SSブログ

日本人の質問 黄犬忌 [にほんご]

日本人の質問 黄犬忌

IMG_9165.JPG

 2月24日ドナルド・キーンさんが亡くなって丸一年になる。養子のキーン誠己(せいき)さんがこの日を「黄犬忌(キーンき)」と名付けたらしいが、これはキーンさんが生前から自分の署名に黄犬(キーン)を良く使っていたかららしい。いつもはぼくの敬愛する人の命日にはブログの左にあるサイドバーで「I remember...」というタイトルで書いているのだけれど、今回は本編の中で少し自分の体験とあわせて書いてみたい。

 ぼくの好きなドナルド・キーンさんの著書に「日本人の質問」というのがあって、昔新書版の本で読んだことがある(二年前くらいに文庫版で再出版されている)。元原稿は多分30年以上も前に書かれたものだから今とは状況も違っているかもしれないが、留学生たちの話を聞いているとキーンさんの書いたことと同じようなことが今でもあるみたいで面白い。

 留学生たちが日本に来て必ず聞かれるのは「納豆は食べられますか?」「お寿司は好きですか?」「生卵は大丈夫?」「皆と一緒に温泉に入れますか?」「日本語は難しいですか?」等など。キーンさんも本書の中で「…日本人でも刺身を食べない人がいるのに、私に「お刺身は無理でしょうね」と尋ねる人は、変な日本人の方には関心を持たないようである。…」と言っている。

 また彼は日本人にあまりうるさく「食べられないものはないか」と聞かれたら「ワニの卵が嫌いです」とか言いたくなる時があるとも…。まぁ、日本人の方は話のとっかかりの一つとして聞いている面もあるのだけれど、のべつ幕なしに同じような事を聞かれる方にとってはたまらないかもしれない。ましてやキーンさんのように日本に何十年も住んでいて、日本文化に関する知識もそんじょそこらの日本人にはかなわないような人にとっては尚更である。

 ぼくが以前大学で日本語教室の社会人クラスを担当していた時も、もう長いこと日本に住んでいる外国人の受講生もいて同じようなことを言っていた。そんな時どういう風に答えているかが興味もあったので、何人かの受講生たちと話してどんなことを聞かれたかメモしてみた。極めて個人的な質問もあったけれど、そういうものを除くとやはり食べ物に関してが多い。あとは自分の国の事とか、日本で驚いたこと、行きたい場所など等…。

 そういった質問を30個くらいカードにして、各々の項目を複数枚つくり全部で60枚くらいの「日本人の質問」カードを作った。遊び方はいろいろあるけど、その時は授業の前にいわゆるアイスブレイクという時間をとってその時の話題とか、今週はどうでしたか、とか軽い会話をして場の緊張を解いてから授業に入るのだけれど、学生から中々言葉が出てこない。そこで授業の初めにこのカードを一枚づつひいてもらって、その質問に答えてもらうということにした。

 最初はどんな質問が出るかかえつて緊張していたけれど、大体は以前聞かれたことがあるのでバスする学生は少なくなった。また他の人の答えに対して自分はこう答えたとか会話の広がりも出てきたことを覚えている。今はあまり使っていないが、今度初めての学生の自己紹介の時に各自一枚ひいてもらうというのをやってみようと思っている。まぁ、キーンさんはもうたくさん、と言っているかもしれないけど…。


日本語.gif


ドナルド・キーンさんの日本文化に関する著書の中でも比較的読みやすく、日本人が自分の文化を見直す良いきっかけになりそうな本で「日本人の質問」以外にも下記の本が特に面白かった。(すべて文庫本)

■「日本語の美」…ぼくらがもう忘れてしまった、日本語が現代日本語にたどり着くまでに特に明治時代以降に起きていたことや、Ⅱ部ではキーンさんの広い交友の中での人物像なども語られていて興味深い。

■「果てしなく美しい日本」…元は英語で書かれたものを訳者が翻訳している。キーンさんのかなり初期の著書で第一部はLIVING JAPANといういわば日本文化史的な内容であり、二部は世界の中の日本文化と題した日本文化論的エッセイで生涯変わらなかった彼の日本への愛の原点のような著書。読みごたえがある。

