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眼鏡と鋏 [新隠居主義]

眼鏡と鋏
 
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 老眼が出始めてからは普段は遠近両用の眼鏡をかけているのだけど、乱視と遠視の眼鏡を丸一日かけていると結構目が疲れるので家では外していることが多いのだが、そうするとちょっとした時に、例えば冷凍食品など食材のパックに書いてある調理の注意点とか、薬の注意書きとか、宅配便の配達住所の確認など、読書ではないけど確認するのに一瞬必要な細かい字が読めないで不便する。そのたびに眼鏡を探し回るのが面倒くさいので、居間やキッチン、玄関など家のあちこちに老眼鏡がおいてある。カミさんも最近それを使いだした。

 今生では老人になるのは今回が初めてなので、歳とるとどうなるのか、自分だけなのか、それとも皆なるのかなど戸惑う事も多い。指先の力が落ちるというのもその一つで、ぼくは元々頸椎の後遺症で右手の指先には力が入らないのだけれどそれが顕著になったし、最近カミさんもどうやらぼく同様になってきた。

 以前は何でもなかった、レトルトの袋を開けるのとか、刺身についてくるワサビの小さな袋を開けるのとか、粉薬の包装だの、餃子のたれだの、即席めんについてくる薬味の袋だの、身の回りには小さな袋を両手の親指と人差し指でつまんでちぎって開ける機会が結構多い。考えてみると、小さなものを両手の指先でつまんでちぎるというのは結構高度な作業でどちらの手だけが強くてもダメで、四本の指が同じような力で作用しなければちゃんとちぎることができない。

 何度やっても開かなかったり、いきなり開いて中身をぶちまけたりイライラしているうちに、自分の不甲斐なさにため息が出てきたり、その袋を作ったメーカーを呪ってみたり…。でもそのうち素直に鋏を使おうという気になって、それ以来台所や洗面所や机の上などに小さな鋏を置くようになって気が楽になった。

 というわけで、我が家のあちこちに眼鏡と鋏が置いてある。不便と言えば不便には違いないけれど、道具さえ使えば何とかなるので老いに逆らってイライラしてストレスを溜めるよりもよっぽど良いと思う。老いを嘆くよりそれに慣れて工夫して生きてゆくことも少しづつ考えるようになった。
 

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マスクの時代 [新隠居主義]

マスクの時代
 
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 最近の報道ではWHOがようやく新型コロナの終息が見えてきたというような希望的な観測をしているらしい。本当にようやく、だけれどそれだって冬に向かってインフルエンザと新型コロナ第八波のダブル流行の可能性がなくなった訳ではないと思うのだけれど…。

 マスクとの付き合いがこんなに長くなるとは思っていなかった。春の花粉の時期には以前からマスクのお世話になっていたのだけれど、こんなにのべつ幕なしに着けている日常は想像もできなかった。一歩外へ出れば駅だろうが、電車の中だろうか、通りだろうがマスクを着けていない人を探すのは困難なくらい日本人はマスクの着用を励行している。
 

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 ぼくは最近はもう公園を散歩するときにはマスクは着けていない。でも散歩の帰りにコンビニに寄ったりすることもあるからポケットの中には必ず一枚は忍ばせてはあるのだけれど。マスクを取るとやっぱり開放感がある。まぁ、室内の飲み屋などではこの解放感が危ないという人もいるのだけれど、それももう少しの我慢だと思う。

 ところが中にはマスクがすっかり身体の一部になってしまって、マスクを着けないで外を歩くと何だか下着をつけないで裸で歩いているようで恥ずかしく感じるという困った人も。またマスクをしていれば眼だけ化粧すればちょっとそこのコンビニ辺りにならすぐに外出できるのでそれに慣れてしまったという人も。

 マスク着用にはしっかりとした医学的な根拠があるから大事なことではあるけど、ただ着けていさえすれば安心というおまじない的になっていたこともあったかもしれない。またマスクが直ぐにファッション・アイテム化してしまうのはいかにも日本的だけれど、不織布でないと効果が薄いと医学的に軌道修正されたのは良かったと思う。

