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初めての避難 [新隠居主義]

初めての避難

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 物心つき始めた子供の頃には何度か床上浸水の大水(おおみず…洪水のことをこう呼んでいた)にあったことはあるのだけれど、大人になってからは幸いそういう目にはあわなかった。それが昨日、突然スマホに緊急メールで「避難勧告」が飛び込んできて慌ててしまった。

 原因は未曽有の大型台風19号が関東を直撃するということなのだけれども、いきなり「避難勧告」が飛んでくるとは思わなかった。勧告の理由は荒川水系や中小河川の綾瀬川などいくつかの河川が大雨と高潮などの影響で氾濫する危険性が出てきたためと言うことだった。

 普段から自分の地域のハザードマップは気にしているのだけれど、言われてみるとそのハザードマップの予測前提条件が、①潮位の高い時期に②大潮の満潮時刻と重なってさらに③台風などの激しい大雨に見舞われれるという、まさに今回の台風の条件にそっくりなのだ。とはいっても、それでもいきなり「避難」ということはすぐには頭に上ってこなかった。

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 そうこうしているうちに、古い一軒家なので雨漏りも始まりかつ雨戸のないガラス戸には養生テープを貼ったのだけれど、風の勢いは刻々と恐ろしいほど強くなってくる。もう夕方でもあり避難するなら明るい内がタイムリミットであることは明白だった。ネットで調べると洪水時の避難所は近くの小学校となっている、決めかねてウチの隣とその隣のお宅に電話をして動向を尋ねてみることにした。

 隣家は数年前に新築したしっかりした家なので、風にも強いし万一の場合は垂直避難をするつもりということだった。その先のお宅はやはり三階建てのしっかりした家なのだけれども、奥さんと話すと一人でいると不安なので避難所に行くことを考えているという。旦那さんが町会の役員で今、その避難所のスタッフとして動いており、その旦那さんから電話があって一人で家にいるより避難所に来ていた方が安心できるので来たら、ということだった。

 こういう時は迷っているだけで行動しないのが一番よくないので、我が家も奥さんと一緒に避難所に行って少なくとも台風が去って洪水の危険が去るまでそこに留まることにした。急いでレンジで温めた簡単な夕食をとり、猫の餌と浸水時に彼らが二階に逃げられるようにドアを開けて通路を確保するなど準備を整えたけれど、避難所に一体何を持っていったら良いかも分からない。

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 急いでネットで調べて、とりあえず一晩過ごせるようなものをリュックに詰め込み家を後にした。もう風も傘がさせないほど強くなっていた。避難所へは五分くらいしかかからないのでその点はありがたい。避難所となる小学校の体育館にはマットを敷いた避難者用の区画がいくつも設けられていてもうすでに何組もの避難者が座り込んでいた。ぼくらも受付で登録してミネラルウォーターと毛布を貰って一つの区画に陣取った。

 避難所のスタッフで来ているご主人とも挨拶して、やっぱりこういう時は地域のコミュニティーの触れ合いがあると不安な気持ちが少し和らぐような気がする。ぼくらが避難所に入って一時間くらいで避難所のキャパが一杯になったらしい。区画の間隔を狭めてつめたりして譲り合ったが、そのうち校舎の2階の教室も使えるるようになってスペースは余裕が出てきた。洪水対応の避難所なので、浸水が間近に迫る情報が来れば全員が2階以上に移動することになっているので、最初からそのスペースも確保してあるということだった。

 避難所は人が多くなってくると室温が高くなってくるので大型の扇風機を入れたり、子供が多かったので遊び場所を作ったり、スタッフの方が甲斐甲斐しく動いていた。しかしさすがに長時間床に座っていると体が痛くなるし眠ることも難しく、このような状態で数日間もしくは数週間もいたら身体も神経自体もおかしくなってしまうのは容易に想像できた。洪水の危険が増すたびに全員のスマホが一斉に甲高い音を立ててエリアメールを受ける。緊張が続いた。先のことを考える余裕もなく、ただひたすらその夜が無事に過ぎてくれることだけを祈っていた。

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 *幸いぼくたちの地域では洪水には至らず、翌朝の明け方には避難所を後にすることができたのですが、自宅の前の花海棠のかなり太い幹が真ん中から真っ二つに折れて吹き飛ばされていたのを見て風の強さを実感しました。

ちなみに、急いでリュックに入れて避難所に持って行ったものは以下のものでした。
・ミネラルウォーター(これは避難所でも支給されました)
・食べ物、すぐに食べられ日持ちするチョコバー、ナッツ、レーズンなど(避難所では希望者にはアルファ米のピラフなどが支給されました)
・着替えの下着ワンセット
・タオル
・ティッシュ、ウェットティッシュ
・懐中電灯
・スマホ+モバイルバッテリー(2個)
・飲んでる薬+お薬手帳+保健証
・貴重品、千円札と百円玉多目にウェストポーチに入れて
・ラジオ
・家の鍵
・ビニール袋

 *持って行かなかったけれど、持って行った方が良かったと思ったもの
・アイマスク…避難所はもちろん真っ暗にはしないので結構明るかったです
・空気枕か枕の代用になるもの…床に直に寝るので頭を載せるものが欲しいです。昨日はリュックにタオルを巻いて枕の代わりにしました


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追悼 ウィーン三羽烏 [新隠居主義]

追悼 ウィーン三羽烏

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 ウィーンのピアニストパウル・バドゥラ=スコダ(1927~2019)が先月25日に亡くなったのだけれど、その時同じくウィーンのピアニスト、イェルク・デムスも今年の4月に他界していることを知って、そちらもショックだった。その頃はぼくもバタバタしていてその記事に気が付かなかったのだろうけど、うっかりしていた。

 亡くなったスコダとフリードリヒ・グルダ(1930~2000)そしてイェルク・デムス(1928~2019)は日本では「ウィーン三羽烏」と称して親しまれていた。三羽烏とはいかにも古い言い方だけど向こうでは「トロイカ」となるらしいが、この三人を括って特別な思い入れを持っているのは日本人が多いかもしれない。

 三羽烏のイェルク・デムスだけど、ぼくが彼の演奏を始めて聴いたのは1972年のハイデルベルク大学の大学講堂での演奏会でぼくはまだ二十代半ば、デムスも四十代の壮年の頃だった。四日間にわたる一連のバッハ演奏会の一夜だった。その時のチケットが手元に残っているけど当時の値段で2マルク50。その時の日本円に換算しても300円足らずの金額。学生街での学生だからこその特権かもしれない。

 それから彼は丁度往年の名ピアノ伴奏家ジェラール・ムーアのように一流の声楽家のピアノ伴奏家としてのキャリアと名声を積み上げていった。その後日本でも2004年にリリアホールで彼のリサイタルを聞いたりしたが、一番印象深かったのは2007年に友人に誘われて行った声楽家の岡村喬生のシューベルト「冬の旅全曲コンサート」で伴奏をデムスがやった時だ。当時76歳になっていた岡村喬生が冬の旅全曲を歌い通すのもすごかったけれど、80歳にならんとするデムスが全曲を弾いていることもすごいと思った。

 その時はたまたまコンサートの後に岡村氏を囲む昼食会があり近くのテーブルにぼくらも座っていたのでデムス氏に挨拶すると同時に以前から聞きたかった質問をすることができた。ウィーンのピアニストとしてはベーゼンドルファーのピアノが彼のお気に入りだと思い込んでいたので、それについて聞くと明確に「いや、ベヒシュタインがぼくは一番好きだ」と即座に答えた。その時の印象が強く残っている。これでウィーン三羽烏は皆居なくなり、またひとつ古い時代の区切りがついたような気がする。合掌。


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 *イェルク・デムスのCDで一番好きなのがこのGradus Ad Parnassum – Die Geschichte Des KlaviersというCDでサブタイトルに「ピアノの歴史」とあるように鍵盤系の楽器の歴史をたどって今日まで保存されている数々の名機を演奏している。先のベヒシュタインやベーゼンドルファーそしてスタインウェイなどの響きを聴き比べることもできて素晴らしいCDになっています。

 デムス自身が北ドイツのアルスター湖畔にクリストフォリ・ミュージアムというピアノの博物館のようなものを管理しそこに保管されているピアノも録音の中に入っているようです。また彼は東日本大震災のときほとんどが帰国したり来日を中止した欧米系の音楽家のなかで、敢えて来日しコンサートを開いてくれた数少ないミュージシャンの一人でもあります。

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動き出す言葉 [新隠居主義]

動き出す言葉 
  
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 日本語学校での活動を始めてもう15年超になるけど、学校で毎年行われる日本語スピーチコンテストは楽しみの一つだ。知り合った当初は日本語がほとんど話せなかった外国の若者が壇上で堂々と日本語のスピーチをする姿を目にすると胸に熱いものがこみ上げてくる。

