SSブログ
新隠居主義 ブログトップ
前の10件 | -

春彼岸 柴又 [新隠居主義]

春彼岸 柴又
 
IMG_0809.JPG

 昨日は春彼岸の墓参り。母が存命の頃は墓参りの帰りには柴又の帝釈天に寄ってお参りしてそのあと「ゑびす家」でうなぎを食べて帰るのが習わしみたいなものだった。それが母が他界してその母の墓参りをする今になってもなんとなく続いている。

 その時々によってお参りの後に寄っていただくのは「ゑびす家」のうなぎか「大和家」の黒い天丼かのどちらかなのだけれど、最近は、まさにうなぎ上りで途方もなく値上がりしてうなぎの敷居が高くなっている…けど、昨日は思い切ってうなぎ。まぁ母の供養に…、などと言いながら結局は自分の口がかわいいのだ。

IMG_0823.JPG
 一昨年の大晦日のテレビの「孤独のグルメ」特番では五郎さんがここ「ゑびす家」から中継していた。最近はうな重自体とんとご無沙汰だけど、ぼくは此処のうな重が一番好き。ほっこりしてたれの味も濃すぎずちょうど良い。母を連れてきていた時はいつも店の奥の小上がりの座敷に座ったのだけれど、カミさんと二人の今はテーブル席だ。
 
 IMG_0825.JPGIMG_0819.JPG
 IMG_0820.JPGIMG_0827.JPG
 
 昨日は週末の上何かのイベントもあるようで帝釈天の参道は結構な人出。見たところ半分以上は外国人の観光客のようだ。聞こえてくるのは殆ど日本語以外の言葉。近くの駐車場に観光バスが止まっていたのでそれに乗ってきた人たちもいるのかもしれない。

 いわゆるインバウンドを目当てにしたものか、以前はなかった食べ歩きの串に刺したうなぎや卵焼きなんかも売っている。賑わうこと自体は良いのだけれどトラブルもありそうで、いつも寄るちょっと気の利いた小物を売るお店の店先には今日は「お店の中には入れません」という看板がかかっていた。週末の混雑する時だけかもしれないけどいつも店内を覗くのを楽しみにしていただけに残念だった。

 最近はオーバーツーリズムが問題になっているけど、他の商店への迷惑も考えず安易に儲けようという商法にも問題はあるので、商店街など地域で解決すべきなのだろうが…。帰りは大徳で佃煮を買って帰る。佃煮は大徳の斜め前の今は改装中の丸仁の佃煮が老舗で美味しいのだけれどお値段が大分違うので、家で気軽に食べられる値段でしかもそれなりに美味しい大徳で何種類かを買ってくる時が多い。まぁ、車を運転してこそできるこういう墓参りスタイルを出来る限り続けたいとは思っている。
 

IMG_0812RS.JPG
 

j0394984.jpgInkyoismlogo.gif 


 *人出は多いけれど観光地化して滞在時間が短くなったせいでじっくり腰を落ち着けて食事するゑびす家のようなお店は敬遠されるのか、参道の茶屋などは混んでいたのにゑびす家は昨日食事した時はお客はぼくらだけでした

 **柴又の記事をはじめてこのブログに載せたのは2005年の年末でした。それからもう二十年近くも経ってしまいました。当時の記事のレスポンスやコメントを見てもかなりのブログアイコンが空白になっており時間の経過を感じます。

 
and also...
 
歳末の決まり事
 


nice!(53)  コメント(10) 
共通テーマ:アート

LPレコードを洗濯する [新隠居主義]

LPレコードを洗濯する
 
IMG_0709bRS (編集済み).JPG
 
 この間ブックオフで買ったローズマリー・クルーニーのLPは歌も音質も素晴らしかったのだけれど、聴いていると時々プチプチ音が聞こえる。レコードの盤面に傷などがあると、スクラッチノイズと言ってボツッとした比較的大きな音がするけれど、それに対して小さめだがプチプチやピシッと言ったような音がして気になることがある。

