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お稽古場 [下町の時間]

お稽古場

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 先日、亡くなった母の関連の手続きで以前住んでいた千住に用があって杖を突きながら行った。兄と待ち合わせをしていたのだが、時間よりちょっと早く着いたので待ち合わせのその建物の裏手にある懐かしい場所を覗いてみようと足を向けた。

 恐らくもうかれこれ60年近く来てはいないし、周りの街並みはすっかりと変わってしまったのだけれど、方向音痴のぼくなのに、その時は様変わりしていた細い路地の入口を不思議と見逃すことが無かった。きっともう変わってしまって分からないだろうと思っていた矢先、そのお稽古場は昔よりずっと小奇麗になってはいたけれど、ちゃんとそこにあった。


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 そこはぼくが子どもの頃週三回お稽古に通っていた日本舞踊の坂東流のお師匠さんの自宅兼お稽古場だ。お稽古場の看板にはぼくが教わったお師匠さんの坂東勝浜さんの名も残っている。今のお師匠さんはその娘さんで、その旦那になる人を引き合わせるきっかけを作ったのはたしか母だった。

 その場所を前にして急に色々なことが想い出された。床下に響をよくするために瓶が活けてあると教えられていた舞台をトンと踏んだ時のあの小気味良い音。舞台の前に座り踊りと同時に三味線のお稽古もつけていたお師匠さんの姿。そして当時、お稽古から家に帰る途中にお寺があって冬の日の夕暮れ時などその墓地のわきを通るのが小学生だったぼくは怖くていつも目をつぶって急ぎ足で抜けていたのも思い出した。

 学校が終わってからお稽古に行くのだけれど、時にはみんなで遊んでいた草野球を途中でぼくだけ切り上げてお稽古に行かなければならない時もあって、「これから踊りのお稽古だってさぁ」などとからかわれることもあった。いじめられることは無かったけど、ぼくとしては、そりゃあみんなと野球をしている方が楽しいわけで何年かたって結局辞めてしまった。

 ずっと後の大人になってから、あのまま続けていればよかったなぁとは思うけれど、まるで無駄だったかというとそうでもなくて、三味線や端唄、小唄などの邦楽の調べが今でも耳の底に残っているし、もう踊れないけど他人の踊りのうまい下手くらいは今でもわかる。時折気づくのだけれど、何よりも幼い心に刻み込まれた「和」の空気が今の自分の美意識の土台の一つになっているような気がする。そういう意味でもこの出会いに感謝。

 時間があれば本来お稽古場に寄って挨拶するのだけれど、今は時間がないので改めてこんど手土産をもって挨拶に来ようと思った。当時女学生だった今のお師匠さんはぼくのことをもう覚えていないかもしれないけど…。



日本舞踊憲二016rss.jpg


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 *日本舞踊の曲は小唄端唄(はうた)もしくは長唄が多いのですが(他にも新内、清本そして常磐津などがあります)、そのほとんどは男女の関係の細かい機微をうたったものが多く、小学生には意味など分からないので呪文のように憶えていましたが、中にはぼくも最初に習った「桃太郎」などの分かりやすい題材のものもありますが、ごく少ないです。

例えば、ぼくも習ったことがある端唄の「わがもの」の歌詞は、

 [わがもの]
 わがものと 思えば 軽き傘の雪
 恋の重荷を 肩にかけ
 芋狩り行けば 冬の夜の
 川風寒く 千鳥鳴く
 待つ身に辛き 置炬燵
 実にやるせが ないわいな
  →芋狩り=妹許(いもがり)…妻や愛しい人の居るところ

 当時、お稽古場では細かい所作の処はお師匠さんが口ずさみながら指導しますが、通しで踊る時などにはその曲のSPレコードをかけて踊ります。SPレコードは最大でも5分位なので、その長さで収まる端唄、小唄はそういう意味でも適していたと思います。

 日本舞踊も上級になってくると段物(だんもの)と言って長編の常磐津(ときわづ)や長唄が入ってきます。長唄などは長いものだと30分近いものもあり、SPレコードが複数枚必要になります。歌舞伎の踊りなども小唄や清本などの世界なので、聞いていてどこか懐かしい感じがします。