 ドイツ人も他の西欧の人同様マスクは好きじゃないけど、電車などで着ける時は徹底してN95基準のものをせよとルール付けされている辺りはドイツ人らしい。西欧人にとってマスクは非日常的な奇異なものであることは今後も変わらないと思う。

 顔の表情がコミュニケーション上で大事な役割をしている社会では、相手の表情が読めないということはとてもストレスフルなことなのだろう。逆に日本人は顔の表情は控えめで、そのかわり目で微妙な感情表現をするからサングラスを嫌がる傾向がある。まぁ、帽子にサングラスにマスクというiPhoneの顔認証もお手上げな時代は一日も早く終わって欲しいものだ。
 
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断捨離 昔の写真 [新隠居主義]

断捨離 昔の写真
 
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 1970年5月1日、モスクワ 曇り

 朝、ホテルを出て赤の広場に向かうと、もう至る所に人が溢れかえっていた。ゴーリキ通りとマルクス通りの中間の広場にパレードが人ってくる。そのパレードはやがて赤の広場へと入っていった。

 ぼくを含めて外国人も多い。赤の広場ではイタリア人の太ったおばさんが人ごみの上から写真を撮れとぼくを抱きあげてくれた。彼女は別れぎわにぼくの胸に花を一輪さしてくれた。赤の広場のレーニン廟のお立ち台の中には豆粒のような最高幹部のブレジネフの姿があった。(日記より)

 この年のメーデーは当時のソビエト連邦にとって特別なメーデーだった。レーニン生誕100周年記念の特別なメーデー。モスクワの街は至る所にレーニンの看板と目抜き通りの外灯には赤い旗が付けられていた。東西冷戦のさなかで東側の勝利を誇示するように飾り立てていた。
 

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 ヨーロッパなどで撮った昔のネガが沢山あるのだけれど、ちゃんと整理していないのでいつかやらねばと思っていたが、ネガを一枚一枚透かして見ているのも大変だと思っていたら、LED式の安いライトボックス(基本はトレーサーだけど)があったので、その上にネガを置いて画像内容を確認してから後でスキャンしてデジタルアルバムに残すものを選ぶことにした。

 今日そのライトボックスが届いたので早速テスト。中に蛍光灯の入った昔のライトボックスは大きいし結構な値段がしたのだけれど、今はLEDで板のように薄いし何よりもB4判の大きさで2千円ちょっとと信じられない安さ。ライトボックスの上に乗せたネガを、iPhoneやiPadに入れたNEGAVIEWというアプリで覗くとネガがポジ画像になって見えるし、ベタ焼のようにネガを並べた状態で写真も撮れるので少しづつ見て残すものを決めようと思う。画像が荒いのでそのままは使えないけれど内容の確認と言う点では画期的な働きをすると思う。

 ざっと見ていると懐かしい写真が多いけど、すっかり撮った時のことも忘れていた1970年5月1日、モスクワのメーデーの様子が何枚も写っている。その年はレーニン生誕百年記念の特別なメーデーでモスクワの赤の広場は湧き立っていた。クレムリンのお立ち台の上に立ったブレジネフの姿は今でも目に焼き付いている。今のロシアはあの赤い帝国の幻影をまた取り戻そうとしているのだろうか。
 
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新米見習い主夫 半年後 [新隠居主義]

新米見習い主夫 半年後
 
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 去年の暮カミさんが銀座で転倒して腕を骨折して料理が出来なくなって急遽ぼくが新米見習い主夫としてキッチンに立つようになって半年ちょっとが経った。いきなりお節料理というのはきつかったけれど、それからはカミさんについて教わりながら先日やっと100メニュー目を作った。

 最初はとにかくご飯味噌汁が最低限できるようにすることが肝心だったけれど、それはなんとか。もちろんもっと欲を言えばその次には、より美味しいご飯が炊けるように、よりバラエティに富んだ味噌汁が作れるようにという段階はあるのだろうけど、それはおいおいと…。

