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公園散歩初め [gillman*s park]

公園散歩初め
 
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 正月五日。今年最初の公園散歩。風が冷たい。今日の空は天気の安定した冬の東京の青い空だ。見ごたえのある雲が公園の空一面に広がる様子も捨てがたいけれど、この青空も好い。鈍色の空から降って来る大雪の便りが北の国からくるたびにこの東京の空をありがたく思う。

 いっとき、冬が嫌いになった時期がある。特にまだ夜も明けぬ暗いうちに家を出て出勤していたサラリーマン時代には、冬の朝の冷気が恨めしかった。そのあとに控えている電車での押しつぶされそうな着ぶくれラッシュも憂鬱の種だった。

 もちろん今でも寒いのは嫌だし、歳をとると冬は筋肉が硬化して朝起き出すのも冬は辛い。それでも公園に来て素になった樹々の凛とした姿や飛来する野鳥を見るのは他の季節にはない楽しみだ。空の青を映した池の水面に日光が当たって光の粒が躍っている。

 いつも一休みするベンチの脇の木の枝に取り残されたようなセミの抜け殻。夏の間あんなに見られた蝉の抜け殻も鳥に食べられたりでこの季節になると大方のものは姿を消すのだけれど、枝の目立たない処に隠れるようにポツンとしがみついている。「冬の蝉」という言葉が浮かんできた。確かそんな歌があったっけ。

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 足元に目を移せば針のように細いメタセコイアの落ち葉が降り積もっている。池のほとりの落羽松の木々もすっかり葉を落としてすっくとしたスケルトンの姿で立っている。あっと言う間に去っていった短い秋を満喫しないうちに、気が付けば冬の真っただ中。でも、この青空に免じてそれも良しとしよう。

 ■人古く 年新しく めでたけれ (山口青邨)
 
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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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歳末の決まり事 [新隠居主義]

歳末の決まり事
 
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 今日は年末の墓参りに行った。親戚の墓を含めて5軒。母が健在の頃から墓参りは盆暮と春秋の彼岸それに命日と年に五、六回来ているが、盆暮れはきまって帰りに柴又の帝釈天に寄ってお参りしてから「ゑびす家」の鰻か「大和家」の天丼を食べるのが決まりみたいなものだ。高齢の母にとっては墓参りは癒しでもあり楽しみでもあったのだと思う。そして今、自分もそういう歳になってしまった。

 帝釈天も他の寺社同様大晦日や正月三が日には参拝で相当な人出があるのだけれど、今はその準備というところだ。ぼくは特にこの年末の押し詰まった今頃の帝釈天の佇まいが好きだ。大晦日、新年の喧騒を前に境内も特設のさい銭箱など正月の用意が終わって、でも人出はまだなくちょっとひっそりとしているのが良い。母もこの風情が好きだった。

 昼飯時を少し過ぎていたので大和家には客は一組ぐらいだったのだけれど、後から子連れの外国人観光客らしい家族が入ってきて、ベビーカーがあったのでテーブルにするか子供を寝かせやすい座敷にするかおかみさんが駆けずり回っていた。年末の緩い時間が流れている。

 お店にはこれからの繁忙期に備えてバイトの若い子が三人ほど、ひとつひとつ指示を受けながらやることを頭に入れようとしている。言葉遣いや手順など細かいことまでおかみさんが教えている。書き入れ時だからそこは真剣にならざるを得ない。でも、その指示が終わると雑談なんかでまた緩い時間が戻って来る。今日は大和屋の黒いタレの天丼を食べて、煎餅と佃煮を買って戻ってきた。
 

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今年一年拙ブログをご訪問頂きありがとうございました。
来る新しい年も、皆さまにとって良い年でありますように。
良いお年を!
 

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空が [gillman*s park]

空が

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 今日の公園は空が素晴らしい。まるで夏を想いだしたような湧き立つ雲の西の空、波のような雲のうねりの東の空、そして今にも降ってきそうな黒いカーテンが頭を押さえつけるような北の空。それが一つの空の中に共存している。この公園の素晴らしさは今頭の上に目いっぱい広がっている空だと思う。

 考えてみたらぼくは生まれてこの方、若い時のごく短い時期を除いてずっと東京の下町に住んでいたから、視界にビルや山など空を遮るものが見えないのが当たり前だった。朝起きたら目の前に山がそびえたっている土地での生活も憧れはするが、広い空を見つめる生活も悪いものではない。

 子供の頃は近所の原っぱでみんなで遊んでいる時も、頭上には広い空が広がっていた。その視界の中に見えたのは家のすぐそばにあったお化け煙突と風呂屋の煙突だけ。東京タワーが出来るまではそのお化け煙突が東京で一番高い建築物だった。今も頭上の広い空はぼくの原風景だ。

 小学生の頃は空はまだそれ程汚れてはいなかったけれど、大人になるにつれて公害が問題になるほど空も水も汚れてきた。日本がもがき苦しみながらでも、いろいろな犠牲と克服の努力の末にきれいな空を取り戻したのは誇れることだと思うけれど、今度は地球温暖化という季節をも変えてしまう、しかも一国だけでは対処できない変化に直面している。天を仰いでため息をついていても始まらないが…。
 
 ■ 寒い雲がいそぐ (種田山頭火「鉢の子」)
 

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海に触れる旅 [新隠居主義]

海に触れる旅
 
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 実に数年ぶりに温泉旅行に行った。大学時代からの親友が車を買い替えたので慣らし運転を兼ねて二泊三日の房総の温泉旅行に誘ってくれた。気の置けない友人との二人旅はいつもカミさんと行く旅行とはまた一味違った楽しさがある。