 今はLPや色々な音楽プレーヤーがあるのでお稽古場ではどうしているんでしょうか。今度いったら聞いてみたい気がします。


 **ぼくも良く分からないんですが、分かりにくい日本舞踊の音楽の背景をそれが演じられた場所で、勝手に分類して自分なりに整理してみるとこんな感じになるのかなと。

 ①劇場系、②お座敷系、③門づけ系

 常磐津義太夫清本などは浄瑠璃の一派で芝居小屋等で演じられる①の劇場系かなと、また踊りはないですが、寄席などでも演じられた俗曲である都都逸(どどいつ)なども劇場系かもしれません。

 それに対し端唄小唄は芸者さんなどがお座敷で歌い踊るもので②のお座敷系かな。お座敷で30分もやられたらたまらないので短いのかもしれないです。

 また新内(しんない)は新内流しという言葉があるように「え~、お二階さんへ…」などと家の門の前に立ち演奏する流し的なもので③の門づけ系、但しこれも元は浄瑠璃の一派だったようです。いずれにしても子供にはわかりにくい世界です。



MutterTanz.jpgありし日の母の踊り





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コメント 8

mimimomo

こんにちは^^
gillmanさんと日本舞踊(@@ 何だか結びつきませんが(何と言ってもドイツみたいなものと結びつくので)どう言うものでも子供のころ習ったものって、何かの折に役立ちますね。無駄ってないでしょう。わたくしが小学生のころ、友人が日本舞踊をやっていました。今の家のお向さんは花柳流のお師匠さん^^
by mimimomo (2018-10-25 12:12) 

kuwachan

懐かしさでいっぱいだったことでしょう。
私が子供の頃住んでいた場所は、すっかり変わってしまいました。
by kuwachan (2018-10-25 12:30) 

JUNKO

懐かしい場所に行かれたのですね。日舞をしている人はこちらでは極めて少ないです。そういう雰囲気の全くない土地柄ですね。私にとっては異次元の世界です。
by JUNKO (2018-10-25 16:25) 

Inatimy

猫ちゃんが可愛い。2枚目の写真でも座ったままで。
祖父が長唄を教えていて家に生徒さんが来られていたのを覚えてます。
園児だった私には妙な調べな唄声がちょっと怖かったんですが^^;。
でも一番最初に感じた「和」な空気です。
by Inatimy (2018-10-25 18:04) 

TaekoLovesParis

すばらしいです。お母さまの舞姿。衣装も粋ですね~。
gillmanさんにもお師匠さんの所でお稽古をさせてくださって、一生の宝物ですね。その昔、下町の粋な旦那衆は長唄を習っていたと聞いてます。
①劇場系、②お座敷系、③門づけ系 なるほどー、系統分けで考えると、わかりやすいですね。
by TaekoLovesParis (2018-10-25 22:38) 

engrid

凛々しいお姿でいらっしゃいます
ご母堂様も艶やかに
お稽古ごと 主にお花と、茶道ですけれども
和の心を学び、所作を少しながら自然に身についたのではと いまでは思っております、指導、教授していただいた環境にも恵まれていましたこともあります
by engrid (2018-10-29 17:09) 

女王猫

うちの近所の、知り合いですが「ばんどうりゅう」って言うてはりましたよ~もう70近い?くらいの方です、女形の化粧をして踊ってはりましたgillman さんと同じ「坂東流」なのかどうかは知りませんが、その方は色々と事業をされてきた方であちこちに住んでいたと聞きました。
もし、同じ坂東流なのであればご縁を感じるな~…
お着物が一瞬「え、ビトン?」って思っちゃいました♪gillman さんのこのお写真はお顔は白塗してはらんのですか?叔父もこんな写真があるのですが、母が白塗りの化粧をしてやったのだと話していたのを覚えています。

by 女王猫 (2018-11-06 23:47) 

coco030705

こんばんは。
gillman さん、踊りの着物姿、素敵ですね。それに賢そうな子供さんですね。お母さまもとてもおきれいです。
私は長唄を習っています。先日、踊りの方とご一緒に「秋の会」をやり、生の長唄で踊りを踊っていただくという趣向のプログラムも含まれていました。楽しかったです。和楽はやはり日本人の血の中に息づいているのでしょうね。

by coco030705 (2018-11-25 22:58) 

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