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リンネの遺産 [gillman*s park]

リンネの遺産



  

 公園の紫陽花が咲いた。葉っぱに囲まれた台座の中に小さな緑色の米粒のような蕾が付いたころから気を付けていたのだが、ちょっと来ないうちに花が咲き出した。月並みだが、紫陽花の花をみると反射的に梅雨がもうすぐだなぁ、という気にさせられる。紫陽花というと梅雨空というような記憶のリンクが頭の中にあるのか。それともそんな光景は実際は目にしたことはないのだが、子供の時からの刷り込まれた、日本人の文化遺伝子的イメージとしてそんな光景が浮かんでくるのか。

 紫陽花の花を見るたびに想い出すもう一つのことはシーボルトのことだ。もともと紫陽花は日本の固有植物だが、シーボルトは当時この紫陽花の一つにハイドランジア・オタクサという名前をつけた。このオタクサというのはシーボルトの日本滞在時の愛人お滝さんに因んでいることはつとに知れわたっている。江戸時代に日本を訪れた外国人にとっては当時の日本は本当にワンターランドだったのだろう。見るもの、聞くもの全てが新鮮だったのかも知れない。そのシーボルトが尊敬したツュンベリーは日本から数多くの植物標本をヨーロッパに持ち帰った。ぼくが教わった植物分類学の教授によると、ツュンベリーはスウェーデン人だが、それでは鎖国の日本に入れないのでオランダ人と偽って長崎の出島に滞在したという。

 彼はなんとか植物標本を採集したいのだが散歩で出島を出るときは、見張りの侍が必ずついてくる。それで彼は植物を採集したいときは、転んだ振りをしてその草の上に倒れこみ、分からないようにちぎって袂に入れた、だからツュンベリーの標本は皆丈が短い、というのだ。そうだとすると、きっと彼は散歩に行くたびにしょっちゅう転んでいたにちがいないのだが、実際のところは江戸に参府する際に途中で駕篭から降りて採集したり、大阪の植木屋でいろいろな植木を仕入れたりしたようだ。ツュンベリーは持ち帰った植物に学名を付けた。中にはカキサザンカのように日本名がそのまま学名になっているものもある。この学名を二名法でつけることを考え出したのがツュンベリーを日本に派遣したウプサラ大学の教授だったリンネである。

 先の天皇陛下の訪欧の際も、分類学者でもある陛下はスウェーデンでリンネの縁の地を訪れたし、ロンドンのリンネ協会では講演も行っている。前述の教授によれば、リンネはそもそもスウェーデンという植物の種類自体がそれほど多くはなく、しかもその変化のバリエーションも少ない地域に住んでいたので、花の構造で植物を分類してみようという考えが浮かんできたのだ、という。確かにスウェーデンは我々から見ればいわば極北の地だ。スウェーデンよりもずっと南にあるパリでさえ、樺太のサハリンくらいの緯度にあたるのだから、ヨーロッパ自体、世界的に見れば植物のバリエーションが豊富だとは決していえない地域だ。もしもリンネがアジアの熱帯地方やオーストラリアのような地域に住んでいたら、植物の種類の多さ、もしくは分類原則からの例外が多すぎて分類して体系化しようという気にはならなかっただろうというのだ。

 いわれてみると確かにそうかも知れない、ヨーロッパにおいては色々な面で、適度な多様性と類似性が併存していることが比較学や知識の体系化が発達した一因となっているかも知れない。言語学においても各ヨーロッパ言語を比較して体系化したり、共通の祖語を探索しようという動きが生じたのは同地域の言語の適度な多様性と類似性に起因しているかも知れない。かれらはそこで得た体系化の原則や法則をアジアやアフリカなど彼らにとって新しい世界へ当てはめたり、そこから得られた情報を使い修正したりしようとしたのだ。リンネも植物標本を得るために世界中に弟子を派遣している。ツュンベリーも日本に来る前はアフリカの喜望峰でオランダ語を勉強しながら植物採集をしていた。

 日本はヨーロッパに比べればはるかに植物の種類は豊富である。日本列島は南北に長く、その中には亜寒帯から亜熱帯を含んでいる。花の咲く植物だけでも5500種類を越すといわれている。日本人は花をこよなく愛し、それらは文学や絵画などあらゆる場面に登場しこの文化を彩ってきた。しかし、我々日本人はついにそれらを本格的に分類し体系化するということはなかった。植物などに対する日本人の意識は感性の世界で研ぎ澄まされ、サツキなどの盆栽や数々のすばらしい品種を作り出し、また家紋や着物の模様のような素晴らしいデザインをも生み出したりした。それはそれで素晴らしいことだと思う。長い鎖国の時代を経て日本人の意識は感性の世界へと深まってゆき、独自の文化を形成していった。それは今でも日本人の一つの強みにはなっている。一方、リンネの遺産でもある知識を体系化しようとする意思や、ものごとを分析的に思考戦略的行動に結びつける強みをヨーロッパ人は持っていた。

 豊饒な自然に囲まれた花々は日本人の豊かな感性を育んできた。その5000種以上の花々の実に四割近くは、日本もしくはその近隣にしかない固有種だという。アジサイもその一つだ。植物学的には日本はいわば極東の端に位置する奇跡の列島だったのだ。シーボルト縁のオランダのライデン自然史博物館には動植物の資料の収集等を行う学芸員が六十名以上いるが、それに対し同じような担当の学芸員は日本の国立科学博物館には二名しかいないとも聞いた。これで美しい国日本を守ってゆけるのだろうか。

  黄昏てゆく あぢさいの花 にげてゆく 富沢赤黄男

                  
 


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かめむし

学芸員が2名ですか。
「美しい国日本」って何でしょうね・・・
忘れられたり、無視されてる「美しい日本」が
まだ、いっぱいあるような気がしますね。
by かめむし (2007-06-08 22:23) 

engrid

自然からの恩恵に 感謝する意識が低いかもしれませんね
恵まれていると それが普通に思えてしまう 
2名ですか。。。
美しくかぐわしい日本でありたいです
by engrid (2007-06-08 22:56) 

くみみん

こんばんは。
日本って四季折々の花が咲きますものね。それも、場所によっても多種多様に違ってきますから。もっと植物の専門の博物館があってもいいような気がします。
by くみみん (2007-06-09 00:11) 

Silvermac

「美しい国日本」はスローガン倒れですね。
by Silvermac (2007-06-09 06:51) 

としぽ

昔の人は色々と苦労していたのですね。リンネの名前は植物の分類を
した偉い人くらいしか知りませんでした。
by としぽ (2007-06-10 21:03) 

Abraxas XIV. 

さう言へば、だいぶ昔のことですが、お滝さんの写真の載ってゐた記事を切り抜いたことがありました。非常に印象に残ってゐます。
by Abraxas XIV.  (2007-06-11 19:30) 

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