 昨日はその日本語学校恒例の日本語スピーチコンテストの日だった。プログラムは午前と午後の部に分かれており、午後はどちらかというと初級者の発表の場だが、日本語の語彙が少なくてもそれだけに一つ一つの言葉に対する彼等の思い入れは大きいので聞き応えがある。今は日本語が彼等の生活の中でも心の中でも有効な意味をなしてくる、いわば言葉としての日本語が動き始める時だ。

 テーマも様々。将来の夢から日本での人との出会い、ぼくらではなかなか気づきにくい点に気づかされる事もある。台湾からの留学生は、お店でお釣りをもらった時に店員がお札の向きをそろえて渡してくれたことに驚いていた。そう言われてみればそんなこともあるかもしれない。でもぼくらは、日常の中では見逃しがちだ。彼らと話して初めて気が付き、教えられることは多い。

 世界中が混沌としてささくれ立った言葉に満ち満ちている今、ここに居る若者たちの日本語はたどたどしいけど優しい言葉で満ちている。元気を貰った一日だった。

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 ここ数年でぼくの行っている日本語学校でも留学生の出身国の構成が大きく変わってきている。ずっと以前は中国、韓国そして台湾などからの留学生が多かったのだけれど、今は以前は少なかったベトナムやミャンマーやネパールなどからの留学生の比率が急激に増えている。

  以前に比べてアルバイトをする学生の比率や時間も増えているようにも思う。留学生達とは色々な話をするけど、ぼくは彼らに日本のいい話ばかりをする気はない。いい話ばかりをしたって、アルバイトをするようになれば嫌な思いもするだろうし、幻滅することもあるに違いない。ただ彼らがその中で誤解をしたり、一人で苦しむような思いをさせたくないと思っている。

 よく日本人は知日派と親日派を混同していることが多いけれど、現実には日本語ができて日本の事を外国に住んでいる他の外国人よりもよく知っているからと言って、必ずしも日本の事を良く思っているとは限らない。日本を知っているからこそ日本が嫌いになった外国人だって少なくはない。歪(いびつ)な海外研修員制度などで過酷な扱いを受け日本が嫌いになって国に帰る外国人も少なくはないはずだ。

 これから日本の社会は望むと望まざるとにかかわらず益々国際化していかざるを得ない。不都合なことを覆い隠して自分の国を良く見せようとするより、まず、知れば知るほど好きになるような国を作る努力をすることが大切だと思う。それが結局はぼくら自身も住みやすい社会を作ることにもつながると信じている。


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 *ぼくは今から約50年程前の1970年代、ドイツに人手不足を補うためガストアルバイター(Guest Worker、国際的出稼ぎ労働者)として大量のトルコ人、ユーゴスラビア人などの外国人が流入したときの社会の混乱を目の当たりにしています。

そのガストアルバイターのお陰もあってその時ドイツは大きく発展したのですが、その後の景気後退時にもドイツが一時的と考えていた外国人労働者のほとんどは国に帰らずドイツに居住する〇〇系ドイツ人となって現在に至っています。結局ドイツの社会はそれを受け入れました。

さらについ最近のメルケル政権によるコントロールの効かない難民(一部非難民も含めて)政策によってドイツの社会状況は一変してしまい、多くのドイツ人がそのことに自分たちの文化面や治安面でも不安を覚えると同時に、それがきっかけでAfD等の右寄りの勢力が勢いづいているという現実があります。

ぼくの浅薄な見方ですが、これらは明確なコンセプトや確たる見通しがないままに経済的実利だけを求めたり、政治的アピールをするために生じた結果でもあるような気がします。もちろんドイツは社会が多民族化、国際化することによって以前よりもずっと多様な価値観を持つ広い視野の国になったことも事実ですが、これからもそうあり続けるかは誰にもわからないと思います。

日本の社会は時代の流れとして今、望むと望まざるとにかかわらず確実に国際化しつつあるにもかかわらず、日本語教育や外国人労働者の労働条件等も含めて脆弱な国際化インフラのまま、さしたる議論もなく、なし崩し的に変化が起こっています。この変化には本来国民の理解とコンセンサスが不可欠と思っていますが、マスコミもジャーナリズムもそのことにあきれるくらい無関心であることに大きな疑問を感じています。



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夏 遠ざかる景色 [新隠居主義]

夏  遠ざかる景色


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 今年の夏の天候は全くおかしい。と、言ってもそんなことを言い出してからもう随分時がたっていると思うのだけど…。身内だけの内々のの一周忌が行われたのも台風が関東に近づいている昼頃だった。前日には法事の間天気が持つか危ぶまれたけれどなんとか持ちこたえたが、空は怪しい雲行きだった。

 母が亡くなってから一年。短いようで、しかし自分にもいろいろな事があって長いようでもあった。もう98歳だったから大往生には違いないのだけれど、長生きしたということはそれだけこちらも長い時間を一緒に過ごしたということなので、居ないということに慣れるのには時間がかかってもしょうがないような気がする。

 ぼくは大多数の日本人同様言わば名ばかりの仏教徒だけれども、葬儀や法事などの仏教の仏事には人生の別れに際して、残された者を少しづつ新しい状況に慣れさせてゆく知恵のようなものが隠されていると思うこともある。もちろん法外な戒名や宗派ごとの形式にとらわれすぎた面もあるのだけれど…。

 ただ嘆き悲しむだけでなく、故人との距離が少しづつ、少しづつ遠くなってゆく、できればその遠ざかる景色の中で楽しかったこと、嬉しかったことが多く浮かびあがってくるような遠ざかり方が出来ればそれが一番いい。今は母がやっていたように、朝起きるとまず仏壇にお茶と線香をあげ過去帳を今日の日付にめくって簡単にお祈りをする。

 母がやっていたようには般若心経を唱えることはできないけれど、その日過去帳に載っている人の名前が面識のある人であれば心の中でその顔を思い浮かべて拝むと、優しくしてもらった叔父の顔や叔母の顔と共にその時の景色や光景が脳裏をかすめる。一年経って今ではやっとそれが日課になってきた。

 父の命日ももうすぐで、両親とも夏が命日なのだけれども、これから毎年のように今年の夏はおかしいなぁ、と言い続けるのだろうかといらぬ先の心配までしている。


   ■ 湯上りの 母の坐しゐる 秋彼岸  (阪田昭風)


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猫たちの夏 [猫と暮らせば]

猫たちの夏

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 夏は大好きな季節だったけど、歳をとると年々暑さが身にこたえてくる。これは地球温暖化で酷暑になっていることもあるけど、それだけではなさそうだ。もうすぐ母の一周忌がくるけど、父の命日も九月の暑いさ中。人生の中のいろいろな出来事によって、その人にとっての季節の意味も変わってくるものだなぁと感じている。

 猫たちの夏も年々同じかと思ってよくみると、それも変わってきている。ハルが来てから二度目の夏になるけど、ハルは若いだけあってマイペースで一日を過ごしているが、他の二匹のレオモモはそろそろ老猫の範疇に入るということもあってかぼく同様夏が辛い季節になりつつあるみたいだ。

 チンチラのレオは長毛種だから夏が一番きつい。夏には下毛は薄くなるけどそれでも言ってみれば真夏でもコートを着ているようなものだから大変だ。以前トリミングをしているペットショップに聞いたらチンチラは暴れるので毛をカットするなら全身麻酔をかけてやるというのでびっくりした。それ以来かかりつけのペットクリニックの先生がトラ刈りでもよければ、という条件で夏になるとバッサリとバリカンで刈ってもらっている。

 今年も先日刈ってもらったのだけれど、刈っている間レオを押さえているぼくの手は噛みつかれたり、引っ掻かれたりで血だらけになるのもいつものことだ。ちょっとした毛玉は家にあるバリカンで取るのだけれど、それでも大変。大騒ぎして親指位の毛玉を取ることになる。レオはクーラーが嫌いだからクーラーの風の来ない廊下に出てアイスノンにもたれかかって寝ている。夏は一日二回アイスノンを替えるのがぼくの役目だ。

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 モモは去年の夏は暑い二階のぼくの書斎で頑張っていた。ぼくが外出した時などエアコンを入れないと日中は37度にもなる室内でも机の上で寝ていた。子猫だったハルに自分の居場所をとられないように頑張っていたのかもしれない。

 今年の夏はそれはもう諦めたのか、朝ご飯を食べるとさっさと比較的涼しい寝室にこもってベッドの上で寝ている。しかし、そこも午後には暑くなるのだけどそれでも出てこない。心配になって見に行くと眠っているんだか、倒れているんだかわからないのでアイスノンを枕にしてあげるか、一時間くらいクーラーを入れてあげることもある。それでも夕飯の時刻になるとちゃんと居間の方にやってきてご飯を食べているから大丈夫なようだ。

