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組織の記憶 [にほんご]

 組織の記憶

             

 以前、東中野の日本語学校に行くさいにぼんやりしていて東中野の駅を乗り越してしまったことがある。仕方なく次の中野駅で降りて、折り返しの電車を待っていた。ベンチに腰掛けていると脇の柱に掲示板がはりつけてある。女の子が駅員に線路に落ちた帽子を拾ってもらっている様子がシルエットで描かれている。掲示板自体はシンプルで分かりやすく、好感の持てるものだ。
             
 掲示板の下には上の写真のように「線路に物を落された方は駅係員にお申し出ください」と書いてあるが、その「駅係員」という所が上から紙を張ってあって訂正してある。そうなると訂正前はどうだったのかと気になるのが人情だが、ぼく以外にもそういう人がいたらしく、その訂正箇所をまくって見た形跡がある。訂正して貼り付けたシールの端が少しめくれている。で、ぼくも、そこをそーっとめくって見てみると「職」という字が見えた。どうやら元の言葉は、「職員」だったようだ。それにしてもどうして訂正しなければならなかったのだろうか?
      
 東中野の駅に引き返してプラットホームで同じような掲示板を探すと、そこにもやはり同じようなシルエットの描かれた掲示板があった。はたしてその掲示板にも訂正のテープが貼ってあり「駅係員」になっている。(上写真・左)学校へ行く時間が迫っていたが、ぼくはどうしてもそのことが気にかかって駅の事務室になぜ訂正をしたのか聞きに行った。応対に出た駅員はモゴモゴ言っていたが、結局、要はよくわからないということだった。

 その日、学校の帰りに秋葉原の駅でその掲示板を探したら、そこには今度は「職員にお申し出ください」と書いてある。(上写真・右) きっとこれがオリジナル版なのだろう。 これをなぜわざわざ「駅係員」に訂正しなければならなかったのだろうか。
しかしその件はしばらくするうちにすっかり忘れてしまっていたが、ある時新宿駅で電車を待っているとき例の掲示板を見つけて何となく訂正したその理由が想像できた。下の写真の左の方がその新宿駅の掲示板だが、それは文言の全体にテープが貼ってあり、問題の箇所が今度は「駅社員」となっていた。(写真右は御徒町駅、訂正後の駅係員になっている)

      

駅員:助役、またあの掲示板でお客さんに怒られましたよ。
助役:え?  掲示板って何のこと? 聞いてないよ。
駅員:やだなぁ、忘れちゃったんですか。ほら、先月事務室に怒鳴り込んできたお客さんがいたじゃないですか。「職員」とは何だって息巻いてましたよねぇ。「いまだにお前らは親方日の丸のつもりでいるのか、今でも国鉄職員のつもりか」って。
助役:ああ、あれね。でも、あれは中央線が遅れた腹いせに言ってたんだろ。何で毎日のように遅れるんだって怒ってたよねぇ。
駅員:ええ、ぼくもそう思ってたんですけど、あれ以降も何回かホームで他のお客さんにも「職員」とは何だって、言われたことがあるんですよね。
助役:だって職員なんだから、それでいいんじゃないの、なんか言いがかりみたいな気がするけど…
駅員:でも、この間非番の時に中野駅東中野の駅の掲示板を見たら訂正してありましたよ。
助役:え、ほんと? そりゃまずいな。で、何て訂正してあったの。
駅員:「駅係員」って直してありました。きっと、あっちにもクレームが来てるんですね。
助役:そうかー。うちも直さなきゃまずいな。じゃ、すぐ直しておいてよ。
駅員:直したほうがいいっすよね。なんて直しておきます?
助役:え? なんてって、「駅係員」でいいんじゃないの?
駅員:助役、ぼくらはもう役所じゃないんですよ、れっきとした民間の会社なんですから「駅係員」てのもやっぱ役所的なんじゃないですか。
助役:そう?
駅員:そうですよ。もっと民間の会社だって意識をちゃんと持ってるってアピールすべきですよ。
助役:そうかなぁ、じゃなんて書けばいいの?
駅員:やっぱ「駅社員」でしょ。会社なんだから。
助役:「駅社員」? なんか、おかしくない?
駅員:助役! 意識改革ですよ、意識改革。きっとお客さんも分かってくれますって。
助役:そうかなー、まぁ君に任せるよ。
駅員:任せてください。改革はこの駅からですよ。
助役: ?????

