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猫免疫 [猫と暮らせば]

猫免疫

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 コロナの外出自粛で考えてみたらもう三月ちかく電車に乗っていない。というよりは天気のせいもあるが散歩などの外出も殆どしていないことに気が付いた。といっても、ぼく自身にとってはそれでストレスが溜まるとか、退屈するということは全くないのだけれど、毎日室内でストレッチなんかはやっているにしてもやっぱり足腰が弱るような気がしてそれだけは気がかりではある。

 こういう時に犬でも飼っていれば犬にひかれて散歩ということになるのだろうけど、猫を連れて散歩というのは一度だけ目にしたことはあるけど、あまり現実的ではないので天気の良いのを見計らって一人で散歩に行くしかないのだが…。

 ぼくは家にいても録画したもの以外テレビはほとんど見ないのだけれど、やっぱり食事のときとかカミさんと昼や夕方のニュースショーなどを観るのと、そのたびにイライラがつのるばかり。それが主なストレスのもとか。まぁ、原因は色々あるのだけど、それをいちいちあげつらうとそれだけで免疫力が下がりそうな気がして…。

 そういう時は猫の頭を撫ぜるのが一番気が落ち着くし癒しにもなっている。それなんか正に猫免疫とでも言おうか、ぼくにとっては恐らくどんな薬よりも免疫力を高めてくれていると思う。今後とりあえず感染スピードが落ちてきても周辺から新型コロナウィルスが居なくなるわけではないので、いわゆる「新しい生活スタイル」で生活しなければならないというわけで、ぼくら年寄りには外に出ないのが一番という現実は当分変わらないようだ。

 そんなジイさまの一人で日本語学校のボランティアをやっていた知人から先日電話があって、毎日家にいて退屈なので猫の絵でも描きたいからお宅の猫の写真を送ってほしいという依頼があった。その方が絵を描くというのはついぞ知らなかったので意外だったが、そういえば無類の動物好きで区の子供動物園でボランティアで動物の世話をしていたということは伺っていた。

 そこでウチの猫たちの写真をメールに添付して何枚か送ると、気の向いたときに少しづつ描くのでいつになるかわからないけど、忘れた頃出来たらお知らせしますという返事が来た。それからほんとに随分経って忘れはしなかったけどメールが来て、それに何枚かの絵が添付されていた。

 それはスケッチブックに色鉛筆で描いたウチの猫たちの絵と一緒になぜかラッコだのウサギだの他の動物たちの絵も描かれていた。きっとご自分の好きな動物なのだと思う。それよりも意外だったのは描かれた絵の猫たちをはじめその色合いや表情の優しく可愛いいこと。

 年齢的には多分ぼくより少し年上位のジイさまが描いたにしては可愛すぎる。でもウチの猫たちの特徴が良くとらえられていて、特にハルの若い猫のやんちゃそうな勝気な表情をした絵が気に入った。猫の部分をアプリで切り取って写真立てにいれた。今は猫免疫のお札みたいにボクの机の上に鎮座している。…でも、人は見かけによらないものだ。

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3コマニャン画 おあずけ [猫と暮らせば]

3コマニャン画  おあずけ

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 ①「あ、今日はお刺身だ」「おいしそうだなぁ」
 ②「少しもらえますよね」「きっと、もらえるよね」
 ③「まだかなぁ…」「だんだん残り少なくなってきたし…」
  (L&H Brothers)

 毎日家に居るから、猫たちももうそういうものだと思っているらしい。ハルは膝にのせようとしても絶対に嫌がってのらなかったのだけれど、最近はぼくが行儀悪くテーブルの上に足をのせてテレビを観ているときなど「ちょっとお邪魔します」みたいな感じでソロっと膝の上にのってくるようになった。

 なんだ、膝にのるようになったのかと思ってこちらから膝の上にのせようとすると「何すんだよっ!」みたいに怒られる。あくまでも自分の意志で自分ののりたい時にでないとダメらしい。とは言いながらも以前に比べたらとても甘えるようになった。

 ハルが家に来てから暫くはずっと一人で居たかと思うと、いきなりレオモモに跳びかかってよく叱られていたのだけれど、それは余りしなくなった。そればかりか最近はレオにつかず離れず一緒にいることも多い。レオは鷹揚だから良いのかもしれない。モモは今でもハルを避けている。彼女はクロが居る時もそうだったがどうもレオ以外の猫は苦手のようだ。

