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モラトリアム トーキョー [Ansicht Tokio]

モラトリアム トーキョー
 
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 今年の9月1日であの関東大震災からちょうど100年になる。そして世界でも今年二月のトルコ・シリア地震そして今月初めのモロッコ地震と立て続けに大きな地震が起きている。現地からの映像を見ているとまさにがれきの山で救出もままならない状況に胸が痛む。とても他人事とは思えない。

 と言いながらも心のどこかでは、モロッコでは家などの構造物が日干し煉瓦が主体だから…とか、トルコの場合も必ずしも耐震基準が守られていなかったのでは…とか、関東大震災も当時は街自体がほとんど木造で耐火性に乏しかったから…とか、なんとか自分たちの街はそこまではいかないのではないかと思い込もうとしているのかもしれない。

 しかし、阪神淡路大震災のことを考えると今の日本のビルや街が安全という思い込みはできないし、安全と言われた高層ビルにしても次第に明らかになってきた長周期振動の恐怖もぬぐい切れない。ぼく自身は被災しなかったのだけれど、ぼくは今でも1995年に起きた阪神淡路大震災の時の経験を忘れることができない。

 1995年、年初の正月気分がやっと抜けた1月17日、地震が起こった。朝出勤前に家でテレビを見ている限りでは、神戸で今本当に何が起きているか定かには分らなかった。当時、ぼくは企業の東京の本部に在籍しておりいつも六時前には自宅を出て七時過ぎには会社のデスクに座っていたが、そこに神戸支店長が悲痛な声で電話をかけてきた。

 今、神戸支店のあるビルに入ろうとしたのだが、オフィスのある4階フロア全体がすっぽりと潰れて無くなってしまっている。ビル自体も傾いている、と。そのビルの姿はその後のニュースの画面に何度も登場したが、その報告に全身から血の気が引いていった。電話の向こうでは支店長の嗚咽の声が響いていた。もし、それが平日のオフィスアワーに起こっていたら数十人の職員が犠牲になっていたかもしれない。

 東京はいつかは分からないが、大地震が必ずくると言われている稀な世界的大都市である。南関東のどこかで、マグニチュード7の地震が30年以内に約70%の確率で発生すると予測されていて、それは東京という大都市の真下でも発生することを意味している。

 東京は、いわばいつかは大きな利子をつけて支払わなければならない債務を抱えていながら、とりあえずはそれを支払猶予(モラトリアム)で先延ばしにされている、言ってみればモラトリアム都市だ。人々は恐れながらもそれは確定的な未来ではないことにして、その間に都市は海へと、そして空へと増殖してゆく。

 それも地盤が磐石な北東部へではなく豆腐のような地盤の臨海部へ、そして限りなく不安定な高い空を目指して繁茂してゆく。お台場、有明、汐留、そして丸の内、日本橋、原宿、六本木と次々にきらびやかな高層建築物と街並が出現してゆく。

 今東京都が「TOKYO強靭化プロジェクト」なるものを推進しつつあるが、喫緊でやらねばならないことも山積している。例えば地震の際に真っ先にぼくらを頭上から襲ってくる、ビルから突き出た袖看板などは法的規制も甘く見逃されている感じもする。

 ぼくもカミさんも東京生まれの東京育ちだからここが故郷なわけで、何があってもほかに行き場もないのだけれど、与えられたモラトリアム期間のうちに是非とも災害に強靭な都市になってほしいと願っているが…。
 


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 *以前、留学期間を終えて故国に帰る留学生に、時々は彼らが暮らしたこの東京のことを思い出してほしくてこのブログのAnsicht TOKIO(東京の眺め)というコーナーで撮りためた写真をスライドショーにしてDVDで渡したことがあります。

 その時の動画をYouTubeで限定公開にしてアップしていたことを思い出したので下に載せました。東京のできるだけ多様なスポットを入れたいと思い、ちょっと欲張りすぎてバックに東京にちなんだ曲が3曲も入って13分の長尺になってしまいました。冗長ですが、お時間の許すときにでもご覧いただければ嬉しいです。
 

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正義の対決 Akihabara [Ansicht Tokio]

