外国の観光客が多い。谷中はどういうわけか欧米系の観光客が多く、今日は団体の観光客も何グループか見かけた。いつものように佃煮屋さんで富貴豆と昆布の佃煮を買ってそば屋に。
これもあいも変わらず卵焼きと盛りそば。それに今日は桜エビのかき揚げがあったのでそれも頼む。店の中にも欧米系の観光客が二組。一組には通訳ガイドがついていてそばの食べ方を盛んに説明していた。天気はいいが、やっぱりなんか寂しいなぁ。
お寺で住職さんに挨拶をして墓所に行くと、係りの人がすでに墓石の蓋を開けて納骨する準備がしてあった。いくら猫だからといって、こちらが勝手にお墓の蓋を開けて骨壺を入れるわけにはいかない。やっぱりそこらへんはお寺のしきたりがあるのでそれはもちろん尊重しければならない。
蓋を開けるとそこには先に葬ったモモの小さな骨壺があってその隣に並べてレオを置いた。狭い石室の中に小さな骨壺が肩を寄せるように並んでいる。もっと早く持ってこようと思ったけどなかなか踏ん切りがつかないでとうとう連休明けになってしまった。これで少しほっとしたけど、寂しさも増した。
お寺をでると、今日は土曜日という事もあって御殿坂を昇ったお寺の前の通りには外国の観光客が多い。谷中はどういうわけか欧米系の観光客が多く、今日は団体の観光客も何グループか見かけた。いつものように佃煮屋さんで富貴豆と昆布の佃煮を買ってそば屋に。
これもあいも変わらず卵焼きと盛りそば。それに今日は桜エビのかき揚げがあったのでそれも頼む。店の中にも欧米系の観光客が二組。一組には通訳ガイドがついていてそばの食べ方を盛んに説明していた。天気はいいが、やっぱりなんか寂しいなぁ。
いつものおそば屋さんで食べた桜エビのかき揚げは、サクッとして優しい味でまさに春の味がしました。
猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その47~ 猫という時間 [猫と暮らせば]
猫という時間
■ 猫は時と共に価値を高めるヴィンテージ・ワインのようだ。(キャロル・ウイルボーン)
A cat is much like a vintage wine that is enhanced with age. (Carole Wilbourn)
猫と暮らし始めてもう長いこと経つけれど、その間に楽しいこと辛いこと数えきれないほどの出来事があったけれど、その傍にいつも猫がいたことを想い出すとそれらはまさにヴィンテージ・ワインのように味わい深い時の流れだったように思えてくる。
ぼくは猫の写真を撮るのが好きで、実際によく撮っているのだけれどただ可愛いというだけの気持ちで撮ったことはあまりなかったように思う。世の中には最近キュートな子猫の写真など可愛い猫の写真があふれているけれど、毎日猫と一緒に暮らしているぼくにとっては猫は日常生活のシーンの必ずどこかに居る自然な存在で可愛いだけの存在ではない。
猫の魔力はぼくらのありふれた、何の変哲もない日常の時間が猫がそこに居るだけで、何かかけがえないのない時の流れのように思えてくることだ。いわば猫という時間に包まれて魔法にかかったように時間が熟成してゆく。ぼくはそれを撮りたい。
それはまったりとした憩いの時間もそうだけれど、彼らがソファに爪を立ててそれを叱っている時も、クリニックに連れてゆくために大汗かいて追いかけている時も…、それは猫の時間。それも時と共に心の中で静かに熟成して味わい深い猫という時間に醸し出されてゆく。これからも猫という時間を少しづつカメラに収めていきたい。
桜ちる 雑感 [gillman*s park]
桜ちる 雑感
■ いつとなくさくらが咲いて逢うてわかれる(種田山頭火)
桜が咲いている時期はもともと短いのだけれど、今年の桜はいつもよりことさら短かった。近所の公園についていえば咲き始めようとするときに冷たい雨の日が続いて開花が遅れ、満開に咲いたと思ったらそのたった一日だけ晴れてまた雨が降った。奇跡のような一日の花見。それはそれで感慨深いものがある。
日本人は満開の桜と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に散りゆく桜が好きなのかもしれない。桜吹雪とか桜が散る「はらはら」とという表現がぼくら日本人の美意識をくすぐるのだけれど、その根底にあるのは「もののあはれ」や潔さや滅びの美学みたいなものらしいが、そういう心情が戦前の軍部や政府にいいように利用されてしまったことも事実だ。
軍歌「同期の桜」の中の一説「…みごと散りましょ、国のため」なんかは最初から亡びることを想定している。潔さとはそういうもんだと押しつけがましい。本来の兵の要諦からすれば泥を啜っても生き残って戦うというものだろうが、安易に降伏するのではないかという無能な為政者の猜疑心からか兵に自滅を匂わせている。端から自分の兵を信頼していないということだと思う。
しかし今の日本人に求められているのは「もののあはれ」という心情を知りつつしかも「強かに生きる」という強さでもあると思う。考えてみると「もののあはれ」を尊んだのは古来武士階級などの上層階級が主で、一般庶民はもっとおおらかで強かだったはずだ。
軍歌「同期の桜」の中の一説「…みごと散りましょ、国のため」なんかは最初から亡びることを想定している。潔さとはそういうもんだと押しつけがましい。本来の兵の要諦からすれば泥を啜っても生き残って戦うというものだろうが、安易に降伏するのではないかという無能な為政者の猜疑心からか兵に自滅を匂わせている。端から自分の兵を信頼していないということだと思う。
しかし今の日本人に求められているのは「もののあはれ」という心情を知りつつしかも「強かに生きる」という強さでもあると思う。考えてみると「もののあはれ」を尊んだのは古来武士階級などの上層階級が主で、一般庶民はもっとおおらかで強かだったはずだ。
花見だって江戸庶民にかかれば落語の「花見の仇討」や「長屋の花見」のように陽気でハチャメチャなパーティーに変ってゆく。それにハラハラと散る桜は滅びているのではない、また春がめぐって時が来れば見事な花をつける強かさを持っている。散る桜の美しさはぼくにそう語っているように見える。
■さくらちる暮れてもかへらない連中に(種田山頭火)
and also...
