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五年が… [新隠居主義]

五年が…

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 あの忌まわしい東北大震災から丸五年が経つ。復興は着実に進んでいるという人もいるし、五年経っても遅々として進まないという話も聴く。ここにきて言わば復興格差ともいえるものが顕著になっている感じもする。五年の歳月は人々の上に同じように降りかかってはいなかったということか。

 五年という節目でテレビをはじめとしたマスコミはこぞって震災のことを取り上げてる。「我々は忘れていない」というアピールだろうか。だが、ぼくにすればテレビはそれ以前にしなければならないことを忘れている。それはあの時の自分たちの振る舞いについてだ。その総括もしないで口を拭っていることを皆が忘れていると思ったらとんだ考え違いだ。

 震災直後、人々は避難所に避難したが、地域の避難所は複数個所にまたがるため身内や知人が無事なのか知る術もない。遠隔地に住んでいる親戚縁者にしても携帯なぞは当然つながらない。時間の経過とともに避難所には避難者の名前が壁に貼られ、それに見入る住民や他の避難所から身内・知人の生存の確認にくる人々の姿がテレビに映されていた。

 当時テレビにはできることが沢山あったはずだった。みんなが情報を欲しがっていた。例えば安否情報。避難所の壁にかかった避難者のリストを映し出すだけでも貴重な情報にはなるのだ。しかし、そのときテレビのやっていたことは実に頻繁にACジャパン(公共広告機構)の公共広告を垂れ流すことだった。

 テレビの前でやきもきする視聴者の前に際限なく「交通ルールを守ろう」だの「〇〇がん予防ワクチンを打とう」だのその時点ではどうでも良いCMが頻繁に延々と流された。どこの民放でも状況は同じだったからその手のCMが流された述べ時間は大変なものだろうと思う。もしもその時間が例えば安否情報などもっと緊急で有用な情報の提供にあてられたらと思うと残念でならない。

 もちろん民放だからコマーシャル枠があって、しかしどの提供先もそんな悲惨な時に自分の企業のCMなぞ流したくないのでそのためのACなのだ、という言い訳はつくのだけれど…、それは余りにも自分たちの本来的責任を放棄した物言いなのだと思う。その後ACに抗議が殺到したらしいけれど、それはお門違いというものだ。要は放送局側の方に普段からそういう思考回路が無かったということだと思う。

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 それだけではない。原発事故についてもテレビは政府や東電の出す情報を丸呑みしそれを補強するような情報ばかりを送り出していた。そのためには御用学者とまでは言わないが、その方向に合う学者たちを起用して解説をさせていた。あの時点ではそれしかなかったというかもしれないけれど、ネットを見れば海外を含めて全く異なる情報も出ている。ネットには早い段階から原子炉建屋の悲惨な画像も出ていたし、SPEEDIの件についてもネットでは既に問題になっていたのにテレビは無視し続けたように思えた。

 あの時点からぼくはテレビの報道については殆どあてにしないようになった。じゃあ、それ以前にはあてにしていたのかと云われると不明を恥じるばかりだが…。もちろんネットには山のように悪意に満ちた情報や不確実な情報もあふれているけれど、他方不都合な事実を隠したり、取り繕うことを困難にするという面も持っている。大震災はそういうメディアの実態も明らかにしてくれた。五年目を語るのなら、今テレビはその時のことをちゃんと自分の中で反芻してもらいたいのだけれど…。


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写真は2012年1月、南三陸町で撮影。

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[南三陸町の過去記事]

嬉しさとやり切れなさと
南三陸町 あれから一年
食べるとは想うこと
南三陸町の冬
はじめの一歩
リアスの恋人たち


*電波を止めるなどとの総務大臣の恫喝ともとられる発言を始め、
放送への有形・無形の圧力が取りざたされる現在、
テレビは自らの社会的責務について
もう一度真摯に向き合うべきだと思うのですが…。
初代のテレビ世代として育った人間から見ると、
現場の人は頑張っているのだと思うけれど、
今のテレビ界を動かしている上の人間に対して
歯がゆい思いをしています。


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ナツパパ

仰ること、まったくその通りと思います。
あのときのことを覚えておかなくては、と思います。
わたし自身がどう行動し、なにを信じたのか、
はたまた、なにを信じようとしたのか、を。
by ナツパパ (2016-03-09 15:09) 

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