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ありふれた時の重み [猫と暮らせば]

 ありふれた時の重み

 モモの耳を悪戯しながらなんか木耳のようだなぁと思った。そういえば梶井基次郎も猫の耳について書いていた。猫の耳をじっとみていると、薄べったくて、冷たくて、竹の子の皮のようで思わず切符切りのはさみをパチンと入れてみたくなる、と。 なんて残酷なことをと思ったが、その切符切り鋏を持った駅員も今では見ることもできなくなった。かといって猫の耳にスイカをあててみたって何にも起こりはしないな。そんな愚にもつかないことを考えながら猫の頭を撫でつつ本を読んでいる。何もない夜。何の変哲もないありふれた夜。

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 歳をとっていいことの一つは、なんの変哲もない一日ありふれた時の重みの有難さが分かることだ。というよりは本当は人生に何の変哲もない日やありふれた時など殆どないのだということが歳とともに分かってくるのだ。ぼくらの頭の中に焼き付いている、ありふれた一日や、平凡な団欒の光景は実はほんの一瞬のできごとであって、そんな典型的な日々などはどこにもなかったのだということに思い至る。だから一瞬訪れた何の変哲もないと感じられる時の貴重さが分る。

 それなのに何故、ぼくらの頭の中にはありふれた日常のイメージが焼き付けられているのだろう。おそらくぼくらは心の中で日々の生活からその日の特殊な要因を取り除いた漠とした概念を作り上げていて、それにもっとも合致した光景をありふれた日常の表象として心に焼き付けているのだと思う。だから、その光景は日常的にずっと続いていたものでもないし、もしかしたら現実にあったものではないのかもしれない。

 ぼくについていえば、今だって何の変哲もない日などありはしない。今もばあさんが入院して、自分の勉強も大変だし、カミさんの周りにだっていろいろなことが起きている。しかし今このひと時は何の変哲もない、ありふれた夜という気持ちに包まれている。それはぼくのイメージの中にある、ありふれた日の光景にはがいて、その猫が今そばにいるからだと思う。猫が傍らにいてその猫の頭を撫ぜていると表象としてのありふれた日常が戻ってくる気がするのだ。もっとも、もっと歳をとってやりたいことが何もなくなってしまったら、本当に何の変哲もない日々がやって来るのかもしれないが。

 ■ ■ ■ ■

 言葉を眺めることに疲れてくると私は猫をさがしにたちあがる。ほど見惚れさせるものはないと思う。猫は精妙をきわめたエゴイストで、人の生活と感情の核心へしのびこんでのうのうと昼寝するが、ときたまうっすらとあける眼はぜったいに妥協していないことを語っている。媚びながらけっして忠誠を誓わず服従しながら独立している。気ままに人の愛情をほしいだけ盗み、味わいおわるとプイとそっぽ向いてふりかえりもしない。爪の先まで野生である。これだけ飼いならされながらこれだけ野獣でありつづけている動物はちょっと類がない。(開高健 『猫と小説家と人間』 開高健全集第二十二巻より)

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コメント 7

Abraxas XIV.

同感です。
by Abraxas XIV. (2008-06-27 09:14) 

coco030705

猫はやっぱりいいですね。私もこの間、母の飼っている猫に会ってきました。一匹はトラ吉と同い年で12歳のおばあさん猫ナナコ、もう一匹は
3,4歳のトラ猫のリリーです。どちらも野良猫だったのを、母が家猫にして
飼っているのです。ナナコは年の功なのか、私がいっても愛想がよく、
挨拶したり、手をぺろぺろなめてくれたりします。リリーは私が行くと隠れてしまいます。怖がりな猫です。
猫を見ていると、脳からドーパミンが排出されてリラックスしたいい気持になるのかなって思います。自由に行動しているのが、かえってこちらの気持を和らげてくれるんですよね。

「何の変哲もない、ありふれた日常」はどんなに大変な生活の中にも、一瞬の出来事として、過去に存在したのでしょうね。それが、幸せな記憶として残っているのだろうと思います。そして、二度と戻れないその瞬間は、だからこそ輝いて見えるのかもしれません。


by coco030705 (2008-06-27 16:45) 

kumimin

こんばんは。
若い時は何の変哲もなく家庭でゆっくりすることを「退屈」って言っていたのかもしれないですが、今はそう言う時間に憧れたりします。
「何の変哲もない時」なんてホントにはなくて頭の中で欲しているのかも?
猫になりたいとは思わないけど猫的な生き方はうらやましいなあ♪
by kumimin (2008-06-27 19:00) 

koskets

この記事、心にしみました。
なんだかとっても温かい文章ですね。
写真もとってもとっても気に入りました。

ホセ・フェリシアーノの「que sera」
という曲がぼくのお気に入りです。
パラグアイのこの村を離れるとき、
ギター弾いて、歌おうと思ってます。
今からそう思ってること自体、
ちょっとやらしいですけどね・・・。
by koskets (2008-06-28 08:32) 

aya

普通に過ごすことがどれだけ大切で難しいか、
入院して思います♪
by aya (2008-06-28 18:52) 

engrid

ネコと暮らしてみて、ネコがいかに気ままであるかがわかります
そしてそれが また愛すべきしぐさでもあります
by engrid (2008-06-30 15:56) 

リフソロ

何の変哲もない日々が過ぎていくようでも、本当は違っているのですよね。
by リフソロ (2008-07-03 00:43) 

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