それぞれの桜 [gillman*s park]
■ 祈願して 雨後満開の 花の杜 (対馬康子)
今年は桜が中々開花しない。寒い雨の日が続いたからか東京でも開花は昨年よりも二週間以上も遅れていた。尤も以前は桜と言えば入学式のシーンだったのだけれど、最近は卒業式のイメージになりつつあったので、それを思えば少しも遅いことはないのだけれど…。
数日前にやっと開花宣言がでて昨日が満開宣言。でも明日からまた天気が崩れるという事で満開のソメイヨシノを見るのは今日がラストチャンスかも。ということでコンビニでビールとサンドイッチを買ってカミさんと公園に散歩に行く。みんな考えることは一緒で公園は大変な人出だ。
今年は桜が中々開花しない。寒い雨の日が続いたからか東京でも開花は昨年よりも二週間以上も遅れていた。尤も以前は桜と言えば入学式のシーンだったのだけれど、最近は卒業式のイメージになりつつあったので、それを思えば少しも遅いことはないのだけれど…。
数日前にやっと開花宣言がでて昨日が満開宣言。でも明日からまた天気が崩れるという事で満開のソメイヨシノを見るのは今日がラストチャンスかも。ということでコンビニでビールとサンドイッチを買ってカミさんと公園に散歩に行く。みんな考えることは一緒で公園は大変な人出だ。
■ さくら咲いて、なるほど日本の春で (種田山頭火)
雨の間に奇跡的に訪れたこの晴れ間という感じで、公園はソメイヨシノのふんわりとした白い霞に包まれていた。地面に敷物を敷いて繕いでいる人々の上を優しく桜の枝が覆っている。こちらではテントを張ってここで一日を過ごそうという家族を背後から桜が見つめている。これぞ日本の春。
雨の間に奇跡的に訪れたこの晴れ間という感じで、公園はソメイヨシノのふんわりとした白い霞に包まれていた。地面に敷物を敷いて繕いでいる人々の上を優しく桜の枝が覆っている。こちらではテントを張ってここで一日を過ごそうという家族を背後から桜が見つめている。これぞ日本の春。
ベンチに座ってカミさんとサンドイッチをつまみながらつくづくと桜を眺めた。この桜を待たずに一月に逝ってしまったいとこにも見せてあげたかった。待っただけに、また咲き誇るのが一瞬の刹那だけに今年の桜はひとしお心にしみる。彼女が末期がんの宣告を受けてから、年は越せないかもしれないと危ぶまれた昨年末。
元気な様子で迎えた新年は微かな希望と共に訪れたのだけれど、急転直下桜を見ずして寒い最中(さなか)に逝ってしまった。彼女だけでなく、日本人は歳をとると桜の時期には誰しもが来年もこの桜が見られるかな、という思いが脳裏を去来する。良寛禅師の禅語が頭に浮かんでくる。
■ 散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛禅師)
元気な様子で迎えた新年は微かな希望と共に訪れたのだけれど、急転直下桜を見ずして寒い最中(さなか)に逝ってしまった。彼女だけでなく、日本人は歳をとると桜の時期には誰しもが来年もこの桜が見られるかな、という思いが脳裏を去来する。良寛禅師の禅語が頭に浮かんでくる。
■ 散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛禅師)
and also...
猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その46~ TV Watcher [猫と暮らせば]
TV Watcher
■ 猫とは、解答のないパズルである。(ヘイゼル・ニコルソン)
A cat is a puzzle for which there is no solution. (Hazel Nicholson)
猫と何年一緒に暮らしていても、猫たちが時々何もない虚空をじっと見ていたり、いきなり猛烈ダッシュしたり分からないことは山ほどある。この解けないパズルも猫の魅力の一つかもしれない。またそれがそれぞれの猫によってずいぶん異なるという事も楽しみのひとつだ。今まで7匹の猫と暮らしてきたけれどそれぞれの猫が個性をもっていた。
遊び方も違うし、興味を示すものもみな違う。ただ、遊びについていうと、ウチの猫たちはお金を出して買ったおもちゃにはあまり興味を示さず、遊んだとしてもすぐ飽きてしまう。丸めた紙屑とか床に落ちた観葉植物の葉っぱなどでは飽きることなく遊んでいる。それは共通していた。お金のかからない猫たちである。
猫たちのテレビに対する反応はまちまちで、大体は無関心か気が付くとしても画面から猫の声がしたときなど極めて限定的で、たいていの猫はそれ以上は殆ど関心を示さなかった。その中でも例外はクロと今のハルなのだが、その二匹の中でも微妙な違いがある。
クロはNHK-BSの「岩合光昭の世界ネコ歩き」が好きで、番組が始まると画面に近寄って観ていた。クロの特徴は画面の中の猫たちが現実のものと思っているのか、猫が画面から外れるとテレビの裏側に行ってそこに居ないか確かめるという事が毎回起きていた。テレビの裏にいないことを知ると不思議そうに戻ってくる。
ハルの方はどちらかというとテレ朝の「みんなの動物園」やフジテレビの「坂上どうぶつ王国」が好きで、きっかけは画面から保護猫のか細い鳴き声が聞こえてきたのがきっかけだったのだけれど、最近は猫でなくても犬などの他の動物が写っている時でも観ている。クロのようにテレビの後ろに回って確かめるようなことはあまりなく、画面の中の出来事としてとらえているのかもしれない。
そのハルが最近は動物番組だけでなく他の番組でもテレビをじっと、というかじっくりと観ていることがある。居間でカミさんとテレビを観ているときにふと気がづくとハルもテレビに向かって観ていることが多い。最近のハルのお気に入りは「相棒」でぼくがトイレなどでちょっと席を外しても一人で観ている。ハルのTV-Watcherとしての成長は著しいのでそのうちチャンネル権を要求してくるかもしれない。う~ん、猫が観ているのは視聴率に入るのだろうか。
春彼岸 柴又 [新隠居主義]
春彼岸 柴又