正義の対決 Akihabara
 
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 秋葉原は会社勤めをしていた頃はオフィスに近いこともあって週に二回は行っていたような感じだけれど、会社を辞めてからはそんなに頻繁には行かなくなった。それはもちろん時間のある時にちょっと立ち寄るということが出来なくなったこともあるけれど、それよりも電気街からオタク文化のメッカへと秋葉原という街が大きく変質していった事について、ちょっとついていけなくなったということの方が大きいと思う。(ただし、駅前の昔のラジオ会館には以前からそういうオタッキーな要素はあったけれど…)

 今でも月一位いは行っているかもしれないけれど、それは駅の昭和通り側にあるヨドバシカメラが主で、昔のように駅の反対側の旧電気街の方に足を踏み入れることはめっきり少なくなってきた。ぼくはオタク系ではないけれど、スターウォーズやバットマンやマーベル系のフィギュアも好きで…、ただそこらへんも含めてぼくの関心領域のカメラ、写真関連、オーディオ、フィギュアそしてパソコン関連という領域がその大型店一店で満たされるというのが自然とそこに足が向いてしまう大きな理由かもしれない。

 そのヨドバシカメラの店頭のイベントスペースで見かけたのがこの写真の等身大のフィギュアで、それは当時封切られた映画、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016公開、原題:Batman vs. Superman: Dawn of Justice)でそのプロモーションイベントだった。面白いのでその時持っていたスマホで撮ったのがこの写真なのだけれど、残念ながら映画自体は観ていない。観ていないので、ここからは勝手な想像なのだけれどバットマンもスーパーマンもどちらも正義の味方なのでその二人が対決するということは二人の正義の捉え方が違うことから起きるのだろうと…、自分の正義を貫くために。

 しかし映画解説を読むと、そうではなくて実際にはスーパーマンは大事な人を人質に取られて、そしてバットマンはそそのかされて、というどちらも正義のための戦いではなく、意思に反して戦わされていたという事なのだけれど…。しかし歴史を見ると、どちらも正義を標榜して戦うのはよくあること、というよりは戦争はいつだってそういう形で行われてきた。

 正義に関する難しいことはぼくにはよく分からないけれど、マイケル・サンデル教授の「これからの正義の話をしよう」はとても示唆に富む著書だった。もちろんそこに明確な結論というものがあるわけではないけれど、そこではいわゆる正義すなわちコミュニティの善というものにもっと注意を払う必要を説いているのだと思うが、それは主にいわゆる社会正義のようなものに関わってくるのではないか。

 ぼくは正義とは本来、自由だとか、人権だとか、個人の尊厳だとか、そういうものについてのあり方なのだと思うけれど、どうも国家が「正義」ということを言い出し始めるとそれは、民族の誇りだの、自国の繁栄だの、自国文化の優位性だのへと、何か違うものとすり替えられてゆくように思えてならない。今も世界中で多くの人を巻き込んで正義の対決が行われているけど、国家が正義、正義と声高に言い出し始めたら国民は冷静に身構えて用心した方がいい。その内、気が付けば国民が逆らえない正義が独り歩きしているかもしれないから。
 

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都会の谷間 [Ansicht Tokio]

都会の谷間
 
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  ■ 東京バラード、それから
 
   東京では 空は
   しっかり目をつぶっていなければ  見えない
 
   東京では 夢は
   しっかりと目をあいていなければ  見えない
 
    (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」巻頭の詩)
 
 高層ビルが林立する新宿の新都心にくると、ぼくなんかは空に覆いかぶさる構造物に無言の威圧感を感じる。コロナ前には毎週この高層ビルの一つにある場所に来ていたのだけれどこの光景になかなか慣れない。

 覆いかぶさる言わば精神的な威圧感とは別に、ぼくは空気の流れの不自然さも気になる。いわゆるビル風というのだろうか、突然強い風が吹いてくることがある。鳩たちはその風を捉えて急上昇したり急降下したりしている。彼らにとってはビルだろうと山だろうと谷間であることに変わりはないとでも言っているようだ。

 そのビルの谷間に鳩たちのたまり場のような一画があって、そこは風の通り道から外れているのか多くの鳩が羽を休めている。鳩たちは近くの新宿御苑あたりから来たのか時折一斉に飛び立って上空で方向を見定めるように群れになって空を旋回しては彼方に消えてゆく。
 

