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香りの復権 [新隠居主義]

香りの復権

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 嗅覚はもう長いことゼロの状態が続いていた。前にも書いたことがあるけど、嗅覚がゼロということは日常生活においてガス漏れや失火などに気づかないで大事に至るというリスクもあるけれど、ぼくにとってはそれ以上に日常のいろいろな局面において現実感が無いという点で心理的なストレスが大きい。

 旅行に行っても、例えば海外であればその国独特の匂いというものがあって、それはその国の空港に降り立った時からその香りと共に旅が始まっているという意識があった。ところが先年カンボジアのマーケットを訪れた時も目と耳ではその市場の喧騒が充分感じられるのだけど、その光景からするときっと強烈な匂いがしているはずなのに何も匂ってこない。それはまるで他人事の映画のシーンを観ているように現実感が欠けている。

 この間ウィーンを訪れた時も、若い時にリング通りのあの地下道で早朝感じた焼き立てのパンの匂いも実際には感じることはなかった。でも、不思議なことに脳はその時の記憶を覚えているらしく、そこを通り過ぎた瞬間頭の中をその香しい香りがよぎっていった。

 去年、母が亡くなる直前一時嗅覚が戻り始める兆しがあった時期があったのだけれど、多分ストレスと疲労のためらしいのだけれど、それは短時間で幻のように消えてなくなった。そして今年になって新たに転院した病院で三度目の手術を勧められてこれが最後というつもりで受けることにした。それは嗅覚をとりもどすというよりは医師の話では鼻腔内の状態自体が悪化しているためだった。嗅覚自体は戻らないかもしれないとは言われていた。

 結局今年の6月に手術を受けてそれ以来経過をみていたがなかなか嗅覚は戻らない。それでも嗅覚のリハビリとステロイドによる治療を続けていたら夏の終わりごろに少し匂いを感じるようになった。といっても匂いの種類はリハビリに使っているラベンダーなど数種類のみ。生活上で感じるはずの匂いは殆どゼロに近かった。

 それでも諦めずに治療とリハビリを続けていたら、この秋に友人といった旅行の際、ホテルの部屋のコーヒーメーカーでコーヒーを入れてみた時突然コーヒーの強い香りを感じた。ほんの数秒間だけど今までになかったことだ。今もステロイド治療とあわせて毎朝数種類のアロマとワインジャーナリストのAさんに頂いたソムリエも使うという40数種類のワインを構成するアロマのカプセルを使ってリハビリしている。

 もっとも今も感じられるのは数種類のアロマとコーヒーやカルキの匂いなど特定の匂いでそれも持続時間はせいぜい数秒間。嗅覚がもどっても多分正常な嗅覚を100とすれば1~5くらいだろうけれども、医者も言うように「0」と「1」との差は天地の差がある。複雑な香りは最終的にも分からないとしても、それは良しとしなければならない。最近はしまい込んでいたコーヒーの道具を持ち出して毎朝一杯入れて飲むのが嗅覚のリハビリに加わった。全く香りがゼロの朝もあるけど、その日の嗅覚の調子のテストでもある。またゼロに戻らないことだけは祈っている。


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 *今わかるのはコーヒーやお香、ラベンダーや水道水のカルキ臭など比較的強くて特徴的な匂いですが、何故かカレーの匂いは全く分からなかったり逆に微かなお茶の香りが分かったり一筋縄ではいかないようです。

 ワインの香りはたぶん一番難しい部類の香りだと思います。ワイングラスの中に鼻を突っ込むと香りの存在を感じることができますが、焦点がボケた画像のようでどういう香りか判別はつきません。40種類を超すワインのアロマのカプセルはまだもちろん全戦全敗で香りの感知はゼロです。いつかは一つでも判るようになるといいのですが…。

 **コーヒーはその日の嗅覚の状態のバロメーターみたいなものです。ゼロの日もあれば比較的はっきりしている日もあります。沸騰したお湯を鉄瓶に移してドリップすると、温度も良くマイルドになるような…気がします。

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チェコのクリスマスミサ [新隠居主義]

チェコのクリスマスミサ

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  東京の洗足にあるカトリック教会で行われるチェコのクリスマスコンサートに今年も行った。なんでチェコかというと、ドイツ時代にお世話になった元駐チェコ大使にお声をかけて頂いて以来毎年今の時期を楽しみにしている。手作りのコンサートという感じがいかにも温かく好きだ。

 その日の演目はチェコの作曲家ヤクブ・ヤン・リバの「チェコのクリスマスミサ」がメインプログラムだ。合唱がラテン語でなくチェコ語というところがいい。チェコの民俗的メロディも多くドイツ系のミサ曲とは一味違っている。もっともぼくはラテン語もチェコ語も分からないけど…。