 教わるたびに簡単なメモと後でイメージが湧くように写真を撮っておいたのだけれど、気が付いたらその写真も300枚以上になっていた。毎日というのは、大変なことなんだなぁ。最初は中々手順が頭に入らなかったけれど、そのうちいくつかの共通する作業プロセスが、例えば油で炒めてから煮るなど、そういうことが分かってくると次はこうかなという予想がつくようになるのがありがたい。

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 骨折したカミさんの腕も前よりは動くようになって、逆にぼくの右手の腱鞘炎が長引いてしまい最近は二人でメニューを分担して作ることも多い。どうやら味噌汁とか中華系のメニューはぼくの担当になりそう。少し余裕が出て来たのでこの間はドイツの家庭料理であるEintopf(アイントプフ)という具入りスープみたいなものを作ってみた。

 昔、若い頃ドイツにいる時Mensa(メンザ)と呼ばれる大学の学食で一番お世話になったメニューで値段も安かった。アイントップフというのは「一つの鍋」ということだから野菜やソーセージのこま切れを鍋に放り込んで煮たもので、感じとしてはポトフの具を小さく切って作ったような感じだ。カミさんの評判も悪くなかったのでウチの定番メニューになりそうだ。

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 作っているうちに食べるのとは別に作るのが楽しいメニューも出てくる。今のところナスのグラタンを作るのが気に入っている。失敗が無いのもあるけど、手をかけた料理っぽくてまた家人が美味しく食べているのをみるのが楽しくなるメニューでもある。

 最近は作るのが二回目以上のメニューも増えて来たので少しアレンジを加えてみたり、それで失敗してみたり…。今はCoockPadとかDelish Kitchenとかネット上で動画でも見られる便利なアプリもあるので新しいレパートリーにトライするのも、しやすくなった。昔からスーパーに行くのは好きだったのだけれど、最近はカミさんと行くとメニューを考えながら食材を買うということも少しづつ覚えだした。

 でも、もちろん冷蔵庫を開けて有り合わせのものでいくつかのメニューを組み立てるという上級技はまだできない。今でも毎日の献立はカミさんに決めてもらっているのが現状だけれど…。いつかは、冷蔵庫を開けたら献立が浮かんでくるという風になると良いのだけれど。それに嗅覚もダメだから、いまだに新米主夫の域は出ていない。
 

ナスのグラタンと豚しゃぶサラダ食卓.JPEG
 


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 *メニューの写真はアイウエオ順に並んでいるので漢字の名前の和食がはみ出してしまって入っていませんが、そこそこの和食メニューもやってはいるんですが…。
 

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お盆雑感 [新隠居主義]

お盆雑感
 
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  東京のお盆は7月15日なので早々に実家の墓参りを済ませて、盆の入りの13日には玄関で迎え火を焚いてお迎えをした。これが我が家では両親が居る頃からの年中行事なのだが、年々簡略化してしまっているような気がする。

 勿論喪中の時期や新盆(にいぼん)には岐阜提灯を灯して万端の用意をして行っていたのだけれど、その時期が過ぎた頃から盆飾りはするにしても段々小さなものになっているかもしれない。まぁ、これも形だから心がこもっていれば両親にも叱られないとは思うのだけれど…。

 我が家では毎朝仏壇にお茶を備えて、過去帳をめくって拝んでいるのだけれど、段々とこっちも歳をとってきて仏壇にむかうたびに向こうに居る両親に近づいて行くような不思議な気持ちになって来る。

 最近、よく「形質の声」を聴くようになった。形質の声とはぼくが勝手に名付けたのだが、普通「形質」というと遺伝形質の事で両親や先祖から受け継いだ遺伝形質の事を示す。学問的に言えば形態形質とか生理形質とかいくつかのカテゴリーがあるらしいのだけれども、ぼくは身近に感じるものとして大きく「体質」と「気質」とに分けている。

