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日本人の質問 黄犬忌 [にほんご]

日本人の質問 黄犬忌

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 2月24日ドナルド・キーンさんが亡くなって丸一年になる。養子のキーン誠己(せいき)さんがこの日を「黄犬忌(キーンき)」と名付けたらしいが、これはキーンさんが生前から自分の署名に黄犬(キーン)を良く使っていたかららしい。いつもはぼくの敬愛する人の命日にはブログの左にあるサイドバーで「I remember...」というタイトルで書いているのだけれど、今回は本編の中で少し自分の体験とあわせて書いてみたい。

 ぼくの好きなドナルド・キーンさんの著書に「日本人の質問」というのがあって、昔新書版の本で読んだことがある(二年前くらいに文庫版で再出版されている)。元原稿は多分30年以上も前に書かれたものだから今とは状況も違っているかもしれないが、留学生たちの話を聞いているとキーンさんの書いたことと同じようなことが今でもあるみたいで面白い。

 留学生たちが日本に来て必ず聞かれるのは「納豆は食べられますか?」「お寿司は好きですか?」「生卵は大丈夫?」「皆と一緒に温泉に入れますか?」「日本語は難しいですか?」等など。キーンさんも本書の中で「…日本人でも刺身を食べない人がいるのに、私に「お刺身は無理でしょうね」と尋ねる人は、変な日本人の方には関心を持たないようである。…」と言っている。

 また彼は日本人にあまりうるさく「食べられないものはないか」と聞かれたら「ワニの卵が嫌いです」とか言いたくなる時があるとも…。まぁ、日本人の方は話のとっかかりの一つとして聞いている面もあるのだけれど、のべつ幕なしに同じような事を聞かれる方にとってはたまらないかもしれない。ましてやキーンさんのように日本に何十年も住んでいて、日本文化に関する知識もそんじょそこらの日本人にはかなわないような人にとっては尚更である。

 ぼくが以前大学で日本語教室の社会人クラスを担当していた時も、もう長いこと日本に住んでいる外国人の受講生もいて同じようなことを言っていた。そんな時どういう風に答えているかが興味もあったので、何人かの受講生たちと話してどんなことを聞かれたかメモしてみた。極めて個人的な質問もあったけれど、そういうものを除くとやはり食べ物に関してが多い。あとは自分の国の事とか、日本で驚いたこと、行きたい場所など等…。

 そういった質問を30個くらいカードにして、各々の項目を複数枚つくり全部で60枚くらいの「日本人の質問」カードを作った。遊び方はいろいろあるけど、その時は授業の前にいわゆるアイスブレイクという時間をとってその時の話題とか、今週はどうでしたか、とか軽い会話をして場の緊張を解いてから授業に入るのだけれど、学生から中々言葉が出てこない。そこで授業の初めにこのカードを一枚づつひいてもらって、その質問に答えてもらうということにした。

 最初はどんな質問が出るかかえつて緊張していたけれど、大体は以前聞かれたことがあるのでバスする学生は少なくなった。また他の人の答えに対して自分はこう答えたとか会話の広がりも出てきたことを覚えている。今はあまり使っていないが、今度初めての学生の自己紹介の時に各自一枚ひいてもらうというのをやってみようと思っている。まぁ、キーンさんはもうたくさん、と言っているかもしれないけど…。


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ドナルド・キーンさんの日本文化に関する著書の中でも比較的読みやすく、日本人が自分の文化を見直す良いきっかけになりそうな本で「日本人の質問」以外にも下記の本が特に面白かった。(すべて文庫本)

■「日本語の美」…ぼくらがもう忘れてしまった、日本語が現代日本語にたどり着くまでに特に明治時代以降に起きていたことや、Ⅱ部ではキーンさんの広い交友の中での人物像なども語られていて興味深い。

■「果てしなく美しい日本」…元は英語で書かれたものを訳者が翻訳している。キーンさんのかなり初期の著書で第一部はLIVING JAPANといういわば日本文化史的な内容であり、二部は世界の中の日本文化と題した日本文化論的エッセイで生涯変わらなかった彼の日本への愛の原点のような著書。読みごたえがある。

■「日本人の美意識」…中世からの日本文学や演劇に造詣の深いキーンさんの目から見た日本文化、そしてそれが明治以降にどう変質していったかという洞察も興味深い。そして日本人が持つ曖昧性に根付いた美意識など、指摘されて初めて思い当たる点もあり、これも読み応えのある本となっている。


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[もう少しだけ…]
 
 キーンさんは「日本人の質問」の中でこう言っている。「…口に合わないものを外国人に食べさせたくないと思うのは、日本人の親切心のあらわれと思われるが、その裏には「日本の特殊性」という意識が潜在している…」と日本人の特殊主義のようなものを見抜いている。

 例えば「日本語は難しいでしょ」と言うが、世界には東欧系の言葉のように難しい言語は沢山あるのだけれど、本当の日本語は外国人には無理だと思っている。歌舞伎にしたって、能にしたって会場で外国人を見かけると何の根拠もなしに「わかるのかしら…」なんて思ったりして。

 もちろんそんなことはぼくら日本人がドイツのバイロイト音楽祭に行けば、日本人にワグナーが分かるのかみたいな反応には会うので、言わば「文化の血の驕り」みたいなのはどこの世界にもあるのだけれど、それが日本には強いように思う。この「特殊主義」みたいなものは民族のアイデンティティとは少し違って、とにかく日本文化の多方面で自分たちは特殊で他からは中々理解されにくいという信仰みたいなものがはびこっているような気がする。

 例えばドイツで言えば勿論ドイツなりのアイデンティティはあっても、その底流に西欧文明というものへの心理的なしっかりとした親和感みたいなものがあるのだけれど、それでは日本に中国文明に対するそういった親和感が今あるかというと、それは中々素直に認めたがらない心理が働いているらしい。難しいことはよく分からないけど、どうもそうなったのは日清戦争以降で、それ以前は文化人たるもの教養の基本はヨーロッパ人にとってのラテン語のように中国文化だった。(逆に日本文化は中国文化の亜流だと自虐的に言う日本人もいるが、それにもキーンさんは異をとなえているが…)

 そこらへんはキーンさんも「日本人の美意識」の中で少し触れている。さらに日本文化の特殊性ということについてキーンさんはそれを認めつつも、日本人が世界と分かり合える道筋を「特殊性の中にある普遍性」という言葉を示してぼくらに勇気を与えてくれているので、少し長いけれど引用をしておきたい。それはぼくにとって生涯の珠玉の言葉となっている。

 「…日本の全てが西洋を逆さまにしていると書きたがる旅行者は現在でもいるし、一方で日本の特殊性を喜ぶ日本人も少なくない。
 
 が、私の生涯の仕事は、まさにそれとは反対の方向にある。日本文学の特殊性---俳句のような短詩形や幽玄、「もののあはれ」等の特徴を十分に意識しているつもりだが、その中に何かの普遍性を感じなかったら、欧米人の心に訴えることができないと思っているので、いつも「特殊性の中にある普遍性」を探求している。

