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Baltic Dreams Ⅱ ~リガへ~ [gillman*s Lands]

Baltic Dreams Ⅱ ~リガへ~

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 ■… ところで、これが一体どんな種類の八等官であったか、それを読者に知らせるために、この辺でコワリョーフなる人物について一言しておく必要がある。八等官といっても学校の免状のお蔭でその官等を獲得したものと、コーカサスあたりで成りあがった者とでは、まるで比べものにはならない。この両者は全然、類を異にしている。学校出の八等官の方は……。だが、このロシアという国は実に奇妙なところで、一人の八等官について何か言おうものなら、それこそ、西はリガから東はカムチャツカの涯はてに至るまで、八等官という八等官がみな、てっきり自分のことだと思いこんでしまう。 …
 (ニコライ・ゴーゴリ「鼻」より/平井肇訳)


 

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 いよいよラトビアのリガに向けて国境を越えて行くのだけれど、リトアニアラトビアはEUの加盟国同志だから国境検問はもうない。ただ国境の名残としてゲートとトイレや簡単な休憩場みたいなのは残っているのでそこでトイレ休憩。

 国境を超えるといきなりガタガタ道の連続。幹線道路でも片側一車線、路側帯なしみたいなのはリトアニアでも同じだけどこんなにガタガタ道ではなかった。結局何時間か走った後にスムーズな道に出たけど…。

 ガタガタ道が終わっても制限速度は70キロだけどみな結構とばしている。さっき云ったように片側一車線だから追い抜きをかける時はちょっと勇気がいる。ぼくの乗ったバスの運転手が前にちょっとでも遅いトラックなどがいると、もう抜きたくてうずうずしているのが分かるのだ。

 ちょっと左側によって反対側車線の先を見渡す。道はとにかく真っ直ぐなので見通しは良い。はるか彼方にでも車のライトが見えれば元の位置に引っ込む。(こっちでは昼間でも車のライトをつけている) 何しろスピードが出ているから一瞬で対向車は目の前に来てしまう。相手の車線に入り込んだら一気呵成に抜いて自分の車線に戻らないといけない。もし、追い抜きをかけて、車線変更した時抜かれる車がスピードをあげたら、即自分がスピードダウンして車線に戻らないと正面衝突になる。

 なにしろ一車線で、ほとんどの場合退避すべき路側帯は無いのだから一瞬の判断が大事だ。最もスリリングなのは追い越そうとした時、はるか彼方の前方でも追い越しが行われている時だ。こうなるとちょっとしたチキンレースだ。先に引き下がった方が負け、みたいな。確か大昔フランスの片田舎で同じような経験をしたことがある。

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 リガのホテルに着いた時には夕方七時半過ぎになっていた。それでも今どきはここら辺なら十時過ぎまでは充分明るいから一日はまだまだ残されている。ホテルの部屋に入って荷を開けて一息つく。

 ホテルはダウガヴァ川の岸辺にありちょうど対岸にリガの旧市街が広がっている。部屋のデスクに座って窓に目をやると、窓枠の下からちょこっと大聖堂の頭がのぞいている。街は霧雨にもやったようにかすんでいる。ここで初めてリガにやってきた実感がわいてきた。

 リガの街はぼくが勝手に思い込んでいた街よりは大きかった。街の中にはロシアのリガ、ドイツのリガ、ハンザ都市のリガそしてリトアニア人のリガが今でも入り混じって存在していた。街の至る所に使われていない建物や修復途中の建物がみられた。

 ミハイル・エイゼンシュテイン等によるユーゲント・シュティルの建物が見事に建ち並ぶアルベルタ通りにもこれからの修復を待つ建物がいくつもあった。ぼく自身はオットー・ヴァグナーが晩年に設計したウィーンの郵便貯金局のようにもっとシンプルな方が好きなのだけれど、これだけ連続して同時代の建物群が建てられていると、それだけで圧巻だ。

 ソ連時代の1960~80年代モスクワが煌びやかに飾り立てられてゆく一方で、「辺境(border)」の地リトアニアのリガの歴史的遺産は顧みられることもなく放置されてきた感じもする。大半の教会は名ばかりの美術館や倉庫にかえられた。ガイドの話だと、当時それでも教会に来る人がいたけれど、それは殆どが年寄りで若い人は寄り付かなかったという。

 教会はいつもKGBに見張られていたので、もし若い人が教会に行っているのが目撃されれば、それだけで大学への進学の道が閉ざされたり、良い仕事にありつけなくなる恐れがあったらしい。そういう記憶を忘れまいとして旧市街のはずれにはラトヴィア占領博物館が設けられている。この街ではぼくらが忘れかけている自由の重みが今でも感じられる。

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 *東京に戻ってきました。都市は歴史の記憶装置だと言う言葉がありますが、ヨーロッパの街並みを見ていると確かにそう思う所があります。日本にも東京を始め古い寺社や建築物が残っているところも結構あるのですが、街並みとなると少し見ない内にすっかり変わってしまうことがあるので、どう歴史を街の中に留めるかということは改めて考えて見る必要があると思うのですが…

<Photos>

リガのホテルの部屋からみえる大聖堂
スィグルダ城址付近の家・窓辺のマリア像
聖ペテロ教会内でのコンサート・リハーサル風景
ユーゲント・シュティルの建物(Alberta str.13 by M.Eisenstein)
ルンダーレ宮殿大広間

(cam:NEX-7/TX-30)


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Silvermac

空襲を受けなかった小都市に昔の街並みが残っていることが多いですね。そのような小都市では、こどもが親の仕事を継いでいることが多いようです。
by Silvermac (2014-06-11 16:13) 

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