 養老渓谷の温泉で一泊、二泊目は千倉温泉。千倉温泉では旅館の離れをとってくれたので落ち着けた。その部屋は松本清張が小説を書く折に40日間宿泊したり、画家の安西水丸氏や村上春樹氏も泊ったらしい。広くはないけれど落ち着いた部屋だった。ただ、久しぶりにベッドでなく布団に寝たら夜中トイレに起き上がるのが大変なことに気づいた。歳だなぁ。

 短い間だったけれど今回の旅行で一番良かったのは海が見られたこと。シーズンオフで誰もいない海に小春日和の日差しが差し込むのどかな光景は、コロナのお籠りで凝り固まった心を和らげてくれた。

 鯛の浦の海辺のがらんとした駐車場。穏やかな小春日和の海がキラキラと煌めいていた。ドライブ中たまたま立ち寄った喫茶店で近くに青木繁が名作「海の幸」を描いた折りに住んでいた部屋があるということを知りその喫茶店のマスターに案内してもらった。そう言えばあの名作を描いたのはここ布良(めら)の海岸だった。

 明治37年の夏、22歳の青木繁は画友の坂本繁二郎森田恒友福田たねと共に地元の漁師頭の家でひと夏を過ごした。さして広くないこの座敷で四人の若者が日本の黎明期の洋画を巡り熱い芸術論議を戦わせていたかと思うと感慨深かった。

 帰りにはアクアラインうみほたるから広々とした東京湾を眺めることもできて海の眺めを満喫できた。久々の楽しい息抜きだった。
 
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 ※旅館の食事は美味しくかつ充実してというか、充実し過ぎていて年寄りにはちょっと多すぎかも…でした。時間をかけても全部は食べられなかった。旅情にはいささか欠けけますが、フードロスを考えると食べたい料理と食べきれる量を選べるバイキング方式が合理的なのかもしれないですね。でも、三日でしっかり体重1キロ増。今日からまた体重調整に励まねば。



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ありふれた夕暮れ [gillman*s park]

ありふれた夕暮れ
 
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 ■夕ぐれ 

 「夕焼小焼」
 うたいやめ、
 ふっとだまった私たち。

 誰もかえろといわないが。

 お家の灯がおもわれる、
 おかずの匂いもおもわれる。

 「かえろがなくからかァえろ。」
 たれかひとこと言ったなら
 みんなぱらぱらかえるのよ、

 けれどももっと大声で
 さわいでみたい気もするし、
 草山、小山、日のくれは、
 なぜかさみしい風がふく。
 
      (金子みすゞ)
 

 
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 夕方に散歩。猫のレオに昨日ペットクリニックの先生に貰ってきた薬を飲ませて少し様子をみていたらもうお昼に。少し部屋を掃除していたらもう3時過ぎ。公園に行って今日が日曜なのを想いだす。もう…と言うか、あっという間にまた日曜日がやって来る。

 なんか週の中身が頭の中から抜け落ちているみたいな感覚。何にもしなかったわけではなくて、結構動いた週のつもりだったんだけど…。少し気落ちしながら歩く。そんな気持ちにも夕暮れは優しい。しみじみと散歩。
 
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 *お散歩カメラで手持ちなので大分ノイズがでていますが、腕と知識がイマイチなのでご容赦を!

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変えるべきもの、守るべきもの [新隠居主義]

変えるべきもの、守るべきもの
 
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 日本語学校の活動は長い期間ZOOMによるオンラインのセッションで対応していたけど、ぼくもやっと先月から学校内で対面しての活動を再開した。と言っても通勤ラッシュに合うのは勘弁なので以前よりは短い時間で切り上げ夕方のラッシュは避けている。

 という訳で久々に山手線に乗ることになったのだけど、通勤時間帯は過ぎているので電車の中はかなりすいている。それでも乗客の100%がマスクをしているというのは如何にも日本らしい。

 ぼくの前の席には乗客が4人。そこへ中年の男性が加わって5人になった。目の前の男性はぼくが座った時から空いている隣の席に倒れ掛かるようにしてぐっすり寝ている。後から来た男性はそれを少し避けるようにして座った。
 

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 一番右の男性は自分の財布を覗いてそのうちお札を取り出して数え始めた。おいおい、大丈夫か、なんか物騒だなぁ。東京という大都会の真ん中を走る電車の中で、混んではいないと言っても、熟睡したり札勘定するような国も国民も世界中探してもないだろうな。

 喜ぶべきなのか、はたまた憂えるべきなのか。日本に来た留学生も日本の路上の綺麗さと治安の良さは異口同音に認めるのだけれど、でもそれに安住して、それこそその上に惰眠を貪っていては、その宝物も早晩失われてしまうような気がする。

 自分の日本語教育の活動や近所の公園散歩で頻繁に耳にする外国語の多さでも、国際化の波が身の回りにヒタヒタと近づいているのを実感している。高齢化と人口減少などでこのままでは立ちいかない日本。それはインバウンドとかいう動きとは別の日常の生活圏への波なのだ。うちの町内の今度の町会長はインドの人だとか、PTAの会長が中国の人とか、そういう時代が目の前に迫っている。

 空気を読んだり、行間を読んだり、以心伝心的なコミュニケーションにどっぷりと浸かっていたぼくらの世界から、多様な価値観を共有して、時には摩擦も乗り越えて前に進んでゆかなければならない時代が来ている。大丈夫かな。覚悟と期待を持って、何は変えてゆくべきか、何は守ってゆくべきかぼくら一人一人が今から考え選んでゆかなければならない時代になっているような気がする。
 

