SSブログ

断捨離 昔の写真 [新隠居主義]

断捨離 昔の写真
 
IMG_2089.JPG
 
 1970年5月1日、モスクワ 曇り

 朝、ホテルを出て赤の広場に向かうと、もう至る所に人が溢れかえっていた。ゴーリキ通りとマルクス通りの中間の広場にパレードが人ってくる。そのパレードはやがて赤の広場へと入っていった。

 ぼくを含めて外国人も多い。赤の広場ではイタリア人の太ったおばさんが人ごみの上から写真を撮れとぼくを抱きあげてくれた。彼女は別れぎわにぼくの胸に花を一輪さしてくれた。赤の広場のレーニン廟のお立ち台の中には豆粒のような最高幹部のブレジネフの姿があった。(日記より)

 この年のメーデーは当時のソビエト連邦にとって特別なメーデーだった。レーニン生誕100周年記念の特別なメーデー。モスクワの街は至る所にレーニンの看板と目抜き通りの外灯には赤い旗が付けられていた。東西冷戦のさなかで東側の勝利を誇示するように飾り立てていた。
 

IMG_2046.JPG
IMG_2047.JPG
 
 ヨーロッパなどで撮った昔のネガが沢山あるのだけれど、ちゃんと整理していないのでいつかやらねばと思っていたが、ネガを一枚一枚透かして見ているのも大変だと思っていたら、LED式の安いライトボックス(基本はトレーサーだけど)があったので、その上にネガを置いて画像内容を確認してから後でスキャンしてデジタルアルバムに残すものを選ぶことにした。

 今日そのライトボックスが届いたので早速テスト。中に蛍光灯の入った昔のライトボックスは大きいし結構な値段がしたのだけれど、今はLEDで板のように薄いし何よりもB4判の大きさで2千円ちょっとと信じられない安さ。ライトボックスの上に乗せたネガを、iPhoneやiPadに入れたNEGAVIEWというアプリで覗くとネガがポジ画像になって見えるし、ベタ焼のようにネガを並べた状態で写真も撮れるので少しづつ見て残すものを決めようと思う。画像が荒いのでそのままは使えないけれど内容の確認と言う点では画期的な働きをすると思う。

 ざっと見ていると懐かしい写真が多いけど、すっかり撮った時のことも忘れていた1970年5月1日、モスクワのメーデーの様子が何枚も写っている。その年はレーニン生誕百年記念の特別なメーデーでモスクワの赤の広場は湧き立っていた。クレムリンのお立ち台の上に立ったブレジネフの姿は今でも目に焼き付いている。今のロシアはあの赤い帝国の幻影をまた取り戻そうとしているのだろうか。
 
IMG_2079.JPG
 


j0398879.jpglogo2.gif

nice!(45)  コメント(4) 
共通テーマ:アート

Sampo [gillman*s park]

 Sampo
 
A7R08173.JPG
A7R08185.JPG
A7R08190.JPG

 ベッドの中で、今日は天気は良くないよと囁く声が耳元で聴こえてきて、そのまま寝ていたかったけど、そういう声に耳を貸すとこれからも毎日色々な囁きが聴こえてきそうで慌てて起き上がった。

 今年の夏は酷暑が続き早く終わって欲しいのに晩夏という響きには、何かゆく夏を惜しむような一抹の寂しさがある。晩春や晩秋、晩冬には去り行く季節を惜しむという響きは余りないような気がするけど…。

 まぁ、ゆく夏を惜しむというのは主に若い時の心情かも知れない。ひと夏の甘酸っぱい思い出を残して夏は去ってゆく。でも、この歳になると夏はただただ暑く、秋風が吹く頃やってくるクーラーの電気代の心配を残して去ってゆく。

 ちょっと出遅れて家を出たら街はもう動き出していた。朝はほんの10分位の違いで街の様子は一変する。今日はこれから残暑になる予感。散歩のために作ったSampoと名付けた散歩用のジャズのプレイリストを聴きながら歩く。