昨日は春彼岸の墓参り。母が存命の頃は墓参りの帰りには柴又の帝釈天に寄ってお参りしてそのあと「ゑびす家」でうなぎを食べて帰るのが習わしみたいなものだった。それが母が他界してその母の墓参りをする今になってもなんとなく続いている。
その時々によってお参りの後に寄っていただくのは「ゑびす家」のうなぎか「大和家」の黒い天丼かのどちらかなのだけれど、最近は、まさにうなぎ上りで途方もなく値上がりしてうなぎの敷居が高くなっている…けど、昨日は思い切ってうなぎ。まぁ母の供養に…、などと言いながら結局は自分の口がかわいいのだ。
その時々によってお参りの後に寄っていただくのは「ゑびす家」のうなぎか「大和家」の黒い天丼かのどちらかなのだけれど、最近は、まさにうなぎ上りで途方もなく値上がりしてうなぎの敷居が高くなっている…けど、昨日は思い切ってうなぎ。まぁ母の供養に…、などと言いながら結局は自分の口がかわいいのだ。
一昨年の大晦日のテレビの「孤独のグルメ」特番では五郎さんがここ「ゑびす家」から中継していた。最近はうな重自体とんとご無沙汰だけど、ぼくは此処のうな重が一番好き。ほっこりしてたれの味も濃すぎずちょうど良い。母を連れてきていた時はいつも店の奥の小上がりの座敷に座ったのだけれど、カミさんと二人の今はテーブル席だ。
昨日は週末の上何かのイベントもあるようで帝釈天の参道は結構な人出。見たところ半分以上は外国人の観光客のようだ。聞こえてくるのは殆ど日本語以外の言葉。近くの駐車場に観光バスが止まっていたのでそれに乗ってきた人たちもいるのかもしれない。
いわゆるインバウンドを目当てにしたものか、以前はなかった食べ歩きの串に刺したうなぎや卵焼きなんかも売っている。賑わうこと自体は良いのだけれどトラブルもありそうで、いつも寄るちょっと気の利いた小物を売るお店の店先には今日は「お店の中には入れません」という看板がかかっていた。週末の混雑する時だけかもしれないけどいつも店内を覗くのを楽しみにしていただけに残念だった。
最近はオーバーツーリズムが問題になっているけど、他の商店への迷惑も考えず安易に儲けようという商法にも問題はあるので、商店街など地域で解決すべきなのだろうが…。帰りは大徳で佃煮を買って帰る。佃煮は大徳の斜め前の今は改装中の丸仁の佃煮が老舗で美味しいのだけれどお値段が大分違うので、家で気軽に食べられる値段でしかもそれなりに美味しい大徳で何種類かを買ってくる時が多い。まぁ、車を運転してこそできるこういう墓参りスタイルを出来る限り続けたいとは思っている。
いわゆるインバウンドを目当てにしたものか、以前はなかった食べ歩きの串に刺したうなぎや卵焼きなんかも売っている。賑わうこと自体は良いのだけれどトラブルもありそうで、いつも寄るちょっと気の利いた小物を売るお店の店先には今日は「お店の中には入れません」という看板がかかっていた。週末の混雑する時だけかもしれないけどいつも店内を覗くのを楽しみにしていただけに残念だった。
最近はオーバーツーリズムが問題になっているけど、他の商店への迷惑も考えず安易に儲けようという商法にも問題はあるので、商店街など地域で解決すべきなのだろうが…。帰りは大徳で佃煮を買って帰る。佃煮は大徳の斜め前の今は改装中の丸仁の佃煮が老舗で美味しいのだけれどお値段が大分違うので、家で気軽に食べられる値段でしかもそれなりに美味しい大徳で何種類かを買ってくる時が多い。まぁ、車を運転してこそできるこういう墓参りスタイルを出来る限り続けたいとは思っている。
*人出は多いけれど観光地化して滞在時間が短くなったせいでじっくり腰を落ち着けて食事するゑびす家のようなお店は敬遠されるのか、参道の茶屋などは混んでいたのにゑびす家は昨日食事した時はお客はぼくらだけでした
**柴又の記事をはじめてこのブログに載せたのは2005年の年末でした。それからもう二十年近くも経ってしまいました。当時の記事のレスポンスやコメントを見てもかなりのブログアイコンが空白になっており時間の経過を感じます。
**柴又の記事をはじめてこのブログに載せたのは2005年の年末でした。それからもう二十年近くも経ってしまいました。当時の記事のレスポンスやコメントを見てもかなりのブログアイコンが空白になっており時間の経過を感じます。
LPレコードを洗濯する [新隠居主義]
LPレコードを洗濯する
この間ブックオフで買ったローズマリー・クルーニーのLPは歌も音質も素晴らしかったのだけれど、聴いていると時々プチプチ音が聞こえる。レコードの盤面に傷などがあると、スクラッチノイズと言ってボツッとした比較的大きな音がするけれど、それに対して小さめだがプチプチやピシッと言ったような音がして気になることがある。
それは静電気だったり、盤面の溝に埃や汚れがあってそれが原因でそういう雑音がすることが多い。今回も目立った傷は無いのだけれどやっばり溝に汚れや埃がたまっているようだ。それらは通常のブラシやスプレーなどのメンテナンスツールでは取り切れないので、昔は中古レコードを買ってきたときは必ずレコード盤を中性洗剤で「洗濯」してから、通常のメンテナンス作業をするようにしていた。盤面の傷はどうにもならないけど溝にたまった埃に起因する雑音はそれで殆どなくなる。
今は大手の中古レコードの専門販売店は最近のクリーニングマシンを使って洗浄してから店頭に出すらしいので比較的盤面もきれいだけど、ぼくが買った店はどうやらそのまま出しているようだ。昔は自分でやる時は「洗濯」の際盤面中央のレーベルを濡らさないように気を使ったけれど、今は写真のような「ラベルプロテクター」なるものがあるので、それでラベルのところを両側からカバーすれば濡れずにすむというわけだ。(ということは、今でもLPを洗濯する人がいるということか)
それは静電気だったり、盤面の溝に埃や汚れがあってそれが原因でそういう雑音がすることが多い。今回も目立った傷は無いのだけれどやっばり溝に汚れや埃がたまっているようだ。それらは通常のブラシやスプレーなどのメンテナンスツールでは取り切れないので、昔は中古レコードを買ってきたときは必ずレコード盤を中性洗剤で「洗濯」してから、通常のメンテナンス作業をするようにしていた。盤面の傷はどうにもならないけど溝にたまった埃に起因する雑音はそれで殆どなくなる。
