SSブログ

Casablanca カサブランカまで [NOSTALGIA]

Casablanca カサブランカまで


groanada1971b.jpg
グラナダの裏路地で


 コロナ禍で時間があるので断捨離の一環で写真の整理をして残す物だけスキャンしてデータでとっておこうと思った。若い頃の旅行の写真やネガがいくつか見つかったのだけれど、色抜けや画像自体が薄くなっているものが多い。いくつかのソフトを使ってみるつもり。それにしても、50年というのはもう凄い昔のことなんだなぁと実感。好きなグラナダなどで結構沢山撮った写真が見つからない。

 自分はいつも人の縁に助けられていると感謝している。初めて一人でモロッコに行った時、スペインのグラナダを拠点にしてそこに荷物などを置いて身軽に行きたいと思ったけど、半月以上もホテルに滞在したり荷物を置いてもらうようなお金はなかったので諦めようとした。

 泊まっていたグラナダ駅前のペンションのおばちゃんにその事を話すと、私の知り合いがカルメン広場でグラナダ大学の私設の学生寮をやっていて、夏休みは故郷に帰る学生もいるから部屋が空くはずなので行ってごらんと言われた。

 教えてもらったカルメン広場のペンション・クリスチーナを訪ねていくと、おばさんのいう通り空き室があって安い値段で貸してもらえることになり、モロッコから帰ってくるまで荷物も置いておいてくれることにもなった。住み始めると隣の部屋のグラナダ大学の学生と友達になって、近所にあるグラナダ大学と提携している民間の学食を教えてもらいいつもそこで定食を食べていた。

 普通の三分の一くらいの値段で食べられるので金銭的にもすごく助かった。アルハンブラ宮殿の受付のお姉さんと顔見知りになると夕方になると顔パスでタダで入れてくれるようになった。毎日夕暮れになると宮殿の屋根の上に登って夕日を見るのが楽しかった。

 ある日街でギター留学に来ているという金指さんという日本人と知り合いになって、この街に長くいる彼の案内でサクラモンテの丘にあるアルバイシンというジプシーが洞窟住居に住む地区に通うようになった。サクラモンテの丘から見た夕陽に染まる真っ赤なアルハンブラ宮殿は生涯忘れることができない。全て縁が引き寄せてくれた経験だ。

Andalucia1971b.jpg
アンダルシアの田舎町で


 グラナダから列車でジブラルタル海峡の港町アルヘシーラスに行きそこから船に乗ってアフリカ大陸の突端にあるスペイン領のセウタと言う街にわたり、一泊して翌朝キャラバンバスでモロッコの首都ラバトに行った。首都と言ってもバスの着いたメディナの入り口にあるターミナルは地上数センチ位までラクダやロバの糞らしいものが積み重なって凄い異臭がした。時折風が吹くとその藁みたいな塵が舞い上がる。

 道を聞きながらやっとユースホステルを見つけたけれど、ホステルとは名ばかりトイレの戸は閉まらないし、天井に穴が開いていて寝ていて星が見えるという風流な感じ。蚕棚のベッドの下段はイギリス人のバックパッカーで夜中抜け出してどこかに行った。そいつが朝大騒ぎしているので何かと思ったらブーツにサソリが入っていたとわめいていた。

 あばら家だけど中庭は上によしずが張ってあって快適な空間だった。そこでこれからの旅の情報交換などを行うのだけれど、ぼくはそこでキャシーというアメリカ人の女性と知り合った。日焼けした肌にプラチナブロンドの髪をひっつめにして精悍な感じがする。かなりの美人。

 聞けば彼女はケープタウンからここラバトまでヒッチハイクでアフリカ大陸を縦断してきたという。それも一人で。危険じゃなかったかと聞いたら「女は盗られるものは一つだけど、男は盗るものがなから命をとられるかも…」とさりげなく言った。ここまで来るのにそれは決して大げさではない事を知っていたから、ぼくは返す言葉が無かった。いつもノープランで行き当たりばったりのぼくでもそれは無理だと思った。

 結局モロッコには二度行っていずれもカサブランカで引き返した。最初はミュンヘンで友達と待ち合わせていた期限が迫っていたから戻らざるをえない。携帯もない時代だから変更の連絡はつかない。二度目はドイツの友人と一緒だったがアルヘシーラスに置いて来た車が心配だったからという事情はあったけれど、もしそれが無くても果たして全てを捨ててその先に行く勇気があったかというと、それは無かった。五十年も昔の話である。
 
Casablanca1971.jpg
カサブランカの海岸で
 
 

Nostalgia07.gif

Jugendherberge1970b.jpg当時のユースホステルの利用証


 *携帯もインターネットもない時代の旅は、今では自分でも想像することができない位異次元の経験となりました。当時持っていたのはトマスクックの国際時刻表一冊だけでしたから。今の自分には到底できません。
 
 今は自分で海外を旅行する時も旅先でネットで調べてホテルを予約したり、列車の時刻表を調べたり…それなしでは考えられなくなりました。以前、避難民の人たちがGPS地図を見て逃走経路を辿っているのを見て驚いたことがあります。

nice!(37)  コメント(4) 
共通テーマ:アート

nice! 37

コメント 4

TaekoLovesParis

50年も前、1ドルが360円の時代ですね。海外旅をする人が少なかった時代。そんな時代にモロッコとはすごいっです。私もモロッコへ行きましたが、1ドル150円以下だったので、マラケシュからフェズまでタクシーをチャーターして砂漠ドライブでした。若い頃の予定があるようなないような旅は思い出深いですね。
by TaekoLovesParis (2021-10-07 19:29) 

Baldhead1010

昔のネガフィルムは保存状態が悪くほとんど黴びていたので捨てました。
アルバムの写真も、子供や孫たちも見ることはないでしょうね。
by Baldhead1010 (2021-10-09 10:17) 

ナツパパ

とても素敵な旅のお話です。
今でも、そうやってつつましやかな旅をする若者も多いのでしょうね。
観光地巡りよりもずっと得られるものが多いように思います。
わたしもユーズホステルはずいぶん利用しましたが、国内のみでした。
by ナツパパ (2021-10-09 15:33) 

めぎ

うちのドイツ人も50年前そんな感じで旅をしていたようですよ。
そして、そこで出会った人たちに色々と助けられたり現地ならではの体験をさせてもらったり素敵な女性に出会ったり…と。
今の旅行は便利になりましたけど、失ったものも大きいように思います。
外国にいても四六時中日本と繋がっているようでは、日常の延長ですものね。
by めぎ (2021-10-16 05:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント