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終戦記念日の朝 [gillman*s park]

終戦記念日の朝
 
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 月曜日、終戦記念日の朝の散歩。終戦から今年で77年。戦争が終わった1945年の77年前が明治維新。最初の77年で日本は三つの大きな戦争をしてきた。そして次の77年は幸い戦争をしないで済んでいる。これからもそうであるという保証はない。

 夏休みの時期になると、いとこ達とここら辺を遊びまわっていたことを想いだす。叔母のところにはぼくと年の近い三人のいとこ達が居た。実はその上にあと二人のいとこも居たのだけれどぼくは会ったことはない。終戦間際ソ連軍の急な参戦で満州に居た叔母夫婦はロシア兵から逃れて日本に引き上げる途上でその二人の子を亡くした。叔母はその話を一切しなかった。
 
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 他の叔父は終戦後長い間ロシアに抑留されていた。その叔父も抑留生活について話すことはなかったけれど、一度だけ酒を飲んだ時に、シベリアの零下数十度のラーゲリ(強制収容所)の中で、朝起きると並んで寝ていた隣の同胞の顔にびっしりと霜が積もって死んでいたという話を聞いた。まだ子供だったので「抑留」という言葉さえよく分からなかったけど、怖い話ではあった。

 母が一番可愛がっていた弟は学徒動員で軍事工場に徴用され過労のため病んで夭折しているが、その話はしたがらなかった。戦争の体験を語り継ぐというけれど、それは本人たちには想い起すだけで耐えきれない程つらい話なのに違いないのだ。個人としては抗うことのできない力で理不尽に奈落に突き落とされた記憶だから。

 そしてそれは終戦によって、唯々他の国の人をも苦しめることに向けられた力だったと知らされた時に二重に負わされた苦しみを抱えることでもあったように思う。はや、公園ではアブラゼミの夏は終わろうとしている。
 
   ■甲高き ラジオの時報 終戦日 (片山由美子)


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目を洗う [gillman*s park]

目を洗う
 
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 公園散歩。毎日見続けることによって目の中に消えてゆく景色がある。時とともに、確かに目の前にあるのに無いものになってしまう景色。始めはドキドキしながら見ていたはずの光景が、いつの間にか目の隅に消えてゆく。

 時々は目を洗う作業をしないと、ぼくらの前からかつては光り輝いていたものが光が失せ、そしてやがて消えてゆく。少年たちのあのキラキラした瞳は、初めて見るものに満ちたこの世界に興奮している証だ。

 歳をとると見たことのあるものばかり、白内障で濁った目の底で多くの景色が失われて、見たいものしか見ない時がやってくる。なので時々は目を洗って視点を新しくする必要がある。それでも少年の目を取り戻すことはできないけれど、あの頃は見えなかった、今しか見えないものを探し出して見つめてみることは出来る。下手なんだけど、それでもお散歩写真を撮り続ける意味はまだあると思っている。
  ■犬抱けば 犬の目にある 夏の雲 (高柳重信)
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蓮華譚 [gillman*s park]

蓮華譚
 
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 朝、ちょっと出遅れて六時半に家を出たら街はもう動き出していた。今日は冬の間から準備していた池の蓮田に少しづつ蓮の花が咲き始めたのでそこを通り抜ける。

 鈍色の空の下で白い蓮の華が妖艶に光る。蓮の台(うてな)の上では脚の長い蜘蛛のような虫が蠢いていた。仏の手のひらの上で蜘蛛が遊んでいるような。恥ずかしい話だけど結構大人になるまでぼくは睡蓮は同じようなものだと思っていたけど、英語で言えば蓮はLotusだし、水蓮はWater Lillyというらしい。

 蓮は水面の上に葉も花も突き出ているが、睡蓮はモネの絵のように葉も花も水面に浮かんでいる。さらに睡蓮の葉には切れ込みがあるというのが違いだ。蓮は泥水のような濁った水の池から頭をもたげて地上に美しい花を咲かせるので仏教では救済の象徴のようになっている。

 
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 育った文化や時代で刷り込まれているイメージというものがあるような気がするけど、その一つに蓮の花のイメージがあって、それはぼくらにとってはやはり仏教に関わるのだと思うけど、何となく優しく心を包み込んでくれるようなイメージをぼくなんかは持っている。