 日本文学の特殊性は決して否定できない。他国の文学と変わらなかったら、翻訳する価値がないだろう。日本料理についても同じ事が言える。中華料理や洋食と違うからこそ、海外において日本料理がはやっている。が、いくら珍しくても、万人の口に合うようなおいしさがなければ、長くは流行しない。納豆、このわた、鮒鮨などは日本料理の粋かも知れないが、日本料理はおいしいと言う時、もっと普遍性のある食べ物を指している。…」
 (「日本人の質問」)

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日本語 食べ物カルタ [にほんご]

日本語 食べ物カルタ


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 日本語学校で週に一度、留学生たちの日本語学習のサポート活動を始めて15年以上になるのだけど、最初は片言の日本語しか話せなかった若者達が卒業間際には自分の国の文化の話や人生の話まで語り合えるようになるのを見ると何とも言えない喜びを感じる。

 とは言え、最初の初級の段階では意思の疎通もままならずお互い歯がゆい思いをすることも多い。そこら辺についても長いこと苦労しているのだが、今までの経験からすると食べ物の話が比較的入りやすい気がする。最近は日本食への関心も高いし、何といっても日本で暮らし始めたその日から何を食べるかという問題は付いて回るのだ。

 今はネットがあるから学生たちは寿司や天ぷらなどの伝統的和食だけでなくたこ焼きとかお好み焼きなんかも結構知っている。そうは言っても初級では中々言葉で表現したり、説明を理解したりするのも難しい。今まではiPadに写真を入れて話の端々に見せていたのだが、この間の連休中に「食べ物カルタ」なるものを考えて作ってみた。

 日本人が良く食べる料理やお菓子など100種類のカードを作って、表にはその写真、裏にはその名称を平仮名と漢字などで表示し、場合によっては関連する単語などを載せた。料理は日本料理とは限らない、ハンバーグや餃子など留学生が街で目にするようなものについても入れることにした。


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 100枚のカードは30枚くらいの初級(青)・中級(黄)・上級(赤)の3つのグループにぼくが勝手に分けてみた。例えば初級なら「ごはん」「そば」「ラーメン」「すし」など基本的なものが入っており、中級になると「肉じゃが」「冷奴」「稲荷ずし」などもう一つひねったもの、そして上級になると「握り寿司のネタ(こはだ等)や「精進料理」「懐石料理」「ふぐ刺し」(ぼくも一度しか食べたことはないけど…)など外国人にはかなりマニアックなものが入ってくる。

 遊び方については、カルタをとるのは留学生で、カルタ取りの読み手は日本語母語話者か比較的上級の日本語学習者がよいと思っている。いっぺんに100枚を広げてはやりにくいので人数にもよるが30枚くらいのランク別にやっていった方が良いと思っている。例えば読み手が自分で目視でカードを確認して「さしみ」と言ったら、学生がその写真のカードをとればオーケーだが、誰も分からず取れなかった時には、読み手が「魚です」とか「丸い黒いお皿に乗ってます」などのヒントを出してゆく。これはヒヤリングの練習になるし、日本語学習の上級者がやれば、ものの外観を日本語で説明する練習にもなる。


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 最終的にはiPadに連動して入れてある大きな写真で確認するようにする。ある程度料理の名前を覚えたら今度はカードの文字面を表にして、iPadで写真を見せてカードを取るようにすれば迅速な文字認識の練習にもなると思う。もちろんこれは日本語の練習でもあるのだけれど、それが主眼ではなくて食べ物の話題をきっかけに日本語でのコミュニケーションを行って、初級の学生にも日本語でのコミュニケーションができる実感を持ってもらうのが眼目なので、途中で盛り上がって話が他の方に行っても、それはそれで大歓迎なのだ。

 最近は留学生の出身国の範囲も広がってイスラム文化圏やヒンドゥーなど宗教的理由で食材が制限されている留学生も増えている。日本ではまだ「ハラル認証」などの食品は普及しておらずぼくの知っている留学生は自炊ですべてまかなっていた。国によって戒律の厳しさは差があるらしいけどやはり食材の由来はとても気になるらしく、以前「かまぼこ」はソーセージだから食べないと言っていた学生がいて、材料は全部魚だと言ったら驚いていたことがあった。彼らに対しても遊びの中でそれとなく日本の食べ物の食材についても知ってもらえればありがたいとも思っている。



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動いたのは心 [にほんご]

動いたのは心

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  日本語学校の中で留学生たちの日本語学習や異文化理解のお手伝いを始めて早足掛け五年になろうとしている。途中大学院での勉強でしばらくはどうしても時間が取れずに中断した時期を除いては、今も週一度学校にお邪魔して活動をしている。ぼくがいっている日本語学校の学生は今は韓国、台湾、中国、タイなどのアジア圏からの若者が多く、中でも韓国からの学生が半分以上を占めている。ここで日本語を学んでから日本の大学や専門学校に進みたいと希望している学生が多いが、日本語学校卒業後に日本での就職を望んでいたり、国の大学を休学して日本語を学びに来ているので一年後には国の大学に戻るという学生も多い。

 年齢的には17歳くらいから稀に30歳近くの学生もいるが大半は20歳台の若者だ。とくに韓国からの学生は日本での生活が親元を離れての初めての一人暮らしというケースが結構多い。韓国にいた時はアルバイトの経験もない子が、日本に来てはじめて一人暮らしでアルバイトをしながら学校に通うという、いわば自立生活をはじめるわけだ。つまり彼らにとっては日本留学が初めての異国生活であると同時に、働くことを通じて社会と関わる初めての体験でもある。バイトを始めれば雇い主に叱られたり、客にからかわれたり、いいことばかりではなく厳しい社会の風にも晒されることになる。それなりにストレスがかかることが想像できる。

 実はぼく自身も40年くらい前に同じような体験をしているので他の人よりは彼らの気持が理解できるのではないかと思っているが、もちろん時代は変わるから環境も大きく変わっている。ぼくの時代にはインターネットも国際携帯電話もメールもなかったから、自分の本国は手紙でしか連絡のできない遠い存在だった。それに比べると今の留学生は毎日インターネットで韓国語など母国語のニュースを見、携帯で親や友達とも頻繁に話をしたりメールを交換したりしているので大分恵まれているのかもしれない。

 とはいえ、言葉も不慣れな異文化の中で暮らすということは実に疲れることだと思っている。普段、学生と話していてもそんな苦労が伝わってくる。今週の初め、この日本語学校で日本語のスピーチコンテストが開かれた。ぼくも招かれて一日学生の日本語スピーチに耳を傾けることとなった。午前が中・上級の部で、午後に初級の学生のスピーチが行われたが、どれも素晴らしかった。ぼくの知っている学生も何人かスピーチを行った。スピーチの内容は彼らの日本でのフレッシュな体験が語られていて、それは日本語のつたなさを十分補って余りあるものを伝えていたと思う。

 どれも素晴らしかったが、その中でも一人の韓国人の女性の「店長様」というスピーチが特に印象に残った。今、彼女は食堂でバイトをしながら日本語学校に通っている。食堂では厨房の仕事が主で最初は言葉もよく通じないから大変だったようだ。その上、その食堂の店長は噂では元ヤクザといわれる怖そうな男性でバイト仲間も怖がっていた。ある時彼女は厨房で作業をしている時にあやまって何枚かの皿を割ってしまった。すると店長がすぐ彼女の所にとんで来た。一瞬、彼女はきっと殴られる、いや、もしかしたら殺されるかもしれないと怖れた。店長は彼女の前に立つと、彼女の手にまだ割れずに残っていた一枚の皿をひったくってとると、そのまま手を放して皿を床に落とした。皿は当然床の上で割れてしまった。「ほら、皿はもともと割れるもんなんだよ。そんなこと気にするな。そんなことより怪我はないか? 大丈夫?」その言葉を聞いて彼女は涙がでた。それ以来バイト仲間ではその店長のことを陰では「店長様」と呼ぶようになった。

 決して流暢な日本語ではないけれど、彼女のスピーチからはその時の彼女の驚きと感動がしっかりと伝わってきた。言葉は大切だ。ある意味では命と同じくらい大事なものかもしれない。彼女の気持ちがぼくたちに伝わってくるのも、彼女が日本語という言葉を通して伝えてくれたおかげだ。しかしよく考えてみると、その言葉のもとには揺り動かされた彼女の心が最初にあって、それが彼女なりの日本語という言葉を通してぼくたちに訴えかけてきたのだ。最初に動いたのは心。その心が言葉を呼び寄せるのだと思う。外国語をおぼえ、使える単語の数が増すにつれて一つひとつの単語に込める熱は薄まってゆく。留学生も段々と日本語が上手くなって「そつのない日本語」が話せるようになると、それに比例して伝えたいという熱意のようなものが薄れてゆく印象を受けることがある。ぼくらはどうだろうか。ぼくらは母語である日本語を日常使っているから、使える単語の数も留学生とは比べ物にならないほど豊富なはずだ。日々話すぼくの言葉のもとで、心は本当に動いているだろうか、彼女の日本語のように。

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 *この「店長様」の話は古典落語の「厩火事」を彷彿とさせます。長屋の女房が亭主が大事にしている茶碗と自分とどっちを大事に思っているか知りたくて、孔子の例にならって亭主の前で大事な茶碗を割って見せて亭主の気持ちを試すという話ですね。亭主が茶碗よりも自分の身体の方を心配してくれれば…、という話ですが、もちろん韓国の女性はそんな落語は知るはずもなく、実際にあったことだと思います。

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日本語パトロール 「こっぱずかしい」 [にほんご]

日本語パトロール 「こっぱずかしい」

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 クルム・伊達公子がカムバックして気を吐いている。彼女は見事に世界ランキング上位に食い込んだにも関わらず、十数年前に突然引退してしまった。以来、テニスの一線からは退いて外国人レーサーの妻におさまっていたが、それでも時々はテニスの解説などで姿を見せてはいた。その彼女の姿は現役の時の厳しい、そして時にはとても辛そうな表情とは打って変って、明るくなんとなくセレブっぽい奥さまの香りさえ漂わせていた。

 その彼女が今度はいきなりのカムバック、しかも国内大会とはいえ破竹の勢いで優勝までかっさらってしまった。日本の若手プレーヤーは何をしているんだという叱咤もあるが、それよりも今度は笑顔を携えて戻ってきた伊達に拍手を送りたい。だが彼女が優勝インタビューで答えた時の「こっぱずかしい!」というコメントが一部で物議をかもしている。

 先日、TBSラジオの大沢悠里のゆうゆうワイドに伊達が出演した時に、パーソナリティーの大沢悠里が「こっぱずかしい、なんて最近あまり言わないですよねぇ」と少し揶揄するようなトーンで言っていた。また日曜日、朝のテレビでもコメンテーターの大沢親分なども「あんまり、いい言葉じゃねぇなぁ」などと言っていた。しかし、ぼくはこの伊達の「こっぱずかしい」という一言で伊達が以前よりずっと好きになった。

 「こっぱずかしい」、とは小恥ずかしいということだが、微妙な感覚を持っている言葉だ。優勝して褒められてうれしいような、それでいて何となく恥ずかしいような複雑な気持ちを表している。久しぶりに表舞台に立っていきなり優勝してしまったが、大人げなくしゃかりきになって頑張ってしまった自分にちょっと恥ずかしかったり、それほどメジャーでもない国内大会なのに大騒ぎされてちょっと恥ずかしかったり、その気持ちがよく表れている。

 元来この小恥ずかしいの「」は「なんとなく」とか「言うに言われない」とかいう意味だ。ぎれいな、じんまり、じゃれた、粋な、ざっぱりといった言葉に付けられている「/」とおなじだが、同時にこの「」には「そんな状態が居心地が悪い」という意味も含まれていると思う。うるさい、憎らしい、賢しい、癪な等の「」の部分だ。つまりこの「こっぱずかしい」というのに一番近い言葉を探すと「何となくきまりが悪い」というのがそれに当たるかもしれない。

 だが「何となくきまりわるい」では、今回の伊達のカムバックのコメントとしては相応しくない。伊達のこの「こっぱずかしい」という表現は、彼女の過去の根暗っぽいテニスプレーヤー時代のイメージと同時にクルム・伊達というちょっとセレブっぽいイメージをも捨てた、明るい屈託のない新たなテニスプレーヤーとしての彼女のメッセージだったのではないのか。「こっぱずかしい」といういささか砕けた、スランギーな表現に彼女のポジションをシフトさせる意思が込められている。少なくともぼくにはそう感じられた。そうだとしたら、極めて戦略的な発言だと思う。今回の彼女のカムバックも周到な準備の末になされたとすれば、それも十分あり得る話だ。

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にほんごパトロール オカマってなぁに [にほんご]

日本語パトロール オカマってなぁに

         
オカマは、どういう意味ですか?」 
 タイの留学生と雑談している時、いきなり聞かれた。タイから来たS君は初級から中級になったばかりだが、日本に来て段々と日本語に耳が慣れてくると、いろいろな言葉が気になってくるらしい。それにアルバイトを始めると、アルバイト先でも職場の日本人からいろいろなことを聞いてくる。
「そんな単語どこで知ったの?」
「ぼくがタイ人だというと、タイのオカマは有名ですね、といわれます。タイのオカマはきれいですね、もよくいわれます。オカマ、日本人は好きですか?」