 それは静電気だったり、盤面の溝に埃や汚れがあってそれが原因でそういう雑音がすることが多い。今回も目立った傷は無いのだけれどやっばり溝に汚れや埃がたまっているようだ。それらは通常のブラシやスプレーなどのメンテナンスツールでは取り切れないので、昔は中古レコードを買ってきたときは必ずレコード盤を中性洗剤で「洗濯」してから、通常のメンテナンス作業をするようにしていた。盤面の傷はどうにもならないけど溝にたまった埃に起因する雑音はそれで殆どなくなる。

 今は大手の中古レコードの専門販売店は最近のクリーニングマシンを使って洗浄してから店頭に出すらしいので比較的盤面もきれいだけど、ぼくが買った店はどうやらそのまま出しているようだ。昔は自分でやる時は「洗濯」の際盤面中央のレーベルを濡らさないように気を使ったけれど、今は写真のような「ラベルプロテクター」なるものがあるので、それでラベルのところを両側からカバーすれば濡れずにすむというわけだ。(ということは、今でもLPを洗濯する人がいるということか)

 
IMG_0707(1).JPG

  中古レコードの「洗濯」は中性洗剤とぬるま湯で丁寧に洗うことにしている。溝の掃除は昔も盤面の溝に届いてなおかつ盤面を傷めない、髭剃り用のシェービングブラシを使っていたので今回もそれを使って泡立てて洗う。洗ったら繊維が極細なマイクロファイバーのクロスでふき取り乾かす。乾いたら盤面ブラシと静電気除去などのスプレーで通常のメンテナンスを施す。これをしないと我が家の場合猫がいるので盤面やターンテーブルの静電気が猫の毛を吸い寄せ無残なことになる。(下の最後から二枚目の写真でも既に一カ所猫の毛が落ちている…w)

 「洗濯」して乾燥後、再生してみたら全くと言っていいほど雑音が気にならない快適な状況。もろちん誰にでもお勧めできる方法ではないかもしれないが、これからも中古レコードを買う時は昔のように傷だけをチェックして、買ってから盤面を「洗濯」するようにしたい。現在のレコード市場は99%が中古レコードの市場なので中古レコードを甦えさせるテクは大事だと思う。

 というか、できれば汚れて安くなっている掘り出し物をみつけたいなと。働いている頃はノイズやハウリングなどの対策や聴くたびのレコード面の手入れなど鬱陶しく感じていたけれど、時間が出来た今はそれが大好きなアルバムの別格な聴き方への厳かな儀式のように感じている。
 
 [ぼくのLPレコード洗濯法]
①ラベルプロテクターでラベルを覆って濡れないようにする。ラベル保護だけでなく、盤面を洗う時の持ち手の役目も果たし盤面を持たずに作業ができるので傷をつける心配がない。
②シェービングブラシのような少し腰のある毛質のブラシに中性洗剤をつけ泡立てて盤面を溝に沿って円を描くように洗う。溝に入っていた埃などを浮かせて流す感じ。歯ブラシなど硬いブラシは盤面を傷つけるので向かない。最後に洗剤が残らないようにぬるま湯でちゃんと洗い流す。
③よく洗ったマイクロファイバークロスのような柔らかく吸水性のある布で水気をふき取る。
④ブックスタンドなどに立てかけて乾燥させる。その際再度埃が付いたり、盤面に傷をつけないように気を付ける。
⑤クリアトーン558のような静電気除去、クリーニング機能のスプレーをかけクリーニングブラシで盤面を拭いて仕上げる。よくLPをターンテーブルに載せて回転させたままブラシングする人がいるが、トルクの強いダイレクトドライブでも一カ所に力を加えるのはモーターの偏芯の原因になるのでぼくは避けている。
⑥ピカピカの一年生の誕生。


IMG_0708 (編集済み).JPGIMG_0709 (編集済み).JPGIMG_0710.JPG
IMG_0711 (編集済み).JPGIMG_0712.JPGIMG_0713.JPG
 

MP900402846.JPG
Inkyoismlogo.gif
 

 *上の6枚の写真の一番最初の写真では11時の方向に少し汚れが目立っていますがこれは通常のブラッシングなどでは取れなかった汚れですが「洗濯」の後ではきれいになくなっています。

