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巡る季節 03 [gillman*s park]

巡る季節 03
 
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 学校が夏休みに入ったのか、早朝でも公園で子供の姿を見かけるようになった。今年もコロナのせいか夏休みの早朝のラジオ体操教室はないみたいだけれど、公園には何となく夏休みの匂いが漂っている。アブラゼミの羽化も始まったみたいだ。
 
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 下町の千住で育ったぼくは、子供の頃は夏休みになると荷物を持ってこの近くにある叔母の家に泊まりこんで過ごすことが多かった。叔母の所には同じ年頃のいとこたちがいたので林間学校のような楽しさがあった。

 もちろんその頃はここら辺も田んぼと畑ばかりだったけど、昆虫網をもって夢中になって一日中駆け回り、帰りに祖父の家に寄ってスイカを食べさせてもらうのも楽しみだった。歳をとっても子供の頃遊んだのと同じ辺りを毎日散歩できるのは何にも増してありがたいことだ。

 散歩をしていて目に入る、空中でさっと身を翻した鳥たちの翼の艶やかさや、草原の草が風にたなびいて時折キラッと輝く葉の裏側の白銀のような金属的な輝き。真冬に葉が落ちて骨格だけになった樹々がそれでも凛としてそびえ立っている雄々しさも…、そういったものには子供の頃には気がつかなかった。そう考えると、歳をとるのもまんざら悪い事ばかりではないなと思う。

 
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巡る季節 02 [gillman*s park]

巡る季節 02
 
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 ■公園散歩 7月20日

 今日も早朝の内に公園散歩。昨日までは戻り梅雨のような天気だったけれど、今日はいかにも真夏の早朝という感じ。花壇にちょっと寄ってから林の方へ。

 この間は見られなかった蝉の抜け殻があちこちの樹についている。かなり低い位置に土色をした小さな抜け殻がいくつもあるのでニイニイゼミの抜け殻だと思うけれど、他の蝉のはないのでまだこれからのようだ。

 当たり前のことが当たり前のサイクルで巡って来るのが、決して当たり前ではなくなりつつある今の世の中。当たり前のことを見ると少しホッとする。でも、まだ蝉は鳴いていない。静かな、平日の公園の朝。
 

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巡る季節 01 [gillman*s park]

巡る季節 01
 
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 ■公園散歩 7月17日

 前の晩、天気予報を見て、早朝なら雨も大丈夫だと思って久しぶりに早朝の6時過ぎに散歩に出た。でも、どんよりとして今にも降ってきそうな空模様。

 去年、梅雨明け後に蝉の羽化を多く見かけた林の中に入ってみたけど、まだ蝉の抜け殻は一つも見つけられなかった。昼間も蝉が鳴かないし、どこかおかしいのかな…。

 この間テレビでそういう話題が出た時、コメンテーターの長嶋一茂氏が「まだ梅雨明けしていないだけですよ」とさらっと言った。梅雨明け宣言が出ていたので、すっかりその気になっていたけど…。いつでも通用するとは限らないが、時にはそういうシンプルな思考をすることも大事なのかもしれない。

 日曜の朝とあってランニングしている人が多い。そのうちやっぱり、ぽつっと降り出してきた。久しぶりに丘まで行って帰り際に振り返って丘の上の空を見上げたら確かにまだ梅雨空のようだった。


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お盆雑感 [新隠居主義]

お盆雑感
 
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  東京のお盆は7月15日なので早々に実家の墓参りを済ませて、盆の入りの13日には玄関で迎え火を焚いてお迎えをした。これが我が家では両親が居る頃からの年中行事なのだが、年々簡略化してしまっているような気がする。

 勿論喪中の時期や新盆(にいぼん)には岐阜提灯を灯して万端の用意をして行っていたのだけれど、その時期が過ぎた頃から盆飾りはするにしても段々小さなものになっているかもしれない。まぁ、これも形だから心がこもっていれば両親にも叱られないとは思うのだけれど…。

 我が家では毎朝仏壇にお茶を備えて、過去帳をめくって拝んでいるのだけれど、段々とこっちも歳をとってきて仏壇にむかうたびに向こうに居る両親に近づいて行くような不思議な気持ちになって来る。

 最近、よく「形質の声」を聴くようになった。形質の声とはぼくが勝手に名付けたのだが、普通「形質」というと遺伝形質の事で両親や先祖から受け継いだ遺伝形質の事を示す。学問的に言えば形態形質とか生理形質とかいくつかのカテゴリーがあるらしいのだけれども、ぼくは身近に感じるものとして大きく「体質」と「気質」とに分けている。

 その形質には「発現期」というのがあって、物心ついたあたりから「まぁ、理屈っぽいところがお父さんにそっくりになってきた」とか「なんだか後ろ姿がお父さんそっくり」とか母親などに言われたりするようになる。当の本人はそう言われるのが凄く嫌だったり、そうなっている事にも気が付かないのだけれど…。

 形質にはその「発現期」とは別にそれに気づく「発見期」というようなものもあるような気がする。ぼくの場合若い時には遮二無二自分一人で生きているつもりで、あまり感じなかった自分の中の両親みたいなものの存在が中年を過ぎた頃から、ちらほらと自分の心の中で見え隠れするようになった。

