SSブログ

沸騰する世界 [Déjà-vu]

沸騰する世界

 火にかけられた鍋の中のお湯が今まで静かだったのに、それが沸点に達した瞬間いきなり煮立って吹き上がり始める。もちろん目には見えないけれど静かなお湯の中でも沸騰するためのプロセスは確実に進んでいたのだがそれがぼくたちには見えなかっただけなのだけれど…。

 世界は今そんな時を迎えているのかもしれない。たった10年で世界は熱せられた鍋の中の湯のように煮詰まり始めた。沸騰前に鍋の底からいくつもの小さな泡が沸き上がるように、よく見れば今までも個々の国や事象での予兆はあったのに違いないのだけれど、それは何か繋がったもののようには見えていなかったのかもしれない。

DSC01874.JPG


 2011年に訪れたトルコもこの10年で大きく変わってしまった。当時はEU加盟を見越してコインのデザインもユーロ風になっていたのだが、その後エルドワン政権になって急速に右に舵をきっている。多くの宗教的紆余曲折を経て今の形に落ち着いた世界遺産のアヤソフィアもこれからはモスクの寺院にされることが決まった。

 イスタンブールからダーダネルス海峡を渡ってしばらく行ったエーゲ海に面したところにアイワルクという保養地がある。海岸沿いに瀟洒なホテルが立ち並ぶ風光明媚なところだ。早朝、朝霧の中を海岸を散策すると陽の光のかげんで時折空中にふっと小さな虹が浮かび上がった。夢のような瞬間だった。 

 朽ちた桟橋の向こうにはうっすらと島影が見えるが晴れた日にはその先にはレスボス島の島影が見えるという。海岸線からは目と鼻の先にあるが、そこはもうギリシャ領だ。レスボス島はレズビアンの語源にもなっている伝説の島だが、今この島が大変なことになっている。


DSC01779a.JPG
 Dardanelles Channel


 レスボス島にはトルコなどからの大量の避難民や移民が押し寄せ、島の難民キャンプは混乱に陥っている。難民の大半はシリアやアフガニスタン等からで、トルコを経由してギリシャそして欧州本土を目指している。難民の数はキャンプの3千人の定員をはるかに超えて一万人以上が対岸トルコからやってきた。

 数日前にはそのキャンプでコロナ感染が判明し、それにからんで数カ所から放火と思われる火災が発生、キャンプが全焼して大混乱に陥った。難民・移民に関してはドイツがメルケル政権の方針で数百万人を受け入れたことによっていまだにドイツは混乱しており、右派の台頭も招いているし、このコロナ禍で欧州はもうどこも難民を入れようとはしないだろう。*

 よく化学反応はちょとした刺激や添加物の投入で劇的に進むことがあるといわれるけれど、煮詰まりつつあった世界が新型コロナという刺激で一気に沸騰した感じになった。これはもとに戻ることはないだろうし、これからどのような変化が待ち受けているのだろうか。

 *先日ドイツがレスボス島の難民のうち家族連れを中心とする1000人規模の難民受け入れ表明をしました。


DSC02338.JPG
 Cappadocia


clock02.gif



IstanburDSC02384.JPG*イスタンブールのアヤソフィアを訪れた時、入場まで少し並んで待たされたのだけれどその時近くにトルコの小学生の団体らしい子供たちがいました。みんな陽気で人懐っこい笑顔が溢れていました。あれから10年近く経って彼らも大人になっていると思うのですが、どんな大人になっているんでしょうか。今でも彼らの顔から笑顔が消えていないことを祈ります。(アヤソフィアにて)

nice!(58)  コメント(3) 
共通テーマ:アート

Déjà-vu No.13 島情け [Déjà-vu]

Déjà-vu No.13  島情け


DSC04262rt.JPG

 「今度は、夏においでよ、海の色が違うからさ~」
 「そうだね、一度夏に来てみようかな」

 と、宿の女将と毎回同じような会話がなされるのだけれど、いまだに島には夏行ったことがない。大抵は冬か春先。春先なら本土で花粉がとび始まる頃までか。板を小脇に抱えた若者でごった返す夏の海岸は苦手だし、そんなところにいても身の置きどころがない。

