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またまたマンホールですが… [新隠居主義]

またまたマンホールですが…
 
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またまたマンホールの話で恐縮なのだけれど…。旅先のマンホールとの出会いはそのデザインや刻み込まれている文字などでその土地の歴史や特色を知ることが出来るという楽しみもあるけれど、時にはマンホール自体の情報からぼくらの足の下に広がる今まであまり考えていなかった世界に誘われるという事もあったりして…。

 上の写真はバルト三国のラトビアの首都リガ(またはリーガ)にあるマンホールなのだけど比較的新しいもののようだ。余談になるけれどリガには色々な時代のマンホールが残っていて蓋フェチにはたまらない街だ。リガの人はソ連時代のものはもう見るのも嫌だという風情なのだけれど、足元にはちゃんとソ連時代のマンホールが残っていたりする。(そのうち一度サイドバーの方で特集したいなぁ)

 それはともかくとして、上の写真のマンホールには「Pipelife」という文字と「EN124」それに「D-400」という文字が刻み込まれている。ぼくは街でこういう意味不明な記号や番号を見かけると、その意味が知りたくて夜も眠れなくなるという性癖があって…。旅先で観たマンホールについて旅から戻って色々と調べるのも楽しみの一つだ。

 まず「Pipelife」というのはオーストリアに本社を置くマンホールの会社の名前で、同社はヨーロッパで手広く展開しているので時々見かけることもある。次に「EN124」というのはマンホールの欧州統一規格のことで、強制的ではないが今では広く使われているマンホール規格の一つだ。20世紀の末に当時ドイツで使われていたDIN1229(ドイツ産業規格)を発展させて作られたらしい。メーカーにとってはわが社のマンホールはEN124に準拠しています、といえばその品質を理解してもらえるのでありがたいはずだ。

 ここからは、マンホールに興味のない向きにはつまらない話になるので、読み飛ばしていただけるとありがたい。次の記号「D」はその欧州統一規格EN124におけるマンホールの蓋のカテゴリーDにあたる、ということでこの蓋は「道路や公共の駐車場など、大型商用車と同等の荷重がかかる場所」に設置されるものでその基準をクリアしている必要がある。

 次の「400」というのはカテゴリーDに要求されるいわゆる耐荷重性能が400kN(キロニュートン)以上なければならないということで、正確ではないけれどざっくり言うと40トンの重さに耐えるものであるということらしい。但し、この耐荷重性能の測り方は一点に荷重して測る場合や、複数の点に加圧して測ったり、落下荷重で測ったりといろいろあって、難しいらしい。EN124と同様のマンホールの日本での規格であるJIS A 5506でもその荷重性能の基準は異なるらしい。

 この耐荷重性能で一番厳しいのはカテゴリーFの「空港や重工業用地など、航空機の滑走路に相当する荷重がかかる場所に使用する」とされる蓋で900kN、約90トンの耐荷重が要求されるらしい。(らしい…、が連発されているのは何分素人なのでちゃんとした知識もなく、後で誤りを指摘されて叱られた時の保険ですw) 


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 ぼくらはマンホールの蓋に記された模様や紋章や絵などをただ楽しんでいるけど、これらは単なる飾りではなくれっきしとた機能があって、それは雨などで濡れた時滑りにくくするという大事な機能を担っている。

 上の写真はぼくの好きな街でドイツのGoslar(ゴスラー)という小さな街のマンホールだ。ゴスラーはローマ時代から銀の鉱山で栄えた街で現在は資源が枯渇して鉱山は稼働していないけれど、この街も含めて今は世界遺産に指定されている。で、このマンホールを見ると「えっ!」となる。

 マンホールの統一基準には大事な性能指標として耐荷重性と同時に耐滑性能、つまり雨でぬれた時にどれだけ滑りにくいかという大事な機能を評価する項目がある。歩道であれば人や自転車の転倒、道路ではオートバイなどが特に雨の日はマンホールがすべっては転倒の危険がある。ある意味では即人の命に直結する機能である。

