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♪ What are you doing the rest of your life [新隠居主義]

♪ What are you doing the rest of your life
 
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 ♪ WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE (1969)
 (Words by Alan & Marilyn Bergman / Music by Michel Legrand)

 What are you doing the rest of your life?
 North and south and east and west of your life?

 I have only one request of your life
 That you spend it all with me.

 All the seasons and the times of your days.
 All the nickels and the dimes of your days.
 Let the reasons and the rhymes of your days.

 All begin and end with me.
 ......
 

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 これはぼくの好きな曲なんだけど、名曲の多いミシェル・ルグランの作曲で、作詞はこれも名曲の多いバーグマン夫妻のこのWhat Are You Doing The Rest Of Your Life(1969)は、今ではジャズのスタンダードにもなっている。

 直訳すれば「あなたはこれからの人生どう過ごすの?」と言った意味だろうと思うが、映画「ハッピー・エンド」のサントラ盤に入っている。映画は観ていないけれど、歌詞を見る限りではこれからの残りの人生をあなたと送りたいという大人のラブソングみたいだ。

 色々な歌手が歌っているし、多くのジャズメンも演奏している。その中でもぼくはビル・エバンスのピアノ演奏とレイ・ブライアントのやはりピアノの演奏のものが一番好きだ。最近またよく聴きなおしている。考えてみたら"What Are You Doing The Rest Of Your Life"(これからの人生どうするのさ)というフレーズは自分の人生の中でいつも耳元で囁かれていたような気がする。

 もちろんそのニュアンスはその時々の人生の段階で異なるのだけれど、その囁かれるフレーズの中の"the Rest of Your Life"つまり「残りの人生」という単語が実感を持って響いてきたのは50歳を過ぎたころからだったと思う。それは今までのように「さあ、どうする」とか「それじゃあ、どうする」のように新たな選択肢を迫るというよりは、あらかじめ狭められた選択肢の中でどうするか、みたいな…。

 
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 もちろん耳元で囁くそのフレーズは老齢に至っても折に触れ聞こえてくる。会社を辞めて大学院で学んでいる時、母の介護の眠れぬ夜に、その母の介護が終りを迎えた時に、そしてコロナ禍で身動きのとれない今…。でも今聞こえているその囁きの「どうする」は選択肢よりも「時の質」を意味していたようだ。コロナ禍のせいで近頃はウチにいたり散歩をしたりで自分と向き合う機会も多い。

 さしたる野望も、手にしたい夢もあるわけではないけれど今は時を噛みしめるということが、耳元で囁かれる「どうする」へのぼくなりの答えになっている。その時々に心に沁みてきたもの。家族や猫と過ごすかけがえのない時間、移り変わる公園の四季や駅の雑踏の中で一人ただボーッとする時間、今まで気づかなかったそういうものの大切さに一つ一つちゃんと気づいて味わい尽くしたい。…気が付けば、これがこのブログでの1111本目の記事になった。

 
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  Albums featuring:
 WHAT ARE YOU DOING THE REST OF YOUR LIFE
  ■A JAZZ HOUR WITH BILL EVANS Autumn Leaves/Bill Evans
  ■Solo Flight/Ray Bryant
  ■The Last Time I Saw Paris/Nikki Parrott
  ■New Directions Of Virtuoso Guitar/Laurindo Almeida
  ■I Was Born In Love With You Jessye Norman Sings Michel Legrand/Jessye Norman

  A JAZZ HOUR WITH BILL EVANS Autumn Leaves.jpgSolo Flight.jpgThe Last Time I Saw Paris.jpg 
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両手に猫 猫といる幸せ [猫と暮らせば]

両手に猫 猫といる幸せ

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 最近白猫のレオが歳のせいか夜泣きをしたり、寝起きに寝ぼけてかトイレの場所が分からなくなってあらぬところに粗相したりすることがある。トイレを探してウロウロしている時は優しく声を掛けて「こっちだよ」というとやっとトイレの場所に気が付く。

 一日中寝ていることが多いのだけれど、朝八時と夕方五時には時計で計ったようにお腹が空いたと大声で泣きだす。夕方、時間になって鳴いていても時こえないふりをしていると、鳴きながら少しづつ距離を縮めて最後はぼくのデスクの上に上って「腹減ったって言ってるだろ!」みたいに睨みながら鳴く。

 レオは朝と晩のご飯を食べた後はほんの一口、お醤油皿くらいの小さなお皿にミルクを入れてもらうのが楽しみで、最近はそれを寝る前にも欲しがるようになった。このミルクはレオの特権で誰も文句は言わない。

 三匹の猫にえこひいきが無いように、一匹ずつ特権があるのだけどレオの特権がこのミルクで、灰色猫のモモの特権は毎晩ぼくと寝ること(もっとも相手はどう思っているか知らないけど…)、縞猫のハルの特権はいつも一番先にご飯をもらえることだ。

 今のところ皆さん納得している風ではあるけど、最近はハルが夜に寝室に入りたくて入り口の猫ドアをカチャカチャいじっていることがある。この間はとうとう入ってきたけど、ぼくの足元で五分くらい寝て出て行った。たぶん、姉さん猫に睨まれたんだろうと思うけど…。