■「日本人の美意識」…中世からの日本文学や演劇に造詣の深いキーンさんの目から見た日本文化、そしてそれが明治以降にどう変質していったかという洞察も興味深い。そして日本人が持つ曖昧性に根付いた美意識など、指摘されて初めて思い当たる点もあり、これも読み応えのある本となっている。


415PX--LZ7L.jpg sim.jpg 6179G656VGL._SX335_BO1,204,203,200_.jpg 203400.jpg



[もう少しだけ…]
 
 キーンさんは「日本人の質問」の中でこう言っている。「…口に合わないものを外国人に食べさせたくないと思うのは、日本人の親切心のあらわれと思われるが、その裏には「日本の特殊性」という意識が潜在している…」と日本人の特殊主義のようなものを見抜いている。

 例えば「日本語は難しいでしょ」と言うが、世界には東欧系の言葉のように難しい言語は沢山あるのだけれど、本当の日本語は外国人には無理だと思っている。歌舞伎にしたって、能にしたって会場で外国人を見かけると何の根拠もなしに「わかるのかしら…」なんて思ったりして。

 もちろんそんなことはぼくら日本人がドイツのバイロイト音楽祭に行けば、日本人にワグナーが分かるのかみたいな反応には会うので、言わば「文化の血の驕り」みたいなのはどこの世界にもあるのだけれど、それが日本には強いように思う。この「特殊主義」みたいなものは民族のアイデンティティとは少し違って、とにかく日本文化の多方面で自分たちは特殊で他からは中々理解されにくいという信仰みたいなものがはびこっているような気がする。

 例えばドイツで言えば勿論ドイツなりのアイデンティティはあっても、その底流に西欧文明というものへの心理的なしっかりとした親和感みたいなものがあるのだけれど、それでは日本に中国文明に対するそういった親和感が今あるかというと、それは中々素直に認めたがらない心理が働いているらしい。難しいことはよく分からないけど、どうもそうなったのは日清戦争以降で、それ以前は文化人たるもの教養の基本はヨーロッパ人にとってのラテン語のように中国文化だった。(逆に日本文化は中国文化の亜流だと自虐的に言う日本人もいるが、それにもキーンさんは異をとなえているが…)

 そこらへんはキーンさんも「日本人の美意識」の中で少し触れている。さらに日本文化の特殊性ということについてキーンさんはそれを認めつつも、日本人が世界と分かり合える道筋を「特殊性の中にある普遍性」という言葉を示してぼくらに勇気を与えてくれているので、少し長いけれど引用をしておきたい。それはぼくにとって生涯の珠玉の言葉となっている。

 「…日本の全てが西洋を逆さまにしていると書きたがる旅行者は現在でもいるし、一方で日本の特殊性を喜ぶ日本人も少なくない。
 
 が、私の生涯の仕事は、まさにそれとは反対の方向にある。日本文学の特殊性---俳句のような短詩形や幽玄、「もののあはれ」等の特徴を十分に意識しているつもりだが、その中に何かの普遍性を感じなかったら、欧米人の心に訴えることができないと思っているので、いつも「特殊性の中にある普遍性」を探求している。

 日本文学の特殊性は決して否定できない。他国の文学と変わらなかったら、翻訳する価値がないだろう。日本料理についても同じ事が言える。中華料理や洋食と違うからこそ、海外において日本料理がはやっている。が、いくら珍しくても、万人の口に合うようなおいしさがなければ、長くは流行しない。納豆、このわた、鮒鮨などは日本料理の粋かも知れないが、日本料理はおいしいと言う時、もっと普遍性のある食べ物を指している。…」
 (「日本人の質問」)

nice!(47)  コメント(5) 
共通テーマ:アート

Tokyo Blue [Ansicht Tokio]

Tokyo Blue

DSC01018.JPG

 ■ あどけない話
 智恵子は東京に空が無いという
 ほんとの空が見たいという
 私は驚いて空を見る
 桜若葉の間に在るのは
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ
 智恵子は遠くを見ながら言う
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとの空だという
 あどけない空の話である。
  (高村光太郎)

