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土手の上で [下町の時間]

土手の上で

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 俺は東京で生まれて東京で育ったから「故郷がないんだ」と言う男がいる。だが、その男だって生まれた土地はもっているのである。
 ただ。故郷というものは「捨てる」ときにはじめて、意味を持ってくるという性質のものらしい。
 だから一生故郷を捨てないものには「故郷」が存在としては感じがたいだけのことなのである

  
  (寺山修司「人生処方詩集」)
 


 
  ばあさんがひと月の予定でいつものリハビリ病院に入院している。真夏のこの暑さで体力が落ちているのもあるけれど車いすの生活が脚の筋肉を弱めていることもある。車で三十分位のところなのでいつものように二日おきに着替えを持っていきがてらばあさんの様子を見ることにしている。

 
 先日もリハビリ病院のばあさんのところに行った折、ばあさんは入浴中だったので終わるまで待っている必要があった。行った時がリハビリ訓練中だったり入浴中であることはよくあることだ。そういう時はばあさんのベッド脇のチェストの着替えを入れ替えて整理するか、時間がかかりそうな場合は病院の近くの千草通りをブラつくこともある。

 その日は入浴が始まったばかりでまだ大分時間がかかると思ったので、病院のすぐ先にある荒川土手のほうに行ってみることにした。前にも何度か来たことがあるけれど、今日は真夏の日がじりじりと照りつけている。でも、ここ数日天候は安定していなくて今日も青空の一角には入道雲の一部を覆うように灰色の雲がへばりついている。

 土手の前の細い舗装道路を横切って草むらに覆われかけた急な石段を上ると土手の上に出て急に視界が開ける。土手の上から見晴らすと荒川に沿って河川敷のグラウンドが広がっている。左側にJR線と東武線の鉄橋が見える。その向こうには昔はお化け煙突が見えていたはずだ。視線を右にやるとすぐそばに堀切橋が見え、さらに右を見やると下町の街並みの向こうにスカイツリーが見える。

 荒川土手の左側の鉄橋と堀切橋に挟まれたこの場所は毎回のようにテレビドラマの金八先生に登場していた。ぼくはたまにしか見ていなかったけれど、画面に登場したあの鉄橋と堀切橋の位置関係でここだとすぐわかった。それに、ここは小津安二郎監督の「東京物語」にも登場しているはずだ。堀切橋を渡った先の駅が山村聰扮する医者が開業している平山医院のある場所だ。

 尾道から上京してきた老夫婦が東京で医者をしている自慢の息子を訪ねるが、その場所は想像していた東京とはちがっていたかもしれない。それは東京とは名ばかりの場末の下町なのだ。杉村春子が扮する次女もお化け煙突が見える下町に住んでいる。両者とも都会の中で精いっぱい生きてはいるが、その心根の底には故郷を捨てた者の心情が見え隠れしている。彼らにとって尾道から出てきた両親は、忘れていたその故郷を運んできてしまったのだろう。

 目線を堀切橋の右手に移すと入道雲と雨雲のような灰色の雲が重なっている空の下に、下町の街並みとその向こうにスカイツリーが見える。とりとめの無い猥雑な街並み。決して整ってはいないけれど、そこには確かに人間が生きているという空間が広がっている。ぼくも歳をとってから、とみに自分が生まれ育ったこの下町が自分の故郷だという思いが強くなってきた。寺山修司によれば、自分が生まれ育った土地を捨てて初めて「故郷」という存在が心の中に浮かんでくるのだという。

 そういえば、ぼくも若いころに心密かにもう戻らないつもりで日本を出たことがある。その意味では一度故郷を捨てているかもしれない。でも日本に戻ってからもここが故郷だという気持ちには中々ならなかった。それは映画「東京物語」の子供たちのように、自分も毎日を生きるのに精いっぱいで戻ってきた土地が自分の故郷だったことにも気が付くいとまが無かったのかもしれない。そのことにやっと気づかせてくれたのは、今ぼくの周りに流れているとりとめの無い時間なのかもしれない。


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 *今日またばあさんの病院の帰りに荒川土手によってきました。(9/9) 正午過ぎの日差しは先日に増して強く温度も最高に達していました。河川敷のグラウンドでは休日とあってか少年サッカーチームの激しい練習が行われていました。

この間は誰もいなかった土手の上には、少年サッカーチームの父兄らしい男女がパラソルをさしたり、携帯用のチェアを持参したりして土手の上から練習の様子を観ていました。なかには自分の子供でしょうかベンチに座っている少年のゼッケンを食い入るように見つめていた女性がいて印象的でした。