 なんと答えていいか返答に窮する。まず、オカマの説明を試みるがやっと初級から抜け出したばかりの彼には難しい言葉は使えないから
「男の人を好きな男の人とか、女性の洋服を着るのが好きな男の人」
とかいったがピンと来ない。最後に禁じ手の英語を使ってゲイとかホモセクシャルのことだというと、すんなり納得。
すると「日本の人にオカマは失礼ですか(日本のゲイの人にオカマと言うと失礼になるか)?」
と聞いてきた。そりゃ、面と向かって言われたら怒ると思うから、
「その言葉は使わない方がいいよ」というと
「じゃ、なんて言いますか?」

 また返答に困っていると、その場にいた台湾から来た女性のPさんが
ニューハーフじゃないですか?」
Pさんもやっと初級を抜け出してこの秋から中級の仲間入りしたのだが、日本のテレビが好きでいつもみているから「どんだけー」とか、いろんな新しい言葉を知っている。
「うーん、確かにタイのゲイはニューハーフって言えるんだけど、ゲイのひと全部をニューハーフって言うわけじゃないんだ」
Pさんは得意げに「そうですね、ピーコはニューハーフじゃないですね。あれはオカマですよね」
S君「え、そうなんですか? 何が違いますか?」
「えーと、ニューハーフというのは男性だけど女性に見える人。オカマというのは男の人が好きな男の人で…」

 段々とこっちの頭が痺れてきた。普段そんなことをしっかり定義したり、深く考えたりしないで使っているし、どんな時にこんな表現や言葉を使ってはいけない、という日本人としての暗黙の意識があるから、面と向かって、あっけらかんと聞かれるとどうにも応えずらい。
そこに、たたみ込むようにS君が「ハーフって"あいのこ"ですね。 なんでニューですか?」
ときた。その間にPさんは素早く、電子辞書の広辞苑で"あいのこ"を引いて
「ああ、混血児ですね。新しい混血児という意味?」という。
ああ、もう収拾がつかない。
このあと、一息入れて大体の意味と辞書には出ているけれども、今は、例えば「あいのこ」等の
日本語は余り使われず「ハーフ」と言うことなどを説明したが、彼らのお陰で言葉というものが単に意味だけで構成されているものではないことを再認識させられた。と同時に僕たちの本当に言いたいことが、実はもう日本語では言えなくなっていることにも気付かされた。

 ハーフだって、ゲイだって同じ肌触りでおおっぴらに使える日本語は、現在のぼくらの語彙の中にはない。オカマはもちろん同性愛者、それに混血児やあいのこ等という日本語はぼく等にとっては、いわゆる手垢のついた言葉になってしまって使えない語彙になっている。手垢とはもちろん主に無神経かつ差別的に使われてきたということだが。そこらへんの感覚や事情は外国人の彼らにはわかりにくいから辞書に載っていれば使ってしまう。

 考えてみれば、ぼく達日本人はそれらの手垢のついた日本語を、なんとか他の日本語や新しい日本語の語彙で表現する努力をしないで、安直に外来語で置き換えてきたのかも知れない。そのほうがオブラートに包まれて薄められてゆくからだろう。もっとすごいのはニューハーフのように、どこの国にもない言葉さえ作り出してしまうことだ。しかし、それはある意味では天ぷらの衣を変えただけで中の具は何も変わっていないのかもしれない。ぼくらの周りにはそんな言葉があふれている。S君の言葉はそんな変化してゆく日本語の現状に気づかせてくれた。

                                         
 写真のグループはタイのニューハーフのアイドル・グループ「Vinus Flytrap」(ヴィーナス・蠅とり草)です。世界はめまぐるしく変化しています。言葉もぼくらの意識もそのスピードについて行けるのでしょうか。中級以上の日本語を学ぶ外国人学習者にカタカナ語をどこまで、どういう風に教えてゆくかも大きな問題です。 


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日本語の教室から ~12月8日~ [にほんご]

 日本語の教室から ~12月8日~

       

 今年も12月8日がやってきた。といっても戦後生まれのぼくにとっては、死んだ親父の誕生日だという以外には個人的には特別な意味を持っていない日だが、我々日本人にとっては忘れてはならない日のはずなのだ。それは朝から脳天気なテレビが盛んに伝えていたジョン・レノンが殺された日だからでもないし、〇〇の日だからでもない。この日はいうまでもなく日本が戦争を始めた日だ。8月15日原爆投下の日には毎年同じ様な光景が繰り返されるのに、この日にメディア等が、なぜ戦争を始めたのか、なぜこの戦争で膨大な数の人が死ななければならなかったのか、振り返ることもない。不戦の誓いを新たにするわけでもない。これからわれわれが世界とどう向き合ってゆくかに思いをいたすでもない。

 今、大学の社会人向け日本語初級クラスには中国、韓国、フィリピン、タイ、ベトナム、ロシア、ベラルーシ、バングラディシュ、パキスタン、アメリカ、イギリス出身の人たちが通っている。これらの国々の学生を前にする時、かって我々日本人が、ほんの数カ国を除いて、その殆ど全ての国と戦争をしたのだということに愕然とする。終戦から半世紀以上経て、いまぼくらの身の回りには多くの外国人が暮らしているし、日本人自体も世界中で働き、そして暮らしている。海外で暮らしている日本人の成人だけでも長野県の県民数に雄に匹敵する人数がいるのだ。今や日本は世界から孤立して生きることはできない。しかしぼくらの意識と生活ははたして国際化されているのだろうか。

 今までぼくらは「国際化」するとは英語を喋ったり、海外に出て活躍することだと思っていたかもしれない。しかし国際化がだけをイメージする、そんな時代は実はとうに過ぎ去っていたのだ。いま足元に押し寄せている「内なる国際化」とどう向き合って付き合ってゆくか、ということが何よりも大切になっている。食料自給率は40%を切り、安価に手に入るものはほとんどが中国製、食の安全も、そして空気の安全さえも我々だけではどうすることもできない時代になっている。そして次には国内における働き手も、我々だけではどうにもならない時代になろうとしている。少子高齢化によって生産人口が急速に減少し、現在我々がいうところの日本人だけでは廻っていかない社会になろうとしている。この国の形をどうするのかという議論はもう遅すぎるくらいだが、まだ何も議論されてはいない。

 以前からいわれている対応の一つに労働力の不足を外国からの出稼ぎ労働者で補おうという考え方がある。特殊技能や専門知識をもった海外の優秀な人材を受け入れ、単純労働の短期労働者も受け入れてゆく。そんな都合のいいことが出来るだろうか。今から四十年程前、1960年代後半から70年代前半にかけてドイツが戦後成長期の労働力不足を外国人出稼ぎ労働者を招きいれることで解決しようとした。主にトルコ人を中心とする彼ら出稼ぎ労働者はドイツではGastarbeiter(ガストアルバイター)、つまり英語でいうとguestworkerで、「お客さんとして招いて働いてもらっている人」という意味で、働き終わったらお帰り願おうという意味が含まれていた。もちろんそう都合よくはいかなかった。丁度その頃ドイツに暮らしていたこともあって、ぼくもその状況を目の当たりにしていた。

