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あれから半世紀、時代は変わる [新隠居主義]

あれから半世紀、時代は変わる

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 今からちょうど50年前1970年の今日5月1日、ぼくはソビエト連邦の首都モスクワにいた。モスクワの街はレーニン生誕100周年の歴史的なメーデーということで街の至る所に巨大なレーニンの肖像画とスローガンが掲げられ街中に赤い旗がはためいていた。

 朝、ホテルを出て赤の広場に向かうと、もう至る所に人が溢れかえっていた。ゴーリキ通りとマルクス通りの中間の広場にパレードが人ってくる。そのパレードはやがて赤の広場へと入っていった。

 ぼくを含めて外国人も多い。赤の広場ではイタリア人の太ったおばさんが人ごみの上から写真を撮れとぼくを抱きあげてくれた。彼女は別れぎわにぼくの胸に花を一輪さしてくれた。赤の広場のレーニン廟のお立ち台の中には豆粒のような最高幹部のブレジネフの姿があった。(日記より)


 その数日前の4月26日、ぼくは横浜からロシア(当時はソ連・ソビエト連邦)の貨客船ハバロフスク号でソ連のナホトカ港にむかった。船底近くの2等船室の蚕だなのベッドにいて津軽海峡を抜ける時、悪天候のせいで胃の中にもう吐くものがないほどひどい船酔いに悩ませられた。船室に近い殺風景な共同トイレのポールにしがみついて何度も吐きながら、日本を出たことをもう後悔していた。船のエンジンの油の臭いと、ゴトンゴトンという周期的なエンジン音が頭の中で渦巻いていた。次の日やっとのことで港にたどり着いた。

 そこからシベリア鉄道の始発駅であるチーハオケアンスカヤ駅に行き鉄道でハバロフスクに、さらにローカル便の飛行機に乗り換えてやっとメーデーの前日モスクワに入った。モスクワはヨーロッパへの途中に立ち寄ったのであって、ぼくはごく普通の大学生で社会主義者でもないしメーデーを目指して行ったわけでも、その日がレーニン生誕100周年の歴史的メーデーだとも知らなかったので街の様子に驚かされた。

 摩天楼のような立派なホテル・ウクライーナや整備された道路などモスクワはナホトカやハバロフスクなどの地方都市と余りにも違うので驚いたし、日本で聞かされていたソ連のイメージともまた違っていた。でも確かに街並みも建物も立派だけどホテルの周りにはドルを求める闇ドル屋や怪しげな女たちがたむろしていた。街の外観はなんだか胸を張っているけど、豊かだという感じはしなかった。


 その後ペレストロイカに続いて1991年ついにあのソビエト連邦が瓦解したとき、何か巨大なものが崩れてゆく時のあっけなさのようなものを感じた。あの赤の広場で体験した強大で壮大な赤い帝国がいとも簡単に瓦解してゆくようなことが実際にありえるのだということが震撼を伴って肌身で感じられた。

 それ以来、どんなに強固で盤石にみえるものでもその根底にはあっけないほどの脆さをもっているのだということが常にぼくの頭の片隅にこびりついている。今回の新型コロナ騒ぎで世界中の繁華街や観光地から人影が失せているというまるでFS映画かホラー映画のような光景を見て、それにあの赤の広場の喧騒と壮大な帝国の瓦解というイメージが重なっている。

 でも、その間に世界は何かを学んでいると思いたい。最近読んだ本「FACT FULNESS」の中で「悪いことはニュースになるが、当たり前の進歩、良いことはニュースにはならない。悪いニューばかりに気をとられていると一番まずいことは、希望をなくしてしまうことだ」というような記述があった。多少楽天的すぎる本ではあるが著者は一つ一つ数字を挙げて世界は良くなりつつあるということを示していた。今回もぼくたちは試練を乗り越えて、一歩先の新しい世界へ乗り出してゆくのだという希望を持ちたい。


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泊まったホテル・ウクライーナ。チョイスは無く決められたホテルに泊まらなければならなかった。


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チーハオケアンスカヤ駅(ナホトカ)~ハバロフスクのシベリア鉄道ボストーク号の切符




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ナツパパ

不安は将来を見すぎることから生じる、と聞いたことがあります。
足元を固めつつ...と言う地道な目線が大切かもしれません。
まだ信じるところまではいきませんが(ほら、そこが前を見すぎる 笑)、
きっとコロナ以後の世界はやってくる、と思いつつ。
by ナツパパ (2020-05-01 13:31) 

coco030705


こんにちは。
すごいときモスクワに行かれたんですね。gillmanさん、新聞記者をなさっていたのかと思いました。そんな歴史的な瞬間を目撃されたことは、人生に何かしらの影響があったでしょうね。

>どんなに強固で盤石にみえるものでもその根底にはあっけないほどの脆さをもっているのだ

まさに今の世界の状況を言い当てている言葉ですね。世界が連帯して、このコロナ危機を乗り越えるのを祈るばかりです。
by coco030705 (2020-05-01 13:42) 

親知らず

カセットテープの整理をしていて、1979年10月26日のニュースを聞きました。
WHOが天然痘の根絶宣言をしたというアナウンサーの言葉で、この新型コロナウィールスはいつ終わるのだろうかと気が遠くなりました。
闘うしか無いのですが、先が見えない状況で闘うのは気持ちが折れそうになります。
by 親知らず (2020-05-01 15:51) 

ゆきち

冷戦が終結し、ベルリンの壁が無くなりソ連が解体されるとは、当時は夢にも思っていませんでした。
銀行や証券会社が破綻するとも・・・。
感染症が世界の在り方を変える、今回ワクチンや薬が開発されても、おそらく元通りの生活は戻って来ないでしょう。
それを嘆くばかりでなく、その先に見える世界をイメージ出来ればもう少し希望が持てそうな気がします。
by ゆきち (2020-05-01 21:57) 

ZZA700

ブレジネフ書記長の名を見聞きしたのは何十年ぶりでしょう。
50年の間に何もかもが変わりましたね。
当時は鉄人28号のようなレトロな列車が走っていたのですね。
それに引き換え、ファッションセンスの良いハンサムボーイは現代でも通用しそうですね^^
by ZZA700 (2020-05-01 23:26) 

としぽ

こんばんは。
ソ連が崩壊するとは思いませんでした。
今回のコロナウイルスで世界の体制が
変わるかもしれないですね。
by としぽ (2020-05-02 00:08) 

Boss365

こんにちは。
50年前のgillmanさん、カッコイイですね。
1989年、ベルリンの壁が崩壊した時、衝撃を受けました。
1990年、知人を頼ってドイツに数ヶ月滞在しました。
問題山積みでしたがドイツ国民は希望に満ちていました。
コロナ感染以降の世界・・・
日本がどうなって行くのか?見届けたいです!?(=^・ェ・^=)
by Boss365 (2020-05-05 13:35) 

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