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また少しづつ… [Ansicht Tokio]

また少しづつ…

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 一昨年うまく歩けなくなってから、もう長いことカメラを持って歩かなくなった。スマホで記録としての画像は充分撮れる時代になったというのもあるけど、今までやっていた趣味としての街撮りが出来なくなった。

 

 重い一眼レフを処分して軽めのミラーレスデジカメにしたのだけど、それでもやっぱりステッキをつきながらでは中々カメラを持って出る気にならなかったというのが正直なところだ。

 

 リハビリを重ねたお陰で昨年の秋にウイーンに行った頃からなんとかステッキなしで歩けるようになったので今は日本語学校の方も含めて以前の生活に戻すよう努力している。

 

 


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 先週、渋谷に写真展を観に行ったのだがその時本当に久しぶりにカメラを持って出かけた。カメラと言っても小さなコンパクトミラーレスなのだが、使い勝手が良いので気に入っている。

 

 カメラを持って街に出るとやっぱり自分の目線が今までとは違っている事に自分でも気づく。色んな情景に目には見えないフレームを無意識に当てはめて見ている感じがして、ああ、こんな感じだったんだなぁと面白がった。

 

 目の前に広がる取り留めのない現実に「視点」というフレームを当てて現実の一部を切り取って自分の意識の中に取り込んでいく。それによって雑多な現実が自分にとって特定の意味を持つようになるというのが面白いところだと思う。

 

 自分の生まれ育った東京という日々蠢いているこの街を多面的に自分の意識の中に取り込みたいと思うのだけれど、それはホログラムの映像のように常に揺れ動き視点を定めることが難しい。特に都会の情景とは自然の風景とは異なり、無機物と人もしくは人の痕跡が交錯しながら都会の情景を作り上げている。

 

 最近ぼくがその写真集をよく見る、主に都会を写す二人の写真家、Vivian Maier(ヴィヴィアン・マイヤー)とSaul Leiter(ソール・ライター)の写真に於いてもアプローチこそ違うものの人が彼らの写真の重要なファクターであることに変わりはない。

 

 Maierは不躾なくらい正面から、Leiterは少し距離を置いたエリアから…。尤も肖像権意識が異常なほど強い今の日本では特にアマチュアにとってはMaierのように真正面から一般の人を撮ることなどは不可能に近い。かと言って予め許可を取ってニコッとこちらを向いて撮らせてもらっても、ぼくにとってそれは何の意味もない写真になってしまう。

 

 でも元来ぼく自身の人との距離感自体がどちらかと言えばLeiterの距離感に近いので、肖像権の配慮をしながらも都会のファクターとしての人間を入れてその情景を撮っていきたいとは思っているのだけれど、その為にはまずは「脚」と「腕」を鍛えねば…。

 

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