SSブログ

上野を考える [Ansicht Tokio]

上野を考える


Rodin2018a.jpg

 今年の夏ごろにはいい具合に戻りかけていた嗅覚が、秋の訪れとともにまたゼロになってしまったのでいつもの大学病院の耳鼻科を訪ねた。原因はよくわからないが、薬を替えたのが影響しているかもしれないということで以前の薬も併用するようにするとのこと。あまり期待しないようにはしようと思っているけど、一度戻りかけただけに落胆も大きい。

 病院の後、少し気を取り直そうと思って杖を突きながらだけど上野に向かった。上野は平日だというのに結構な人出。上野では今上野の森美術館の「フェルメール展」、東京都美術館の「ムンク展」そして国立西洋美術館の「ルーベンス展」と人気の展覧会が重なっていることもあると思う。

 でも、こういう時は何といってもぼくにとっては西洋美術館だ。会社員時代も辛い時うれしい時何かにつけこの美術館にやってきた。ということでルーベンス展に。ここ数年で上野の恩賜公園一帯は急速に整備されて快適な文化地区になっている。東京都美術館の手前の木立の中に点在していたホームレスのブルーシートの小屋もいつの間にか姿を消してベンチや遊具などが置かれている。

 上野が成田空港から都心に直行する外国の観光客にとって最初に目にする日本の街になるため、第一印象の点でも心配ではあったのだけれど、ホームレスの問題はそれ自体が基本的に解決したのではなくて、単にぼくたちの目に触れないようになったというだけではないのかという複雑な気持ちが残る。それどころか今や社会の格差は広がる一方なことを考えると格差の象徴のようなホームレスが減るのではなくて単に目につかなくなるということが本当に良いことなのか…。

 東京国立博物館の前も噴水は残ったけれど花壇だった植え込みはイベントもできる広大な広場に生まれ変わっているが、これはいわゆる公共の広場ではないらしい。物産展などのイベントはよく開かれているけど、デモや集会などが開かれているのを見たことは無い。当然申請しても許可は出ないと思うのだけれど、東京でデモや集会というと大体が代々木公園のような一般の目には触れにくいような所で行われている。

 たまに国会議事堂の前などでデモが行われても厳重な警戒体制の下でのものになるし、マスコミも何故かあまりそのことを報じない。本来デモや集会は民衆が政治的意思を示すための民主主義における重要な意思表示手段であるのだけれども、ベルリンやワシントンやソウル等でみられるような社会を大きく動かす目に見える形での大規模な集会は東京では、それ自体行える「広場」すらないのかもしれない。

 大昔、まだ学生の頃ベトナム戦争反対の集会が行われていた「新宿西口地下広場」を、そこは広場ではなく通路だという理由をつけて集会を禁じたことを想い出した。政治に対する正当な怒り(いかり)を訴える機能の麻痺した日本の社会はこれからどうなっていくんだろうか。西洋美術館の庭におかれたロダンの「考える人」の前でフトそんなことも考えていた。



Rodin2018b.jpg


Tokio.gif

 *そろそろ外出時はカメラを持ってと思っているのですが、やっぱり杖を突いてだとカメラを構える時に杖をわきに置かざるを得ないので、この日もiPhoneだけでしたが、西洋美術館の庭で見上げたロダンの考える人の感じがとても良かったので、やっぱりカメラを持ってくればよかったな、と…。

nice!(46)  コメント(1) 
共通テーマ:アート

nice! 46

コメント 1

mimimomo

おはようございます^^
上野は混みますね~最近は国立博物館に行く用事がほとんどで
あまりウロウロしなくなりました。
by mimimomo (2018-12-10 07:46) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント