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日本語の教室から ~12月8日~ [にほんご]

 日本語の教室から ~12月8日~

       

 今年も12月8日がやってきた。といっても戦後生まれのぼくにとっては、死んだ親父の誕生日だという以外には個人的には特別な意味を持っていない日だが、我々日本人にとっては忘れてはならない日のはずなのだ。それは朝から脳天気なテレビが盛んに伝えていたジョン・レノンが殺された日だからでもないし、〇〇の日だからでもない。この日はいうまでもなく日本が戦争を始めた日だ。8月15日原爆投下の日には毎年同じ様な光景が繰り返されるのに、この日にメディア等が、なぜ戦争を始めたのか、なぜこの戦争で膨大な数の人が死ななければならなかったのか、振り返ることもない。不戦の誓いを新たにするわけでもない。これからわれわれが世界とどう向き合ってゆくかに思いをいたすでもない。

 今、大学の社会人向け日本語初級クラスには中国、韓国、フィリピン、タイ、ベトナム、ロシア、ベラルーシ、バングラディシュ、パキスタン、アメリカ、イギリス出身の人たちが通っている。これらの国々の学生を前にする時、かって我々日本人が、ほんの数カ国を除いて、その殆ど全ての国と戦争をしたのだということに愕然とする。終戦から半世紀以上経て、いまぼくらの身の回りには多くの外国人が暮らしているし、日本人自体も世界中で働き、そして暮らしている。海外で暮らしている日本人の成人だけでも長野県の県民数に雄に匹敵する人数がいるのだ。今や日本は世界から孤立して生きることはできない。しかしぼくらの意識と生活ははたして国際化されているのだろうか。

 今までぼくらは「国際化」するとは英語を喋ったり、海外に出て活躍することだと思っていたかもしれない。しかし国際化がだけをイメージする、そんな時代は実はとうに過ぎ去っていたのだ。いま足元に押し寄せている「内なる国際化」とどう向き合って付き合ってゆくか、ということが何よりも大切になっている。食料自給率は40%を切り、安価に手に入るものはほとんどが中国製、食の安全も、そして空気の安全さえも我々だけではどうすることもできない時代になっている。そして次には国内における働き手も、我々だけではどうにもならない時代になろうとしている。少子高齢化によって生産人口が急速に減少し、現在我々がいうところの日本人だけでは廻っていかない社会になろうとしている。この国の形をどうするのかという議論はもう遅すぎるくらいだが、まだ何も議論されてはいない。

 以前からいわれている対応の一つに労働力の不足を外国からの出稼ぎ労働者で補おうという考え方がある。特殊技能や専門知識をもった海外の優秀な人材を受け入れ、単純労働の短期労働者も受け入れてゆく。そんな都合のいいことが出来るだろうか。今から四十年程前、1960年代後半から70年代前半にかけてドイツが戦後成長期の労働力不足を外国人出稼ぎ労働者を招きいれることで解決しようとした。主にトルコ人を中心とする彼ら出稼ぎ労働者はドイツではGastarbeiter(ガストアルバイター)、つまり英語でいうとguestworkerで、「お客さんとして招いて働いてもらっている人」という意味で、働き終わったらお帰り願おうという意味が含まれていた。もちろんそう都合よくはいかなかった。丁度その頃ドイツに暮らしていたこともあって、ぼくもその状況を目の当たりにしていた。

 街なかで見かける単純労働の従事者は大体トルコ人ユーゴスラビア人ギリシャ人イタリア人と決まっていた。大半はトルコ人であったと思うが、町の住民は自分達の身の回りに、言葉の異なる、習慣の異なる、生活レベルの異なる人たちのグループがいることに、大きな不安を感じた。何かなくなると「トルコ人の仕業だ」等という疑心暗鬼の噂が広がった。実際に治安が悪くなったというより、異質なものに対する不安感が増幅されて住民にとって街がそれ以前のように住みやすいものではなくなったといった方が正しいと思う。当時のドイツ政府は「働く人は同時に、そこで生活する人でもある」というごく当たり前のことに気づかなかった。経済成長に陰りが出てきた頃、今度はトルコ人達に故国に帰ってもらいたいと帰還奨励金まで出したが帰る者は少なかった。

 その間に出稼ぎ労働者は家族を呼び寄せたり、子供が出来たりし始めていた。新たに生まれた子は国籍はともかくドイツで生まれドイツ語を話すトルコ系ドイツ人になりつつあった。ということはドイツが彼らにとっては既に生活空間のひとつになっていたから、今さらその生活空間を捨ててトルコに帰るということはしたくないということだ。現在ドイツにはおよそ200万人のトルコ系住民が住んでおり、ドイツは移民を受け入れる国となった。旧東ドイツにもベトナム人等の出稼ぎ労働者がおり、東西分断当時は家族を呼び寄せることが禁止されていたが統一後家族を呼び寄せるなどして定住しているようだ。結局、ドイツは移民を受け入れない国から移民を受け入れる国に変わって行ったが、それはトルコ人等の出稼ぎ労働者のせいばかりではない。並行してドイツはもうひとつの大きな選択をしていた。