 歳をとってから冬は苦手になったけれど、東京の冬の空は大好きだ。都心に出るためライナーを待っている間、駅の壁の隙間から覗く東京の空は素敵だ。雲ひとつない晴天という言葉があるけど、ぼくはサッと刷毛ではいたような、或いはポッポッとアクセントのように雲のある青空の方が好きだ。

 

 高村光太郎の詩によると智恵子は東京には空がないという。この詩の詠まれたのは昭和の初期だがその頃でも地方に比べれば東京の空は汚れていたというのはわかるような気がする。もちろんその頃のことはぼくには分からないが安達太良山の上の空はずっと青かったのかもしれないけれど、東京の青空は時代を映して紆余曲折を経ている。

 

 ぼくが物心ついた頃覚えているのは、近所の原っぱから見上げた冬の日の抜けるような青い東京の空だ。戦争、そして東京大空襲で焼け野原になり全ての生産的な施設も失った東京の上に広がっていたのは紛れもなく青い空だった。しかし、それはやがて経済復興、高度成長の進展と共に小津安二郎の映画「東京物語」に出てくるような下町の上に広がる灰色の空に変わっていった。

 

 東京が青空を取り戻すのには大分時間を要したし一筋縄ではいかなかった。環境汚染対策や環境保護技術の進展もあるけどやはりバブル崩壊もその要因になっているかもしれない。それに脱化石燃料の動きも寄与しているのだろうけど、それは一方で原発問題を引き起こしてもいる。さまざまな想いを映して東京の空は正直だ。今、ライナーの車内から眺める東京の空はTokyo Blueに染まって眩しいくらいだ。今のうちにスマホから目をあげてこの青空に浸っておこう。

 

 ■ 冬青空 わが魂を 吸ふごとし (相馬遷子 「山河」)

 


DSC01022.JPG


j0079069.gif
AnsichtTokio01.gifBlue Heaven
もうすぐ…
荒川土手

nice!(40)  コメント(5) 
共通テーマ:アート

mask [新隠居主義]

mask

IMG_9116.JPG

 新型コロナウイルス(COVID-19)が何か大変なことになってきた。あのサーズ(SARS)の時の騒ぎでその時色々な教訓を各国の政府も役所も社会も学んでいたはずなので今の事は想定内のはずなのだが…、毎日のように想定外みたいな事が起きている。大体今回の感染拡大は発生時点から不可解なことが多く、またしても世界にリスクをばらまいてしまった国の政府の責任は重いと言わざるを得ない。

 そんこなことボヤいていても始まらないので、みんな自己防衛に走り薬局にはマスクはないし消毒グッズもなく、医療機関でも不足するなどの事態に陥っているらしい。ウチは秋と春にぼくの花粉症があるのでマスクは常時2箱は常備している。こういう時あの相田みつをの「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉を思い出す。普段から日用品については必要な時必要なだけ+α(流通備蓄)を心がけているのだけれど、こうなるとこの+α分がどこまで持つかはいささか心もとないけど、外出を控えるなどで対応しようと思っている。

 昨日久しぶりに山手線に乗ったら、当然ぼくもマスクをしていたけど、車両の中はマスクマンで一杯。自分でも着けていてなんだけど、やっぱり異様な雰囲気。日本以外でも台湾や中国ではマスク姿は珍しくはないけけど、欧米の人が街なかでマスク姿を見るとギョッとするらしい。今、山手線に乗ったらさぞ驚くだろうと思う。

 大体マスクは英語ではmask、ドイツ語でもMaskeというけれど、そのマスクといえばそれは普通顔を隠すもので、仮面舞踏会などのいわば仮面を意味するらしい。日本語で言うマスクは英語ではsurgical mask(外科医のマスク)とかface maskとか言うらしい。ドイツ語ではMundschutz(口を守るもの)でやっぱり特殊なものという感じがする。これからこの感染騒ぎがどういう展開になるか一向に先が見通せないが、何とか一日も早く終息してもらいたいものだ。

