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花と蝶 [Column Ansicht]

 花と蝶 ~アキハバラの凋落と変貌~


 iPodの修理に銀座のAppleセンターに行った帰りに秋葉原に寄った。土曜日でお天気もいいということもあって銀座は凄い人出だったが、秋葉原もそれに負けないくらいの賑わいだった。ぼくは平均すると月に一回か、もしかしたら三週間に一回くらいは秋葉原に来ている。会社に勤めている時も大体は昼休みに秋葉原の電気街にこられるくらいの距離にあるオフィスにいたから、このペースは少なくとも三十年くらいは続いていることになる。ただ、会社を辞めてからは平日にくることが多いから久しぶりに週末に来てみてちょっとびっくりした。

 JRの秋葉原駅で降りて電気街側の出口に出た。最近は地下鉄の秋葉原でおりて昭和通り側のヨドバシカメラに直行してしまうことが多いので、こちらの出口は久しぶりだ。改札を一歩出るとそこは電気街の秋葉原ではなく、まさに萌えの街アキハバラだった。ゴスロリ風のメイド姿をしたお姉ちゃん達が手にビラをもって何人も立っている。彼女達はもちろんメイド喫茶のPRをしているのだ。ビラを貰っているオタク系のお兄ちゃんやキャッキャ言いながら写真を一緒に撮っている若い女の子達もいて大変な騒ぎだ。


 


 ぼくが秋葉原の街を訪れるようになったのは中学校にあがった頃からだろう。当時科学少年だったぼくは夢中になっていた顕微鏡の世界から、鉱石ラジオに興味が移り始めていた。科学雑誌を見ながら部品集めのために秋葉原にいった。駅前はオイルの匂いがして煤けた街にゴチャゴチャと何だか分からない部品を並べた店が並んでいた。その中でも駅前のパーツ屋が並んだ横町は人一人がやっとすれ違えるような細い路地が続いていて子供の目にも何か怪しそうな場所に見えた。

  パーツ屋さんを回って持ってきた部品リストに従って抵抗器バリコンやリード線がそろう頃には一端のマニアの気持ちになっていた。何だかすごく大人になったような、そんな気がした。今考えれば当時は殆どは電子部品と言うよりも、もっとメカニカルな部品が大半を占めていたのだと思うが、見たこともない機械のパーツがジャンク屋の店先にまるで八百屋の野菜のように並べられているのを見て、なぜか「欲しい」と思った。何に使うのか、どういう機能をするものかは皆目分からなかったが形がいいとか、重量感があるだとか、少年の目には宝物のように映ったのだろう。

 高校、大学の頃は自作のスピーカーなどのオーディオ機器の部品を手に入れるために通った。もうその頃には街のどこら辺にどういう部品を売っている店があるかは熟知していた。まだパソコンというものはななかった。先日秋葉原に行ったのはスピーカーのサランを買いに行ったのだが、あらかた街中探してもそれを売っていたのは一軒だけだった。それも数種類の在庫しかなく色を選ぶような余裕はない。サランと言っても今は分からないかも知れないがスピーカー・ボックスの前面に張る布のことだ。

 ぼくの使っているタンノイのレクタンギュラーヨークというスピーカーは買ってからもうすぐ三十年近くになるのだが、その間に一度スピーカーのコーンを張り替えた。イギリスに船便で送って二ヶ月ほどかかったがすばらしい音になって戻ってきた。ところがそのスピーカー・ボックスのサランに猫がよじ登ったり、爪とぎをするものだからサランがボロボロになってきた。ときたまクロがイモリのようにスピーカー・ボックスに張り付いていることもある。このままではスピーカーのコーンまで傷んでしまうのだ。



 話はそれたが、今回そのサランを探すために久しぶりに駅前のラジオ会館に行ったのだが、その中は一変していた。このラジオ会館は駅前のパーツ横町と並んで一番秋葉原らしい一画なのだが、パーツ横町が多少の変化を見せながらもある意味では変わらない昔の秋葉原らしさを匂わしているのに比べて、こちらはもっと変わり身が速い。ラジオパーツビルとしての時代から、オーディオ家電時代、AV機器時代、コンピュータ機器時代そして今は「萌え」商品のメッカとなっていた。

  建物の中は若者で一杯だった。かなりの数の外国人の客も混ざっている。以前オーディオやAV機器を売っていたスペースは大規模なコミック関係のショップになっていた。コミックを始めとして関連するグッズが所狭しと並んでいる。コミックもガンダム系から美少女系まで巾も深みも備えている。一昨年、夏休みに日本語教室で教えたアメリカの少年はガンダムを見に毎日のように秋葉原に通っていたっけ。別のフロアーにゆくとそこはフィギュアの専門店が並んでいた。これもありとあらゆるものがある。

 海洋堂の精巧な生物フィギュアも並んでいる。フィギュアに混ざって中には世界最大の蝶と言われるゴライアストリバネアゲハなどの本物
の蝶の貴重な標本まで売っている。隣のショーウィンドウに目を移すと今度は美少女系のフィギュア。その向こうにはフェチ系のフィギュアも並んでいる。深夜番組のタモリ倶楽部のイントロで見るような見事なお尻のフィギュアがずらりと並んでいる。どんな人が買うのだろうか。結局ぼくの探していたサランはこのラジオ会館の中でかろうじて昔どうり営業しているオーディオ部品の老舗店でみつけることができた。ラジオ会館を出るときぼくは秋葉原にまた、あの「怪しさ」や「胡散臭さ」が戻ってきたと思った。

  


