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光よ!  国立新美術館 [Ansicht Tokio]

光よ!  国立新美術館


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  今年の春、歩くと激痛を感じるようになってそれ以来殆ど外出ができない状態になってしまった。時を同じくして母が倒れたこともあり、それから殆ど美術館にも行っていないことに気付いた。以前は月に二回くらいは何らかの展覧会に行っていたのだけれど、こんなに行かなかったのは余りなかったし、それがストレスの一つにもなっていたみたいな気がする。

 リハビリは一進一退なのだけれど、朝の激痛がなくなっただけでも嬉しいし、少しずつ平地を歩いてみましょうというリハビリの先生の言葉もうれしかった。ということで先日、嗅覚の治療で大学病院に行った帰りに思い切ってどこかに行ってみることにした。

 幸い診療の予約は早朝だったので昼前には終わるから近場の美術館であればなんとか…。と、考えるとそこから一番行きやすいのが六本木の国立新美術館だった。そこなら美術館の地下まで千代田線で行けるのでそんなに歩くことは無い。

 待合の時間に今新美術館でなにをやっているかネットで調べたら、なんとピエール・ボナール展をやっているではないか。ボナールはぼくの大好きな画家で、今までもオルセー展ナビ派展などで彼の多くの作品に接してきたが、ボナール自身の回顧展は初めてだ。

 始まってまだ間もないから混んでいるかもしれないと思いながらも、意を決して行ってみると平日ということもあるとは思うけれども、拍子抜けするほど人が少なかった。そうか、ボナールは日本ではそんなに人気が無いのかなと、ちょっと寂しくなったけれど、大好きなボナールの作品をゆっくりと心行くまで見られたということでは大満足だった。

 観終わって、いつものようにロビーのカフェでコーヒーを飲む。ここも人がまばらだ。この美術館の建物に差し込む光はひときわ美しい。刻々と変化し同じ光にはもう出会えないと思えるほど来るたびに違う光が迎えてくれる。カフェの客もまばらなのでiPadで自撮りしたりして暫し遊んだ。

 まだカメラを持って歩き回れる気分ではなし、杖をついての撮影は辛いので今日もスマホとタブレットしか持ってこなかったけれど、そろそろカメラを持って街歩きをするのを目標に考えてもいいねと美術館の光が語り掛けていた。



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浅草寺 四万六千日 [Ansicht Tokio]

浅草寺 四万六千日


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 この間ちょっとしたことでお気に入りのグラスにひびが入ってしまった。気に入っていたやつなので捨てるに忍びなく、ネットで調べてみたらガラスの補修、リメイクをする店が浅草にあるということでリハビリを兼ねてカミさんと行ってみることにした。

 浅草寺は相変わらず外国人観光客でごった返していたが、それにしても平日なのに大変な人出。仲見世に入ってみて今日が四万六千日ホウズキ市なのに気づいた。どうりで、人が多いわけだ。

 四万六千日といっても外国人観光客には何の事だか分からないだろうけど、こっちもついぞそのことを忘れていた。浅草寺にとっては毎月9日、10日が功徳日で、その中でも7月9日、10日はお参りすると四万六千日お参りした分の功徳があるという。

 日本人のこのアバウトでご都合主義的宗教観はぼくは嫌いじゃない。目くじら立てて宗教論争に明け暮れ、果ては殺し合いまでするようなことまで考えると、アミニズムの要素も含んだおおらかな日本人の宗教観はひとつのあり方だと思う。

 それはそれで良いんだけど、歩いているうちにかなり脚が痛くなり用を済ましたら、結局松屋の上の食堂でうどんを食べて早々に戻ってきた。歩いたのは全部で5000歩位なのだけれど、まだまだリハビリが必要な感じ。

 肝心のグラスの補修は結局、フチにひびの入った部分をカットしてグラスを短くするしか方法がないということで、それでお願いをした。好きだったグラスの形は変わってしまうけれど、引き続き使えるのは嬉しい。注文が多いらしく出来上がるまでひと月ちょっとかかるらしいけど、どんな風になるのか…。

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 *ここのところ脚が辛いので重いカメラを持って歩く気にはならず、スマホばっかりで写真を撮っています。昨日も浅草でスマホで撮ったのですが、最近のスマホはほんとによく映るのでカメラメーカーも大変だなぁ、と思ったりして。




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東京が東京であった処 [Ansicht Tokio]

東京が東京であった処

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 大手町の旧東京中央郵便局のあとにできた(といってもファサードだけは古いビルの外観が一部残されているけど…)ショッピングモールKitteに行くと必ず寄るところがある。それは4階にある旧東京中央郵便局長室で、そこからは駅舎再現修復と駅前広場整備の終わった東京駅がよく見えるのだ。

 背後に高層ビル群を従えた東京駅駅舎の姿は威風堂々としている。ヨーロッパの駅舎も趣があって好きなのだけれど、東京駅のように数えきれない程の本数のプラットホームがあってバリバリの現役で、しかもそのエリアがオフィス中心街になっているというところは少ないと思う。

 ヨーロッパの駅は鉄道が実用化されるはるか前に石造りの旧市街が出来上がっていたため各方面から大都市に入ってくる鉄道の駅は街を通過出来ないので旧市街の縁までの引き込み線になっている場合が多い。鉄道が各地方から入ってくるので駅の名前も大抵方面別に「西駅」とか「東駅」とか「中央駅」とかの名前がついている。日本で駅前というと中心地のように思えるが、ヨーロッパではそうとは限らない。

 ロンドンにも、パリにも、ベルリンにも、そしてウィーンにもその都市の名前だけの、例えば「ウィーン」という駅は無い。ウィーンの場合でいうとぼくが初めて訪れた大昔は「ウィーン南駅」と「ウィーン西駅」というどちらも引き込み線タイプの終着駅があったのだけれど、今では南駅は通過式の駅として中央駅に生まれ変わった。しかし名前は「ウィーン駅」ではなく「ウィーン中央駅」である。

 そういう意味では世界有数の大都市東京でシンプルな「東京」という駅名が存在していることは珍しいかもしれない。普通なら「東京中央駅」もしくは「大手町駅」となりそうなものだけれど…。それはもちろん常に膨張を続けてきた東京という街の歴史を背負った駅名なのだと思う。東京駅ができたとき、新宿も渋谷も池袋も今では想像できないほどの田舎だったはずなのだ。

 上野だけが比較的早くから北の玄関口としての機能を果たしていたから、上野は「東京北駅」なのかもしれない。この旧東京中央郵便局長室から東京駅を臨むとそんな東京駅=東京だった頃の東京の姿が脳裏に浮かんでくる。ぼくは東京で生まれ育ったのだけれど、最近東京の街なかを色々と歩き回っていると各所に「江戸」の名残は残っているのだけれど逆に東京駅ができた明治・大正の「東京」の名残が意外と少ないことに気付いた。



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Akihabara [Ansicht Tokio]

Akihabara

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 秋葉原、この街をうろつき始めてからもう何年になるだろうか。四十年以上になるかもしれない。勤め先が本郷で秋葉原に近いということもあるのだけれど、通い始めたのは大学時代からだからもしオフィスが多少遠くても来たかもしれない。通算すると月一回、多いときには毎週もあったと思う。

 通うと言っても特別な目的があるわけではない。ただぶらついて街を、店を見ているだけで何となく楽しいのだ。それでもその時々によって興味を持って見るものは確かに変わってきた。最初はオーディオ関係のスピーカーやターンテーブル、アームやカートリッジなどの部品がメインだった。

 それから、音楽でジャズやクラシックのLPに目が向いてディスク漁りをやっている内に、当時「マイコン」と呼ばれるパソコンが出始めた。そうすると秋葉原の街はあっという間にオーディオの街からデジタルタウンに切り替わっていった。その時分にはぼくももう会社に入っていたのでぼくの関心もオーディオからパソコンの方に比重がかかっていった。

 以来、時の経過とともにいくつかの関心がぼくを長いことこの街につなぎとめていた。リタイヤしてからは関心はカメラやジャズのCDなどに向いていったが、今はそれにタブレットやBluetoothなどの新しいオーディオ機器への関心が加わった。この街の変遷が自分の関心の範疇に合っていたのか、はたまたこの街の変遷に自分の関心が引きつけられたのか、おそらくはその両方だと思うけど…この街は長いことぼくの関心を繋ぎ留め続けてきた。

 ただ一つだけ、この街の変遷で自分の範疇には取り込めなかった、または取り込まなかったものがある。それはいわゆるオタク文化に類するもので、それがこの街に浸みこむように広がってゆく様をぼくは少し遠くから傍観者として見ていた。それは秋葉原という街に新たな味付けをすることになった。それは一見唐突にこの街に現れたように思えるけれど、今までの秋葉原文化と何処かで通底するものを持っているとぼくは思っている。