 ぼくが島ですることと言えば、散歩と読書とそれに昼寝と島の話を肴に飲む酒くらいか。朝昼夕と散歩して、その間は昼寝して昼飯は島で一軒しかやっていない食堂でタコライスなぞを食べる。ぼくのような、たまに来る余所者からすれば天国みたいなところだけれど、島には地獄のような時代もあった。

 宿の後ろの家のおばさんは隣の島の出身で集団自決の生き残りでもある。隣の島にはぼくも大好きな長く美しい海岸線をもつビーチがあるのだけれど、そこには昔集落があったのだが、海流の関係か子供の溺れる事故が多発して結局集落は他に移っていったという。美しいけれど、恐ろしいものが島にはたくさんあるのだ。

 もちろん、都会では見られないようないいこともたくさんある。今でも春になると島で見たある光景をよく思い出す。その年は春先に島に滞在していたんだと思う。いつものように散歩をして帰り道に一休みしようと港にも寄ってみた。港には町内連絡船が停泊していたので、ぼくはベンチに腰掛けて乗客の乗り降りや荷物の積み下ろしなどをぼんやりと見つめていた。

 その時、突然頭上から歌声が聞こえてきた。その歌声は後ろの待合所の二階のバルコニーから聞こえてくる。振り向くとそこには三人の少女が立っていて、ちょっと恥ずかしそうにでも背筋を伸ばして歌っている。そうか春の異動の時期なのできっと先生が転勤で島を後にするということなのかもしれない。彼女たちは歌で先生を送り出しているのだろう。

 島の住民は全部で250人位で、島には小中学校が一緒になった学校がある。そこの先生かもしれないし、もしかしたら近年橋で繋がった隣の小さな島の学校の先生かもしれない。隣の島の住民は80人くらいだけれどやはり小中学校がある。歌は町内連絡船が出港するまで続いていた。

 東京の下町の喧騒の中で育ったぼくにとっては、なんか目の前で今起きている光景は別の世界での出来事のように映っていた。しかし、それも彼らにとっては日常の光景には違いないのだろう。世界のいたるところで、それぞれの日常が動いているという、ごくごく当たり前のことが深くぼくの心に浸み込んだ瞬間だった。

DSC04256r.JPGDSC07601rs.JPG


clock02.gif

nice!(56)  コメント(4) 
共通テーマ:アート

Déjà-vu No.12 旅先の光 [Déjà-vu]

Déjà-vu No.12  旅先の光

DSC00943.JPG


 ■ …子供のころ、たまらなくどこかへ出かけたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものである。年齢からいって大人の仲間にはいると、中年になればおさまる、とのことだった。いざ中年になると、こんどは「もっと年をとれば、その病はなおる」といわれた。いま五十八歳だから、これだけ年をとれば、だいじょうぶなはずである。ところが、病はいっこうに治らない…
       (ジョン・スタインベック 『チャーリーとの旅』/大前正臣訳) 


 きっとそんなに長い間ではないのだろうけど、自分としては、もう長いこと旅をしていない気がする。ジョン・スタインベックの小説に上のような部分があるのだけれど、ぼくは70も過ぎたというのに今でも旅の「むずむず」は治らないみたいだ。もう五十年近くも昔、まだ二十歳を少し過ぎた頃ロシアとヨーロッパを抜けてアフリカのカサブランカに行くと決めたとき叔父の一人に「この子は何をやりたいんだろうねぇ…」と訝られたことがあった。

 それは今思うと最初の「むずむず」みたいなもので、自分でも抑えることのできない何かの衝動だったのだろうと思うし、説明しろとか、目的は何だとか言われても答えることができないものだったのだとも思う。とはいえ、その「むずむず」の中身は歳と共に変わってきてはいるようだ。

