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あの時の文春 昭和五十一年三月号 [あの時の文春]

あの時の文春 


30年の時を越えて  昭和五十一年三月号(1976年)

Ansicht
 文春に掲載されている加瀬俊一氏の連載ヒットラーが登場するまでは、ワイマール共和国の終焉から第三帝国の誕生までを描いたノンフィクションの力作で後に「ワイマールの落日」として単行本にまとめられた。
本連載はこの号で11回を迎えいよいよヒトラーが古いナチス党の創設仲間と訣別をし「総統」としての地位を確固たるものにしてゆく段階に来ている。加瀬氏は1930年代には若き外交官としてベルリンに滞在し、日本の対独外交の現場におり、ヒトラーなどとも会っているので歴史をリアルタイムで体験している。

 ヒトラーはワイマール共和国という当時もっとも民主的と言われた国家の下でSA(ナチス党突撃隊)という暴力装置の力をちらつかせながらも形としては民主的・合法的に権力の階段を昇っていった。そして実質的な権力を手に入れたとき自分の意のままにならないSAが邪魔になり始めた。権力を掌握したヒトラーはドイツ国防軍という、いわば正規の暴力装置を手に入れたしSS(ナチス親衛隊)というヒトラー個人に忠誠を誓う新たな暴力装置も手に入れていた。

 1934年6月30日彼はついに意を決して邪魔な勢力を一挙に抹殺することにした。それが「長いナイフの夜」だ。先日古い資料を整理していたら奇しくもこの「長いナイフの夜」へとつながる一枚の古い写真を見つけた。それは70年以上も前にドイツの知人が撮った一枚の写真だ。そこにはヒトラーを含めドイツの暗い時代を刻んだ三人の男が写っていた。 →ある独裁者の影


 昭和五十一年三月号

①Cover Story
~第74回芥川賞発表~
▽岬…中上健次
▽志賀島…岡松和夫


②Main Article
▽銀行を斬る…上之郷利昭

特別レポート
-高度成長経済は企業の借金経営から始まった。しかし減速経済を迫られた今、銀行はいつまでも床の間を背にしてはいられない
-史上最高の倒産数を数える未曾有の不況の中で、銀行だけが安定した利益をあげ続け、不満・怨嗟の声は日ましに高い。かつて高度成長の担い手だった銀行と、この非難を浴びる姿との落差はどこから生ずるのか。その生態をつぶさに検討することによって、将来の銀行の、ひいては日本経済の在るべき姿を、浮き彫りにしてみたい。
~代々木路線を解明する~
▽日本共産党の研究3…立花隆

-付:いわゆる宮本委員長の復権問題
-共産党が天皇制を打破できないのは、自らの組織が擬似天皇制でできあがっているからだ
~人間を考える~
▽対論・性の自由について…石川達三/野坂昭如

-譲れない自由と譲れる自由がある、淘汰は人間の自律作用に任せるべきだ、二つの世代を代表する論客が闘わす徹宵、白熱の自由論
~デヴィ夫人伝~
▽カリーナとともに…デヴィ・スカルノ

-結婚して七年目。9.30革命嵐の中で遂に私は彼の子をみごもった


③Other Stories
▽昨日の旅…清水幾太郎
-心の恩師の遺影を尋ねた社会学徒の感慨
▽第三帝国の誕生・ヒットラーが登場するまで…加瀬俊一
-それは千年の展望の下に栄光?の発足をした
-ついにナチス恐怖の大粛清がはじまった
▽鄭敬謨・大江健三郎に答う…石原慎太郎
-お二人の論はともに北の実態を無視している
▽有名進学高校 校長座談会…灘・教育大付駒場・麻布・戸山、ラサール各校長
-地獄と言われる東大入試を前に、エリート校生徒達の驚くべき日常
▽フランスの英語狩り…倉田保雄
-英語好きの大統領のフランス語防衛戦争とは
▽父・檀一雄の手…檀ふみ
-娘の立場から見つめた「火宅の人」のやさしさ
▽菜葉煮ろ煮ろ肉腐れ…塚本邦雄
-電話番号訓み変えの"秦斗"が綴る数字詞華集
▽人生一本勝負…<座談会>川上哲治・二子山勝治・升田幸三
-金もコネも通用しない世界を生き抜いてきた三人の男の苛烈な人生

④連載小説
▽「少年賛歌」…三浦哲郎
▽「青い壺」…有吉佐和子


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昭和五十一年二月号 [あの時の文春]

あの時の文春  


30年の時を越えて 昭和五十一年二月号(1976)

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TK-80のショック
 
 文春の広告を見ていると30年の時の流れと言うものが感覚的に伝わってくる。もう姿を消してしまったものから、三十年経ってもほとんど変わっていないもの、また姿を変えて残っているものもある。ざっと見ていて商品として見た目が一番変わらないのはプレステージの高い時計のようだ。オメガやウォルサムやロンジンなどはデザインもイメージも余り変わらない感じがする。

  一番姿を消していったのは、高級ライターや高級喫煙具の広告だ。デュポンやカルチェのライターやロンソンやダンヒルのバイプなどの広告はすっかり姿を消してしまっている。商品自体も世の中の主流ではなくなっている。デザインが変わりながらも生き残っている商品の代表は車とカメラであろう。僕なんかはその二つの商品のデザインの移り変わりを見ていると自分の人生がダブって見えてくる。その車とカメラも今や、ハイブリッド車とデジタル・カメラという大きな転機を迎えているようだ。

 この年つまり1976年のこの号の広告にデジタル時計の広告が出ている。メーカーはアメリカのパルサー社。(記事下の写真) 名称はTime Computerで、そのときの価格でステンレス張りのものでも140,000円もする。初任給が10万円そこそこの時代だから大変な値段だ。デジタルと言うだけなら今の粗品でもらう時計と基本的には変わりはない。今、デジタル時計にそんな金額を出す人間はいない。一方、高級時計もそのムーブメントはメカニカルなものからクォーツに変わっていっているから変化自体は進行しているのだ。

 なんと言ってもこの30年間の商品の一番の変化はコンピュータに代表されるエレクトロニクス関連商品の分野だ。この分野は30年前には商品自体がほとんどなかったのだから…。
 この年僕にとっては衝撃的な商品が発売された。NECのワンボード・マイコンと呼ばれたTK-80である。トレーニング・キットだったがコンピュータのプログラミングが自分で出来て、動かせるいわば初めての個人用コンピュータといってもよいものだった。



 構成は今で言うマザーボードとテンキーそれにデジタル表示装置だけの簡単なものだが、リリースされたときの興奮は大変なものだった。当時、結婚したばかりの僕は50回払いのローンでTannoyのスピーカーを買ったばかりだったが、かみさんに怒られるのを覚悟で秋葉原にとんでいった。しかし残念というか幸いというか、予約でいっぱいで結局手に入れることはできなかった。数年後、やっとBasic言語で動くシャープのマイコンを手に入れた。(その頃はマイコンと呼んでいた)当時の雑誌に「将来はコンピュータがいろいろな家庭電気製品に組み込まれ、一つの家庭に何台ものコンピュータが存在するようになるだろう」という記事が出ていたが、にわかに信ずることはできなかった。

 僕の買ったシャープのマイコンの専門誌を出している会社があったので、その出版社の社長に会いに行った。それが今のソフトバンクの会長の孫さんだった。当時、孫さんの会社はゲームソフト等のソフトの流通業務がやっと軌道に乗り始め、会社を九段に移したばかりの時だった。まだ梱包を解いていない段ボールの積み上げられたオフィスで彼から色々な話を聞いて、コンピュータの普及によって急速に社会が変わることを感じた。

 その後、孫さんはアスキーの西さんとパソコン業界を二分するリーダーとなったが、西さんがMSXやハードに拘ったのに対し、孫さんは何処までもソフトやパソコンが社会に与えるインパクトに絡むビジネスに拘った。その後、仕事上の用件でも何回か彼に会って話をしたが、そのスタンスはずっと変わらなかった。

コンピュータのテクノロジーに通信の要素が加わって、コンピュータが社会を変えるインパクトの本番はこれからやってくる。それが僕らの本当の幸せに結びつくか否かはまだ五分五分の世界だと思う。

 
昭和五十一年二月号(1976)

①Cover Story証言 不況から見た昭和史
~減速経済への転換期を迎えた今、昭和五十年の波乱の歴史と経験を背景に七氏が語る。長引く不況を乗り切るための貴重な教訓の数々~

▽金融恐慌の嵐の中で…高橋亀吉
▽日本産業の大実験場・満州…椎名悦三郎
▽占領下の経済外交…宮沢喜一
▽高度成長と日本人…下村治
▽農業の壁…池本喜三夫
▽「列島改造」下の企業精神…池田芳蔵
▽強気論と弱気論の系譜…吉野俊彦

②Main Article
~小説より面白い~

▽日本共産党の研究2…立花隆
-日本共産党は路線の面では戦前の脱党者と同じ道を歩み、組織の面では戦前の組織を踏襲している。これが党史が語られない理由だ
▽新春座談会 皇族団欒…秩父宮勢津子、高松宮宜仁、高松宮喜久子、三笠宮寛仁(司会)加瀬英明
-戦後沈黙を守り続けていた高松宮が親戚の皇族にせがまれて披露する昔話、人生観の数々。これは正にロイヤル・ホームドラマだ
~戦争報道に真実はあるか~
▽ヘミングウェイはダメ記者だった
…P・ナイトレイ
-戦争報道は記者冥利。だが、そこに陥穽はないのか。真珠湾からベトナムまで、"世紀のスクープ"を追ってみると、意外な真実が…
▽三億円事件記者の哀しみ…内藤国夫
-大捜査は東京五輪、万博以来のお祭だった
▽山本七平の「最近新聞紙学」
~話題沸騰・デヴィ夫人自伝~

▽"世界でただ一人"のスカルノ…デヴィ・スカルノ
-大統領の太い肩の下の目が微笑しいた。温顔、それでいてあの磁力、十九歳だった私は、抗い難い力で、彼にひかれていった

③Others
~「現代の魔女狩り」論争~

▽鉄面皮な大企業擁護論…近藤忠孝、神崎敏雄
▽魔女狩り的思考の見本…グループ1984
▽トルコにひかれて大学教授…竹内和夫
-はるか西城の少数派言語は男のロマンだった
▽「死ぬ権利」ということ…守谷博
-植物人間として生かされる医療は辞退したい
▽四十男の子育て日記…(座談会)伊丹十三、池田健太郎、鎮目恭夫
-"子供は神の子"とはいうものの実際になってみればいやもう大変
▽ラブホテルの誓い…阿奈井文彦
-別府市で婦人服を作り大当たりした奇妙な人々
▽ポツダムの誓い…加瀬俊一
-ヒットラーは深く低頭し大統領の手を握った

④連載小説
▽「少年賛歌」…三浦哲郎
▽「青い壺」…有吉佐和子

⑤あの時の広告

NASAの技術の結晶という触れ込みで登場した最新テクノロジーの
時計はあっという間に陳腐化していってしまった


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昭和五十一年1月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて…  
あの時の文春  昭和五十一年1月号(1976)



 この前の年、昭和の元号で半世紀を迎えた日本はこの年から次の半世紀に入った。そして戦争が終わってから三十一年目の年に入り、「戦後という時代」から新たな時代へと変化をしてゆく年でもあったかもしれない。それは同時に戦後政治の総括を求められた年ともいえる。
 ここでこの年に起こった事についてクイズで三十年という距離感を確認してみたい。今に繋がるどの事柄がこの年に発生していたのだろうか。意外と近いものも、遠く感じるものもあるはずだ。

各問a~cから選んでください。答えは一つとは限りません
Q1.この年死去した中国の指導者は? (a.鄧小平、b.周恩来、c.毛沢東)
Q2.この年おこった政治スキャンダルは? (a.昭和電工事件、b.造船疑獄、c.ロッキード事件)
Q3.この年首相だった人物は? (a.三木首相、b.佐藤首相、c.大平首相)
Q4.この年就航した旅客機は? (a.ジャンボ・ジェット、b.コンコルド、c.トライスター)
Q5.この年の葉書の値段は? (a.10円、b.20円、c.50円)
Q6.この年生まれた力士は? (a.貴乃花、b.栃東、c.千代大海)
Q7.この年始まった人気テレビ番組は? (a.欽ちゃんのドンといってみよう、b.クイズ・ダービー、c.笑ってる場合ですよ)
Q8.この年あたったハリウッド映画は? (a.ロッキー、b.ランボー、c.プレディター)
Q9.この年流行ったピンクレディーのヒットソングは? (a.UFO、b.ペッパー警部、c.渚のシンドバッド)
Q10.この年ボクシングの世界チャンピオンになったのは? (a.輪島功一、b.具志堅用高、c.ファイティング原田)
Q11.この年のオリンピックが開かれた都市は? (a.ローマ、b.モントリオール、c.ロスアンゼルス)
Q12.この年の冬季オリンピックが開かれた都市は? (a.サンモリッツ、b.インスブルック、c.スコーバレー)

Index of this month
①Cover Story
~世紀の「なぜ」に答える~
▽日本共産党の研究…立花隆
-支持する人もしない人もこの歴史的な因縁と現実を知らずして日本共産党を語ることなかれ。これは初めて試みられた客観レポートである
▽イタリア共産党はどこへ行く…塩野七生
-保守党との提携をも辞さないという"歴史的妥協"策は、危機のイタリアを救い得るか?
*塩野七生の小説は僕も好きだ、先日の組閣で小泉首相は塩野氏を文部科学大臣に起用したかったらしいが実現しなかった。彼女のためにはそのほうが良かったのかもしれない。

②Main Articles
▽組合と国家の戦争が始まった…角間隆

-欧米諸国は組合主義に冒されていた。日本がその轍を踏まぬという保証は何処にあるのか
~わが愛・わがスキャンダル~
▽デヴィ夫人自伝…デヴィ・スカルノ
-生来の美貌を武器にして高級クラブのホステスから玉の輿に乗り、数々の伝説に包まれながら数奇の運命を辿った女の赤裸々な半世紀
*今はボケキャラとしてテレビにでまくっている彼女のしたたかな生き方の原点がここにある。
~特別レポート~
▽皇太子殿下を見たことがありますか…(構成)上前淳一郎

-昭和も半世紀。壮年・皇太子に国民各層は何を望んでいるか
~イギリスの大列車強盗~
▽地球の果てまで逃げた男…コリン・マッケンジー
-額においてもスケールにおいても「三億円事件」をはるかに凌ぐ英列車強盗事件は、奇妙な魅力を秘めた人間ドラマの幕開きでもあった
*確か映画にもなったと思う。一人の怪我人もださず、銀行も損害を保険でカバーできたので被害者のいない犯罪ということで話題になったが、逃亡に明け暮れた犯人の人生は決して安泰なものではなく犯罪は割に合わないという話。

③Others
▽わが憂論…土光敏夫

-物価抑制一辺倒に企業の耐久力も限界に来た
▽人の一生…福原麟太郎
-父の日記に見た明治の日本人のバイタリティ
▽石原慎太郎の自由・私の自由…鄭敬謨
-半同胞意識の中になぜ"北"が入らないのか
▽文化勲章と集合論の間…<座談会>広中平祐・小平邦彦・井深大
-悩める世の教育ママに贈る。世界的権威による「新・数学のすすめ」
▽オーロラに乗った天皇陛下…入江相政
-飾り気のない陛下が日米の心を通い合わせた
▽岩切精義と吉岡世界史…小中陽太郎
-体験を通して回想したわが懐かしの受験参考書
▽ディートリッヒが歌ったころ…加瀬俊一
-物憂い旋律にのってナチスは表舞台に登場
▽六〇歳のバレエ事始め…糸川英夫
-タイツも凛々しく舞台に立つこの胸の高鳴り
▽パリの日本人画家…永六輔
-強いのは画家か画商か、その生態学的研究
▽「水無飴」始末…山本夏彦
-森永、明治、フルヤ、新高と競った懐かしの味

④連載小説
▽「少年賛歌」…三浦哲郎
▽「青い壺」…有吉佐和子

(注)目次ならびにリードは文春原本のママ、*およびAnsichtは筆者による


<Answer>

1-b,c…この年、周恩来、毛沢東という中国の二大巨星が墜ちました
2-c…三木政権によるロッキード事件の摘発が三木下ろしの一因にもなりました
3-a…三木首相に対抗して福田、大平の三木下ろし旋風が吹き荒れました
4-b…一月にロンドン、パリから一番機が同時に飛び立ちました
5-b…葉書20円、書状50円でした
6-b,c…両大関は今年30才になります
7-b…司会は大橋巨泉、解答者は、はらたいら、竹下景子、藤沢秀夫など
8-a…ロッキーはこの年のアカデミー賞をとりました
9-b…あとはS.O.Sもこの年にヒットしましたね
10-b…ちょっちゅ、ジュニア・ライト級チャンピオンに輝きました
11-b…14才のコマネチが活躍した大会でした、可愛かったなぁ
12-b…この頃は夏と冬季のオリンピックは同じ年に開かれていました


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昭和五十年12月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて…  あの時の文春

昭和五十年12月号(1975)

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 「昭和五十年」も終わろうとしている。この年は昭和の時代に入って丁度半世紀目、今から三十年前のことだ。そして昭和五十年にとっての三十年前とは戦争が終わった年だ。今年、つまり平成十七年は戦後六十年目に当たるから、昭和五十年は戦後の丁度真ん中の年に当たる。「もはや戦後ではない」と言われだした時点だ。

 この前の年に僕は会社に入った。丁度オイルショックでパニックになり景気が失速した時だ。就職にはコネもあても無かったが、なんとか滑り込みセーフで入ることが出来た。昭和50年になると大卒予定者の採用取り消しや、自宅待機が頻発したので本当にあぶないところだった。

 僕はこの年に結婚した、そういう訳で自分にとってもエポックメイキングな年だが、それにもまして、この年は日本や世界にとってもいろいろな意味で分岐点となる年だったかも知れない。

4月30日についにサイゴンが陥落して、南ベトナムとアメリカの敗北は決定的なものとなった。もちろんアメリカはすぐには敗北とは認めなかったが、第二次世界大戦以来の常勝アメリカ軍というイメージももはやなく、アメリカ本土の社会もベトナム帰還兵たちで病んでいた。

これ以降アメリカは軍事的パワーによる反共戦略を経済的パワーや自由・人権的思想による共産主義・社会主義封じ込め政策へと戦略転換していったように思う。そしてその戦略は社会主義陣営が事実上崩壊した現在も変わってはいないようだ。

 一方、日本に関しては過激派と称される赤軍派が8月にクアラルンプールでアメリカ・スウェーデン大使館を占拠し、日本に収監されている赤軍派を超法規的措置により釈放させた。昭和45年よど号ハイジャック事件、昭和47年あさま山荘事件テルアビブ空港襲撃事件と過激派による事件が続いたが、'70年の安保闘争が終結してからは、大学の学園紛争も収まり、極端な左翼勢力に対する国内の支持は急速に低下していった。

9月に天皇がアメリカを公式訪問し形の上ではアメリカとの戦後の締めくくりが行われた。大きな流れから見ると、この年は戦後三十年間の総括のような年だった。しかし本号の目次を見てもわかるように、まだ「戦争」、「天皇」、「社会主義」が時代の重大な関心事だったことがわかる。

<昭和50年の主な出来事>
2月…サッチャー女史、イギリス保守党党首に…「鉄の女」と呼ばれた
3月…山陽新幹線、岡山⇔博多間が開通
4月…南ベトナム、サイゴン陥落…サイゴンから先を争って逃げる人々の姿が忘れられない
5月…エリザベス女王来日
7月…沖縄海洋博覧会開幕
8月…日本赤軍、クアラルンプールでアメリカとスウェーデン大使館を占拠
9月…天皇アメリカを公式訪問…天皇のデズニーランドでの映像が印象的だった
11月…フランス、ランブイエで第一回先進国首脳会議(サミット)開幕

<事件・事故など>
・長野県青木湖にスキー場送迎バスが転落24人死亡
・六価クロム公害が発覚
・竹の子族が原宿に出没
・根室沖でマグニチュード7の地震
・プロボクシング、輪島功一世界タイトル奪還
・プロボクシングガッツ、石松世界タイトル五度目の防衛
・エベレスト日本女子登山隊初登頂
・英ウインブルドンで沢松・キヨムラ組が女子ダブルスで優勝
・三億円事件時効成立…あのヘルメットを被った手配写真が有名になった
・紅茶キノコがブームに…これ以降いろいろな妖しげな健康食品ブームが
・中ピ連解散…「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の略称

<はやった曲>
・シクラメンのかほり…布施明
・港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ…ダウンタウン・ブギウギ・バンド
・およげ! タイヤキくん…子門真人
・北の宿から…都はるみ
・ロマンス…岩崎宏美
・さらばハイセイコー…増沢騎手

<テレビ>
・欽ちゃんのドンとやってみよう…キンドンは毎週見ていたな
・テレビ三面記事、ウィークエンダー…泉ピン子をここで初めて見た

<映画>
・祭りの準備…ATG、黒木和雄監督、竹下景子主演、この頃がATGの最盛期か
・JAWSジョーズ…音楽が怖かった
・タワーリング・インフェルノ…スティーブ・マックィーンが格好良かった
・デルス・ウザーラ…黒澤明監督の久しぶりの映画、封切りで見た

<物価>
・【交通】都バス70円(4月)
・【飲食】ビール180円(4月)、かけそば150円
・【たばこ】ピース(10本入)75円、ハイライト120円、セブンスター150円(12月)
・【初任給】大卒 9万1272円
…そろばんができない僕は5万円をだしてシャープの電卓を買った

<新商品、ヒット商品>
・ユニット住宅…セキスイハイム
・使い捨てライター…チルチルミチル
・ペヤングソース焼きそば…まるか食品
・マルちゃんのきつねうどん…東洋水産
・カップ麺、カップスター…サンヨー食品
・シーチキン…はごろも缶詰
・キノコの山…明治製菓
・森永ハイチュー…森永製菓
・日刊ゲンダイ創刊

<訃報>
・スペインのフランコ総統…この5年前スペインでフランコ総統を見かけた
・坂東三津五郎、ふぐ中毒で死亡…美食に殉ず
・ギリシャの海運王オナシス死去…マリア・カラスやケネディ婦人と結婚していたことでも有名
・台湾、蒋介石総統死去…翌年には毛沢東主席、周恩来首相が死去している


   昭和五十年12月号(1975)

①Cover Story
~日本社会は狂っていないか~
▽現代の魔女狩り…グループ1984年
-世界史をひもとくと歴史の変わり目にはならず「魔女狩り」という名の集団ヒステリーの発生があった。現代日本のさまざまな奇怪な現象は、あきらかにこの種の社会病の蔓延を照明しているようだ。
*これも匿名記事。テーマは排ガス規制、イタイイタイ病、商社批判は現代の魔女狩りだというもの。つっこみが足りなくて、なんとなくこじつけっぽい印象がした。

②Main Articles
▽ワシントンの空は青かった…入江相政
-天皇訪米を最も間近にみた侍従長の随伴日記
▽戦犯リストの中の天皇…児島譲
-終戦--連合国の関心は愈々天皇に集中した
▽誰が天皇を必要としているか…西村秀俊
-異郷で見た天皇の素顔にふと日本のことが
~「大東亜戦争」と日本人~
▽大本営の二〇〇〇日…瀬島龍三

-「大東亜戦争」中大本営参謀を務め、シベリア抑留ほ経ていま世界経済戦争の戦略に腕をふるう、日本の運命を一身に具現した半世紀
▽昭和の坊ちゃん・ハリウッド日記…相馬胤成
-進駐軍のアルバイトが機縁でアメリカはハリウッドの映画コラムニストの家に住み込み、多くのスター達を目撃した日本青年の心意気

③Others
▽イスラエル首相単独会見記…村松剛
-敵意に囲まれた小国の指導者の平和への苦悩
*イスラエルは本当に「小国」なのだろうか。アメリカ等の後ろ盾を得て、敵意の再生産を行っている側面もあるような気がするが。
▽天下の空論・スト権論争…屋山太郎
-"スト天国"イタリアの轍を踏むなといいたい
▽「空気」の研究4…山本七平
-西欧では克服された「空気」は今や日本特産
▽現代の松下村塾…飯田宋一郎・木村尚三郎・永井道雄・林健太郎・渡辺昇一
-行き詰まりの教育を荒廃から救う道は"私塾"の気風の再認識にある
▽ゴンタの政治・ゴンタの文学…小田実
-ソ連の詩人エフトシェンコと話して考えた事
▽褐色の制服…加瀬俊一
-"怒りの選挙"からついに浮上してきたナチ党
▽マルクス博物館長・向坂逸郎…上之郷利
-社会党の問題児協会派を率いる老学者の素顔
▽クルマに乗った赤ヘル軍団…松田耕平
-二十六年目の優勝決定は、亡父の命日だった
▽魚が釣れない太公望…山本素石
-釣られた魚に心優しき釣りキチ名人伝
▽バックミラーで不景気診断
-百円玉から湯気が立つほど固く握りしめたお客たちのシブチン百態

④連載小説
▽「少年賛歌」…三浦哲郎
▽「海は甦る」…江藤淳

⑤あの時の広告



*このときにはまだ8mmフィルムなんですね。我が家にも昔の8mmフィルムがありますが、肝心の映写機がないのでもう見ることは出来ません。動画のメディアの変遷は本当にめまぐるしいものがありました。16mmフィルム→8mmフィルム→一時カセット8mmといったものもありました→beta/VHSのビデオカメラ用テープ→8mmVTR/Hi8→デジタルVTRテープ→DVDカメラ→ハードディスク・カメラなど、本当にクルクルと変わりました。そのたびにメディア変換をして保管しなければならない煩わしさは困りものです。
それに対し、静止画の世界は銀塩フィルムからデジタルへと比較的シンプルです。もちろん銀塩フィルムにも6x6~35mmなどいろいろな大きさもありますし、デジタルのメディアにはいろいろなメモリータイプがありますが相互の変換は動画ほど煩わしくありませんよね。
こうして製品として二つを並べると、銀塩写真のカメラは既に製品として完全に完成の域にあるような気がします。

*このCanon F-1やNikonのカメラや伝統的なレンジファインダーカメラのデザインを見ていると、銀塩カメラのデザインの完成度は素晴らしいものがあると思います。デジタルカメラのデザインもこれから完成されてゆくのでしょうか。新たなデザインの可能性が見えてくるとまた楽しみが増えるのですが。


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昭和五十年十一月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて… あの時の文春

Ansicht  テロリズムのシフト
 この年(1975年)も後一月を残すのみになった。11月までの主要な出来事を挙げてみると、

4月30日…南ベトナム政権が無条件降伏し解放戦線軍がサイゴンへ無血入城、30年にわたるインドシナ戦争が終結
5月19日…警視庁が前年の三菱重工ビルをはじめとする連続企業爆破事件過激派の容疑者8人を逮捕(1人自殺)
8月4 日…過激派日本赤軍がクアラルンプールで米大使館など占拠し日本で拘置中の過激派の釈放を要求する。日本政府は「超法規的措置」で5人を出国させる
9月30日…天皇、皇后両陛下が初の訪米、ホワイトハウスでフォード大統領夫妻と歓談
11月15日…第1回サミット、仏で開催。米日など6カ国、経済秩序再建を討議。
11月26日…公労協がスト権ストに突入、国鉄は全線で史上最長の8日間(192時間)ストップ

