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一村の冬 [gillman*s Lands]

一村の冬

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 奄美は今回が初めてで、いつもなら今頃は冬のない沖縄方面に行くことが多いのだ。奄美大島はその沖縄から340キロほど北になるので、ここにはまだかろうじて「冬」と言う概念がありそうな感じがするのだけど…。

 

 鹿児島から沖縄まで約700キロ程あるから奄美はその丁度真ん中にある。その鹿児島には明かに冬があるので、そこから沖縄に向かって南下半ばの奄美にはまだ「冬」のようなものが残っていると言う表現はあながち勝手な思い込みだけではないのかもしれない。

 

 尤も冬と言っても平均気温でも15度ほどあるので東京とは10度近くの差があるが、一方奄美の冬は雨が降る事が多く8日間居た間でも1日のどこかでは雨が降ってたような気がする。その雨は冷たく感じた。

 

 長々と奄美の冬について述べてたのは奄美の画家、田中一村を想う時どうしても晩年のゴーギャンのように南国の画家と言うイメージから入って行きそうなので、必ずしもそうばかりではないと言うことを自分でも現地で感じたからだ。旅の中できっと一村も見、そして感じたに違いない南国の冬の光景を自分も感じとりたかった。

 

 

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 旅の前半も後半も滞在した宿のあった集落から隣の集落に行くにはかなり歩かなければならないし、たいていは峠を越えて行かねばならない。それは今のぼくの脚では無理なので、同じ集落やその周辺を何度も散策する事になるのだけれど、それで飽きてしまうということはない。

 

 同じような場所を数日間何回も時間を変えて歩くたびに、光も変わり、空気も変わる。島の天気は目まぐるしく変わるから一瞬夏のような顔を見せたかと思うと、次の瞬間には墨絵のような世界に引きずり込まれることもある。

 

 一村が好んで描いた蝶は季節的にも今回は見られなかったけど、これも彼が好んで描いたクロトンなどは普通に家の庭先に自生している。ぼくも好きな木なのだけれど東京ではガーデンショップなどで観葉植物として売っている。

 

 そしてぼくはその二つの区別がよくつかないのだけれど、アダンタコの木のシルエットを見るとそれだけで一村のいろんな絵の図柄が頭に浮かんでくる。現実には肌寒いのにそのシルエットをみるともう南国というイメージが沸々と湧き上がってくるから不思議だ。

 

 島の南部の嘉鉄の村の中を、夕刻いつものように何度目かの散歩をしている時、何度もその前を通った一軒の民家の前を通り過ぎ振り返って見たら、冬の夕空にすっくと屹立する一本の蘇鉄が目に入った。残照を受けて微かに茜色を帯びた雲をバックに一本の蘇鉄のシルエットが孤高の様相で立ち上がっている。どこか南国の冬に立つ一村の姿のように見えた。

 

 


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[写真]

夕陽に立つ蘇鉄…嘉鉄の集落には庭先に立派な蘇鉄が植わっている家が何軒かあって夕暮れになるとそのシルエットが南の島の情景を演出している。

区根津の夕陽…泊まった宿は海岸にちょっと飛び出た所にあり、そのベランダから見た夕景は素晴らしい。そのベランダに黒糖焼酎の一升瓶を持ちだして景色を肴に友人としこたま飲んだ。忘れられない一夕となった。

区根津の墓地…奄美のお墓は沖縄の亀甲墓や破風墓のような壮大なものではなく、内地と同じような墓石だけれど、文字が金色で彫られているというのがちょっと異なる。墓地の周りにはクロトンの茂みが見られる。

蘇鉄の花…蘇鉄の花を初めて見たのは石垣島だったが、その巨大さと奇異な形に驚かされた。蘇鉄には雌花と雄花があるらしいのだけれどこれはどちらなのか。花は咲き終わっているみたいだ。蘇鉄の葉のプラスチックのような質感と間から芽を出した他の植物の瑞々しい緑の対比が面白かった。

区根津の海岸…ここの海岸は干満の差が大きいのか潮の満ち引きで海岸線が大きく変わる。潮が引いた後取り残されたボートの緑色と短い冬の晴れ間に顔を出した空の青さのコントラストが美しい。

嘉鉄の海岸…アダンと思しき海岸の木がまさに一村の絵で良く見かける特徴のあるシルエットを作り出していた。
嘉鉄の海岸(パノラマ)…久根津にしても嘉鉄の海岸にしても集落のすぐそばにあるのにこの時期は人と殆ど出会うことはない。
久根津の海岸(パノラマ)…宿の目の前が海岸なので天候、潮の満ち引き、時間による光の変化を楽しむことができた。

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奄美にて… [gillman*s Lands]

奄美にて…

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 例年なら今頃は沖縄に行くことが多いのだけれど、歩けなくなってからここ二年ほどはそれもやめていた。しかし、昨年の秋カミさんと行ったウィーン旅行で平地ならそこそこ歩けるという自信も少しついたので年明けくらいには沖縄に行こうかなとは思っていた。

 そうこうしているところに沖縄や石垣島を何度か一緒に旅行したことがある三十年来の友人から奄美大島に行かないかと誘われた。彼はいわば旅行マイスターみたいなもので、奄美大島も何度も訪れている。奄美大島といえば画家の田中一村が浮かんでくる。前々から奄美大島にある田中一村美術館を訪れてみたいと思っていたので今回はリハビリも兼ねて行くことにした。

 幸い片道2,990円という破格に安いLCCのピーチエアーのフライトがタイムセールで手に入ったので、出発は成田空港8時30分と早すぎるきらいはあるけど頑張ってそれに乗ることにした。もちろん安いには安いなりの理由があるのだが、それは使う人のチョイスということだと思う。手荷物の機内持ち込みは二個まで、さらに合計は7Kgまでと決まっているのでここは考えどころだ。もちろん追加料金を払えばトランクでも預け荷物でも可能だとは思うのだけど色々と面倒くさそうだし、その7Kgの範囲内で持ってゆくことにした。

 東京は大寒を控えた真冬だし、しかも東京と奄美の温度差は10度以上ある。また南国とは言えまだTシャツ一枚というわけにもいかない。結局出発時は着込めるだけ着込んで、奄美ではそれを脱いたり着込んだりして調整することにして、結果は一週間着た切り雀の状態だった。靴下と下着は一度洗濯したけどそれ以外はずっと着っぱなし。座席はめちゃ狭いのだけれど何席かある前が多少広めの席が取れたので(料金790円追加)3時間程度のフライトなら何とか我慢できる。


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 この旅行では出来るだけ写真を撮ろうと決めていった。まだ小型とは言ってもぼくには重く感じる本格的なミラーレスカメラを持ってゆくのはためらわれたので、レンズ交換のいらないコンパクトなミラーレスカメラを持ってゆくことにした。いつもはそんなことはしないのだけれど、今回は撮影のリハビリも兼ねているのでテーマを「南国の冬の抒情」と「旅情」ということにして出来るだけシャッターを切ることにした。

 今回一緒に行った友人との旅のスタイルはいつも決まっている。ぼくもそうだけど、彼もいわゆる観光というものは殆どしないで、数日滞在する宿の周辺をぶらついたり、その他は昼寝と読書。基本は別行動だが、ただし、一つだけお互い決めているのは食事は一緒にしようということくらいか。ということになれば朝以外は食うたびに飲む、ということで今回も地元の美味しい黒糖焼酎をしこたま飲んだ。

 ぼくは今回も平たんな道しか歩かないけど、彼は健脚なので二時間ほどかけて隣の集落まで峠を終えて歩いてゆく。泊まっていたいた集落には食堂がないのである時は一緒に昼食をとるために彼は歩いて峠を越えて、ぼくは一日数便あるマイクロバスのオンデマンド走行の車で隣の集落の食堂で落ち合ったり…。まぁ、言ってみれば好い加減、イイカゲン、どちらの意味でも良い加減の旅だ。

 同じところを一人で何日か歩くと段々と見えてくるものが変わってくる。昨日気が付かなかったものが、あれ、こんなものがと思うこともあるし。写真をやらない人でも見る景色が時間や天気でその光が刻々と変化していることに気が付くのではないか。ぼくはこれが本当の意味での「観光」、つまりその土地の光を観るという意味でもそうではないかと、勝手に思っている。