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 昨日、友人のところに行くので馴染みの秋葉原で乗り換えた。ラッシュアワーも終わった午前中の秋葉原駅のホームはいつもぼくが見ているのとは違ってどこかのんびりとしていた。ぼくが乗ろうとしていた総武線の千葉方面のホームの一番先の方は人影もまばらで、ローカルの駅のようだった。約束の時刻まではまだ間があったのですぐに電車に乗らずに少しホームをぶらつくことにした。

 家を出る時久しぶりにRICOH GX200をポケットに入れてきたのでそれでホームの光景を覗いてみた。ホームに差し込む光は既に冬のそれになりかけている。ガラッとしたホームには自販機が並んでいる。時折、自販機に飲み物を買いに来る人が通るくらいで人通りも少ない。駅の時間はラッシュアワーの時刻を過ぎて急にそのスピードを落としてなだらかに流れ始めた。もちろん、それは夕刻の次のラッシュアワーまでの束の間のことだけれど。


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新宿 しんじゅく Shinjuku [Ansicht Tokio]

新宿 しんじゅく Shinjuku


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  人なつかしさだけが、行き場を失って空っ風のように

  渦巻いている孤独な町。

  だが、私たちにとって、新宿は、最後の町なのだ。

  ここを失なったら、もう、どこも帰る「町」はないのである。

       (寺山修司/気球乗り放浪記) 



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  新宿のことは余りよく知っている訳ではないので、偉そうなことは言えないけれど、最近の新宿は何か違うという感じがしている。中学は両国、高校の頃は本郷谷中、大学なってからも北千住上野銀座界隈が馴染みだったので、新宿はたまに行くくらいだった。それでも新宿三丁目の都電通りや花園神社の紅テントや今は高層ビル地帯になっている淀橋浄水場の記憶があれば昔の新宿を語る資格は一応あると思うんだけど…。

 歌舞伎町のコマ劇場もなくなったし、ゴールデン街は、はみ出し若者やフリーク親父たちの憩いの場からディープ感たっぷりの外国人向け観光スポット的な色彩を帯びてきたし、あの新宿西口地下広場は何の政治色もない能天気なスペースに変わってしまったこと等など。あえて言うなら牙を抜かれた虎のような…、毒を抜かれたフグのような。

 1969年の冬、数千人の若者が西口地下広場に集まってベトナム戦争反対のフォーク集会が開かれた。真冬の熱気。すぐさま政府は新宿西口地下広場は、「広場」ではなく「通路」であるから集会は許可しないと、露骨な弾圧に出た。ぼくらは日本には「広場」がないから革命が起こらないのだ、と冷笑するしかなかった。

 それから通路はホームレス達のねぐらになり、やがて忘れ去られた。でも、それでもその先に高層ビルは増え続けていった。すべてが一新されたのは、都民を睥睨する砦のようなあの都庁がやってきてからかもしれない。役人達が気持ちよく通勤できるようになのか通路が整備され、動く歩道までつくられた。確かにきれいになって、快適になって…そして、毒も熱気も、ついでに人なつかしさまで姿を消して、新宿はどこまで無機質な街になってゆくのか。



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  *もちろん、西口と東口では今でも雰囲気には大きな差があるように思いますが、それでも寺山修司の言っていたような人なつかしさは希薄になっているような気がします。と言いつつも、本当は大好きな街ではあります。今は毎週のように行っていますが、西口が多いので東口方面にもまた行くようにしたいと思っています。


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天空の美術館 [Ansicht Tokio]

天空の美術館


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 ■…親密で家庭的な主題は、カリエールの作品の中心を占めている。ゴーギャンやムンクの悲惨な自伝が精神分析を背景にした注釈者によって数多く分析されているのに対し、カリエールの伝記を構成している家庭生活のささやかな喜びや苦悩は、分析者達からほとんど重んじられいてない。カリエールの生涯に、目立つ出来事や人目を引く恋愛沙汰はほとんどない。… (「ウジェーヌ・カリエール、現実の幻視者」ロドルフ・ラペッティ)