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 そういえば子供の頃近所に伝書鳩を飼っている家があって、その伝書鳩たちは放たれると空高く舞い上がって、ひとしきり旋回してからどこかへ飛び去って行った。今は伝書鳩という言葉ももはや聞くこともなくなった。

 その昔伝書鳩は軍部の連絡や新聞報道の大事な使命を担っていた。明治時代に朝日新聞が記者が報道現場に伝書鳩を連れてゆき、現場で書いた記事や写真のフィルムを伝書鳩につけた筒に入れて本社に送るという方法を開発した。

 それは1960年代当初まで続いたということだけど、そういえばぼくにも思い当たることがある。高校生の頃、友達の父親が当時まだ有楽町にあった朝日新聞の本社に勤めており、そのつてで毎週朝日新聞の屋上にあった講堂で行われていた合気道の稽古に通うことになった。

 ぼくの生来の飽きっぽさで結局一年くらいで辞めてしまったのだけれど、当時稽古の合間に一休みするために講堂の外にでるとそこには鳩舎があった。そこからは多くの伝書鳩のクルクルと鳴く声が聞こえてきた。それが丁度60年代の初めころだったので、そこに居たのは長い使命を終えた鳩たちだったのだと思う。

 その鳩たちが最後はどうなったのかは知らないが、レース鳩に転身したり、あるいはここに群れている鳩のように市井の鳩として暮らしていたのかもしれない。ビルの谷間を自由に飛び回る鳩たちを見ていると嫉妬めいたものを感じることがあるけれど、ぼくは極度の高所恐怖症なので鳥になったら飛び立つたびにいつもビビッていなければならない。鳥になるとしてもせいぜいが鶏か鶉(ウズラ)。大空を舞う鳥にはなれないなぁ。
 

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街酔い [Ansicht Tokio]

街酔い
 
 
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 もうずっと散歩か通院以外は殆ど出歩いてはいないのだけれど、どうしても観ておきたかった展覧会があったのでほんとに久しぶりに渋谷に出た。緊急事態宣言が解除になってもリバウンドや変異種のリスクがましており東京はまだ異常事態であることはかわらないのだけど、電車の中も渋谷の街の人出もコロナ以前と殆ど変わらない感じがした。

 と言っても、視界に入る人々のほぼ100パーセントがマスクをしているというのはさすが日本だなぁという気がした。コロナ禍になってからは人混みを避けているので考えてみたら、こんなに大勢の人がマスクをして自分の周りを取り囲んでいるみたいな光景を目にしたことはなかったかもしれない。

 ハチ公の辺りには待ち合わせをしているらしい人が多いのはその誰もがマスクをしていることを除けば以前と変わらないのだけれど、遠くから眺めていると異常さの日常化みたいな感じがしてこれが「慣れ」とか「緩み」みたいに言われるなのかなと思ったりした。

「慣れ」とかを悪いことのように言われるけど、人類は本来「順応」に長けた生き物だ。人類を今まで生き残らせ繁栄させた主な要因は道具を使う知恵とどんな環境にも慣れるその順応能力の高さ故だと思っているけど、今その「慣れ」が生き物のもう一つの側面である防衛本能を鈍らせてしまっていることが問題なのかもしれない。

 なんて思いながら街を歩いていると、渋谷の街の喧騒の音と春の日に照らされた鮮やかな色彩が意識に飛び込んできてふらつくような気分になってきた。そんな言葉はないけど、言ってみれば「街酔い」みたいなものかな。本来、街撮りが好きで時間があればカメラを持ってうろつきたい方なんだけど、街から遠ざかっているうちに感覚が変わってきたのかも…。これもそのうちリハビリがいるなぁ。

 調子が良かったら渋谷の近隣に住んでいる友人に連絡してお茶でもしようと思っていたけど、とにかく写真展を観たらお茶も食事もしないで一直線に帰ってきた。
 
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がんばれ東京 [Ansicht Tokio]

がんばれ東京

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 ■ 東京抒情

 杉並の袋小路で子供らがかくれんぼする
 築地の格子戸の前で盛塩が溶けていく
 東京は読み捨てられたの漫画の一頁だ
 亀戸の洋服屋の店先で蛍光灯がまたたく
 多摩川の橋下でラジコンボートが沈没する

