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旅の光 [NOSTALGIA]

旅の光
 
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 ■ここ 

 どっかに行こうと私が言う

 どこ行こうかとあなたが言う
 ここもいいなと私が言う
 ここでもいいねとあなたが言う
 言ってるうちに日が暮れて
 ここがどこかになっていく

  (谷川俊太郎 『女に』より) 
 

 コロナ禍でのお籠りが始まってもう二年近くもどこへも旅行をしていない。定期的に周期的放浪癖がやってくるぼくとしては何とも言えず辛い日々が続いている。カミさんとの話も近頃は旅行に行けるようになったらどこへ行こうかという話が多くなっている。

 カミさんは、盛んにあと何回旅行に行けるかしらと…。そう、何となくお尻は決まっているのだ。それは寿命かも知れないし、体力や脚の限界かも知れないし、お金の限界かもしれないが、そう遠くない向こうにそれは待っている。そんなことを切実に考えるようになったのは運転免許証の高齢者更新がきっかけかもしれない。

 尤もぼくの場合旅行と言っても大抵はそこで何をするでもないのだ。昔からぼくは旅行の日程を立てたり、観光ルートを考えたりするのはからきしダメで、場当たり的で、どちらかと言えば旅先で飲み屋を見つけてそこで本でも読んでいたい方なのだ。一番の楽しみはその土地の酒と光と人であとは美術館か音楽会くらいで、それ以外はあまり気にしない方だ。一人で行く時は大抵翌日のこと位しか考えていない。

 だからカミさんと旅行するときはツアー旅行が助かるのだ。旅程など気にせずに唯ついて行けば良いのだし、もちろん時間の制約はあるのだけれど最近はハードな日程の旅行自体を避けているからそこは何とかなる。カミさんはツアーが良いのはぼくが極端な方向音痴なこともあると思っている節があるが、それもあるかもしれない。

 カミさんの言うようにぼく自身は確かに方向音痴だけれど、オレはスマホも携帯もない時代の大昔に一人でトマスクックの時刻表一冊片手に横浜からカサブランカまでたどり着いたんだから世界地図レベルでの方向感は大丈夫なんだと密かに思ってはいるけど…、時間通りにツアーの集合場所に中々たどり着けないのでは、そんなのは屁のツッパリにもならない。

 まぁ、一人旅の時はむしろ道に迷うことも楽しみの一つでもあるのだけれど、カミさんと二人で道に迷って時間に追われていたのではシャレにならない。こう言うといやいやカミさんと旅しているみたいだけど、全然そうではなくてカミさんとおしゃべりしながら旅をするのは何よりも楽しいし、気の置けない友達と旅をするのも同じくらい楽しい。

 一番うれしいのはカミさんも友人も写真は撮らないのだけれど、ぼくが旅先でその時々、その土地の光に魅せられてたたずみ、時にはカメラを向けている時にも急かせることもなく付き合ってくれることと、そして何よりも一緒に楽しい酒が飲めるということだ。これだけは一人ではできない。 


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その42~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その42~
 
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 ■犬があなたの膝に乗るのは、あなたが好きだから。でも猫が同じことをしても、それはあなたの膝の方が温かいからだ。(A.N.ホワイトヘッド)
 If a dog jumps into your lap, it is because he is fond of you; but if a cat does the same thing, it is because your lap is warmer. (Alfred North Whitehead)
 

  人生には「それを言っちゃおしまいよ」ということが幾つもある。しかも、それは厄介なことに歳をとるにつれて増えてくるような気がする。長く生きて「人生酸いも甘いもつまみ食い」(ジェーン・スーの言葉)をしてきた者としては、そんなこと知ってるよ、だけどそれをさも知ったように得意げに言うのは野暮ってもんだ、と心の中で呟いている。

 ただ野暮を承知で言わせてもらえば、膝の方が温かいから乗るのではない。それでは夏でも膝の上に乗ってくることの説明がつかない。ウチのモモはぼくが行儀悪く両足を机の上に乗せると、何処からともなく現れ、すかさずさっと寄ってきて膝の上に乗る。冬でも夏でも。

 しかもその乗り方には拘りがあるみたいで、冬は良いのだけれどぼくが夏に短パンなどをはいている時は、身体を小さくして何とかぼくの肌が露出した部分には触らないように苦労して何度も体勢を調整している。彼女にとっては表面に毛が生えていないヘンテコリンな部分は不気味なのかもしれない。

 ちょっと話が逸れたけど、要は膝が暖かいから乗るというよりは、そこが彼女にとって心地よいからなのだと思う。ジェイムズ・ヘリオットの言葉に「猫は、心地よさの鑑定家だ」(Cats are connoisseurs of comfort. James Herriot)という言葉があるように、猫は快適な場所を見つける天才である。

 彼女にとって冬でも夏でもぼくの膝が心地よいのであれば、もちろんぼくの膝はぼくの一部なのだから、それは彼女がぼくを好きなのだと解釈しても彼女に失礼には当たらないだろう。まぁ、いずれにしても猫飼いはそこら辺はすべて飲み込んだうえでお互いの「幸せな誤解」を楽しんでいるのだ。放っておいて欲しいものだ。

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むず面白いドイツ語 [新隠居主義]

むず面白いドイツ語
 もう50年以上ドイツ語から離れており、使うのはせいぜい旅行の時くらいでそれも簡単な旅行ドイツ語だけだから殆ど使っていないに等しい。もともとそんなに話せるわけでもなかったが、最近それも何か寂しいなぁと言う気がしてNHKラジオのドイツ語教室を聴くようにしている。

 20年以上前、まだ勤めている頃にまた時間が出来たらドイツ語を勉強したいなと思ってとりあえず独検なるものを受けて2級は受かったのだけど、1級目指して勉強しようと思っているうちに忙しさにかまけて諦めてしまったので今はそれ以下だと思う。

 NHKラジオのドイツ語を始めたら今度はコロナ禍で新しいテキスト内容が更新できないので1クール同じ内容をやるということが…、まぁ、急ぐわけでもないから。たまにアジアからの留学生にドイツ語ってどんな言葉ですか、と聞かれることがある。説明はなんとも難しいのだけれど、雑談で時々「ドイツ語あるある」みたいな事を話すことがある。
 

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[ドイツ語あるある]

①それ、何でやねん
 ドイツ語の全ての名詞には「性」というものがあって、それはフランス語やイタリア語、スペイン語などにもあるのだけど、大抵は語尾で判断出来たり大半は男性か女性のどちらかなのだけれど、ドイツ語には中性もあってややこしい。
例えば
 ・スプーンはder Löffelで男性名詞
 ・フォークはdie Gabelで女性名詞
 ・ナイフはdas Messerで中性名詞
と言う感じで訳がわからない、覚えるしかない。その内勘が働くようにはなるけど、明確な法則はない。

②単語がやたらと長い
 ドイツ語は単語がやたら長くなるので嫌だと言う人がいるけど、ぼくは逆に好きだ。実はドイツ語の基本単語数は意外と少ない。その少ない基本単語を組み合わせて新しい概念の言葉を作る事が多いからだ。ある意味では日本語も造語能力と言う点では似ているかもしれないのだけれど、日本語の場合、漢字の羅列ということであっていわゆる基本単語とは異なるかもしれないが。