 音楽の聴き方も随分変わったものだ。ぼくもやっているけれど、今は好きな曲を自分で組み合わせて(最近はコンピレーションとかコンピとか言うらしいけど)いわゆるプレイリストを作るのが多いらしい。同じようなことはカセットテープの昔からやっているから、さして目新しいとは思わないけど…。

 さらに最近多いのは「斜め聴き」というもので、サビのところまで早送りしてそこをジックリ聴くというもの。音楽だけでなく映画の斜め観、小説の斜め読みもあるらしい。書籍でも一時哲学書など「超訳〇〇」というのが流行って、本屋で立ち読みしてみたこともあるけれど、これで読んだ気になったら実体とは随分違ったものが頭に入っていくことなるんだろうなぁ、と思ったことがある。

 21世紀以降人間が一生のうちに触れるデータの量は等比級数的に増大してゆくので、膨大なデータを効率よくこなしてゆくためには必然的にそういうやり方も必要な時代になっているのかもしれないけれど、音楽や思考が単なるデータの塊として捉えられて良いのかという気もする。

 ぼくも音楽は色々な聴き方をするけれど、例えばジャズでいう「アルバム」という考え方等は大切にしている。ジャズではプレーヤーが自分のリーダーアルバムを作る時には、アルバムのコンセプトを考えそれに沿って選曲、曲順や演奏方法ひいてはジャケットのデザインなども含めて考え抜いて制作している。

 ぼくも家のオーディオ装置でCDを聴く時にはそういう創り方にそれなりのレスペクトを持って聴くようにしている。それはいつもとはちょっと質の変わった至福のときでもある。今またLPレコードが復活しているのは時を駆け抜けるような今の時代へのアンチテーゼなのかもしれない。
 

A7R08193.JPG
A7R08205.JPG
IMG_1218FN.JPG
 


j0318055.gifpark01.gif

 *アルバムという宝石箱
例えば1957年にマンハッタンで録音されたジミー・スミスのオルガンのアルバム「Jimmy Smith At The Organ」は大好きなアルバムなのだけれど、アート・ブレーキーのドラムス、ルー・ドナルドソンのサックスにケニー・バレルのギターとバンドメンバーも凄いのだが、ジャケットデザインが数々の名アルバムのジャケットをデザインしたリード・マイルズで、プロデュースがBLUE NOTEの創始者アルフレッド・ライオンそして録音は当時名をはせたルビー・ヴァン・ゲルダーとアルバム制作自体に当時の熱気を感じることが出来ます。

Jimmy Smith At The Organ Vol.1 (Jimmy Smith Classic Albums.jpgJimmy Smith At The Organ Vol.2 (Jimmy Smith Vol. 2_ Eight C.jpg

nice!(45)  コメント(3) 
共通テーマ:アート

終戦記念日の朝 [gillman*s park]

終戦記念日の朝
 
RXM05509.JPG
 
 月曜日、終戦記念日の朝の散歩。終戦から今年で77年。戦争が終わった1945年の77年前が明治維新。最初の77年で日本は三つの大きな戦争をしてきた。そして次の77年は幸い戦争をしないで済んでいる。これからもそうであるという保証はない。

 夏休みの時期になると、いとこ達とここら辺を遊びまわっていたことを想いだす。叔母のところにはぼくと年の近い三人のいとこ達が居た。実はその上にあと二人のいとこも居たのだけれどぼくは会ったことはない。終戦間際ソ連軍の急な参戦で満州に居た叔母夫婦はロシア兵から逃れて日本に引き上げる途上でその二人の子を亡くした。叔母はその話を一切しなかった。
 
RXM06516.JPG
 

 他の叔父は終戦後長い間ロシアに抑留されていた。その叔父も抑留生活について話すことはなかったけれど、一度だけ酒を飲んだ時に、シベリアの零下数十度のラーゲリ(強制収容所)の中で、朝起きると並んで寝ていた隣の同胞の顔にびっしりと霜が積もって死んでいたという話を聞いた。まだ子供だったので「抑留」という言葉さえよく分からなかったけど、怖い話ではあった。