 クリスマスミサ曲の前に目黒学園合唱部の学生さんたちによるクリスマスキャロルが披露されたけれど、本当に清浄な歌声が教会の中に響き渡って、大昔にアルバイトで全国を公演旅行した時に聴いたウィーン少年合唱団の歌のことを思い出してしまった。

 リバのチェコのクリスマスミサ曲を聞くのはもちろん初めてだけれど、キリエ(Kyrie)、グローリア(Gloria)に始まる9つのパートからなり変化にとんだ展開で合唱部分はもちろんチェコ語だから合唱は殆どが日本人なので覚えるのに大変だったろうと思う。

 ソリストのパートには男女4人のプロの声楽家が入っていたけれど、彼らにしてもドイツ語やイタリア語などの声楽曲はお手の物だろうけどチェコ語となると話は別だ。ぼくは東ヨーロッパ系の言葉は難しいという漠とした概念を持っているので楽譜を見ながらとはいえ大したものだと感心した。

 最後は出演者と会場の聴衆を含めて「しずけき真夜中(きよしこの夜)」を歌う。歌詞は日本語、ドイツ語そしてチェコ語の順に歌うので本番の前に皆でチェコ語部分の練習をしたのだけれど、当然全然歌えない。

 以前は教会内は撮影は禁止だったのだが、今年から最後に皆で合唱する「きよしこの夜」の時だけは撮影がOKになった。SNSに載せるのもOKという。これも時代の流れかな。安らかなひと時だった。


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落 葉 [新隠居主義]

落 葉

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 ■落 葉」 ポール・ヴェルレーヌ 
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
    (上田敏訳 「潮海音」より)


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 枯葉の季節になると上田敏の訳したこの「落葉」を想い出すけれど、最初はヴィオロンがヴァイオリンのことだとは知らずに口調が良いので何となく詩全体をそらんじていた。確か映画「地上最大の作戦」の冒頭のシーンだったと思うのだけれど、フランスのレジスタンスがノルマンディー上陸作戦の決行の合図を待ってラジオに聞き入っている時この詩が流れてきたのを覚えている。

 それはレジスタンスに向けての上陸作戦決行の合図だったのだけれど、それにヴェルレーヌの詩が使われるなんて粋だなぁ、と思った。上田敏の訳は調子も良く実にリズミカルだけど、要は今でいう「超訳」みたいなもので必ずしも原作に忠実ではないらしく、それ自体を一つのすばらしい新たな作品と考えても良いのだと思う。内容的には金子光春の訳のほうを読んで、あぁそういうことかと、かなりはっきりと理解できたのだけれど、それでぼくの中の上田敏の訳の評価が下がったというわけではない。


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 ちょっと晴れ間が出たので、ひさしぶりにスマホとミラーレスカメラをもって散歩にでた。いつも行く近所の公園ではなくて、反対側にあるやはりすぐ近くの公園にイチョウを見に行く。こちらの方が近いので歩いて行きやすいということもあるけれど、毎年ここのイチョウ並木のイチョウが見事に黄葉することを思い出したからだ。

 昨日の雨で大分葉が散ってしまったけれどまだ何とか…。イチョウ並木の隣が工業高校になっているので、時たま学生が自転車で通るのだけれど…。平日の10時くらいなのに何をしに行くのだろう。かと思えば、オジサンがビールらしきものを飲みながら自転車で通り過ぎてゆく。

 日常のなんでもない風景が自分の前を当たり前のように過ぎ去ってゆく瞬間が何とも愛おしくて、楽しい。やっとカメラを持って少し歩けるようになったので、また少しづつ持って歩こうと思う。

    ■ 敷きつめし 銀杏落葉の 上に道 (池内たけし)

 

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 今の時期の曲の定番と言えば「枯葉」。晩秋になるともう耳にタコが出来るほど聞かされた曲だけど、アレンジを楽しむ余地はまだまだある。そんな中でも正統的で大人の雰囲気があり深く心にしみる「枯葉」の一曲がデ・フランコのクラリネット。彼のアルバムThe Artistry Of Buddy De Franco(1954)の中に入っている一曲。

 アート・ブレイキー等とのカルテットを解散しソニー・クラーク達との新しいカルテットで吹き込んだLP。この中では何と言っても5曲目の「枯葉」が最高。枯葉はいろんなアーティストが演奏しているがぼくはBill EvanceそれにWynton Kellyの枯葉と並んで彼のこの演奏が大好きだ。

 DeFrancoのしっとりとしたクラリネットに寄り添うようなSonny Clarkのピアノもたまらない。アルバムタイトルの「Artistry=腕前、技巧」というところにもDeFrancoの意気込みが感じられる。12月はデ・フランコの祥月命日の月でもあるので…。

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[personnel]
Buddy DeFranco (cl)
Sonny Clark (p)
Gene Wright (b)
Bobby White (ds)


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