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蜻蛉 [gillman*s park]

蜻蛉
 
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 残念なことに公園で見かけるトンボが種類も数も年々少なくなっている気がする。ぼくは子供の頃からトンボが大好きで、小さな頃この辺りで見かけたオニヤンマギンヤンマはぼくらの英雄だった。ホバリングなんていう言葉はその頃は知らなかったけれど、目の前の空中で静止して次の瞬間にはあっという間に他の場所に居る、まるで忍者みたいだった。そのオニヤンマにはもう長いこと出会っていないのが寂しい。

 トンボというのはもとは「飛ぶ棒」というのが変化してトンボになったらしいけれど、漢字で書くと「蜻蛉」で「セイレイ」とも読むが、他にも「カゲロウ」や「アキツ」とも読むらしい。アキツは古い日本語で神話では日本列島を「アキツ島」と呼ぶほどトンボがたくさん飛んでいたのかもしれない。カゲロウはトンボとは違う昆虫で今では漢字で書く場合には「蜉蝣」という漢字の方を使うことの方が多いみたいだ。

 色々な国の言葉で昆虫などの名前をみると、その文化がその虫をどう見ているかが想像できて面白い。ぼくは特にドイツ語のトンボの単語が好きだ。ドイツ語ではトンボのことはWasserjungfer(ヴァッサーユングファー)で意味は「水辺の乙女」という意味。森の中の水辺を優雅に動き回る妖精みたいな可愛い名前だなぁ。

 そう言えばピーターパンに登場する妖精のティンカー・ベル(Tinker Bell)はトンボそっくりの飛び方でホバリングもする。ドイツ語でのトンボにはLibelle(リベッレ)という言い方もあるけどぼくはWasserjungferの方が好きだ。

 英語ではトンボはdragonflyで「竜みたいなハエ」と解説しているものもあるけど、確かにflyはハエだけれど~flyという昆虫はfirefly(ホタル)やbutterfly(蝶)など何種類か居て、蝶などはどう見てもハエには見えないので~flyはハエというより飛び回るもの、くらいの意味だろうと思う。

 firefly=fire+flyがホタルなのは何となく理解できるけど、じゃあbutterfly=butter+flyとなると、あのバターなのかな、とすると何故バターなのかなと調べてみたら面白いことが分かった。諸説あるらしいが、ヨーロッパの古い魔女伝説が由来というのが有力だ。古い言い伝えでは魔女は蝶々に化けて農家のバターやクリーム(乳脂)を舐めて回るというのがあって、それが由来というものだ。

 そう言われてみると、ドイツ語では蝶はSchmetterling(シュメッタリング)というのだけれど、その意味はSchmetter(Schmetten)=クリーム+ling=~という性質をもつ生き物、ということで「クリームを舐めるヤツ」みたいな感じで、それは英語のbutterflyと同じではないか。恐らく同じ伝説が起源になっているのだろうと思う。トンボから蝶々へと大分脱線してしまったけれど…。
 
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*上のトンボの可愛いアニメーションGIFはアメリカのフリー素材のホームページからのものです。ここには多くのアニメーションGIFが載っており見ているだけでも楽しいです。使用する時のお願いとしてこのサービスのURLを紹介するということですので、以下に紹介しておきます。
Thousands of animated gifs, images, pictures & animations: 100% FREE! (animatedimages.org)

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断捨離 デジタル写真 [gillman*s park]

断捨離 デジタル写真

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 この間から断捨離の一環として昔のネガフィルムを整理して必要なものだけスキャンしているのだけれどその作業はまだ続いている。というより単調な作業に少し飽きてしまってここのところはデジタル写真のファイルを整理している。と言ってもデジカメの画像はネガフィルムのように場所をとる訳ではないので他の断捨離のように見かけ上モノが減るという訳ではない。

 高校や大学の時は自宅に暗室も作って写真で遊んでいたけれど、勤め始めてからは仕事に追われて写真どころではなかった。やっとリタイアしてまた写真をやりたくなったのだけれど、その頃はもちろんまだ黎明期だが既にデジタル時代の到来が見えていた。というわけで写真を再開してからは全てデジタルということにした。

 デジタルカメラを使い始めて25年くらいになるのだけれど、写真ファイルは一応時系列ファイルにしてはある。何を撮ったかはおぼろげながら頭に入っているが、もう一度整理して気に入った写真などをレーティングしておきたいと思って全てLightroom Classicに取り込んで時間がある時に覗いている。

 枚数は風景なども含めて日常のものが10万枚、公園を撮ったものが6万枚くらいで25年という期間にしては思ったよりは少ないけれど、それでも全て目を通すのは大変そうだ。すっかり忘れていた写真や、ああ、あの頃はこういう撮り方をしていたんだと良い振り返りにはなる。まぁ、同時にちっともうまくなっていないこともばれてしまうけど…。

 これは2005年頃。初代から使っているSony Cybershot DSC-Fシリーズで撮った写真で35万画素程度だから画像も荒く、平面的ではあるが好きな写真だ。世の中ではまだデジタルカメラなんて特にプロの世界では使い物にならないし、これからもそうだろうという人が多かった。でも、それでも公園で撮るのが楽しかった。その楽しさは今でも続いている。


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 *このカメラのレンズがとても気に入っていました。この一世代前のSONYのデジカメはMavicaと言ってフロッピーディスクに画像を記録するものでした。塗り絵のような画像でした。しかし秋葉原で初めてそのカメラに触れた時、これからはデジタルカメラの時代が来るだろうと予感しました。でも、フィルムカメラはそれはそれで大切に思っています。音楽におけるLPレコードもそうですが、優劣よりもメディアの多様性という観点から存続して欲しいとは思っています。