 ■ 怒りゐる ことがありあり マスクの目 (遠山みよ志)


shose.jpg


eyej0236233.gifInkyoismlogo.gif

nice!(49)  コメント(8) 
共通テーマ:アート

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~

IMG_5567.JPG



 ■ きみはぼくの猫、そしてぼくはきみの人間。 (ヒレア・ベロック)
  You are my cat and I am your human. (Hilaire Belloc)


 この二月でアメショーのハルがウチに里子で来てからちょうど二年になる。来た時が二歳だから今四歳ということだ。ハルの里子の話があった時は随分と迷った。今まで何匹も猫を飼ったけれど、子猫で来てもみんなあっという間にぼくの歳を追い越してあっちへ行ってしまう。今までは…。

 ところがぼくも気が付くと七十を過ぎて、これから子猫を飼うとひょっしたらこちらの方が先に行ってしまうかもしれないという状況になってきた。と、いろいろ考えたのだけれどずっと最後までハルの面倒をみるのもこちらのボケ防止やら生きる励みになるかもしれないということで引き受けることにした。

 ハルは今でも目の病気やアレルギーなど医者通いはあるものの元気いっぱい毎日暴れまわっている。そのハルとも最近やっとお話が出来るようになった。ぼくもハルのしたいことが分かるし、向こうもこちらの言うことが分かるようになってきた。



IMG_7923.JPG


 ときたまハルがぼくの顔を覗き込むことがあるのだけれど、そんなときは冒頭のベロックの言葉のように「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」だね、一緒に歳をとろうねという思いでハルの頭を撫ぜてやる。ベロックがこの言葉をどういうコンテクストで言ったのかは残念ながら分からないけど、彼は奴隷国家について考察を巡らせ、思考を深めた人なので猫とヒトは対等な立場としてとらえた言葉なのかな、と勝手に思ったりしている。

 動物の中には牛や馬や豚や羊など、いわゆる経済動物とみなされている動物もおり、それらは決して対等ではなくヒトに隷属的な関係に置かれている。もちろんペットだって冷徹にみればヒトと対等ではないかもしれない。ウチの猫たちみたいに長生きしてもらいたいと思って家の外には出さないことだって、彼等の意に添っているか分からないし、飼い主が餌をあげなければ餓死してしまうに違いないのだから。

 しかし、人間の他人同士でもそうかもしれないのだけれど、長いこと一緒に暮らすということは生き物同士の間に何らかの情緒的な絆をもたらすということもあながち否定することはできないと思う。今まで何匹もの一緒に暮らした猫たちを見送った時も、その時頭に去来するのは一緒に過ごした温かい時間とそのことへの感謝だった。

 ということで、今日も対等でありつつも、時には猫たちに叱られつつ、恐らくはヒトと猫の双方にとって幸福な誤解と容認に基づく関係の中で「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」と呟きながら穏やかに一緒に暮らして行きたい。



IMG_6130.JPG



cute-kitty-animated-gif-23.gifimage.gif02.gif



nice!(52)  コメント(7) 
共通テーマ:アート

日常という冒険 [gillman*s Lands]

日常という冒険

DSC00977rsSM.JPGDSC00606rsSM.JPG

 奄美最後の一日は島の北部に移動して空港にも行きやすい名瀬の港に泊まった。今までの風光明媚な村落からフラッと来ると素っ気ないくらい何もない港町。何もないというのは生活感以外は、観光的なものなど何もないという意味。でも、その何もないのが良い。街に生活感のある日常があふれているのが良い。ぼくもどこへ行ってもスーパーを覗くのが好きなのだけれど、やはりスーパー好きの友人とイオンで部屋飲み用の酒を買って、時折雨のぱらつく街をぶらり一周りして、ファミマで温かいコーヒー買って前の埠頭に腰掛けて港を見ながら黙って飲んだ。さて、夜は何処で飲むかだ。


IMG_8727.JPGIMG_8644.JPG
IMG_8974.JPGIMG_8689.JPG
IMG_8805.JPGDSC00656.JPG
DSC00752rs.JPGIMG_8845rs.JPG


 自分にとっては二種類の旅があるような気がする。ひとつは「しに行く」旅そしてもう一つは「しない」旅。「しに行く」旅は美術館を観たり、音楽を聴いたり(最近はたいていは、このどちらかなのだけれど…)それか特定の土地を観たいとか何か行動的目的を持ってする旅。若いころは自分を旅へと駆り立てていたのは美術や音楽というよりは、異国の土地への憧れといったものが強かったように思う。