 それはドイツがEUという、より大きな枠組みの中で生き残ることを選択したことによる結果でもある。自分達の社会の中に「非ドイツ的」なものを含む、いろいろな価値観を併存させて生きてゆく覚悟を決めたことだ。かつてドイツの作家、トーマス・マンが「私はドイツ的なヨーロッパをのぞまない。そうではなく私はヨーロッパ的なドイツをのぞむものだ」という言葉を残したように、ドイツはより大きな枠組みの中で生きてゆくことを選んだ。もちろん、そう簡単にコトは運ばない。トルコ系を抱え込むことによってドイツは、ヨーロッパ的なものを一気に飛び越して、イスラム的なものまでを抱え込むことになった。それは一方では、トルコ人排斥運動を招来するなど新たな不安定要素にもなっている。だが、もう後戻りすることは出来ない。

 今の日本にドイツのようにより大きな枠組みの中で生きてゆく意志や覚悟があるのだろうか。「日本的なアジアでなく、アジア的な日本」という枠組みは日本人の頭の中にあるのだろうか。戦前の大東亜共栄圏という汎アジア構想の亡霊や大国中国の影が日本人の心の中に棲みついているのか。ぼく達はいま、思考停止に陥っている。しかし、ぼくたちがいくら目を覆っていても時代は止まることはない。今から考えておくことだ。

                            

  「内なる国際化」については、これからも日本語使用の現場から考えていきたいと思っています。ぼくらの足元に国際化はひたひたと押し寄せているのに、それに関して政府の関心はきわめて薄いというのが実感です。日本にいて教育を受けられない外国籍や無国籍の子供等が現実的に存在するのにボランティア任せでなんら手を打たない。また日本人の男性と結婚した外国人女性に対する日本語能力獲得のサポートも、これもボランティアや自治体任せで包括的な構想さえありません。
 ぼくのクラスにも日本人男性と結婚している外国人女性が何人かいますが、いろいろな問題を抱えています。子供が生まれると子供はどんどんと日本語を覚えてゆく。母親が日本語が出来ないと家庭の中でも自分は段々と取り残されてゆく。PTAでも子供のお母さん達の輪の中に入ってゆけない。ぼくの出した宿題を子供に見てもらっているケースが多いようです。それはそれで、家庭の中の話のきっかけになって良いとは思っていますが…。


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としぽ

こんばんは。12月8日は色々な意味で大切な日ですね。
この頃町に買物に行くと言葉の通じない人を多く見かけます。
キツイ仕事は外国人に任せて、日本人はきれいで楽な仕事と
分業されてきているように思いますね。日本でも欧州のように
なってしまうのですかね。
by としぽ (2007-12-11 19:23) 

Silvermac

陸続きの国境がない日本はヨーロッパのような考え方は出来ないでしょうね。
by Silvermac (2007-12-11 19:26) 

渋樹

技術の空洞化が心配です。
あらゆる製造分野で海外への外注が進んでいるように思います。
by 渋樹 (2007-12-11 21:26) 

鯉三

海外にいると、いわゆる「日本的なもの」に拠り所を求めがちです。毎日お世話になっているNHKの海外放送は、そこに重点をおいて番組を選んでいるようです。しかし、日本に住む外国人(主に欧米系)をスタジオに招き、「COOL JAPAN」と称して外国人に日本を賛美させている様子を見ると、正直これでいいのかなと思います。取り上げている話題は確かにCOOLでも、出演者はみんな英語を話せることが前提になっている。そういう特別な人たちの感覚しか反映されていない。これって、まさに「国際化=英語を話せる」ですよね。残念ながら、日本は全然変わっていないような気がします。非常に不安を覚えます。
by 鯉三 (2007-12-12 01:41) 

sera

最初日本に来た時、日本語は全然できなかったのです。
京都など、日本の文化に触れて、感動と関心でした。
観光にきましたが、あまりにも日本に魅了されて、そのまま日本に
滞在して、日本語の勉強をはじめました♪
多少culture shockはあったのですが、日本人と結婚して、
幸せです♪
日本の繊細さには脱帽。
また、日本のあいまいさはかわいいと思っています♪
by sera (2007-12-16 22:27) 

ecco

内容がすごすぎて
コメントできなかった・・・・ごめんなさい。
by ecco (2007-12-17 00:01) 

くみみん

民俗や国の枠を超えたおつきあいって個人的にはできるのに国同士だったりすると難しいですよね。
今でこそ外国の方を街で多く見かけるようになりましたが、昔はみると「ガイジン」っていって物珍し気にしましたよね。
その「ガイジン」って言葉自体に日本人の外国に対する意識を見るようでイヤですけど。
by くみみん (2007-12-20 15:38) 

coco030705

こんばんは。
「内なる国際化」は肌で感じますね。アルバイトなどは、中国人の人(おもに学生)が増えていますもの。日本は外国人にとって決して住みやすい国ではありませんよね。
アジアのリーダーとして、大きな視点を、問題意識を持てるかどうかが、今後の日本を左右するでしょうね。まずは個人的にアジアの人たちに対して、
同朋意識を持って接することだと思っています。
by coco030705 (2007-12-20 19:49) 

manamana

自分の妻は外国人です。
同じ国の奥さん友達がいます。
それぞれ事情が異なりますが、
大変さの大小はあるにせよ、
みな、がんばってたくましく生活しています。
あっ、こういう卑近な話じゃなかったのかな。
by manamana (2007-12-29 23:34) 

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