 母が一番可愛がっていた弟は学徒動員で軍事工場に徴用され過労のため病んで夭折しているが、その話はしたがらなかった。戦争の体験を語り継ぐというけれど、それは本人たちには想い起すだけで耐えきれない程つらい話なのに違いないのだ。個人としては抗うことのできない力で理不尽に奈落に突き落とされた記憶だから。

 そしてそれは終戦によって、唯々他の国の人をも苦しめることに向けられた力だったと知らされた時に二重に負わされた苦しみを抱えることでもあったように思う。はや、公園ではアブラゼミの夏は終わろうとしている。
 
   ■甲高き ラジオの時報 終戦日 (片山由美子)


RXM06347.JPG
 

mukuge.gif  


nice!(43)  コメント(3) 
共通テーマ:アート

目を洗う [gillman*s park]

目を洗う
 
RXM05685RS.JPG
RXM06044.JPG
 
 公園散歩。毎日見続けることによって目の中に消えてゆく景色がある。時とともに、確かに目の前にあるのに無いものになってしまう景色。始めはドキドキしながら見ていたはずの光景が、いつの間にか目の隅に消えてゆく。

 時々は目を洗う作業をしないと、ぼくらの前からかつては光り輝いていたものが光が失せ、そしてやがて消えてゆく。少年たちのあのキラキラした瞳は、初めて見るものに満ちたこの世界に興奮している証だ。

 歳をとると見たことのあるものばかり、白内障で濁った目の底で多くの景色が失われて、見たいものしか見ない時がやってくる。なので時々は目を洗って視点を新しくする必要がある。それでも少年の目を取り戻すことはできないけれど、あの頃は見えなかった、今しか見えないものを探し出して見つめてみることは出来る。下手なんだけど、それでもお散歩写真を撮り続ける意味はまだあると思っている。
  ■犬抱けば 犬の目にある 夏の雲 (高柳重信)
RXM06303RS.JPG
RXM06304RS.JPG
 

mukuge.gif

nice!(45)  コメント(6) 
共通テーマ:アート

蓮華譚 [gillman*s park]

蓮華譚
 
RXM05056RS.JPG
 
 朝、ちょっと出遅れて六時半に家を出たら街はもう動き出していた。今日は冬の間から準備していた池の蓮田に少しづつ蓮の花が咲き始めたのでそこを通り抜ける。

 鈍色の空の下で白い蓮の華が妖艶に光る。蓮の台(うてな)の上では脚の長い蜘蛛のような虫が蠢いていた。仏の手のひらの上で蜘蛛が遊んでいるような。恥ずかしい話だけど結構大人になるまでぼくは睡蓮は同じようなものだと思っていたけど、英語で言えば蓮はLotusだし、水蓮はWater Lillyというらしい。

 蓮は水面の上に葉も花も突き出ているが、睡蓮はモネの絵のように葉も花も水面に浮かんでいる。さらに睡蓮の葉には切れ込みがあるというのが違いだ。蓮は泥水のような濁った水の池から頭をもたげて地上に美しい花を咲かせるので仏教では救済の象徴のようになっている。

 
RXM05605.JPG
 


 育った文化や時代で刷り込まれているイメージというものがあるような気がするけど、その一つに蓮の花のイメージがあって、それはぼくらにとってはやはり仏教に関わるのだと思うけど、何となく優しく心を包み込んでくれるようなイメージをぼくなんかは持っている。

 蓮の花で想いだしたのだけれど、70年代のヒッピーには二つの聖地があって、一つはモロッコそしてもう一つはインドだった。そしてインド派のヒッピーたちが描いていたイメージが強烈な原色に近い蓮の花と強いお香の香りだった。彼らの持ち物にはよく蓮の花が描かれていた。