 夕食の時は先に猫たちに食べさせるのだけれど、三匹で一緒に食べていても食べ終わると「解散!」みたいに各々自分の居場所に行って、モモなどはさっさと二階へ行ってしまう。でも、たまにまだ食べたりないと思ったのか、もしくは食卓にお魚系のものがあるときなどはレオとハルが近くに来てじっと見ていることがある。

 手は出さないのだけれど、じっと見ていられると食べずらい時もある。「もし余ったらあげるからね」というと「いつですか?」みたいな顔をして言い寄られる。ここのところは新型コロナで衛生上のこともあるので食事時はテーブルには載せないようにしているが、この日は別格に美味しそうだったらしい。

 毎日テレビを観るたびにため息の出るようなことばかり。ストレスが溜まるのだけれど猫たちがいるお陰でどれだけ免疫力の低下を防げているか。感謝、感謝。大分お待たせしたけれど、お刺身のおすそ分け少しだけさせていただいた。


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*現在通院している大学病院でも先週末に医療スタッフ数名の感染が判明し外来を一時中止しました。ぼくも今週が通院の日で薬がきれるのですが、先ほど電話して病院に行かなくても処方箋を送ってもらえることになりました。幸い病院も今週には外来を再開するようです。毎日いろいろと不安はありますが、今はとにかくSTAY AT HOME。今はこれが生命と民主主義を守るためぼくらが出来る唯一のことだと思っています。

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春なのに [猫と暮らせば]

春なのに

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 毎年今頃になるとウチの出窓の外の花海棠がちょっと派手過ぎるくらいの花をつける。花海棠の花が咲く時期はソメイヨシノが散り始めた頃なので、これが咲くとほんとうに春本番という感じになる。その花海棠の木は去年の秋口の台風でひどい目にあっていた。

 その時ぼくらも生まれて初めて受けた退避勧告で避難所に避難し、心細い一夜を過ごして家に戻ってみると花海棠の一番太い枝が根元からもぎ取られて痛々しい姿になってしまっていた。それでもこの春も見事な花をつけてくれた。自然は強い。

 ハルは去年の同じ時期より一回り大きくなって出窓でお花見としゃれこんでいる。ぼくらは本来なら近くの公園に植えた桜の木の下で親類を交えて花見をするのだけれど、もちろん今年はそれも中止。そればかりか外出も一切控えていて、先週は一度病院に薬を貰いに行っただけ。

 スポーツクラブはもちろん休館のままだし、週一回通っていたリハビリ病院も先週からは自宅での自主メニューに切り替えている。やりたいことは沢山あるので一日家にいても退屈することはないけど、脚は弱るし身体は太る。ちょっとまずい状態になってきた。でも「STAY AT HOME」だ。

 欧米の状況はまさに戦慄すべきものがある。ドイツのニュースをみたりしてもその深刻さが伝わってくる。それに対して先ほど韓国の友達から電話があって色々話していたのだけれど、韓国は今は新たな感染者は一日50人くらいの増え方になっているらしい。

 自分なりに出来る限り情報を仕入れてみると、どうも欧米や他の国と日本とでは見ているところが違うような気がする。どちらも専門家の言うことなのでぼくらには判断がつきかねるが、結論はそう遠くない時点で出てくると思うけど、大勢の人の命がかかっているだけに、もう「理論ではそうだったのだけれど…」ということは許されないと思うが…。今は正しいことを祈るばかりだ。

 だが、一つだけ言えるのは、もしも新型コロナウイルスに対する今の日本の対応が正しいとしても政府や自治体から出されてくる情報が余りにも遅くそして少なすぎるし、国民や住民への感度が低すぎるということ。そもそもそれ以前に日本の政治が国民を納得させるに足る信頼性を既に失っているというところがなんとも悲しい所だ。


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落ち着かない日々 [猫と暮らせば]

落ち着かない日々

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 新型コロナウイルス対応で通っていたスポーツジムも当面休館になり、それではせめて散歩で足腰を何とか衰えないようにと散歩を始めたのだけれど、今度は花粉症が始まったので公園の散歩もままならなくなった。今週目の手術を控えており、花粉症で極端に目に痒みが出てくると手術をまた延期しなければならないかもしれないので、ちょっと神経質になっているところがある。