 この中で特に目立つのは「過激派」の動きだ。ここで言う過激派とは連続爆破事件の犯行声明を出した「東アジア反日武装戦線」や「日本赤軍」といった極左のことを指している。ベトナム戦争でアメリカは結局共産勢力に敗退し資本主義への信頼も揺らぎかけていた。そのような時点で文春はこの号で「過激派と爆弾の徹底的研究」という記事を載せている。この記事の中では「世界の過激派」地図が紹介されている。各地域の主な過激派グループを世界地図にプロットしたものだ。
主なものだけざっと見てみると
<アジア>タイ共産党ゲリラ・FRETILINチモール独立革命戦線・NPA新人民軍・反ファシスト人民自由連盟
<中東>PFLPパレスチナ解放戦線・日本赤軍・黒い九月・トルコ人民解放戦線
<ヨーロッパ>西ドイツ赤軍(バーター・マインホフ)・6月2日運動・IRO世界革命機構・クロアチア分離派・反ファシスト解放軍・IRAアイルランド共和国軍
<アメリカ/カナダ>ブラックパンサー党・黒人解放軍・ケベック解放戦線

これを見れば分かるように当時の過激派とは基本的にはイデオロギーに基づいた共産主義もしくは社会主義者の原理主義運動と言ってよいと思う。もちろん民族独立や差別撤廃を掲げたグループも多いが、そのバックボーンは社会主義的イデオロギーに基づいている。

 しかし1991年のソ連邦崩壊以後、いわゆる過激派の動きは大きく変わってきていると思う。ソ連邦の崩壊によって旧ソ連や東欧諸国に地域紛争が多発したが、それはイデオロギー紛争と言うよりは民族紛争であり、そのバックボーンに極左的思想は乏しい。現在過激派と言えば自動的にイスラム過激派を示すことが多い。そのもとの火種はPFLPなどに代表される対イスラエル闘争が元になっている部分が多い。

イスラエルがアメリカ・イギリスというどちらかと言えばアングロサクソン的・キリスト教的世界観の強い西欧資本主義国家をバックにして対アラブ政策を展開してきたことにより、地域紛争は経済紛争・宗教紛争・文化紛争的色彩を強めてきたように思う。特にイラク戦争を機に、もはや国家間紛争というよりはるかに複雑で紛争というよりは闘争という局面になってしまっている。そのような紛争に日本は益々積極的に関与しようとしている。それも仲介的立場ではなく一方の陣営の先鋒としての政治的プレゼンスを作り出している。世界平和への貢献という名の下で。


 昭和五十年11月号(1975)

①Cover Story
~世界はヒロヒトをどう見たか~
▽天皇とアメリカと太平洋戦争…児島襄
-訪米と在位五十年 - 天皇への関心の高まる中、米極秘文書その他を発掘渉猟し、事実と論理で報告する天皇責任論の決定版

②Main Articles
▽ケネディの密会を見た男…T・ブライアント
-警報が鳴り数人の裸女が逃げ散った、大統領夫人が帰ってきたのだ
~読書の秋を迎えて~
▽東洋を語る愉しみ…諸橋轍次
-一国の文明のバロメーターといわれる辞書づくりに、三十余年の歳月を費やした二人の碩学が、いま語り合う漢字文化、東洋文明の真髄
▽ドン・キホーテをもう読みましたか…編集部アンケート
-「古今の名著のうちあなたがまだ読んでいない本は?」編集部では六十人の文化人にこのアンケートを発し、意外な解答をもらった
▽赤い白鳥の生んだ四角い卵…丸谷才一
特別レポート/過激派と爆弾の徹底的研究…立花隆・角間隆
-世界各国で続発する爆弾テロとは何か。その国際的な地下水脈を、豊富な資料と生々しい証言で詳細に分析した緊急・衝撃のレポート
-もし、我々を震撼させた連続企業爆破犯とハイジャック犯として世界に名を轟かす日本赤軍が連帯していたら…?、皇太子ご夫妻への火炎瓶事件と海を隔てた米大統領暗殺未遂事件に関連があるとしたら…?、一つ一つの"点"を追っては何も見えないものが"線"となった時、意外な軌跡を描くことがある。これは、日本と世界の過激派に詳しい立花・角間の両氏が膨大な資料をもとに、爆弾テロの系譜を問い、そして来るべきテロ頻発時代の恐怖を予言した。

③Others
▽最近朝日新聞紙学…加瀬英明
-天下の公器の舞台裏では抱腹絶倒劇が進行中
▽ある不況に強い会社…綱淵昭三
-前代未聞・取締役課長がいる日清紡の経営学
▽空気の研究3…山本七平
-日本独特の「空気」は科学の国際性に挑戦する
▽断髪とミニスカートの都ベルリン…加瀬俊一
-市民は文明に酔いヒットラーは政権を目指す
▽反共劇へのふざけた激励音…上田耕一郎
-創価学会との協定署名者が真実の経過を語る
▽韓国の自由と日本の自由…石原慎太郎
-国境のトンネルに潜って考えた真の自由とは
▽ガンで知った人生の味…丹羽小弥太
-四度の入院・七度の手術で鍛えた私の病人魂
▽歴代首相のゴルフマナー…鈴木卓郎
-近衛文麻呂から三木首相まで政界ゴルフ紳士録
▽大学教授が小説を書けば…新谷識
-変身願望の権化となってしゃにむに書いた
▽逢いびきと子規庵の町…野坂昭如
-ほろ苦い想い出残る根岸、下谷、湯島の町々
▽医者を選ぶも寿命のうち…少壮医師座談会 司会:渡辺淳一
-世間で言う名医と医者の選ぶ名医とは大違い、うっかり患者に聞かされない医師の打ち明け話

④連載小説
▽「少年賛歌」…三浦哲郎
▽「海は甦る」…江藤淳

⑤あの時の広告


*SONYビデオデッキ…ビデオデッキすごい大きいですね。これは確かベータマックスの前の方式でUマチックとか言っていたと思います。当時会社に一台あって研修かなんかに使っていました。当時の値段で20万円以上したんですから大変高価な機器だったんですね。

*Honda Civic…ベストセラー車でしたよね。この車が出たときネーミングとデザインが斬新だなぁと思ったことを覚えています。


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昭和五十年十月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて… あの時の文春

Ansicht 堤清二・中内功・青井忠雄、三氏の座談会を読んで

 今月号の記事に「どこまで続く不景気ぞ」という座談会が載っている。出席者は西武百貨店の堤清二、ダイエーの中内功、丸井の青井忠雄という当時の流通業の雄である三人の経営者という、そうそうたるメンバーである。戦後の長い高度成長時代が終わりをつげ日本は次のステップへの踊場を迎えていた。マーケティング的観点から見ると、この時代は日本人の消費行動が成熟化し始めた第一段階ではないかと思う。必要なものを安くと言うだけの行動パターンから、感性や嗜好と言ったものが購買の重要なファクターになりつつあった。それは高度成長が日本人の生活にもたらした消費行動の変化かもしれない。

 この三人の経営者はそのあたりの変化を各々捕らえている。中内氏は、今までの景気後退時期にはまず、嗜好性の強いものが売れなくなって、生活必需品的なものがよく売れるようになるのが常だったのが、今回の景気後退ではファッション性や趣味嗜好の強い商品がよく売れ、一般的な必需品が売れなくなっている、と述べている。不景気で売上が落ちていることは今までの後退時期と同じだが、その中身が変わっていると言うのは堤氏も、青井氏も同様の感想を持っている。さすがに消費の変化を敏感に感じ取っていると思う。