 今回色々なところでファインダーを覗いてシャッターを押した結果を見ると、抒情というものを撮ろうとするときにどうしてもあの川瀬巴水の抒情的な光景が浮かんでしまう。天気はあまり良くなかったし、現地の人は暖房を入れるくらいだから奄美の冬、という田中一村の極彩色の南国のイメージとはまた異なっている感じがした。沖縄の冬もそうだけれど、外部からきたぼくには現地の人が感じるのはとまた違った冬の抒情があるのだと思うし、逆にもしかしたら島を去った元島民の人が故郷を想って思い起こす光景はあの夏と共にこんな光景でもあるかもしれないと思った。



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[写真]
嘉鉄の海岸に面した庭…夏などは地元のお年寄りなどが寄り集まって寛いでいる場所らしいのですが、今回は誰もいなかったのでここでしばしまったりとさせてもらいました。こちらも年寄りだし…。木々の間から見える海の眺めは天下一品です。
久根津の集落から見た太陽…島の天気は良く変わります、今が照っていると思ったら瞬時に曇って太陽がまるで月のようで…、南国の山の稜線の上にまあるい太陽が浮かんでいます。
嘉鉄の海岸…これから家を建てるらしい平地(ひらち)になった場所の前の海岸で男の人が二人話をしています。
久根津の宿の前の海…凪になると湾内は海面が鏡のようになって波音もなく静寂そのものです。
ほのほし海岸の荒波…ここは打って変わって外洋に面しているので荒波が押し寄せています。ちょっと見ただけでは日本海の海辺のような光景が広がっています。
古仁屋のコーラル橋…二つのアーチを持つとても美しい橋です。橋の中ほどに海に突き出したテラスのような場所があって案内にはデートコースとありました。


IMG_8877.JPG 良い所ですが、ハブが居ます。w
 


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また少しづつ… [Ansicht Tokio]

また少しづつ…

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 一昨年うまく歩けなくなってから、もう長いことカメラを持って歩かなくなった。スマホで記録としての画像は充分撮れる時代になったというのもあるけど、今までやっていた趣味としての街撮りが出来なくなった。

 

 重い一眼レフを処分して軽めのミラーレスデジカメにしたのだけど、それでもやっぱりステッキをつきながらでは中々カメラを持って出る気にならなかったというのが正直なところだ。

 

 リハビリを重ねたお陰で昨年の秋にウイーンに行った頃からなんとかステッキなしで歩けるようになったので今は日本語学校の方も含めて以前の生活に戻すよう努力している。

 

 


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 先週、渋谷に写真展を観に行ったのだがその時本当に久しぶりにカメラを持って出かけた。カメラと言っても小さなコンパクトミラーレスなのだが、使い勝手が良いので気に入っている。

 

 カメラを持って街に出るとやっぱり自分の目線が今までとは違っている事に自分でも気づく。色んな情景に目には見えないフレームを無意識に当てはめて見ている感じがして、ああ、こんな感じだったんだなぁと面白がった。

 

 目の前に広がる取り留めのない現実に「視点」というフレームを当てて現実の一部を切り取って自分の意識の中に取り込んでいく。それによって雑多な現実が自分にとって特定の意味を持つようになるというのが面白いところだと思う。

 

 自分の生まれ育った東京という日々蠢いているこの街を多面的に自分の意識の中に取り込みたいと思うのだけれど、それはホログラムの映像のように常に揺れ動き視点を定めることが難しい。特に都会の情景とは自然の風景とは異なり、無機物と人もしくは人の痕跡が交錯しながら都会の情景を作り上げている。

 

 最近ぼくがその写真集をよく見る、主に都会を写す二人の写真家、Vivian Maier(ヴィヴィアン・マイヤー)とSaul Leiter(ソール・ライター)の写真に於いてもアプローチこそ違うものの人が彼らの写真の重要なファクターであることに変わりはない。

 

 Maierは不躾なくらい正面から、Leiterは少し距離を置いたエリアから…。尤も肖像権意識が異常なほど強い今の日本では特にアマチュアにとってはMaierのように真正面から一般の人を撮ることなどは不可能に近い。かと言って予め許可を取ってニコッとこちらを向いて撮らせてもらっても、ぼくにとってそれは何の意味もない写真になってしまう。

 

 でも元来ぼく自身の人との距離感自体がどちらかと言えばLeiterの距離感に近いので、肖像権の配慮をしながらも都会のファクターとしての人間を入れてその情景を撮っていきたいとは思っているのだけれど、その為にはまずは「脚」と「腕」を鍛えねば…。

 

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昭和チックな良い正月だったが… [新隠居主義]