 その形質には「発現期」というのがあって、物心ついたあたりから「まぁ、理屈っぽいところがお父さんにそっくりになってきた」とか「なんだか後ろ姿がお父さんそっくり」とか母親などに言われたりするようになる。当の本人はそう言われるのが凄く嫌だったり、そうなっている事にも気が付かないのだけれど…。

 形質にはその「発現期」とは別にそれに気づく「発見期」というようなものもあるような気がする。ぼくの場合若い時には遮二無二自分一人で生きているつもりで、あまり感じなかった自分の中の両親みたいなものの存在が中年を過ぎた頃から、ちらほらと自分の心の中で見え隠れするようになった。

 例えば、ぼくは疲労が溜まってくると鼓膜が痛くなることがあるのだけれど、そんな時は「あ、これは親父の体質だな」とか、どうでもいいようなことを取り越し苦労していると「あ、自分の中のお袋が考え込んでいる」みたいに、いわば自分の中で形質が働いている様子が想像できることが増えてきている。

 それはもちろん長い間両親と一緒に居たのでその観察の結果から来ているのかもしれないけれど、もしかしたら生まれてすぐ離れ離れになった親子でもそういった形質の声を聴くことはあるかもしれない。それは先祖から連綿と続いた諸形質の現在でのひとつの到達点が自分という存在であることを想えばありえることだ。…お盆にあたってなんとなく想ったこと。

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久方ぶりの柴又 [新隠居主義]

久方ぶりの柴又
 
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 ちょっと早めのお盆の墓参り。実家のお墓と同じ墓地内にある叔父、叔母や祖母などの親戚を含めて計5ヶ所を回る。ウチのお墓には盆暮、春秋の彼岸そして両親の命日など年5回ほど来るけど盆と暮れには親戚の墓も全部回るようにしている。

 今年、今の家の近く谷中のお寺に自分の墓は設けたが、実家のお墓には両親がいるから今でもお参りには来るけど夏はお墓掃除が大変。伸び切った雑草をとるので虫除けスプレーと蚊にされた時の痒み止めや軍手が必需品だ。今日は天気予報では天気が崩れると言っていたけれど、取り敢えず雨が降らなくてよかった。

 墓参りの帰りに久しぶりに柴又の帝釈天による。母のいた頃は墓参りの帰りは大抵柴又によって帝釈天をお参りしてから「ゑびす家」でうなぎか、参道の「大和家」の天丼を食べて帰るのが楽しみだったのだけれど、母が亡くなりそれからコロナ禍になってからは何処にも寄らずに真っすぐ帰ってくるようになっていた。
 

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 今日は久々に柴又に寄って「ゑびす家」でうなぎを食べた。ここのうなぎはほんとにほっこりとしてぼくは一番好きだ。お店は昨日は帝釈天の庚申(こうしん)の日だったので混んでいたかもしれないけど、今日はがらんとして客はぼくらだけ。母は申年だったので若い頃から庚申(かのえさる)の日には帝釈天にお詣りに来ていたようだ。

 確か一昨年の大晦日、夜に東テレの特番で「孤独のグルメ」のリアルタイム中継をこの「ゑびす家」から放送していた。五郎さんがテーブルでこのうな重を食べていた。今日はぼくらもテーブル席にしたけど、母のお気に入りの席は奥の小上がりの座敷の一番端の席だったな。壁に寄りかかって坪庭を眺めながらゆっくりと過ごした。

 今日は休みのお店も多く天ぷらの「大和家」もお休みだった。ひと気のない参道はちょっと寂しかった。昔みたいに帰りに参道の佃煮屋で佃煮を買って帰る。若いころから親しんでいたのでこの柴又とか浅草とかに来ると何となく嬉しくなる。今日は墓参りもしたし良い一日だった。
 

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お墓を考える [新隠居主義]

お墓を考える
 
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 今日は今年1月に死んだモモの納骨。ささやかだけどウチのお墓を馴染みのある谷中のお寺に設けた。ぼくとカミさんと猫三匹のお墓でウチからも近いから谷中の蕎麦屋にいった帰りにでも寄れるのも好い。