 大久保の線路沿いに名も知れぬ野花が咲く
 世田谷の垣根の間からバッハが聞こえる
 青山のかまどの中でパンがふくらむ
 東京はなまあたたかい大きな吐息だ
 東雲の海のよどみに子猫のむくろが浮く

 国領のブルトーザが石鏃(やじり)を砕く
 本郷の手術室で瞳孔が開き始める
 小金井の校庭の鉄棒が西陽に輝いている
 等々力の建売で蛇口が洩れつづける
 東京は隠すのが下手なポーカーフェイスだ

 美しいものはみな嘘に近づいていく
 誰もふりむかぬものこそ動かしがたい
 私たちの魂が生み出した今日のすべて
 六本木の硝子の奥で古い人形が空を見つめる
 新宿のタクシー運転手がまた舌打ちをする

  (谷川俊太郎「東京バラード、それから」)



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 まだ母が存命の頃、リハビリを行うために定期的にリハビリ病院に長期入院していた時期がある。毎日のように母を見舞って病院に行ったが時間によってはリハビリ中で治療が終わるまで長時間待たなければならない時もあった。

 そんな時はたいてい病院のすぐ裏の荒川土手に上って時間をつぶしていた。土手に上ると天気のいい時などは下から街の喧騒が聞こえ、川沿いのグランドからは少年サッカーの掛け声が響いてくる。

 ぼくも子供の頃は自転車でよくこの土手に遊びに来ていた。その頃は鉄橋の向こうにお化け煙突が見えたのだけれど今は見えない。そのかわり視線を反対側に移すと今は間近に東京スカイツリーが見える。

 この場所はぼくにとってふるさと東京の心の心象風景そのままなのだし、それが今も見えそして感じられるという事が嬉しい。古くは小津安二郎監督の「東京物語」にも、その後の「三年B組金八先生」でもよくここが登場していた。

 東京にはいろんな人が暮らしている。地方から出てきて東京で大学を出て故郷に戻る人。逆に故郷から就職や転勤で来ている人。取り合えずここに暮らしている人も多いと思う。でも、中には彼らにとって故郷があるように東京が故郷の人だって少なくはない。ぼくは千住そしてカミさんは深川の生まれ育ちで帰る故郷は無い。というかここが故郷で大好きな街でもある。ぼくらは幸せにもその故郷に住み続けているという意識でいる。

 その東京が日本中が落ち着き始めたころ、ただでさえ禍々(まがまが)しい東京都庁の伏魔殿のような都庁舎が赤く染まり、東京湾を睥睨するレインボーブリッジも血の色に染まった。東京アラートとかいう横文字好きの都知事の名付けた警報のサインらしい。

 めったに無い珍しい光景だと喜んで写真を撮りに行く人も多いみたいだけれど、東京を故郷と思うぼくらには見ていても痛々しくて、居たたまれないような光景なのだ。あのアピール好きの都知事さんに言いたいのだけれど、東京アラートで目立つように街を真っ赤にするよりも「がんばれ東京」というエールをおくるサインの方を是非作って欲しいのだ。


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Tokyo Blue [Ansicht Tokio]

Tokyo Blue

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 ■ あどけない話
 智恵子は東京に空が無いという
 ほんとの空が見たいという
 私は驚いて空を見る
 桜若葉の間に在るのは
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ
 智恵子は遠くを見ながら言う
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとの空だという
 あどけない空の話である。
  (高村光太郎)

 歳をとってから冬は苦手になったけれど、東京の冬の空は大好きだ。都心に出るためライナーを待っている間、駅の壁の隙間から覗く東京の空は素敵だ。雲ひとつない晴天という言葉があるけど、ぼくはサッと刷毛ではいたような、或いはポッポッとアクセントのように雲のある青空の方が好きだ。

 

 高村光太郎の詩によると智恵子は東京には空がないという。この詩の詠まれたのは昭和の初期だがその頃でも地方に比べれば東京の空は汚れていたというのはわかるような気がする。もちろんその頃のことはぼくには分からないが安達太良山の上の空はずっと青かったのかもしれないけれど、東京の青空は時代を映して紆余曲折を経ている。

 