 モモだけは夏も冬も夜は一年中ぼくといっしょに寝ているんだけども、今年の夏は何故かぼくが寝たころそっと寝室から出て行ってどこか他で寝ている。ぼくが急に寝相が悪くなったか、いびきが大きくなったかとも思ったがどうもそういうことでもなさそうだ。何だか毎日猫に寝かしつけられているようで複雑な気分だ。


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 マイペースのハルは若いだけあって真夏でもよく動き回っている。その時自分の気に入った場所が見つかるとこてっと寝て、瞬間で深い眠りに落ちるみたいだ。猫なのだけれど、ハルを見ていると自分も若いころはこうだったんだろうなぁと変に自分に引き寄せて感じてしまう。

 そのハルが昨日の夜、疲れたなぁ、という感じで扇風機のところまでやってきて扇風機を枕に横になった。猫の夏バテか。いずれにしても地球温暖化でこれから夏は益々過酷なものになりそうだ。今年の夏もあともう少し、猫もヒトも頑張らねば。


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TANNOYの帰還 [新隠居主義]

TANNOYの帰還

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 いとこの遺品として彼の愛用していたスピーカーとアンプ等を引き受けることにしたのだけれど、肝心の自分の40数年聴いているTANNOYのスピーカーの方が少し前から特に低音が割れるようになっていた。調べてみるとスピーカーのエッジがヒビ割れてボロボロになっている。それも左右両方とも。

 考えてみれば20年くらい前、日本の夏の湿気でコーンがグズグズになってしまい止む無くイギリスに送って張り替えてもらったことがあるのだけれど、エッジの方は気にかけたことはないのだが、本当はそっちの方も気を使わなければならなかったのだ。エッジは人によっては10年くらいで劣化するという人もいるくらいだからコーン張り替えの時にメンテはしてあるとしても、それからでも20年間位は経っているわけだ。

 手頃な価格でエッジを交換してくれる業者が見つかったので丁寧に梱包して送り出した。修理期間は三週間くらいということだったが、きっちりその頃に出来上がって送り返されてきた。スピーカーの修理を機にスピーカー周りのコードの引き回しや、接続機器の整理そしてインシュレーターの根本的な改善など環境整備をすることにした。なんか40数年昔のオーディオに熱かった頃の事を思い出した。

 戻ってきたスピーカーのエッジは見違える程綺麗になっていた。お世話になった修理先の店長の話では将来またエッジが劣化した場合にも交換できるように修理してあるというので安心したけれど、そんなに長くこちらの聴く人間の命の方が持つかの方が心配なのだが…。仮接続して音を出してみただけでもう歴然と音が違う。環境を整えて本格稼働した時への期待が高まる。

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 結線はシンプルにかつ出来るところは全てバナナプラグに変える事で接点劣化のメンテナンスやチェックがやりやすいようにした。接続機器はVTR等のレガシーメディアは外して、CDとDVD、それにTVチューナーだけにした。その代わりバナナプラグ接続型のアンプ/スピーカーのセレクターを間にかまして2アンプX2スピーカーの4通りの組合せの音が出せるようにした。


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 TANNOYレクタンギュラーヨークはスピーカーボックスの下が袴を履いた状態になっているので底面が直接床に触れないようになっており以前は簡単なそれ用のゴムでできたインシュレーターを使っていたが、今回は硬い黒檀材のスパイクとさくら材の受け皿がセットになったインシュレーターを四隅に置きその上に硬質の合板ボードをのせて、その上にスピーカーを設置するようにした。

 二日にわたった作業を終えて音を出してみると今までとの違いに驚いた。一つは長い時間かけてエッジが劣化してきたためか、聴く方の人間の耳もそれに慣らされて劣化に気づきにくくなっていたのだろう、それがこうしていきなり復調してくるとその違いに驚く。また、これはインシュレーターのお陰もあると思うのだけど、特に低音のキレが素晴らしく良くなったように思う。これから音楽を聴く時間がふえそうだ。


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*今回使ったインシュレーターは下の写真のようにスパイクと受け皿がセットになったもので、スパイクのとがった点でスピーカーボックスを支えるようになっています。つまり40キロ以上のスピーカーボックスを4つの点で支えているわけで昔はこういうタイプのインシュレーターはなかったので、ずいぶん変わったなぁと驚いています。

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断捨離 家族の肖像 [下町の時間]

断捨離 家族の肖像


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 断捨離の中でも何とも難しいのがアルバムなど写真の扱いで、写真の中には自分で撮ったものだけではなくて、人の結婚式の写真や両親の時代の写真など量としても結構な量になる。

 

 生前、認知症になって記憶の薄れていったに見せてあげるために昔の写真を整理して主なものをスキャナーで取り込んでiPadに入れてそれを見せたりもしていたのだけれど、それでもまだ膨大な写真が残っている。

 

 ここのところ自分の断捨離も兼ねて母の遺品を整理していて今まで見た覚えがない写真が出てきた。撮られたのは昭和十年前後と思われるので、今から八十年位昔の写真だと思われる。写っているのは母の実家で撮られた家族の写真で、この写真はもしかしたらぼくも昔見たのかもしれないけれど記憶にはなかった。

 

 後ろに立っているのが母で、両端に座っているのが祖父と祖母だ。祖母は若い頃は評判の美人だったと母からよく聞かされていたが、そんな面影が残っている。ぼくが物心ついた時にはもうおばあさんという感じだったから、新鮮な感じがする。

 

 祖父もまだ壮年の容姿で、厳格な昔の日本の家長という感じだ。写真には女の子が三人、男の子が三人写っているが、この後さらに一番下の男の子が生まれているので一番上の長女とは20歳以上の開きがあることになる。

 

 この写真は千住のアサヒ写真館のK.Ishiiというシグネチャーの入った台紙に貼られているから写真屋を自宅に呼んで撮ってもらったものと思われる。よく見るといくつか面白いことに気がつく。子供達の真ん中に子犬が座卓に手をついているのが写っている。

 

 ぼくの家でもぼくが子供の頃から犬を飼っていたけれど、その頃は当然のように外で飼っており、ぼくの近所や友達の家でも座敷で犬を飼っている家はしらなかった。それを考えると八十年も前に座敷で犬を飼っていたのは当時としても珍しいのではないか。

 

 それともう一点は、いわばプロの写真屋が撮った写真なのだけれど真ん中に写っている男の子の顔が座卓の上に置かれた花で顔半分が隠れてしまって見えなくなっている。この男の子は長男で後年ばくもずいぶん可愛がってもらった叔父なのだけれど、その叔父の顔には隠したいものなどはなかったから、とても不可解だ。そう思うと、座卓の上の花瓶がなんとも不自然に思える。その時だけ叔父の顔に何かできものでもできていたのかもしれない。

 

 床の間に松らしきものが飾られていることをみると、正月に撮られたと思われるが、その時の幸せそうな家族の肖像と言えるかもしれない。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではないけれど、ぼくはその後ここに写っている人物がどんな道をたどったか概略を知ってしまっているので、この写真を見ると複雑な気持ちになる。

 

 母は98歳の天寿を全うしたけれど、この写真の中の二人は若くして夭折しているし、祖父母も後年一番下の男の子が生まれた後に離婚している。祖父が外に愛人を作りそちらにも子供ができたのが原因らしい。祖父母は昔としては珍しく恋愛結婚だったらしいが、最後まで添い遂げることは出来なかった。それらのことごとを思うとこの写真は幸福な形でのこの家族の最後の「家族の肖像」だったような気がする。

 

 

 

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*祖母の実家は昔はタバコ栽培を行っていた裕福な農家だったらしく、祖母の代には凋落しかけていたらしいのですが、祖父はそこに跡取り婿として婿入りしたらしいです。しかし、婿の立場が息苦しかったのか、続けて三人できた子供が皆女の子で跡取りが生まれないこともあってか、ある年祖父母は祖母の実家から籍を抜いて一家で東京に出てきたようです。

 その後、祖父は幸い東京都に職を得てその後男の子も生まれました。この写真は東京に来て関東大震災にあいながらも、東京で生活基盤を築いた時代に撮られたものでしょう。一方、祖母の実家の父、つまりぼくの曾祖父は東京に出て行った娘を気遣ってか、ある年の暮れ娘一家に正月に旨いものを食べさせてやろうと田舎でとれた農産物をリヤカーに積んで早朝まだ暗いうちに茨木の家をでたのですが、曾祖父が東京に着くことはありませんでした。

 東京へ向かう途中で心臓麻痺かなにかに襲われたのか竹藪の中で亡くなっているのが発見されたということでした。これも母から聞かされた話で、母の過去帳にはそういうことで曾祖父の命日は大晦日になっています。一枚の写真は色々なことを語ってくれます。

 


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街の夕焼け [新隠居主義]