 この写真のような坊さんの頭みたいにツルツルでは危なくてしょうがない。EN124ではこの耐滑性能の測定を英国式振り子試験(BPT)というゴム製のスライダーを取り付けた振り子を試験面上で移動させ、スライダーが発生させる摩擦力を測定する方法をとっている。耐滑性能の測定にはいくつか方法があってJISでは靴底も使ったりまた違った方法で測定している。また経年変化で耐滑性は劣化するのでその点も注意が必要だ。

 これを考えたら上の写真はどう見たって耐滑性能では合格はしないと思うのだけれど、それは当然文化財保護の違った観点から保存使用をしているのだと思う。今日本はカラーマンホールが全盛だけれど、この耐滑性能という面でいったら果たして大丈夫かと思うようなデザインも時折見かける。

 確かに日本では、国土交通省が都市計画や地域計画におけるカラーマンホール蓋の使用に関するガイドラインを制定しており、その中には安全性や機能性を確保することとはなっているけどデザイナーがどこまで理解しているかは定かではない。しっかりと安全な蓋を作って欲しいものだ。

 下の写真は東京ならどこでも見かけるぼくも好きな東京都のマンホールで、表面には東京都のシンボルである桜とイチョウとユリカモメがデザインされているが、デザインのへこんだ部分に水が溜まったり、その水抜けの良さなど耐滑性を確保するために何度かデザインを変更した経緯もあるらしい。マンホールは一義的には都市の安全と人の命を守るものであるという視点は忘れられるべきではないと…蓋フェチとしては思うのである。
 

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 *EN124の正式名称は、"EN 124:2015 - Gully tops and manhole tops for vehicular and pedestrian areas - Design requirements, type testing, marking, quality control"(車両用および歩行者用のガリートップ・マンホールトップ - 設計要件、型式試験、マーキング、品質管理)というものです。こでいうガリートップとはグレーチングやフレームなどのすのこ状の蓋も含みます。下のガリートップはフィレンツェで見かけたもので良いデザインだなぁと思いました。

また右のカラーマンホールはウチの近所にあるものですが、足立区とオーストラリアのベルモント市は姉妹都市になっているので、オーストラリアの国鳥であるワライカワセミをデザインしたものです。同じようにベルモント市の黒鳥をデザインしたマンホールも隣に並んでいました。
 

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Manholerあるいは蓋フェチ [新隠居主義]

Manholerあるいは蓋フェチ
 
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 マンホール愛好家のことを最近はManholer(マンホーラー)もしくは蓋フェチとか蓋バカ、蓋女(フタジョ)なるものまで出現しているらしい。以前だったらマンホールを愛好するという事自体「なんで?」という奇異な目で、新種のオタクを見るような眼差しを感じた。

 ぼくは二十年くらい前から、国内外を旅行した時はその町々のマンホールを写真に撮っていたのだけれど、その度に一緒に行った人間や周りの人から何を撮っているのかと訝られた。そんな感じだったから撮った写真は殆ど他人にも見せないで自分一人で酒でも飲みながら悦に入っていたのだが…。

 それが今ではインスタグラムなどのSNSではマンホール専門のアカウントが山ほどある。日本ばかりでなく世界中のマンホールが載っているけれど、その中でも最近は日本のカラーマンホールが目を引く。ご当地の風景や風物詩だけでなくアニメや漫画のデザインまである。各自治体もマンホールカードなどを作りそれを集めるのがまたマンホーラーの楽しみでもあるようだ。

 ぼくの住んでいる街にもそこここにカラーマンホールがあって、日本でもカラーマンホールの導入が早い方だった。でもぼくはあまりカラーマンホールには拘らない。というかもっと生活の中に溶け込んだデザインや歴史的要素みたいなものに魅力を感じる。

 考えてみるとぼくが最初にマンホールに魅せられたのはドレスデンなどドイツの歴史的な街並みの石畳に囲まれたマンホールの美しさだった。大抵がその街の紋章が鋳鉄に彫り込まれ、それが時間とともにいい具合にすり減っている。(2枚目の写真)

 もちろんマンホールにはもともと期待される大事な役割があって、まずはそれを満たしてからの話なのだけれどその最たるものがその丸い形に現れている。中には四角いものもあるけれど、蓋の部分が穴の中に落ちないということを第一に考えれば丸い必要がある。またman-holeというように人が入れる穴でなければならないので丸い方が入りやすいということもある。