今は大手の中古レコードの専門販売店は最近のクリーニングマシンを使って洗浄してから店頭に出すらしいので比較的盤面もきれいだけど、ぼくが買った店はどうやらそのまま出しているようだ。昔は自分でやる時は「洗濯」の際盤面中央のレーベルを濡らさないように気を使ったけれど、今は写真のような「ラベルプロテクター」なるものがあるので、それでラベルのところを両側からカバーすれば濡れずにすむというわけだ。(ということは、今でもLPを洗濯する人がいるということか)
中古レコードの「洗濯」は中性洗剤とぬるま湯で丁寧に洗うことにしている。溝の掃除は昔も盤面の溝に届いてなおかつ盤面を傷めない、髭剃り用のシェービングブラシを使っていたので今回もそれを使って泡立てて洗う。洗ったら繊維が極細なマイクロファイバーのクロスでふき取り乾かす。乾いたら盤面ブラシと静電気除去などのスプレーで通常のメンテナンスを施す。これをしないと我が家の場合猫がいるので盤面やターンテーブルの静電気が猫の毛を吸い寄せ無残なことになる。(下の最後から二枚目の写真でも既に一カ所猫の毛が落ちている…w)
「洗濯」して乾燥後、再生してみたら全くと言っていいほど雑音が気にならない快適な状況。もろちん誰にでもお勧めできる方法ではないかもしれないが、これからも中古レコードを買う時は昔のように傷だけをチェックして、買ってから盤面を「洗濯」するようにしたい。現在のレコード市場は99%が中古レコードの市場なので中古レコードを甦えさせるテクは大事だと思う。
というか、できれば汚れて安くなっている掘り出し物をみつけたいなと。働いている頃はノイズやハウリングなどの対策や聴くたびのレコード面の手入れなど鬱陶しく感じていたけれど、時間が出来た今はそれが大好きなアルバムの別格な聴き方への厳かな儀式のように感じている。
「洗濯」して乾燥後、再生してみたら全くと言っていいほど雑音が気にならない快適な状況。もろちん誰にでもお勧めできる方法ではないかもしれないが、これからも中古レコードを買う時は昔のように傷だけをチェックして、買ってから盤面を「洗濯」するようにしたい。現在のレコード市場は99%が中古レコードの市場なので中古レコードを甦えさせるテクは大事だと思う。
というか、できれば汚れて安くなっている掘り出し物をみつけたいなと。働いている頃はノイズやハウリングなどの対策や聴くたびのレコード面の手入れなど鬱陶しく感じていたけれど、時間が出来た今はそれが大好きなアルバムの別格な聴き方への厳かな儀式のように感じている。
[ぼくのLPレコード洗濯法]
①ラベルプロテクターでラベルを覆って濡れないようにする。ラベル保護だけでなく、盤面を洗う時の持ち手の役目も果たし盤面を持たずに作業ができるので傷をつける心配がない。
②シェービングブラシのような少し腰のある毛質のブラシに中性洗剤をつけ泡立てて盤面を溝に沿って円を描くように洗う。溝に入っていた埃などを浮かせて流す感じ。歯ブラシなど硬いブラシは盤面を傷つけるので向かない。最後に洗剤が残らないようにぬるま湯でちゃんと洗い流す。
③よく洗ったマイクロファイバークロスのような柔らかく吸水性のある布で水気をふき取る。
④ブックスタンドなどに立てかけて乾燥させる。その際再度埃が付いたり、盤面に傷をつけないように気を付ける。
⑤クリアトーン558のような静電気除去、クリーニング機能のスプレーをかけクリーニングブラシで盤面を拭いて仕上げる。よくLPをターンテーブルに載せて回転させたままブラシングする人がいるが、トルクの強いダイレクトドライブでも一カ所に力を加えるのはモーターの偏芯の原因になるのでぼくは避けている。
⑥ピカピカの一年生の誕生。
②シェービングブラシのような少し腰のある毛質のブラシに中性洗剤をつけ泡立てて盤面を溝に沿って円を描くように洗う。溝に入っていた埃などを浮かせて流す感じ。歯ブラシなど硬いブラシは盤面を傷つけるので向かない。最後に洗剤が残らないようにぬるま湯でちゃんと洗い流す。
③よく洗ったマイクロファイバークロスのような柔らかく吸水性のある布で水気をふき取る。
④ブックスタンドなどに立てかけて乾燥させる。その際再度埃が付いたり、盤面に傷をつけないように気を付ける。
⑤クリアトーン558のような静電気除去、クリーニング機能のスプレーをかけクリーニングブラシで盤面を拭いて仕上げる。よくLPをターンテーブルに載せて回転させたままブラシングする人がいるが、トルクの強いダイレクトドライブでも一カ所に力を加えるのはモーターの偏芯の原因になるのでぼくは避けている。
⑥ピカピカの一年生の誕生。
*上の6枚の写真の一番最初の写真では11時の方向に少し汚れが目立っていますがこれは通常のブラッシングなどでは取れなかった汚れですが「洗濯」の後ではきれいになくなっています。
以前のLPレコードはラベルの部分が紙だったものもあったりして水に濡れると剥がれたり破れたりしてしまう恐れがありました。
またレコード自体が貴重なものでしたからそれを「洗濯」で丸洗いするなどのことはタブー視されていて、当時友人からも言われれたこともありますが…。
今のほとんどのレコードのラベルの部分は紙ではなく剥がれもしないのでプロテクターが無くても良いようなものですが、そこはぼくも昔の感覚を引きずっていて汚したくないと…。プロテクターが売っているという事はぼくみたいな人がいるということですね。
LPレコードの手入れの仕方は他にもお化粧パックのように盤面をパックして埃などを剝がしとるという方法もありますがLPの枚数が多いとコストがかかりそうです。ご紹介したのはあくまでぼくのやり方なのでご参考程度に…。
以前のLPレコードはラベルの部分が紙だったものもあったりして水に濡れると剥がれたり破れたりしてしまう恐れがありました。
またレコード自体が貴重なものでしたからそれを「洗濯」で丸洗いするなどのことはタブー視されていて、当時友人からも言われれたこともありますが…。
