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Sampo [gillman*s park]

 Sampo
 
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 ベッドの中で、今日は天気は良くないよと囁く声が耳元で聴こえてきて、そのまま寝ていたかったけど、そういう声に耳を貸すとこれからも毎日色々な囁きが聴こえてきそうで慌てて起き上がった。

 今年の夏は酷暑が続き早く終わって欲しいのに晩夏という響きには、何かゆく夏を惜しむような一抹の寂しさがある。晩春や晩秋、晩冬には去り行く季節を惜しむという響きは余りないような気がするけど…。

 まぁ、ゆく夏を惜しむというのは主に若い時の心情かも知れない。ひと夏の甘酸っぱい思い出を残して夏は去ってゆく。でも、この歳になると夏はただただ暑く、秋風が吹く頃やってくるクーラーの電気代の心配を残して去ってゆく。

 ちょっと出遅れて家を出たら街はもう動き出していた。朝はほんの10分位の違いで街の様子は一変する。今日はこれから残暑になる予感。散歩のために作ったSampoと名付けた散歩用のジャズのプレイリストを聴きながら歩く。

 音楽の聴き方も随分変わったものだ。ぼくもやっているけれど、今は好きな曲を自分で組み合わせて(最近はコンピレーションとかコンピとか言うらしいけど)いわゆるプレイリストを作るのが多いらしい。同じようなことはカセットテープの昔からやっているから、さして目新しいとは思わないけど…。

 さらに最近多いのは「斜め聴き」というもので、サビのところまで早送りしてそこをジックリ聴くというもの。音楽だけでなく映画の斜め観、小説の斜め読みもあるらしい。書籍でも一時哲学書など「超訳〇〇」というのが流行って、本屋で立ち読みしてみたこともあるけれど、これで読んだ気になったら実体とは随分違ったものが頭に入っていくことなるんだろうなぁ、と思ったことがある。

 21世紀以降人間が一生のうちに触れるデータの量は等比級数的に増大してゆくので、膨大なデータを効率よくこなしてゆくためには必然的にそういうやり方も必要な時代になっているのかもしれないけれど、音楽や思考が単なるデータの塊として捉えられて良いのかという気もする。

 ぼくも音楽は色々な聴き方をするけれど、例えばジャズでいう「アルバム」という考え方等は大切にしている。ジャズではプレーヤーが自分のリーダーアルバムを作る時には、アルバムのコンセプトを考えそれに沿って選曲、曲順や演奏方法ひいてはジャケットのデザインなども含めて考え抜いて制作している。

 ぼくも家のオーディオ装置でCDを聴く時にはそういう創り方にそれなりのレスペクトを持って聴くようにしている。それはいつもとはちょっと質の変わった至福のときでもある。今またLPレコードが復活しているのは時を駆け抜けるような今の時代へのアンチテーゼなのかもしれない。
 

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 *アルバムという宝石箱
例えば1957年にマンハッタンで録音されたジミー・スミスのオルガンのアルバム「Jimmy Smith At The Organ」は大好きなアルバムなのだけれど、アート・ブレーキーのドラムス、ルー・ドナルドソンのサックスにケニー・バレルのギターとバンドメンバーも凄いのだが、ジャケットデザインが数々の名アルバムのジャケットをデザインしたリード・マイルズで、プロデュースがBLUE NOTEの創始者アルフレッド・ライオンそして録音は当時名をはせたルビー・ヴァン・ゲルダーとアルバム制作自体に当時の熱気を感じることが出来ます。

Jimmy Smith At The Organ Vol.1 (Jimmy Smith Classic Albums.jpgJimmy Smith At The Organ Vol.2 (Jimmy Smith Vol. 2_ Eight C.jpg

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