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TANNOYの帰還 [新隠居主義]

TANNOYの帰還

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 いとこの遺品として彼の愛用していたスピーカーとアンプ等を引き受けることにしたのだけれど、肝心の自分の40数年聴いているTANNOYのスピーカーの方が少し前から特に低音が割れるようになっていた。調べてみるとスピーカーのエッジがヒビ割れてボロボロになっている。それも左右両方とも。

 考えてみれば20年くらい前、日本の夏の湿気でコーンがグズグズになってしまい止む無くイギリスに送って張り替えてもらったことがあるのだけれど、エッジの方は気にかけたことはないのだが、本当はそっちの方も気を使わなければならなかったのだ。エッジは人によっては10年くらいで劣化するという人もいるくらいだからコーン張り替えの時にメンテはしてあるとしても、それからでも20年間位は経っているわけだ。

 手頃な価格でエッジを交換してくれる業者が見つかったので丁寧に梱包して送り出した。修理期間は三週間くらいということだったが、きっちりその頃に出来上がって送り返されてきた。スピーカーの修理を機にスピーカー周りのコードの引き回しや、接続機器の整理そしてインシュレーターの根本的な改善など環境整備をすることにした。なんか40数年昔のオーディオに熱かった頃の事を思い出した。

 戻ってきたスピーカーのエッジは見違える程綺麗になっていた。お世話になった修理先の店長の話では将来またエッジが劣化した場合にも交換できるように修理してあるというので安心したけれど、そんなに長くこちらの聴く人間の命の方が持つかの方が心配なのだが…。仮接続して音を出してみただけでもう歴然と音が違う。環境を整えて本格稼働した時への期待が高まる。

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 結線はシンプルにかつ出来るところは全てバナナプラグに変える事で接点劣化のメンテナンスやチェックがやりやすいようにした。接続機器はVTR等のレガシーメディアは外して、CDとDVD、それにTVチューナーだけにした。その代わりバナナプラグ接続型のアンプ/スピーカーのセレクターを間にかまして2アンプX2スピーカーの4通りの組合せの音が出せるようにした。


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 TANNOYレクタンギュラーヨークはスピーカーボックスの下が袴を履いた状態になっているので底面が直接床に触れないようになっており以前は簡単なそれ用のゴムでできたインシュレーターを使っていたが、今回は硬い黒檀材のスパイクとさくら材の受け皿がセットになったインシュレーターを四隅に置きその上に硬質の合板ボードをのせて、その上にスピーカーを設置するようにした。

 二日にわたった作業を終えて音を出してみると今までとの違いに驚いた。一つは長い時間かけてエッジが劣化してきたためか、聴く方の人間の耳もそれに慣らされて劣化に気づきにくくなっていたのだろう、それがこうしていきなり復調してくるとその違いに驚く。また、これはインシュレーターのお陰もあると思うのだけど、特に低音のキレが素晴らしく良くなったように思う。これから音楽を聴く時間がふえそうだ。


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*今回使ったインシュレーターは下の写真のようにスパイクと受け皿がセットになったもので、スパイクのとがった点でスピーカーボックスを支えるようになっています。つまり40キロ以上のスピーカーボックスを4つの点で支えているわけで昔はこういうタイプのインシュレーターはなかったので、ずいぶん変わったなぁと驚いています。

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断捨離 家族の肖像 [下町の時間]

断捨離 家族の肖像


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 断捨離の中でも何とも難しいのがアルバムなど写真の扱いで、写真の中には自分で撮ったものだけではなくて、人の結婚式の写真や両親の時代の写真など量としても結構な量になる。

 

 生前、認知症になって記憶の薄れていったに見せてあげるために昔の写真を整理して主なものをスキャナーで取り込んでiPadに入れてそれを見せたりもしていたのだけれど、それでもまだ膨大な写真が残っている。

 