街の夕焼け

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 「ねぇ、外見てごらんなさいよ。すごいわよ」
カミさんが夕餉の支度をしながらぼくに言った。テラスの窓越しに西の空を見上げると、ほんとに燃えているような空。オレンジと赤紫と黄色が複雑に入り混じって炎の色を再現していた。

 「ほー、すごいな」といってぼくはスマホを持って家の前の通りにでた。とても不思議な感覚で、普段の何の変哲もない通りがまるで違う場所のように見えている。暫くして目の前を猫がのっそりと横切ってゆくことで、いつもと同じ場所なのだと気づかされる。でも、その猫もその後じっと空を見上げていた。

 そういえば、ここに今の街並みが建つまではウチの西側の窓からはずっとずっと先の空まで見渡せて、夏の夕刻窓辺にウチの猫が座ってじっと夕焼けを見つめていたことがあったのを思い出した。それから時がたって西の空が大分小さくなってしまったので夕焼けにもぼくの目がいかなくなっていたのだろう。今日の夕焼けは西の空がぼくの視界の中にまだあることを思い出させてくれた。


  ■ 雨晴れし 空の果てまで 夕焼くる (能美丹詠)



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 *リヒャルト・シュトラウス晩年(84歳)の作の歌曲Vier letzte Lieder(4つの最後の歌)の最後の一曲が日本語では「夕映えのなかで」と訳されることが多いようですが、原題のIm Abendrotを直訳すれば「夕焼けの中で」ということになります。

 ドイツの詩人アイヒェンドルフの詩に曲を付けたものですが、人生の最後に安寧の境地にたどり着き、夕焼けの中に死を感じるというような内容です。ジェシー・ノーマンをはじめシュワルツコップやヤノヴィッツなどの歌唱がYoutubeでも見られますので、よろしければ、ご一聴を。とても心にしみる曲です。



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寄る年波 [新隠居主義]

寄る年波


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 歳とれば金は無くなる、身体は弱る、増える別れに、減る出会い。と言ったことが身に染みる今日この頃だが、そうぼやきつつも何とか今日を乗り切らねばならない。先日趣味も同じで、同い年で仲の良かった近所のいとこが急逝し少し遺品整理を手伝っているのだけれど、その中で彼がここずっと愛用して聴いていたオーディオ装置を引き受けることにした。

 どちらかと言えば、ぼくの方も断捨離の段階でひと様の物まで引き受ける状態ではないのだけれど、遺族は音楽に全く興味が無いといっても彼の愛機をいきなり処分するのも何か忍びない気がした。彼の倅の力を借りて機材を何とか車に積み込み自宅に持ってきたけれど、それらを二階の自室にあげるのが一苦労。入院、手術前までにそこまではやったのだが機材が部屋に山積みのまま入院。

 退院してもまだ鼻には綿球が入っており、力んだりすると頻繁に出血する。ちょっとだけ今の装置の後ろを覗いてみようと機材を動かしたら、下のように手術直後のぼくみたいなスパゲッティ状態で見ただけで頭が痛くなった。これはセレクターでレガシーのVTRや8ミリVTRやレーザーディスクに加えて新たにDVDやAppleTVなど多くのデバイスを繋いだ結果。これをシンプルにしてスペースを空け、新たな機材を加えるのだけれど、口で言うのはたやすいが「力も根気も」ないととっかかれない感じ。


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 自分の中では体調が復調したらすぐにとりかかろうと心づもりはしていたのだけれど、でも、ちょっとだけ、と思って先日少し手を付けたら鼻血+腰痛で断念。なんてったって鼻に綿球が入っているから少し動いただけでも息切れがする。それで一日一作業と決めて少しづつ変えてやっとなんとか形になった。結局復調してからというのは、考えてみればそんなに待てるわけはなかったんだけど…。

 新たなフォーメーションはスピーカー+アンプの組み合わせで左側のぼくが使っていたTANNOYレクタンギュラーヨーク+DENNONの系統と右側に配置した彼のBowers & Wilkins(B&W)+Marantzという組み合わせになった。彼もぼくもイギリスのスピーカーが好きで、ぼくもそれまでは色々試してみたが今のTANNOYにしてからは同じスピーカーを45年も使い続けている。


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 とまぁ、外見は整ったのだけれど、一つ心配があった。それはTANNOYの低音が曲によってはビビることが多くなってきたことで、45年使い続けているいわば寄る年波のスピーカーなのでコーンかエッジが破損している可能性があったのだ。懐中電灯でサランの上からスピーカーを覗いてみたら案の定エッジが劣化して割れている。しかも左右両方とも。

 コーンは20年位前一度湿気でダメになってしまったことがあってその時本社に送り張り替えてもらっておりその時エッジも交換しているはず、しかしエッジは人によっては10年位しかもたないという人もいるくらいだ。決心して棺桶と異名をとる45キロ近くあるスピーカーボックスを腰を気遣い、鼻血がでないか心配しつつ久しぶりに開けると、布団にくるまれた38センチ同軸2wayのスピーカーが横たわっている。慎重にビスを外して正面から顔を見ると、見事にエッジがボロボロに破損してさらにカビのようなポツポツが無数に発生している。こりゃダメだ。

 ネットで探すと修理をしてくれる業者が数社あって、中にはこのスピーカーのように古いビンテージ型番のものをエンクロージャー(box)を含めて新品のようにフルレストアしてくれるところもあるのだけれど、片側42キロもあるボックスを2台輸送するだけでも目の球が飛び出るような金額になりそうだ。ぼくの場合自分の歳から言ってあと何年聴き続けるかということもあるし、彼同様音楽に興味のある身内ももういないので、金もないしそんなにコストをかけるわけにもいかない。

 幸い手ごろな価格でスピーカーを宅配便で送って修理してくれる会社があったので、そこにお願いするとこにした。ぼくもスピーカーもお互い寄る年波でいろいろとメンテが必要な時期だ。ぼくが入院して手術を受けたみたいに、スピーカーもひと月ほど入院して手術、元気な姿で戻ってきてほしい。昔の響きを携えて…。


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アレクサ、猫出してください [猫と暮らせば]

アレクサ、猫出してください

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 どこの猫でもそうだと思うけれど、猫は無類の箱好きだ。通販などの宅配便が来ると、受け取って玄関のドアを閉めるなりよってくる。お目当てはもちろん中身よりも、その箱。箱の中でもAmazonの小ぶりなものが何点か入ってくる小さめの箱がお気に入りのようだ。

 大きな箱だと暫くは遊んでいるのだけれどそのうち飽きてほったらかしになってしまう。こちらも邪魔だからすぐに片付けるのだけれど、この小さめの箱は入り心地が良いらしく中々手放さない。特にアメショーのハルが気に入っていて一日に何回も入っている。

 随分と時間もたって箱も少しくたびれてきたので、翌日の朝の燃えるゴミの日に捨てようと思い夜廊下に出しておいた。夜中にトレイに起きたらその箱の中に猫が寝ている。それもハルではなくてレオが寝ているのだ。真夜中の廊下でなんか家庭内捨て猫みたいな雰囲気が漂っている。もう一日様子を見ようということでそのままにしておいたら、翌日の夜中は今度はハルが寝ている。ということで、今その箱はもとあった居間に戻されている。



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 Amazonと言えば最近テレビでスマートスピーカー「アレクサ」のCMを大々的に流している。アレクサと呼びかけて指示をだすと、メールを出してくれたり、ニュースを読んでくれたり、音楽をかけてくれたり、電気をつけてくれたりと色々なことをしてくれる。カミさんもそうだけど、年配の人には何のことだか分からないかもしれないが、インパクトのあるCMだと思う。もっとも、ぼくはちょっとわざとらしいあのシーンが好きではないし、そんなこと自分でやれよ、と言いたいのだけれど…。

 先日、近所に住む姪が子供を連れて遊びに来た。姪の子は4歳のいたずら盛りの男の子でしかも猫好き。家に入るや否や猫を探し回る。こういう時は猫たちはとりあえずどこかに身を隠して様子を伺う。大丈夫そうだったりお腹がすいていたりすると、最初に姿を現すのはレオなのだ。その日も暫くするとレオが姿を見せた。

 姪の子はウチに猫が三匹いるのを知っているから他の猫も探し始めた。その内二階に隠れているかもしれないと、彼は二階に上がっていった。それでも中々猫は出てこないのか二階から大声が聞こえてくる。猫の名前を呼んでいるのかと思って二階に上がっていくと…。彼が天井に向かって「アレクサ、猫出してください」「アレクサ、猫出してください」と叫んでいる。

 姪のところにはアレクサはないと思うのだけれど、テレビで観ているのだろう、彼にはアレクサがあのアラジンの魔法のランプみたいに自分の言うことを聞いてくれる存在に見えているのかもしれない。さらによく聞いてみると「アレクサ」ではなく「アレックさん」と言っているみたいで「アレックさん、猫出してください」と言っているようだ。つまり部屋のどこかにアレックさんがいて、呼びかけると自分の願いを叶えてくれる、みたいな…。いやはや、大変な時代になってきたぞ。

