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眼差し…のような [gillman*s park]

眼差し…のような
 
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 ここしばらく雨が続いてその間に秋本番に急降下したような感じ。やっと今日晴れ間が出て来たので散歩。今日は家を出る前にお散歩カメラをいつもの16:9アスペクト比から1:1のスクウェアに設定してみた。

 ぼくはどちらかというと撮るものから少し距離を置いたスタンスが好きなので、全体的な状況を把握できる16:9というアペクト比が好きだし、今は画像を主にPCやテレビの横長の液晶画面で観るということを考えるとそれも時代にあっているとも言えるかもしれない。もちろん紙にプリントされた写真の世界はそれでも少しも魅力は失ってはいないけれど…。

 たまたま今使っている散歩カメラには1:1というアスペクト比があるけどぼくの持っているミラーレスカメラには3:2と16:9というアスペクト比だけで正方形という縦横比率がない。

 レンズの画角とアスペクト比はいわば撮る人の「眼差し」とも言えるのでそれによって見えてくるものも違ってくるような気がする。そういう意味ではヴァリエーションがあった方が良いのかもしれない。

 もちろん、今は記録画素数が大きいので後処理ですることもできる。3:2などのアスペクト比で撮っておいて、後で正方形にトリミングすればよいのだけれど、それではやっぱり何か違うような気がする。それは今までの慣れ親しんだ眼差しとは異なるのだ。撮る時にそのアスペクト比で見えているということが大事で、それによって撮りたいものも変わって来るような気がするのだ。
 


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 散歩なのに四角い世界に意識がとられて今日は足の方が疎かになっているかも。これじゃ本末転倒だなぁ、もっとリラックスしないとモノが見えてこない。真っ赤に色づいたピラカンサの前の鉄柵に絡み付いたツルの枯葉が、どこか鉄製のアールヌーボーの鉄扉みたいに見えた。どういうイメージがこの四角い世界に馴染むのだろうか。

 ぼくは最近あまり撮る機会がないけど、真四角の難しさは特に風景写真にもありそうだ。絵画でも風景は横長が基本になっていそうだけれど、クリムトは何点も正方形のキャンバスに風景画を描いている。特にアッター湖での一連のがあるけれど、彼も構図には苦労したらしく湖畔の建物を描くのにわざわざ湖にボートを出してそこから描いたりしている。

 写真で言えばビビアン・マイアーがローライフレックスで撮った四角い画面のスナップがとても素敵だ。上から覗き込んで撮るタイプのカメラを首から下げてローアングルからスナップを撮っている。何はともあれまず真四角の世界も好きになることだな。まぁ、そんなことはもっとちゃんと撮れるようになってから考えればいい事なのだけれど…。
 

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眼鏡と鋏 [新隠居主義]

眼鏡と鋏
 
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 老眼が出始めてからは普段は遠近両用の眼鏡をかけているのだけど、乱視と遠視の眼鏡を丸一日かけていると結構目が疲れるので家では外していることが多いのだが、そうするとちょっとした時に、例えば冷凍食品など食材のパックに書いてある調理の注意点とか、薬の注意書きとか、宅配便の配達住所の確認など、読書ではないけど確認するのに一瞬必要な細かい字が読めないで不便する。そのたびに眼鏡を探し回るのが面倒くさいので、居間やキッチン、玄関など家のあちこちに老眼鏡がおいてある。カミさんも最近それを使いだした。

 今生では老人になるのは今回が初めてなので、歳とるとどうなるのか、自分だけなのか、それとも皆なるのかなど戸惑う事も多い。指先の力が落ちるというのもその一つで、ぼくは元々頸椎の後遺症で右手の指先には力が入らないのだけれどそれが顕著になったし、最近カミさんもどうやらぼく同様になってきた。

 以前は何でもなかった、レトルトの袋を開けるのとか、刺身についてくるワサビの小さな袋を開けるのとか、粉薬の包装だの、餃子のたれだの、即席めんについてくる薬味の袋だの、身の回りには小さな袋を両手の親指と人差し指でつまんでちぎって開ける機会が結構多い。考えてみると、小さなものを両手の指先でつまんでちぎるというのは結構高度な作業でどちらの手だけが強くてもダメで、四本の指が同じような力で作用しなければちゃんとちぎることができない。

 何度やっても開かなかったり、いきなり開いて中身をぶちまけたりイライラしているうちに、自分の不甲斐なさにため息が出てきたり、その袋を作ったメーカーを呪ってみたり…。でもそのうち素直に鋏を使おうという気になって、それ以来台所や洗面所や机の上などに小さな鋏を置くようになって気が楽になった。

 というわけで、我が家のあちこちに眼鏡と鋏が置いてある。不便と言えば不便には違いないけれど、道具さえ使えば何とかなるので老いに逆らってイライラしてストレスを溜めるよりもよっぽど良いと思う。老いを嘆くよりそれに慣れて工夫して生きてゆくことも少しづつ考えるようになった。
 

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あれから [gillman*s Lands]

あれから
 
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 ■1970年4月30日 モスクワ 曇

 メーデーの前日。朝早く目が覚めた。ねぼけまなこで出窓のところにあるラジオのスイッチを入れる。ロシア語が流れてくる。まるで音楽のようなリズムを持った言葉だ。空気に独特の匂いがある、いやな匂いではない、シベリア鉄道のボストーク号の中の匂いとも違うが、これも何となくなつかしい匂いだ。…

