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Buchenwald (ブーヘンヴァルト)で思ったこと 〜1〜 [新隠居主義]

Buchenwald (ブーヘンヴァルト)で思ったこと 〜1〜

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 1971年9月6日はぼくにとって今も忘れられない日になった。その年、西ドイツの街から夏休みを利用して友達と東ドイツを旅して、その日はナチス時代強制収容所のあるブーヘンヴァルトを訪れた。ナウムブルクの近郊にある小さな村リュッケンにあるフリードリヒ・ニーチェの墓を訪れてそこからヴァイマールに向かう途中でその強制収容所の施設を訪れたのだ。

 ずっと後の今から数年前にヴァイマールを再び訪れた時には時間が無くてブーヘンヴァルトを再訪することはできなかったけれど、ヴァイマールの観光案内所の一角に強制収容所に関する情報センターのようなものが設置されていて色々なパンフレットも置いてあったのでいくつかを貰って来たけれど、それをみると今は大分整備されているようだった。

 整備という言葉は微妙で、ある意味では歴史の風化や微妙な意味づけの変更の恐れさえも示唆しているかもしれないと感じた。ぼくが訪れた頃はその悲劇が起きてからまだ二十数年しか経っていないこともあって、それ程「整備」されない状態が残っていた。もちろんその展示の仕方には当時の東ドイツ、つまりドイツ民主共和国(DDR)という国家のフィルタがはめられてはいたが…。

 展示コーナーの一部には何人もの当時のこの強制収容所の職員やナチス将官の写真が掲げられており、その下にはこの誰だれは現在は西ドイツのこれこれの会社の社長をしているなど、現在の西側での消息とされる情報が記載されていた。

 ■その時のぼくの日記

「…さらにBuchenwa1d (ブーヘンバルト)に行く。昔の強制収容所の建物の手前に大きな抵抗者の犠牲者の記念塔がある。この丘から文化の街Weimar (ヴァイマール)が見下ろせる。おぞましいKZ(強制収容所)とドイツ文化の昇華ヴァイマールの街。ベルリンの*プレッツェンゼーの刑場でも感じた背筋の寒さを思い出す。その恐ろしさは決して他人に対して感じたものではなく、僕の中にもあるプレッツェンゼーそして僕の中のブーヘンヴァルトに僕は震えた。

 …山の上にある強制収容所はなんとも陰惨なものだった。死体を焼く窯。処刑した人間の皮で作ったスタンドのかさ。死体からとった髪の毛の山。脱走しようとしてみごとに一発で討ち抜かれた心臓のアルコール漬け。人間の身体の各部がまるで何かの部品のようにバラバラにされている。うず高く積まれた処刑者のメガネの山、途中で学校から見学に来ていたらしいスラブ系の女の子たちが泣きだす。

 ドイツ共産党議長のエルンスト・テールマンの獄室、そして絞首刑にかけられた梁とフックがそのまま。その建物を出てもホッとはしなかった。ダッハウ、ブーヘンバルトそしてアウシュビッツはドイツ人だけがするものではないように思われる。どんな国民にもこんな歴史があるのではないかと感じられる。しかし、一方どんな国にも文化の華ヴァイマールがある。これも事実のように思われた。…」


 ぼくがブーヘンヴァルトを訪れていた頃、アジアではベトナム戦争がまだ続いていた。ぼくは東京ではその頃盛んであった学生運動などにはコミットしていなかったし、いわゆるノンポリ(nonpolitical/ノンポリティカルの略)といわれる学生の一人だった。1964年東京オリンピックの陰でケネディ大統領によって進められていたベトナム進駐の政策はやがてベトナム戦争へと発展したが、その実態は分からないままぼくの目にはベトナム反戦運動というものも世の中の動きの一つにしか見えていなかった。

 ぼくがその戦争の現実に目を向けざるを得なくなったのは、ある時神田の本屋で何気なく手にした「ベトナム黒書」といわれる一冊の本で、そこにはアメリカが言う正義の戦いの実態が数々の悲惨な写真で生々しく語られていた。子供の頃から慣れ親しんできたテレビドラマの中の光輝くアメリカの姿が若いぼくの中で崩壊していった瞬間を今でも覚えている。今まで見えていた世界が全てではないというごく当たり前の事が胸に突き刺さった。

 何故ここで突然ベトナム戦争の話を持ち出したかというと、若い頃のこの二つの経験が、つまりドイツの強制収容所の体験と偶然知ったベトナム戦争の実態という二つのことが、今でもぼくの心の中の大きな棘として突き刺さったままだからだ。と言っても、それでドイツやアメリカが嫌いになったということでは全然なくて、押し並べて人間は人間に対して状況によってはどういうことでもできるし、してしまう存在なのだということが、ほぼ自明の理としてぼくの中に刷り込まれてしまったからだ。

 どういう状況の時に人間はそうなるのかについてのハンナ・アーレントなどの考察を知るようになったのは、それからずっと後のことだ。それ以来ぼくは自分を含めて人間とはそういうものだという確信めいたものを抱えている。一方、精神のバランスをとるためという訳ではないが、若い頃から絵や音楽などの人間が作り出した素晴らしい美の世界も自分の心の中で次第に大きなスペースを占めるようになっていった。

 だが、厄介な事にこの醜と美の二つはぼくの中で融合して一つのトータルな人間像として結像するようにはなっていない。この歳になってもである。ぼくは難しい考え事は苦手だし、さらにそれに長い時間をかけて突き詰めてゆくという思考の持久力もないから恐らくそのまま墓場まで持ってゆく事になると思うのだけれど。


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