 蓮の花で想いだしたのだけれど、70年代のヒッピーには二つの聖地があって、一つはモロッコそしてもう一つはインドだった。そしてインド派のヒッピーたちが描いていたイメージが強烈な原色に近い蓮の花と強いお香の香りだった。彼らの持ち物にはよく蓮の花が描かれていた。

 思い起こせば、1970年の真夏、アムステルダムの中心部のダム広場はそこで一夜を過ごすヒッピー達で足の踏み場もなかった。インターネットなどなかった時代、彼らはここでインドかモロッコへの道のりの情報交換をして、それぞれの道へ旅立った。何かにうなされたような時代だった。
 

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巡る季節 03 [gillman*s park]

巡る季節 03
 
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 学校が夏休みに入ったのか、早朝でも公園で子供の姿を見かけるようになった。今年もコロナのせいか夏休みの早朝のラジオ体操教室はないみたいだけれど、公園には何となく夏休みの匂いが漂っている。アブラゼミの羽化も始まったみたいだ。
 
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 下町の千住で育ったぼくは、子供の頃は夏休みになると荷物を持ってこの近くにある叔母の家に泊まりこんで過ごすことが多かった。叔母の所には同じ年頃のいとこたちがいたので林間学校のような楽しさがあった。

 もちろんその頃はここら辺も田んぼと畑ばかりだったけど、昆虫網をもって夢中になって一日中駆け回り、帰りに祖父の家に寄ってスイカを食べさせてもらうのも楽しみだった。歳をとっても子供の頃遊んだのと同じ辺りを毎日散歩できるのは何にも増してありがたいことだ。

 散歩をしていて目に入る、空中でさっと身を翻した鳥たちの翼の艶やかさや、草原の草が風にたなびいて時折キラッと輝く葉の裏側の白銀のような金属的な輝き。真冬に葉が落ちて骨格だけになった樹々がそれでも凛としてそびえ立っている雄々しさも…、そういったものには子供の頃には気がつかなかった。そう考えると、歳をとるのもまんざら悪い事ばかりではないなと思う。

 
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巡る季節 02 [gillman*s park]

巡る季節 02
 
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 ■公園散歩 7月20日

 今日も早朝の内に公園散歩。昨日までは戻り梅雨のような天気だったけれど、今日はいかにも真夏の早朝という感じ。花壇にちょっと寄ってから林の方へ。

 この間は見られなかった蝉の抜け殻があちこちの樹についている。かなり低い位置に土色をした小さな抜け殻がいくつもあるのでニイニイゼミの抜け殻だと思うけれど、他の蝉のはないのでまだこれからのようだ。

 当たり前のことが当たり前のサイクルで巡って来るのが、決して当たり前ではなくなりつつある今の世の中。当たり前のことを見ると少しホッとする。でも、まだ蝉は鳴いていない。静かな、平日の公園の朝。
 

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巡る季節 01 [gillman*s park]

巡る季節 01
 
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 ■公園散歩 7月17日

 前の晩、天気予報を見て、早朝なら雨も大丈夫だと思って久しぶりに早朝の6時過ぎに散歩に出た。でも、どんよりとして今にも降ってきそうな空模様。

 去年、梅雨明け後に蝉の羽化を多く見かけた林の中に入ってみたけど、まだ蝉の抜け殻は一つも見つけられなかった。昼間も蝉が鳴かないし、どこかおかしいのかな…。

 この間テレビでそういう話題が出た時、コメンテーターの長嶋一茂氏が「まだ梅雨明けしていないだけですよ」とさらっと言った。梅雨明け宣言が出ていたので、すっかりその気になっていたけど…。いつでも通用するとは限らないが、時にはそういうシンプルな思考をすることも大事なのかもしれない。

 日曜の朝とあってランニングしている人が多い。そのうちやっぱり、ぽつっと降り出してきた。久しぶりに丘まで行って帰り際に振り返って丘の上の空を見上げたら確かにまだ梅雨空のようだった。


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灼熱 [gillman*s park]