 晩ご飯を食べてミルクを飲むとレオはテレビの前のソファで寝る。基本は三人掛けなのだけれど、レオが斜めになって場所をとる寝方をするのでカミさんが座るとそれでもうソファは一杯になる。普段はぼくは余りテレビは観ないけど、週に何回かは観たい番組があるのでそういう時はレオに詰めてもらって座るのだが、そのたんび迷惑そうな顔をされる。

 昨日もそんなきつ目な状態でテレビを観ていたら、そこにハルが強引にカミさんとの間に身体をねじ込んできた。ソファはギュウギュウ詰めで身動きが取れないけど両手に猫で何だか幸せな感じ。コロナ禍でどこにも行けないストレスを猫たちが癒してくれる。猫のいる幸せ。
 

 
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あの丘の秘密 [gillman*s park]

あの丘の秘密
 
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 ぼくはこの公園の中でいくつか特別好きな場所があるのだけど、その中でもこの丘の上から見る眺め、そして下からこの丘を見上げるのが最も好きなポイントで散歩に来るたびに必ず寄る場所でもある。ぼくにとってのオアシス。

 公園の北側に広がる「あさひの広場」と呼ばれるこの丘の南側はなだらかな勾配の坂が続いており、北側は切り立った崖で眼下に広がる街並みが見渡せる。360度の視界は南西に富士山、そのずっと左に東京スカイツリーそして振り向くと遥か彼方に筑波山が見える。高さは20メートルに満たないのだけれど、地面としては区の中で一番標高の高い場所になっている。

 といってもぼくが子供の頃は、それどころかつい十数年前まではここに丘はなかった。それが2005年頃公園の未整備地区で何やら大規模な工事が始まった。ある時散歩のついでにいつもは行かない未整備地区が見渡せる林の方に行ってみたら、塀の向こう側には巨大な細長い建築物が出現している。窓もなければ出入り口も見えない。しかし、とにかく大きい。

 調べてみたらその大きさは、全長は533m、幅84.5m、面積にすると約40,000平方メートルというとてつもない大きさ。それ以来散歩に行くたびに遠目に見えるその建物を見ていたのだけれど、ある日ブルドーザーがその出来上がった建物を今度はせっせと埋め始めた。膨大な土が運ばれてきて、その内とうとう建物は見えなくなった。 


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 今でもこの丘を訪れる殆どの人は気が付かないようだけれど、実はこの丘の中には新都市交通システムである日暮里舎人ライナーの車両基地が埋まっている。地下に作ったのではなく、地上に作ってから表土を被せたのだから「埋まっている」という表現が適切なのだとは思う。

 ぼくは以前この公園で目にする「小自然」が好きだと言ったけれど、その小自然の背後には極めて大規模な人の手が入っている。池だってぼくが子供の頃にはなかった。自然が作ったものではないからメンテナンスの人の手が数年でも入らなければ急速に荒廃してゆくのだと思うのだけれど、それは伝統的な日本庭園もそうだし「小自然」の宿命だと思う。

 だからこそ、散歩に行くたびにこの小自然を絶え間なくメンテナンスしている人たちに感謝が絶えないし、地域のぼくたちも守ってゆかないといけないと思っている。

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    2006年1月に撮った写真。建造物の埋設工事が始まっている。


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 *埋設されている車両基地は一度見てみたいのですが、まだ機会はありません。またセキュリティのためか画像も殆ど公表されていませんが、一枚だけネットで見つけたのですがやはり大きい。ライナーは無人運転なので中央指令室もどこかにあるのですが、それも見てみたいものです。

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   車両基地内部と中央指令室



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印象派みたいに [gillman*s park]

印象派みたいに
 
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 連休も最後に差し掛かってきた日、ちょっと間が開いたあとに散歩。どうも運動不足か股関節が痛んで公園に来られない日が続いた。でも、今日は天気もいいしゆっくりと歩いた。東京は連休中も非常事態宣言中とあって都立の公園は閉鎖なのだけれど、ここの公園も都立だけど駐車場やテニス場は閉めているが公園自体は柵がないので自由に入れる。

 公園に入ると中はかなりな人出。もしかしたら今年のお花見のときより多いかもしれない。芝生や木陰のあちこちに小さなテントが張ってある。でも全然密ではないし、シートを敷いて座っている人も目立って飲食をしている風はない。原っぱでは子供たちが追いかけっこをしたり、ボール遊びをしたり、そのわきのテントではお父さんは昼寝をしている。今はやりのチェアリングというのだろうか、持ってきた折り畳みの椅子に腰かけて本を読んでいる人もいた。

 メタセコイアの並木道の両側に設けられたベンチではお年寄りたちが寛いでいる。ちょっと夏めいた光の中で深い緑色に囲まれた彼らの後ろ姿に優しいまだら模様の木漏れ日があたって、どこかフランスの印象派絵画のような感じがした。周りからは少し控えめに、それでもはしゃいでいることが明らかに分かる声が聴こえてくる。