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月食の宵 [新隠居主義]

月食の宵 

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 今日は天気が良い。適度に雲がある秋空が気持ちいい。昨日の皆既月食は家の玄関の前に出て二度ほど見たけれど、SNSに載った色んな写真を見ていると大勢の人が月食の変化の写真を撮ったみたいだ。東京だけでなくてソウルの友達も望遠レンズを並べて写真を撮っている韓国の様子をアップしていた。ぼくがスマホなんかで撮っていたのが申し訳ない感じがして…。カメラ友達も結構色んな場所から撮っていたけど、ぼくにはそういう根性と言うか情熱みたいなものがないのかもしれない。

 言い訳めいているけど、ぼく自身は皆既月食という自然現象というよりは、それによって日常に生まれる色々な情景といったものの方に関心がある。昨晩、月食を見てみようと家の前の路地に出たら煌々と月が輝いている。路地では前の家の旦那が一眼鏡で一生懸命月を覗いている。聞けば今日白内障の手術をしたばかりというのに…。パジャマの上にドテラを着て熱心なことだなぁ。でも、その好奇心と熱心さが狭い路地の中で光を放っていたので思わずスマホで撮らせてもらった。月が欠け始めていた。

 ■月蝕の話などして星の妻 (正岡子規)
 
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イカ耳大王 [猫と暮らせば]

イカ耳大王
 
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 誰だ、猫はみんな同じスタンプ顔なんて言ったヤツは? 猫程表情豊かな動物は居ない…、とぼくは思っているのだけど。

 一枚目の写真はハルがいつも座っている書斎のオフィスチェア(自分の椅子だと思っている)から脇のパイプチェア(ぼくがいつも座らされているイス)にどいてもらった時の顔。その時はどうしてもちょっと長い時間パソコンに向かわなければならない事があって良い方の椅子を貸してもらったのだけれど、大不機嫌でこの顔。キャットラバーの間ではこれを「イカ耳」というらしいのだが、確かに…。それよりも上目使いの視線が怖い。

 二枚目はお昼時、簡単に済ませようと思ってスーパーで買ってきたハンバーガーを食べていたら、ハルが何か食べるものがあるかと思ってテーブルの上にのってきて、自分の食べられるものがなさそうなので冷たい視線でぼくの前を通り過ぎて行った。そのとき「なに一人で食ってんだよ~」という囁きが聞こえたような。

 まぁ、同じようなことは犬にしろ猫にしろ大方の飼い主が感じていることだと思う。ぼくだって見慣れない外猫の表情は中々読めない。これはペットに限らず不慣れなものに出会った時感じることかも知れない。よく言われるのだけれど、西洋人が東洋人を見たらスタンプ顔に見えるらしい。確かに西洋人の大げさなくらい千変万化する顔の表情を見ていたら、ぼくらの表情は読みにくいかもしれない。

 でもぼくらはそれでもあまり困ったことはないし、ぼくらは目線や口角の微妙な変化でも相手の表情を読み解くことは出来る。ぼくらにとっても西洋人だって昔テレビでアメリカのドラマを見始めた頃はみんな同じような顔に見えたものだ。要は慣れと、あとは相手に関心を持っているかということなのかもしれない。マイペースの猫だってさりげなく飼い主の顔色を見ている。ときどきそう感じることもある。家族のような存在であれば、なおさらだ。
 

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眼差し…のような [gillman*s park]

眼差し…のような
 
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 ここしばらく雨が続いてその間に秋本番に急降下したような感じ。やっと今日晴れ間が出て来たので散歩。今日は家を出る前にお散歩カメラをいつもの16:9アスペクト比から1:1のスクウェアに設定してみた。

 ぼくはどちらかというと撮るものから少し距離を置いたスタンスが好きなので、全体的な状況を把握できる16:9というアペクト比が好きだし、今は画像を主にPCやテレビの横長の液晶画面で観るということを考えるとそれも時代にあっているとも言えるかもしれない。もちろん紙にプリントされた写真の世界はそれでも少しも魅力は失ってはいないけれど…。

 たまたま今使っている散歩カメラには1:1というアスペクト比があるけどぼくの持っているミラーレスカメラには3:2と16:9というアスペクト比だけで正方形という縦横比率がない。

 レンズの画角とアスペクト比はいわば撮る人の「眼差し」とも言えるのでそれによって見えてくるものも違ってくるような気がする。そういう意味ではヴァリエーションがあった方が良いのかもしれない。

 もちろん、今は記録画素数が大きいので後処理ですることもできる。3:2などのアスペクト比で撮っておいて、後で正方形にトリミングすればよいのだけれど、それではやっぱり何か違うような気がする。それは今までの慣れ親しんだ眼差しとは異なるのだ。撮る時にそのアスペクト比で見えているということが大事で、それによって撮りたいものも変わって来るような気がするのだ。
 


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 散歩なのに四角い世界に意識がとられて今日は足の方が疎かになっているかも。これじゃ本末転倒だなぁ、もっとリラックスしないとモノが見えてこない。真っ赤に色づいたピラカンサの前の鉄柵に絡み付いたツルの枯葉が、どこか鉄製のアールヌーボーの鉄扉みたいに見えた。どういうイメージがこの四角い世界に馴染むのだろうか。

 ぼくは最近あまり撮る機会がないけど、真四角の難しさは特に風景写真にもありそうだ。絵画でも風景は横長が基本になっていそうだけれど、クリムトは何点も正方形のキャンバスに風景画を描いている。特にアッター湖での一連のがあるけれど、彼も構図には苦労したらしく湖畔の建物を描くのにわざわざ湖にボートを出してそこから描いたりしている。