灼熱
 
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 昨日は医者に行く前に公園を少し散歩。朝の6時前に家を出たのに外はもう真昼間の光。今年になって初めての早朝散歩がこんな日で良いんだろうか。その上、ちゃんと目が覚めていないので少しふらつきながら歩いている、なんか徘徊する怪しげな老人…に見えているんだろうな。公園の入り口の民家の駐車場に猫がいる。その猫が身構える。そんなに怪しいかよっ。

 公園に入ると暫く見ないうちに足元にはシロツメクサの絨毯が敷き詰められていた。ここのところ丘を巡る以前の公園散歩コースは半月位歩いていないことに気が付いた。ぼくが来ようとこまいと公園の時間は進んでいる。これで今朝が穏やかな気候なら、ほんとに天国みたいな光景なんだろうけど…、今はただただ熱気で頭がくらくらするだけ。

 一度ちらっとアジサイの花を見たきりであっという間に梅雨明けで夏の真っただ中に放り込まれた感じ。関東のどこぞでは40度を超したらしい。新型コロナで熱が出たってなかなか40度の体温にはならない。その上クーラーをかけようと思えば電力ひっ迫注意報とやらで(何度もクーラーをうまく使って熱中症に注意しながら…なんて言いながらも…)何となくクーラーを家の中で複数の部屋で同時に使うのははばかられて、いきおい居間にカミさんとお籠りするような形になる。

 コロナ禍で街にも行けず、家の中でも二階にも行けずなにやら真夏の囚人のよう。昨日の晩、本が読みたくなって二階の書斎に取りに行ったら、デスクの脇に置いてある温度計は38.4度を示していた。何か火事場にものを取りに来たみたいで無意識に息を止めるような感じで本を手に慌てて階下にもどる。いつもぼくの後をついて回っているハルが一緒に上がってきたのだけれど、お~っと、という感じでUターン。
 
 心も身体もちゃんと夏を迎える覚悟をしなければ…。それも尋常でない覚悟を。ウクライナ戦に伴うロシア制裁の余波で日本も返り血を浴びることになるのだけれど、それの影響が本格化してくるのはこれからなので灼熱だけでなくてこれからの極寒、インフレということも含めて、いろいろと覚悟しておかなければならないことが山積みなのだ。それにしても、暑い!


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Suddenly it's Summer [gillman*s park]

Suddenly it's Summer
 
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 ■日日

  ある日僕は思った
  僕に持ち上げられないものなんてあるだろうか

  次の日僕は思った
  僕に持ち上げられるものなんてあるだろうか

  暮れやすい日日を僕は
  傾斜して歩んでいる

  これらの親しい日日が
  つぎつぎ後ろへ駆け去るのを
  いぶかしいようなおそれの気持ちでみつめながら

  ■Days
  One day I wondered if there was something
  I would be unable to lift.

  The next day I wondered if there was anything
  I would be able to lift.

  As days lead toward darkness
  I walk on slumped over.

  watching, with doubt and fear,
  those familiar days gallop away backward,
  passing me by, one after another.

   (「二十億光年の孤独」谷川俊太郎/W.I.エリオット訳、集英社)
 

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 ついこの間梅雨入り宣言が出されて、それから幾日か梅雨らしい雨の日が続いた。これは今年は梅雨らしい梅雨になるんだろうな、と久しぶりに物事が当たり前のようにいつも通りに進みそうな安心感みたいなものを感じた矢先だった。それが、どうやらいきなり夏がやってきてしまったみたいだ。

 最近、世間の何もかもが既定路線から外れて先がどうなるか見通せなくなっていたのだけれど、考えてみれば季節も例外ではない、というか季節こそ「例年並み」という言葉が通用しない時代になってきたのだと思い知らされる。

 ここのところ身体の調子がイマイチなので、公園散歩の頻度も距離も落ちていた。そろそろ元に戻そうかなと思っていたけど、今日なんぞは散歩どころではない。こちらはまだ心も身体も夏の覚悟ができていないのに夏の方からすり寄ってきた。昔は夏が好きだったから、もしかしたらその頃のぼくなら喜んだかもしれないけれど…。