昭和チックな良い正月だったが…

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 浅草寺の本堂から仁王門を望む


 の喪が明けて初めての正月。のんびりはしたが、どこか気抜けしたような感じもした。二日には親類も集まって新年のお祝いをし、三日には近くの西新井大師に初詣に行った。参拝客の多さは例年通りで本堂に行きつくまで長い時間がかかるのを覚悟していたけれど、毎年の事なので警察などによる整理の方も手馴れてきたのか手際よく思ったほど時間はかからなかった。

 参拝後、人混みの中をのろのろ歩きの状態で境内を進むと、毎年見慣れた屋台風景の中に混じって去年と同じ場所に射的屋が店を出している。ぼくの知る限りもう何十年もの間正月にはこの場所に射的屋がでている。もう令和の正月なのだが、これだけを見ていると何とも昭和チックな正月風景だった。

 正月三が日が明けると天気がぐずついたけれど、9日になって良い天気になったのでカミさんと今度は浅草寺に初詣に行った。平日でも浅草は大変な人出だ。日暮里からバスで行ったのでいつものように雷門からではなく二天門の方から入り先に三社様の浅草神社からお参りした。境内では猿回しが始まったところでしばし見物。

 浅草寺の本堂で参拝してお堂の上から仁王門(宝蔵門)の方を眺めると、お線香の煙がもうもうと立ちあがっている。境内の人々の雑踏の音、本堂から聞こえてくるゴマを焚く読経の声、どれも昔から馴染んだ正月の風景だ。しかし少し耳をすませば聞こえてくるのは殆どが外国語。参道には見るからに安手の派手な着物姿もどれも外国人らしい。皆楽しそうでハッピーでこっちだって決して厭な気持にはならないけど変わったなぁ、というのが実感。ぼくのように毎日ぼーっと暮らしていても、ハッと気が付くと世の中が大きく変わっていることに愕然とする瞬間というのがあるものだ。


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    西新井大師の初詣風景


 見た目は穏やかで昭和チックな正月だったが、世情はイラン攻撃だのゴーンの遁走、カジノの汚職などで波乱の幕開けの予感。時は容赦なく進んでいる。誰もが感じていることだと思うけれどもうここ数年世界の歯車が狂い始めているという不安をぼくも持っている。何か得体のしれない、大人しくじっとして頭を低くくしているだけでは容易に通り過ぎて行ってはくれないような…。

 多くの国で台頭しつつある国家の露骨なミーイズム。わが国でも本来ちゃんと残して歴史の判断に委ねるべき国民の大切な情報が毎日のように抹殺され、官僚が見え透いた嘘を繰り返したり…。人類が貴重な血を流しながら長い時間をかけて少しづつ積みあげて来た民主主義的な思考やシステムが世界のあちこちで綻び崩壊寸前の状態になっている。

 これはきっと短時間で一朝一夕に解決できることではないし、これからもっと大変なことが起きるような気もして、出口が見えない。考えてみるとベルリンの壁が崩壊して東西デタントが起きた頃が歴史のターニングポイントだったように思う。あの出来事で大戦後は西側の勝利ということになったのだが、それは祝福や安堵ではなく皮肉にも傲慢と暴走を招いたように思う。

 それまで西側社会は東側の社会主義に対して、資本主義のその正当性・優位性を主張するために絶えず自己検証を続けてきた。それはある意味で人権意識や公正さや格差是正など今では民主主義の根幹をなす思考を発展させ磨きをかけることにもなっていたと思う。こちら側の社会の方がそっちより真っ当だと言えるように…。

 そのタガが外れたか、それとも比較すべき世界を喪失したからか、みなが夢見た世界は次第に遠のいていったように思う。一握りの金持ちが潤えば、やがてそのおこぼれで下の階層も潤うようになるというフリードマンのトリクルダウンのまやかしにも世界はもう気づき始めている。 と…まぁ、んなこと、なにも正月から考えなくてもいいか。


 ■ 目出度さも ちう位也 おらが春 (一茶)


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浅草神社の猿回し


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謹賀新年 [新隠居主義]

謹賀新年

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 *葉書ベースでは今年で二十年以上続けた「誤変換」年賀状。さすがにネタ切れで以前使ったありネタの使いまわしですが、今年からブログ年賀状にも…。今年も楽しい一年でありますように。

 

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