 街なかで見かける単純労働の従事者は大体トルコ人ユーゴスラビア人ギリシャ人イタリア人と決まっていた。大半はトルコ人であったと思うが、町の住民は自分達の身の回りに、言葉の異なる、習慣の異なる、生活レベルの異なる人たちのグループがいることに、大きな不安を感じた。何かなくなると「トルコ人の仕業だ」等という疑心暗鬼の噂が広がった。実際に治安が悪くなったというより、異質なものに対する不安感が増幅されて住民にとって街がそれ以前のように住みやすいものではなくなったといった方が正しいと思う。当時のドイツ政府は「働く人は同時に、そこで生活する人でもある」というごく当たり前のことに気づかなかった。経済成長に陰りが出てきた頃、今度はトルコ人達に故国に帰ってもらいたいと帰還奨励金まで出したが帰る者は少なかった。

 その間に出稼ぎ労働者は家族を呼び寄せたり、子供が出来たりし始めていた。新たに生まれた子は国籍はともかくドイツで生まれドイツ語を話すトルコ系ドイツ人になりつつあった。ということはドイツが彼らにとっては既に生活空間のひとつになっていたから、今さらその生活空間を捨ててトルコに帰るということはしたくないということだ。現在ドイツにはおよそ200万人のトルコ系住民が住んでおり、ドイツは移民を受け入れる国となった。旧東ドイツにもベトナム人等の出稼ぎ労働者がおり、東西分断当時は家族を呼び寄せることが禁止されていたが統一後家族を呼び寄せるなどして定住しているようだ。結局、ドイツは移民を受け入れない国から移民を受け入れる国に変わって行ったが、それはトルコ人等の出稼ぎ労働者のせいばかりではない。並行してドイツはもうひとつの大きな選択をしていた。

 それはドイツがEUという、より大きな枠組みの中で生き残ることを選択したことによる結果でもある。自分達の社会の中に「非ドイツ的」なものを含む、いろいろな価値観を併存させて生きてゆく覚悟を決めたことだ。かつてドイツの作家、トーマス・マンが「私はドイツ的なヨーロッパをのぞまない。そうではなく私はヨーロッパ的なドイツをのぞむものだ」という言葉を残したように、ドイツはより大きな枠組みの中で生きてゆくことを選んだ。もちろん、そう簡単にコトは運ばない。トルコ系を抱え込むことによってドイツは、ヨーロッパ的なものを一気に飛び越して、イスラム的なものまでを抱え込むことになった。それは一方では、トルコ人排斥運動を招来するなど新たな不安定要素にもなっている。だが、もう後戻りすることは出来ない。

 今の日本にドイツのようにより大きな枠組みの中で生きてゆく意志や覚悟があるのだろうか。「日本的なアジアでなく、アジア的な日本」という枠組みは日本人の頭の中にあるのだろうか。戦前の大東亜共栄圏という汎アジア構想の亡霊や大国中国の影が日本人の心の中に棲みついているのか。ぼく達はいま、思考停止に陥っている。しかし、ぼくたちがいくら目を覆っていても時代は止まることはない。今から考えておくことだ。

                            

  「内なる国際化」については、これからも日本語使用の現場から考えていきたいと思っています。ぼくらの足元に国際化はひたひたと押し寄せているのに、それに関して政府の関心はきわめて薄いというのが実感です。日本にいて教育を受けられない外国籍や無国籍の子供等が現実的に存在するのにボランティア任せでなんら手を打たない。また日本人の男性と結婚した外国人女性に対する日本語能力獲得のサポートも、これもボランティアや自治体任せで包括的な構想さえありません。
 ぼくのクラスにも日本人男性と結婚している外国人女性が何人かいますが、いろいろな問題を抱えています。子供が生まれると子供はどんどんと日本語を覚えてゆく。母親が日本語が出来ないと家庭の中でも自分は段々と取り残されてゆく。PTAでも子供のお母さん達の輪の中に入ってゆけない。ぼくの出した宿題を子供に見てもらっているケースが多いようです。それはそれで、家庭の中の話のきっかけになって良いとは思っていますが…。


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日本語の教室から ~ナスターシャの夏~ [にほんご]

   日本語の教室から ~ナスターシャの夏~
      チェルノブイリ、あれから21年

  

 ナスターシャが日焼けして真っ黒になって帰ってきた。真っ黒というよりは、元が色が白いので真っ赤といった方がいいかも知れない。大学の社会人向けの日本語初級クラスは夏休みに入っていたが、非漢字圏の国の学習者から夏休み中に漢字の補講をやってくれという要望で週一回の授業を始めた。その合間を縫ってナスターシャは伊豆七島の新島に遊びに行った。補講に参加した非漢字圏の学習者はタイ、韓国、フィリピンそしてベラルーシの四人。全員女性で年齢こそまちまちだが皆明るい。ナスターシャはベラルーシの出身で四人の中でも一番年下である。

 日本に来たばかりということもあって他の三人に妹のように可愛がられている。初級日本語といっても他の三人はもう日本に永く住んでいて、そのうちの二人はママさんだ。ナスターシャは初級だが漢字の覚えは早い。四人で漢字のあてっこ競争をすると他の三人に負けてはいない。そのナスターシャが今度は愛知県に行くという。観光で行くのかと思っていたら、知り合いの日本人の家を訪問するという。彼女から今まで聞いていた話ではまだ日本に来たばかりだし、日本にそんなに知り合いもいないはずなのだが…。まだ片言の日本語なので詳細は定かではないが、どうやらその知人というのは彼女が子供のときからの知り合いらしい。

 彼女がまだ小学生の頃、あのチェルノブイリ原発事故が起こった。1986年のことである。彼女の住んでいたベラルーシは汚染され、もちろん子供たちも大変な目にあった。そのとき、子供たちを一時期海外に疎開させようという動きがあって、当時ドイツ日本の一般家庭に短期疎開させたらしい。その時、彼女は日本へ行くことを選んだ。「なぜ日本を選んだの」と聞いたら、当時は小学生だったので「ドイツは近いからいつでも行けるけど、日本は遠いからこんな時でないとなかなか行けないと思った」と屈託のない答えが返ってきた。結局、彼女は愛知県の一般家庭に二月弱滞在して保養することとなった。それ以来、彼女とその家庭との交流は続いているらしい。