例えば
 ・Die Streichholzschachtelというのはマッチ箱のことなのだけれど、これは「擦る」+「木片」+「箱」という3つの基本単語を組み合わせて出来ている。
 ・Unabhängigkeitserklärungen 独立宣言
 ・Geschwindigkeitsüberschreitung スピード違反
 ・Waffenstillstandsunterhandlungen 停戦交渉
 ・Stadtverordnetenversammlungen 市議会
など毎日のニュースなどで頻繁に長い単語が出てくる。これは基本単語が頭にしっかり叩き込まれていれば反射的に読めるのだけど、これが外国人には結構しんどい。

 アメリカの文学者マークトゥエインはこう言っている。
Some German words are so long that they have a perspective.
These things are not words, they are alphabetical processions.
いくつかのドイツ語単語は、あまりにも長すぎるので、奥行きを感じます。
もはやこれらは言葉ではなく、アルファベットの行進です。

 この功罪は主として16世紀の宗教改革者のあのマルティン・ルター氏によっている。それまで聖書はラテン語で書かれていてドイツの一般庶民が読めるようなものではなかったのだけれど、ルターはそれをドイツ語に訳し、しかも民衆が使う平易な基本単語を組み合わせることによって新しい単語を作り上げた。それがドイツ語の造語能力を飛躍的に高めたのだと思う。

 ちなみに、ドイツ語圏の人ならだれでも知っている実在した一番長いドイツ語単語は79文字の下の単語らしい。
Donaudampfschiffahrtselektrizitätenhauptbetriebswerkbauunterbeamtengesellschaft(ドナウダンプフシッフファールツエレクトリジテーテンハウプトベトリーブスヴェルクバウウンターベアムテンゲゼルシャフト)
日本語:ドナウ汽船電気事業本社工場工事部門下級官吏組合

 余談だけれど、ぼくが好きなのはドイツ語の虫などの名前で、これも簡単な単語の組み合わせで出来ていることが多いのだが、想像していると楽しい。
例えば
 ・神に祈りを捧げる修道女→Gottesanbeterin (カマキリ)
 ・藁の中から飛び出てびっくりさせるヤツ→Heuschrecke (イナゴ)
 ・ツバメの尾っぽ→Schwalbenschwanz (アゲハチョウ)
 ・キャベツにたかる白いヤツ→Kohlweissling (モンシロチョウ)

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③外国語を取り込む逞しさ
 どこかの都知事さんではないけど日本ではやたらと英語由来のカタカナ単語が増えて、ファッション雑誌など見ると酷い時には助詞くらいしか日本語が見当たらない文章もあったりして。これは、一つには日本語の外国語を取り込む能力によるものかもしれない。具体的にはカタカナ表記と「~する」という動詞化をする便利な言葉の効果が大きい。例えば「エスケープ」と書けば外来語だと分かるし、「エスケープする」とすればそれだけで動詞になる。ひどい場合はマネジメントなんていう名詞が「マネジメントする」なんて具合に動詞化されたりもするが、それでもちゃんと意味は通じている。

 ドイツ語にも戦後多くの英語が流入している。もちろんドイツ語にはカタカナはないけど、日本語の「~する」と似たような動詞化するための便利な語尾「~ieren」というのがある。

例えば
 ・boykottieren(英語boycott)ボイコットする
 ・interessieren(フランス語intéresser)興味をもたせる
 ・spazieren(イタリア語spaziare)散歩する
 ・studieren(ラテン語studere)学問する
などがあるが、現在は英語からの流入がダントツに多いようだ。


④世界の主要言語の一つ
 ドイツ語は現在ドイツを始め、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、リヒテンシュタイン、ベルギーで公用語とされていて、世界中で約1億3千万人のドイツ語話者が存在するといわれ、そのうち約1億人がドイツ語を母国語としている。(英語を母国語とする人口は世界中で約4億人弱)

 また現在インターネットの使用人口の全体の約3パーセントがドイツ語であり、英語、中国語、スペイン語、日本語、ポルトガル語に次ぐ第6の言語である一方、ウェブページ数においては全サイトのうち約6パーセントがドイツ語のページであり、英語に次ぐ第2の言語であることは意外と知られていない。ドイツ語は難しいけど、面白い。むず面白いのだ。気長にまた勉強しようと思っている。


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♪ What are you doing the rest of your life [新隠居主義]

♪ What are you doing the rest of your life
 
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 ♪ WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE (1969)
 (Words by Alan & Marilyn Bergman / Music by Michel Legrand)

 What are you doing the rest of your life?
 North and south and east and west of your life?

 I have only one request of your life
 That you spend it all with me.

 All the seasons and the times of your days.
 All the nickels and the dimes of your days.
 Let the reasons and the rhymes of your days.

 All begin and end with me.
 ......
 

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 これはぼくの好きな曲なんだけど、名曲の多いミシェル・ルグランの作曲で、作詞はこれも名曲の多いバーグマン夫妻のこのWhat Are You Doing The Rest Of Your Life(1969)は、今ではジャズのスタンダードにもなっている。

 直訳すれば「あなたはこれからの人生どう過ごすの?」と言った意味だろうと思うが、映画「ハッピー・エンド」のサントラ盤に入っている。映画は観ていないけれど、歌詞を見る限りではこれからの残りの人生をあなたと送りたいという大人のラブソングみたいだ。

 色々な歌手が歌っているし、多くのジャズメンも演奏している。その中でもぼくはビル・エバンスのピアノ演奏とレイ・ブライアントのやはりピアノの演奏のものが一番好きだ。最近またよく聴きなおしている。考えてみたら"What Are You Doing The Rest Of Your Life"(これからの人生どうするのさ)というフレーズは自分の人生の中でいつも耳元で囁かれていたような気がする。

 もちろんそのニュアンスはその時々の人生の段階で異なるのだけれど、その囁かれるフレーズの中の"the Rest of Your Life"つまり「残りの人生」という単語が実感を持って響いてきたのは50歳を過ぎたころからだったと思う。それは今までのように「さあ、どうする」とか「それじゃあ、どうする」のように新たな選択肢を迫るというよりは、あらかじめ狭められた選択肢の中でどうするか、みたいな…。

 
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 もちろん耳元で囁くそのフレーズは老齢に至っても折に触れ聞こえてくる。会社を辞めて大学院で学んでいる時、母の介護の眠れぬ夜に、その母の介護が終りを迎えた時に、そしてコロナ禍で身動きのとれない今…。でも今聞こえているその囁きの「どうする」は選択肢よりも「時の質」を意味していたようだ。コロナ禍のせいで近頃はウチにいたり散歩をしたりで自分と向き合う機会も多い。

 さしたる野望も、手にしたい夢もあるわけではないけれど今は時を噛みしめるということが、耳元で囁かれる「どうする」へのぼくなりの答えになっている。その時々に心に沁みてきたもの。家族や猫と過ごすかけがえのない時間、移り変わる公園の四季や駅の雑踏の中で一人ただボーッとする時間、今まで気づかなかったそういうものの大切さに一つ一つちゃんと気づいて味わい尽くしたい。…気が付けば、これがこのブログでの1111本目の記事になった。