 国内での動きや、海外での動向を見ていると今回のコロナウイルスはどうも一筋縄ではいかないようだ。特に日本の場合検査をする機能がちゃんと働いているのか甚だ疑問なので、市中で本当にどこまで広がっているのかも分からない。今できることは、とにかく「うつらない、うつさない」という自己防衛を徹底するしかないようだ。

 ぼく自身も外出も控えマスクや手洗いなど出来ることは可能な限りしている。自分自身が高齢で成人病があることもあるけど、テレビなどで今までの例を見ていると家庭の中で一人が罹ることは即、家族全員も罹るということにもなってしまうのでそこが一番心配をする点だ。加えて、ウチの場合猫が三匹居るのでそれも心配のタネだ。万が一ぼくが罹ったとすると、時間差こそあれ家族にも感染する可能性は大だ。家族が入院してしまった後、猫たちはどうなるかということを考えると落ち着かない。

 今まで、海外旅行などで留守にする時には猫好きの親戚に頼んで、毎日一回様子を見てもらって餌やトイレの面倒を頼んでいたのだが、コロナに感染したら向こうにも家族がいるしとてもそんな頼みはできないし、かと言ってペットホテルはもっと難しいと思う。罹患したのを隠して頼むわけにもいかないし、事実を話せば断られるに決まっている。

 と言うことは、家族が二週間程度(それで退院できればだが)病院にいる間のことを考えておかなければ…。ウチの場合猫たちは外には出さず家の中だけで飼っているから、いきなり外に出しても生きていけるか心もとない。色々と考えた挙句その時は浴室などに猫砂を最大に入れた猫のトイレをを3つ置いて、飲むための水も何か所にも置き、これまた二週間分の餌(カリカリのみ)を分散して何カ所かに置いておくくらいしか手がない。

 幸い猫はあるだけ食べてしまう犬と違って、お腹が一杯になるとそれ以上は食べないので、餌の量さえあれば何とか生き延びられるとは思うのだけど…。原発事故の時もそうだけれど、世の中が混乱するときは年寄りや子供や、そしてペット等弱いものにしわ寄せがくる。辛いことだけど、現実に自衛策や対応策を考えておく段階に来ているとおもう。


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 *日本に限らずこんな時には人間の正体が透けて見えることが多いのですが、それにしてもマスクを大量にネットオークションに出す県会議員や、自分の病院や施設のマスクをやはりネットで売ったり、多くの中国人転売ヤーの動きなど、ただでさえストレスフルな毎日なのに不愉快な事が多くて気がめいります。

 買いだめする事をドイツ語ではハムスター買い(Hamsterkäufe)、つまりお口いっぱいに身動き取れないほど餌を押し込む様です。街のスーパーなどにはハムスターがまだ居ますねぇ。

でも、こんな時はただ落ち込むのではなくてシンガポールの首相の言ったように他人任せにするのではなく、勇気をもって「ウイルスと戦う」という姿勢と気概が大切なような気がします。

「…新型コロナウイルスの流行に、団結して対峙していきましょう。 予防策を講じ、助け合い、落ち着いて、日常生活を続けていきましょう」


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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その39~

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 ■ きみはぼくの猫、そしてぼくはきみの人間。 (ヒレア・ベロック)
  You are my cat and I am your human. (Hilaire Belloc)


 この二月でアメショーのハルがウチに里子で来てからちょうど二年になる。来た時が二歳だから今四歳ということだ。ハルの里子の話があった時は随分と迷った。今まで何匹も猫を飼ったけれど、子猫で来てもみんなあっという間にぼくの歳を追い越してあっちへ行ってしまう。今までは…。

 ところがぼくも気が付くと七十を過ぎて、これから子猫を飼うとひょっしたらこちらの方が先に行ってしまうかもしれないという状況になってきた。と、いろいろ考えたのだけれどずっと最後までハルの面倒をみるのもこちらのボケ防止やら生きる励みになるかもしれないということで引き受けることにした。

 ハルは今でも目の病気やアレルギーなど医者通いはあるものの元気いっぱい毎日暴れまわっている。そのハルとも最近やっとお話が出来るようになった。ぼくもハルのしたいことが分かるし、向こうもこちらの言うことが分かるようになってきた。