 以前のLPレコードはラベルの部分が紙だったものもあったりして水に濡れると剥がれたり破れたりしてしまう恐れがありました。

 またレコード自体が貴重なものでしたからそれを「洗濯」で丸洗いするなどのことはタブー視されていて、当時友人からも言われれたこともありますが…。

 今のほとんどのレコードのラベルの部分は紙ではなく剥がれもしないのでプロテクターが無くても良いようなものですが、そこはぼくも昔の感覚を引きずっていて汚したくないと…。プロテクターが売っているという事はぼくみたいな人がいるということですね。

  LPレコードの手入れの仕方は他にもお化粧パックのように盤面をパックして埃などを剝がしとるという方法もありますがLPの枚数が多いとコストがかかりそうです。ご紹介したのはあくまでぼくのやり方なのでご参考程度に…。
 
 

nice!(53)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

ノスタルジック・オーディオ [新隠居主義]

ノスタルジック・オーディオ
 
IMG_0661RS.JPG
 
 以前、置く場所もなくなって持っていたLPレコードはすべて処分して、今はCDとiTunes経由の再生で聴いていて特に不満はなかったのだけれど、最近レコードがなんか無性に聴きたくなった。でもLPは手元にもうないし、第一肝心のレコードプレーヤーもとっくに処分してしまったので…。

 と思っていたところ最近、以前から密かに欲しかったREGAのレコードプレーヤーなら今のスペースにでも置けるという事が分かったので思い切って手に入れた。REGAのPlanar3は音を出すのに最低限必要な機能しかついていないのだがそれも潔いし、音質のためには妥協がないところがいい。

 カートリッジはやはりREGAのExactをつけた。音を出してみてその豊かで温かい響きに久しぶりにレコードの香りを思いださせられた。とくに中低音の豊かな響きはやっぱりCDとは一線を画している。また同じイギリスということでもう50年近く使っているTANNOYのスピーカーとの相性も良いようだ。
 
IMG_0635RS.JPGIMG_0633RS.JPG
 
 何とか念願のブツを手にしたのは良いのだが、ところがどっこい、手元には一枚のLPもない。で、昨日慌ててジムの帰りにその近くのブックオフに中古レコードを探しに寄った。ネットでブックオフのその店舗でも中古のLPレコードを扱っていることを確かめてから行ったのだけれど、なかなか見つからない。店員の女性に「LPレコードはどこですか?」と聞いたら「あ、あの絵の出るやつですね」と…絵なんかでねぇし。レーザーディスクと間違えている。

 LPレコードのなんたるかをちょっと説明すると店の端っこの見えにくいところに連れてゆかれた。狭い幅の棚二段分くらいにLPレコードが申し訳程度に置いてあった。値段はどれも一枚500円。在庫枚数が少ないのであらかた目を通して良いのを二枚発見した。一枚500円というのはこのプレーヤーを買うために有り金をはたいてしまった今のぼくにはなんともありがたい。

 一枚はローズマリー・クルーニーのアルバム"With Love"。1981年のLPだからロージーが歳を重ねて一番味がでて来たころのアルバム。ロージーのアルバムはCDで結構持っているけどこれは持っていないのでラッキー。家に帰って盤に針を落とすと(良い表現だなぁ)やっぱりwifi経由とはレベルの違う音。彼女のマイクの位置もビブラフォンにいたっては鍵盤の位置まで感じられる。

 もう一枚はイ・ムジチの演奏するヴィバルディの「四季」これは昔もLPで持っていた名盤でバイオリンのフェリックス・アーヨがメンバーだったイ・ムジチ全盛の頃の録音盤だ。力強い弦の音がグイグイ迫ってくる。またオーディオの沼にはまりそうだなぁ。まぁ、楽に出歩けるようになったらまたお茶の水のオーディオユニオンあたりで中古LPの極安掘り出し物を探しに行くのもリハビリの励みになるかもしれない。
 