 写真で言えばビビアン・マイアーがローライフレックスで撮った四角い画面のスナップがとても素敵だ。上から覗き込んで撮るタイプのカメラを首から下げてローアングルからスナップを撮っている。何はともあれまず真四角の世界も好きになることだな。まぁ、そんなことはもっとちゃんと撮れるようになってから考えればいい事なのだけれど…。
 

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眼鏡と鋏 [新隠居主義]

眼鏡と鋏
 
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 老眼が出始めてからは普段は遠近両用の眼鏡をかけているのだけど、乱視と遠視の眼鏡を丸一日かけていると結構目が疲れるので家では外していることが多いのだが、そうするとちょっとした時に、例えば冷凍食品など食材のパックに書いてある調理の注意点とか、薬の注意書きとか、宅配便の配達住所の確認など、読書ではないけど確認するのに一瞬必要な細かい字が読めないで不便する。そのたびに眼鏡を探し回るのが面倒くさいので、居間やキッチン、玄関など家のあちこちに老眼鏡がおいてある。カミさんも最近それを使いだした。

 今生では老人になるのは今回が初めてなので、歳とるとどうなるのか、自分だけなのか、それとも皆なるのかなど戸惑う事も多い。指先の力が落ちるというのもその一つで、ぼくは元々頸椎の後遺症で右手の指先には力が入らないのだけれどそれが顕著になったし、最近カミさんもどうやらぼく同様になってきた。

 以前は何でもなかった、レトルトの袋を開けるのとか、刺身についてくるワサビの小さな袋を開けるのとか、粉薬の包装だの、餃子のたれだの、即席めんについてくる薬味の袋だの、身の回りには小さな袋を両手の親指と人差し指でつまんでちぎって開ける機会が結構多い。考えてみると、小さなものを両手の指先でつまんでちぎるというのは結構高度な作業でどちらの手だけが強くてもダメで、四本の指が同じような力で作用しなければちゃんとちぎることができない。

 何度やっても開かなかったり、いきなり開いて中身をぶちまけたりイライラしているうちに、自分の不甲斐なさにため息が出てきたり、その袋を作ったメーカーを呪ってみたり…。でもそのうち素直に鋏を使おうという気になって、それ以来台所や洗面所や机の上などに小さな鋏を置くようになって気が楽になった。

 というわけで、我が家のあちこちに眼鏡と鋏が置いてある。不便と言えば不便には違いないけれど、道具さえ使えば何とかなるので老いに逆らってイライラしてストレスを溜めるよりもよっぽど良いと思う。老いを嘆くよりそれに慣れて工夫して生きてゆくことも少しづつ考えるようになった。
 

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あれから [gillman*s Lands]

あれから
 
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 ■1970年4月30日 モスクワ 曇

 メーデーの前日。朝早く目が覚めた。ねぼけまなこで出窓のところにあるラジオのスイッチを入れる。ロシア語が流れてくる。まるで音楽のようなリズムを持った言葉だ。空気に独特の匂いがある、いやな匂いではない、シベリア鉄道のボストーク号の中の匂いとも違うが、これも何となくなつかしい匂いだ。…

 朝食の後クレムリン、赤の広場を見にゆく。夕方モスクワ河のほとりを散歩する。明日のメーデーのために街は精一杯の化粧をしている。赤い旗、イルミネーション、プラカード、レーニン生誕100年で街には赤い色があふれている。夕方には人々は相変わらずいつものようにモスクワ河のほとりを散歩する。くれなずむ街をながめながらゆっくりと、一歩一歩、歩いてゆく。「ドーブルイベーチェル!(こんばんは!)」すばらしく、そしてどこか寂しげな街だ。精一杯化粧をしてもどこかに泣きぼくろのある女のように、どこか寂しげだ。…

 部屋に帰るとホテルの窓から見えるモスクワ河のむこうに広がった青白いモスクワの街並を飽きることなく見つめていた。中々日が暮れないで段々と、段々と街が青くなってゆく。モスクワ全体が青くなってゆく。窓際のラジオからはずっとロシア語の放送が聞こえている。(日記より)
 

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 なにしろもう半世紀以上も昔の話なので、ぼくの記憶の中でもそれは霧に包まれた林の光景のように一本一本の樹の形は曖昧で全体の雰囲気だけが感じ取れるまでに劣化していた。それが断捨離で行っていた作業、つまり大昔に撮った写真のネガを整理してスキャンするうちにその霧が少しづつ晴れて来た。

 自分でももう忘れていた多くのネガの中にモスクワメーデーの写真が数十枚も紛れていた。熊みたいな大柄なロシア人に揉みくちゃにされながら懸命にシャッターを押していた記憶が残っている。カメラはペンタックスのSPと確かヤシカのレンジファインダーのカメラを持ってゴーリキ通りとマルクス通りを抜けて赤の広場辺りをうろついていた記憶がある。

 ぼくは特に社会主義に関心があった訳でもなかったし、当時の学園紛争の中にあってもいわゆるノンポリといわれる存在で、どちらかと言えば大学の授業を追及集会という闘争の場に変質させてしまった社会主義かぶれの学生達の言動にうんざりしていた方だ。

 とは言えあの時代は日本中が社会主義傾倒者と反共主義者の両極端に揺れていた。モスクワはぼくにとってナホトカからモロッコのカサブランカに至る長い道のりの途上の街に過ぎなかったし、そのルートを選んだのも単に経済的な理由からだった。
 

