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動いたのは心 [にほんご]

動いたのは心

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  日本語学校の中で留学生たちの日本語学習や異文化理解のお手伝いを始めて早足掛け五年になろうとしている。途中大学院での勉強でしばらくはどうしても時間が取れずに中断した時期を除いては、今も週一度学校にお邪魔して活動をしている。ぼくがいっている日本語学校の学生は今は韓国、台湾、中国、タイなどのアジア圏からの若者が多く、中でも韓国からの学生が半分以上を占めている。ここで日本語を学んでから日本の大学や専門学校に進みたいと希望している学生が多いが、日本語学校卒業後に日本での就職を望んでいたり、国の大学を休学して日本語を学びに来ているので一年後には国の大学に戻るという学生も多い。

 年齢的には17歳くらいから稀に30歳近くの学生もいるが大半は20歳台の若者だ。とくに韓国からの学生は日本での生活が親元を離れての初めての一人暮らしというケースが結構多い。韓国にいた時はアルバイトの経験もない子が、日本に来てはじめて一人暮らしでアルバイトをしながら学校に通うという、いわば自立生活をはじめるわけだ。つまり彼らにとっては日本留学が初めての異国生活であると同時に、働くことを通じて社会と関わる初めての体験でもある。バイトを始めれば雇い主に叱られたり、客にからかわれたり、いいことばかりではなく厳しい社会の風にも晒されることになる。それなりにストレスがかかることが想像できる。

 実はぼく自身も40年くらい前に同じような体験をしているので他の人よりは彼らの気持が理解できるのではないかと思っているが、もちろん時代は変わるから環境も大きく変わっている。ぼくの時代にはインターネットも国際携帯電話もメールもなかったから、自分の本国は手紙でしか連絡のできない遠い存在だった。それに比べると今の留学生は毎日インターネットで韓国語など母国語のニュースを見、携帯で親や友達とも頻繁に話をしたりメールを交換したりしているので大分恵まれているのかもしれない。

 とはいえ、言葉も不慣れな異文化の中で暮らすということは実に疲れることだと思っている。普段、学生と話していてもそんな苦労が伝わってくる。今週の初め、この日本語学校で日本語のスピーチコンテストが開かれた。ぼくも招かれて一日学生の日本語スピーチに耳を傾けることとなった。午前が中・上級の部で、午後に初級の学生のスピーチが行われたが、どれも素晴らしかった。ぼくの知っている学生も何人かスピーチを行った。スピーチの内容は彼らの日本でのフレッシュな体験が語られていて、それは日本語のつたなさを十分補って余りあるものを伝えていたと思う。

 どれも素晴らしかったが、その中でも一人の韓国人の女性の「店長様」というスピーチが特に印象に残った。今、彼女は食堂でバイトをしながら日本語学校に通っている。食堂では厨房の仕事が主で最初は言葉もよく通じないから大変だったようだ。その上、その食堂の店長は噂では元ヤクザといわれる怖そうな男性でバイト仲間も怖がっていた。ある時彼女は厨房で作業をしている時にあやまって何枚かの皿を割ってしまった。すると店長がすぐ彼女の所にとんで来た。一瞬、彼女はきっと殴られる、いや、もしかしたら殺されるかもしれないと怖れた。店長は彼女の前に立つと、彼女の手にまだ割れずに残っていた一枚の皿をひったくってとると、そのまま手を放して皿を床に落とした。皿は当然床の上で割れてしまった。「ほら、皿はもともと割れるもんなんだよ。そんなこと気にするな。そんなことより怪我はないか? 大丈夫?」その言葉を聞いて彼女は涙がでた。それ以来バイト仲間ではその店長のことを陰では「店長様」と呼ぶようになった。