IMG_0637RS.JPG
 

MM900205401.GIF
Inkyoismlogo.gif
 

 *今また再評価をうけている、アナログなオーディオや写真における銀塩フィルムなどへの傾倒は多分にノスタルジックな要素を含んでいるとは思いますが、一方その中にデジタルが切り捨ててきた何かを人間の感性が感じ始めているという側面もあるような気もします。

 それが何かはぼくにはよくわかりませんが、もしかしたらそういうものがAIやディープ・フェイクに対抗する人間に残された感性的な能力に繋がってゆくような予感もしています。

 
and also...
 



nice!(45)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

Blue or Pink 認知症テスト [新隠居主義]

Blue or Pink 認知症テスト
 
IMG_0605RS.JPG
 

 今年は運転免許更新の年なので、今回は更新前に認知症のテストと実車教習を受けなければならない。特に認知症のテストは今回が初めてなので心配だったけど先日受けてきた。

 東陽町の試験場は当然だけれど75歳以上の高齢者ばかり。てきぱきとした女性の係官の試験会場での試験についての説明のイントロで、
「これからの説明で何かわからないことがあったら手をあげてください」といった途端に挙手があり
「テストはどうやってやるんですか?」の質問。
「それをこれから説明するんですよ~」 会場から失笑の笑い。年寄りは気が短い。

 実はぼくは若いころからワーキングメモリー、短期記憶が苦手で初対面で紹介された人の名前もすぐ忘れてしまったり、暗算の引き算が苦手という事で、どうやらそういう能力を問われるらしい認知症テストは心配だった。

 当日のテストのメインは4枚一組になった絵を4組合計16枚の絵を見せられて、それを覚えるというもの。覚えた後に、一旦記憶を忘れるように他の問題をやらされて、それから思い出して解答するもの。幸いぼくはヒントなしで15枚、ヒントありで16枚全部を思い出すことができたのでよかった。

  事前に警視庁のホームページでこの認知症テスト問題の解答用紙サンプルを見ていたので慌てることなく助かった。試験が終わった後採点が行われて結果の発表。ブルーの書類を貰えれば合格。ピンクの書類を貰ったら不合格。不合格なら再度挑戦か医者に認知症じゃない証明書をもらわないと更新できないということらしい。とりあえず合格。

係官の注意事項も高齢者向けの雰囲気満点。
・解答用紙に答えを書くときは絶対に声を出さないように。たまに答えを独り言を言いながら書く人がいます。
・解答用紙をめくる時は絶対に指を舐めてめくらないように。どうしてもめくれないときは手をあげれば係官が行ってめくってさしあげます。(後で解答用紙は係官が採点するので感染防止のためです)
・のどが渇いたり咳が出たりする人のために飲み物とアメは机の上にだしておいていいです。

 あとは来週の実車教習をうければ更新なのだけれどなんとも面倒だが決まったことだからしかたないなぁ。
 


animated-car-image-0035.gif
Inkyoismlogo.gif
 
 *ヒントありでも全然答えられないとちょっとまずいらしいです。普通の年寄りの物忘れは記憶そのものがなくなってしまうのではなく、その記憶を引き出す機能が鈍くなっている、つまり引き出しの中には記憶がちゃんと入っているんだけれど、それを正しく引き出すいわば見出し、インデックスの機能が鈍くなっているわけで、ヒントがあれば引き出せるというわけです。それが本格的な認知症になってしまうと引き出しの中に記憶自体が入っていなかったりして…。なんか他人ごとではないなぁ。
 


nice!(42)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

新米主夫から週末シェフに [新隠居主義]

新米主夫から週末シェフに
 
IMG_0333.JPG
 
 三年前の暮れにカミさんが腕を骨折して料理などの家事が出来なくなったので、急遽新米主夫として料理をするようになった。カミさんの指導でいきなり始めたのが時期的におせち料理だったのは大変だったけど、年を越してからはご飯を炊いて味噌汁ができるようになることがまず覚えることだった。

 今では大分レパートリーも増えてきたのだけれど、去年の夏今度はぼくが腰痛で料理のため長いことキッチンに立つことができなくなって、今は平日は皿洗いで週末だけ料理を作るようにしている。週末シェフといえば聞こえはいいけど、レパートリーは増えたけれど、いまだに冷蔵庫にあるものでその日の食卓を完結するという事は苦手である。