 そしてもうひとつの「しない」旅はそういった目的もなくする旅で、その旅自体殆ど必要性がなさそうな旅。もうリタイアして久しいからバカンスに象徴されるような日常のストレスや忙しさから逃避する必要もないし、かと言って頭の中にリゾートしたいといったような贅沢な感覚もない。

 基本は今の日常が好きなのたけれど、ただ何となく寝たり、起きたり、食べたり、呑んだり、読んだり、歩いたりという日常のパッケージをいつもと違う環境や土地に適用してみたいという欲望のようなものかもしれない。日常という冒険。心の何処かではそれによる何らかの化学反応も期待しているのだろうか。

 でも、これをやるのは言うほど楽じゃない。金銭的な制約があるし、持ってゆくものだって限られてしまうけど最低限の日常パッケージは欠かせない。それに何処でも良いということではなくてできるだけ今と環境の異なる処で非日常的な日常を送りたい、そう言う場所を見つけるのが結構大変なのだが…友達に教わることも多い。遠い所、出来れば外国が良いと思うのだけれど中々見つからない。今のところ沖縄がそんな感じだけれど、今回の奄美もそんな要素がある。


DSC00678rsSM.JPG
IMG_8856rs.JPG


 大島海峡。「海峡」と言う言葉を聞くともうそれだけで、ちょっとウルッとくる。高校生の頃初めての列車旅、青函連絡船で津軽海峡を渡った。そして若い頃、船でソ連に向かった時も津軽海峡を渡った。その後アフリカに渡るときに夢にまで見たジブラルタル海峡を渡ったこと…。友人の実家でクリスマス休暇を過ごすために渡ったドーヴァー海峡。リタイアしてノンビリと渡ったボスポラス海峡等など。海峡に想いを馳せて。



Ryuuguu.jpgLandBW.gif


[写真]
名瀬の港…港の巨大なケーソン基地を眺めながら。
加計呂麻島に渡る海上タクシー…住民の足となる数人乗りの小さなボート。
島の黒糖焼酎「龍宮」…口当たりが良く友人と二人で二日で一升瓶を空けた。
島の豆腐屋さんの朝定食…揚げ出し豆腐、ピーナツ豆腐、くみあげ湯葉などの朝食プラス山芋豆腐、くみあげ豆腐などのバイキング付き。900円。
名瀬の飲み屋さん「木の花」 屋仁川通り(やんご通り)のお店。豚骨や地元のおでん、もずくの天ぷらなど郷土料理が美味しかった。女将さんや旦那も気さく。
古仁屋の魚屋「あま海」店内で…那覇の「節子鮮魚店」のような店内でも食べられる魚屋さん。黒マグロを食べた。
加計呂麻島の野見山のイノシシ焼肉…友人が以前泊まった宿のオヤジさんはマタギで自分で獲ったイノシシを焼肉で食べさせてもらった。
野見山のマタギのオヤジさん…加計呂麻島で獲れるイノシシは琉球イノシシといって内地のイノシシよりは大分小型のイノシシらしい。
清水(せいすい)のイタリアンレストラン「真寿」のテラスから…泊まった宿のある嘉鉄の集落から峠を超えた隣の集落にあった小さなお店。海に面したテラスからは海峡を行きかう船が見える。
同店のピザ…本格的な窯で焼いたピザは美味しかった。
フェリーで大島海峡を渡る…短時間の航海だが旅情のある風景が見られる。
清水のレストラン店内から海峡を覗く…ここから見る海峡の眺めは本当に素晴らしい。天下一品だ。


 *気ままな旅をしているようでも歳ですねぇやっぱり疲れが出たのか東京に帰ってくるなりインフルエンザに罹ってしまい寝込んでしまいました。そうなるとやっばりウチが良いなぁと思ったり…。いつまで日常パッケージを背負いこんで旅ができるか、考えどころではあります。w


nice!(47)  コメント(3) 
共通テーマ:アート