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 *「アレクサ」のようなネットワーク技術とAI技術を駆使した製品はこれからも色々と登場しそうです。また、高齢社会をサポートする有効な機能にもなりえるし、時代の大きな流れではあるとは思うのですが…。しかし、このタイプのスマートスピーカーは「盗聴」ではないものの、常時家庭内の会話がモニターされてることには変わりがないような気がします。

 アレクサの利用規約にも機能向上、開発に音声録音を役立てるために使用する規定があり、その機能を無効にすることもできますが、その場合は「新機能がうまく機能しない可能性があります」とうたってあり、事実上は黙認せざるを得ない仕組みになっています。

 アメリカの企業が信頼に足るかどうかはさておき、これらの機能がチェック体制が甘い強権的な体制、政権などに利用されたらと思うと、背筋が寒くなる思いがするのはぼくだけでしょうか。唯一の安息の場である家庭の中にもそういうものが入り込み、顔認証などの技術とも相まって、本当に逃げ場のない社会が作り上げられてゆくような恐怖感を覚えます。



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病院のET [新隠居主義]

病院のET

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 病院のベッドの上で目を覚ましたけれど思うように身動きが取れない。頭はまだ殆ど回ってはいなかったけれど、手術が終わって自分の病室に戻ってきたのだけはかろうじて了解ができた。

 顔には酸素マスク、右手には点滴の管とバイタルサインのセンサーそれに血圧計のベルトが付いている。胸には心拍数をはじめいろんなデータをとるためだろう何カ所かにパッドが貼られてそこから何本ものコードが伸びている。両脚には血栓を防止するためのポンプが巻き付けられていて一定間隔でエアーが送り込まれている。

 下半身には尿を排出するためのカテーテルが挿入されているためか、少し不快な違和感と身動きが取れない拘束感がある。うす暗い病室にはベッドのそばに置かれた心電図モニターのピッピッという絶え間ない音と足元の血栓防止ポンプのシューッ、シューッという音が一定間隔で鳴っている。

 いわゆるスパゲッティー状態と言おうか、生きているというより生かされている、そう映画のブレードランナーやマトリックスで観たような感じのなんとも未来的で無機質な舞台装置の一部になったような気分だ。と言ってもこんな状況はこれが初めてではない。十数年前に集中治療室で同じような状況に置かれてから今度で4回目の経験だが、慣れるものではない。こんな経験はしないに越したことはない。

 右手の人差し指の先に付けられたセンサーのピンク色のライトが暗い部屋の中でいやに美しく見えて、ちょっとETのあの感動的なシーンみたいで素敵だなぁと思った。その写真を撮ろうと思ってかろうじて動く左手で枕もとをまさぐってスマホを探り当てて一枚撮った。その後で看護師に痛み止めを点滴に入れてもらって、そのまままた深い眠りにおちた。


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 嗅覚を取り戻すことも大事だけど、嗅覚神経近くのポリプをちゃんと除去して悪性化するリスクに対処した方が良いと医師に勧められたのは、ずっと長いこと通っていた病院から今の病院に転院してから一年近く経った時だった。医師の言葉のその「ちゃんと」というところが気になったのだけれど、要は今までの二回の手術が巧くなかったのだとその医師はストレートに言ってのけた。

 そんなこと言われてもなぁ、こちらは素人だからわからないし、ただ一回目の手術では「出血が多く」取り切れなかった、二回目の違う医師による手術では「再発するかもしれない」というコメントが気にはなっていたけれど、今後どうしたらよいという話は全くなかった。今回でけりが付くという自信は無かったけれど、三度目の正直という言葉もあるので今の医師に賭けてみることにした。

 やはり難しい部位だったらしく、今回の手術は結局6時間もかかる大手術になってしまったが医師はきれいに取れたと言っている。まだ鼻の中には止血のためのシリコンが入っているし、顔は腫れあがってパンパンになっている。手術の前に髭を剃って来いと言われたので、髭もない腫れた顔は鏡で見るとまるでアンパンマンみたいだ。とりあえずこの件は今回のこれで決着がつくといいのだけれど…。



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日本語 食べ物カルタ [にほんご]

日本語 食べ物カルタ


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 日本語学校で週に一度、留学生たちの日本語学習のサポート活動を始めて15年以上になるのだけど、最初は片言の日本語しか話せなかった若者達が卒業間際には自分の国の文化の話や人生の話まで語り合えるようになるのを見ると何とも言えない喜びを感じる。

 とは言え、最初の初級の段階では意思の疎通もままならずお互い歯がゆい思いをすることも多い。そこら辺についても長いこと苦労しているのだが、今までの経験からすると食べ物の話が比較的入りやすい気がする。最近は日本食への関心も高いし、何といっても日本で暮らし始めたその日から何を食べるかという問題は付いて回るのだ。

 今はネットがあるから学生たちは寿司や天ぷらなどの伝統的和食だけでなくたこ焼きとかお好み焼きなんかも結構知っている。そうは言っても初級では中々言葉で表現したり、説明を理解したりするのも難しい。今まではiPadに写真を入れて話の端々に見せていたのだが、この間の連休中に「食べ物カルタ」なるものを考えて作ってみた。

 日本人が良く食べる料理やお菓子など100種類のカードを作って、表にはその写真、裏にはその名称を平仮名と漢字などで表示し、場合によっては関連する単語などを載せた。料理は日本料理とは限らない、ハンバーグや餃子など留学生が街で目にするようなものについても入れることにした。


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 100枚のカードは30枚くらいの初級(青)・中級(黄)・上級(赤)の3つのグループにぼくが勝手に分けてみた。例えば初級なら「ごはん」「そば」「ラーメン」「すし」など基本的なものが入っており、中級になると「肉じゃが」「冷奴」「稲荷ずし」などもう一つひねったもの、そして上級になると「握り寿司のネタ(こはだ等)や「精進料理」「懐石料理」「ふぐ刺し」(ぼくも一度しか食べたことはないけど…)など外国人にはかなりマニアックなものが入ってくる。

 遊び方については、カルタをとるのは留学生で、カルタ取りの読み手は日本語母語話者か比較的上級の日本語学習者がよいと思っている。いっぺんに100枚を広げてはやりにくいので人数にもよるが30枚くらいのランク別にやっていった方が良いと思っている。例えば読み手が自分で目視でカードを確認して「さしみ」と言ったら、学生がその写真のカードをとればオーケーだが、誰も分からず取れなかった時には、読み手が「魚です」とか「丸い黒いお皿に乗ってます」などのヒントを出してゆく。これはヒヤリングの練習になるし、日本語学習の上級者がやれば、ものの外観を日本語で説明する練習にもなる。


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 最終的にはiPadに連動して入れてある大きな写真で確認するようにする。ある程度料理の名前を覚えたら今度はカードの文字面を表にして、iPadで写真を見せてカードを取るようにすれば迅速な文字認識の練習にもなると思う。もちろんこれは日本語の練習でもあるのだけれど、それが主眼ではなくて食べ物の話題をきっかけに日本語でのコミュニケーションを行って、初級の学生にも日本語でのコミュニケーションができる実感を持ってもらうのが眼目なので、途中で盛り上がって話が他の方に行っても、それはそれで大歓迎なのだ。

 最近は留学生の出身国の範囲も広がってイスラム文化圏やヒンドゥーなど宗教的理由で食材が制限されている留学生も増えている。日本ではまだ「ハラル認証」などの食品は普及しておらずぼくの知っている留学生は自炊ですべてまかなっていた。国によって戒律の厳しさは差があるらしいけどやはり食材の由来はとても気になるらしく、以前「かまぼこ」はソーセージだから食べないと言っていた学生がいて、材料は全部魚だと言ったら驚いていたことがあった。彼らに対しても遊びの中でそれとなく日本の食べ物の食材についても知ってもらえればありがたいとも思っている。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~

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 ■ 猫は頭が良いのだ。猫を躾けることなどできないと、人間に確信させてしまったのだから。(ワレン・エクシュタイン)
  I believe that cats are so smart, they've convinced people that they can't be trained. (Warren Eckstein)


 子供の時から犬も猫も飼ったことがことがあるけど、その付き合い方はずいぶん違うような気がする。ぼくの感じだと「猫は生まれたときから猫」だが「犬は育てられて犬になる」ような感じがしている。猫は最初から自律的な存在で、今まで飼った猫も今いる猫もウチに来た日から自分でトイレに入って始末するし、餌もお腹が一杯になればやめて犬のようにお腹がパンパンになるまで食べるということはない。

 それに対して犬はトイレもそうだけど人間と暮らしていくうえでいろいろと教えなければいけないことが多い、それで「躾ける」という発想が生まれてくるのだと思う。それはどちらが賢いとかいう問題ではなくて彼らが人間と出会う前に長い間続けてきた暮らし方に起因する。つまり、猫は森の中で一匹で狩りをして暮らしていたのに対して、犬は草原で集団で狩りをする暮らしを営んでいたからだろうと思う。

 いわば犬は「社会的動物」であるのに対し、猫は「個」の動物と言えるかもしれない。もちろん猫にだって猫同士の挨拶があったり、ウチのように多頭飼いしていれば猫社会的な雰囲気はでてくるのだけれど、基本はあくまでも「個」であることに変わりはない。福島の原発事故によって立ち入り禁止区域になってしまった土地に残されたペットの行動を見ても、猫は野良猫として一匹でも暮らしていけるが、犬は集団で野犬化し時には狂暴になることもあるらしい。

 そんな彼らが人間と暮らし始めるようになって、犬は人間の社会と一体になることによって生活が安定して営めるし、社会的行動を行いたいという彼等の欲求も満たされることに気がついたのだろうが、一方猫の方は人間に合わせるというよりは、自分の自由を確保できる範囲で人間と付き合っていこう、もしくは付き合ってやろうということにしたのだと思う。そのさい猫が学んだのは、人間は比較的よく言うことを聞く動物で、躾ければ十分役に立つということだと思う。


 ■ ネコのトレーニングは難しいと聞いていた。そんなことはない。我が家のネコは僕を2日でトレーニングした。(ビル・ダナ)
 I had been told that the training procedure with cats was difficult. It's not. Mine had me trained in two days.(Bill Dana )



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 *とまぁ、ペットの時代になった今だから上のような言葉の遊びもできますが、猫は中世ヨーロッパで味わったような人間に対する恐怖心もどこかに持っているのではないかと…。中世ヨーロッパでは猫は魔女の使いとしてしいたげられていた時代もありますし、日本でも三味線の皮を得るための猫さらいも横行したとか。




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Déjà-vu No.13 島情け [Déjà-vu]

Déjà-vu No.13  島情け


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 「今度は、夏においでよ、海の色が違うからさ~」
 「そうだね、一度夏に来てみようかな」

 と、宿の女将と毎回同じような会話がなされるのだけれど、いまだに島には夏行ったことがない。大抵は冬か春先。春先なら本土で花粉がとび始まる頃までか。板を小脇に抱えた若者でごった返す夏の海岸は苦手だし、そんなところにいても身の置きどころがない。

 ぼくが島ですることと言えば、散歩と読書とそれに昼寝と島の話を肴に飲む酒くらいか。朝昼夕と散歩して、その間は昼寝して昼飯は島で一軒しかやっていない食堂でタコライスなぞを食べる。ぼくのような、たまに来る余所者からすれば天国みたいなところだけれど、島には地獄のような時代もあった。

 宿の後ろの家のおばさんは隣の島の出身で集団自決の生き残りでもある。隣の島にはぼくも大好きな長く美しい海岸線をもつビーチがあるのだけれど、そこには昔集落があったのだが、海流の関係か子供の溺れる事故が多発して結局集落は他に移っていったという。美しいけれど、恐ろしいものが島にはたくさんあるのだ。

 もちろん、都会では見られないようないいこともたくさんある。今でも春になると島で見たある光景をよく思い出す。その年は春先に島に滞在していたんだと思う。いつものように散歩をして帰り道に一休みしようと港にも寄ってみた。港には町内連絡船が停泊していたので、ぼくはベンチに腰掛けて乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしなどをぼんやりと見つめていた。

 その時、突然頭上から歌声が聞こえてきた。その歌声は後ろの待合所の二階のバルコニーから聞こえてくる。振り向くとそこには三人の少女が立っていて、ちょっと恥ずかしそうにでも背筋を伸ばして歌っている。そうか春の異動の時期なのできっと先生が転勤で島を後にするということなのかもしれない。彼女たちは歌で先生を送り出しているのだろう。

 島の住民は全部で250人位で、島には小中学校が一緒になった学校がある。そこの先生かもしれないし、もしかしたら近年橋で繋がった隣の小さな島の学校の先生かもしれない。隣の島の住民は80人くらいだけれどやはり小中学校がある。歌は町内連絡船が出港するまで続いていた。

 東京の下町の喧騒の中で育ったぼくにとっては、なんか目の前で今起きている光景は別の世界での出来事のように映っていた。しかし、それも彼らにとっては日常の光景には違いないのだろう。世界のいたるところで、それぞれの日常が動いているという、ごくごく当たり前のことが深くぼくの心に浸み込んだ瞬間だった。

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美しき逃げ道 [新隠居主義]

美しき逃げ道

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 なんか段々と世の中が、つまり日本だけでなくて世界中が騒がしいというか、嫌な方向にどんどんとのめりこんで行くようで心が落ち着かない。歴史の転回点と言おうか、歯車と言おうかこういう時期ってあるもんなのだなぁ、とつくづく思ったりしている。「世界は今複雑骨折をおこしている」と表現した評論家がいるが言いえて妙だ。

 世界が大きく変わるといえば、もう50年近く昔になるけどその年のメーデーにぼくはモスクワの赤の広場に立っていた。ぼくは学生で社会主義者でもなかったし、ソ連(ソビエト連邦…もう、こういう注釈を付けねばならない時代なんだなぁ)については五木寛之の小説「さらばモスクワ愚連隊」を読んだくらいで、当時のソ連に何の幻想も抱いてはいなかったけど、この強大な帝国が数十年後にあっという間に瓦解してゆくなどは想像することすらできなかった。

 テレビなどでニュースを見ていると心がざわざわして、かといって自分にとってできることは少ないので余計にストレスが強まる。目をそらしてはいけないのだろうけど、一方で老い先短い老体としては心の安寧も欲しいなんて思っている。そんな時思い出すのが、以前このブログでも書いたシュバイツァー博士の言葉だ。

 ■ 人生の苦悩から逃れる手立ては二つある。音楽と猫だ。
    „Es gibt zwei Möglichkeiten, vor dem Elend des Lebens zu flüchten: Musik und Katzen.“   (There are two means of refuge from the miseries of life:music and cats.)  ~Albert Schweitzer~

 心にしみるという点では、今のぼくにとっては音楽とそして。どれもそれに包まれた時間そのものを美しくそして価値あるものへと変換してくれる不思議な力を持っている。もちろんそれがただの逃げ道になってはいけないのだろうし、シュバイツァー博士にとってそうだったように、それがどこかで明日へ立ち向かう力の源泉のようになるはずのものであってほしい。ぼくもこれらの美しいものから力を貰って、また明日から自分のリハビリをはじめとして、各国からの留学生のサポートなど今、自分に出来ることを精一杯やっていきたい。



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 *上の二枚の写真もスマホで撮りましたが、最近のスマホの写真は大分優れものになってきていて、そこそこの大きさまでなら空気感も感じられて…。ここのところ中々気力がでなくて、街にもちゃんとしたカメラを持って出られないなどスマホ頼りになっていたんですが、また少しづつ愛機を持ち出したいと思っています。
 

 **逃げ道といえば19世紀の初頭から中頃までの30年余りの短い期間、反動的政治にうんざりして心の中の逃げ道をさまようような時代がありました。

 ウィーンやベルリンを中心としたそのビーダーマイヤー時代(Biedermeier)と呼ばれる戦争と革命に挟まれた時代の中では家庭回帰、日常回帰そして小市民的な文化が生まれましたが、後世からは「つまらない時代」と見なされていました。

 確かに絵画は凡庸な感じがするし、題材も情熱的とは言えない日常的なシーンにあふれています。しかし、その中ではカフェ文化が生まれビーダーマイヤー様式と呼ばれる家具や食器などが生まれています。それらは今までの装飾的なデザインから脱却したシンブルなデザインを基調とするモダン・デザインの源流の一つとなっています。そういう意味ではビーダーマイアー文化は単なる逃げ道の文化ではないと思っていますが。

 ぼく自身が凡庸で日常生活の些末なことに目が向くタイプなので、この時代に何となくシンパシーを感じていますが、ここのところ少しづつビーダーマイヤー時代が文化的に評価されてきているような気もして嬉しいです。転換の契機が反動からの逃げ道であっても、それによって今まで気づかなかったような美の新しい面を掘り起こしたというのは、それはそれで評価されていいと思うのですが。

 
  [about Biedermeier]
ビーダーマイヤー現象
静謐と熱情と ~German Trip 2~
つまらない時代 ~ウィーン~



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花と猫と青空 [猫と暮らせば]