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 理由は単純にそれだったのだけれど、それでもモスクワは二十歳そこそこのぼくにとって生まれて初めて接した西欧の大都市という意味では計り知れないインパクトを与えた。ソ連政府直営の旅行社に選択の余地なく宿泊させられた摩天楼のようなホテル・ウクライーナはまるで帝政ロシアの幻影のように見えたし、街中を赤く埋め尽くした旗とプラカードを持った人々の熱気に圧倒された。

 それらの熱気は何に向けられていたのかは当時も今も分からない。街に溢れる社会主義のプライドみたいなものとホテルの周り等にたむろする大勢の闇ドル屋、得体の知れない女たち、チューインガム欲しさにそれと交換するバッジをチラつかせる少年達、その何ともちぐはぐな印象が今でも頭にこびりついている。そこに自由の空気は全く感じられなかった。

 メーデーの日の夜12時にモスクワの白ロシア駅からワルシャワ経由ウィーンゆきの「ショパン号」に乗って翌朝ウィーンについた時に感じたあの安堵感と解放感は今でも忘れることが出来ない。身体中の空気を入れ替えたくて大きく深呼吸をした。あれから半世紀、あの赤い帝国があれ程いとも簡単に瓦解するとは当時は考えることもできなかった。あの国の人々はそのショックから未だに抜け出せていないのかもしれない。
 

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その43~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その43~
 
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 ■猫は、自分の同意のない変化を嫌う。(ロジャー.A.カラス)
  Cats don't like change without their consent. (Roger A. Caras)
 

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 猫は臆病で、時には大胆でそして我が儘だ。なんだか時々自分を見ているような気がする時がある。もっとぼくは猫ほど優雅じゃないけど…。そしてどちらかというと保守的なところも似ているかもしれない。家の中の家具やクッションでも少しでも位置を変えようものなら、納得するまで用心深く匂いを嗅ぎまわって「これ、誰が動かしたの」とチラチラとこちらをうかがう。

 ハルは今までの猫の中でも一番用心深い方だ。人が訪ねてきたと思ったら姿を見せないし、宅急便のベルが鳴っても姿を消す。居間はご飯の時にはいるけど大抵はぼくの書斎で寝ている。ぼくの机の上も自分の寝床だと思っているらしくのうのうとして寝ているがそれに飽きると、今度はぼくの座っている椅子を狙って、身体をこすりつけてきて「そこ、どいてちょうだい」攻勢にでる。結局どかされて、ぼくはちゃんとしたオフィスチェアがあるのに、いつも安手のパイプ椅子に座って長時間パソコンに向かうことに。

 ここのところちょっと集中的に大昔のネガを整理してスキャンするという作業をしているのだけれど、ハルはその作業に自分の机が長時間占領されているのが我慢がならないらしい。今日はその作業をしているところに座り込みの抗議行動に出た。怪しく光を放つライトボックスに「なんじゃこら!」といちゃもんをつけ、つづけてネガフィルムのケースを蹴散らし凄い顔でぼくを睨みつける。やっぱり、事前に彼に一言断って始めなかったのがまずかったのかも…。とりあえず今日の作業はここまでとしよう。確かに猫は、自分の同意のない変化を嫌うという格言は正しい。しかし、はたして同意してくれるかはこれまた分からない。
 

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生活の芯 [gillman*s park]

生活の芯
 
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 昼前に散歩。台風一過の秋晴れとはならず曇り。しかもこの週末はまた雨らしい。ベンチでは常連の年寄りが新聞を読んだり、鳩と遊んだりしている。平日の公園を訪れる人は大きく三種類に分かれる。

 ひとつはぼくみたいに散歩自体が目的の人たち。二つ目は犬の散歩に来る人たち。彼らはそこここに犬友達がいるみたいだ。三番目はランニングをしている人たち。散歩をしているとその間にランニングをしている同じ人と何度も行き会う。当然ぼくが公園を一周する間に彼らは何週もするからだけれど…。

 その格好も様々だけれど、例えばぼくは散歩の時は大体ジーパンにTシャツかパーカーで、必要に応じてウインドブレーカーなどを着ている。他の人たちも大差はなくいわゆるカジュアルな恰好をしている。公園の散歩というとドイツで下宿していた若いころ、隣の部屋のレンツおばさんのことを思い出す。
 

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 プラチナブロンドの七十代のおばあさんで一人で住んでいた。(当時はぼくにとって60過ぎた人はおじいさん、おばあさんに見えていた) おばさんの部屋とぼくの部屋はもともと続き部屋だったのを仕切りのドアにカギをかけて分けて使っていた。したがって隣の部屋の気配は分かるのだけれど…。

 そのおばさんは午後になると毎日のように公園に散歩に行く。その時のいでたちは鳥の羽が刺してあるフェルトのチロリアンハットを被り、お気に入りのツイードのジャケットを着て、脚が悪かったのでステッキをついて、でも少しいつもより背筋を伸ばして颯爽と…まるで日曜日に教会に行く時のお出かけ着みたいだった。

 そういえば下宿のオーナーのフィッシャーおばさんもちょっとそこまで買い物に行くのにもシャンとした恰好をしていた。もう半世紀も前の、その時既に老境になっていた人たちの話なんで、それが今でも通じるドイツ人の典型的な例ではないと思うのだけれど、ぼくはそれは嫌いではなかった。と、いうよりそういう生活のありようが好きだった。

 ひるがえって今は、コロナ禍のせいもあって、すっぴんにマスクをしてジャーシー着てコンビニに行き買ってきたものをプラスチックトレイのままテレビをみながら食べている、なんてことも多いかもしれない。それはそれで、それなりに合理的ではあるので、他人がとやかくいう事ではないけど…。