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 ときたまハルがぼくの顔を覗き込むことがあるのだけれど、そんなときは冒頭のベロックの言葉のように「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」だね、一緒に歳をとろうねという思いでハルの頭を撫ぜてやる。ベロックがこの言葉をどういうコンテクストで言ったのかは残念ながら分からないけど、彼は奴隷国家について考察を巡らせ、思考を深めた人なので猫とヒトは対等な立場としてとらえた言葉なのかな、と勝手に思ったりしている。

 動物の中には牛や馬や豚や羊など、いわゆる経済動物とみなされている動物もおり、それらは決して対等ではなくヒトに隷属的な関係に置かれている。もちろんペットだって冷徹にみればヒトと対等ではないかもしれない。ウチの猫たちみたいに長生きしてもらいたいと思って家の外には出さないことだって、彼等の意に添っているか分からないし、飼い主が餌をあげなければ餓死してしまうに違いないのだから。

 しかし、人間の他人同士でもそうかもしれないのだけれど、長いこと一緒に暮らすということは生き物同士の間に何らかの情緒的な絆をもたらすということもあながち否定することはできないと思う。今まで何匹もの一緒に暮らした猫たちを見送った時も、その時頭に去来するのは一緒に過ごした温かい時間とそのことへの感謝だった。

 ということで、今日も対等でありつつも、時には猫たちに叱られつつ、恐らくはヒトと猫の双方にとって幸福な誤解と容認に基づく関係の中で「きみはぼくの猫。そしてぼくはきみの人間」と呟きながら穏やかに一緒に暮らして行きたい。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その38~ お土産 [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その38~ お土産

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 ■ 猫のいない人生はありうる、しかしそれはナンセンスだ。(ゲーテ) 
     Ein Leben ohne Katze ist möglich, aber sinnlos. (J.W.von Goethe)
      (A life without cats is possible, but noncense.)
  
 ぼくはどちらかというと旅行に行ってお土産の類は買わない方だ。旅行で撮った写真や旅行での体験自体がお土産だと思っているからそういう意味では爆買いもしないから、観光地の経済にはあまり貢献していないかもしれない。

 例外といえば行った美術館の図録や画集(これはバカにならないくらい重い)や、せいぜい気に入ったものがあれば、かさばらないピンバッジ等のミュージアムグッズ位なので、何かの具合で他の人のためにお土産を買うような事になるとハタと困ってしまう。

 ところが今回珍しく欲しいと思った土産物があったので買ってしまった。と言ってもごくお安いものなのだけれど…。ザルツブルクの郊外のヴォルフガング湖という湖のほとりに「白馬亭(Im WEISSEN RÖSSL) 」というホテルがあって昔一度訪ねたことがあるのだけれど、そこはオペレッタ「白馬亭にて」の舞台になったことで今は観光地になっている。

 そこで昼食を取った後、隣の土産物屋を見ていたら店先に猫の絵と猫に関する格言が描いてあるドアプレートが並んでいた。その一つが写真のやつだ。色々あったけどこれが一番気に入って裏返してみるとドイツ製だった。オーストリア製でもないし白馬亭ともザルツブルクとも関係ないけどやたら欲しくなって買ってしまった。

 家に残してきた猫たちが恋しいという自分の気持ちにぴったりだったのか…。帰ってきて調べたら、あのドイツの詩人ゲーテの言葉だった。(ドイツ語のsinnlosとは英語のナンセンスと同じで、猫のいない人生も在りうるけど、それじゃ意味がないね、といったことだと思います) ゲーテも猫好きだったのかな。

 ぼくらも歳が歳なので最近は旅行に来るたびあと何回とか、これが最後かとか考えてしまい、その後のじっと家で暮らす生活が頭を過るのだけれど、猫の頭を撫でながら日永一日暮らすのも、それはそれで悪くはないと思うようになった。猫とカミさんさえ居れば…。


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「白馬亭」の前。右隣の土産物屋さんのラックにこの猫格言のプレートが掛っていた。