花と猫と青空

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 家の出窓の外に植わっている花海棠(はなかいどう)の花が満開になった。昔、母を連れて近くの植木の町安行(あんぎょう)に行ったとき苗木を買ってきて植えたものだ。植木屋は八重桜のようなきれいな花が咲きますよと言っていたけど、植えてから数年はさほど咲かないで良くは覚えていないけど木が大きくなった数年前から春になると見事な花をつけるようになった。

 咲く時期はソメイヨシノの桜が散ったころ、八重桜と同じころ咲くので通りすがりの人は八重桜かと思っている人もいるかもしれない。花海棠は海棠の一種で元々は実海棠が中国から渡ってきたらしい。リンゴの木の親戚筋にあたる木で、リンゴ園ではリンゴの木の授粉用に植えられている場合もあるようだ。花海棠に実がなることもあって、それも食べられるらしいけど、ウチの木に実がなったのを見たことはまだない。

 去年の春、猫のハルがウチに来たばかりの頃この花海棠が咲いたのを「わ~咲いたね」という感じで身を乗り出して見ていたのが印象的だった。(下の写真) ハルの身体もその時と比べるとずいぶんと大きくなったけど性格は子猫のままだ。今年も花海棠が咲くと不思議そうに出窓に座ってみている。時々鳥たちがやってくるのも面白いのかもしれない。

 ウチの出窓には網戸が付けられているので陽のさす加減で花が良く見えないこともあるけど、網戸がまるでシルクスクリーンのようになってかえって絵のような効果を生むのでぼくは好きだ。出窓の猫とスクリーン越しに見える花と青空、ぼくの好きなものが一つの画面に収まって見ていても心が和む。実は昨日大学病院に行ったら、三度目の嗅覚の手術を勧められて気落ちしていたのだけれど、何だか少し心が落ち着いた感じがする。


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桜咲く [gillman*s park]

桜咲く

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 さまざまの事 おもひ出す 櫻かな (松尾芭蕉)

 日本人は桜を見るとなぜか感慨深くなるようだ。ぼくもその例外ではない。満開の桜を見たときいつも心に浮かぶのは西行法師の「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」という歌と、この松尾芭蕉の「さまざまの事 おもひ出す 櫻かな」という句だ。特に芭蕉の句は俳聖らしくないと言えるほど、直截に感慨を述べているところが逆に気に入っている。

  芭蕉は元は下級武士で伊賀上野で侍大将の藤堂良忠に仕えていた。その良忠が25歳という若さで急逝した。その時芭蕉は23歳。それがきっかけかどうかはわからないが、芭蕉は藩も武士の身分も捨て俳諧になった。その芭蕉が二十数年後に故郷伊賀上野を訪れた際にこの句を詠んだと言われている。芭蕉は藤堂家の花見の席によばれ、そこでこの句を詠んだらしいのだが、藤堂家は以前仕えていた良忠の息子の藤堂良長が当主になっていた。芭蕉は既に四十歳半ば、万感の思いだったのではないか。

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 桜が咲くと若いころはただ浮かれていたけど、歳をとってくるとそういう気分ばかりではない。もちろん心が華やぐのは以前と変わりないのだけれど、桜が長い間に自分の中で巡りくる季節のひとつの象徴のようになっていることに気が付く。あと何回この桜が見られるかな。そんな言葉が頭の後ろでささやかれているのを感じる。そして桜はあっという間に過ぎてゆく「時」の象徴にもなってゆく。

 結婚三十年を記念してこの公園に桜の苗木を植えたのは2006年のことだった。背丈よりも幾分か高い、か細い枝の何となく頼りなさそうな若木だった。その若木が今では春になると見事な花を咲かせその下でお花見ができるほどの立派な桜に育った。昨日もその桜の木の下でお花見をしたのだけれど、時折吹く強い風が寒いくらいに感じられた。強い風に花をつけた桜の枝が大きく揺さぶられていたけれど、しっかりと根をはった桜の木はもう若木の時のように木全体が揺れ動くことはない。

 今年の桜は比較的花の持ちが良い。開花してから暫く肌寒い日が続いたのが幸いしたのか。それでも、まぁ桜はいつものように駆け足で去ってゆくことに変わりはない。桜が駆け抜けていった後の気分をぼくは勝手にサクラ・メランコリーと名付けているんだけども、救いといえばその後に今度はまぶしいような緑の季節がやってくることだ。それを目にすると、また明日からやってくる新たな「さまざまの事」に立ち向かおうという元気が戻ってくるような気がする。



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 *今いろいろなところで、かつて一斉に植えられたソメイヨシノがその寿命を迎え問題になっているようです。と言ってもソメイヨシノの寿命が本当に人間の寿命と同じくらいなのか、それは恐らくソメイヨシノの木が全ていわばクローン的存在であるところからきているようですが、まだ新しい品種なので本当のところは判らないようでもあります。

 一般的には植物自体にはそんなに明確な寿命というものはないみたいなので、ほかの品種の桜の古木のように千年桜にならないとも言えないのでは…。

 公園の桜に目を取られていましたが、丘の裏側には艶やかなツバキの花がまだしっかりと咲き乱れていました。それはまた桜とは違った感慨を与えてくれました。

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< Ansicht 05 SAKURA Chronicle >

咲いたね/2018
月に叢雲、花に風/2016
Sakura Melancholy/2015
さくら時計/2015
感性の復讐/2013
約束の花Sakura/2013
死ぬなら今だ/2010
花冷え/2010
さくら散る頃/2008
桜吹雪 移動祝祭日のように/2008
さくら さくら/2008
薄墨色の桜/2007
桜散る/2006
桜吹雪/2006
病院の桜/2006
夕暮れの桜/2006


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猫の気持ち [猫と暮らせば]

猫の気持ち

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 一般に飼い主との関係は「犬は主従」、「猫は親子」の関係に近いというが、確かに猫なんかわがまま放題のドラ息子という感じもして、そうかなという気もするが実際にはもっと複雑だと思う。小さいときに一緒に暮らしていた犬とは時々兄弟のような感覚になったし、なんとなく向こうもぼくに対してはそういう感じの接し方だったと思う。ウチの三匹の猫をみただけでもぼくとの距離感、関係も微妙に違っている。

 ぼくはペットや動物を過剰に擬人化するのはあまり好きじゃないけど、動物と一緒に暮らしていると、誰でも彼らの「気持ち」というものを感じる瞬間というのが一度や二度ではなくあると思う。勿論それはぼくらのいう「愛情」とか「憎しみ」とか「嫉妬」とか「羞恥」等と全くのイコールではないかもしれないけど、それは「本能」や「習性」を超えたそれ以外の何物かであるということは直感できる。こんな、いわば生き物の種の壁を越えたような共感の一瞬というのも動物と暮らす醍醐味の一つでもあると感じている。

 以前読んだ本でオランダの動物学者であるフランス・ドゥ・ヴァールの著書「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」はそういう意味でもとても面白い本だった。彼は霊長類の社会的知能研究における第一人者で、この本の中でも今までの動物学者が動物の行動の全てを「本能」や「習性」または「刺激→反応」で説明しようとし、また説明しきれるとしていた姿勢を強く批判している。

 彼によれば、今までの動物の認知能力の認識の多くがその動物のある一部だけを見ていて、研究者自身がその動物の全体像を知らない為に意味のない実験をしたり、そもそも認知能力が無いという前提で行われたりしているケースも多いという。例えば、人間はほかの霊長類と比べて顔を認識する能力が別格に優れており、チンパンジー等はその能力は高くないと言われていた。

 しかし、その実験は人間の顔は男女を含め個人差が大きいからという理由で人間の顔で行われていたことに誰も疑問を抱かなかった。だがある時アトランタにある国立霊長類研究所の職員がチンパンジーの顔写真を使ってチンパンジーをテストすると彼らは素晴らしい結果を残した。今ではチンパンジーの顔認識能力は人間に一歩も引けをとらないし、顔認識能力は人間だけでなく他の動物も持つ能力だと広く認められるようになった。

 そんな認識は、犬猫とくらしているぼくらにしてみれば当たり前のことなのだけれど、多くの動物学者は条件反射のパブロフの犬的動物観(もしかしたら宗教的世界観もあるかもしれない)から長いこと抜け出すことができなかった。もちろんその対極には動物の行動を過剰に擬人化させるもう一つの呪縛された動物観があったことも否めない事実なのだけれど。あのチャールズ・ダーウィンはさすがと言おうか、こういう言葉を残している。「ヒトと高等動物の心の違いははなはだしいとはいえ、それはあくまで程度の問題であって、質の問題ではない」(同書のプロローグより)


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 …と、長々と落語で言えば「枕」の話をしたのは昨日の晩モモに起こったことをどう解釈していいか迷っていたので、そこに繋がりやしないかと思ってのことだ。モモはいつも夜は寝室でぼくの脇に寝ている。真冬の寒い日の夜明け前などには布団の中に入ってくることもあるけど、普通は布団の上に寝ている。昨日の晩もいつものようにそうだった。