 若い時のように動き回って何かにぶち当たるのを期待しているようなことは余りなくなった。もちろん体力がなくなってきたこともあるのだけれど、今は動き回るよりも何か新しい「居心地の良さ」みたいなものを探しているような気がする。じゃあ、今が居心地が良くないのかと言うとまったくそういうことはないし、その証拠に旅に出たとたんに後悔して家に帰りたくなる。

 だから、旅の途中で居心地の良い居場所が見つかれば例えば飲み屋やカフェや公園など、あとは動き回りたくなくなるのだ。それを旅と言うかどうかは、よくわからないけど、そういう風に「むずむず」の中身は変わってきた。


DSC06834rs.jpgIMG_7404.JPG


 そういう風に「むずむず」の中身が変わってきたのは歳のせいもあるけれど、その土地を楽しむやり方が若い時のようにただ動き回るのではなくて、どこか居心地のいいところに落ち着いて味わう、その土地の音や匂いや空気、光の移ろいなどをぼんやりと時の過ぎるままに、その中に身を任せて味わうという風に変わってきた。まぁ、半分は怠惰になった言い訳なのだけれど…。

 でも、そうするとちょっと困ったことになった。その土地を味わう一つの大事な要素である匂いが全く分からなくなってしまったことだ。普通、旅に出てその土地の駅や飛行場に降り立った時、真っ先にその土地、その国特有の匂いがぼくたちを襲う。それはある意味でぼくたちに「さぁ、きみの感覚のアンテナをはりなさい!」という合図でもあるのだ。その次にその土地の音が、そして光がやってくる。それが無い。

 以前旅したベトナムやカンボジアはその土地に着いた途端に本来は色々な匂いが洪水のようにぼくらを襲うはずなのだけれど、それがない。その時には既に嗅覚が失われていたから旅に現実味がないのだ。 とまぁ、嗅覚を取り戻す努力はしているけれど、失くしたものを嘆いているだけでも仕方がない。でも、昔の旅の写真を見ていたらぼくにはまだ光が残されていることに気が付いた。

 匂いと同じように、その土地にはその土地の光がある。しかもそれは同じ場所に居ても常に移ろっている。もしかしたら、今まで嗅覚に振り分けていた関心と感性を光の方に注げば、今までとは異なる「居心地のいい場所」を見つけることができるかもしれない。しかも、匂いは記憶の中にだけ残りえるけど、光は努力すればその一部を写真と言う形で残してまた後日味わうこともできるかもしれない。これからは今まで見逃していた旅先の光により目を向けようと思う。もちろん、嗅覚が戻ればそれに越したことはないのだけれど…。



DSC00842 (2).JPG


clock02.gif

nice!(50)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが… [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.11 旅に出たいが…


20140124_174336r.jpg


 ■ 旅3 Arizona

 地平線へ一筋に道はのびている
  何も感じない事は苦しい
 ふり返ると
 地平線から一筋に道は来ていた

 風景は大きいのか小さいのか分からなかった
 それは私の眼にうつり
 それはそれだけの物であった

 世界だったのかそれは
 私だったのか
 今も無言で

 そしてもう私は
 私がどうでもいい
 無言の中心に至るのに
 自分の言葉は邪魔なんだ


   
(谷川俊太郎 詩集『旅』より)


DSC07037rs.JPG

 前にも少し書いたけれど、旅から戻って少し経つとまたどこかへ行きたくなる。そういうのを放浪癖というのかもしれないけれど、ぼくのはそれともちょっと違う。放浪癖というのは山下清がそうであったように「放浪」すること自体が好きなのであって、定着することが苦痛なのだ。つまり、そこには定着イコール束縛という図式があるようだ。

 放浪する者にとってHOMEは息苦しいものであって帰るべきところではないらしい。ぼくは「放浪」と「旅」の違いは帰るべき日常があるか無いかだと思っている。そういう意味ではぼくには帰るべき日常があるし、日常こそ人生そのものだと思ってはいるのだけれど…。