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 *帰ってくると当たり前のことかもしれないですが、我が家はヤッパリ良いなぁと。猫と一緒の時間は毎日不思議な旅をしているようで飽きないです。昨日テレビを観ていたら今は空前の猫ブームらしく番組が子猫をいっぱい登場させてはやし立てていました。

でも、テレビがブーム扱いすると、今までもロクなことはなかったですねぇ。ブームは必ず去りますから、その時街に飼い主に見捨てられた可哀そうなノラ猫が増えないことを祈っています。

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猫たちの夏 [猫と暮らせば]

猫たちの夏

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 夏は大好きな季節だったけど、歳をとると年々暑さが身にこたえてくる。これは地球温暖化で酷暑になっていることもあるけど、それだけではなさそうだ。もうすぐ母の一周忌がくるけど、父の命日も九月の暑いさ中。人生の中のいろいろな出来事によって、その人にとっての季節の意味も変わってくるものだなぁと感じている。

 猫たちの夏も年々同じかと思ってよくみると、それも変わってきている。ハルが来てから二度目の夏になるけど、ハルは若いだけあってマイペースで一日を過ごしているが、他の二匹のレオモモはそろそろ老猫の範疇に入るということもあってかぼく同様夏が辛い季節になりつつあるみたいだ。

 チンチラのレオは長毛種だから夏が一番きつい。夏には下毛は薄くなるけどそれでも言ってみれば真夏でもコートを着ているようなものだから大変だ。以前トリミングをしているペットショップに聞いたらチンチラは暴れるので毛をカットするなら全身麻酔をかけてやるというのでびっくりした。それ以来かかりつけのペットクリニックの先生がトラ刈りでもよければ、という条件で夏になるとバッサリとバリカンで刈ってもらっている。

 今年も先日刈ってもらったのだけれど、刈っている間レオを押さえているぼくの手は噛みつかれたり、引っ掻かれたりで血だらけになるのもいつものことだ。ちょっとした毛玉は家にあるバリカンで取るのだけれど、それでも大変。大騒ぎして親指位の毛玉を取ることになる。レオはクーラーが嫌いだからクーラーの風の来ない廊下に出てアイスノンにもたれかかって寝ている。夏は一日二回アイスノンを替えるのがぼくの役目だ。

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 モモは去年の夏は暑い二階のぼくの書斎で頑張っていた。ぼくが外出した時などエアコンを入れないと日中は37度にもなる室内でも机の上で寝ていた。子猫だったハルに自分の居場所をとられないように頑張っていたのかもしれない。

 今年の夏はそれはもう諦めたのか、朝ご飯を食べるとさっさと比較的涼しい寝室にこもってベッドの上で寝ている。しかし、そこも午後には暑くなるのだけどそれでも出てこない。心配になって見に行くと眠っているんだか、倒れているんだかわからないのでアイスノンを枕にしてあげるか、一時間くらいクーラーを入れてあげることもある。それでも夕飯の時刻になるとちゃんと居間の方にやってきてご飯を食べているから大丈夫なようだ。

 モモだけは夏も冬も夜は一年中ぼくといっしょに寝ているんだけども、今年の夏は何故かぼくが寝たころそっと寝室から出て行ってどこか他で寝ている。ぼくが急に寝相が悪くなったか、いびきが大きくなったかとも思ったがどうもそういうことでもなさそうだ。何だか毎日猫に寝かしつけられているようで複雑な気分だ。


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 マイペースのハルは若いだけあって真夏でもよく動き回っている。その時自分の気に入った場所が見つかるとこてっと寝て、瞬間で深い眠りに落ちるみたいだ。猫なのだけれど、ハルを見ていると自分も若いころはこうだったんだろうなぁと変に自分に引き寄せて感じてしまう。

 そのハルが昨日の夜、疲れたなぁ、という感じで扇風機のところまでやってきて扇風機を枕に横になった。猫の夏バテか。いずれにしても地球温暖化でこれから夏は益々過酷なものになりそうだ。今年の夏もあともう少し、猫もヒトも頑張らねば。


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アレクサ、猫出してください [猫と暮らせば]

アレクサ、猫出してください

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 どこの猫でもそうだと思うけれど、猫は無類の箱好きだ。通販などの宅配便が来ると、受け取って玄関のドアを閉めるなりよってくる。お目当てはもちろん中身よりも、その箱。箱の中でもAmazonの小ぶりなものが何点か入ってくる小さめの箱がお気に入りのようだ。

 大きな箱だと暫くは遊んでいるのだけれどそのうち飽きてほったらかしになってしまう。こちらも邪魔だからすぐに片付けるのだけれど、この小さめの箱は入り心地が良いらしく中々手放さない。特にアメショーのハルが気に入っていて一日に何回も入っている。

 随分と時間もたって箱も少しくたびれてきたので、翌日の朝の燃えるゴミの日に捨てようと思い夜廊下に出しておいた。夜中にトレイに起きたらその箱の中に猫が寝ている。それもハルではなくてレオが寝ているのだ。真夜中の廊下でなんか家庭内捨て猫みたいな雰囲気が漂っている。もう一日様子を見ようということでそのままにしておいたら、翌日の夜中は今度はハルが寝ている。ということで、今その箱はもとあった居間に戻されている。



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 Amazonと言えば最近テレビでスマートスピーカー「アレクサ」のCMを大々的に流している。アレクサと呼びかけて指示をだすと、メールを出してくれたり、ニュースを読んでくれたり、音楽をかけてくれたり、電気をつけてくれたりと色々なことをしてくれる。カミさんもそうだけど、年配の人には何のことだか分からないかもしれないが、インパクトのあるCMだと思う。もっとも、ぼくはちょっとわざとらしいあのシーンが好きではないし、そんなこと自分でやれよ、と言いたいのだけれど…。

 先日、近所に住む姪が子供を連れて遊びに来た。姪の子は4歳のいたずら盛りの男の子でしかも猫好き。家に入るや否や猫を探し回る。こういう時は猫たちはとりあえずどこかに身を隠して様子を伺う。大丈夫そうだったりお腹がすいていたりすると、最初に姿を現すのはレオなのだ。その日も暫くするとレオが姿を見せた。

 姪の子はウチに猫が三匹いるのを知っているから他の猫も探し始めた。その内二階に隠れているかもしれないと、彼は二階に上がっていった。それでも中々猫は出てこないのか二階から大声が聞こえてくる。猫の名前を呼んでいるのかと思って二階に上がっていくと…。彼が天井に向かって「アレクサ、猫出してください」「アレクサ、猫出してください」と叫んでいる。

 姪のところにはアレクサはないと思うのだけれど、テレビで観ているのだろう、彼にはアレクサがあのアラジンの魔法のランプみたいに自分の言うことを聞いてくれる存在に見えているのかもしれない。さらによく聞いてみると「アレクサ」ではなく「アレックさん」と言っているみたいで「アレックさん、猫出してください」と言っているようだ。つまり部屋のどこかにアレックさんがいて、呼びかけると自分の願いを叶えてくれる、みたいな…。いやはや、大変な時代になってきたぞ。

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 *「アレクサ」のようなネットワーク技術とAI技術を駆使した製品はこれからも色々と登場しそうです。また、高齢社会をサポートする有効な機能にもなりえるし、時代の大きな流れではあるとは思うのですが…。しかし、このタイプのスマートスピーカーは「盗聴」ではないものの、常時家庭内の会話がモニターされてることには変わりがないような気がします。

 アレクサの利用規約にも機能向上、開発に音声録音を役立てるために使用する規定があり、その機能を無効にすることもできますが、その場合は「新機能がうまく機能しない可能性があります」とうたってあり、事実上は黙認せざるを得ない仕組みになっています。

 アメリカの企業が信頼に足るかどうかはさておき、これらの機能がチェック体制が甘い強権的な体制、政権などに利用されたらと思うと、背筋が寒くなる思いがするのはぼくだけでしょうか。唯一の安息の場である家庭の中にもそういうものが入り込み、顔認証などの技術とも相まって、本当に逃げ場のない社会が作り上げられてゆくような恐怖感を覚えます。



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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その37~

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 ■ 猫は頭が良いのだ。猫を躾けることなどできないと、人間に確信させてしまったのだから。(ワレン・エクシュタイン)
  I believe that cats are so smart, they've convinced people that they can't be trained. (Warren Eckstein)