 ここのところ自分の断捨離も兼ねて母の遺品を整理していて今まで見た覚えがない写真が出てきた。撮られたのは昭和十年前後と思われるので、今から八十年位昔の写真だと思われる。写っているのは母の実家で撮られた家族の写真で、この写真はもしかしたらぼくも昔見たのかもしれないけれど記憶にはなかった。

 

 後ろに立っているのが母で、両端に座っているのが祖父と祖母だ。祖母は若い頃は評判の美人だったと母からよく聞かされていたが、そんな面影が残っている。ぼくが物心ついた時にはもうおばあさんという感じだったから、新鮮な感じがする。

 

 祖父もまだ壮年の容姿で、厳格な昔の日本の家長という感じだ。写真には女の子が三人、男の子が三人写っているが、この後さらに一番下の男の子が生まれているので一番上の長女とは20歳以上の開きがあることになる。

 

 この写真は千住のアサヒ写真館のK.Ishiiというシグネチャーの入った台紙に貼られているから写真屋を自宅に呼んで撮ってもらったものと思われる。よく見るといくつか面白いことに気がつく。子供達の真ん中に子犬が座卓に手をついているのが写っている。

 

 ぼくの家でもぼくが子供の頃から犬を飼っていたけれど、その頃は当然のように外で飼っており、ぼくの近所や友達の家でも座敷で犬を飼っている家はしらなかった。それを考えると八十年も前に座敷で犬を飼っていたのは当時としても珍しいのではないか。

 

 それともう一点は、いわばプロの写真屋が撮った写真なのだけれど真ん中に写っている男の子の顔が座卓の上に置かれた花で顔半分が隠れてしまって見えなくなっている。この男の子は長男で後年ばくもずいぶん可愛がってもらった叔父なのだけれど、その叔父の顔には隠したいものなどはなかったから、とても不可解だ。そう思うと、座卓の上の花瓶がなんとも不自然に思える。その時だけ叔父の顔に何かできものでもできていたのかもしれない。

 

 床の間に松らしきものが飾られていることをみると、正月に撮られたと思われるが、その時の幸せそうな家族の肖像と言えるかもしれない。映画の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではないけれど、ぼくはその後ここに写っている人物がどんな道をたどったか概略を知ってしまっているので、この写真を見ると複雑な気持ちになる。

 

 母は98歳の天寿を全うしたけれど、この写真の中の二人は若くして夭折しているし、祖父母も後年一番下の男の子が生まれた後に離婚している。祖父が外に愛人を作りそちらにも子供ができたのが原因らしい。祖父母は昔としては珍しく恋愛結婚だったらしいが、最後まで添い遂げることは出来なかった。それらのことごとを思うとこの写真は幸福な形でのこの家族の最後の「家族の肖像」だったような気がする。

 

 

 

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*祖母の実家は昔はタバコ栽培を行っていた裕福な農家だったらしく、祖母の代には凋落しかけていたらしいのですが、祖父はそこに跡取り婿として婿入りしたらしいです。しかし、婿の立場が息苦しかったのか、続けて三人できた子供が皆女の子で跡取りが生まれないこともあってか、ある年祖父母は祖母の実家から籍を抜いて一家で東京に出てきたようです。

 その後、祖父は幸い東京都に職を得てその後男の子も生まれました。この写真は東京に来て関東大震災にあいながらも、東京で生活基盤を築いた時代に撮られたものでしょう。一方、祖母の実家の父、つまりぼくの曾祖父は東京に出て行った娘を気遣ってか、ある年の暮れ娘一家に正月に旨いものを食べさせてやろうと田舎でとれた農産物をリヤカーに積んで早朝まだ暗いうちに茨木の家をでたのですが、曾祖父が東京に着くことはありませんでした。

 東京へ向かう途中で心臓麻痺かなにかに襲われたのか竹藪の中で亡くなっているのが発見されたということでした。これも母から聞かされた話で、母の過去帳にはそういうことで曾祖父の命日は大晦日になっています。一枚の写真は色々なことを語ってくれます。

 


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