 ぼくが物心ついた頃覚えているのは、近所の原っぱから見上げた冬の日の抜けるような青い東京の空だ。戦争、そして東京大空襲で焼け野原になり全ての生産的な施設も失った東京の上に広がっていたのは紛れもなく青い空だった。しかし、それはやがて経済復興、高度成長の進展と共に小津安二郎の映画「東京物語」に出てくるような下町の上に広がる灰色の空に変わっていった。

 

 東京が青空を取り戻すのには大分時間を要したし一筋縄ではいかなかった。環境汚染対策や環境保護技術の進展もあるけどやはりバブル崩壊もその要因になっているかもしれない。それに脱化石燃料の動きも寄与しているのだろうけど、それは一方で原発問題を引き起こしてもいる。さまざまな想いを映して東京の空は正直だ。今、ライナーの車内から眺める東京の空はTokyo Blueに染まって眩しいくらいだ。今のうちにスマホから目をあげてこの青空に浸っておこう。

 

 ■ 冬青空 わが魂を 吸ふごとし (相馬遷子 「山河」)

 


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AnsichtTokio01.gifBlue Heaven
もうすぐ…
荒川土手

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また少しづつ… [Ansicht Tokio]

また少しづつ…

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 一昨年うまく歩けなくなってから、もう長いことカメラを持って歩かなくなった。スマホで記録としての画像は充分撮れる時代になったというのもあるけど、今までやっていた趣味としての街撮りが出来なくなった。

 

 重い一眼レフを処分して軽めのミラーレスデジカメにしたのだけど、それでもやっぱりステッキをつきながらでは中々カメラを持って出る気にならなかったというのが正直なところだ。

 

 リハビリを重ねたお陰で昨年の秋にウイーンに行った頃からなんとかステッキなしで歩けるようになったので今は日本語学校の方も含めて以前の生活に戻すよう努力している。

 

 


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 先週、渋谷に写真展を観に行ったのだがその時本当に久しぶりにカメラを持って出かけた。カメラと言っても小さなコンパクトミラーレスなのだが、使い勝手が良いので気に入っている。

 

 カメラを持って街に出るとやっぱり自分の目線が今までとは違っている事に自分でも気づく。色んな情景に目には見えないフレームを無意識に当てはめて見ている感じがして、ああ、こんな感じだったんだなぁと面白がった。

 

 目の前に広がる取り留めのない現実に「視点」というフレームを当てて現実の一部を切り取って自分の意識の中に取り込んでいく。それによって雑多な現実が自分にとって特定の意味を持つようになるというのが面白いところだと思う。

 

 自分の生まれ育った東京という日々蠢いているこの街を多面的に自分の意識の中に取り込みたいと思うのだけれど、それはホログラムの映像のように常に揺れ動き視点を定めることが難しい。特に都会の情景とは自然の風景とは異なり、無機物と人もしくは人の痕跡が交錯しながら都会の情景を作り上げている。

 

 最近ぼくがその写真集をよく見る、主に都会を写す二人の写真家、Vivian Maier(ヴィヴィアン・マイヤー)とSaul Leiter(ソール・ライター)の写真に於いてもアプローチこそ違うものの人が彼らの写真の重要なファクターであることに変わりはない。

 

 Maierは不躾なくらい正面から、Leiterは少し距離を置いたエリアから…。尤も肖像権意識が異常なほど強い今の日本では特にアマチュアにとってはMaierのように真正面から一般の人を撮ることなどは不可能に近い。かと言って予め許可を取ってニコッとこちらを向いて撮らせてもらっても、ぼくにとってそれは何の意味もない写真になってしまう。

 

 でも元来ぼく自身の人との距離感自体がどちらかと言えばLeiterの距離感に近いので、肖像権の配慮をしながらも都会のファクターとしての人間を入れてその情景を撮っていきたいとは思っているのだけれど、その為にはまずは「脚」と「腕」を鍛えねば…。

 

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東京バラード、それから [Ansicht Tokio]

東京バラード、それから

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 ■ 東京バラード、それから

   東京では 空は
   しっかり目をつぶっていなければ  見えない
   東京では 夢は
   しっかりと目をあいていなければ  見えない

    (谷川俊太郎 「東京バラード、それから」巻頭の詩)