 先日新宿に出た折、夜の約束の時間までまだ随分と間があるので久しぶりに損保ジャパン日本興亜美術館(長い名前だなぁ)に行ってみることにした。新宿の都庁付近には結構頻繁に来るのだけど、そのすぐ近くのこの美術館にはそう度々くることはなかった。それはひとえにぼくが極度の高所恐怖症ということがあるからなのだけど、なんと言ってもここはビルの42階にあるのだから。

 この時はたっぷりと時間があったことと、その時行われていた展覧会が日本ではあまり知られていないウジェーヌ・カリエールの回顧展だったからだ。展覧会のタイトルは「没後100年 カリエール展 ~セピア色の想い~」。カリエールはこの展覧会のサブタイトルにもなっている「セピア色の想い」ということでもわかるように、セピア色の濃淡で象徴主義的な表現をする絵画で知られている。

 会場には90点近くが展示されていたけれど、ほぼ全ての絵がセピア色のものだ。こういう展覧会も珍しいかもしれない。カリエールの展覧会はたしか2006年位に西洋美術館で友人だったロダンの作品との共同展示の展覧会があって以来だと思う。今回の展示は特にカリエール家の所有ものや個人蔵で彼の家族を描いた絵が中心になっている。人物画はセピア色の霧の中から浮かび上がってくるようだ。

 その日の展覧会はやはり画家が一般的でなかったのか、会場に人はまばらだった。場所的に苦手なだけでこの美術館のキュレーション自体は嫌いではない。今までにも「ユトリロとヴァラドン展」や「セガンティーニ展」など素晴らしい企画もあった。最近はゴッホやモネなどの有名作家の展覧会が目白押しだけれど、日本ではあまり知られていない作家の回顧展などにも取り組んでくれるこういう美術館の存在も忘れてはならないと思う。

 展覧会を見終わって42階のロビーに出ると眼下に夕暮れの新宿の街が広がっていた。高層階の美術展といえば六本木のアークヒルズにある森アーツセンターがここより高い52階にあるけど、向こうは景色を見ようと思ったら美術館とは別に展望台の料金を払わなければならないし、何よりも僕の苦手な足元までの窓ガラスというのが気に食わない。

 そこへゆくと、この美術館の42階のロビーはほとんど人もいないし窓には腰高までの台があるからぼくでも窓に近寄ることができる。何よりも素晴らしいのは、遠くのスカイツリーからすぐそばの新宿御苑の森まで雄大なパノラマが見渡せることだ。刻々と光の色が変わってゆく暮れなずむ新宿の街は実に美しい。いつものカメラを持ってこなかったので恐る恐る窓に近づいて持っていたスマホで撮った。今度はちゃんとカメラを持ってきてみようと思いつつ…。


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晴海客船ターミナル [Ansicht Tokio]

晴海客船ターミナル

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 晴海客船ターミナルは今何かと話題になっている豊洲の新市場の海を挟んで丁度真向かいにある。真ん前にはレインボーブリッジを望む絶好の場所にあるのだけれど、その割にはあまり知られていないのか特別なイベントでも開かれていない限りいつ行ってもすいている。元々の目的である船の発着がどのくらいの頻度であるのか分からないけど、横浜の大桟橋みたいには頻繁にないのかもしれない。

 とはいえ、眺めがいいのでカメラマニアやモデル撮影にはよく利用されているようだ。日曜日に久しぶりにいつもの写真仲間とターミナルで待ち合わせて各々気ままに写真を撮ってから反省会と称して築地の場外で飲み会。で、反省だれれども、いつも横着して三脚はパスするのだが今回はさすがに薄暮から夜景とあって三脚は持参した(しかもミラーレス2台)。でも、また手抜きして軽いヤツを持ってきたのでやっぱりボロが出た。三脚の脚がやわなので微妙にぶれている。その上老眼のせいで焦点が合わせにくい。というわけで「老眼+やわな三脚+不慣れな夜景=ピンボケ写真」という見事な図式が成り立って、一番下の最後の二枚はよくある失敗作例となった(小さなサムネイルの写真)。

 失敗したので悔し紛れに言うのではないのだけれど、本当に撮りたかったのは外のデッキからの夜景ではなくて、大きなガラス空間を持つ待合室からの外の眺めだった。此処に前回来たのは六年位前の初冬だと思うのだが、その時はレインボーブリッジの上に月が出ていてなんとも美しい光景だった。さらにその光景を大きなガラスに囲まれた空間から見るとまるで一幅の絵のようだったのを覚えている。その時は時間切れで撮れなかったので、今回はそこから海を見渡した薄暮と夜景を撮りたかったのだ。薄暮はなんとか撮れたけれど、レインボーブリッジに灯がともるころの光景は残念ながら今度は室内のライトが点いてそれがガラスに映り込んで撮ることができなかった。え~と、今回は取り敢えずロケハンという事にしよう。

