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南三陸町 あれから一年 [新隠居主義]

南三陸町 あれから一年

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 一月の末に宮城県の南三陸町を訪れた。その日は生憎この冬で一番冷え込んだ日だった。時折、青空が覗いたり、かと思うと頭上に覆いかぶさるような曇天になったり、そして夜には大雪になった。一日の中でも目まぐるしく天気が変わる。その日は終始一貫して冷たい風も吹き続けていた。

 志津川町で行われていた福興市から山内鮮魚店の仮店舗に寄って、何もなくなってしまった浜の漁港の辺りについた頃には日も傾きかけていた。ポツンと屋根だけがある港の岸壁にずっと佇んでいる人がいたのでシャッターを押した。きっとこの写真だけ見れば夕陽に照らされる豊饒の海を見つめている光景だけれど、画面の外の右手には瓦礫の山、振り向けば廃墟のような平坦な区画の土台だけが残った街があった。

 その日に見聞きしたことを心の中で反芻していたけれど、ぼくだったら到底立ち直れないような過酷な状況がまた胸に迫る。話を伺った山内さんも及善かまぼこ店の及川さんも決してもう若くは無い。ぼくと同じ世代だ。でも先頭を切って走っている。彼らより一世代若い水産加工業者の伊藤さんとマルセン食品の三浦さんとの四人で新会社を立ち上げた。

 それは製氷工場と汚水処理工場を共同で作るためだった。山内さんと及川さんは同い年、三浦さんと伊藤さんは同級生ということで、地域の中の密な人間関係があったからできたことかもしれないが、それは絆(きずな)という口当たりのいい言葉だけでは到底表せない、掛け値なしの生き残りの為の手立てなのだと思う。会社の名前は四人のイニシャルをとってYOIMとした。それには「良い夢」に繋げたいという願いも込められている。

 たった一回来ただけで分かった風なことは言えないし、結局何の助けにもならなかったかもしれないけれど来てよかったと思っている。それはぼくにとって少なくとも二つのことをもたらしてくれた。復興ということがどんなに大変なことか肌で感じられたということ、そしてそれによって「忘れない」という自分の気持ちに力を与えられたということだ。 はや一年、やっと一年。南三陸町、あれから一年。

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Silvermac

中・高年者の意欲と努力に敬服します。
昭和21年の南海地震で家屋倒壊、生き埋めになりました。
父親の再建への奮闘努力に今更のように感謝です。
by Silvermac (2012-03-11 11:14) 

イチロー

あのガレキの山をみるとほんと情けないです・・

by イチロー (2012-03-11 15:28) 

ふじかわ

1年ですね。僕もボランティアに行った場所がどうなっているのか気になります。
by ふじかわ (2012-03-11 17:33) 

mimimomo

おはようございます。
先日ちょっとテレビを見ていたら、ファックスで入った被災者の言葉がありました。
頷きつつ読んだのですが『瓦礫を受け入れないような人たちに簡単に‘絆’などと言って欲しくない』と言った趣旨でした。わたくしも最近言葉の軽さに
少々うんざりしています。どうしてこうも遅々として復興が進まないのか。
実際、わたくしなども義援金を出す程度しかできないです。情けないですが。
by mimimomo (2012-03-12 09:31) 

としぽ

町内でも色々な方がボランティアに行った話を聞くだけですが
義援金を出すくらいしか自分には出来ないと思っています。
この先長い期間の支援が必要ですね。

by としぽ (2012-03-12 21:24) 

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