 この日の晩はナスのグラタンと鯛のカルバッチョにしたのだけれど、ぼくがメニューを決めるとどうしても何を飲むかという事からの逆算になってしまう。今はお酒は基本的には週なかで一回と週末だけにしているので…。これも週末シェフだから許されることで、毎日の事だったらそうも言っていられない。


IMG_0231.JPG
 

 週末シェフになって以前よりも料理が好きになったような気がする。義務感と献立を考えるストレスをカミさんにお返ししたことが大きいけれど、逆にカミさんからだけでなく雑誌やテレビなどで新しいメニューを試してみる余裕がでてきたので、それが楽しくなったという事もある。カミさんもそれを楽しみにしている節もある。

 でも、ちょっと寂しいのはレオが居なくなってぼくが調理している時のお目付け役の調理監視団が解散してしまったことだ。カウンターの上ですぐ手を出すレオに「あ、それ食べちゃダメ」とか言いながらワイワイやっていた楽しさは戻ってこない。カウンターの上で大人しくちょっと手持ち無沙汰にしているハルの姿も心なしか寂しそうだ。と、嘆いていても仕方ない。今は精進して幻の調理監視団に☆一つもらえるような週末シェフになりたいと思っている。


IMG_0168.JPG
 

北斎漫画01.jpg
NewInkyo.gif  


nice!(62)  コメント(9) 
共通テーマ:アート

謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年
 
2024年賀状blog版.jpg
 

1109.jpg
logo2.gif

nice!(57)  コメント(19) 
共通テーマ:アート

Blue Light Yokohama [新隠居主義]

Blue Light Yokohama
 
DSC06545B.jpg
 
 
 黄昏時を特に写真を撮る人たちはマジック・アワーと呼んでこの時間帯を好んでいる。黄昏はもちろん季節のどの時にもやってくるのだけれど、特に秋においては太陽がつるべ落としと言われるくらい素早く沈んでゆくので、自分を取り囲んでいる空間の光や様相が時々刻々と変化してゆくこともあり特に印象深いのかもしれない。

 黄昏時になると視界の中のものの輪郭もぼけてきてやがてシルエットに…。それで少し現実感も薄れて「逢魔が時(おうまがとき)」ともいわれるようにこの時間帯は事故も多いらしい。やがて日が暮れてあたりは闇に包まれるのだが、昔の人はそれを「夜の帷(とばり)が下りる」などと言うしゃれた言い方をしている。もっとも現代では電燈があるのでいきなり闇の世界はよほどの田舎でないとおとずれないけれど…。

 刻々と変化する空気の色合いもマジック・アワーの魅力の一つだ。天候にもよるけれどピンク色の空に紫が混じりやがて空気が青色に染まってゆく。子供の頃は夕闇が青色だと思った記憶はないけれど、若いころモスクワのホテルの窓から暮れてゆくモスクワ川の畔を眺めていたら、あたりの空気がゆっくりと青色をおび、その青色が明かりを点けていないぼくの部屋にも忍び込んで、気が付けば真っ青な夜に囲まれていたという体験をした。それ以来、夕暮れ時の青に魅せられている。


DSC06531B.jpg 

MM900223791.GIF
today.gif
 

 *以前徘徊仲間と横浜に行って黄昏時に大桟橋を訪れたとき青く染まる夕暮れを体験しました。暮れなずむ桟橋には対岸からはまだ昼間の余韻を残した都会の喧騒と、そしてベイブリッジを望む海側からは船の汽笛が聞こえてきてまさにBlue Light Yokohamの風情満点でした。桟橋を散策する人影もその青い空気に染まるのを楽しんでいるようでした。またあの場所に行ってみたいと思っています。
 
 DSC06513.jpg


nice!(57)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

斬られました… [新隠居主義]

斬られました…
 
IMG_8925.JPG
 

 背中をばっさり斬られました。二週間ほど入院して脊柱管狭窄症の手術を受けた。基本は長引くコロナ自粛で、外出もなしジムにも行けず運動量も減っていたということがあるのだろうと思うけれど、今年の三月くらいから脚の痛みと下肢に力が入らない等で歩くのもままならない状態が続いていた。

 翌月から以前通っていたリハビリ病院でのリハビリを続けていたのだけれど、大幅に改善するということがないまま夏も終わろうとしていた。担当の理学療法士の先生の勧めで5年ぶりにMRIを撮ってみると以前はなかった腰椎部にかなり狭窄している部分があることが見つかった。

 その狭窄が神経を圧迫して色々なところに影響が出ているらしい。神経のダメージがあまり長期間続くと手術してその圧迫を取り除いてももう元通りには戻らないことが多いということで、今のうち手術を受ける決断をした。実は二十数年前に頸椎症の手術で背中には首から40センチくらいの長さの傷跡があり、今回の手術でその下の腰椎部分にまた20センチくらいの新しい傷が加わった。

 スマホで背中の写真を撮ってもらって見たら、背骨に沿って上下に切り取り線のような傷跡があって、何だか下手な辻斬りに後ろから斬りつけられたみたいで奇妙な姿である。まぁ、本人には見えないのだから良しとしよう。以前ジムのプールの中でウォーキングをしているとき、後ろから来たマダムが「あら~、首から背中すごいわねぇ、どうしたの?」と声をかけられたので、とっさに「あ、これ着ぐるみのチャックなんです」と答えたら訝し気な顔をして行ってしまった。今度またそのマダムに聞かれたら「いや~、この間辻斬りにあっちゃって…」とでも応えようかな。
 

IMG_8935.JPG
 

 入院、手術するにあたって一番心配したのはウチで毎日二回打たなければならないレオのインスリン注射と一日二回のハルの目薬さし。ぼくの入院中はカミさんに頼むほかないのだけれど、予行演習でカミさんがレオに注射しようとしたらしこたま噛みつかれてちょっと恐怖症のようになってしまった。それでもカミさんが何とか頑張って一日一回は注射できるようになったのでありがたかった。

 ぼくの方の手術で医者が一番心配していたのは糖尿があるので手術後の傷の治りに影響するのではないかということ。たまたま同じ病室の隣のベッドにいた人は頸椎の手術をしたのだけれど、やっぱり糖尿があって傷が治りにくく二週間の入院の予定が結局二か月にもなってしまったという。ぼくが入院した専門病院はコロナやインフルエンザの感染防止のため入院中は家族の面会も禁止とあって、長くは居たくないのが本音だ。

 幸いほぼ予定通りの期間で退院でき歩行時の痛みは無くなったけれど、他にも頚椎症の影響などでこれからもリハビリは続けなければならないが、自分の努力でリカバーできるのであればやりがいはある。一つづつ目標をクリアしてまたカメラをもってブラブラ街歩きのできる日を楽しみにしている。
 

IMG_9081.jpeg
 

j0189203.gif
logoinky.gif

 
 *入院中は1400キロカロリーの糖尿病食でした。今まで入院した時もそうでしたが、実に味気ない食事で食欲もわかないことが多かったのですが、今回は比較的食べやすい食事でした。毎食出るものを観察していたら、味がしっかりついているものは量で調節して全体としてカロリーや塩分を調節しているので、どれを食べても味気ないという不満が少し薄らいでいるのかなと感じました。

 おかげさまで、二週間ちょっとの入院で2キロ程度体重が落ちましたが、看護師さんは「娑婆に出ればすぐに戻るわよ」と…。入院中は厳しい血糖値コントロールがあり血糖値が200を超えると自動的にインスリン注射を打たれました。今までインスリン注射を打ったことはないので、ああレオは毎日打っているんだよなぁ、と…。今回はいろいろと考えさせられる入院生活でした。
 



nice!(51)  コメント(22) 
共通テーマ:アート

父からの便り [新隠居主義]

父からの便り
 
IMG_0020-001 (2).jpg
 
 今年の暑く長い夏もようやく終わろうとしている。父も母も他界したのは九月だったので、それからは暑さの想い出はいつもほろ苦い味がする。これからの夏はますます暑くなるだろうから…。幸いと言おうか、父も母も生前はこんな狂気じみた酷暑が当たり前の時代になろうとは思わないで逝ってしまった。