 それどころか、旅に出たとたんに家に帰りたくなるし旅に出たことを悔やんだりするのだ。始末の悪いことに、ぼくは旅に出てもそれなりの日常を探そうとしたり、旅先で新たな日常を創り出そうとしたりする。ホテルの部屋につくなり、持ってきた物を置く定位置を探ったり、また来るかも分からないのに行きつけの店を作ろうとしたり…。だから、観光は余り得意ではない。ただ、いつもとは異なる場所で、朝飯を食ったり、本を読んだり、飲んだくれたりという日常を作りたいのだ。

 旅になんか出なくたって、君の周りに素晴らしい世界があるじゃないかと、ぼくの好きな画家たちが囁く。ボナールもハンマースホイもモランディもそしてワイエスも…。人生の大半をたった二か所で暮らしたアンドリュー・ワイエスはこう言う。「…このひとつの丘が私にとっては何千の丘と同じ意味を持つ。このひとつの対象の中に私は世界を見出す」と。

 写真家のソール・ライターもそうだったな。だから、旅に出て何か物珍しそうなものを探そうなぞとキョロキョロしているうちに人生は終わってしまうぞ、と。今は物理的にも身の回りのものに目を向けざるを得ない状況にもあるし、そういうライフスタイルが、そもそもぼく自身日常の些細なことが好きだという自分の性格にもあっているかもしれない。だから、しばらくは身の回りにもっと目を凝らして…広くよりも深く、 …ああ、でもやっぱり旅に出たいっ。


DSC_5520rssb.JPG


dejavu02.jpg




nice!(52)  コメント(3) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.10 旅に出たい [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.10 旅に出たい

DSC04851rs.JPG

 ■ 旅 1

 美しい絵葉書に
 書くことがない
 私はいま ここにいる

 冷たいコーヒーがおいしい
 苺の入った菓子がおいしい
 町を流れる河の名はなんだったろう
 あんなにゆるやかに

 ここにいま 私はいる
 ほんとうにここにいるから
 ここにいるような気がしないだけ

 記憶の中でなら
 話すこともできるのに
 いまはただここに
 私はいる

   (谷川俊太郎 詩集『旅』より)


DSC04256r.JPGDSC00183rs.JPG

 毎日異常な暑さが続いている、ぼくがいつもパソコンを打っている二階の部屋は西向きなので午後になって西日がさして、さらに屋根裏に溜まった熱い空気がブロック高気圧のように停滞しもの凄い室温になる。この間は午後の3時で39.8度その後一瞬40.1度までなった。

 こうなるとエアコンをフル稼働させても中々温度は下がらないで、その時は二時間たっても33度までしか下がらなかった。カミさんは室温の上がらない涼しいうちからエアコンをつけておけというけれど、電気代のことを考えると二の足を踏んでしまうし、それにまだそれほど熱くなければ外気の入る状態の方が良いのだけれど…。(と、言っている間に熱中症になるのかも知れない)

 三匹の猫たちの暑さに対しての対応はまちまちだ。モモは35度くらいでも僕の部屋の机の上で寝ている。寒い国の猫のはずなのに大丈夫なのだろうか。ハルはいまどきの猫らしくエアコン好き。エアコンの吹き出し口の下などで寝ている。レオは暑がりだけどもエアコンが嫌い。エアコンをつけるとすぐ部屋を出て行ってしまう。

 だけど長毛種のペルシャだから暑いはずで玄関や風呂場のなどのタイルの上で寝ているから、夜は冷凍庫で冷やしておいたアイスノンをタオルにくるんで置いてやるとその上で寝ている。ぼくはと言えば病院でのリハビリと母の処を行ったり来たり、それ以外は比較的涼しい寝室で寝ころんで本を読んだりしているのだが、そろそろどこかへ行きたくなってきた。