 窓越しの夜景を撮るならやはり冬の平日が良いかもしれない。今回は日曜日だったので八時過ぎまで開いているが、平日は五時までなので冬の五時なら橋に灯もともり部屋の明かりが落ちた一瞬を狙えるかもしれない。それに確かクリスマスのイルミネーションが始まると室内のメイン・ライトを落とすからその時もねらい目かも。それまで老眼対策と夜景撮影スキルを磨いておくべきなんだろうが、ぼくのことだから怪しいものだ。撮るたびに嫌になってくるという悪循環からなんとか抜け出さないと…。いずれにしても反省会と称する飲み会の方は何とも楽しい。今回の築地のまぐろもまた格別だった。

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 *晴海客船ターミナルの待合室はガランとしていて、ベンチで寝ている人、ずっと膝の上のパソコンで何かの作業に没頭する人、じっと海を見つめている人、など外とはちょっと違う時間が流れているようでした。
 


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銀座で偲ぶ… [Ansicht Tokio]

銀座で偲ぶ…

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 土曜日は銀座で大学のゼミの恩師を偲ぶ会を兼ねた同窓会があった。大学を出て今年で40年、その間何年かに一度、教授を招いて同窓会をやっていた。次回の同窓会は教授の米寿のお祝いを兼ねて、と思っていたが昨年米寿を前にして亡くなられた。今回は先生を偲んで…、という趣旨で集まろうと。ずっと幹事をやらせてもらっているけど、40年も経つとやっぱり時の流れを感じる。

 ゼミの卒業生は教授がゼミをやめるまでかなりの数の卒業生がいるのだけれど、どこの同窓会でもそうだと思うが、段々と出席者が減ってくる。今年は80名位いに案内を出して出席が13名。それも多くはゼミ初期のメンバー、ということは皆そこそこいい年齢なのだ。

 会場は銀座の老舗ビアホールのビルのパーティールームにしたので歩行者天国の目抜き通りをぶらつきながら向かった。土曜日という事もあって銀座四丁目付近の通りはなんか祭りのようだった。銀座は昔から一番よく来る繁華街だけれど、最近の変化はめまぐるしい。高級ブランドショップの林立などの変化はぼくなんかは必ずしも好きではないけれど…。

 歩行者天国ではグループでダンスをする若者達がいる。それにこれはいつも見かける光景だけど、あちこちでテレビのインタビューも行われている。Appleストアーの前は新機種iPhone7の発売でごった返している。さすがにもう徹夜組の列はないと思うけど、店内は混雑状態で外国人観光客らしい人たちも興味津々だ。

 四丁目の交差点の角の旧日産ショールームは建て替えられて、今度はNissan Crossingとして生まれ変わった。準備万端整って来週の24日のオープンを前に円筒形のショーケースの中にはおそらく最新の日産の車であろう、車体にカバーをかけられた車がもうスタンバイしている。

 何となく人ごみに酔うような感じで会場に着いた。幹事としては先生を偲ぶ会だし、皆そこそこの歳なので盛り上がるかちょっと心配していたけれど、そんな心配は要らなかった。というよりは元気な人が此処に来ているのだと思った。それは幸いなことだ。



 人生の中では時々似たようなことが続くことがある。次の日の日曜日にも「偲ぶ会」が続いた。大学院時代の恩師の教授が急逝し母校で偲ぶ会が行われた。恩師と言っても10年前にぼくが59歳の年に大学院に入った時の教授だから年齢はぼくより二つか、三つ上くらいなのだ。

 ぼくのことを今までで一番年長の教え子と言っていた。日本語教育の女性教授で商社にお勤めのご主人の関係で、アメリカとスペインの生活が長かったらしい。とにかくパワフルで思い立ったらすぐ行動というタイプ。学生は煽られっぱなしだった。よく授業の始まる前に教室で待っていると廊下からカッカッというヒールの音が響いてくるので先生が来ることが分かった。