 21世紀になってまだ二十余年にして大きな変化がひたひたと近づきつつある気がする。20世紀末、日本のバブルは剝げたけれど、当時のぼくには来るべき世紀への明確な期待もなかったかわりに、形になった不安も見えていなかった。ただ、当時教えを受けていた永井陽之助先生の21世紀はテロと地域・民族・宗教間戦争の時代になるだろうという言葉が能天気なぼくの頭を打ちすえたのを覚えている。

 その21世紀になったばかりのある日、一通のハガキが届けられた。それはハガキよりひとまわり大きな透明のファイルに入れられていた。昭和60年(1985年)9月30日の日付だった。送り主は父で、文面から父は7月22日にこのハガキをしたためていたことがわかる。父は当時開催されていたつくば科学万博にいって会場から「20世紀の私から、21世紀のあなたへ」というイベントでぼくとカミさん宛のその便りを書いた。

 つまりそのハガキは16年後の21世紀、2001年になってから配達されるというものだったらしい。父からはそのハガキのことは聞いていなかったので受け取ったときは驚きもしたし、感慨深くもあった。内容は家庭を大事にして暮らしなさいというようなものだけれど、最後に自分が海外旅行をしたようにこのハガキが着くころにはぼくらも月旅行にでも行けるようになっているかもしれないと結んでいる。

 その頃もう老齢だった父にとっての21世紀という新しい世紀の距離感がなんとなく漂っている。父は残念ながらこのハガキを投函した10年後の夏に他界した。父は根っからの職人だったから手紙を書くというようなことはほとんど無かった。覚えている限りぼくが父から何らかの便りをもらったのはこれを含めても二度。

 一度はぼくがまだ二十歳過ぎのころドイツに居る時に手紙をもらったことがあった。ぼくは下町の育ちだったから父のことはずっと「とーちゃん」と呼んでいたけれど、さすがに二十歳を過ぎてからは「おやじ」と呼ぶことが多かったけれど、でも面と向かって「おやじ」と呼びかけたのは記憶にない。

 当時のその手紙の文面はいかにも父らしかったけれど、一番驚いたのは手紙の中でぼくのことを「君(キミ)」と言っていたことだ。家では子供の頃からずっと父にはぼくの呼び名の「ケン」で呼ばれていたけど、手紙とはいえ「君」と呼びかけられると何とも言えない距離感を感じた一方、自分のことを客観的に見てくれるようになったのかと少し嬉しくもあった。

 父は酒を飲まなかったので一緒に暮らしていても酒を飲みながら親子で馬鹿話をするということはあまりなかったし、どちらかと言えば寡黙な父だったので「最近忙しいのか…」「うん、まぁ、何とかやってるよ…」みたいな、そばにいるからあたりまえの日常トークが殆どだった。今思うと、なんかもっといろいろと話しをしておけば良かったなぁと…。
 

IMG_8336.JPG
 
NewInkyo02.gif
 

 IMG_8334.JPG
 
 *今思うと、確かに21世紀が情報通信や遺伝子技術などの科学の発展で多くの問題を解決してくれる世紀のようでキラキラと輝いていた瞬間もありましたね。つくば科学万博は21世紀が16年後といういわば射程距離に入った1985年という微妙な時代のできごとでしたね。

 つくば万博の"…つくば万博は、科学技術に対する理解と協力を深め、人類の輝かしい未来の創造に寄与することを目的とし、「人間・居住・環境と科学技術」を統一テーマに掲げ…"というパローレは今のぼくらの心には複雑に響きます。
 


 (2014年)

 

nice!(52)  コメント(11) 
共通テーマ:アート

備えあっても、憂いあり。 [新隠居主義]

備えあっても、憂いあり。
 
IMG_8081.JPG

 まともに歩けなくなってからリハビリ病院とスポーツクラブを行き来する毎日がもう二月以上も続いている。状況は一進一退だけれど、歳だと諦めたらお終いだしリハビリはこれが初めてではない。自分で「手を抜かない無理しない諦めない」というリハビリの三原則を作ってやっているけど、時々落ち込むことも、まぁあるのは仕方ない事だ。

