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桜ちる 雑感 [gillman*s park]

桜ちる 雑感
 
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 ■ いつとなくさくらが咲いて逢うてわかれる(種田山頭火)
 
 桜が咲いている時期はもともと短いのだけれど、今年の桜はいつもよりことさら短かった。近所の公園についていえば咲き始めようとするときに冷たい雨の日が続いて開花が遅れ、満開に咲いたと思ったらそのたった一日だけ晴れてまた雨が降った。奇跡のような一日の花見。それはそれで感慨深いものがある。
 
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 日本人は満開の桜と同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に散りゆく桜が好きなのかもしれない。桜吹雪とか桜が散る「はらはら」とという表現がぼくら日本人の美意識をくすぐるのだけれど、その根底にあるのは「もののあはれ」や潔さや滅びの美学みたいなものらしいが、そういう心情が戦前の軍部や政府にいいように利用されてしまったことも事実だ。

 軍歌「同期の桜」の中の一説「…みごと散りましょ、国のため」なんかは最初から亡びることを想定している。潔さとはそういうもんだと押しつけがましい。本来の兵の要諦からすれば泥を啜っても生き残って戦うというものだろうが、安易に降伏するのではないかという無能な為政者の猜疑心からか兵に自滅を匂わせている。端から自分の兵を信頼していないということだと思う。

 しかし今の日本人に求められているのは「もののあはれ」という心情を知りつつしかも「強かに生きる」という強さでもあると思う。考えてみると「もののあはれ」を尊んだのは古来武士階級などの上層階級が主で、一般庶民はもっとおおらかで強かだったはずだ。

 花見だって江戸庶民にかかれば落語の「花見の仇討」や「長屋の花見」のように陽気でハチャメチャなパーティーに変ってゆく。それにハラハラと散る桜は滅びているのではない、また春がめぐって時が来れば見事な花をつける強かさを持っている。散る桜の美しさはぼくにそう語っているように見える。
 
 ■さくらちる暮れてもかへらない連中に(種田山頭火)
 

 
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