 朝食の後クレムリン、赤の広場を見にゆく。夕方モスクワ河のほとりを散歩する。明日のメーデーのために街は精一杯の化粧をしている。赤い旗、イルミネーション、プラカード、レーニン生誕100年で街には赤い色があふれている。夕方には人々は相変わらずいつものようにモスクワ河のほとりを散歩する。くれなずむ街をながめながらゆっくりと、一歩一歩、歩いてゆく。「ドーブルイベーチェル!(こんばんは!)」すばらしく、そしてどこか寂しげな街だ。精一杯化粧をしてもどこかに泣きぼくろのある女のように、どこか寂しげだ。…

 部屋に帰るとホテルの窓から見えるモスクワ河のむこうに広がった青白いモスクワの街並を飽きることなく見つめていた。中々日が暮れないで段々と、段々と街が青くなってゆく。モスクワ全体が青くなってゆく。窓際のラジオからはずっとロシア語の放送が聞こえている。(日記より)
 

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 なにしろもう半世紀以上も昔の話なので、ぼくの記憶の中でもそれは霧に包まれた林の光景のように一本一本の樹の形は曖昧で全体の雰囲気だけが感じ取れるまでに劣化していた。それが断捨離で行っていた作業、つまり大昔に撮った写真のネガを整理してスキャンするうちにその霧が少しづつ晴れて来た。

 自分でももう忘れていた多くのネガの中にモスクワメーデーの写真が数十枚も紛れていた。熊みたいな大柄なロシア人に揉みくちゃにされながら懸命にシャッターを押していた記憶が残っている。カメラはペンタックスのSPと確かヤシカのレンジファインダーのカメラを持ってゴーリキ通りとマルクス通りを抜けて赤の広場辺りをうろついていた記憶がある。

 ぼくは特に社会主義に関心があった訳でもなかったし、当時の学園紛争の中にあってもいわゆるノンポリといわれる存在で、どちらかと言えば大学の授業を追及集会という闘争の場に変質させてしまった社会主義かぶれの学生達の言動にうんざりしていた方だ。

 とは言えあの時代は日本中が社会主義傾倒者と反共主義者の両極端に揺れていた。モスクワはぼくにとってナホトカからモロッコのカサブランカに至る長い道のりの途上の街に過ぎなかったし、そのルートを選んだのも単に経済的な理由からだった。
 

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 理由は単純にそれだったのだけれど、それでもモスクワは二十歳そこそこのぼくにとって生まれて初めて接した西欧の大都市という意味では計り知れないインパクトを与えた。ソ連政府直営の旅行社に選択の余地なく宿泊させられた摩天楼のようなホテル・ウクライーナはまるで帝政ロシアの幻影のように見えたし、街中を赤く埋め尽くした旗とプラカードを持った人々の熱気に圧倒された。

 それらの熱気は何に向けられていたのかは当時も今も分からない。街に溢れる社会主義のプライドみたいなものとホテルの周り等にたむろする大勢の闇ドル屋、得体の知れない女たち、チューインガム欲しさにそれと交換するバッジをチラつかせる少年達、その何ともちぐはぐな印象が今でも頭にこびりついている。そこに自由の空気は全く感じられなかった。

 メーデーの日の夜12時にモスクワの白ロシア駅からワルシャワ経由ウィーンゆきの「ショパン号」に乗って翌朝ウィーンについた時に感じたあの安堵感と解放感は今でも忘れることが出来ない。身体中の空気を入れ替えたくて大きく深呼吸をした。あれから半世紀、あの赤い帝国があれ程いとも簡単に瓦解するとは当時は考えることもできなかった。あの国の人々はそのショックから未だに抜け出せていないのかもしれない。
 

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猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その43~ [猫と暮らせば]

猫を巡るアフォリズム Aphorisms on Cats ~その43~
 
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 ■猫は、自分の同意のない変化を嫌う。(ロジャー.A.カラス)
  Cats don't like change without their consent. (Roger A. Caras)
 

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 猫は臆病で、時には大胆でそして我が儘だ。なんだか時々自分を見ているような気がする時がある。もっとぼくは猫ほど優雅じゃないけど…。そしてどちらかというと保守的なところも似ているかもしれない。家の中の家具やクッションでも少しでも位置を変えようものなら、納得するまで用心深く匂いを嗅ぎまわって「これ、誰が動かしたの」とチラチラとこちらをうかがう。

 ハルは今までの猫の中でも一番用心深い方だ。人が訪ねてきたと思ったら姿を見せないし、宅急便のベルが鳴っても姿を消す。居間はご飯の時にはいるけど大抵はぼくの書斎で寝ている。ぼくの机の上も自分の寝床だと思っているらしくのうのうとして寝ているがそれに飽きると、今度はぼくの座っている椅子を狙って、身体をこすりつけてきて「そこ、どいてちょうだい」攻勢にでる。結局どかされて、ぼくはちゃんとしたオフィスチェアがあるのに、いつも安手のパイプ椅子に座って長時間パソコンに向かうことに。

 ここのところちょっと集中的に大昔のネガを整理してスキャンするという作業をしているのだけれど、ハルはその作業に自分の机が長時間占領されているのが我慢がならないらしい。今日はその作業をしているところに座り込みの抗議行動に出た。怪しく光を放つライトボックスに「なんじゃこら!」といちゃもんをつけ、つづけてネガフィルムのケースを蹴散らし凄い顔でぼくを睨みつける。やっぱり、事前に彼に一言断って始めなかったのがまずかったのかも…。とりあえず今日の作業はここまでとしよう。確かに猫は、自分の同意のない変化を嫌うという格言は正しい。しかし、はたして同意してくれるかはこれまた分からない。
 

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