 後日インターネットで調べてみたら、チェルノブイリの子供達のための保養里親制度というのがあって、それは今も続いているらしい。その里親制度の趣旨は「放射能で汚染された土地に住み、汚染されたものを食べている子どもたちを1ヶ月の間、放射能から疎開させる活動です。ホームステイ形式で、日本のごく普通の生活を送ります。自然で滋養あふれる食べ物を食べ、近所の子どもたちとの遊びを通して、体力を回復させるのが目的です。」(「チェルノブイリへのかけはし」ホームページより) 

 そのホームページには保養先の日本の海岸で遊ぶベラルーシの子供たちの写真が載っている。そこには「ベラルーシには海がない。ヨードを含んだ海風は身体にいい」と書いてあった。この夏ナスターシャが新島に行ったわけが何となく分かるような気がした。僕の脳裏からはもうほとんど消えかけているチェルノブイリの恐怖がにわかに甦ってる。ナスターシャの明るい笑顔の背後には言い知れぬ不安が潜んでいたのかもしれない。ナスターシャは今、一時帰国している。結婚の準備をするためらしい。どうやら相手は新島に一緒に行った日本人男性のようだ。この夏はナスターシャにとって特別な夏となった。

                            


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組織の記憶 [にほんご]

 組織の記憶

             

 以前、東中野の日本語学校に行くさいにぼんやりしていて東中野の駅を乗り越してしまったことがある。仕方なく次の中野駅で降りて、折り返しの電車を待っていた。ベンチに腰掛けていると脇の柱に掲示板がはりつけてある。女の子が駅員に線路に落ちた帽子を拾ってもらっている様子がシルエットで描かれている。掲示板自体はシンプルで分かりやすく、好感の持てるものだ。
             
 掲示板の下には上の写真のように「線路に物を落された方は駅係員にお申し出ください」と書いてあるが、その「駅係員」という所が上から紙を張ってあって訂正してある。そうなると訂正前はどうだったのかと気になるのが人情だが、ぼく以外にもそういう人がいたらしく、その訂正箇所をまくって見た形跡がある。訂正して貼り付けたシールの端が少しめくれている。で、ぼくも、そこをそーっとめくって見てみると「職」という字が見えた。どうやら元の言葉は、「職員」だったようだ。それにしてもどうして訂正しなければならなかったのだろうか?
      
 東中野の駅に引き返してプラットホームで同じような掲示板を探すと、そこにもやはり同じようなシルエットの描かれた掲示板があった。はたしてその掲示板にも訂正のテープが貼ってあり「駅係員」になっている。(上写真・左)学校へ行く時間が迫っていたが、ぼくはどうしてもそのことが気にかかって駅の事務室になぜ訂正をしたのか聞きに行った。応対に出た駅員はモゴモゴ言っていたが、結局、要はよくわからないということだった。

 その日、学校の帰りに秋葉原の駅でその掲示板を探したら、そこには今度は「職員にお申し出ください」と書いてある。(上写真・右) きっとこれがオリジナル版なのだろう。 これをなぜわざわざ「駅係員」に訂正しなければならなかったのだろうか。
しかしその件はしばらくするうちにすっかり忘れてしまっていたが、ある時新宿駅で電車を待っているとき例の掲示板を見つけて何となく訂正したその理由が想像できた。下の写真の左の方がその新宿駅の掲示板だが、それは文言の全体にテープが貼ってあり、問題の箇所が今度は「駅社員」となっていた。(写真右は御徒町駅、訂正後の駅係員になっている)

      

駅員:助役、またあの掲示板でお客さんに怒られましたよ。
助役:え?  掲示板って何のこと? 聞いてないよ。
駅員:やだなぁ、忘れちゃったんですか。ほら、先月事務室に怒鳴り込んできたお客さんがいたじゃないですか。「職員」とは何だって息巻いてましたよねぇ。「いまだにお前らは親方日の丸のつもりでいるのか、今でも国鉄職員のつもりか」って。
助役:ああ、あれね。でも、あれは中央線が遅れた腹いせに言ってたんだろ。何で毎日のように遅れるんだって怒ってたよねぇ。
駅員:ええ、ぼくもそう思ってたんですけど、あれ以降も何回かホームで他のお客さんにも「職員」とは何だって、言われたことがあるんですよね。
助役:だって職員なんだから、それでいいんじゃないの、なんか言いがかりみたいな気がするけど…
駅員:でも、この間非番の時に中野駅東中野の駅の掲示板を見たら訂正してありましたよ。
助役:え、ほんと? そりゃまずいな。で、何て訂正してあったの。
駅員:「駅係員」って直してありました。きっと、あっちにもクレームが来てるんですね。
助役:そうかー。うちも直さなきゃまずいな。じゃ、すぐ直しておいてよ。
駅員:直したほうがいいっすよね。なんて直しておきます?
助役:え? なんてって、「駅係員」でいいんじゃないの?
駅員:助役、ぼくらはもう役所じゃないんですよ、れっきとした民間の会社なんですから「駅係員」てのもやっぱ役所的なんじゃないですか。
助役:そう?
駅員:そうですよ。もっと民間の会社だって意識をちゃんと持ってるってアピールすべきですよ。
助役:そうかなぁ、じゃなんて書けばいいの?
駅員:やっぱ「駅社員」でしょ。会社なんだから。
助役:「駅社員」? なんか、おかしくない?
駅員:助役! 意識改革ですよ、意識改革。きっとお客さんも分かってくれますって。
助役:そうかなー、まぁ君に任せるよ。
駅員:任せてください。改革はこの駅からですよ。
助役: ?????

 と、いうような会話があったかどうかは定かではないが、長い間続いている組織にはその組織独自のいわば「組織の記憶」がある。それらは組織の形が変わっても一朝一夕には変わっていかない。なぜなら組織の記憶はあらゆる形でその組織に根付いているからだ。だから無理に変えようとすると傍から見ておかしなものになることも少なくない。もちろん言葉もその組織の記憶の一つだ。長い間に言葉の意味もその組織の匂いを帯びてくるのだろう。

              

                     

*辞書を引くと、職員という言葉には官庁や教育機関に働く人という意味のほかにも大きな会社の社員のことも指すとあるものが多いようです。この掲示板の「職員」という表現に一部の人たちが旧国鉄的な匂いを嗅ぎ取ったのかもしれませんね。ぼくが以前勤めていた会社でも正式な書類では社員のことを「職員」と表現していました。ぼくらが単純に考えれば、この場合「駅員」でよさそうなものですが、そうしないところに組織の匂いがしますね。

**会社や官庁、学校などで作成したビラや貼り紙はよく見ると面白いものがあります。そういうものを目にすると、そのビラが作られるときどんな会話が交わされたか、つい想像してみたくなってしまいます。もちろんここに書いたような会話はされているはずもなく、ぼくも技術集団としての国鉄マンには強い畏敬の念を抱いています。念のため。