今のほとんどのレコードのラベルの部分は紙ではなく剥がれもしないのでプロテクターが無くても良いようなものですが、そこはぼくも昔の感覚を引きずっていて汚したくないと…。プロテクターが売っているという事はぼくみたいな人がいるということですね。
LPレコードの手入れの仕方は他にもお化粧パックのように盤面をパックして埃などを剝がしとるという方法もありますがLPの枚数が多いとコストがかかりそうです。ご紹介したのはあくまでぼくのやり方なのでご参考程度に…。
ノスタルジック・オーディオ [新隠居主義]
以前、置く場所もなくなって持っていたLPレコードはすべて処分して、今はCDとiTunes経由の再生で聴いていて特に不満はなかったのだけれど、最近レコードがなんか無性に聴きたくなった。でもLPは手元にもうないし、第一肝心のレコードプレーヤーもとっくに処分してしまったので…。
と思っていたところ最近、以前から密かに欲しかったREGAのレコードプレーヤーなら今のスペースにでも置けるという事が分かったので思い切って手に入れた。REGAのPlanar3は音を出すのに最低限必要な機能しかついていないのだがそれも潔いし、音質のためには妥協がないところがいい。
カートリッジはやはりREGAのExactをつけた。音を出してみてその豊かで温かい響きに久しぶりにレコードの香りを思いださせられた。とくに中低音の豊かな響きはやっぱりCDとは一線を画している。また同じイギリスということでもう50年近く使っているTANNOYのスピーカーとの相性も良いようだ。
と思っていたところ最近、以前から密かに欲しかったREGAのレコードプレーヤーなら今のスペースにでも置けるという事が分かったので思い切って手に入れた。REGAのPlanar3は音を出すのに最低限必要な機能しかついていないのだがそれも潔いし、音質のためには妥協がないところがいい。
カートリッジはやはりREGAのExactをつけた。音を出してみてその豊かで温かい響きに久しぶりにレコードの香りを思いださせられた。とくに中低音の豊かな響きはやっぱりCDとは一線を画している。また同じイギリスということでもう50年近く使っているTANNOYのスピーカーとの相性も良いようだ。
何とか念願のブツを手にしたのは良いのだが、ところがどっこい、手元には一枚のLPもない。で、昨日慌ててジムの帰りにその近くのブックオフに中古レコードを探しに寄った。ネットでブックオフのその店舗でも中古のLPレコードを扱っていることを確かめてから行ったのだけれど、なかなか見つからない。店員の女性に「LPレコードはどこですか?」と聞いたら「あ、あの絵の出るやつですね」と…絵なんかでねぇし。レーザーディスクと間違えている。
LPレコードのなんたるかをちょっと説明すると店の端っこの見えにくいところに連れてゆかれた。狭い幅の棚二段分くらいにLPレコードが申し訳程度に置いてあった。値段はどれも一枚500円。在庫枚数が少ないのであらかた目を通して良いのを二枚発見した。一枚500円というのはこのプレーヤーを買うために有り金をはたいてしまった今のぼくにはなんともありがたい。
一枚はローズマリー・クルーニーのアルバム"With Love"。1981年のLPだからロージーが歳を重ねて一番味がでて来たころのアルバム。ロージーのアルバムはCDで結構持っているけどこれは持っていないのでラッキー。家に帰って盤に針を落とすと(良い表現だなぁ)やっぱりwifi経由とはレベルの違う音。彼女のマイクの位置もビブラフォンにいたっては鍵盤の位置まで感じられる。
もう一枚はイ・ムジチの演奏するヴィバルディの「四季」これは昔もLPで持っていた名盤でバイオリンのフェリックス・アーヨがメンバーだったイ・ムジチ全盛の頃の録音盤だ。力強い弦の音がグイグイ迫ってくる。またオーディオの沼にはまりそうだなぁ。まぁ、楽に出歩けるようになったらまたお茶の水のオーディオユニオンあたりで中古LPの極安掘り出し物を探しに行くのもリハビリの励みになるかもしれない。
LPレコードのなんたるかをちょっと説明すると店の端っこの見えにくいところに連れてゆかれた。狭い幅の棚二段分くらいにLPレコードが申し訳程度に置いてあった。値段はどれも一枚500円。在庫枚数が少ないのであらかた目を通して良いのを二枚発見した。一枚500円というのはこのプレーヤーを買うために有り金をはたいてしまった今のぼくにはなんともありがたい。
一枚はローズマリー・クルーニーのアルバム"With Love"。1981年のLPだからロージーが歳を重ねて一番味がでて来たころのアルバム。ロージーのアルバムはCDで結構持っているけどこれは持っていないのでラッキー。家に帰って盤に針を落とすと(良い表現だなぁ)やっぱりwifi経由とはレベルの違う音。彼女のマイクの位置もビブラフォンにいたっては鍵盤の位置まで感じられる。
もう一枚はイ・ムジチの演奏するヴィバルディの「四季」これは昔もLPで持っていた名盤でバイオリンのフェリックス・アーヨがメンバーだったイ・ムジチ全盛の頃の録音盤だ。力強い弦の音がグイグイ迫ってくる。またオーディオの沼にはまりそうだなぁ。まぁ、楽に出歩けるようになったらまたお茶の水のオーディオユニオンあたりで中古LPの極安掘り出し物を探しに行くのもリハビリの励みになるかもしれない。
*今また再評価をうけている、アナログなオーディオや写真における銀塩フィルムなどへの傾倒は多分にノスタルジックな要素を含んでいるとは思いますが、一方その中にデジタルが切り捨ててきた何かを人間の感性が感じ始めているという側面もあるような気もします。
それが何かはぼくにはよくわかりませんが、もしかしたらそういうものがAIやディープ・フェイクに対抗する人間に残された感性的な能力に繋がってゆくような予感もしています。
それが何かはぼくにはよくわかりませんが、もしかしたらそういうものがAIやディープ・フェイクに対抗する人間に残された感性的な能力に繋がってゆくような予感もしています。
and also...