 あの頃、おばさんたちの生き方や教わったことを今でも時々思い出すことがある。というより、今になって思い当たることも多い。親の小言と同じかな。それは多分、アナクロで古い時代の幻影だけれど、どこか生活に芯があった時代のようにも思える。
 

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 *ぼくの下宿の隣部屋の住人だったレンツおばさんは重度の夢遊病を患っていました。月に何度か真夜中にレンツおばさんの亡くなったご主人がおばさんの処にやってくるらしく、その時には楽しいおしゃべりや二人でダンスを踊っている様子がぼくの部屋まで聞こえてきました。真夜中の死者との楽し気なダンスにぼくは震えました。

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マスクの時代 [新隠居主義]

マスクの時代
 
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 最近の報道ではWHOがようやく新型コロナの終息が見えてきたというような希望的な観測をしているらしい。本当にようやく、だけれどそれだって冬に向かってインフルエンザと新型コロナ第八波のダブル流行の可能性がなくなった訳ではないと思うのだけれど…。

 マスクとの付き合いがこんなに長くなるとは思っていなかった。春の花粉の時期には以前からマスクのお世話になっていたのだけれど、こんなにのべつ幕なしに着けている日常は想像もできなかった。一歩外へ出れば駅だろうが、電車の中だろうか、通りだろうがマスクを着けていない人を探すのは困難なくらい日本人はマスクの着用を励行している。
 

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 ぼくは最近はもう公園を散歩するときにはマスクは着けていない。でも散歩の帰りにコンビニに寄ったりすることもあるからポケットの中には必ず一枚は忍ばせてはあるのだけれど。マスクを取るとやっぱり開放感がある。まぁ、室内の飲み屋などではこの解放感が危ないという人もいるのだけれど、それももう少しの我慢だと思う。

 ところが中にはマスクがすっかり身体の一部になってしまって、マスクを着けないで外を歩くと何だか下着をつけないで裸で歩いているようで恥ずかしく感じるという困った人も。またマスクをしていれば眼だけ化粧すればちょっとそこのコンビニ辺りにならすぐに外出できるのでそれに慣れてしまったという人も。

 マスク着用にはしっかりとした医学的な根拠があるから大事なことではあるけど、ただ着けていさえすれば安心というおまじない的になっていたこともあったかもしれない。またマスクが直ぐにファッション・アイテム化してしまうのはいかにも日本的だけれど、不織布でないと効果が薄いと医学的に軌道修正されたのは良かったと思う。

 ドイツ人も他の西欧の人同様マスクは好きじゃないけど、電車などで着ける時は徹底してN95基準のものをせよとルール付けされている辺りはドイツ人らしい。西欧人にとってマスクは非日常的な奇異なものであることは今後も変わらないと思う。

 顔の表情がコミュニケーション上で大事な役割をしている社会では、相手の表情が読めないということはとてもストレスフルなことなのだろう。逆に日本人は顔の表情は控えめで、そのかわり目で微妙な感情表現をするからサングラスを嫌がる傾向がある。まぁ、帽子にサングラスにマスクというiPhoneの顔認証もお手上げな時代は一日も早く終わって欲しいものだ。
 
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断捨離 昔の写真 [新隠居主義]

断捨離 昔の写真
 
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 1970年5月1日、モスクワ 曇り

 朝、ホテルを出て赤の広場に向かうと、もう至る所に人が溢れかえっていた。ゴーリキ通りとマルクス通りの中間の広場にパレードが人ってくる。そのパレードはやがて赤の広場へと入っていった。

 ぼくを含めて外国人も多い。赤の広場ではイタリア人の太ったおばさんが人ごみの上から写真を撮れとぼくを抱きあげてくれた。彼女は別れぎわにぼくの胸に花を一輪さしてくれた。赤の広場のレーニン廟のお立ち台の中には豆粒のような最高幹部のブレジネフの姿があった。(日記より)

 この年のメーデーは当時のソビエト連邦にとって特別なメーデーだった。レーニン生誕100周年記念の特別なメーデー。モスクワの街は至る所にレーニンの看板と目抜き通りの外灯には赤い旗が付けられていた。東西冷戦のさなかで東側の勝利を誇示するように飾り立てていた。
 

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 ヨーロッパなどで撮った昔のネガが沢山あるのだけれど、ちゃんと整理していないのでいつかやらねばと思っていたが、ネガを一枚一枚透かして見ているのも大変だと思っていたら、LED式の安いライトボックス(基本はトレーサーだけど)があったので、その上にネガを置いて画像内容を確認してから後でスキャンしてデジタルアルバムに残すものを選ぶことにした。

 今日そのライトボックスが届いたので早速テスト。中に蛍光灯の入った昔のライトボックスは大きいし結構な値段がしたのだけれど、今はLEDで板のように薄いし何よりもB4判の大きさで2千円ちょっとと信じられない安さ。ライトボックスの上に乗せたネガを、iPhoneやiPadに入れたNEGAVIEWというアプリで覗くとネガがポジ画像になって見えるし、ベタ焼のようにネガを並べた状態で写真も撮れるので少しづつ見て残すものを決めようと思う。画像が荒いのでそのままは使えないけれど内容の確認と言う点では画期的な働きをすると思う。

 ざっと見ていると懐かしい写真が多いけど、すっかり撮った時のことも忘れていた1970年5月1日、モスクワのメーデーの様子が何枚も写っている。その年はレーニン生誕百年記念の特別なメーデーでモスクワの赤の広場は湧き立っていた。クレムリンのお立ち台の上に立ったブレジネフの姿は今でも目に焼き付いている。今のロシアはあの赤い帝国の幻影をまた取り戻そうとしているのだろうか。
 