 思い起こせば、1970年の真夏、アムステルダムの中心部のダム広場はそこで一夜を過ごすヒッピー達で足の踏み場もなかった。インターネットなどなかった時代、彼らはここでインドかモロッコへの道のりの情報交換をして、それぞれの道へ旅立った。何かにうなされたような時代だった。
 

RXM05085RS.JPG
 


mukuge.gif

nice!(32)  コメント(7) 
共通テーマ:アート

新米見習い主夫 半年後 [新隠居主義]

新米見習い主夫 半年後
 
recipeRS.jpg
 
 去年の暮カミさんが銀座で転倒して腕を骨折して料理が出来なくなって急遽ぼくが新米見習い主夫としてキッチンに立つようになって半年ちょっとが経った。いきなりお節料理というのはきつかったけれど、それからはカミさんについて教わりながら先日やっと100メニュー目を作った。

 最初はとにかくご飯味噌汁が最低限できるようにすることが肝心だったけれど、それはなんとか。もちろんもっと欲を言えばその次には、より美味しいご飯が炊けるように、よりバラエティに富んだ味噌汁が作れるようにという段階はあるのだろうけど、それはおいおいと…。

 教わるたびに簡単なメモと後でイメージが湧くように写真を撮っておいたのだけれど、気が付いたらその写真も300枚以上になっていた。毎日というのは、大変なことなんだなぁ。最初は中々手順が頭に入らなかったけれど、そのうちいくつかの共通する作業プロセスが、例えば油で炒めてから煮るなど、そういうことが分かってくると次はこうかなという予想がつくようになるのがありがたい。

アイントップフ02.JPG
 骨折したカミさんの腕も前よりは動くようになって、逆にぼくの右手の腱鞘炎が長引いてしまい最近は二人でメニューを分担して作ることも多い。どうやら味噌汁とか中華系のメニューはぼくの担当になりそう。少し余裕が出て来たのでこの間はドイツの家庭料理であるEintopf(アイントプフ)という具入りスープみたいなものを作ってみた。

 昔、若い頃ドイツにいる時Mensa(メンザ)と呼ばれる大学の学食で一番お世話になったメニューで値段も安かった。アイントップフというのは「一つの鍋」ということだから野菜やソーセージのこま切れを鍋に放り込んで煮たもので、感じとしてはポトフの具を小さく切って作ったような感じだ。カミさんの評判も悪くなかったのでウチの定番メニューになりそうだ。

ナスのグラタン03.jpeg
 
 作っているうちに食べるのとは別に作るのが楽しいメニューも出てくる。今のところナスのグラタンを作るのが気に入っている。失敗が無いのもあるけど、手をかけた料理っぽくてまた家人が美味しく食べているのをみるのが楽しくなるメニューでもある。

 最近は作るのが二回目以上のメニューも増えて来たので少しアレンジを加えてみたり、それで失敗してみたり…。今はCoockPadとかDelish Kitchenとかネット上で動画でも見られる便利なアプリもあるので新しいレパートリーにトライするのも、しやすくなった。昔からスーパーに行くのは好きだったのだけれど、最近はカミさんと行くとメニューを考えながら食材を買うということも少しづつ覚えだした。

 でも、もちろん冷蔵庫を開けて有り合わせのものでいくつかのメニューを組み立てるという上級技はまだできない。今でも毎日の献立はカミさんに決めてもらっているのが現状だけれど…。いつかは、冷蔵庫を開けたら献立が浮かんでくるという風になると良いのだけれど。それに嗅覚もダメだから、いまだに新米主夫の域は出ていない。
 

ナスのグラタンと豚しゃぶサラダ食卓.JPEG
 


北斎漫画01.jpg
Inkyoismlogo.gif
 *メニューの写真はアイウエオ順に並んでいるので漢字の名前の和食がはみ出してしまって入っていませんが、そこそこの和食メニューもやってはいるんですが…。
 

and also...

nice!(48)  コメント(14) 
共通テーマ:アート