 
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  Albums featuring:
 WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE
  ■A JAZZ HOUR WITH BILL EVANS Autumn Leaves/Bill Evans
  ■Solo Flight/Ray Bryant
  ■The Last Time I Saw Paris/Nikki Parrott
  ■New Directions Of Virtuoso Guitar/Laurindo Almeida
  ■I Was Born In Love With You Jessye Norman Sings Michel Legrand/Jessye Norman

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両手に猫 猫といる幸せ [猫と暮らせば]

両手に猫 猫といる幸せ

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 最近白猫のレオが歳のせいか夜泣きをしたり、寝起きに寝ぼけてかトイレの場所が分からなくなってあらぬところに粗相したりすることがある。トイレを探してウロウロしている時は優しく声を掛けて「こっちだよ」というとやっとトイレの場所に気が付く。

 一日中寝ていることが多いのだけれど、朝八時と夕方五時には時計で計ったようにお腹が空いたと大声で泣きだす。夕方、時間になって鳴いていても時こえないふりをしていると、鳴きながら少しづつ距離を縮めて最後はぼくのデスクの上に上って「腹減ったって言ってるだろ!」みたいに睨みながら鳴く。

 レオは朝と晩のご飯を食べた後はほんの一口、お醤油皿くらいの小さなお皿にミルクを入れてもらうのが楽しみで、最近はそれを寝る前にも欲しがるようになった。このミルクはレオの特権で誰も文句は言わない。

 三匹の猫にえこひいきが無いように、一匹ずつ特権があるのだけどレオの特権がこのミルクで、灰色猫のモモの特権は毎晩ぼくと寝ること(もっとも相手はどう思っているか知らないけど…)、縞猫のハルの特権はいつも一番先にご飯をもらえることだ。

 今のところ皆さん納得している風ではあるけど、最近はハルが夜に寝室に入りたくて入り口の猫ドアをカチャカチャいじっていることがある。この間はとうとう入ってきたけど、ぼくの足元で五分くらい寝て出て行った。たぶん、姉さん猫に睨まれたんだろうと思うけど…。

 晩ご飯を食べてミルクを飲むとレオはテレビの前のソファで寝る。基本は三人掛けなのだけれど、レオが斜めになって場所をとる寝方をするのでカミさんが座るとそれでもうソファは一杯になる。普段はぼくは余りテレビは観ないけど、週に何回かは観たい番組があるのでそういう時はレオに詰めてもらって座るのだが、そのたんび迷惑そうな顔をされる。

 昨日もそんなきつ目な状態でテレビを観ていたら、そこにハルが強引にカミさんとの間に身体をねじ込んできた。ソファはギュウギュウ詰めで身動きが取れないけど両手に猫で何だか幸せな感じ。コロナ禍でどこにも行けないストレスを猫たちが癒してくれる。猫のいる幸せ。
 

 
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あの丘の秘密 [gillman*s park]

あの丘の秘密
 
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 ぼくはこの公園の中でいくつか特別好きな場所があるのだけど、その中でもこの丘の上から見る眺め、そして下からこの丘を見上げるのが最も好きなポイントで散歩に来るたびに必ず寄る場所でもある。ぼくにとってのオアシス。

 公園の北側に広がる「あさひの広場」と呼ばれるこの丘の南側はなだらかな勾配の坂が続いており、北側は切り立った崖で眼下に広がる街並みが見渡せる。360度の視界は南西に富士山、そのずっと左に東京スカイツリーそして振り向くと遥か彼方に筑波山が見える。高さは20メートルに満たないのだけれど、地面としては区の中で一番標高の高い場所になっている。

 といってもぼくが子供の頃は、それどころかつい十数年前まではここに丘はなかった。それが2005年頃公園の未整備地区で何やら大規模な工事が始まった。ある時散歩のついでにいつもは行かない未整備地区が見渡せる林の方に行ってみたら、塀の向こう側には巨大な細長い建築物が出現している。窓もなければ出入り口も見えない。しかし、とにかく大きい。

 調べてみたらその大きさは、全長は533m、幅84.5m、面積にすると約40,000平方メートルというとてつもない大きさ。それ以来散歩に行くたびに遠目に見えるその建物を見ていたのだけれど、ある日ブルドーザーがその出来上がった建物を今度はせっせと埋め始めた。膨大な土が運ばれてきて、その内とうとう建物は見えなくなった。 


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 今でもこの丘を訪れる殆どの人は気が付かないようだけれど、実はこの丘の中には新都市交通システムである日暮里舎人ライナーの車両基地が埋まっている。地下に作ったのではなく、地上に作ってから表土を被せたのだから「埋まっている」という表現が適切なのだとは思う。

 ぼくは以前この公園で目にする「小自然」が好きだと言ったけれど、その小自然の背後には極めて大規模な人の手が入っている。池だってぼくが子供の頃にはなかった。自然が作ったものではないからメンテナンスの人の手が数年でも入らなければ急速に荒廃してゆくのだと思うのだけれど、それは伝統的な日本庭園もそうだし「小自然」の宿命だと思う。

 だからこそ、散歩に行くたびにこの小自然を絶え間なくメンテナンスしている人たちに感謝が絶えないし、地域のぼくたちも守ってゆかないといけないと思っている。

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    2006年1月に撮った写真。建造物の埋設工事が始まっている。


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 *埋設されている車両基地は一度見てみたいのですが、まだ機会はありません。またセキュリティのためか画像も殆ど公表されていませんが、一枚だけネットで見つけたのですがやはり大きい。ライナーは無人運転なので中央指令室もどこかにあるのですが、それも見てみたいものです。

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   車両基地内部と中央指令室



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印象派みたいに [gillman*s park]

印象派みたいに
 
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 連休も最後に差し掛かってきた日、ちょっと間が開いたあとに散歩。どうも運動不足か股関節が痛んで公園に来られない日が続いた。でも、今日は天気もいいしゆっくりと歩いた。東京は連休中も非常事態宣言中とあって都立の公園は閉鎖なのだけれど、ここの公園も都立だけど駐車場やテニス場は閉めているが公園自体は柵がないので自由に入れる。

 公園に入ると中はかなりな人出。もしかしたら今年のお花見のときより多いかもしれない。芝生や木陰のあちこちに小さなテントが張ってある。でも全然密ではないし、シートを敷いて座っている人も目立って飲食をしている風はない。原っぱでは子供たちが追いかけっこをしたり、ボール遊びをしたり、そのわきのテントではお父さんは昼寝をしている。今はやりのチェアリングというのだろうか、持ってきた折り畳みの椅子に腰かけて本を読んでいる人もいた。

 メタセコイアの並木道の両側に設けられたベンチではお年寄りたちが寛いでいる。ちょっと夏めいた光の中で深い緑色に囲まれた彼らの後ろ姿に優しいまだら模様の木漏れ日があたって、どこかフランスの印象派絵画のような感じがした。周りからは少し控えめに、それでもはしゃいでいることが明らかに分かる声が聴こえてくる。