***「組織の記憶」は常に進歩の妨げになるかというとそうとは限りません。逆に組織の記憶が正しく継承されないことによる弊害も多いと思います。企業不祥事も組織の記憶が正しく継承されないことによって同様のことが繰り返されるという面を持っています。組織の記憶はおもに下記のような手段で継承されてゆくといいます。
 ①記憶を明文化された制度に反映し、伝える
 ②記憶を明文化されない慣習として伝える
 ③記憶を教育に盛り込み、伝える
 ④記憶を記録として残し、伝える
 ⑤記憶を個人の体験として伝える
上記の①~⑤のひとつひとつの項目について今ぼくらが考えてみるべき時に来ているかもしれません。組織としての企業・会社もそうですが、考えてみれば組織としての日本国の戦争の記憶は継承の危機に瀕しているのではないでしょうか。あの戦争について上記の各々の項目はどうなっているのか。ぼくらの周りでいま何が起ころうとしているのか。この掲示板を見て考えてしまいました。


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大相撲観戦 [にほんご]

大相撲観戦

 この間の日曜日に両国の国技館に大相撲トーナメントを見に行った。今年が三十回目に当たるらしいが、本場所の間に一日だけで決着をつけるトーナメント戦が行われた。日本語学校が手配してくれた切符で留学生たちと観戦したのだが複雑な思いだった。

 
gillman

 国技館が蔵前にある頃は何度かいったことがあるのだが、今の国技館になってからは初めてだった。中に入ると思ったよりずっと広大な空間が広がっていたので驚いた。(実は僕はこの国技館の隣にある両国中学を卒業したのだが、卒業以来40年以上その校門の前に立ったことがないのでちょっと覗いてみようと思ったら工事中で入れず残念だった)

▽トーナメント戦
 トーナメントは昼過ぎの早い時間から始まる「十両トーナメント戦」と午後3時ごろから始まる「幕内トーナメント戦」とに分かれている。もちろん大抵の人は幕内戦が目当てなので満員になるのは三時過ぎくらいからだ。

 幕内戦はシード制の6回戦トーナメント方式になっている。幕内の力士の全てが参加するわけではないが横綱をはじめ主だった力士はたいてい出ている。二回戦は中入りをはさんで16番行われたが、日本人の力士はばたばたと負けていった。負け方もあっさりとしている。四回戦に進んだのは…

朝青龍…モンゴル、朝赤龍…モンゴル、黒海…ロシア、琴欧州…ブルガリア、安馬…モンゴル
白鵬…ロシア、旭天鵬…モンゴル、栃東…日本

 というわけで、日本人力士は栃東だけという具合。四回戦で栃東が負けたのであとは外人力士同士の戦いだ。栃東の玉の井部屋は僕の自宅のすぐ近くなので決勝までは残ってほしかったのだが…。優勝は当然、朝青龍だ。本場所を控えて怪我をするのが嫌だからみな本気は出さない、という人もいるし確かにそういった面もあるかもしれないがそれは外人力士も同じことじゃないか。

 一緒に観戦していたのは、アジア系のロシア人の留学生だったので目を輝かせて勝負の行方を見ていた。彼はバイカル湖の近くの共和国出身でモンゴル語も話せるからいずれにしても応援のし甲斐があったと思う。彼の話では、彼のモンゴル人の友達などは場所毎の番付の異動から、取り組みごとの決まり手まで詳しく知っているという。僕の座ったブロックには外人客が多かったのでロシア語や韓国語の応援が飛び交っていた。見方によっては外国人力士が日本の伝統競技を守ってくれているとも言えるのかもしれない。

▽武士道としての相撲
 僕は相撲評論家の竜虎の解説が好きだ。彼は勝負の勝ち負けではなく、「勝ち方」「負け方」にこだわる。だから勝った勝負でも彼に非難される場合もあれば、負けて賞賛されることもある。彼の解説の基本には常に「武士道としての相撲」という視点があり、それに照らし合わせてどうかという評価なのでブレることが少ない。ただ勝てば良いという考え方はない。

 相撲のルールは簡単に見える。基本は相手より早く土俵を割ったり、体の一部が土俵についたほうが負けだ。しかしそれにはいくつか例外があって、たとえば「かばい手」の場合は相手よりも先に土俵に手をついても負けにはならない。相手が「死に体」、つまりどうやっても回復できないような体制にあるときこれ以上被せると相手に怪我をさせると思われるような場合は、それを避けるために先に手をついても負けにはならない。それは勝負の決まったものをそれ以上痛めつけないという武士の情けなのだ。負けた相手の手を引いて起こすのもそうだ。間違ってもガッツポーズなんかは許されない。

 国際化、イコール、相撲の近代スポーツ化という道を辿ってはほしくないと思う。朝青龍の土俵入りは堂々として素晴らしかった。横綱の風格もついてきた。しかし時間一杯になって気合を入れるために左手を上げる仕草などはモンゴル的な感じがした。それはそれで良いが横綱の精神が彼に伝わっていてほしいと思う。トーナメントの間に「相撲教室」と称して、土俵上で大銀杏の髷を結う実演と、横綱を締める作業が再現された。それぞれ琴欧州と朝青龍が土俵に上がって実演をして見せた。それをみのもんたが司会進行するのだが、それはそれで楽しくていいのだが、同時に相撲文化の考え方についても竜虎のような本当に相撲を理解する人間に解説して欲しかったと思う。

                   
*以前、大学で英語の講師をしているイギリス人のJ先生と飲んだ時に相撲の話になりました。辞書を引くと横綱は英語でGrand Chanpionと出ています。彼はその言葉を西欧的な概念で考えていたので少し違うという話をしました。一番強ければそれで良いじゃないかというのではなく、心・技・体の充実だとか、勝つときも横綱らしく勝つことが必要だとか、ずっと負け続けたら自ら引退することが必要なのだ等々話したが中々分かりづらいらしいのです。例えば、負け続けてもいつまでも引退しなかったらどうなるのだ、というので、横綱は「名を惜しむ」からそんなことはない、と言ったら、イギリス人にも騎士道的な発想があるのでなんとなくわかったらしいですが、文化について話をするというのは難しいですね。相撲の世界や日本人の古典的な心情は同じ視線を持つ人間にはわかり易いんですが、そうでない場合にはかなり深い説明が必要だなぁと痛感しました。結局、相撲について英語でレポートを書けという宿題を貰ってしまいました。

*横綱審議会は日本相撲協会から横綱推薦の諮問があった時に答申する機関で、通称「横審」と呼ばれています。横綱の成績、態度に対し、注意、激励、引退勧告もしますが、拘束力はなく進言にとどまります

  朝青龍の土俵入り                 琴欧州の大銀杏結い

*「留学生のためのちょっと解説」

Understanding Sumo

The most important thing for yokozuna
is not only to win, but to win rightly.

The Sumo Ranks are divided into 10 groups. Makuuchi (also called Makunouchi) is the top division of sumou ranks, consisting of yokozuna, ozeki, sekiwake, komusubi and maegashira. The rikishi (sumo wrestlers) are divided into east and west team. The east team (called Higashi) traditionally considered more prestigious than the west.