 でも今は母のこともあるし、自分の脚の具合もあって旅にいける状態ではないのだけれど、そう思うと尚更のこと行きたくなるのだ。ぼくはウチにいても退屈するということは全くないのだけれど、そして旅に出ればすぐにウチに帰りたくなるのだけれど、放浪癖というのか暫く経つとまた旅に出たくなる。旅の代償行為として今は昔の旅の写真を引っ張り出しては眺めている。



DSC01560rs.JPG

clock02.gif

 *あ、丁度1000本目の記事になりました。今後ともよろしくお願いいたします。


..

nice!(43)  コメント(10) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.10 夜の匂い [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.10  夜の匂い

DSC00808rs.JPG


おお 、人間よ! しかと聞け !
深い真夜中は何を語るか?
「わたしは眠りに眠り- 、
深い夢から 、いま目がさめた 、-
この世は深い 、
 『昼 』が考えたよりもさらに深い 。
この世の嘆きは深い-
しかしよろこびは - 断腸の悲しみよりも深い 。
嘆きの声は言う 、 『終わってくれ ! 』と 。
しかし 、すべてのよろこびは永遠を欲してやまぬ - 、
深い 、深い永遠を欲してやまぬ!」

O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
≫Ich schlief, ich schlief -,
Aus tiefem Traum bin ich erwacht:-
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht.
Tief ist ihr Weh-,
Lust-tiefer noch als Herzeleid:
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit-,
-will tiefe, tiefe Ewigkeit!≪

(ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』第四部「酔歌」より/氷上英廣訳)


DSC07430rs.JPG

 旅をしていると、いろいろな土地に行くたびにその土地特有の匂いがすることに気付く。もちろんそれは国境を越えたとたんに現れてくる類のものではないかもしれないが、例えばいきなり遠く離れた土地の飛行場に降り立った時など、それが急に襲いかかってくることがある。

 その匂いを嗅いだものにとっては、それはその土地を代表するものとして長く記憶に残るのかもしれない。一説によると脳において匂いと記憶を司る領域は隣接していて、それゆえ匂いには記憶を呼び覚ます力があるという。

 ぼくは今はその嗅覚自体が無くなってしまったのだけれど、考えてみるといまだに幻聴ならぬ幻嗅に襲われることがあり、それは例えばテレビで火事のシーンが流された時など一瞬焦げ臭い匂いを感じることがある。嗅覚がないにもかかわらず、である。

 まだ匂いが分かる頃にも、香しい焼きたてのパンの香りがすると若いころ早朝にウィーンのオーパーリンクの地下道を歩いている瞬間を思い出し、それは匂いだけでなくその時の自分の着ていた洋服まで浮かんでくるのだ。その土地の匂いがあるように、一日の中にも匂いの変化があるように思う。朝には朝の、昼には昼のそして夜には夜の匂いがある。

 それはその土地の特有の匂いに時間的要素が加わった言わば重層的な匂いと言えるかもしれない。ベトナムを旅した時にはもうぼくに嗅覚は無かったけれども、ホイアンでは南国のムッとしたような夜の空気のよどみの向こうに昼間の喧騒の埃の残滓と強烈なスパイスの混ざったような夜の香りが想像できた。

 まだかろうじて匂いの分かった頃に感じたリスボンのホテルのバーでの女の香水の残り香とジンの香り。石垣島の川平(かびら)の暮れなずむ田舎道で感じた潮の香りと雨上がりのサトウキビ畑の赤土の匂いが入り混じったような匂い等など。現実の匂いはぼくにはもう戻ってこないみたいだけれども、その時の写真を見ると沢山の匂いが頭の中に微かながらたちこめてくるような…。それも何故か夜の匂いの方が明瞭に立ち上がってくるのだ。


DSC04991rsb.JPG


clock02.gif


*2005年にこのブログAnsicht05を始めてから気が付いたらもう13年になろうとしています。その間にアップした記事ももうすぐ1000本になるということで、全てに飽きっぽい自分としてはこれは上出来なことなのだと…。