 現在、振り返ってこの三人の経営者のその後を見てみると、三十年と言う時間の重さを感じる。堤氏はセゾングループの凋落の責をとる形で経営者を引退し今は「小説家・辻井喬」として文筆活動を行っている。中内氏はダイエーの再生を見ることなく先日亡くなった。青井氏は今年経営のバトンタッチを行い会長に就任している。セゾングループ、ダイエーグループのいずれも明確なコンセプトをもって流通業の一時代を築いた。しかし、時代の流れの中で経営のズレが拡大して行った為か以前の企業グループの形態は表舞台から姿を消さざるを得なくなった。経営的な面から分析すればいろいろな教訓があると思うが、その一つが事業の拡大・展開に関する姿勢の違いがあるのかもしれない。

 セゾンもダイエーも事業領域や面的拡大に積極的でつねに拡大を進めてきた。それに対し丸井の店舗数は1970年も2005年の現在も変わってはいない。それでも利益はその間に10倍になっている。極めて単純に図式化して言ってしまえば、前の二つのグループが数字の掛け算の経営、つまり店数×売上=総売上というものに重きをおく経営であったのに対して、丸井は割り算の経営、つまり総利益÷店数=一店舗あたり利益、というものに重きをおいて経営していたと言えるかもしれない。

 経営に絶対的な良い悪いはない。そのやり方がいかに時代にあっているかだ。堤氏も中内氏も流通業に新しい時代を作った、しかし本当は時代がこの二人の新しい経営者を作り出したのかもしれない。そして、その時代の変化が経営者の変化を追い越してしまったのだと思う。


昭和五十年十月号(1975)

①Cover Story
~共産党と創価学会 協定までの私たちの真意~
▽歴史の転換点に立って…宮本顕治
▽文明的共存の道をさぐる…池田大作
-「ビッグ対談」から十年協定発表へ~敵対関係にあったはずの二大組織が、なぜ歴史的和解に至ったか~その疑問に全て答える
▽独裁者の饗宴 1975年夏…I.M.ディクタツーラ
-誤算によって書かれた筋書きは誤算によって破綻する~スリルとサスペンスに満ちた大芝居を徹底適格に分析し両組織の将来を占う

②Main Articles
~天皇訪米をひかえて~
▽木戸幸一・天皇を語る…大平進一
-開戦から終戦へ天皇は何を考え、決断したか
▽陛下に土下座してなぜ悪い…牛島秀彦
-天皇を"奉迎"するハワイ日系人の複雑な感慨
~悪女ジャクリーンとの闘い~
▽わが友・オナシス…J・アルビー
-「ジャッキー、きみは情けの剛い女だ」オナシスはついに死の直前、離婚交渉に踏み切った
▽どこまで続く不景気ぞ <座談会>…堤清二、中内功、青井忠雄
-高度成長という"祭"は終わった。しかしその中で消費者ははじめて選択する目をもち始めた。それは禍を福に転じる知恵でもある。
▽日米全調査 大和沈む…吉田満、原勝洋
-太平洋戦争の終幕にふさわしい一大ドラマともいうべき大和の最期を、「総員退去」から沈没まで刻々と追い、その悲劇的全貌を明らかにする

③Others
▽空気の研究2…山本七平
-公害も外交も戦争までもがこの"空気"で動く
▽ヒットラー伍長の冒険…加瀬俊一
-左右両翼からの攻撃に揺れるワイマール体制
▽婦人年よ、驕るなかれ…上坂冬子
-真の「婦人問題」解決のためにあえてモノ申す
▽ワルシャワ労働歌を歌ったことがありますか…鈴木明
-全共闘も愛唱したこの歌の故地には意外や
▽わが漢方闘病記…堀米庸三
-西洋医学に絶望の後、私は漢方に光明を見た
▽ラガナの日本語教室…ドメニコ・ラガナ
-日本語に魅せられ悪戦苦闘した"独学十八年"
▽偉大なる書痴 鳴海完造…池田健太郎
-ついに世に出なかったあるロシア文学者の生涯

④連載小説
-「少年賛歌」…三浦哲郎
-「海は甦る」…江藤淳

⑤あの頃の広告
 

*この号に掲載されている日産セドリックの広告、デザインにまだアメリカ車の影響が残っているような感じがする
**ニコンF2は30年前のこの時点でも132,000円なので、その時の貨幣価値からいうとかなり高価な商品だったように感じられる。
同じ号に広告の出ている他のメーカーの価格を見ると
Nikon ニコマートEL…102,000円
Canon F-1…130,000円
Pentax  KM…59,900円
Minolta X1…179,000円
一眼レフカメラは貴重品だったんだなぁ。Pentaxの広告は価格を大きく打ち出していたので、当時の一眼レフとしては破格に安かったのかもしれない。


(*)/Ansichtは筆者のコメント、他は文芸春秋の見出しの原文ママ


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昭和五十年九月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて… あの時の文春

Ansicht:  「改革」という空気 
 この年の9月号の文春に山本七平「空気の研究」という文章が掲載されている。これから五回にわたって連載されることになるシリーズの第一回目だ。これらは後日『空気の研究』というタイトルで単行本にまとめられ現在でも本屋で買うことが出来る。日本文化論としてはよく出来ていると思う。

 彼が言う「空気」とは、目に見えないが日本人が誰も逆らうことの出来ないもののことだ。その「空気」は集団を支配するが、それについて質問したり、議論したりすることはできない。そのことについて質問したりするだけで反対者と見られたり、周りから村八分にあったりする。誰もが心の中では何かおかしいなと思ったり、どういう意味かな、などと思ったりしていても口には出してはいけないものだ。

 例えば戦前の「愛国」なども空気になっていた。国を愛する心は誰にもあるのだが、愛国とは、とか本当に国を愛することはどういうことかなどと正面切って質問などできない。それだけで愛国者ではないということにされてしまうのを恐れて、誰も口には出さなかった。中身の無い「愛国」と言う言葉だけが一人歩きをし、多くの人々を苦しめてきた。

 この「愛国」と言う言葉を「改革」と言う言葉に置き換えてみるといろいろなことが見えてくる。「改革」とは、良くない事を改め変えることだから、そのこと自体には誰も反対はしないし出来ないはずだ。「改革」という言葉は、それだけでは何も表してはいない。「なぜ」、「何のために」、「どうやって」という文脈の中で使われて初めてその意味を持ってくる。現在の「郵政改革」を見てどうだろう。一つには「何のために」、「どうやって」という中身について、国民はその詳細についてはほとんど知らされていない。この問題についてはマスコミはその機能を放棄している。

 小泉首相の国会答弁を聞いていても、郵政改革の目的やその効果について質問されると、彼はそれだけで改革反対者の質問と決め付けてまともな答弁をしていない。彼は衆議院解散と同時に自分の改革への熱い心情を述べたが、改革の中身については何も語ってはいない。小泉首相は日本人がエモーションで動くこと、マスコミがそれを煽る事を十分に知った上で、改革という「空気」を作り上げてしまった。後日歴史としてこの改革が評価されることがあるかもしれないが、プロセスは評価することはできない。空気を廃して、もっと何をどうするという論議がなされるようにしないと本当の改革はできない。

 他の人が、今さら街頭演説で改革の中身について問題点や疑問をいくら訴えたところで、それはもはや「空気」に反することなので大衆に受け入れられる可能性は少ない。ということは勝てないということだ。今日、ラジオを聞いていたら、テレビにコメンテイターとしてよく登場する元新聞記者の鳥越俊太郎が、テレビを中心としたメディアが小泉首相の戦術に乗せられているのがとても気になるが、テレビではそのことは言いにくい、と言っていた。
ジャーナリストの魂はどこへいったのか。


昭和五十年九月号(1975)

①Cover Story
~革新再編成の風にそよぐ~
▽社会党葬送行進曲…上之郷利昭
-「大企業から金をもらった」といって共産党に追及される社会党。その理想と現実の乖離は、サラリーマンの初恋の夢をくだくばかりだ
-「独占資本を倒す…」と社会党はいう。しかしその社会党は資金のかなりの部分を大企業にあおいでいる。このタテマエとホンネの相克こそが同党の大弱点だ。"ニミ自民党"型ともいうべき社会党の金脈と、そこから派生する不可思議な体質とを徹底調査、解剖し、あわせて野党共闘再編成のなかでの社会党の命運を冷静厳密に見つめた報告書がこれだ!
 *かって国民は自民党と社会党という二大政党が拮抗した力を持つ社会を夢見た。しかし社会党がずっと掲げていた「自衛隊違憲」、「安保反対」を村山内閣で政権につくとあっさりと翻意してしまい、結局目指すところへ時間をかけても国を持ってゆく方法論については何も考えていなかったことを露呈してしまった。反対するだけの党に国民が三行半を突きつけたのはこの後である。

②Main Articles
▽社会主義の中の資本主義…草柳大蔵

-「左向けッ右」の東欧諸国を歩いて考えたこと
▽定年とは何か…<対談>鶴見俊輔、岡田誠三
-サラリーマンに不可避の老いと定年の厳しい現実にどう立ち向かうか
~国を憂うるの記~
▽三木首相との三時間半…船橋聖一

-逃避、無関心はファシズムの危険な温床だ
-政治における新しいリベラリズムを確立するために
 *この後に自民党内ですさまじい「三木下ろし」が行われついに退くことになるが、三木首相は、昭和の「政治家らしい政治家」だったと思う
~タワリング・インフェルノより恐ろしい~
▽未来ドキュメント「大地震」…柳田邦男
-羽田空港、新幹線、超高層ビル群、高速道路、江東デルタ地帯で某日何が起こったか。これは客観的データにもとづいた地獄の未来図だ
-高層ビルの倒壊、新幹線激突、石油タンクの爆発、大火災。今、もし大地震が襲えば東京は必ずこうなる。このレポートで使われた数々のデータはすべてリアルなものだ!
 *あれから30年、都市の防災体制はどれだけ前進したのだろうか
▽UFOマニア全員集合…<座談会>丸山健二、南山宏、半村良、黒鉄ヒロシ

③Others
空気の研究…山本七平

-反抗すれば村八分になる"空気"という権威
▽呪われた共和国…加瀬俊一
-カップ一揆は挫折しインフレ狂躁曲が鳴った
▽「京都に原爆を落とすな」…オーテス・ケーリ
-ウォーナー博士が恩人と言う伝説を追う
▽古代釣りの愉しみ…開高健
-縄文時代の釣鈎でスレッからしの魚を釣った
▽「マンモスアパート」の名士たち…玉井勝美
-詩人や作家、野球選手達と暮らした17年の哀歓
▽国際劇場と赤線の町…野坂昭如
-かって憧れ住んだ町の桧舞台をついに踏んだ

④連載小説
-「少年賛歌」…三浦哲郎
-「海は甦る」…江藤淳
⑤Special
第73回芥川賞発表
-「祭りの場」…林京子
-「営巣記」…小沢冬雄

(*)/Ansichtは筆者のコメント、他は文芸春秋の見出しの原文ママ


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昭和五十年八月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて… あの時の文春

 春に南ベトナムが崩壊して日本にも重苦しい空気が流れていた。日本は極東の非常時に本当にアメリカが日本を守ってくれるのかと言う不安感にかられた。
7月に沖縄海洋博が開かれるといよいよ沖縄が本土に復帰した実感が湧いてきた。沖縄は基地の島であることは何ら変わらなかったが、マスコミにあおられた海洋博ブームが沸きあがった。
だが8月4日、海洋博に水をさすように日本赤軍がクアラルンプールのアメリカ・スウェーデン大使館を占拠。日本政府はゲリラの要求に屈し拘留中の赤軍派の7人を釈放しクアラルンプールへ移送した。


昭和五十年八月号(1975)

①Cover Story
▽決定版 戦艦大和の最後…吉田満、原勝洋
-日米全調査 戦艦大和
-近代史上最大のスペクタクルともいうべき帝国海軍の象徴大和の最期はいま生存者の証言、日米秘匿文書によって戦後初めて全貌を再現された
-戦艦大和の死こそ帝国海軍という一大文明の終焉であった。名作「戦艦大和ノ最期」の著者吉田満氏と若い世代の原勝洋氏は年齢を超えて見事なチームワークを発揮し、大和の"死"の真相に挑んで構想数年、全生存者の証言を求めることは勿論、米海軍省の秘匿文書の入手にも成功した。いわば、戦後三十年にしてはじめてできる迫真の"人間ドラマ"が、今ここに誕生することとなったのである。

②Main Articles
~戦後教育はこれでいいのか~
▽国家100年のための 新・教育宣言…明日の教育を考える会
-人類の歴史上、能力主義をとらない社会は停滞と滅亡しかなかった。「能力差」を無視し、「ひとしさ」だけを強調した戦後教育のゆがみを是正するために、今我々は提言する---勇気をもって知的能力の能力差を認めよう、と 

*Ansicht…文春お得意の「○○を考える会」の名前での提言記事。文春は署名記事を前提としているから、ドラスティックで挑戦的な記事を載せるときは、特定の個人が非難の集中砲火を浴びないようにする配慮か、そういう時には「○○を考える会」という名前を使う。
この提言記事も当時の日教組のやり方に真っ向から異を唱えた提言記事だ。当時の初等教育の現状を悪しき平等主義とし批判している。
 生徒を差別しないように全生徒の通信補を「3」にしたり、運動会で着順を決めるのをよそうなどという愚かな例を挙げて、日教組のやり方を糾弾している。
知的能力の能力差を認める教育を提言しており、知能の高い子供がそうでない子供のレベルに合わせられ犠牲になっていると断じている。
 現在では、ここで例に挙げられているような歪な「平等主義」に賛成する人は少ないと思うが、一方この提言の中で少し気になるのが、IQなどの「知能」を最優先すべき資質として選別を行うことが強調されていることだ。
提言の第一に、「提言第一…すべての教育はまず能力とりわけ知能の個人差の確認からはじめよ」を掲げている。前段ではIQと社会階級、学歴とIQ、両親のIQと子供のIQなど知能が遺伝的に形成されるものであることが強調されていたりして今となっては、これはこれでアナクロニズムな感じがするが…。
今、初等教育は「ゆとり教育」からの軌道修正の途中だが、30年間の間に、ビジネスやサラリーマンをとりまく環境は既に競争至上主義に振れようとしている。