Sumo ranking will be released in Banzuke (list of rikishi, according to their ranks). These official ranking list will be published before each of the tournaments. Tournaments called Basho (or Honbasho) will be held six times a year.The names of Makuuti rikisi will be written on top of Banzuke in large, bold characters.

Yokozuna is sumo's highest rank, created in early Edo era. Yokozuna are often called in English as "Grand Champion", but the position of yokozuna is quite different from other sumo dividions. If other division's rikishi make a poor record during Basho (tournament), he will be demoted. On the other hand, only yokozuna can never be demoted, even if he makes poor score during Basho. If yokozuna should continue with a bad record, he is expected to retire. But none can force him to retire. It is his own decision.

Yokozuna Shingi-iinkai (the Yokozuna Deliberation Council) of Sumo Kyokai (Japan Sumo Association) decides the proposed promotion of a paticular rikishi to Yokozuna. To become a cadidate of yokozuna, he must have won two consecutively Basho while holding the rank of ozeki.

There are three important points to becoming yokozuna. He must excell other rikishi in these three points. These three are 心 (shin), 技 (gi) and 体(tai). 心 (shin) = こころ…whether he is a man of character, worthy to hold the title yokozuna. He must have real manly dignity of Bushi. (the word "rikishi" means powerful Bushi) 技 (gi) = わざ…whether he has better sumo techniques than other rikishi.  体 (tai) = からだ…whether his physical strength is enough to hold the position. The most important thing for yokozuna is not only to win, but to win rightly. This is why yokozuna is sometimes called God of Sumo.
                                                                                                                                                 by gillman 


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にほんごパトロール はしたない [にほんご]

にほんごパトロール はしたない

        arranged by gillman

 最近「もったいない」という日本語が国際的にも市民権を得つつあるようだ。アフリカの植林運動でノーベル平和賞を受賞したマータイ女史が「もったいない」という日本語を世界に紹介して以来注目されるようになった。肝心の足元の日本では「もったいない」が死語になりつつあったので、マータイ女史の指摘は日本にとってもありがたいことだと思う。個人的には「もったいない」と同じように死語になりつつある日本語でもうひとつ「はしたない」と言う言葉にもスポット・ライトがあたって欲しいと思っている。

 「はしたない」と言う言葉は、広い意味範囲を持っている。古くは枕草子に「はしたなきもの」(第百二十七段)という一文がある。例えば、

はしたなきもの こと人を呼ぶに、われぞとてさし出でたる
 
(他の人を呼んだのに、自分かと思ってでしゃばった時のきまり悪さ)
のように、「きまりか悪い」と言う意味でも使われるし、

■「
なんですか、いい大人がそんなことして、はしたない
のように、礼儀に外れて「品がない」、「卑しい」、「情けない」等の意味もある。

 広辞苑によると「はしたない」は①中途半端である、②無作法でぶしつけである、慎みがない、③きまりがわるい、みっともない④相手がきまりわるくなるほど素っ気無い、⑤迷惑である、⑥はげしい、きびしい、と言う意味を持っているらしいが、近代では②や③の意味で使われることが多いと思う。

 言葉がすたれた背景には、その感覚自体が薄れたからということがあると思う。つまり、「慎み」とか「きまり悪さ」とかの感情自体が薄れているという事実があって、結果としてその感情を表す言葉もすたれてきたということだと思う。共通の社会規範や道理といったものの力が弱くなってしまっていることが「はしたない」ものが横行したり、「はしたない」という感情自体をおこさせない遠因になっているのではないか。

 社会規範というと難しく聞こえるが、昔の人の頭の中では何かをするときは必ず「お天道様」とか「世間様」とか、いわば自分以外の存在を意識していたと思う。もちろんそれが強すぎると息苦しい社会になるが、それなしではいわゆる箍(タガ)の外れた社会になってしまう。ビジネスの社会においても古くは社訓や家訓などのベーシックな規範めいたものがあったに違いないのだが、高度成長時代を経て内向きの論理や効率が優先されるようになってゆき、いろいろなところで不祥事を生じさせている。

 よく、現在の日本にはチェック作用が機能していないといわれるが、昔はそれらの規範が自己規制という形である程度事前に軌道修正することを可能にしていたのかもしれない。今回の東証の誤発注に乗じた証券会社のドサクサの設けも、法的には問題がないとしても昔だったら「お天道様」が許さない行為だっただろう。もっとも今回のドサクサ儲けのメインであるUBS証券のように青い目のビジネスマンには「お天道様」は通じないかもしれないが…。西欧の文化では規範やルールは明文化されたり文書化されるのが前提だから、それに無いことは是とされるのが常だ。

ビジネスの社会では、これからは日本においても「はしたない」行為についても順次ルール化し明文化してゆく努力が必要かもしれない。もちろん西欧にも社会規範はあるが全てが共通ではないので明確化してゆくことが必要となろう。ただし、今回の問題については「世間様」の目は生きているので、それが「はしたない」まねを許さないかもしれない。

 一方、個人の日常の世界では規範はビジネスの世界ほど明確ではないから、「はしたなさ」はたぶんに個人の感性に委ねられることが多いし、それだけに時代によって変わってゆくことにもなる。昔は「はしたない」とされた女性のジュースなどのラッパ飲みもさして抵抗無く受け入れられているかもしれない。(一説によると、これは昔コカコーラが若者のラッパ飲みのCMを大量に流したから、という説もあるが)

 先日、電車に乗ったら、前の席の女性がバッグから化粧道具を取り出して化粧を始めた。ファンデーションで顔を真っ白にして、それからマユを描いている。大きな手鏡をだして一心不乱に作業をしている。まるで自分の周りには誰もいないようだ。そのうちアイラインを入れて、マスカラーをつけ、口紅を引く。彼女のバッグからは手品のように色々な道具が出てくる。とうとう彼女は大きなはさみの様な器具を取り出し目蓋にあてて挟んだ。どうやらそれは睫毛を上に向ける道具らしい。

たっぷり二十分位はかかったと思う。やがて下車する駅に来たらしくて彼女は新しい顔で颯爽と降りていった。おかげで一句浮かんでしまった。
すっぴんで乗って 別人で降りてゆく
これも「はしたない」ことではなく、ごく普通の景色となってゆくのだろうか。


*商売上での「はしたない」行為に対しては、関西方言を元とする「えげつない」という言葉が現代ではぴったりくる表現かもしれません。

*この間、友人と話しているとき、最近マスコミで喧伝されているセレブ婚とやら、つまり女性芸能人がIT企業の社長青年実業家と称する男性と結婚してはしゃいでいるのも「はしたない」ね、という話題が出ました。でもこれは「はしたない」というより「さもしい」という日本語の表現の方が適切だと思いますが…。


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