 何もない原っぱでもそれぞれが自分なりの楽しみ方で…、ぼくはいつも思うのだけれど、〇〇ランドのように周到に用意された施設の中で「遊ばせてもらう」のも悪くはないが、こういう風に自分のスタイルで「遊ぶ」方がぼくは好きだ。お金もかからないし…。そういう意味では昔から大好きな公園なのだけれど、この公園でも先年バーベキュー場が整備されたのについで、大掛かりなフィールドアスレチック場も殆ど完成して、ここもまた設備に頼って「遊ばせてもらう」類の場所になってゆくような感じがする。


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  池のほとりに行くと、ここのカモは人がいじめないから余り人を怖がらないのでつがいで草原の上をよく散歩している。それを幼い姉妹が目ざとく見つけて、カモの後ろについてゆく。驚かさないように両手を後ろに組んで二羽と二人が道端を散歩している姿がなんとも可愛い。そのうちお姉ちゃんの方は飽きたらしく戻って行ったけど妹の方はずっとカモの散歩にお付き合いしていた。

 丘の上には筋雲みたいな刷毛ではいたような雲が青空と良い割合で空を飾っている。今は彼らの愛の季節なのだろう、地上ではハトの求愛ダンスが空ではカラス達の追っかけっこが盛んだ。散歩の犬はのどが渇いたのか水飲み場で美味しそうに水を飲む。局地的にこの公園だけを見れば、以前のお花見時のように大勢の人が集まりゴミだけを残してゆく姿が消えて、ちょうどいいくつろぎの空間になったと言えるけど…。一方では長引くコロナ禍の中で商売が続けられず塗炭の苦しみにあえいでいる人が多くいることも忘れてはならない。

 日本に限らずこのパンデミックはその社会の弱いところを浮き彫りにするようだ。コロナ禍で日本の政治や官僚システムが迅速に戦略的に動けないこと、ITが世界から周回遅れで遅れてしまっていたこと、医療の体制や政策がリスク対応できないシステムになっていたこと等々、多くの課題が浮き彫りになった。この教訓を将来に活かせればいいのだけれど、のど元過ぎれば…ということにならなければ良いが。

 
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猫宅の必需品 [猫と暮らせば]

猫宅の必需品

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 昔から多頭飼いで猫を飼っているので、家の中の環境には気を使っているつもりだ。家具や家の壁や柱などが爪などで傷むのはこれは織り込み済みの前提として仕方ないけど、猫のためにも清潔な環境に保つのは結構手間のかかることも多い。
 
 トイレの砂をまき散らしたり、毛も飛ぶから一日何回も掃除機はかけるけど、草を食べた後毛玉を吐いたり、我が家ではこれを「猫のゲー」(猫がゲーゲー言って吐き出すもの)と言っているけど、それが床や絨毯の上に散乱することは日常茶飯事で、最近は一番年上の猫のレオが歳のせいか寝起きに寝ぼけてあらぬところにオシッコやら、もうちょっと立派な固形物を残してゆくことも頻繁になってきた。

 歳でなくとも唯一の雌猫のモモは若猫のハルが自分のテリトリーをないがしろにすると、時々ストレス、不満が爆発して「え~い、ここでしてやるっ!」とあれや、これやの不満の塊をお出しになる。特に和室の絨毯の上にされると大変なのだ。そのたびにペーパータオルとバケツと雑巾と電動ブラシとそれから絨毯から水分を吸い取るケルヒャーの吸引機をもって駆け回ることになるのだ。

 ケルヒャーの吸引機は元々ガラスや車を洗った後の水滴を吸引するものだからそんなに吸引パワーはない、と言って専門のリンサークリーナーはそれだけで7~8万円もするのでそんなの買えない。と、ぼやいているうちにあのアイリスオーヤマがやってくれました。それにうってつけのリンサークリーナーが安価にそれも7000円程度で買えるものを出してくれたので、さっそくゲット。

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 それが昨日配送されてきたけど、結構大きい。タンクにホースとブラシ付きノズルが付いたような感じ。組み立てるとコンパクトに収納できる工夫はされているので、いざというときこれ一つ抱えて駆けつければ事足りる。ノズルにスプレーが付いていてそこから水かぬるま湯を吹き付けるようになっている。泡の出る洗剤は使えないけど、ぼくはアルカリウオッシュか超電解水を予め絨毯に吹き付けてやっているけど効果はてきめん。

 パワーも強いけど音もすごい、でも見る見る汚い色した水がタンクに吸い込まれて、しかも丁寧に吸引ブラシをかけた後は絨毯が少し湿っている感じくらい。これで心理的ストレスがずっと楽になった。終わった後にクリーナー自体を掃除するのが結構めんどうで大変だけれど、こういう作業はぼくは嫌いじゃないので気にはならない。絨毯だけでなく布製のソファや椅子の座面もリンスできるのでいい。猫のみなさん、さぁ、いつでもかかっていらっしゃい。



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 *アイリスオーヤマさんからは特に広告料などは貰っていませんので、お使いになる場合はあくまで自己責任でどうぞ。w

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