そして先日、ご覧いただいた総閲覧数がいつの間にか300万になっていました。ご覧いただいた皆様に感謝です。これからもマイペースでできる限り続けてゆきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。

06102018snt04.jpg

..

nice!(54)  コメント(13) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.9 もの想う海. [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.9  もの想う海


DSC00753RS.JPG

  …ここ2年ほど、私にとってサンタクルスという地名は特別なものだった。ここ二年…それは私が「檀」という作品に取り掛かっていた時期というのと同じことでもある。檀とは、作家の檀一雄の姓を意味するが、サンタクルスは、六十を間近にしたその檀一雄が、一年余り暮らした町なのだ。檀一雄はサンタクルスの海辺に家を借り、女中を雇い、酒場に出入りし、土地の人と付き合って楽しい日々を過ごした。「来る日、去る日」というエッセイにはこう書かれている。《短い一年のあいだに、これほど集約的で、これほど生一本な、友愛を浴びた時期は、ほかにない》…

  (沢木耕太郎「1号線を北上せよ」鬼火より/講談社)

  沖縄に行けなくなって、もう長いこと海を見ていない気がした。実のところそんなに長い間ではないのだけれど、もうずっと、という感覚がある。自分の撮った海の写真を見ていると色々なことが浮かんでくる。その中でもこのポルトガルのギンショ海岸の海は格別の思いがある。

 リスボンから殆ど真西に30キロほど行った北大西洋に面するギンショ海岸にぽつんと一軒だけホテルが建っている。昔の砦を改装してつくったホテルなのだけれど、そのレストランから眺めた海は一見どうということもないのだけれど、テーブルに腰かけてじっと見ているとじわじわと感慨が湧いてくる。

 視線をずらしてずっと右の方を見やると「ここに地果て、海はじまる」と詠われたヨーロッパ大陸の最西端のロカ岬がある。そしてその遥か先には檀一雄がいっ時暮らしたサンタクルスという小さな村がある。そこに檀が暮らしたのはほんの一年くらいのことだったらしいのだが、彼にしてみれば、もちろん書くために現実から距離を置くという必然性はあったものの、それは浦島太郎が竜宮城に暮らした日々のように淡い想い出の日々になったのかもしれない。

 ■…ポルトガルにやってきて、あちこちおよばれに出かけてゆく。例えば誕生日だとか、何だとか…。するとまったく例外なしに「コジドー」と「バステーシュ・ド・バッカロウ」というご馳走が出される。「コジドー」というのは「煮る」ということで、煮物は何でも「コジドー」のはずだが、客を呼んで「コジドー」といったら、大体様式が決まっている。

…「バステーシュ・ド・バッカロウ」は、干ダラとジャガイモとタマネギを卵でつなぎ、パセリを散らしながら揚げ物にした至極簡単な料理であって、これなら、はなはだ日本人向きだ。殊更「馬鹿野郎のバステーシュ」と聞こえるから、みなさんもせいぜい馬鹿野郎(干ダラ)を活用して、愉快なポルトガル料理を作ってみるがよい。子供のオヤッによろしく、また酒のサカナに面白い。…
 
(檀一雄著「檀流クッキング」冬から春へ/中公文庫)

 檀はサンタクルス村に滞在している時は自分の名前と同じというのが気に入ってかDaoワイン(ダンと読む)ばかり飲んでいたらしい。それはワインの銘柄ではなくて産地の名前らしいのだが、このホテルのレストランでそのダン・ワインのご相伴にあずかったのだけれど、さっぱりとして美味しい白ワインだったのを覚えている。

 ただ波の音だけが聞こえるこのホテルで落日を迎えるまで日なが一日ほろ酔いで過ごせたらいいだろうなぁ。サンタクルス村には今、檀が残した句の碑が立っている。

 落日を 拾いに行かむ 海の果て


DSC04811R.JPG



Deja_vu.jpg


..

nice!(43)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.8  On the Train to.. [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.8  On the Train to...