▽数学教育を歪めるもの…小平邦彦
-小学校への電卓の導入は文明滅亡につながる
▽法政大学に何が起こっているか…里見五郎
-今日の混乱を生んだのは戦後の学園民主化だ
~あるルポライターの死~
▽田中角栄研究を書いて死んでいった夫…児玉正子
-夫のガンを知らされながらも、強く献身的に努めた児玉隆也夫人のもうひとつの「闘病記」
~人間研究~
▽現代の英雄 森進一の涙…山本章
-集団就職から歌謡界の"トリ"にまで登りつめ、はや伝説につつまれた青年のみせた素顔
*この記事の中では森進一は何よりも家族の絆を第一に生きてきた、となっているが、30年の歳月は人を変えてゆくのか。

③Others
▽佐藤栄作をどう評価するか…座談会
▽屈辱講和の後遺症…加瀬俊一
▽日本人とマグロの経済学…上前淳一郎
社会党三つの発火点…赤坂太郎
*かってそんな党もあったなぁ。日本国民はイギリスの自由党と労働党のように二大政権党の夢を託したこともあったような気がする。民主党は社会党の二の舞になるのか?
▽住宅騒動を起こそう…中村武志
▽九十歳でもゴルフはできる…出光佐三
▽自動車ははたして有罪か…北條誠
▽婦人警官が学生狩りをした町…野坂昭如
長島はなぜ批判されない…座談会

-華々しくスタートした長島ジャイアンツはなぜ弱いのか。巨人軍のOBたちがズバリ指摘する長島野球の欠陥。
*ミスターは日本のマスコミが作った虚像なのか、それともメディアを超越した存在なのか。
▽イギリス・フランスのなぞなぞ…倉田保雄

  */Ansichtは筆者のコメント、他は文芸春秋の見出しの原文ママ

④おまけ
・この年の今月生まれた人…米倉涼子
・この年の今月亡くなった人…ショスタコービッチ(作曲家)


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昭和五十年七月号 文芸春秋 [あの時の文春]

 
30年の時を越えて… あの時の文春 

 我が家には30年分の「文芸春秋」がおいてある。置き場所に困り邪魔で仕方ないのだが、捨てるに捨てられない。というのも毎月、昔の古い文芸春秋を読むのが習慣になっているからだ。もう少し詳しく話すと、毎月30年前の当月号の文芸春秋を取り出して来て読むわけだ。今であれば昭和五十年の七月号を今月発売されたばかりの雑誌のような感じで読む。これからあと30年くらいは30年前の文芸春秋を毎月読むことが出来るわけだ。


30年という時間は「歴史」というには短かすぎるし、「この頃」というには昔すぎる微妙な期間だ。しかし人の一生で言えば、二十歳の若者が五十歳の壮年になる長い期間とも言える。文芸春秋はいわゆる月刊雑誌だが、メディアとしての雑誌というものは「その時の出来事」を「その時代の目」で切り取っているので、いわゆる書物よりもその時代を如実に映している。30年間というフィルターを通すと、その時だけの浅い嘘はすぐにばれることがあるし、日々動いてゆく時代の中で何が変わらないかも垣間見えることがある。

雑誌の良い点にもうひとつ「広告」が多いことがある。目に見えるものの変化を通じて時代の陳腐化の速度が明確に見えてくる

30年前の今月号を見ることは、単に過去を振り返ることではなく、今を浮き彫りにすることだと思う。今の雑誌を30年後に読んだらどうだろうか、その距離感を過去に向けただけである。というわけで、「あの時の文春」を今後続けてゆきたい。


昭和五十年七月号(1975)
まあ、30年物のウィスキーだと思ってください。スコッチのシングル・モルトだったら30年物は結構しますよね。それは貴重な「時の味」がしますから。


①Cover Story
▽日本医師会の金力と権力…屋山太郎
-医師のモラルが問われ、医療の荒廃が叫ばれるいま、日本医師会の実力の秘密をえぐる
-乱診乱療、医療費の水増し請求、脱税と良心的な医者がバカをみるような行為をよく耳にする。「医者は儲かる」というのが庶民の実感だろう。加えて、医師会の強引な戦術は年中行事と化した。しかし、たかだか九万人の医師会が、なぜ強いのか? 医師の優遇税制が社会的不公正の見本として問われるいまこそ、実力集団・日本医師会の徹底的研究が必要だ。
*武見会長は政界への強い力を発揮し医師優遇税制を堅持した

②Main Articles
~ベトナム以後の日本~
▽楽園は終わった…生存のための研究会

-世界の潮流が変わる今、米の「核の傘」を無条件に信じて良いのか
-インドシナの激変以後、世界の潮流は変わろうとしている。日本の安全もそれと無縁ではない。果たして今後とも、アメリカは極東を守り続けるのか。その「核の傘」を一つのよるべとして経済大国への道を着々と歩んできた我が国にとって、決断の時が来たようだ。空疎な平和論議は無力だ。「国の安全とは何か?」の冷徹な国民的コンセンサスの形成が要求される時代なのだ。
▽サイゴン特派員は何を報道したか…徳岡孝夫
-なぜ日本人記者だけが異様に孤立していたか
~日本語と日本人~
▽日本語についての九つの常識…大野晋ほか
*現在は日本語ブームだといわれているが、この時も日本語ブームだった。原因は二つ考えられ、一つは石油危機以来日本人が感じてきた不安である。民族のアイデンティティの失われることへの危機感とその克服努力が要因となっている。もう一つには逆に日本的経営の成功への自信が日本語への自信を取り戻させた、と分析している。
▽方言なしに笑いは書けない…田辺聖子・井上ひさし
▽自前の英語・自前の日本語…小田実
~特別手記~
▽中国・1975年春…曾野綾子


③Others
▽義務教育を廃止せよ…渡辺昇一
▽つくられた「川崎直下型地震」…柳田邦男
▽ワイマール国家の墓標…加瀬俊一
▽流行作家香港に死す…村島健一
▽わが名は国際会議屋…近浪廣
▽わが青春の渡辺一夫…中村光夫ほか
▽囲碁版・朝日読売大戦争…三好徹
▽ロンドン発「丸山ワクチン送レ」…丸山千里
▽ただいま文盲休業中…結城昌治
▽告白的別居結婚のすすめ…南博
▽腹腹時計を追跡して…福井惇
▽人種の名において…マール・イレル


④Ansicht (view)
*昭和五十年の七月といえば、その年の四月についに南ベトナムのサイゴンが陥落し南ベトナム政府は無条件降伏をした。サイゴン最後の日に向けて米軍は撤退、アメリカ軍属の脱出、そして残された南ベトナム政府関係の難民、各国の特派員が脱出経路を求めて混乱を極めた。アメリカの敗戦そしてベトナムの放棄は日本にとって大きなショックであった。有事の際にアメリカは本当に日本を守ってくれるのか。日本に初めて深刻な不安感が持ち上がった。

*は筆者のコメント、他は文芸春秋の見出しの原文ママ


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