 何もない原っぱでもそれぞれが自分なりの楽しみ方で…、ぼくはいつも思うのだけれど、〇〇ランドのように周到に用意された施設の中で「遊ばせてもらう」のも悪くはないが、こういう風に自分のスタイルで「遊ぶ」方がぼくは好きだ。お金もかからないし…。そういう意味では昔から大好きな公園なのだけれど、この公園でも先年バーベキュー場が整備されたのについで、大掛かりなフィールドアスレチック場も殆ど完成して、ここもまた設備に頼って「遊ばせてもらう」類の場所になってゆくような感じがする。


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  池のほとりに行くと、ここのカモは人がいじめないから余り人を怖がらないのでつがいで草原の上をよく散歩している。それを幼い姉妹が目ざとく見つけて、カモの後ろについてゆく。驚かさないように両手を後ろに組んで二羽と二人が道端を散歩している姿がなんとも可愛い。そのうちお姉ちゃんの方は飽きたらしく戻って行ったけど妹の方はずっとカモの散歩にお付き合いしていた。

 丘の上には筋雲みたいな刷毛ではいたような雲が青空と良い割合で空を飾っている。今は彼らの愛の季節なのだろう、地上ではハトの求愛ダンスが空ではカラス達の追っかけっこが盛んだ。散歩の犬はのどが渇いたのか水飲み場で美味しそうに水を飲む。局地的にこの公園だけを見れば、以前のお花見時のように大勢の人が集まりゴミだけを残してゆく姿が消えて、ちょうどいいくつろぎの空間になったと言えるけど…。一方では長引くコロナ禍の中で商売が続けられず塗炭の苦しみにあえいでいる人が多くいることも忘れてはならない。

 日本に限らずこのパンデミックはその社会の弱いところを浮き彫りにするようだ。コロナ禍で日本の政治や官僚システムが迅速に戦略的に動けないこと、ITが世界から周回遅れで遅れてしまっていたこと、医療の体制や政策がリスク対応できないシステムになっていたこと等々、多くの課題が浮き彫りになった。この教訓を将来に活かせればいいのだけれど、のど元過ぎれば…ということにならなければ良いが。

 
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猫宅の必需品 [猫と暮らせば]

猫宅の必需品

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 昔から多頭飼いで猫を飼っているので、家の中の環境には気を使っているつもりだ。家具や家の壁や柱などが爪などで傷むのはこれは織り込み済みの前提として仕方ないけど、猫のためにも清潔な環境に保つのは結構手間のかかることも多い。
 
 トイレの砂をまき散らしたり、毛も飛ぶから一日何回も掃除機はかけるけど、草を食べた後毛玉を吐いたり、我が家ではこれを「猫のゲー」(猫がゲーゲー言って吐き出すもの)と言っているけど、それが床や絨毯の上に散乱することは日常茶飯事で、最近は一番年上の猫のレオが歳のせいか寝起きに寝ぼけてあらぬところにオシッコやら、もうちょっと立派な固形物を残してゆくことも頻繁になってきた。

 歳でなくとも唯一の雌猫のモモは若猫のハルが自分のテリトリーをないがしろにすると、時々ストレス、不満が爆発して「え~い、ここでしてやるっ!」とあれや、これやの不満の塊をお出しになる。特に和室の絨毯の上にされると大変なのだ。そのたびにペーパータオルとバケツと雑巾と電動ブラシとそれから絨毯から水分を吸い取るケルヒャーの吸引機をもって駆け回ることになるのだ。

 ケルヒャーの吸引機は元々ガラスや車を洗った後の水滴を吸引するものだからそんなに吸引パワーはない、と言って専門のリンサークリーナーはそれだけで7~8万円もするのでそんなの買えない。と、ぼやいているうちにあのアイリスオーヤマがやってくれました。それにうってつけのリンサークリーナーが安価にそれも7000円程度で買えるものを出してくれたので、さっそくゲット。

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 それが昨日配送されてきたけど、結構大きい。タンクにホースとブラシ付きノズルが付いたような感じ。組み立てるとコンパクトに収納できる工夫はされているので、いざというときこれ一つ抱えて駆けつければ事足りる。ノズルにスプレーが付いていてそこから水かぬるま湯を吹き付けるようになっている。泡の出る洗剤は使えないけど、ぼくはアルカリウオッシュか超電解水を予め絨毯に吹き付けてやっているけど効果はてきめん。

 パワーも強いけど音もすごい、でも見る見る汚い色した水がタンクに吸い込まれて、しかも丁寧に吸引ブラシをかけた後は絨毯が少し湿っている感じくらい。これで心理的ストレスがずっと楽になった。終わった後にクリーナー自体を掃除するのが結構めんどうで大変だけれど、こういう作業はぼくは嫌いじゃないので気にはならない。絨毯だけでなく布製のソファや椅子の座面もリンスできるのでいい。猫のみなさん、さぁ、いつでもかかっていらっしゃい。



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 *アイリスオーヤマさんからは特に広告料などは貰っていませんので、お使いになる場合はあくまで自己責任でどうぞ。w

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世代を分かつコロナ [gillman*s park]

世代を分かつコロナ
 

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 若い者はとにかく、この世界は自分たちとともに今初めて始まったのだ、と思い込むので困る、と老人たち。ところが、こう非難する老人たちも老人たちで、自分たちとともにこの世界は終了する、と、若者顔負けにつよく思い込んでいるのだ。
 (ヘッベル「日記」) 

 Der Jugend wird oft der Vorwurf gemacht,sie glaube,daß die Welt mit ihr erst anfange. Aber das Alter glaubt noch öfter,daß mit ihm die Welt aufhöre.
 (Hebbel,Tagebücher)
 

 最近新型コロナのせいで、世代間抗争を煽るようなネットでの発言やマスコミ報道が多いのが気にかかっている。もとはと言えばこの狡猾な新型コロナウィルスCOVID-19が主に高齢者を重症化させ、若者は罹りにくいか罹っても比較的軽症ですむ、という側面をもって登場したことだ。

 そのことが主に二つの世代の間に大きなクサビを打ち込んだ。高齢者は、若者の感染に無関心で軽率な行動を指摘し、若者はひとえに高齢者を守るという題目で自分たちの行動のみでなく生活手段にも大きな制約を被っている気持ちになっている。それに輪をかけてマスコミが抗争を助長するような絵作りや情報を流している。

 しかし冷静になって考えれば、海外の様子を見ても、これほど世代に関係なく押しなべて実直にマスク着用を励行している国民も、政府の無策に大規模なデモ一つ起こさない国民などどこを見回してもありはしないと思う。冷静な戦略と検証、適切で真摯な説明、迅速な行動と情報開示。この一年間どれをとっても今目につくのは劣化した国の機能であり政治の実態だと思う。

 今急速にウィルスの変種が蔓延しつつあり、それは一部には若い世代といえども安閑としていられない感染力を持つともいわれている。もう世代間抗争をしている時ではないし、国民として立ち向かってゆかねばならないのだろう。若者はこの状態が長引けば結局は経済的側面でも自分たちに降りかかってくることを、年寄りは色々言われていてもリスクを犯しながらでも現実社会の日々を若者が支えているということに思いを致すべきなのだろう。