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Sampo [gillman*s park]

 Sampo
 
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 ベッドの中で、今日は天気は良くないよと囁く声が耳元で聴こえてきて、そのまま寝ていたかったけど、そういう声に耳を貸すとこれからも毎日色々な囁きが聴こえてきそうで慌てて起き上がった。

 今年の夏は酷暑が続き早く終わって欲しいのに晩夏という響きには、何かゆく夏を惜しむような一抹の寂しさがある。晩春や晩秋、晩冬には去り行く季節を惜しむという響きは余りないような気がするけど…。

 まぁ、ゆく夏を惜しむというのは主に若い時の心情かも知れない。ひと夏の甘酸っぱい思い出を残して夏は去ってゆく。でも、この歳になると夏はただただ暑く、秋風が吹く頃やってくるクーラーの電気代の心配を残して去ってゆく。

 ちょっと出遅れて家を出たら街はもう動き出していた。朝はほんの10分位の違いで街の様子は一変する。今日はこれから残暑になる予感。散歩のために作ったSampoと名付けた散歩用のジャズのプレイリストを聴きながら歩く。

 音楽の聴き方も随分変わったものだ。ぼくもやっているけれど、今は好きな曲を自分で組み合わせて(最近はコンピレーションとかコンピとか言うらしいけど)いわゆるプレイリストを作るのが多いらしい。同じようなことはカセットテープの昔からやっているから、さして目新しいとは思わないけど…。

 さらに最近多いのは「斜め聴き」というもので、サビのところまで早送りしてそこをジックリ聴くというもの。音楽だけでなく映画の斜め観、小説の斜め読みもあるらしい。書籍でも一時哲学書など「超訳〇〇」というのが流行って、本屋で立ち読みしてみたこともあるけれど、これで読んだ気になったら実体とは随分違ったものが頭に入っていくことなるんだろうなぁ、と思ったことがある。

 21世紀以降人間が一生のうちに触れるデータの量は等比級数的に増大してゆくので、膨大なデータを効率よくこなしてゆくためには必然的にそういうやり方も必要な時代になっているのかもしれないけれど、音楽や思考が単なるデータの塊として捉えられて良いのかという気もする。

 ぼくも音楽は色々な聴き方をするけれど、例えばジャズでいう「アルバム」という考え方等は大切にしている。ジャズではプレーヤーが自分のリーダーアルバムを作る時には、アルバムのコンセプトを考えそれに沿って選曲、曲順や演奏方法ひいてはジャケットのデザインなども含めて考え抜いて制作している。

 ぼくも家のオーディオ装置でCDを聴く時にはそういう創り方にそれなりのレスペクトを持って聴くようにしている。それはいつもとはちょっと質の変わった至福のときでもある。今またLPレコードが復活しているのは時を駆け抜けるような今の時代へのアンチテーゼなのかもしれない。
 

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 *アルバムという宝石箱
例えば1957年にマンハッタンで録音されたジミー・スミスのオルガンのアルバム「Jimmy Smith At The Organ」は大好きなアルバムなのだけれど、アート・ブレーキーのドラムス、ルー・ドナルドソンのサックスにケニー・バレルのギターとバンドメンバーも凄いのだが、ジャケットデザインが数々の名アルバムのジャケットをデザインしたリード・マイルズで、プロデュースがBLUE NOTEの創始者アルフレッド・ライオンそして録音は当時名をはせたルビー・ヴァン・ゲルダーとアルバム制作自体に当時の熱気を感じることが出来ます。

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終戦記念日の朝 [gillman*s park]

終戦記念日の朝
 
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 月曜日、終戦記念日の朝の散歩。終戦から今年で77年。戦争が終わった1945年の77年前が明治維新。最初の77年で日本は三つの大きな戦争をしてきた。そして次の77年は幸い戦争をしないで済んでいる。これからもそうであるという保証はない。

 夏休みの時期になると、いとこ達とここら辺を遊びまわっていたことを想いだす。叔母のところにはぼくと年の近い三人のいとこ達が居た。実はその上にあと二人のいとこも居たのだけれどぼくは会ったことはない。終戦間際ソ連軍の急な参戦で満州に居た叔母夫婦はロシア兵から逃れて日本に引き上げる途上でその二人の子を亡くした。叔母はその話を一切しなかった。
 
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 他の叔父は終戦後長い間ロシアに抑留されていた。その叔父も抑留生活について話すことはなかったけれど、一度だけ酒を飲んだ時に、シベリアの零下数十度のラーゲリ(強制収容所)の中で、朝起きると並んで寝ていた隣の同胞の顔にびっしりと霜が積もって死んでいたという話を聞いた。まだ子供だったので「抑留」という言葉さえよく分からなかったけど、怖い話ではあった。

 母が一番可愛がっていた弟は学徒動員で軍事工場に徴用され過労のため病んで夭折しているが、その話はしたがらなかった。戦争の体験を語り継ぐというけれど、それは本人たちには想い起すだけで耐えきれない程つらい話なのに違いないのだ。個人としては抗うことのできない力で理不尽に奈落に突き落とされた記憶だから。

 そしてそれは終戦によって、唯々他の国の人をも苦しめることに向けられた力だったと知らされた時に二重に負わされた苦しみを抱えることでもあったように思う。はや、公園ではアブラゼミの夏は終わろうとしている。
 
   ■甲高き ラジオの時報 終戦日 (片山由美子)


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