 こうなった一因は長く続いたコロナ自粛生活にもあるのだけれど、それも5月8日からは新型コロナが「5類相当」に移行されたということで新しい段階に入ったことになる。と言ってもコロナがなくなった訳ではなくて感染者の数字をとらなくなったので本当はどの位流行っているか分からないといった方が正しいと思う。

 何はともあれ少しでも動きがとれるようになってきたというのはありがたい事ではある。去年の12月、友人と二泊三日で房総半島へ行った頃はまだ冬の流行時期に差し掛かる頃でヒヤヒヤだった。万一旅先で罹ったら検査もままならないということで、友人と二人分の検査キットを含めたコロナ対策ポーチなるものをこさえて持って行った。

 中身は、①予備のマスク、②体温計、③パルスオキシメーター、④タイレノール(アセトアミノフェン系解熱剤)、⑤新型コロナ抗原検査キット(医療機関用)その頃は、コロナ熱に効くといわれていたアセトアミノフェン系統の解熱剤が品薄になっていたので、以前買っておいたのがあってよかった。

 結局その時はそのポーチのお世話にならなくて済んだのだけれど、最近になってそのポーチの出番が回ってきた。今月初め6回目のワクチン接種を受けて、また何の変化もないねぇ、などと言っていたら翌々日から39度近い熱が続いてひどい目にあった。今まで5回のワクチン接種は何の副反応もなかったけれど、6回目にして大当たりという感じ。

 今まで副反応にあったことがないのでワクチンを打った日から類推するしかない。医者に行くにも5類になってからはどこも発熱を伴う症状については予約をしないと診てもらえない。巷では5類になればどこでも診てもらえるようになる、という説と逆に感染拡大を恐れてどこでも診てもらえなくなるという説の両方を耳にしたけど、実際の所は電話予約をして大抵の場合尚且つ自分で抗原検査をして確認してから来院という手順が多いようだ。

 ぼくの場合は多分に副反応の可能性が強いし、ベッドから起き上がるのも無理だったので結局手元にあった解熱剤を飲んで熱が下がるのを待った。なんとか三日目に熱が下がってきたので医者に行かずに済んだのだけれど、今度はぼくと入れ違いにカミさんが39度近い熱を出した。

 この判断は難しい。カミさんもぼくと同じ日にワクチンを接種したので副反応にしては日が経ちすぎているし、かといってぼくの副反応が伝染することなどありえないから、今度はインフルエンザかコロナかそれとも風邪かという難しい局面になった。

 一晩中熱でうなされているカミさんの隣で、ぼくは頭の中で翌日のシミュレーションを繰り返した。朝になったらカミさんの熱を測って、パルスオキシメーターで酸素量を測って抗原キットでチェックしてから、近くのかかりつけ医の発熱外来に電話をする。ぼくのときは土日に当たっていたからクリニックはやっていなかったけれど、明日は月曜なので大丈夫なはずだ、等など。

 幸い朝になってカミさんの熱は下がったのでぼくのシミュレーションは無駄になったけれど、なんだかまだまだ安心して暮らせる状況ではないのかな、と思い知った。
 

 
IMG_8080.JPG
 


eyej0236233.giflogo2.gif

 *実は、高熱の後遺症からやっとリカバーしかけて、週初めの夕方から突然首の痛みが出て、翌朝には激痛で起き上がれなくなってしまった。いわゆる「ギックリ首」(急性頚椎捻挫症)だと思うんだけど…。

 

 今のところ手に強い痺れが出ていないので良かったのだけれど、痺れが出てくるようだと単なるギックリ首ではなく、頚椎の手術で入れている人工骨周辺の経年劣化異常の可能性があるので厄介。以前リハビリ病院のCTでも指摘されているのでなんとか持ちこたえてほしい。なんか今月は痛い痛い月間みたいな…。

 

 


nice!(39)  コメント(6) 
共通テーマ:アート
前の10件 | - 新隠居主義 ブログトップ