 明日からはまた緊急事態宣言でもしかしたら、この公園も立ち入り禁止になるかもしれない。一見平和そうな公園を歩きながら考えた。かつて年寄だった若者はいないけど、年寄りは皆かつては若者だった。若い時の一日が自分にとってどれだけ大事だったか、歳をとった今思い知っているはずだ。それをもう一度思い出して、その目を若者に向ける知恵と余裕が年寄りにも今のマスコミにも必要だと思う。



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生涯の友 ジャズとスピーカー [新隠居主義]

生涯の友 ジャズとスピーカー

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 TANNOYのスピーカーRectangular Yorkがうちに来てからもう45年になる。買った当時はまだ若かったから良いものを長く使うなどという哲学などなかったけれど、結果としてそうなった。その時は分不相応でもなぜかどうしても欲しかった。でも自分の給料の何か月分にもなるし、ましてや結婚して間もなくで家計も火の車だった。

 背中を押してくれたのはカミさんだった。後でずっと後悔するようならば買った方が良いわよと、あとは仕事で頑張ればいいと。だからずっと愛用できたのかもしれない。45年の間にはコーンの張替え、これは船便でイギリスに送って張り替えてもらったけど、数年前にはとうとうエッジがダメになったのでこれは北九州の業者に送って張り替えてもらった。

 サランは自分で3回ほど張り替えたので元々のベージュのTANNOYらしい雰囲気は無くなったけど、音にはそんなに大きな影響はないので良しとした。最初両方のスピーカーについていた TANNOYのロゴは、前の猫がイモリみたいにスピーカーの前面に張り付いて遊んでいるうちに引搔いて剥がした上にかみ砕いで、その内どこかにいってしまった。

 これもまぁ、音には関係ないのだからと10年くらい放っておいたのだけれど、最近は45年も頑張ってくれたんだからまたロゴでもつけてあげたいなとは思っていた。以前、何度かオークションで見かけたような気はしたのだけれど、国内では見つからなくてイギリスのオークションでロゴだけ売っているのを見つけて買ってみた。

 ものはしっかりして新品に近いけれど、イギリス国内や日本での送料や関税やら業者の手数料やらで結局落札価格の倍くらいになってしまった。半月ほどしてやっと今日届いて何とかつけてみたら音には関係ないけどやっぱりロゴがあった方が良いなぁ。このスピーカーとは生涯の付き合いになりそうなのでぼくからのちょっとしたプレゼントというところか。 …気になるのは、さっきから、やんちゃ猫のハルが金色にキラキラ光るこのロゴをじっと見つめていることだ。
 
 
 
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春うらら、でも… [gillman*s park]

春うらら、でも…
 
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 ■  谷川俊太郎
 
 かわいらしい郊外電車の沿線には
 楽しげに白い家々があった
 散歩を誘う小径があった
 
 降りもしない 乗りもしない
 畠の中の駅
 かわいらしい郊外電車の沿線には
 しかし
 養老院の煙突もみえた
 
 雲の多い三月の空の下
 電車は速力をおとす
 一瞬の運命論を
 僕は梅の匂いにおきかえた
 
 かわいらしい郊外電車の沿線では
 春以外は立入禁止である
 
  (二十億年の孤独)
 
 Spring
 
 Cheerful white houses
 lined the curve,lovely suburban train
 and there was an inviting trail to hike.
 
 A station in the midddle of a field --
 no one got of or on.
 
 But along this cute,lovely line
 I could also see the chimney of an old folk's home.
 
 Under an overcast March sky
 the train slowed down.
 In a moment I let the scent of plum blossoms
 replace my fatalism.
 
 Along the line of this cute suburban train
 everything is off-limit except spring.
 
  (The Billion Light-Years of Solitude)
   Trancelated by William I.Elliott & Kazuo Kawamura
 


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 桜の季節が過ぎて緑の季節になった。もっともここの公園は桜の種類がとても豊富だから本命のソメイヨシノが散っても八重桜の番が回ってくるので、普通の桜の名所のようにあっという間に桜の季節が終わってしまうわけではないのだけれど…。

丘の上に一本ある真っ赤なツツジが咲き始めた。少し顔を覗かせた青空とそれに園児たちの青い帽子が赤いツツジを引き立たせているのか、それともツツジの赤が青色を引き立てているのか、いずれにしても気持ちの良い色合い。

 八重桜は散って足元には見事な花のじゅうたん。春の光の中でカラスはシロツメクサの中で遊び、カワウは一休みで羽を乾かし、ひな鳥は石の上で昼寝。ありふれた光景だけど、幸せな公園の光景。春うららか、でも…子供たちをみれば、幼稚園の園児もちゃんとマスクをしている。本当の春はまだほど遠いのかもしれない。
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冬の鴉 [gillman*s park]

冬の鴉
 
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 この冬はほとんど毎日と言ってよいくらい公園に散歩に行った。おかげで今までにない程冬の光景を楽しむことができたのだけれど、その中でも裸になった樹々の素の姿の美しさに心を奪われた。そしてその素になった樹に独特の叙情を加えるのが、枝にとまっている鴉(カラス)なのだ。

 この枯れ枝(実際には枯れてはいないのだけれど)に鴉の図柄は昔から多くの水墨画でも描かれ、ぼくが好きな版画家の小原小邨の版画にも、雪の積もった枯れ枝に鴉がとまっている「雪中の鴉」という名作がある。また俳句で言えば自由律俳句の種田山頭火には鴉の句が多いことでも知られている。

 ■ 鴉啼いたとて誰も来てはくれない (草木塔/柿の葉)
 ■ 鴉ないてわたしも一人 (草木塔/鉢の子)
 
 山頭火は山野を行く行乞の旅の途中で頻繁に鴉の姿を目にしたはずで、そのたびにその姿に自分の境遇や心情を投影させた句を読んでいる。幼少の頃、母の入水自殺を目撃してしまったことに始まり、父の放蕩によるその後の実家の没落そして弟の自殺と人生の奈落へと山頭火を引きずり込む運命に抗う術が彼にとっては俳句と酒だった。その彼が全てを捨てて行乞の旅に出て見つけた唯一の旅の友が鴉だったのかもしれない。

また、この光景で思い起こされるのがシューベルトの歌曲「冬の旅」のなかの一曲「カラス(Krähe)」で、この曲でも鴉は旅人についてまわっている。

Eine Krähe war mit mir
Aus der Stadt gezogen,
Ist bis heute für und für
Um mein Haupt geflogen.
一羽のカラスが僕と一緒に
街からやって来た
それから今日までずっと
僕の頭の周りを飛んでいた
 
 「冬の旅」の鴉は死を暗示していてシューベルトの短い人生を思わせるところもあるけど、この歌でも彼は鴉に友達のように語りかけており、必ずしも不気味な存在とはしていないと思う。今、公園ではこれらの樹々は青々として緑のドレスで着飾っている。風が吹くと葉がこすれる音がして、それはいかにも春のメロディーにも聞こえる。
 