 とりあえず、「向こう」でも皆んなで暮らせると思うと何となく気が休まる。ほんとに向こうが在るのかという気もするけど、まぁ大人だからそこら辺は深く詮索しない。いずれ分かる事だから…。

 帰りはいつもの蕎麦屋で今日は白海老のかき揚げと卵焼きにもりそば。昨日は土砂降りだったから今日にしておいてよかった。少し肩の荷をおろした。
 
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 この歳になると誰でも終活というか、自分の葬式のことやお墓のことを考えるものだ。ぼくの友人たちの中でも地方から出てきた人間で東京に居ついたので、両親も居なくなった故郷の墓を墓仕舞いして関東に新たに墓を持ってきたり、逆に墓は自分の故郷が良いと奥さんとひと悶着あったり、いろいろである。

 ウチもそろそろそういう事を考える時期に差し掛かっていた。数年前に98歳の母を見送った時、派手なことが好きだった母だからそれ相応の見送りをしたけれど、その時こういうのはこれが最後かなと思ったが、コロナ禍のせいで一挙に慎ましやかな家族葬というのがスタンダードになってしまった。

 それで好いのだけれど、ぼくはリタイアした時から自分は葬式なし、戒名なし、墓なしでいいと思っていた。カミさんと話すとカミさんもそうで散骨か樹木葬がいいと…。ぼくの実家には父母の入っているお墓があり現在は兄のものになっている。もちろん手っ取り早くそっちに入るというのも好いのだけれど、こればかりは誰がどういう順番で逝くかは神のみぞ知るだが、考えてみたら兄のところも娘がもう嫁いでいるので、いずれは墓仕舞いということになるはずなのだ。

 まぁ、みんな逝った後に残った姪たちに墓仕舞いで叔父、叔母の分まで面倒をかけるのも気づまりなので自分のことは自分で考えようとしたのだけれど、これが具体的に手を打つとなると散骨だの樹木葬だの合同葬だのいろいろあって意外と面倒なことがわかった。そうこうしている内にいつもぶらついている谷中のお寺に縁あってお墓をみつけた。住職のお話も伺って安心も出来たし、お寺の教義にも反しないのでお世話になる決心がついた。

 そのお寺にぼくとカミさんと猫たちの入る小さなお墓を設けた。墓碑銘には既にぼくとカミさんと三匹の猫たちの名が刻まれている。墓仕舞いの事を考えると永代供養ではなくてぼくかカミさんかの長生きした方が最後に亡くなってから十三回忌後ないしは二十年経ったところでお寺さんが樹木葬にしてくれることになっている。これなら誰にも迷惑を掛けずに、しかも冒頭でいったように蕎麦でも食いに行く気軽さでいつでもモモの墓参りも出来る。まぁ、生きている者の自己満足には違いないのだけれど…。

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恩師の手紙 [新隠居主義]

恩師の手紙
 
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 日本語学校の留学生とのお付き合いもはやいものでもう20年近くになろうとしている。以前も留学生は国を離れて一人で寂しいこともあるから、親兄弟と電子メールを頻繁に交換してたようだけど、今は毎日のようにスマホなどのビデオ通話で顔を見ながらオンラインで話している学生が多い。

 それが50年前ともなると国際間では電子メールはもちろん無いし、当時あった国際電話などは1分間数千円という時代でとても貧乏留学生の使えるモノではなかったから家族などとの連絡は全て手紙と言う事になるのだけれど、それでさえエアーメールとなると切手代もバカにならなかった。

 ぼくは当時大学生で、大学ではフランツ・カフカのゼミに居たのだが、長びいた学園紛争の後ということもあってそのゼミの教授には何も言わずにドイツに行ってしまって、向こうから事後報告のようになってしまった。なのに教授は怒るどころか、自分の経験も含めて色々と有用なアドバイスを手紙でくれ、しかもぼくの手紙は保管しておいてくれるということで教授とも何度も往復書簡のようなものを交換させてもらった。帰国後、約束通り全ての手紙をちゃんと保管して返してくれた。