 ぼくは歳をとってから夜中に少なくとも一回はトイレに行くことが多い。昨日も夜中になってトイレに行きたくなり、モモを起こさないようにそっと布団をめくってトイレに行った。そしてトイレに座ったと同時くらいに、寝室の猫ドアを跳ね上げる大きな音がしてモモがすっ飛んできてぼくの目の前に立ってじっとぼくのほうを見ている。

 「どうしたの? 起きちゃったの?」と言ってもぼくの方をじっと見つめたまま。「大丈夫だよ、どこへもいかないから」 トイレを済ませてまたベッドに戻ると、モモもついてきてぼくが布団に入ると慌ててモモも布団に入ってきてぼくの腕にしがみついた。力が入っていてモモの爪がちょっとぼくの腕に食い込んで痛い。なんか必死にしがみついている。怖い夢でも見たのかもしれないと思ってそのままにしておいたら、暫くしてフッと爪の力が抜けたのでモモがまた眠りについたのが分かった。

 と、まぁ、これだけのことなのだけれど、このことがぼくにあることを思い起こさせた。ぼくは小さい時、日本ではほかの家庭でもそうだと思うけど、母の布団で一緒に寝ていた。母から聞いたこともあるし、自分でもいやにはっきりと覚えているのだが、その頃真夜中にふと目が覚めると急に不安感に襲われ突然「母ちゃん死んじゃいやだ!」と母の腕にすがりついて泣いたという。子供心に親が居なくなる恐怖心を持っていたのかもしれない。
 
 昨日のモモの振る舞いがそういうものだという気はないし、その論理的な根拠もないのだけれど、夜中にモモが真剣な面持ちでぼくを追いかけてきたとき、昔母がそう言ったように、思わず「大丈夫だよ、どこへもいかないから」という言葉がぼくの口から出たということは、ぼくの方にはきっとモモは夢の中で昔のぼくみたいに不安感に襲われたのかなという思いがあったのだろう。それはきっとぼくの方の誤解か錯覚なのかもしれないけど、なんか猫の気持ちが少し理解出来たようでちょっと嬉しくなった。

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 *もちろん猫や犬の本能や習性を知ることは、それを無視して彼らに不快な思いをさせたり、不幸せな目に合わせたりしないためにも必要なことだとおもっています。しかし一緒に暮らしていればその土台の上に各々の個性や性格というものがしっかりと存在しいることに容易に気づくはずです。古典的な動物学者にはその視点が抜けていたようです。

 フランス・ドゥ・ヴァール氏の著書を読むと今までの動物学者がその動物を実験の対象としてしか見ておらず、まずその動物そのものをよく理解しようとしていなかったことに端を発していたように感じます。著書自体は学術的で冗長に感じられる点も多く決して読みやすい本ではないと思いますが、もし興味があれば読んでみてください。

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「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」
 フランス・ドゥ・ヴァール著
 紀伊国屋書店 2017年



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記憶 [新隠居主義]

記憶

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 あれから、もう八年経ったのか、八年しか経っていないのか3月11日が来るたびに時の流れを振り返ることになる。その度に頭をよぎる映像の記憶に戦慄が走る。押し寄せる津波に飲み込まれる街並み。テレビの画面を「南三陸町全壊」のテロップの文字が横切ってゆく。

 その映像は9月11日テレビを見ていた時に目に飛び込んできたあのニューヨーク9・11の摩天楼に激突する旅客機の映像とともに生涯忘れられない記憶としてぼくの脳裏にも刻み込まれている。それらの記憶は忘れてはならないのだけれど、それが同時にそれを実際に体験した人を今日も苦しめていることも間違いのない事実だ。

 テレビであの「南三陸町…」の光景を見たとき余りの凄まじさに直ぐにはそこに思い至らなかったのだけど、そう言えばワカメのあのお店は南三陸町にあった筈、お店やお店の人は大丈夫だろうか、と思い始めた。それは母が昔からことあるごとに魚介類やワカメを取り寄せていた南三陸町にある鮮魚店のことだ。昔は電話で注文を取っており、電話口にでる女性はいかにも朴訥な東北の感じがする家庭的な店だった。

 それが時とともにファックスで注文を受けるようになり、それからネットでの販売に発展し、南三陸町でも最も成功した鮮魚店になっていた。その店のことがとっさに浮かんだ。その直後から連絡を取ったけど、もちろん繋がることはなかった。あの津波でお店も工場も全てが流されてしまったこと、幸いお店の方は無事であったことなどを知ったのはずいぶん後になってからのことだ。

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 震災以降ぼくの記憶はあの津波のシーンで止まっていた。しかし、当たり前のことだけれども被災地では何一つ止まっているものはなく、もがき苦しむ戦いが始まっているはずなのだ。翌年の冬、やっと南三陸町を訪れてぼくの記憶は動き出したのだけれど、それはあの津波の記憶に覆いかぶさるようなさらに強烈なものだった。現地で聞いたいろいろな話も忘れることができない。ぼくの記憶はさらに重くなっていた。

 記憶には忘れてはいけない記憶と塗り替えてゆくべき記憶があるような気がして、自分の中では今もそれは峻別できていないけれど、とにかく時が止まったようなあの津波の記憶を動かして、その後に何がどうなったかという新たな記憶を積み重ねていってぼくの頭の中の記憶のバランスをとる必要があるような気がしている。


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東京バラード、それから [Ansicht Tokio]

東京バラード、それから

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 ■ 東京バラード、それから

   東京では 空は
   しっかり目をつぶっていなければ  見えない
   東京では 夢は
   しっかりと目をあいていなければ  見えない

    (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」巻頭の詩)

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  たかだか七十数年の人生だけど、今まで東京が大きく変わる節目を何度か目にしてきた。毎日少しづつ変わっているから余り気が付かないのかもしれないけれど、一定の期間を置いて見るとその変化の大きさに驚く。その中でも全体が短時間に大きく変わっていった時期というのもあるような気がする。

 ぼくは勝手に「土の時代」と呼んでいるのだけれど、ぼくの子供の頃は東京でも自分の身の回りのどこにでも「土」があるのが当たり前だった。小津安二郎の「東京物語」に出てくるような下町の千住に住んでいたんだけれど、自分の家の前も含めて身の回りはどこも土の地面ばかりだった。道路も敢えて舗装道路と言わない限りそれは砂利道か踏み固めた土の道のことだった。雨が降ればぬかるみになるから長靴は必需品だった。

 そんな状況が大きく変わってきたのはやはり1964年の東京オリンピックあたりからだと思う。と言っても目に見える急激な変化は都心周辺が主で下町に「アスファルトの時代」がやってくるのはそれからずっと後だったと思う。ぼくが結婚してからずいぶん経って下町から少し離れた東京の縁(へり)に引っ越してからも雨が降ると家の前の道がぬかるみになる状態はしばらく続いていた。

 それでも変化は着実に進んで、気が付いたら身の回りで「土」を目にすることが無くなった。近所の公園も最初は水たまりのできる散歩道があったのだが、今はそれも舗装されてしまっている。そして気が付くと東京全体から「土」が姿を消して、地表は固い鎧のような舗装材に覆われて「アスファルトの時代」になっていた。


 最近放送されているNHKスペシャル「東京Reborn」のシリーズをみていると、これから東京はさらに大きな変化をとげるようなのだ。都市は湾岸ベイエリアといわれる東京湾側に浸潤し、大深度地下と超高層という三次元の広がりをみせてゆく。この都市は今、「土の時代」から「アスファルトの時代」を経て、「モグラの時代」かつ「鳥の時代」へと移りつつあるようだ。

 しかし、心配なのはそこには新宿や渋谷や湾岸地域といったエリアごとのデザインはあっても東京全体の構想といったものが見えてこない。かつて、ウィーンはちょうど江戸から明治に変わる頃ハプスブルク家の統率の元、不要になった城壁の跡にリング通りを創り、リング内の公共の建物を一新する大改造を行い今の姿になっている。パリも江戸末期にナポレオン三世の元、確たるグランドデザインに従ってやはり大改造がなされて今日に至っている。

 もともと東京は江戸時代に徳川家康が壮大な構想の下に作り上げた計画都市でもあった。そして大正時代の関東大震災の後、五藤新平が東京大改造をデザインし着手したが、これは未完に終わってしまった。ある意味では今の東京は一つのコンセプトで設計するには巨大で複雑な生き物に肥大化してしまったのかもしれない。

 「東京Reborn」は未来に対応する壮大な実験なのかもしれない。新たなエネルギーを秘めた世界に類のない都市を実現しようとしているようにも見えなくはないのだが、東京を今も「故郷」として愛している人間にとっては、それは何ともリスキーでいろんな人間が好きなようにいじくりまわしているようにも見える、というのは年寄りのひがみなのだろうか…。

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