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Baltic Dreams Ⅲ ~ウィルソンの亡霊~ [gillman*s Lands]

Baltic Dreams Ⅲ ~ウィルソンの亡霊~

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 晴れて暖かったのはリトアニアヴィリニウスに着いた翌日だけで、それからはずっと曇ったり、降ったりという天候が続いて気温も8、9度など一桁から、昼間の午後上がっても15、6度という日が続いていた。最後にエストニアの首都タリンに入る頃は、今頃のここら辺はこういう気候だと身体も納得したのか気候自体にストレスを感じることはなくなった。

 ラトビアリガからエストニアにつながる道は、また例によって片側一車線。とにかく真っ直ぐな道が続く。バルト三国には山というほどの山が無い。ラトビアの一番高いところが300数十メートルで、エストニアが否こちらの方が数メートル高い場所がある、等と言っているくらいだから日本のような山国の人間からしたらただの丘みたいなものだ。そんな土地だから道路だって平坦なところに真っ直ぐ作ればいいのだから造りやすいだろうに…。

 バルト三国というと一括りに語られるけれど、民族・文化的にはリトアニアとラトビアが近いらしい。エストニアは他の二国がバルト語系なのに対してフィンランド語に近いウラル語系らしいのだ。(もっともどれを聴いてもその違いは分からないけど…) 一方歴史的にみるとエストニアとラトビアはデンマーク・スウェーデンやドイツ騎士団とのかかわりが強いのに対して、リトアニアの方はポーランドやロシアとの関わり合いが強い。(これも一夜漬けの勉強はしたけれど、複雑すぎていまだによく呑みこめていない)


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 バルト三国は1918年に革命後のロシアから独立したけれど、それは当時ウッドロウ・ウイルソンが提唱した民族自決の原則に基づくものだった。尤もその原則が含まれている「十四か条の平和原則」は東欧を中心とするヨーロッパの国には民族自決を認めるけれど、フランスやイギリス等が持つアジアやアフリカの植民地には認めないというご都合主義のものだったけれど…。

 民族自決の思考はその後、一民族一国家という考え方にも繋がって行った。民族自決をヒトラーは逆手にとってドイツ系住民が多く住んでいるチェコのズデーテン地方やオーストリアは一つの共通の国家に帰属すべきであるとして1938年ズデーテンのドイツへの編入、オーストリアの併合を断行した。

 多民族が平和に暮らすというのが理想であるけれど、そのどれかの民族が権力を握ることによって国の中で民族や地域に格差が生じてくると事は面倒になって來る。つまるところ言語や文化・宗教などによって、各々そのイメージする「幸せ」の中身が微妙に異なっているので、ある民族が他の民族の幸福感を自分の文化の幸福感に同化させようとすると軋轢が生まれる。

 バルト三国は様々な障害を乗り越え1990年に再独立したけれど、世界は落ち着いたわけではない。それどころか一民族一国家という側面を持つ民族自決という多義的な思考は、すぐ隣のウクライナでは昔のズデーテンを想起させるような状況を生み出しているし、それを思えば30パーセント近いロシア系住民を抱えるエストニア・ラトビアの胸中は穏やかではないと思う。なんか、世界はまたどんどんややこしくなっている気がする。

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  旅の終わりに…

 会社を辞めてからの数年間はぼくのリハビリに、そしてその後は母の介護中心の生活が続いていたので、カミさんへの御苦労さんを兼ねて年に一度は海外旅行に行くようにしていた。以前は二人で行くことは無理だったので別の時期に別々にいっていたけど、ここ数年はショートステイを利用したり、今は母がホームにお世話になっているのでなんとか一緒に行けるようになった。

 今回の旅もそうだけれど、旅の終わりになると「もう、ここに来ることはないだろうな」と思うことがある。素晴らしい場所だけれど、その遠さと自分の残りの時間を考えると、ふとそういう感慨がわいてきてしまう。ウィーンとかベルリンとかパリとかの大都市ならまた来ることもあるかもしれないけれど、バルト三国はある意味では意を決して来ないと来にくいところなのかもしれない。帰る時、少しさみしい気持ちになるけどそれもまた旅情の一部なのだろう。

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*20世紀終盤を迎えた一時期、来るべき21世紀は、
第二の産業革命と言われる情報技術の発展によって
夢のような世界がやって來るように言われていたこともありましたが、
新世紀に突入して10数年経ってみると確かに情報産業の発展は目覚ましいですが、
その暗部も見え隠れしてきましたし、何よりも民族そして
宗教を軸とする国家間紛争の激化が気になります。

遅れてきた世紀末(2008)
安寧は(2011)



<Photos>

エストニア、タリン旧市街の市議会薬局窓から
タリン旧市街の聖ニコラス教会で
タリン旧市街にあるSushi-Bar店前でのKabukiパフォーマンス
タリン新市街のビルの壁に映る光景
タリン新市街のホテルの部屋からバルト海をのぞむ
旅の終わりに…ヘルシンキ空港にて

(Cam:NEX-7/TX-30)


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Silvermac

ITの進歩はダークサイドも多いですね。
by Silvermac (2014-06-21 17:36) 

sig

こんばんは。
SUSHI BAARの前では歌舞伎のデモでもやっているのでしょうか。
なかなか行けないバルト三国のご紹介、ありがとうございました。
by sig (2014-06-22 00:26) 

ナツパパ

民族という概念は、そのあたりから大きくなっていったのですね。
たしかに、民族自決はナチスに上手く使われてしまいましたね。
by ナツパパ (2014-06-22 05:08) 

たま

ゆったりとした奥様との二人旅。
奥様の気持ちを想像して、よかったなぁと思います。
いろいろなご苦労をされて、やっと今しばらくはこのままで、ということでしょうか。
ご自分の時間もお母様の時間も大切にしたいですね

by たま (2014-06-22 20:36) 

engrid

旅にこころを刻む
思い出を積み重ねる、
奥様と一緒には、佳きかなですね
by engrid (2014-06-23 17:07) 

テリー

イラクの状況を見ていると、ある程度、民族、宗教で、国を分けたほうが、争いが、少なくなる気がしますね。
by テリー (2014-06-24 09:40) 

albireo

「民族自決」美しい響きを持つ言葉のようにも聞こえますが…
同時に、「美しい国…」のような、危うさをも感じます…
多様性を認めようとしない、民族主義や、原理主義の行き着くところには、果てしなく続く廃墟だけが待っているような気もします…
by albireo (2014-07-03 22:00) 

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