 今は何でもメール等で速くて便利だけれど、手紙には独特の精神作用のようなものがあると思う。便箋に手紙をしたためる時間も、それが相手に届くのに要する時間も全てが無駄と言うよりは何かを熟成させるための時間なのだともとれるかもしれない。

 その教授は先年亡くなったのだけれど、頂いた教授の手紙をこの連休中に読み返していて目頭が熱くなった。あの頃、二十歳過ぎたばかりの若造に真っすぐに真摯に対峙してくれたことに今でも感謝してもしきれない。
 
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「  …ひとつだけ君にすすめておきます(すでに実行しているかもしれませんが) 今君の頭に浮かんだこと、眼に、耳に入ったすべてのことを、どんなに短くてもよいのですが、小さなノートに書き留めておいて下さい。それは、君が又日本へ帰ってきて今よりもひまができたときに大きく芽を吹き発展した形をとるはずです。

 この二十歳前後の君の心の中を流れた思想の芽生えのようなものは長く君の心から離れることなく、一生を支配するかもしれません。日記のように堅苦しいものでなく、小さなノート一冊で足ります。あるいは、手紙という形の方が書きよければ、気の向くままに私あて送ってもらえば、君の帰る日まで一まとめにして保管しておいてあげましょう。

 君の書いてよこした一つ一つのことについて話したいこともありますが、書くひまもありませんので、帰朝したときにでもゆっくり話しましょう。

 蛇足ですが、ドイツ語でハンディやコンプレックスを感じたら二、三日フランスへ遊びに行ってくるといい。会話も看板も(もし君がフランス語を学んでいないとすれば)ほとんどわからなくなるでしょう。そしてドイツへ又もどってきたとき、君は急にドイツ語の理解が上達したように感じてほっとするはずです。


 今日はこれだけで、また 1970.11.9 」 

 ぼくは今でも恩師のその言葉を守るようにしている。
 

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I Hope Peace ! [新隠居主義]

I Hope Peace !

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カスミソウ [新隠居主義]

カスミソウ
 
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 カスミソウ(霞草)という草がある。地中海からアジアあたりが原産らしいが、今はもっぱら切り花として使われている。豆粒のように小さい花を春霞のように無数につけるのでその名がついたということだけれど、原産種はもっと大きな花をつけるものだったらしい。

 英語ではbaby's-breath(ベイビーズブレス)で赤ちゃんの吐息だが、恋人の吐息とも解せるかもしれない。ドイツ語ではSchleierkraut(シュライアークラオト)で意味はベールみたいな草ということなので、これはすぐイメージが湧く。

 切り花としては単独で使われるよりも、花束に入れたり花瓶に活ける時に他の花と一緒にいれたりすることが多い。カスミソウが入ることで、全体がパッと明るくそして何となくハッピーな雰囲気になる。自分も十分派手なのに主役でなくて脇役として他を引き立てるのが得意という不思議な性格を持っているような気がする。
 

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 いつも花屋さんが持ってくる切り花の中にはこのカスミソウが入っていることが多い。でもカスミソウは猫のモモハルがじゃれついて花瓶を倒すこともあって、大きな安定した花瓶に入れないと危ないのだ。それをぼくが言った時カミさんが、お義母さんはカスミソウが好きだったでしょ、と云った。

 現役で仕事をしている頃は同居しているぼくの両親のことはずっとカミさんに任せっぱなしで…。ぼくも組織の中で生き残るのに必死だったけど言い訳にはならない。母がカスミソウを好きだった、そんなことも知らなかったことを思い知らされると同時に、ぼくが不在の間にカミさんが両親と過ごしてきたぼくの知らない時間が彼女の背後に立ち上がった。これからはカミさん孝行をしなければなぁ。
 
 ■ セロファンの 中の幸せ かすみ草  (椎名智恵子)
 
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