 もう一度夏を喜ぶ心と身体を取り戻したいとは思うけれど、無理すれば公園で行き倒れということになりかねないので、また早朝散歩に切り替えるしかないなと。歳とともに段々やれることが少なくなってくるのは仕方の無い事なのだけれど、それが本当に歳のせいなのか、自分の不甲斐なさのせいなのか定かではない。

 何しろ、ぼくは老人になるのは人生でこれが初めてなもので…。若い頃は去年できなかったことが今年は出来るようになった、と喜ぶことが沢山あったけれど、今はその逆で戸惑い落ち込むこともある。

 ただ、今までの長いリハビリ生活の経験を通して歳をとっても取り戻せるものも、保ち続けられるものもないではないことも知っている。そういうものを見極めながらやってゆくのは、もしかしたら若い時でも今も同じかもしれない。若い時は自分の才能や力を瀬踏みしつつ希望と落胆を繰り返しながら生きて来た。

 昔はその限界も思い知ったけど、まぁ、それでも何とか生きてゆこうという意思は今でも変わらないし、自分なりの感性は持ち続けたい。ただ昔に比べれば少し無理をする必要がなくなった、もしくは出来なくなったということはあるかもしれないけど…。何はともあれ、今日から後期高齢者になった。感謝。
 


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優しい公園 [gillman*s park]

優しい公園
 
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  今年に入って帯状疱疹かできて、先週の内視鏡検査では食道にカビが生えており医者は免疫力が大幅に落ちているためだと言う。再度精密検査をすることになったけれど、そろそろ本気で抜け出さないとまずいぞと思い始めた。公園散歩の回数も極端に減り始めていた。

 はや三年になんなんとする自粛生活は年寄りにとっても、というか年寄りにとってこそ唯でさえひたひたと忍び寄ってきている老化の足音が、それこそ駆け足になってやってくる気さえしている。

 人に会えない、ジムにも行けないジレンマをZOOMのオンラインと室内トレーニングで代用してきたつもりでも、それはやはり一段レベルの下がった代替行為であるような気がする。


 今日は医者の帰りにちょっと公園に寄ってみる。いつもの半分くらいの距離なのに倍くらいの時間がかかる。でも、体調が悪くても心が研ぎ澄まされてゆく時もある。ふと普段見えなかったものが見えたり、聴こえたりするのはまんざら幻ばかりではない。


 梅雨入りを間近にして、空と光の状態がめまぐるしく変わる。公園では紫陽花が目を覚まし、夾竹桃の花が青空に少し揺れて、木陰でやすらぐ子供たちの前をカモ達が横切って飛んでゆく。緑に包まれた今日の公園はとても優しい。


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幾度目の桜 [gillman*s park]

幾度目の桜
 
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 また二週間ぶりの散歩になった。鋭角に空に伸びていた公園の樹々のシルエットはすっかり丸みを帯びたものに変わってしまっていた。桜も染井吉野(ソメイヨシノ)は散って、艶やかな松月一葉などの八重咲の桜とか緑色の桜である鬱金桜が満開になった。

 この歳になると、桜が咲くたびにあと何回桜が見られるかと考える。ソメイヨシノの寿命は人間と同じくらいだとよく言われる。樹木のほんとうの寿命についてはよくわかっていないらしいけど数千年も生きる古木もあるから、それと比するとソメイヨシノは短命ということになるかもしれない。あと何回咲けるかと、それぞれの春はソメイヨシノにとっても大切な春なのだと思う。

 散歩のあいだ、その桜を見ながら考えた。染井吉野の桜でいえばもうそろそろ朽ちそうなこの年齢になっても自分には何か大切な事が分かっていないんだ、という想いがある。もちろん、今だって分かっていない事の方がはるかに多いのだけれど、それでも何か一番大事なもの、それがわかっていないような…。

 自分は若い時に何かをきちんと学ぶための基礎を作り損ねてしまったという気持ちが今でも拭いきれていない。人生でこの歳までに人並みに色々な経験はしたつもりだけれど、遮二無二目まぐるしく日々の経験だけが積み重なっていったので、自分の中で未だにそれがちゃんと消化しきれないでいる。何が残って、何が残らなかったのか…。あと何回桜が見られるかは分からないけれど、一つひとつの春を大事に生きて行こうとは思っている。

 光陰の やがて薄墨 桜かな (岸田稚魚)
 
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