 さらに下水などが豪雨などでオーバーフローした時にマンホールの蓋が飛ばないように水を逃がす機能も必要だ。そこら辺の機能は昔のより今のマンホールの方が良くできている。下の3枚目の写真はぼくの好きなドイツのバンベルクの特徴的なマンホールで石も使ったデザインが素敵だし水を通す穴もちゃんと開いている。

 マンホールは時の流れも教えてくれることもある。バルト三国のラトビアの首都リガにはソ連時代のマンホールが結構残っていてそれが今でも使われている。(下のマンホールリスト写真の2枚目の「K」の彫られているマンホール) またバルト三国のエストニアに行くとフィンランド製のマンホールが多く、ここはある意味ではもう北欧経済圏なんだなぁという感じもする。

 最初の写真はリスボンの裏町で撮ったマンホールの写真なのだけれど、サンダルを履いた太っちょのおばさんの足元と何気に可愛いマンホールの模様のアンバランスが楽しくて思わず撮った。生活の中のマンホールという雰囲気が好い。ぼくはマンホールカードを集めるような熱心なマンホーラーではないけれど、これからも素敵な蓋と出会えるのを楽しみにしている。

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復興の道筋 [新隠居主義]

復興の道筋
 
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 大震災の翌年の冬、復興ファンドの立ち上げで南三陸町を訪れた時目にした光景は今でも忘れることが出来ない。アパートの屋上に取り残された車、根こそぎ何もなくなってしまった住宅地そしてスケルトンの廃墟と化した防災センターなど…。

 2011年3月11日の午後3時ちょっと前、ぼくは東京の自宅の二階にいたのだけれどいきなり激しい揺れに襲われ立っていられなくなってデスクの下に潜り込んだ。すぐ目の前のテレビが棚から床に落ちて凄い音を立てる。母とカミさんは一階に居たのだけれど降りてゆくことができない。揺れはかなり長く続いた。揺れが収まってやっと一階に降りるとまた大きな余震がやってきた。

 少し気を落ち着けてテレビを観ると、東北が震源地らしいという事がわかり時間とともに津波の生々しい映像が送られてくる。その中で街が津波に飲まれてゆく最も恐ろしい光景に被せて「南三陸町全滅か」というアナウンスが耳に入ってきた。南三陸町という地名を聴いてカミさんが昔から馴染みのある南三陸町の鮮魚店の事を思い出させてくれた。母の時代からそのお店からは季節ごとにワカメなどの海産物を取り寄せていたのですぐにその店の事が心配になった。

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 その店の社長や家族の無事を知ったのは震災から少し時間が経って店のブログにそのことが載ってからだった。関係者一同は無事だったが、店舗も工場もそして自宅も全て津波に流されたという意味では悲惨な状況であることは変わらなかった。

 翌年の春、その鮮魚店も参加する組合方式の復興ファンドが立ち上がることになったので何かのお手伝いが出来ないかと現地に行き、社長にもお目にかかったのだけれど、実際に行ってみると思ってはいたが一年近くたっても想像以上の津波の被害規模を目にして呆然となった。

 あの大震災から12年の間その鮮魚店の社長も中心人物の一人になって懸命に復興に取り組んできたお陰で形としては戻りつつあると思うが、復興ファンドの経過を見ていると必ずしも順調ではなく快復できずにいる企業もあるようで、その道は決して平たんではない。

 悔やまれるのは復興オリンピックと銘打ちながら結果的には被災地の復興資材の調達を遅らせ、世間の目を逸らすようにして行われた東京オリンピックが今になってさらに金まみれ、利権まみれのものだったことが露呈したことだ。さらに追い打ちをかけるように復興税の一部を防衛費に廻そうなどという目論見まで囁かれている。

 東北大震災の復興のありようは、これから首都圏直下型地震や南海トラフ地震など巨大な地雷の上に住んでいるようなぼくら全国民にとっても他人ごとではない。巨大地震からの復興というスキームを確立しておくことはこれからの日本を考えるうえでも欠かせないことだ。しっかりと見つめ検証してゆくことが大切だと思う。
 
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あれは三年前… [新隠居主義]

あれは三年前…
 
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 「あれは三年前…」というのは50年前にヒットした、ちあきなおみの代表曲「喝采」の一節だけれど、今でもそのフレーズが頭に残っている。この写真を撮ったのがちょうど三年前、2020年1月15日。奄美大島久根津の海岸を朝散歩している時に撮ったものだ。湾のようにちょっと奥まった海の水面は鏡のように凪いでいた。

 コロナ前は冬か春先には毎年沖縄に行っていた。でもその年は田中一村美術館に行きたかったこともあって奄美大島で友人と落ち合って一週間ほど島を旅することにしていた。南国であることは共通しているけれど奄美は沖縄とはまた違った趣きがある。
 

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 その時は主に島の南部に滞在したのだけれど、天気は南国と言っても真冬の事で肌寒く感じることもあった。鈍色の空が低く垂れこめ時折吹く風は冷たく感じる。清水(せいすい)という村の大島海峡をのぞむ食堂のテラスから見る海は静まりかえっていてとても印象的だった。旅情と言う言葉がふさわしい時の流れ。旅をしていると時々こういう珠玉の時の流れに身を任せることが出来るのが旅の醍醐味でもある。

 旅に出るとぼくだけでなく大抵そうなんだと思うけれどあまりニュースを見たりしない。もっともその時は内地でもまだニュースにはなってはいなかったみたいだけれど、後で知ったのだが1月15日と言うのは日本で初めて新型コロナの患者が認識された日らしい。新型コロナ日本上陸の事が初めてニュースになったのはいつかは知らないけれど、とにかく奄美にいるときには思ってもいなかった。

 奄美での最後の日は名瀬のホテルに泊まったのだけれど夜になってのどの痛みがひどくて中々寝付かれなかった。結局1月21日には飛行機で東京に戻ったのだが、帰りの飛行機はLCCで中国人の観光客やらで機内は満席に近かった。で、東京に戻った翌日に高熱を出して完全にダウンした。医者に行ったらインフルエンザと診断されたが、その頃マスコミでは新型コロナの話題でもちきりだつた。

 新型コロナの日本での発端は中国人観光客だの云々…。とっさに帰りの飛行機の状況が頭に浮かんだが、その時はまだ新型コロナの検査体制も全くなくてインフルエンザと言われたのでそれを信じるしかなかった。正直言って回復するまでは気が気ではなかった。そう、あれは三年前…。もうそろそろ解放されたい。
 
 
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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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歳末の決まり事 [新隠居主義]

歳末の決まり事
 
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 今日は年末の墓参りに行った。親戚の墓を含めて5軒。母が健在の頃から墓参りは盆暮と春秋の彼岸それに命日と年に五、六回来ているが、盆暮れはきまって帰りに柴又の帝釈天に寄ってお参りしてから「ゑびす家」の鰻か「大和家」の天丼を食べるのが決まりみたいなものだ。高齢の母にとっては墓参りは癒しでもあり楽しみでもあったのだと思う。そして今、自分もそういう歳になってしまった。

 帝釈天も他の寺社同様大晦日や正月三が日には参拝で相当な人出があるのだけれど、今はその準備というところだ。ぼくは特にこの年末の押し詰まった今頃の帝釈天の佇まいが好きだ。大晦日、新年の喧騒を前に境内も特設のさい銭箱など正月の用意が終わって、でも人出はまだなくちょっとひっそりとしているのが良い。母もこの風情が好きだった。

 昼飯時を少し過ぎていたので大和家には客は一組ぐらいだったのだけれど、後から子連れの外国人観光客らしい家族が入ってきて、ベビーカーがあったのでテーブルにするか子供を寝かせやすい座敷にするかおかみさんが駆けずり回っていた。年末の緩い時間が流れている。

 お店にはこれからの繁忙期に備えてバイトの若い子が三人ほど、ひとつひとつ指示を受けながらやることを頭に入れようとしている。言葉遣いや手順など細かいことまでおかみさんが教えている。書き入れ時だからそこは真剣にならざるを得ない。でも、その指示が終わると雑談なんかでまた緩い時間が戻って来る。今日は大和屋の黒いタレの天丼を食べて、煎餅と佃煮を買って戻ってきた。
 

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今年一年拙ブログをご訪問頂きありがとうございました。
来る新しい年も、皆さまにとって良い年でありますように。
良いお年を!
 