 **この土手の上に立って目の前のパノラマを見渡すと、この50年の間に東京の下町のモニュメントが左手のお化け煙突から右手のスカイツリーへと移って行ったことを思い、何となく感慨深いものがあります。

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Silvermac

東京物語、笠智衆の存在感を思い出します。
by Silvermac (2012-09-09 22:20) 

evergreen

荒川土手というと、
私にとっては測量実習をした、
港北橋から扇大橋までの左側でした。


by evergreen (2012-09-10 02:19) 

engrid

スカイツリーのそびえるように立つ青空が,すっカー少年の夏の思い出になるのでしょうね,当たり前に,スカイツリーがあることが。
時代の区切りのようにです。

by engrid (2012-09-10 10:56) 

coco030705

こんばんは。
東京物語、いい映画でしたね。田舎の両親が息子と娘を訪ねて
でてきたけれど、予想に反して二人ともやさしくなかった。けれど、
未亡人となった原節子だけが両親を大事にする。それが救いだったし
心に残りました。尾道と東京の時間の流れの違いが鮮やかに描かれていたと思います。
by coco030705 (2012-09-10 18:37) 

風太郎

東京から逃げてきたので、故郷は東京。上京するたびに思い出の地をひたすら歩いています。
by 風太郎 (2012-09-10 20:49) 

anan

土手からの写真3枚、全部素晴らしいですね。
夏空とサッカーを見る人々の背中、物語を感じさせます。
お化け煙突の頃、少年たちはサッカーではなく野球をしていたはず。
時代を感じます。
by anan (2012-09-11 13:45) 

rantan-nya

わたしは東京といっても西の方で生まれ育って、さらに今も住んでいるので
川というと多摩川になってしまいます^^;
小岩あたりと篠崎というところで荒川土手から遥か見渡したことがあるのですが
どちらも区別が付きませんでした・・
スカイツリーは小岩から小さく見えました
by rantan-nya (2012-09-11 15:51) 

sig

地方から上京した私は、千住大橋北詰のあたりに思い出があります。
松竹映画「東京物語」、拙ブログで動画をあしらった記事にしてあるのですが、その前にUpした黒沢監督・東宝の「野良犬」の動画が×だったので、ボツにしてあります。でも松竹の「二十四の瞳」か゜OKでしたから、松竹は大目に見てくれるかもしれない。「東京物語」、Upしてみようかな。
by sig (2012-09-11 20:09) 

タロウの母

今はモニュメントになってしまったお化け煙突
設置されてあるのもキレイな大学の前で・・・
当時の面影は微塵もないでしょうね
お化け煙突のお話は お名前を失念してしまいましたが
職工から作家になられた方の作品で知りました
東京物語もそうですが 
昔はみんなそれなりに貧乏だったんだなぁと思わされました
貧乏を卑しいことだとは思いませんが
やはり私たちの世代は恵まれているのだと感じます


by タロウの母 (2012-09-13 10:13) 

aya

まだ逃げていないので、故郷は無いことになりますが、転勤族の父が
点々としたことで 心に浮かぶ土地は数多いです。
今のところ、懐かしく、行ってみたいと思えるところが 故郷かな♪
by aya (2012-09-13 22:06) 

fumiko

近々NHKBSで放映される『煙突の見える場所/1953年制作』(山田洋次監督が選んだ日本の名作100本)で、見える場所によって本数が違って見える煙突というのは、gillmanさんが書いているオバケ煙突ですね。
往年の上原謙、田中絹代、高峰秀子・・・学習のためにも観なければ!
お母上の看護でお疲れが出ませんように。

by fumiko (2012-09-15 13:33) 

blanc

今年は関東の方が暑かったのでしょうか?
まだ夏空のようですね。
福岡は雷の多い夏でした。
by blanc (2012-09-16 23:12) 

にゃん

おばあちゃまの お見舞い 暑い中大変でしたね
 タイはバンコクに住む にゃんです
  3年かかりましたが やっとのこと タイ国の
   B−VISAと 外国人労働許可証が取れました
    これで 日本へ向けて タイの SIM Free iPhone5
     そして 猫もの雑貨販売の お店「NIAN」を
      オープンさせることになりました
       お店はネットによる カート販売方式です

        NIAN http://nian.cart.fc2.com/

by にゃん (2012-09-20 11:10) 

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