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あれから [gillman*s Lands]

あれから
 
IMAG0028.JPGメーデーの前日の赤の広場
 

 ■1970年4月30日 モスクワ 曇

 メーデーの前日。朝早く目が覚めた。ねぼけまなこで出窓のところにあるラジオのスイッチを入れる。ロシア語が流れてくる。まるで音楽のようなリズムを持った言葉だ。空気に独特の匂いがある、いやな匂いではない、シベリア鉄道のボストーク号の中の匂いとも違うが、これも何となくなつかしい匂いだ。…

 朝食の後クレムリン、赤の広場を見にゆく。夕方モスクワ河のほとりを散歩する。明日のメーデーのために街は精一杯の化粧をしている。赤い旗、イルミネーション、プラカード、レーニン生誕100年で街には赤い色があふれている。夕方には人々は相変わらずいつものようにモスクワ河のほとりを散歩する。くれなずむ街をながめながらゆっくりと、一歩一歩、歩いてゆく。「ドーブルイベーチェル!(こんばんは!)」すばらしく、そしてどこか寂しげな街だ。精一杯化粧をしてもどこかに泣きぼくろのある女のように、どこか寂しげだ。…

 部屋に帰るとホテルの窓から見えるモスクワ河のむこうに広がった青白いモスクワの街並を飽きることなく見つめていた。中々日が暮れないで段々と、段々と街が青くなってゆく。モスクワ全体が青くなってゆく。窓際のラジオからはずっとロシア語の放送が聞こえている。(日記より)
 

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 なにしろもう半世紀以上も昔の話なので、ぼくの記憶の中でもそれは霧に包まれた林の光景のように一本一本の樹の形は曖昧で全体の雰囲気だけが感じ取れるまでに劣化していた。それが断捨離で行っていた作業、つまり大昔に撮った写真のネガを整理してスキャンするうちにその霧が少しづつ晴れて来た。

 自分でももう忘れていた多くのネガの中にモスクワメーデーの写真が数十枚も紛れていた。熊みたいな大柄なロシア人に揉みくちゃにされながら懸命にシャッターを押していた記憶が残っている。カメラはペンタックスのSPと確かヤシカのレンジファインダーのカメラを持ってゴーリキ通りとマルクス通りを抜けて赤の広場辺りをうろついていた記憶がある。

 ぼくは特に社会主義に関心があった訳でもなかったし、当時の学園紛争の中にあってもいわゆるノンポリといわれる存在で、どちらかと言えば大学の授業を追及集会という闘争の場に変質させてしまった社会主義かぶれの学生達の言動にうんざりしていた方だ。

 とは言えあの時代は日本中が社会主義傾倒者と反共主義者の両極端に揺れていた。モスクワはぼくにとってナホトカからモロッコのカサブランカに至る長い道のりの途上の街に過ぎなかったし、そのルートを選んだのも単に経済的な理由からだった。
 

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 理由は単純にそれだったのだけれど、それでもモスクワは二十歳そこそこのぼくにとって生まれて初めて接した西欧の大都市という意味では計り知れないインパクトを与えた。ソ連政府直営の旅行社に選択の余地なく宿泊させられた摩天楼のようなホテル・ウクライーナはまるで帝政ロシアの幻影のように見えたし、街中を赤く埋め尽くした旗とプラカードを持った人々の熱気に圧倒された。

 それらの熱気は何に向けられていたのかは当時も今も分からない。街に溢れる社会主義のプライドみたいなものとホテルの周り等にたむろする大勢の闇ドル屋、得体の知れない女たち、チューインガム欲しさにそれと交換するバッジをチラつかせる少年達、その何ともちぐはぐな印象が今でも頭にこびりついている。そこに自由の空気は全く感じられなかった。

 メーデーの日の夜12時にモスクワの白ロシア駅からワルシャワ経由ウィーンゆきの「ショパン号」に乗って翌朝ウィーンについた時に感じたあの安堵感と解放感は今でも忘れることが出来ない。身体中の空気を入れ替えたくて大きく深呼吸をした。あれから半世紀、あの赤い帝国があれ程いとも簡単に瓦解するとは当時は考えることもできなかった。あの国の人々はそのショックから未だに抜け出せていないのかもしれない。
 

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テリー

1970年の赤の広場ですか。
この年、大学紛争の大学を卒業して、就職しました。
モスクワは、7-8年前に、遊びで、行きましたが、赤の広場は、お祭り騒ぎで、にぎわっていました。
by テリー (2022-10-13 17:49) 

親知らず

高校生の頃、父に「学生運動に加わると学業がおろそかになって卒業出来なくなって国家試験も受験出来ないから、かかわるな。」と言われた事を思い出しました。
ロシアはどこに行こうとしているのか?この侵攻はどうやって終わるのか?
早く平和になって欲しいです。
by 親知らず (2022-10-14 08:33) 

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