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 *山頭火の場合カラスには「鴉」という字を使っています。普通は「烏」の字の方を使うことが多いのかもしれないですね。「烏」の方はカラスの形から来た象形文字だが、「鴉」の方は漢字の「牙(ガ)」の方がカラスの鳴き声を現す擬声語らしいです。

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 *公園で撮った今の時期の鴉です。梅に鶯、桜に鴉。(笑) 何だか不釣り合いな感じもしますが、実はあの小原古邨「花鳥獣図・桜に鴉」という素晴らしい絵を残しています。とにかく鴉は絵になる鳥なのです。


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街酔い [Ansicht Tokio]

街酔い
 
 
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 もうずっと散歩か通院以外は殆ど出歩いてはいないのだけれど、どうしても観ておきたかった展覧会があったのでほんとに久しぶりに渋谷に出た。緊急事態宣言が解除になってもリバウンドや変異種のリスクがましており東京はまだ異常事態であることはかわらないのだけど、電車の中も渋谷の街の人出もコロナ以前と殆ど変わらない感じがした。

 と言っても、視界に入る人々のほぼ100パーセントがマスクをしているというのはさすが日本だなぁという気がした。コロナ禍になってからは人混みを避けているので考えてみたら、こんなに大勢の人がマスクをして自分の周りを取り囲んでいるみたいな光景を目にしたことはなかったかもしれない。

 ハチ公の辺りには待ち合わせをしているらしい人が多いのはその誰もがマスクをしていることを除けば以前と変わらないのだけれど、遠くから眺めていると異常さの日常化みたいな感じがしてこれが「慣れ」とか「緩み」みたいに言われるなのかなと思ったりした。

「慣れ」とかを悪いことのように言われるけど、人類は本来「順応」に長けた生き物だ。人類を今まで生き残らせ繁栄させた主な要因は道具を使う知恵とどんな環境にも慣れるその順応能力の高さ故だと思っているけど、今その「慣れ」が生き物のもう一つの側面である防衛本能を鈍らせてしまっていることが問題なのかもしれない。

 なんて思いながら街を歩いていると、渋谷の街の喧騒の音と春の日に照らされた鮮やかな色彩が意識に飛び込んできてふらつくような気分になってきた。そんな言葉はないけど、言ってみれば「街酔い」みたいなものかな。本来、街撮りが好きで時間があればカメラを持ってうろつきたい方なんだけど、街から遠ざかっているうちに感覚が変わってきたのかも…。これもそのうちリハビリがいるなぁ。

 調子が良かったら渋谷の近隣に住んでいる友人に連絡してお茶でもしようと思っていたけど、とにかく写真展を観たらお茶も食事もしないで一直線に帰ってきた。
 
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You must believe in Spring [gillman*s park]

You must believe in Spring
 
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 公園は本格的な春の用意ができたようだ。本命のソメイヨシノはまだ咲かないけれど、ユキヤナギは湧き立つ真っ白な雲海のように咲きみだれ、黄色いレンギョウはその向こうに見える河津桜光陽桜などの早咲きの桜のピンク色と絶妙の春の色彩を演出している。

 緊急事態宣言が延長されて春どころではないと思いつつも、季節は確実に春になっている。今年も例年並みのお花見は無理だろうけど、浮かれるのではなくて気持ちを前に向けるように背筋を伸ばしてゆっくりと春を味わうという春の迎え方をしたいなぁと思いながら公園を散歩した。

 丘の上ではうららかな春の陽の下で母子がベンチに座っている。その前を短パンにブーツをはいた若いお母さんがさっそうと乳母車を押してゆく。元気の出る春の光景。新型コロナで外にも出られない鬱々とした長い冬を抜けてやっと出会った春。もちろん浮かれてはいけないけど、今年の春はしみじみと味わいたい。

 そんな時、ぼくが大好きな曲「You must believe in Spring」という曲の名前が浮かんできた。散歩の間は大抵iPhoneに入れた音楽を聴いていることが多いのだけれど、その曲も入っていることを思い出して坂の下の東屋でその曲をセットし聴きながら歩いた。ビル・エバンス(Bill Evans)のピアノの囁くようなイントロが深く心にささった。いつかほんとうの春が来るから…You must believe in spring…。

 この曲もとはカトリーヌ・ドヌーヴが出演したフランス映画「ロシュフォールの恋人たち」で使われた曲で作曲がミシェル・ルグラン。原曲はフランス語だけれど英語のタイトルがYou must believe in Springだった。英語の作詞はアラン&マリリン・バーグマン夫妻でこのコンビはぼくも好きな「風のささやき(The Windmills of Your Mind)」の作詞者でもある。この曲は今ではジャズのスタンダードナンバーの一つになっている。

 この曲のタイトルは同時にエバンスのアルバムのタイトルにもなっていて1977年の録音。エバンスはその前年兄を自死で亡くし、翌年続いてエレイン夫人が亡くなるという失意の中だったことを想うと、このタイトルにエバンスは特別な気持ちを込めたのではないかと…。

 でも結局このアルバムが発表されたのは1980年エバンスが亡くなった後だった。理由はよくわからないけど、演奏が暗いという説もあるが、ぼくは暗いのではなくどこまでも透明なのだと思っている。ぼくにとってはしみじみとこの春を味わい尽くすための大切な曲だ。
 
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You must believe in Spring
Recorded in 1977
released in 1980.
[Personnel]
Bill Evans…piano; electric piano
Eddie Gómez…bass
Eliot Zigmund…drums

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花曇り 春 [gillman*s park]

花曇り 春
 
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 こんな日を花曇りと言うのだろうか。温度は決して低くはないのだけれど、何となくうすら寒い。影のない視界は全体にどこかのっべりとしている。今日は午後から天気が崩れるというので朝方に公園を散歩した。うかうかしている間に公園の河津桜はあっという間に満開になって散っていった。

 いつも今頃の時間帯は近所の保育園の園児たちの野放しタイム(ぼくが勝手にそう呼んでいるだけなのだが)なので今日も元気に芝生の上を走り回っている。当然引率の保育士さんたちは園児たちが視界からはみ出さないように目を光らせてやはり走り回っている。しばらくして、今度は残り花になりかけた河津桜の下に園児を集めて…。
 
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 薄桃色の桜の向こうに赤い椿と黄色いレンギョウ、その間をピンクの帽子を被った園児たちが動き回っている。春の色が満ちてなんかやっと本当に春が来るんだなと納得した。丘の下には雪柳が噴き出すように白い花をつけている。黒い長い糸のようだった枝垂れ柳の枝は芽吹いてほんの数日で瑞々しい青柳になった。

 いつもは池の中の杭棒の上で羽を広げているカワウが今日は池の中の小島にある柳の樹にとまって池を睥睨している。その前をユリカモメが横切りカモたちが泳いでゆく。こんな光景もそろそろ見納めかもしれない。花曇りの時期は渡り鳥たちが帰ってゆく時期でもある。

 俳句の季語では「鳥曇り(とりぐもり)」とも言い、また「鳥雲に入る(とりくもにいる)」といえばこの頃の季語で渡り鳥達が雲の向こうへ帰ってゆく様を示すものらしい。本当は鳥たちでなくて新型コロナこそ雲の向こうへ消えてほしいのだけれど…。緊急事態宣言も延長され、さらに変異種の登場などまだまだ本当の春は遠いような気がする。
 