 と、いうような会話があったかどうかは定かではないが、長い間続いている組織にはその組織独自のいわば「組織の記憶」がある。それらは組織の形が変わっても一朝一夕には変わっていかない。なぜなら組織の記憶はあらゆる形でその組織に根付いているからだ。だから無理に変えようとすると傍から見ておかしなものになることも少なくない。もちろん言葉もその組織の記憶の一つだ。長い間に言葉の意味もその組織の匂いを帯びてくるのだろう。

              

                     

*辞書を引くと、職員という言葉には官庁や教育機関に働く人という意味のほかにも大きな会社の社員のことも指すとあるものが多いようです。この掲示板の「職員」という表現に一部の人たちが旧国鉄的な匂いを嗅ぎ取ったのかもしれませんね。ぼくが以前勤めていた会社でも正式な書類では社員のことを「職員」と表現していました。ぼくらが単純に考えれば、この場合「駅員」でよさそうなものですが、そうしないところに組織の匂いがしますね。

**会社や官庁、学校などで作成したビラや貼り紙はよく見ると面白いものがあります。そういうものを目にすると、そのビラが作られるときどんな会話が交わされたか、つい想像してみたくなってしまいます。もちろんここに書いたような会話はされているはずもなく、ぼくも技術集団としての国鉄マンには強い畏敬の念を抱いています。念のため。

***「組織の記憶」は常に進歩の妨げになるかというとそうとは限りません。逆に組織の記憶が正しく継承されないことによる弊害も多いと思います。企業不祥事も組織の記憶が正しく継承されないことによって同様のことが繰り返されるという面を持っています。組織の記憶はおもに下記のような手段で継承されてゆくといいます。
 ①記憶を明文化された制度に反映し、伝える
 ②記憶を明文化されない慣習として伝える
 ③記憶を教育に盛り込み、伝える
 ④記憶を記録として残し、伝える
 ⑤記憶を個人の体験として伝える
上記の①~⑤のひとつひとつの項目について今ぼくらが考えてみるべき時に来ているかもしれません。組織としての企業・会社もそうですが、考えてみれば組織としての日本国の戦争の記憶は継承の危機に瀕しているのではないでしょうか。あの戦争について上記の各々の項目はどうなっているのか。ぼくらの周りでいま何が起ころうとしているのか。この掲示板を見て考えてしまいました。


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Yasuko

面白い!ワハハ
いつもはウフフとかしんみりとか・・・おしゃれな画像とスパイシーな文章を楽しみにしています。今日はつい声が出てしまいました。
駅社員、最高です。
by Yasuko (2007-04-26 19:16) 

としぽ

組織の表現は難しいものが有りますね。考えもしないような解釈をされる事が有りますね。注意しなくてはなりませんね。
by としぽ (2007-04-26 21:12) 

くみみん

こんばんは。
私は「社員」と呼ばれるところに勤めたことがないので、職員じゃダメなの?って素朴なギモンなのですが、民営化しても体質は変わらないと言うか、逆に変わったことをアピールしなければっていう方に神経が使われているんですね。天然系の笑いを誘ってしまいますね=^-^=♪
本質には笑えるようなほのぼのしたものではないんでしょうけれど。
by くみみん (2007-04-26 23:39) 

Abraxas XIV.

駅員の方がいいんじゃないですか?駅社員は、本当におかしいですね~
by Abraxas XIV. (2007-04-27 08:37) 

ミヤ

すみません。気になった事を書き足したかったので、
差し替えました。
ポスターとしては、なかなかスッキリ見やすいと思います。
私は「駅員」が、親しみを持てそうです^^

ちょっと考えてみると、やはり『駅社員』はおかしいです。
ナニナニ会社社員となるのが普通でしょう?
駅は会社ではないわけですから・・

文面全体についてこだわるなら良いのですが、
「職員」部分だけをいじる体質が問題ではないでしょうか。
by ミヤ (2007-04-27 15:40) 

Silvermac

私も長い間大組織に属していたのでよく分かります。
by Silvermac (2007-04-27 19:01) 

鯉三

職員という言葉からまず頭に浮かぶのは教職員です。たしかに公務員にはちがいありません。
>大きな会社の社員のことも指すとあるものが多いようです。
そういうことなのではないかと思います。大きくなくても、安定している「職場」で働いている人には職員という言葉が使えそうな気がします。ちょっと仕事にもなれて、のんびりしているように見える人にも使えるのかな...
by 鯉三 (2007-04-28 02:00) 

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