 子供の時から犬も猫も飼ったことがことがあるけど、その付き合い方はずいぶん違うような気がする。ぼくの感じだと「猫は生まれたときから猫」だが「犬は育てられて犬になる」ような感じがしている。猫は最初から自律的な存在で、今まで飼った猫も今いる猫もウチに来た日から自分でトイレに入って始末するし、餌もお腹が一杯になればやめて犬のようにお腹がパンパンになるまで食べるということはない。

 それに対して犬はトイレもそうだけど人間と暮らしていくうえでいろいろと教えなければいけないことが多い、それで「躾ける」という発想が生まれてくるのだと思う。それはどちらが賢いとかいう問題ではなくて彼らが人間と出会う前に長い間続けてきた暮らし方に起因する。つまり、猫は森の中で一匹で狩りをして暮らしていたのに対して、犬は草原で集団で狩りをする暮らしを営んでいたからだろうと思う。

 いわば犬は「社会的動物」であるのに対し、猫は「個」の動物と言えるかもしれない。もちろん猫にだって猫同士の挨拶があったり、ウチのように多頭飼いしていれば猫社会的な雰囲気はでてくるのだけれど、基本はあくまでも「個」であることに変わりはない。福島の原発事故によって立ち入り禁止区域になってしまった土地に残されたペットの行動を見ても、猫は野良猫として一匹でも暮らしていけるが、犬は集団で野犬化し時には狂暴になることもあるらしい。

 そんな彼らが人間と暮らし始めるようになって、犬は人間の社会と一体になることによって生活が安定して営めるし、社会的行動を行いたいという彼等の欲求も満たされることに気がついたのだろうが、一方猫の方は人間に合わせるというよりは、自分の自由を確保できる範囲で人間と付き合っていこう、もしくは付き合ってやろうということにしたのだと思う。そのさい猫が学んだのは、人間は比較的よく言うことを聞く動物で、躾ければ十分役に立つということだと思う。


 ■ ネコのトレーニングは難しいと聞いていた。そんなことはない。我が家のネコは僕を2日でトレーニングした。(ビル・ダナ)
 I had been told that the training procedure with cats was difficult. It's not. Mine had me trained in two days.(Bill Dana )



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 *とまぁ、ペットの時代になった今だから上のような言葉の遊びもできますが、猫は中世ヨーロッパで味わったような人間に対する恐怖心もどこかに持っているのではないかと…。中世ヨーロッパでは猫は魔女の使いとしてしいたげられていた時代もありますし、日本でも三味線の皮を得るための猫さらいも横行したとか。




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花と猫と青空 [猫と暮らせば]

花と猫と青空

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 家の出窓の外に植わっている花海棠(はなかいどう)の花が満開になった。昔、母を連れて近くの植木の町安行(あんぎょう)に行ったとき苗木を買ってきて植えたものだ。植木屋は八重桜のようなきれいな花が咲きますよと言っていたけど、植えてから数年はさほど咲かないで良くは覚えていないけど木が大きくなった数年前から春になると見事な花をつけるようになった。

 咲く時期はソメイヨシノの桜が散ったころ、八重桜と同じころ咲くので通りすがりの人は八重桜かと思っている人もいるかもしれない。花海棠は海棠の一種で元々は実海棠が中国から渡ってきたらしい。リンゴの木の親戚筋にあたる木で、リンゴ園ではリンゴの木の授粉用に植えられている場合もあるようだ。花海棠に実がなることもあって、それも食べられるらしいけど、ウチの木に実がなったのを見たことはまだない。

 去年の春、猫のハルがウチに来たばかりの頃この花海棠が咲いたのを「わ~咲いたね」という感じで身を乗り出して見ていたのが印象的だった。(下の写真) ハルの身体もその時と比べるとずいぶんと大きくなったけど性格は子猫のままだ。今年も花海棠が咲くと不思議そうに出窓に座ってみている。時々鳥たちがやってくるのも面白いのかもしれない。

 ウチの出窓には網戸が付けられているので陽のさす加減で花が良く見えないこともあるけど、網戸がまるでシルクスクリーンのようになってかえって絵のような効果を生むのでぼくは好きだ。出窓の猫とスクリーン越しに見える花と青空、ぼくの好きなものが一つの画面に収まって見ていても心が和む。実は昨日大学病院に行ったら、三度目の嗅覚の手術を勧められて気落ちしていたのだけれど、何だか少し心が落ち着いた感じがする。


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