Blue or Pink 認知症テスト [新隠居主義]
Blue or Pink 認知症テスト
今年は運転免許更新の年なので、今回は更新前に認知症のテストと実車教習を受けなければならない。特に認知症のテストは今回が初めてなので心配だったけど先日受けてきた。
東陽町の試験場は当然だけれど75歳以上の高齢者ばかり。てきぱきとした女性の係官の試験会場での試験についての説明のイントロで、
東陽町の試験場は当然だけれど75歳以上の高齢者ばかり。てきぱきとした女性の係官の試験会場での試験についての説明のイントロで、
「これからの説明で何かわからないことがあったら手をあげてください」といった途端に挙手があり
「テストはどうやってやるんですか?」の質問。
「それをこれから説明するんですよ~」 会場から失笑の笑い。年寄りは気が短い。
実はぼくは若いころからワーキングメモリー、短期記憶が苦手で初対面で紹介された人の名前もすぐ忘れてしまったり、暗算の引き算が苦手という事で、どうやらそういう能力を問われるらしい認知症テストは心配だった。
当日のテストのメインは4枚一組になった絵を4組合計16枚の絵を見せられて、それを覚えるというもの。覚えた後に、一旦記憶を忘れるように他の問題をやらされて、それから思い出して解答するもの。幸いぼくはヒントなしで15枚、ヒントありで16枚全部を思い出すことができたのでよかった。
事前に警視庁のホームページでこの認知症テスト問題の解答用紙サンプルを見ていたので慌てることなく助かった。試験が終わった後採点が行われて結果の発表。ブルーの書類を貰えれば合格。ピンクの書類を貰ったら不合格。不合格なら再度挑戦か医者に認知症じゃない証明書をもらわないと更新できないということらしい。とりあえず合格。
係官の注意事項も高齢者向けの雰囲気満点。
実はぼくは若いころからワーキングメモリー、短期記憶が苦手で初対面で紹介された人の名前もすぐ忘れてしまったり、暗算の引き算が苦手という事で、どうやらそういう能力を問われるらしい認知症テストは心配だった。
当日のテストのメインは4枚一組になった絵を4組合計16枚の絵を見せられて、それを覚えるというもの。覚えた後に、一旦記憶を忘れるように他の問題をやらされて、それから思い出して解答するもの。幸いぼくはヒントなしで15枚、ヒントありで16枚全部を思い出すことができたのでよかった。
事前に警視庁のホームページでこの認知症テスト問題の解答用紙サンプルを見ていたので慌てることなく助かった。試験が終わった後採点が行われて結果の発表。ブルーの書類を貰えれば合格。ピンクの書類を貰ったら不合格。不合格なら再度挑戦か医者に認知症じゃない証明書をもらわないと更新できないということらしい。とりあえず合格。
係官の注意事項も高齢者向けの雰囲気満点。
・解答用紙に答えを書くときは絶対に声を出さないように。たまに答えを独り言を言いながら書く人がいます。
・解答用紙をめくる時は絶対に指を舐めてめくらないように。どうしてもめくれないときは手をあげれば係官が行ってめくってさしあげます。(後で解答用紙は係官が採点するので感染防止のためです)
・のどが渇いたり咳が出たりする人のために飲み物とアメは机の上にだしておいていいです。
あとは来週の実車教習をうければ更新なのだけれどなんとも面倒だが決まったことだからしかたないなぁ。
あとは来週の実車教習をうければ更新なのだけれどなんとも面倒だが決まったことだからしかたないなぁ。
*ヒントありでも全然答えられないとちょっとまずいらしいです。普通の年寄りの物忘れは記憶そのものがなくなってしまうのではなく、その記憶を引き出す機能が鈍くなっている、つまり引き出しの中には記憶がちゃんと入っているんだけれど、それを正しく引き出すいわば見出し、インデックスの機能が鈍くなっているわけで、ヒントがあれば引き出せるというわけです。それが本格的な認知症になってしまうと引き出しの中に記憶自体が入っていなかったりして…。なんか他人ごとではないなぁ。
猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その45~ [猫と暮らせば]
猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その45~
■どれだけ多くの時間をかけても、猫との良き思い出は消えない。どれだけ多くのテープを使おうと、ソファに残されたネコの毛は取り除けない。(レオ・ドウォーケン)
No amount of time can erase the memory of a good cat, and no amount of masking tape can ever totally remove his fur from your couch. (Leo Dworken)
No amount of time can erase the memory of a good cat, and no amount of masking tape can ever totally remove his fur from your couch. (Leo Dworken)
子供の頃も家にはずっと猫がいたけど最後の猫がぼくが高校生の頃いなくなって、それからは結婚して暫くしてから会社の上司に頼まれて生まれたての子猫のタマを飼うまでは猫の居ない生活が続いていた。
タマを飼いだした翌年位に、今度もやはり会社の別の先輩から娘さんがぜんそくになって毛の長いペルシャ猫が飼い続けられなくなってしまったとのことでお引き受けしたのが初代のレオだった。
それ以降はずっと二匹から三匹の猫がいて気が付けばもう三十年以上ウチには複数の猫がいたという事になる。複数の猫と暮らしていると一匹の時とは猫同士の関係そして飼い主との関係も大分変ってくる。
猫によって性格もまちまちなので、そのバリエーションも楽しい。ぼくとの関係では以前でいえばモモはべったり、レオは付かず離れず膝にはのらないけどいつの間にかそばにいる。ハルはぼくについて回るけれど今のように膝にのるようになったのはモモとレオが居なくなってから。
猫を飼うきっかけは知り合いに頼まれたり、捨て猫を拾ったり、ペットショップで大きくなりすぎてしまった猫を里子で引き受けたりといろいろだが、何匹かは父が他界した後に急に寂しくなった母のお相手としてとか、ぼくの還暦記念などでペットショップのお世話になったこともある。
でも混血種だろうが純血種だろうが飼ってみればその可愛さはどれもかわらない。ただ言えることは猫それぞれに性格はまちまちなのだけれど、猫種によってその中である程度の性格は決まってくることはありえる。例えば飼い主に冷たいロシアンブルーはいないだろうし、陰気なアメショーとか飼い主べったりのペルシャも少ないと思う。