DSC05723bw.JPG


 のテーブルに置かれたミネラルウォーターの瓶が列車の振動で時折カタカタと音をたてる。ずっと鳴っているわけではなくてなんかのタイミングで鳴ったり、止んだり。昔、F分の1という自然界での不規則なゆらぎサイクルが実は人の気持ちを和らげるのだと話題になったことがあるけど、このカタカタ音もそんな感じがしないでもない。


 イプチッヒからベルリンに向かうICEの列車の中、一組の老夫婦の隣の席に座った。友人とぼくはライプチッヒの駅で列車の発番線が変更になったのをうっかり見落として列車を一本乗り損ねてしまったけど、何とか次の列車に乗りこむことができた。重いトランクを押してそそくさとドアに一番近い席に座った。

 先に乗っていたその夫婦は時折二言三言言葉を交わすくらいであとは黙っている。列車が駅を離れて巡航速度になると車内には列車のディーゼル音と時折するあのミネラルウォーターの瓶のカタカタ音だけが聞こえていた。女性の方はずっと窓の外を見ている。旦那の方はじっと入り口のドアの方を見ていた。

 その内奥さんがひとつため息をついて深々と背もたれに寄り掛かかり目を閉じた。窓から差し込む弱い光が彼女の深い皺を際立たせていた。カタカタカタ。何があったんだろうかなんて詮索するつもりはぼくにはない。これも旅の一光景なのだ、と。

 その列車の中でぼくは三枚だけ写真を撮った。それっきり、その時の光景は忘れかけていたのだけれど、日本に戻ってその写真を見たとき、ぼくの中の記憶が再び動き出した。まるでヴィム・ヴェンダースのムーヴィーみたいに…。

DSC05724bw.JPG




DSC05725bw.JPG無題.png



..

nice!(50)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.7  デジャヴとジャメヴの間 [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.7  デジャヴとジャメヴの間

DSC02360bw.JPG


 初めて訪れる見知らぬ土地を旅している時、ふと「あ、こんな光景に以前出会ったことがあるなぁ」と感じることがある。また日常でも「あ、前にこんな状況で、こんな心持になったことがあるなぁ」等、ぼくなんかはよくある。その元がはっきり思い当たることもあるけど、大抵は何か漠然とした心の揺れみたいなものだけがあとに残るのだけれど。

 既視感というのか[Déjà-vu](デジャブ)みたいなのは、歳をとってくると多くなってくるような気がする。今までの長い人生の中で色々な光景や状況を見聞きしているから、似たような状況に出会う確率も多くなるからかもしれない。小学生にそう度々デジャヴなんか起きないのじゃないか。
 
 既視感[Déjà-vu](デジャブ)とは逆の未視感つまり[jamais vu](ジャメヴ)というのもあるらしい。こちらは普段から見聞きしてよく知っている筈のものが全く新たなものに感じられたり、違うものに見えたりする事なのらしいけど、そういう事もあるかもしれない。例えばいつもの道の角を違う方向から歩いてきたとき、まるで違う街に来てしまったような…。
 
 これが甚だしくなると正常な認識が崩壊したり、コミュニケーションが難しくなってしまうらしいけど、適度なジャメヴは日常に新たな視点を与えてくれるかもしれない。ものの見方がまだ経験にとらわれないという点で言えばこちらは若い人の方があり得るのかもしれない。尤も年寄りでも認識崩壊とスレスレかもしれないけど、あれ?ということは日常生活の中でも時たまあるものだ。

 そういう意味でいうとぼくの歳になると毎日が「あれ、これどこかで見た事あるよなぁ」というデジャヴ感と「あれ、これって、こんなんだっけ?」というジャメヴ感に挟まれて辛うじて残っているリアリティーの細道を手探りで歩いているようなものだ。もしかしたらそれが老齢になるという事かもしれない。