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  たかだか七十数年の人生だけど、今まで東京が大きく変わる節目を何度か目にしてきた。毎日少しづつ変わっているから余り気が付かないのかもしれないけれど、一定の期間を置いて見るとその変化の大きさに驚く。その中でも全体が短時間に大きく変わっていった時期というのもあるような気がする。

 ぼくは勝手に「土の時代」と呼んでいるのだけれど、ぼくの子供の頃は東京でも自分の身の回りのどこにでも「土」があるのが当たり前だった。小津安二郎の「東京物語」に出てくるような下町の千住に住んでいたんだけれど、自分の家の前も含めて身の回りはどこも土の地面ばかりだった。道路も敢えて舗装道路と言わない限りそれは砂利道か踏み固めた土の道のことだった。雨が降ればぬかるみになるから長靴は必需品だった。

 そんな状況が大きく変わってきたのはやはり1964年の東京オリンピックあたりからだと思う。と言っても目に見える急激な変化は都心周辺が主で下町に「アスファルトの時代」がやってくるのはそれからずっと後だったと思う。ぼくが結婚してからずいぶん経って下町から少し離れた東京の縁(へり)に引っ越してからも雨が降ると家の前の道がぬかるみになる状態はしばらく続いていた。

 それでも変化は着実に進んで、気が付いたら身の回りで「土」を目にすることが無くなった。近所の公園も最初は水たまりのできる散歩道があったのだが、今はそれも舗装されてしまっている。そして気が付くと東京全体から「土」が姿を消して、地表は固い鎧のような舗装材に覆われて「アスファルトの時代」になっていた。


 最近放送されているNHKスペシャル「東京Reborn」のシリーズをみていると、これから東京はさらに大きな変化をとげるようなのだ。都市は湾岸ベイエリアといわれる東京湾側に浸潤し、大深度地下と超高層という三次元の広がりをみせてゆく。この都市は今、「土の時代」から「アスファルトの時代」を経て、「モグラの時代」かつ「鳥の時代」へと移りつつあるようだ。

 しかし、心配なのはそこには新宿や渋谷や湾岸地域といったエリアごとのデザインはあっても東京全体の構想といったものが見えてこない。かつて、ウィーンはちょうど江戸から明治に変わる頃ハプスブルク家の統率の元、不要になった城壁の跡にリング通りを創り、リング内の公共の建物を一新する大改造を行い今の姿になっている。パリも江戸末期にナポレオン三世の元、確たるグランドデザインに従ってやはり大改造がなされて今日に至っている。

 もともと東京は江戸時代に徳川家康が壮大な構想の下に作り上げた計画都市でもあった。そして大正時代の関東大震災の後、五藤新平が東京大改造をデザインし着手したが、これは未完に終わってしまった。ある意味では今の東京は一つのコンセプトで設計するには巨大で複雑な生き物に肥大化してしまったのかもしれない。

 「東京Reborn」は未来に対応する壮大な実験なのかもしれない。新たなエネルギーを秘めた世界に類のない都市を実現しようとしているようにも見えなくはないのだが、東京を今も「故郷」として愛している人間にとっては、それは何ともリスキーでいろんな人間が好きなようにいじくりまわしているようにも見える、というのは年寄りのひがみなのだろうか…。

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歳末雑感 [Ansicht Tokio]

歳末雑感

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 写友と(以前は社友でもあったのだけど)恵比寿東京都写真美術館に写真展を観に行った。お目当てはイギリスの写真家マイケル・ケンナの写真展「MICHAEL KENNA A 45 Year Odyssey 1973-2018 Retrospective」なのだけれど、同時に開催されている他の写真展も観る。写真美術館は各フロアで別々の写真展をやっているので、大体常時3つの展覧会が並行している。もちろん入場料はそれぞれに取られるのだけれど、65歳以上だと割引があるので、行ったときは大抵3展全部を観ることにしている。

 ぼく的に言うとここでの写真展の勝率は2勝1敗というところ。ということは3つに1つは??がある。それはぼくにとってということで他の人に当てはまるわけではない。ぼくが単にアバンギャルドなインスタレーション的な写真展示が肌に合わないというだけのことで、ここでは3つに1つの割合でそういう展覧会があるということにもなるのかもしれない。今日の感じも2勝1敗だけど、ケンナの写真展がほんとに素晴らしかったので1敗はチャラどころか、お釣りがくる感じ。