 例えば、ぼくは疲労が溜まってくると鼓膜が痛くなることがあるのだけれど、そんな時は「あ、これは親父の体質だな」とか、どうでもいいようなことを取り越し苦労していると「あ、自分の中のお袋が考え込んでいる」みたいに、いわば自分の中で形質が働いている様子が想像できることが増えてきている。

 それはもちろん長い間両親と一緒に居たのでその観察の結果から来ているのかもしれないけれど、もしかしたら生まれてすぐ離れ離れになった親子でもそういった形質の声を聴くことはあるかもしれない。それは先祖から連綿と続いた諸形質の現在でのひとつの到達点が自分という存在であることを想えばありえることだ。…お盆にあたってなんとなく想ったこと。

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久方ぶりの柴又 [新隠居主義]

久方ぶりの柴又
 
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 ちょっと早めのお盆の墓参り。実家のお墓と同じ墓地内にある叔父、叔母や祖母などの親戚を含めて計5ヶ所を回る。ウチのお墓には盆暮、春秋の彼岸そして両親の命日など年5回ほど来るけど盆と暮れには親戚の墓も全部回るようにしている。

 今年、今の家の近く谷中のお寺に自分の墓は設けたが、実家のお墓には両親がいるから今でもお参りには来るけど夏はお墓掃除が大変。伸び切った雑草をとるので虫除けスプレーと蚊にされた時の痒み止めや軍手が必需品だ。今日は天気予報では天気が崩れると言っていたけれど、取り敢えず雨が降らなくてよかった。

 墓参りの帰りに久しぶりに柴又の帝釈天による。母のいた頃は墓参りの帰りは大抵柴又によって帝釈天をお参りしてから「ゑびす家」でうなぎか、参道の「大和家」の天丼を食べて帰るのが楽しみだったのだけれど、母が亡くなりそれからコロナ禍になってからは何処にも寄らずに真っすぐ帰ってくるようになっていた。
 

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 今日は久々に柴又に寄って「ゑびす家」でうなぎを食べた。ここのうなぎはほんとにほっこりとしてぼくは一番好きだ。お店は昨日は帝釈天の庚申(こうしん)の日だったので混んでいたかもしれないけど、今日はがらんとして客はぼくらだけ。母は申年だったので若い頃から庚申(かのえさる)の日には帝釈天にお詣りに来ていたようだ。

 確か一昨年の大晦日、夜に東テレの特番で「孤独のグルメ」のリアルタイム中継をこの「ゑびす家」から放送していた。五郎さんがテーブルでこのうな重を食べていた。今日はぼくらもテーブル席にしたけど、母のお気に入りの席は奥の小上がりの座敷の一番端の席だったな。壁に寄りかかって坪庭を眺めながらゆっくりと過ごした。

 今日は休みのお店も多く天ぷらの「大和家」もお休みだった。ひと気のない参道はちょっと寂しかった。昔みたいに帰りに参道の佃煮屋で佃煮を買って帰る。若いころから親しんでいたのでこの柴又とか浅草とかに来ると何となく嬉しくなる。今日は墓参りもしたし良い一日だった。
 

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灼熱 [gillman*s park]

灼熱
 
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 昨日は医者に行く前に公園を少し散歩。朝の6時前に家を出たのに外はもう真昼間の光。今年になって初めての早朝散歩がこんな日で良いんだろうか。その上、ちゃんと目が覚めていないので少しふらつきながら歩いている、なんか徘徊する怪しげな老人…に見えているんだろうな。公園の入り口の民家の駐車場に猫がいる。その猫が身構える。そんなに怪しいかよっ。

 公園に入ると暫く見ないうちに足元にはシロツメクサの絨毯が敷き詰められていた。ここのところ丘を巡る以前の公園散歩コースは半月位歩いていないことに気が付いた。ぼくが来ようとこまいと公園の時間は進んでいる。これで今朝が穏やかな気候なら、ほんとに天国みたいな光景なんだろうけど…、今はただただ熱気で頭がくらくらするだけ。

 一度ちらっとアジサイの花を見たきりであっという間に梅雨明けで夏の真っただ中に放り込まれた感じ。関東のどこぞでは40度を超したらしい。新型コロナで熱が出たってなかなか40度の体温にはならない。その上クーラーをかけようと思えば電力ひっ迫注意報とやらで(何度もクーラーをうまく使って熱中症に注意しながら…なんて言いながらも…)何となくクーラーを家の中で複数の部屋で同時に使うのははばかられて、いきおい居間にカミさんとお籠りするような形になる。

 コロナ禍で街にも行けず、家の中でも二階にも行けずなにやら真夏の囚人のよう。昨日の晩、本が読みたくなって二階の書斎に取りに行ったら、デスクの脇に置いてある温度計は38.4度を示していた。何か火事場にものを取りに来たみたいで無意識に息を止めるような感じで本を手に慌てて階下にもどる。いつもぼくの後をついて回っているハルが一緒に上がってきたのだけれど、お~っと、という感じでUターン。
 
 心も身体もちゃんと夏を迎える覚悟をしなければ…。それも尋常でない覚悟を。ウクライナ戦に伴うロシア制裁の余波で日本も返り血を浴びることになるのだけれど、それの影響が本格化してくるのはこれからなので灼熱だけでなくてこれからの極寒、インフレということも含めて、いろいろと覚悟しておかなければならないことが山積みなのだ。それにしても、暑い!


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