 ■ 鳥ぐもり 子が嫁してあと 妻残る (安住敦)
 
 
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日本語学校 卒業の春 [新隠居主義]

日本語学校 卒業の春
 
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 首都圏は緊急事態宣言下ではあるけど河津さくらも盛りを過ぎていよいよ桜本番の季節を迎えようとしている。ということは卒業の季節でもあるのだけれど、去年に引き続いて卒業生たちが抱き合って別れを惜しむようないつもの光景はみられない。オンラインだったり、式典をやるにしても父兄や在校生の居ない卒業生だけのまばらな席がなんだか寂しい卒業式の光景がみられる。

 今日は日本語学校の卒業式だけれど、やはり基本的には卒業生だけの式典になって、ぼくも今年は残念ながらオンラインでの参加になった。今回の卒業式の留学生たちは大半が新型コロナ以前に日本に来て一番大事な時期をこのコロナ禍の環境下で過ごさなければならなかった。この日本語学校は短期コースを除けば一年~二年コースがあるので年のうち何回かは新しく学生が入ってくるのだけれど、新型コロナ以来は入国をストップされて自国で待機せざるを得ない学生も多かった。

 特に第一波のコロナ禍の一時期は全てオンライン授業になった時期もあったし、その後も留学生たちはバイトも出来なくなって経済的にも大変だったと思う。もちろん感染対策を万全にするなどそれを支える日本語学校の先生方のご苦労も並大抵ではなかったと思う。片や慣れないオンライン体制の構築に加えてオンラインによる授業のためのシラバス変更などやるべきことが山積みだったに違いない。

 ぼく自身は昨年は残念ながら全てオンラインでのサポートになったので実際には会えなかった卒業生が殆どだ。高齢に加えて持病もちでステロイド治療もあったり、さらに学校までは電車を乗り継いで一時間半くらいかかることもあって万が一にも自分が感染したり、もしくは学校に感染を持ち込んで迷惑をかけるというリスクを考えるとオンライン・リモートでの留学生サポートが必要と感じ、その形をとった。

 オンラインによるコミュニケーションは最初は隔靴掻痒の感があっのだけれど、オンライン環境も安定し慣れてくるにつれてそれなりの利点も見えてきた。特に先ほども述べたように入学したけど自国で足止めを食らっている学生たちとのオンラインは意義があったと思う。一旦日本留学を決めたのになかなか行けないという生煮えの状況では日本語学習のモチベーションを保つのも難しいし、これからの日本での生活への不安もつのってくる。そういう点ではオンラインで繋がりを保てたのはよかったと思っている。そういう中で、彼らの不安と同時に片方ではこちらがたじろぐような彼らの留学への期待も強く感じた。

 ぼく自身も経験があるけど、若くして異国で暮らし学ぶということはそれだけでもとても大変な経験なのだけれど、さらにコロナ禍というストレスフルな環境に耐えて勉強した経験はこれからの人生で必ず役に立つと思う。卒業後は進学する者、就職する者、国にかえる者、その道は様々だけど、みんな頑張れ。卒業おめでとう
 
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and also....
新しい繋がり

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冬の素顔 [gillman*s park]

冬の素顔
 
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 そもそもこのブログを始めるきっかけは、16年前の夏たまたまこの公園を散歩していてそこに居る虫や鳥や足元の野草などの生き物の姿に目を奪われたことだった。それから頻繁に散歩に来るようになったのだが、その頃はとにかく珍しいものに目が行ってそれをブログにアップしていた。いろいろなポケット図鑑を持ち歩いてそれを見ながらカメラを向けるのが楽しい時期だった。

 それから大分時間が経って、もちろん今でもそういうものは大好きで何かあればカメラを向けるのだけれど、今は同時に公園といういわば人工的な小自然の中での季節の移ろいや自分を含めてこの公園を訪れる人々の日常といったものに、より目が向くようになっているかもしれない。

 冬は歳をとるにつれて段々と公園に脚が向かなくなっていたのだけれど、このコロナ禍でほぼ毎日公園を訪れるようになって冬の情景の素晴らしさに魅せられた。紅葉に彩られた秋が去って、一見色を失ってしまったような冬の景色はシルエットの素晴らしい季節といえる。その主人公は鳥たちと樹々。とくに葉もすっかり落ちて言わば素顔になった樹々の姿は毎日見ていても飽きない。

 冬の樹々の姿がこれほどに美しいことはついぞ忘れていた。そういえば樹々の形の美しさに初めて気づいたのはまだ二十歳代の頃、モスクワから列車でウィーンに向かう途中、雪が舞い始めたポーランドの平原の所々にポツンと立つ樹の形の美しさだった。葉が落ちて骨組みだけになった素のままの樹々の凛とした姿。今でもその姿が目に焼き付いている。

 夕暮れにかけて公園を散歩すると彩りを変えながら落ちてゆく夕日に照らされた樹々のシルエットが例えようもなく美しい。身体の周りに無数の微細な糸を垂らしたような枝垂れ柳、実に群がる鳥たちを自らの模様の一部にしてしまうハゼノキ、夕日に両手を広げたような落羽松。みんな素晴らしい骨格を持っている。冬でなければ見られない彼らの素顔もあと少し、やがて化粧をし始める春が来る。



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My Park 秋冬編
Youtube Slide Show

ぼくは人々の日常と深くかかわっている公園の小自然の中の季節の移ろいが好きで、前々からスライドショーを作りたいと思っていたのだけど、このコロナ禍で時間が出来たのでとりあえず秋冬編を作ってみた。

ぼくはバック音楽から決めてゆくスタイルなのでNeil Diamondの歌うこの「The Windmills of Your Mind」が好きでこれにした。この歳になるとその歌詞が身に染みてくる。(本動画は限定公開でYoutubeの検索対象外で期間も暫定的なものです)

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マグリットのように [gillman*s park]

マグリットのように


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 コロナ禍のせいで電車に乗っての外出がままならなく、また日課だったスポーツジムに行くのも憚られて、小さなお散歩カメラを持って日課として散歩するようになって三か月位経った。最初は脚が弱り切って脚を前に出すのに神経を使って、かつ度々ベンチで休憩しなければ歩けなかったのでそちらの方に気を取られて正直写真どころではなかった。

 今でも息切れはするし脚ももたつくけれど、何か気になったものを写すのに足を止めるのが取り敢えず休息の代わりにもなるらしく、何かを撮ろうという気が起きてきた。毎日同じところを散歩していると天候や時間や季節の変化に気を留めるようになるらしい。また光ということで言えば、その間全く同じ光の日はなかったように思う。

 この公園は空が広いから光の変化に敏感にもなるのかもしれない。当たり前のことだけど、光は空からくるということがここにいると身にしみて分かる。カメラを持って散歩すると光の変化にいつもドキドキして飽きることがない。ところが、今度はそれを自分のカメラで捉えきれないジレンマみたいなものが…。

 毎回散歩に出る前にその日撮るものや撮り方なんかのテーマを考えて出るのだけれど、なかなかうまくはいかない。でも毎日同じ所を撮っているうちに自分の視点が変わってきているのを感じることはある。うまく表現はできないけれど、見えてくるものが変わってくるような感覚…。散歩は考え事には良いというけれど、考えながら歩いて、その思考でファインダーを覗くという…そうじゃないな。やっぱり巧く言えない。

 かつてシュールレアリスムの画家ルネ・マグリットは「目に見える思考」という言葉をよく使っていたけれど、それほど小難しいことでなくても、見てその場の空気感や画面の外へと繋がるストーリーのようなものが自然に伝わる撮り方みたいなものがあるのかと思ったりして。まぁ、今はそれよりもまず体力をつけて歩くことだ。ローアングルで撮ろうとするだけでも体力が足りない。まず、そこだな。
  
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ねぐら [gillman*s park]

ねぐら
 
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  ■枯木に鴉が、お正月もすみました (山頭火/草木塔)
  ■啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない (山頭火/草木塔)
 
 山頭火の句にはカラスを詠んだ句がじつに多い。カラスにあたる漢字には「烏」と「鴉」と「雅」という三種類の字があるけど、山頭火はいつも「鴉」の方を使っていた。「鴉」の方の漢字は左の偏の方が「アア」と鳴くカラスの鳴き声を表している。山頭火は行乞の旅の中で頻繁に見かけるカラスの存在に自分をなぞらえていることが多いのもこの字を使っている理由の一つかもしれない。

 ぼくも元来カラスは嫌いではない。夕暮れの公園を散歩した時など、カラスがねぐらに帰る光景はどこか郷愁を誘う。昔、子供のころ原っぱで遊びに夢中になって陽が傾きかけたのも気が付かないで親が迎えに来る頃カラスもねぐらに帰る。カラスが鳴きながら茜色の夕空を横切る姿は子供のころから目の底に焼き付いている光景だ。
 
 
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 でも、最近のこの公園にはいかにもカラスが多すぎる。その一つの原因になっていると思われるのが、この公園を訪れる人のカラスや野鳥への餌やりだ。いつも午前中に公園を散歩するとよく見かけるカラスおじさんがいる。公園では野鳥への餌やりは禁止されているのに頻繁にカラスに持ってきた餌をやってるのを見かける。

 一昨日は餌やり禁止の張り紙の前で堂々とやってるのでさすがに見かねて注意した。最近は変な人が多いから怖いので無暗に注意するなと前もカミさんに釘を刺されているけど…。
「ここは餌やり禁止ですよ」
「…かわいそうじゃねぇか」
「カラスが自然に自分で取れる以上の餌をやれば増えすぎて結局は駆除されて、もっとかわいそうなことになるんじゃないですか」
「…ふぅん」
こちらの方を見るでもなく、餌をやり続けている。

 昔の自分のブログを見たら2005年に公園に都が設置したカラスのトラップの写真が出ていた。最初に経験の浅い若い烏がかかってそれを見に他のカラスもやってくる。トラップにかかったカラスがなんとか出ようとしてずっと鳴いていたのを覚えている。今でもかわいそうに思っている。また、そんなことにならなければいいのだけれど…。

 最近は近隣からもカラスが餌を当てにして公園に集まって来ているし、気の強いカラスを避けてか渡り鳥の飛来は逆に減っているような気がする。こういう独りよがりのカラスおじさんやハトおばさんがあとをたたない。優しさがその行為の発端なのは分かるけど、その方向性が間違っているような…。
 
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 *夕暮れ時はマジックアワーと言われるように魅力的な時間帯で刻々と変わってゆく光に見とれてしまうこともありますが、この日もそんな日でした。茜色の空が広がる頃、カラスたちが三々五々ねぐらの樹に帰ってきます。

 木のてっぺんの一番いい場所を取ろうとあちこちで小さな小競り合いが…。空が薄暗くなり始めるとその内静かになってきます。暮れきる直前に森の向こうに赤黒い残照が垣間見え手前に黒々とした木々と鴉たちのシルエットがぞくっとするほど美しかったです。その色合いがどこか加山又造の日本画のようでした。

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世界を埋め尽くす情熱 ザルツブルク大聖堂 [NOSTALGIA]

世界を埋め尽くす情熱 ザルツブルク大聖堂
 

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 先の一人旅の話の続きなんだけども…、20代で初めて欧州(当時はまだそんな言葉がぴったりだった)に渡った時、シベリア鉄道と飛行機を乗り継いで最初にたどり着いた大きな都市がモスクワだった。その後はじめて足を踏み入れた当時の西側自由圏の都市がウィーンだった。

 そこで最初に感じたのは西洋はつくづくと石の文化だなぁということ。同時にぼくらはいかに木に囲まれて暮らしていたかということだった。多くの教会を訪れたけれどもぼくの好きだった日本の寺院のような人の心を静謐にそして安寧にしてくれるような気配を感じることはできなかった。

 それはもちろん育った環境の要素が大きくて、西洋で育った人たちはそこに静謐と精神の安寧を感じるのだと思うのだけれど、ぼくには威圧という感覚の方が強かった。のしかかるような石の重み。西欧の街に住み始めてからも石の街で感じる孤独感は果てしのない、日本の寺院で感じるようなあのどこか包み込まれるようなある種居心地の良い孤独感とは無縁の感覚だった。それはまさに異文化の感覚だった。
 
 
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 それから、もう一つ感じていた異文化感覚が西欧の、巧くは言えないのだけれど、「世界を何かで埋め尽くしたいという情熱」のようなものだった。それは絵画や建築にも表れている。美意識の点からみても日本の文化は言わば「余白の文化」と言おうか、描かれないもの、語られないものに思いを巡らすという美意識、価値観のようなものがある。

 もちろん日本にも洛中洛外図や若冲の動植綵絵のように、画面の隅々まで埋め尽くしたいという情熱を持った絵も存在するけど、それは例外的なものに留まっている。ザルツブルク~ウィーンの一人旅でどうしても撮りたかったのがモーツァルトが洗礼を受け、カラヤンの葬儀が行われたザルツブルクの大聖堂の天井画だった。

 建物は17世紀に建築家のサンティノ・ソラーリの手になるものだが、天井画はドナート・マスカニートによるものとされている。その画家についてはぼくは余り知らないのだけれど、そこにはまさに世界を何かで埋め尽くしたいという並々ならぬ情熱が感じられる。絵画とその周りを囲む彫刻は目のくらむち密さで天井を埋め尽くしている。 

カメラを天井に向けて頸が痛くなって限界になるまで撮り続けたがもちろん切りがない。どこまで行ってもフレスコ画や彫り込まれた彫刻達が「まだだ、まだだ…」と言い続けているようだった。
 
 
 
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*絵画や建築で見られる「世界を何かで埋め尽くしたいという情熱」は西欧のものであると同時にバロック、ロココでその頂点を極める長きにわたって西欧を突き動かしていた時代の情熱だったのかもしれません。

 印象派などで幕開けした近代の西欧の美意識は産業革命を通してよりシンプルで機能的なものへと変質していったような気がします。しかし身の回りには今でも厳然として当時の美意識の世界が存在していることも確かだと思います。

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