 なんだかいかにも危なっかしい世界だけれど、考えようによっては悪いことばかりではない。懐かしさ、ノスタルジーを呼び起こしてくれるデジャヴ感と色あせた日常に括目させてくれるジャメヴ感という風にとらえれば、それはそれで楽しめるのかもしれない。もちろん医者に聞けばそれは、単に脳の老化ということであっさりと片づけられてしまうのだろうけれど…。



2006-04-22.jpg[Déjà-vu]



 年末年始になると必ずデジャブのようにやってくる感覚があります。朝起きてしばらくすると天気の良い日には南側の部屋に冬の日が煌めくようにいっぱいに差し込みます。すると父や母が元気だったころ皆で元日にテーブルを囲んでおせち料理を食べた時の感覚が頭をよぎります。

 穏やかな、何ということもないありきたりの正月の風景。今も冬の日が差し込むと正月でなくともそんな光景がフラッシュバックしてきます。ましてや今日は正月、母がまだ元気だった頃の正月が頭に浮かびます。写真はたった五年前なのに大きく変わってしまって今は認知症でぼくの顔も判らない。写真はその時々を、そして一日一日を大切に生きよ言っているようです。


nice!(50)  コメント(10) 
共通テーマ:アート

[Déjà-vu] No.6   A Happy Birthday to Someone! [Déjà-vu]

[Déjà-vu] No.6   A Happy Birthday to Someone!


DSC00455sm.JPGZamami island Okinawa 2015

 ■ここ 

 どっかに行こうと私が言う

 どこ行こうかとあなたが言う
 ここもいいなと私が言う
 ここでもいいねとあなたが言う
 言ってるうちに日が暮れて
 ここがどこかになっていく

  (谷川俊太郎 『女に』より) 


 沖縄は大抵冬か春先にしか行かないから、真夏のきらめくような沖縄の姿はよく知らない。もっとも会社勤めしていた頃は仕事だから時期なんかは関係ないので何度か真夏にも行ったことはあるけど…。隠居してからはシーズンオフに行くのは、第一には飛行機代が安いこともあるけど、島にも観光客が殆どいないので土地の人とゆっくり話せたりすることもある。さらにはぼくの場合は春先に行くと花粉症が軽いなどのありがたいご利益もある。

 人がいないと離島などの海岸が独り占めできるという良いこともある。慶良間諸島などの島にお気に入りの海岸線が何箇所かあるのだけれども、そんな中には海岸に半日居ても誰にも合わないということもある。海岸線全体を見渡せるデッキもシーズン中はカフェがオープンして、客でごった返していたのだろうけど今は店も閉まり誰もいない。

 沖縄でも天気が良くなければそれなりに寒く感じるのだけども、ちょっと陽がでれば寒い内地からきたぼくらには十分温かく感じられる。誰もいない海岸のデッキで日永一日、本を読んで過ごすのは自分のサラリーマン時代からの夢だったのだが、そういう場所に出会えたのは幸運だったし、そのきっかけを作ってくれた友人にはいつも感謝している。

 あるとき離島のそんな海岸にいつものように本を持って行ったら、デッキにあるテーブルの上にサンゴを並べてメッセージが書いてある。前の日の昼までは無かったからそのあとに誰かが書いたものらしい。A Happy Happy Birthday 最後にはハートマークまでついている。

 誰に対してのメッセージかは書いてない。その人がその場にいたからなのか、それとも一人で来た人が誰かの誕生日を心の中で祝って書いたのか。「沖縄」「海」「珊瑚のメッセージ」なんてキーワードを並べると頭にはすぐ若者の姿が浮かぶけれど、そうとは限らない。

 このシーズンオフの平日にこの海岸にくるのはぼくのようにもうリタイアした老齢の人間かもしれない。そうすると、今はもういない伴侶の誕生日を想って書いたのかもしれない。ほんとうは「いつか」一緒に来たかったのだけれど、日常の忙しさにまぎれてその「いつか」は、とうとうやっては来なかった…のかも。 誰もいない海は妄想を掻き立てる。



clock02.gif

..


nice!(57)  コメント(5) 
共通テーマ:アート