 そもそも秋葉原の凋落が始まったのは大型家電店が各地の郊外に展開され始めてからだ。早い時期から秋葉原に本店を置く秋葉原系の電気店も全国展開をしたが、結局はカメラ量販店系や専業の電気量販店に負けてしまった。全国の郊外にミニ秋葉原が出来たことで少なくとも冷蔵庫や洗濯機といった白モノ家電における秋葉原の優位性は無くなってしまった。次に訪れたパソコンブームに乗った感はあったがそれも電気量販店のパソコンショップ化とインターネット販売の普及で秋葉原の強みではなくなってしまった。

 パソコンオタクと隣接領域にある萌え族がその頃から秋葉原を渉猟するようになった。それを目ざとく見つけた店が彼らに合わせた店作りを始めた。パーツ屋を行き交う伝統的な電気族は次第に勢力を増す萌え族に眉をひそめるようになった。駅前のやっちゃ場の広大な跡地に近代的なビルが建ち始めた。昭和通り側には日本最大といわれる売り場を誇るヨドバシカメラができ、筑波エクスプレスの駅も出来た。今、秋葉原では近代的なビルが建ってきれいになってゆく一画とシャッターを下ろした旧秋葉原系の大手電気店、業態を変え生き残りを図る店々、それらが流れながらせめぎあっている。

 個人的にいえば、ぼくはこの秋葉原の猥雑さ胡散臭さが好きだった。中東のゲリラは秋葉原で手製ミサイルなどの部品を手に入れている、というまことしやかな噂が流されるところに秋葉原の凄さがあった。リドリー・スコットの映画ブレードランナーに出てくる街のような猥雑さ、それでいてその背後には極限までの専門的知識やフェティッシュな感性がある。世界に冠たるフェチマニアの街、アキハバラ。

 ちょっと裏路地に入ると怪しい男が近づいてきてそっと囁く「だんな、オルトフォンのSPUの凄い奴がありますぜ。2Ωで出力が0.5mVですぜ」、「スパコンの凄いのがありますぜ。この間までMITで使ってた奴ですぜ。今なら安くしとくよ」なんて未来はないのか。入れ物だけがきれいなアキハバラでは世界の中で光を放つことは出来ない。今だってそれなりの店に行けば真空管フェチの不可解な質問にも、フルトベングラーの第九の録音はどの板が一番いいか、などというわがままな質問にもちゃんと答えてくれる店員がいる。秋葉原は人が作っている。はたして秋葉原はどこへ行くのだろうか。

 万世橋の所までくると、両脇からメイド姿のお姉ちゃん達に手を取られた若者が宙を舞うような足取りで横断歩道をわたってゆく。両手にのオタク青年はのような軽い足取りでどこかへ消えていった。


                       

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Silvermac

若い頃、研修で三ヶ月ほど東京に滞在しましたが、週末は必ず秋葉か新宿のサンスイショールームに行きました。メードスタイルの意味がよく分かりません。年ですね。(^_-)
by Silvermac (2007-05-30 08:34) 

みつなり

週末の秋葉原はイイですね^^
by みつなり (2007-05-30 09:29) 

随分変わりました、秋葉原。
by (2007-05-30 13:47) 

としぽ

秋葉原はTV、雑誌で見るだけで、未だ行った事はないですが子供の頃には夢ような場所でした。地元でもオーディオを扱っている店も図分と減りました。実物は見れなったけどタンノイは憧れのスピーカーでした。
by としぽ (2007-05-30 22:06) 

tom-is-enthusiastic-about-everything

実は東京を拠点にしながら、秋葉原で街歩きをしたことは2度ほどしか
ありません。それは、メカオンチだから・・・という理由ではなくて、秋葉原に対して、ちょっとした畏敬の念があったからなのです。
今でも少しばかり、秋葉原から世界最新小型ミサイルとかスパイ機器が
密売されている・・・なんて期待を持っていたりします。秋葉原の存在は、最先端を行く機械は常に日本発である、という証拠になるような土地だと私は信じていたいみたいで・・・^^;。萌えもいいけれど、世界に誇れる日本の個性が、それだけになっていくような感覚が残念でもあります。
秋葉原と同じで、神楽坂にも大人の街の幻想を持っているのですが、
最近間口が広くなったようで、子供でもブラブラできる地になってしまった
と聞きます。
なんでしょう・・・「一般的な」というと語弊があるあるかもしれませんが、
より商業的に多くの人を招致できる街カラーを、押し進められると、その土地の個性が消えていくようで、寂しくなることがあります。
ところでgillmanさん、長らく貴殿のコメントに感激してきた私ですが、ブログが本日付で消えることとなりました。また、再開するときにはお知らせ致しますし、時々「TOMMY」名でgillmanさんのところへ今まで通り立ち寄らせていただきたいと思います。gillmanさんのブログの写真や記憶や、言葉は琴線に触れるものばかりです。お体ご自愛の上、益々ご活躍なさいますように☆ひとまずはお礼とご挨拶まで。
by tom-is-enthusiastic-about-everything (2007-05-31 00:40) 

くみみん

こんばんは。
秋葉原に初めて行ったのは夫が部品を買いにいくのに付き合った時。狭い屋台みたいなお店が並ぶところでいっぱい細かい部品が売られていたり…。最近行ったのは新しいヨドバシカメラ。同じところとは思えません(^-^;
古いお店はどうなったのかなあ?
by くみみん (2007-05-31 00:49) 

ナツパパ

わたしも秋葉原通いン十年の一人です。スピーカーにも熱中しましたっけ。
秋葉原には、日本はアジアの一員なのだなあ、と思わせる何かがある、
当時から漠然と感じていました。
猥雑さと胡散臭さ、それがそう感じさせてくれるのかも知れません。
by ナツパパ (2007-05-31 08:58) 

ミヤ

秋葉原は、ここ10年くらいの間に、まったく変わってしまいましたね。
あまり行かなくなりました^^;
by ミヤ (2007-05-31 21:51) 

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