 決して流暢な日本語ではないけれど、彼女のスピーチからはその時の彼女の驚きと感動がしっかりと伝わってきた。言葉は大切だ。ある意味では命と同じくらい大事なものかもしれない。彼女の気持ちがぼくたちに伝わってくるのも、彼女が日本語という言葉を通して伝えてくれたおかげだ。しかしよく考えてみると、その言葉のもとには揺り動かされた彼女の心が最初にあって、それが彼女なりの日本語という言葉を通してぼくたちに訴えかけてきたのだ。最初に動いたのは心。その心が言葉を呼び寄せるのだと思う。外国語をおぼえ、使える単語の数が増すにつれて一つひとつの単語に込める熱は薄まってゆく。留学生も段々と日本語が上手くなって「そつのない日本語」が話せるようになると、それに比例して伝えたいという熱意のようなものが薄れてゆく印象を受けることがある。ぼくらはどうだろうか。ぼくらは母語である日本語を日常使っているから、使える単語の数も留学生とは比べ物にならないほど豊富なはずだ。日々話すぼくの言葉のもとで、心は本当に動いているだろうか、彼女の日本語のように。

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 *この「店長様」の話は古典落語の「厩火事」を彷彿とさせます。長屋の女房が亭主が大事にしている茶碗と自分とどっちを大事に思っているか知りたくて、孔子の例にならって亭主の前で大事な茶碗を割って見せて亭主の気持ちを試すという話ですね。亭主が茶碗よりも自分の身体の方を心配してくれれば…、という話ですが、もちろん韓国の女性はそんな落語は知るはずもなく、実際にあったことだと思います。

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kumimin

言葉って何気なく使っている時ってそんなに考えないんですが、なれない言葉で伝えようとする時って、一生懸命言葉を選びますよね=^^=
by kumimin (2009-08-04 19:58) 

鋭理庵

良い題材を取上げて下さり、胸が痛くなる内容でした。心からありがとうございました。Gillman様。
by 鋭理庵 (2009-08-05 00:17) 

mimimomo

おはようございます^^
留学、大変ですね~ わたくしも言葉が分からない世界に一人飛び込んで苦労しました。
言葉は知っているに越したことはないですが、
心と言うか思考する能力の方が大事ですよね。
アメリカ人は、日本人がたどたどしい言葉で話しをしてもじっと聞いてくれます。話の中身の方が大事だと・・・
by mimimomo (2009-08-05 08:49) 

テリー

わたしも、若い頃、海外での研修経験をしました。異文化い触れるのは、わくわくしますね。今、娘が同じように、ロスにいっています。
by テリー (2009-08-05 09:49) 

こぎん

いい店長様ですね。
国と国にはまだ、わだかまりがあるのかもですが・・・
個人レベルでは、人と人ですね。
家の方も数年前に大学ができて・・・各所でアジア系のバイトさんたちが頑張っています。
ぱっと見た目は日本人と変わらないので、時々、あれ?と思うこともあります。
彼らにも見えないところで、ドラマが繰り広げられているのでしょうね。
日本を好きになってもらいたいです。
by こぎん (2009-08-05 10:02) 

としぽ

おはようございます。
若い頃は海外での生活があこがれでしたが
実際に異文化の中で生活するのは大変ですね。
”様”は皮肉を込めて使われる事が多いですが
良い意味での”様”は良いですね。
by としぽ (2009-08-06 11:38) 

親知らず

自分はその「店長様」のような気遣いが出来ているだろうか?
と考えてしまいました。
何気ない一言で、人を傷付けたり、幸せに出来たりするんですね。
by 親知らず (2009-08-07 00:03) 

manamana

そこまでできる店長様には、感動しました。
国とか関係ないですね。
人間として共感できるということがとても大切だと思います。
by manamana (2009-08-09 11:18) 

sera

日本語のスピーチコンテスト、、、懐かしい~
学生時代を思い出させました。
日本に初めて来た時、漢字も読めなくて、
道のサイン・駅の名前、、、みな、謎。。。
毎日ワクワク、、、
by sera (2009-08-09 17:14) 

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