 ケンナの写真展はほんとに素晴らしかったので会期中にまた来たいと思った。美術館を後にして、クリスマスを前にした夜景を見ようということで恵比寿のガーデンプレイスのビルの38、39階に昇った。ぼくは極度の高所恐怖症だから乗ったエレベーターの外が見えるガラス窓も気に入らないし、第一高いところに行くのが嫌だ。

 とはいえ、上がってみるとやはり上から見た東京の夜景はきれいだ。東京タワーが見える39階のデッキにはほとんど若いカップルばかりがいて、じいさまの三人組は正直言って浮いている感じがして、早々に下に降りて反省会と称する飲み食い場を探しに街をうろついた。

 何もない一年なんて、もちろんそんな年は無いのだけれど、それにしても今年はいろいろとありすぎた。人生長くやっているとそんな年も何年かに一回くらいはまわってくる。それも人生の一部だと妙に悟りながら痛い脚を引きずりながら帰途についた。

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上野を考える [Ansicht Tokio]

上野を考える


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 今年の夏ごろにはいい具合に戻りかけていた嗅覚が、秋の訪れとともにまたゼロになってしまったのでいつもの大学病院の耳鼻科を訪ねた。原因はよくわからないが、薬を替えたのが影響しているかもしれないということで以前の薬も併用するようにするとのこと。あまり期待しないようにはしようと思っているけど、一度戻りかけただけに落胆も大きい。

 病院の後、少し気を取り直そうと思って杖を突きながらだけど上野に向かった。上野は平日だというのに結構な人出。上野では今上野の森美術館の「フェルメール展」、東京都美術館の「ムンク展」そして国立西洋美術館の「ルーベンス展」と人気の展覧会が重なっていることもあると思う。

 でも、こういう時は何といってもぼくにとっては西洋美術館だ。会社員時代も辛い時うれしい時何かにつけこの美術館にやってきた。ということでルーベンス展に。ここ数年で上野の恩賜公園一帯は急速に整備されて快適な文化地区になっている。東京都美術館の手前の木立の中に点在していたホームレスのブルーシートの小屋もいつの間にか姿を消してベンチや遊具などが置かれている。

 上野が成田空港から都心に直行する外国の観光客にとって最初に目にする日本の街になるため、第一印象の点でも心配ではあったのだけれど、ホームレスの問題はそれ自体が基本的に解決したのではなくて、単にぼくたちの目に触れないようになったというだけではないのかという複雑な気持ちが残る。それどころか今や社会の格差は広がる一方なことを考えると格差の象徴のようなホームレスが減るのではなくて単に目につかなくなるということが本当に良いことなのか…。

 東京国立博物館の前も噴水は残ったけれど花壇だった植え込みはイベントもできる広大な広場に生まれ変わっているが、これはいわゆる公共の広場ではないらしい。物産展などのイベントはよく開かれているけど、デモや集会などが開かれているのを見たことは無い。当然申請しても許可は出ないと思うのだけれど、東京でデモや集会というと大体が代々木公園のような一般の目には触れにくいような所で行われている。

 たまに国会議事堂の前などでデモが行われても厳重な警戒体制の下でのものになるし、マスコミも何故かあまりそのことを報じない。本来デモや集会は民衆が政治的意思を示すための民主主義における重要な意思表示手段であるのだけれども、ベルリンやワシントンやソウル等でみられるような社会を大きく動かす目に見える形での大規模な集会は東京では、それ自体行える「広場」すらないのかもしれない。

 大昔、まだ学生の頃ベトナム戦争反対の集会が行われていた「新宿西口地下広場」を、そこは広場ではなく通路だという理由をつけて集会を禁じたことを想い出した。政治に対する正当な怒り(いかり)を訴える機能の麻痺した日本の社会はこれからどうなっていくんだろうか。西洋美術館の庭におかれたロダンの「考える人」の前でフトそんなことも考えていた。



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 *そろそろ外出時はカメラを持ってと思っているのですが、やっぱり杖を突いてだとカメラを構える時に杖をわきに置かざるを得ないので、この日もiPhoneだけでしたが、西洋美術館の庭で見上げたロダンの考える人の感じがとても良かったので、やっぱりカメラを持ってくればよかったな、と…。

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