 偲ぶ会ではご主人がご挨拶をされて…。先生は二年前に定年で退職されその後あのパワフルさで色々な趣味に励まれたという事だけど、今年の春にスキルス性の癌がみつかり、わずか二か月足らずで逝ってしまった。享年72歳。死期はご自分でも分かっていらしたらしく、最後の言葉は「一切やり残した事は無い、良い人生だった」という事だったと言う。中々出来ない生き方だなぁ。合掌。

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(photos by iPhone6/写真の上でクリックすると写真が大きくなります)


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秋葉原、アキハバラ、Akihabara [Ansicht Tokio]

秋葉原、アキハバラ、Akihabara

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 秋葉原をさまよいながら思った。この街はつくづくかわった街だ。考えてみたら、もう半世紀以上も見続けているけど、この街はアメーバのように刻々とかわり続けている。今は電子とサブカルが一体となったカオスのような街になっている。この数十年間、ぼくはおそらく二週間か三週間に一度はこの街に来ていると思う。と言っても、その目的はずっと同じだったというわけではない。この街が変化してきたように、この街を訪れるぼくの目的も時代によって変化してきた。

 ぼくが秋葉原を初めて訪れたのは中学生の頃、鉱石ラジオ(今では分からない人もいると思うけど)を作るとき部品を買いに来た時だと思う。今でも一部は残っているけど、その頃の人でごった返しているガード下の部品横丁の活況はまだ脳裏にはっきりと残っている。ぼくは兄のように工作少年ではなかったので、アンプなどを組み立てるために部品横丁に通うということはなかったのだけれど、その頃から出始めてきたテープレコーダーやトランジスタ・ラジオに興味があってそれらの新製品を見ているだけでも楽しかった。

 高校から大学に進んだころから音楽を聴き始めた。いわゆるオーディオ時代の幕開けなのだけれど、その頃は丁度今のパソコンやゲーム機等のデジタル商品が目まぐるしく入れ替わるようにアンプやスピーカーやテープレコーダーそしてLPプレーヤー等の分野で新しい商品が次々に登場してきた。オーディオの分野でもSONYやAKAI等の日本のメーカーもその存在感を増していたけど、やはり憧れの的はJBLやALTECそしてTANNOY、マッキントッシュやオルトフォン等の海外製品だった。秋葉原に通う一つの目的はオーディオ視聴室を回って高嶺の花のそれらを聴き比べることだった。

 会社に入って少しして何とか自分なりのオーディオ装置を持てた頃には、皮肉なことに音楽会に行く時間的余裕などは無くなってしまった。それまでは音楽会に行くとその響きを忘れないうちに家に帰ってオーディオ装置の調整などしていたのだけれど、それも出来なくなってしまった。それでも会社が秋葉原に近かったこともあって、昼休みなどにはレコードや新しいオーディオ製品に触れるために秋葉原に行った。そのうちに秋葉原で目にし始めたのがその頃登場し始めたマイコンと呼ばれたパーソナルコンピュータだった。

 いわゆるワンチップ・マイコンであるNECのTK-80は結局手に入らなかったけど、それ以降ぼくが秋葉原を訪れる目的はパソコンがメインになっていった。それは同時に秋葉原がオーディオからITの街へと変貌してゆく時期でもあったのだ。最盛期には秋葉原の街にはいたるところにPC関連の部品屋が並び、中東のテロリストも手作りのミサイルの電子部品を秋葉原で調達しているというまことしやかな噂が流れたのもこの頃だ。

 ぼくがやっと音楽の趣味に戻り始めた90年代にはメディアはもうLPからCDに変わっていた。LP時代にも通っていたイシマル電機もCD専門館が出来て、そこにはカリスマ店員か何人かいてクラシックでも指揮者とか年代を言えばたちどころに適切な推奨盤を見つけてくれたり、ジャズでも同じように半端なく詳しい店員がいたものだ。今ではネットのデータベースで調べればなんということはないのだけれど、彼らと話す中で得られた情報は温かみがあってなんとも有り難かった。

 しかし、その内大型店のCD等の音楽関係の売り場は次第に縮小されるようになり、ラジオ会館などにアニメやフィギュアが並ぶようになって、ついには中央通りのAKB48劇場に発したアイドル、サブカルの熱波が秋葉原を覆うようになる。実はこの背後にはそれまで秋葉原の街の外観を支えていた大型電気店の凋落がある。この時代になるといわゆる大型電機量販店が全国にできることによって白物家電などの電気店製品における秋葉原の優位性は消えかけていた。サブカルはその穴を埋める形で増殖していった。