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海に触れる旅 [新隠居主義]

海に触れる旅
 
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 実に数年ぶりに温泉旅行に行った。大学時代からの親友が車を買い替えたので慣らし運転を兼ねて二泊三日の房総の温泉旅行に誘ってくれた。気の置けない友人との二人旅はいつもカミさんと行く旅行とはまた一味違った楽しさがある。

 養老渓谷の温泉で一泊、二泊目は千倉温泉。千倉温泉では旅館の離れをとってくれたので落ち着けた。その部屋は松本清張が小説を書く折に40日間宿泊したり、画家の安西水丸氏や村上春樹氏も泊ったらしい。広くはないけれど落ち着いた部屋だった。ただ、久しぶりにベッドでなく布団に寝たら夜中トイレに起き上がるのが大変なことに気づいた。歳だなぁ。

 短い間だったけれど今回の旅行で一番良かったのは海が見られたこと。シーズンオフで誰もいない海に小春日和の日差しが差し込むのどかな光景は、コロナのお籠りで凝り固まった心を和らげてくれた。

 鯛の浦の海辺のがらんとした駐車場。穏やかな小春日和の海がキラキラと煌めいていた。ドライブ中たまたま立ち寄った喫茶店で近くに青木繁が名作「海の幸」を描いた折りに住んでいた部屋があるということを知りその喫茶店のマスターに案内してもらった。そう言えばあの名作を描いたのはここ布良(めら)の海岸だった。

 明治37年の夏、22歳の青木繁は画友の坂本繁二郎森田恒友福田たねと共に地元の漁師頭の家でひと夏を過ごした。さして広くないこの座敷で四人の若者が日本の黎明期の洋画を巡り熱い芸術論議を戦わせていたかと思うと感慨深かった。

 帰りにはアクアラインうみほたるから広々とした東京湾を眺めることもできて海の眺めを満喫できた。久々の楽しい息抜きだった。
 
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 ※旅館の食事は美味しくかつ充実してというか、充実し過ぎていて年寄りにはちょっと多すぎかも…でした。時間をかけても全部は食べられなかった。旅情にはいささか欠けけますが、フードロスを考えると食べたい料理と食べきれる量を選べるバイキング方式が合理的なのかもしれないですね。でも、三日でしっかり体重1キロ増。今日からまた体重調整に励まねば。



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変えるべきもの、守るべきもの [新隠居主義]

変えるべきもの、守るべきもの
 
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 日本語学校の活動は長い期間ZOOMによるオンラインのセッションで対応していたけど、ぼくもやっと先月から学校内で対面しての活動を再開した。と言っても通勤ラッシュに合うのは勘弁なので以前よりは短い時間で切り上げ夕方のラッシュは避けている。

 という訳で久々に山手線に乗ることになったのだけど、通勤時間帯は過ぎているので電車の中はかなりすいている。それでも乗客の100%がマスクをしているというのは如何にも日本らしい。

 ぼくの前の席には乗客が4人。そこへ中年の男性が加わって5人になった。目の前の男性はぼくが座った時から空いている隣の席に倒れ掛かるようにしてぐっすり寝ている。後から来た男性はそれを少し避けるようにして座った。
 

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 一番右の男性は自分の財布を覗いてそのうちお札を取り出して数え始めた。おいおい、大丈夫か、なんか物騒だなぁ。東京という大都会の真ん中を走る電車の中で、混んではいないと言っても、熟睡したり札勘定するような国も国民も世界中探してもないだろうな。

 喜ぶべきなのか、はたまた憂えるべきなのか。日本に来た留学生も日本の路上の綺麗さと治安の良さは異口同音に認めるのだけれど、でもそれに安住して、それこそその上に惰眠を貪っていては、その宝物も早晩失われてしまうような気がする。

 自分の日本語教育の活動や近所の公園散歩で頻繁に耳にする外国語の多さでも、国際化の波が身の回りにヒタヒタと近づいているのを実感している。高齢化と人口減少などでこのままでは立ちいかない日本。それはインバウンドとかいう動きとは別の日常の生活圏への波なのだ。うちの町内の今度の町会長はインドの人だとか、PTAの会長が中国の人とか、そういう時代が目の前に迫っている。