それでも飼って一緒に暮らしてみればどんな性格でも、こちらの方がそれに合わせて付き合おうという気にさせてしまうのもまた猫の凄いところだとおもう。こうして今まで見送った六匹の猫の写真を観ながら、彼らがくれた素晴らしい時間に想いを馳せている。それは今でもぼくの心の中でキラキラと輝いている。長い時間をかけて、やっと哀しみをこえて心からの感謝の気持ちに辿り着いたのだ。
タマを飼いだした翌年位に、今度もやはり会社の別の先輩から娘さんがぜんそくになって毛の長いペルシャ猫が飼い続けられなくなってしまったとのことでお引き受けしたのが初代のレオだった。
それ以降はずっと二匹から三匹の猫がいて気が付けばもう三十年以上ウチには複数の猫がいたという事になる。複数の猫と暮らしていると一匹の時とは猫同士の関係そして飼い主との関係も大分変ってくる。
猫によって性格もまちまちなので、そのバリエーションも楽しい。ぼくとの関係では以前でいえばモモはべったり、レオは付かず離れず膝にはのらないけどいつの間にかそばにいる。ハルはぼくについて回るけれど今のように膝にのるようになったのはモモとレオが居なくなってから。
猫を飼うきっかけは知り合いに頼まれたり、捨て猫を拾ったり、ペットショップで大きくなりすぎてしまった猫を里子で引き受けたりといろいろだが、何匹かは父が他界した後に急に寂しくなった母のお相手としてとか、ぼくの還暦記念などでペットショップのお世話になったこともある。
でも混血種だろうが純血種だろうが飼ってみればその可愛さはどれもかわらない。ただ言えることは猫それぞれに性格はまちまちなのだけれど、猫種によってその中である程度の性格は決まってくることはありえる。例えば飼い主に冷たいロシアンブルーはいないだろうし、陰気なアメショーとか飼い主べったりのペルシャも少ないと思う。
それでも飼って一緒に暮らしてみればどんな性格でも、こちらの方がそれに合わせて付き合おうという気にさせてしまうのもまた猫の凄いところだとおもう。こうして今まで見送った六匹の猫の写真を観ながら、彼らがくれた素晴らしい時間に想いを馳せている。それは今でもぼくの心の中でキラキラと輝いている。長い時間をかけて、やっと哀しみをこえて心からの感謝の気持ちに辿り着いたのだ。
*この猫名言をはいたレオ・ドウォーケンという人物についていろいろと調べてみたけれど、"Is your dog Jewish?"という犬に関するエッセ本を出したことがあるという以外はわからなかったです。
確かに彼の格言にあるように、今でも毎日掃除するたびにソファーのすき間や、戸棚の後ろ、そこここからレオの毛が出てきて、ここにも…と手を止めたり。
確かに彼の格言にあるように、今でも毎日掃除するたびにソファーのすき間や、戸棚の後ろ、そこここからレオの毛が出てきて、ここにも…と手を止めたり。
ドウォーケン自身のことは知らなくても、内外の猫名言の本やサイトには必ずと言ってよいほどこのフレーズが載っています。それはきっと多くの猫飼いが同じ感慨をもって共感しているからだと思います。
新米主夫から週末シェフに [新隠居主義]
新米主夫から週末シェフに
三年前の暮れにカミさんが腕を骨折して料理などの家事が出来なくなったので、急遽新米主夫として料理をするようになった。カミさんの指導でいきなり始めたのが時期的におせち料理だったのは大変だったけど、年を越してからはご飯を炊いて味噌汁ができるようになることがまず覚えることだった。
今では大分レパートリーも増えてきたのだけれど、去年の夏今度はぼくが腰痛で料理のため長いことキッチンに立つことができなくなって、今は平日は皿洗いで週末だけ料理を作るようにしている。週末シェフといえば聞こえはいいけど、レパートリーは増えたけれど、いまだに冷蔵庫にあるものでその日の食卓を完結するという事は苦手である。
この日の晩はナスのグラタンと鯛のカルバッチョにしたのだけれど、ぼくがメニューを決めるとどうしても何を飲むかという事からの逆算になってしまう。今はお酒は基本的には週なかで一回と週末だけにしているので…。これも週末シェフだから許されることで、毎日の事だったらそうも言っていられない。
週末シェフになって以前よりも料理が好きになったような気がする。義務感と献立を考えるストレスをカミさんにお返ししたことが大きいけれど、逆にカミさんからだけでなく雑誌やテレビなどで新しいメニューを試してみる余裕がでてきたので、それが楽しくなったという事もある。カミさんもそれを楽しみにしている節もある。
でも、ちょっと寂しいのはレオが居なくなってぼくが調理している時のお目付け役の調理監視団が解散してしまったことだ。カウンターの上ですぐ手を出すレオに「あ、それ食べちゃダメ」とか言いながらワイワイやっていた楽しさは戻ってこない。カウンターの上で大人しくちょっと手持ち無沙汰にしているハルの姿も心なしか寂しそうだ。と、嘆いていても仕方ない。今は精進して幻の調理監視団に☆一つもらえるような週末シェフになりたいと思っている。
冬来たりなば… [gillman*s park]
新しい年はいきなりの衝撃で始まった。元旦の能登半島での地震、津波そしてそれに続く大規模火災で正月気分はいっぺんに吹き飛び、それに続いた羽田の飛行機事故に何だか前途多難の一年の幕明けを感じたのはぼくだけではないと思うのだが。
尤もぼくの場合年末から年が明けてもレオの事で手いっぱいで今年は新年という感じも薄かったのだけれど、そこへもってきて今週、末期ガンと戦っていたいちばん仲の良かった親類が亡くなり誠に辛い一年のスタートになってしまった。「新春」という言葉がなんだか白々しく響く日々が続いている。
尤もぼくの場合年末から年が明けてもレオの事で手いっぱいで今年は新年という感じも薄かったのだけれど、そこへもってきて今週、末期ガンと戦っていたいちばん仲の良かった親類が亡くなり誠に辛い一年のスタートになってしまった。「新春」という言葉がなんだか白々しく響く日々が続いている。
そんな日々でもリハビリのための公園散歩は欠かすことができないのだけれども、こういう時は散歩しながら考え事をしている自分にふと気づくことがある。もちろん散歩は考え事には適しているので、いつもは考え事をすることそれ自体は普通の事なんだけど、考え事をしている自分に気づいてしまうというのは、そうあることではない。
昨日も散歩したのだけれど、寒さのためか公園には殆ど人影もない。人っ子一人いないとはこういうことだな。寒風吹きすさぶ公園は鈍色の空に白い太陽が浮かんでいかにも寒々としている。それはそれで心にしみる光景ではあるけど…。
散歩をしているうちに段々と内に閉じこもっていた心が外の景色に向いてくるのがわかる。もちろん見えているのは現実の風景だけではなく、心が投影された心象風景も過っているのだと思うが…。それでも、冬の公園は実にいい。とりわけ冬の公園の夕暮れは、静謐で身を清めるように清冽で、それは桜が咲き乱れるあの季節にいささかも劣るものではない、と。
考えてみたら、遠くに行けなくなって、速く歩けなくなって、逆に今まで見えていなかったものが少し垣間見えたような気がする。それが何かはまだ言葉で言えるほどはっきりとは形をなしていないが、今はスマホでしか撮れないけど…、またちゃんとしたカメラが持てるようになったらそういうものを撮っていきたい。冬来たりなば…あと、一息。
昨日も散歩したのだけれど、寒さのためか公園には殆ど人影もない。人っ子一人いないとはこういうことだな。寒風吹きすさぶ公園は鈍色の空に白い太陽が浮かんでいかにも寒々としている。それはそれで心にしみる光景ではあるけど…。
散歩をしているうちに段々と内に閉じこもっていた心が外の景色に向いてくるのがわかる。もちろん見えているのは現実の風景だけではなく、心が投影された心象風景も過っているのだと思うが…。それでも、冬の公園は実にいい。とりわけ冬の公園の夕暮れは、静謐で身を清めるように清冽で、それは桜が咲き乱れるあの季節にいささかも劣るものではない、と。
考えてみたら、遠くに行けなくなって、速く歩けなくなって、逆に今まで見えていなかったものが少し垣間見えたような気がする。それが何かはまだ言葉で言えるほどはっきりとは形をなしていないが、今はスマホでしか撮れないけど…、またちゃんとしたカメラが持てるようになったらそういうものを撮っていきたい。冬来たりなば…あと、一息。
■ 寒椿の 紅凛々と 死をおもふ (鈴木真砂女)
*秋から冬にかけての公園は、花の咲き乱れる春夏とはまた違った風情があります。以前作った公園の四季、秋冬編のスライドショーをYouTubeに載せましたので、よろしかったらご覧いただけると嬉しいです。
レオを看取る [猫と暮らせば]
レオを看取る
今日、夜中の三時にレオがぼくの枕元で息を引き取った。レオは年を越せるかなと思っていたけど…なんとか。でも、もう足腰が立たないので寝たきりに近いけど、トイレだけはなんとか自分で行こうとする。先代のレオもそうだけど最後の日までトイレには這って行っていた。
レオは夜中などに這ってトイレに行こうとして途中でオシッコなどが出てしまったり、トイレの場所がわからなかったりで、朝起きると部屋はすごい事になってるけどケージなどに閉じ込めたくないので、好きにさせていた。腎臓の衰弱も進んでいたので、ペットクリニックの先生に相談して年末からはインスリン注射もやめている。
今朝も身体が汚れたのでキレイにしてあげたけど、もう立つ力もない。レオの手を握ってもうそんなに頑張らなくていいからねと何度も言い聞かせた。少し落ち着いてきたのでいつものように椅子の上に寝かせてぼくはジムにリハビリをしに行ったのだが、ストレッチを始めたところでカミさんからスマホに電話が入っていることに気づいて折り返し電話すると、レオの様子がおかしいから帰ってきてほしいということだった。
帰ってみると、レオは抱かれたカミさんの胸元で粗相したまま眠っていた。それからずっと昏睡状態のようになって、でも時々目が覚めると大きな声で鳴く。抱き上げてそのままソファーに座ってぼくの胸の上に寝かせてやると鳴きやんでまた眠りに落ちる。いつもの椅子の上では転げ落ちる恐れもあるので、使っていなかった猫用の丸いふかふかベッドに寝せてあげた。
夜になってもう寝る時間になっても状況は変わらなかったけど、今夜が山だと思ったのでその丸いふかふかベッドに入ったレオをカミさんとぼくの間の枕元に置いて寝た。耳元でレオが鳴くたびにスポイトで水をあげたり頭を撫ぜてあげたりして夜を過ごした。一度は水の代わりにチューブのチュールを舐めさせたらおいしそうに舐めたりもしたので、もしかしたら今晩は大丈夫かも…と。
夜中の二時ごろまでは覚えているのだけれどついうとうとしてはっと目が覚めたら三時をすぎていて、慌ててレオの身体に手を当てたら温かかったのでほっとしたけど、念のため顔を近づけて暫く様子を見ていたら息をしていない。ついさっきまで…ごめん。不覚にも寝てしまった。カミさんは眠っていたので朝まで起こすつもりはなかった。ぼくもかろうじてまだ温もりの残っているレオの身体に手を置いたまま眠りに落ちた。
昼間の、もうそんなに頑張らなくていいよというその声が届いたのかな。18年間たくさんの楽しい想い出をありがとう。一緒に暮らして、一緒に笑ったね。さようなら。世界一可愛い猫。
レオは夜中などに這ってトイレに行こうとして途中でオシッコなどが出てしまったり、トイレの場所がわからなかったりで、朝起きると部屋はすごい事になってるけどケージなどに閉じ込めたくないので、好きにさせていた。腎臓の衰弱も進んでいたので、ペットクリニックの先生に相談して年末からはインスリン注射もやめている。
今朝も身体が汚れたのでキレイにしてあげたけど、もう立つ力もない。レオの手を握ってもうそんなに頑張らなくていいからねと何度も言い聞かせた。少し落ち着いてきたのでいつものように椅子の上に寝かせてぼくはジムにリハビリをしに行ったのだが、ストレッチを始めたところでカミさんからスマホに電話が入っていることに気づいて折り返し電話すると、レオの様子がおかしいから帰ってきてほしいということだった。
帰ってみると、レオは抱かれたカミさんの胸元で粗相したまま眠っていた。それからずっと昏睡状態のようになって、でも時々目が覚めると大きな声で鳴く。抱き上げてそのままソファーに座ってぼくの胸の上に寝かせてやると鳴きやんでまた眠りに落ちる。いつもの椅子の上では転げ落ちる恐れもあるので、使っていなかった猫用の丸いふかふかベッドに寝せてあげた。
夜になってもう寝る時間になっても状況は変わらなかったけど、今夜が山だと思ったのでその丸いふかふかベッドに入ったレオをカミさんとぼくの間の枕元に置いて寝た。耳元でレオが鳴くたびにスポイトで水をあげたり頭を撫ぜてあげたりして夜を過ごした。一度は水の代わりにチューブのチュールを舐めさせたらおいしそうに舐めたりもしたので、もしかしたら今晩は大丈夫かも…と。
夜中の二時ごろまでは覚えているのだけれどついうとうとしてはっと目が覚めたら三時をすぎていて、慌ててレオの身体に手を当てたら温かかったのでほっとしたけど、念のため顔を近づけて暫く様子を見ていたら息をしていない。ついさっきまで…ごめん。不覚にも寝てしまった。カミさんは眠っていたので朝まで起こすつもりはなかった。ぼくもかろうじてまだ温もりの残っているレオの身体に手を置いたまま眠りに落ちた。
昼間の、もうそんなに頑張らなくていいよというその声が届いたのかな。18年間たくさんの楽しい想い出をありがとう。一緒に暮らして、一緒に笑ったね。さようなら。世界一可愛い猫。
*モモが死んだのも三年前のちょうど明日。寂しくなります。ハルは雰囲気がわかるのでしょう昨日もしきりにレオのことを覗きにきていました。今日は朝からレオのことを探しているようでした。
前の20件 | -