 今の秋葉原は全くのカオスと言っていいかもしれない。電子もあるし、カメラもあるし、サブカルもある。ある意味ではそれは戦後のモノのない時代に闇市のようにジャンク品や電機部品の屋台が並んでいた秋葉原の再来のような感じもする。そこにはまだ独特の熱が残っている。ぼくが子供のころ秋葉原に感じたこの街独特の「うさん臭さ」や独特の「」が若者や外国人を引き付けているのかもしれない。

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→ 花と蝶 ~アキハバラの凋落と変貌~

上の記事「花と蝶」は9年前の2007年に書いたものですが、
その頃とも事情は変わってきているようです。
その頃にはまだいたCD売り場のカリスマ店員も
今では何処に行ったのでしょうか。
というか店員どころか今ではそのCD館もありません。
会社自体も今では中国系の家電量販店になっています。
時代は動いています。


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街と言う舞台 [Ansicht Tokio]

街と言う舞台

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 ■灰色の舞台

 
早朝の街は雲量約九
 都市を悪夢の中に忘れてきた

 ネオンは夜の雨で漂白され

 この街の歴史
 この街の地理は
 全く百科事典の三四行で
 乾いた足音ひとつ聞こえない

 確率零なる挨拶の機会

 地図をもたぬ不安に
 ふと素直になりながら
 ボール紙で街路樹をつくる

 灰色の舞台 青い童話

 早朝の街は湿度約九十
 そしてやはり無機質のような…
 僕は足を速める

  (「二十億年の孤独」 谷川俊太郎)




 ぼくはちょっと離れた処から街の様子を観察するのが好きだ。視界の中の街の一画を頭の中で切り取ってそれを舞台に見立てる。舞台の上を通行人A、通行人Bが横切って行く。中にはちょっと位セリフのありそうな脇役級の若い女性が意味ありげに通り過ぎて行く。そうこうしているうちに舞台中央の書き割りが開いて舞台裏からヘルメットのおじさん達が立ち現れる。

 工事の警備のおじさん達らしく、朝礼が終わって各自の持ち場に行くのか。そのうち一人のおじさんがラジオ体操みたいな格好で身体をほぐし始めた。「昨日はチョット飲みすぎちゃったなぁ~」なんて思ってるのかもしれない。さて、これからこの舞台上でどんな情景が展開されるのか。

 ここでは視界の中の切り取った街の一画を舞台に見立てて鑑賞する訳だけど、この「見立て」というのは日本の美意識もしくは鑑賞法の一つの特徴でもある。見立てとは何かをちがった別のものになぞらえて鑑賞することだが、日本庭園なんかはそれこそ見立ての塊みたいなものだ。

 俳句や和歌なんかにも見立てがよく登場する。落語だって噺の中で手拭いや扇子を色んなものに見立てている。見立てとは、元々は貧しくてモノが十分にないとか、その場では現物が手に入らないような状況で苦肉の策で発生したのかもしれないけれど、それは長い時間の中でぼくたち日本人の精神の遊びのようなものにまで昇華されてきた。

 見立ては、やがて茶の湯のように高い抽象性や簡潔性を伴った美意識へと繋がっていったような気がする。それはやっと現代になってポップだモダンだと称するような美の存在に世界が気づく遥か昔のことだ。ぼくは昔を過大に評価したり、美化したりするのは余り好きじゃないけど、これはちょっと凄いと思う。で今、溢れるようなモノに囲まれて、ないモノが無い。見立てる必要もない。もしかしたらぼくらの精神の中までモノでいっぱいなのかもしれない。ぼくらは今見立てのような精神の遊びを少し忘れていないか。


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 *「見立て」というのはと面白い言葉で、「あの医者は見立てが巧い」というと病気の診断が上手と言う意味だし、「このネクタイはカミさんの見立てなんだ」というと奥さんが選んだということですね。

 また「このまま円高が進めば100円割れもあるというのが専門家の見立てだ」と言えば予測だし、もちろん「この庭園ではあの築山を富士山に見立てている」というのは、富士山になぞらえているということです。

 知らなかったのですが、「見立て殺人」という言葉があるらしく、これは最近はやりのミステリー等で伝説や童謡などに見立てた連続殺人事件や、それを匂わすような操作のされた現場のある殺人事件などを言うらしいです。


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