 空気を読んだり、行間を読んだり、以心伝心的なコミュニケーションにどっぷりと浸かっていたぼくらの世界から、多様な価値観を共有して、時には摩擦も乗り越えて前に進んでゆかなければならない時代が来ている。大丈夫かな。覚悟と期待を持って、何は変えてゆくべきか、何は守ってゆくべきかぼくら一人一人が今から考え選んでゆかなければならない時代になっているような気がする。
 

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月食の宵 [新隠居主義]

月食の宵 

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 今日は天気が良い。適度に雲がある秋空が気持ちいい。昨日の皆既月食は家の玄関の前に出て二度ほど見たけれど、SNSに載った色んな写真を見ていると大勢の人が月食の変化の写真を撮ったみたいだ。東京だけでなくてソウルの友達も望遠レンズを並べて写真を撮っている韓国の様子をアップしていた。ぼくがスマホなんかで撮っていたのが申し訳ない感じがして…。カメラ友達も結構色んな場所から撮っていたけど、ぼくにはそういう根性と言うか情熱みたいなものがないのかもしれない。

 言い訳めいているけど、ぼく自身は皆既月食という自然現象というよりは、それによって日常に生まれる色々な情景といったものの方に関心がある。昨晩、月食を見てみようと家の前の路地に出たら煌々と月が輝いている。路地では前の家の旦那が一眼鏡で一生懸命月を覗いている。聞けば今日白内障の手術をしたばかりというのに…。パジャマの上にドテラを着て熱心なことだなぁ。でも、その好奇心と熱心さが狭い路地の中で光を放っていたので思わずスマホで撮らせてもらった。月が欠け始めていた。

 ■月蝕の話などして星の妻 (正岡子規)
 
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眼鏡と鋏 [新隠居主義]

眼鏡と鋏
 
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 老眼が出始めてからは普段は遠近両用の眼鏡をかけているのだけど、乱視と遠視の眼鏡を丸一日かけていると結構目が疲れるので家では外していることが多いのだが、そうするとちょっとした時に、例えば冷凍食品など食材のパックに書いてある調理の注意点とか、薬の注意書きとか、宅配便の配達住所の確認など、読書ではないけど確認するのに一瞬必要な細かい字が読めないで不便する。そのたびに眼鏡を探し回るのが面倒くさいので、居間やキッチン、玄関など家のあちこちに老眼鏡がおいてある。カミさんも最近それを使いだした。

 今生では老人になるのは今回が初めてなので、歳とるとどうなるのか、自分だけなのか、それとも皆なるのかなど戸惑う事も多い。指先の力が落ちるというのもその一つで、ぼくは元々頸椎の後遺症で右手の指先には力が入らないのだけれどそれが顕著になったし、最近カミさんもどうやらぼく同様になってきた。

 以前は何でもなかった、レトルトの袋を開けるのとか、刺身についてくるワサビの小さな袋を開けるのとか、粉薬の包装だの、餃子のたれだの、即席めんについてくる薬味の袋だの、身の回りには小さな袋を両手の親指と人差し指でつまんでちぎって開ける機会が結構多い。考えてみると、小さなものを両手の指先でつまんでちぎるというのは結構高度な作業でどちらの手だけが強くてもダメで、四本の指が同じような力で作用しなければちゃんとちぎることができない。

 何度やっても開かなかったり、いきなり開いて中身をぶちまけたりイライラしているうちに、自分の不甲斐なさにため息が出てきたり、その袋を作ったメーカーを呪ってみたり…。でもそのうち素直に鋏を使おうという気になって、それ以来台所や洗面所や机の上などに小さな鋏を置くようになって気が楽になった。

 というわけで、我が家のあちこちに眼鏡と鋏が置いてある。不便と言えば不便には違いないけれど、道具さえ使えば何とかなるので老いに逆らってイライラしてストレスを溜めるよりもよっぽど良いと思う。老いを嘆くよりそれに慣れて工夫して生きてゆくことも少しづつ考えるようになった。
 

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