SSブログ

昭和五十年十月号 [あの時の文春]


30年の時を越えて… あの時の文春

Ansicht 堤清二・中内功・青井忠雄、三氏の座談会を読んで

 今月号の記事に「どこまで続く不景気ぞ」という座談会が載っている。出席者は西武百貨店の堤清二、ダイエーの中内功、丸井の青井忠雄という当時の流通業の雄である三人の経営者という、そうそうたるメンバーである。戦後の長い高度成長時代が終わりをつげ日本は次のステップへの踊場を迎えていた。マーケティング的観点から見ると、この時代は日本人の消費行動が成熟化し始めた第一段階ではないかと思う。必要なものを安くと言うだけの行動パターンから、感性や嗜好と言ったものが購買の重要なファクターになりつつあった。それは高度成長が日本人の生活にもたらした消費行動の変化かもしれない。

 この三人の経営者はそのあたりの変化を各々捕らえている。中内氏は、今までの景気後退時期にはまず、嗜好性の強いものが売れなくなって、生活必需品的なものがよく売れるようになるのが常だったのが、今回の景気後退ではファッション性や趣味嗜好の強い商品がよく売れ、一般的な必需品が売れなくなっている、と述べている。不景気で売上が落ちていることは今までの後退時期と同じだが、その中身が変わっていると言うのは堤氏も、青井氏も同様の感想を持っている。さすがに消費の変化を敏感に感じ取っていると思う。

 現在、振り返ってこの三人の経営者のその後を見てみると、三十年と言う時間の重さを感じる。堤氏はセゾングループの凋落の責をとる形で経営者を引退し今は「小説家・辻井喬」として文筆活動を行っている。中内氏はダイエーの再生を見ることなく先日亡くなった。青井氏は今年経営のバトンタッチを行い会長に就任している。セゾングループ、ダイエーグループのいずれも明確なコンセプトをもって流通業の一時代を築いた。しかし、時代の流れの中で経営のズレが拡大して行った為か以前の企業グループの形態は表舞台から姿を消さざるを得なくなった。経営的な面から分析すればいろいろな教訓があると思うが、その一つが事業の拡大・展開に関する姿勢の違いがあるのかもしれない。

 セゾンもダイエーも事業領域や面的拡大に積極的でつねに拡大を進めてきた。それに対し丸井の店舗数は1970年も2005年の現在も変わってはいない。それでも利益はその間に10倍になっている。極めて単純に図式化して言ってしまえば、前の二つのグループが数字の掛け算の経営、つまり店数×売上=総売上というものに重きをおく経営であったのに対して、丸井は割り算の経営、つまり総利益÷店数=一店舗あたり利益、というものに重きをおいて経営していたと言えるかもしれない。

 経営に絶対的な良い悪いはない。そのやり方がいかに時代にあっているかだ。堤氏も中内氏も流通業に新しい時代を作った、しかし本当は時代がこの二人の新しい経営者を作り出したのかもしれない。そして、その時代の変化が経営者の変化を追い越してしまったのだと思う。


昭和五十年十月号(1975)

①Cover Story
~共産党と創価学会 協定までの私たちの真意~
▽歴史の転換点に立って…宮本顕治
▽文明的共存の道をさぐる…池田大作
-「ビッグ対談」から十年協定発表へ~敵対関係にあったはずの二大組織が、なぜ歴史的和解に至ったか~その疑問に全て答える
▽独裁者の饗宴 1975年夏…I.M.ディクタツーラ
-誤算によって書かれた筋書きは誤算によって破綻する~スリルとサスペンスに満ちた大芝居を徹底適格に分析し両組織の将来を占う

②Main Articles
~天皇訪米をひかえて~
▽木戸幸一・天皇を語る…大平進一
-開戦から終戦へ天皇は何を考え、決断したか
▽陛下に土下座してなぜ悪い…牛島秀彦
-天皇を"奉迎"するハワイ日系人の複雑な感慨
~悪女ジャクリーンとの闘い~
▽わが友・オナシス…J・アルビー
-「ジャッキー、きみは情けの剛い女だ」オナシスはついに死の直前、離婚交渉に踏み切った
▽どこまで続く不景気ぞ <座談会>…堤清二、中内功、青井忠雄
-高度成長という"祭"は終わった。しかしその中で消費者ははじめて選択する目をもち始めた。それは禍を福に転じる知恵でもある。
▽日米全調査 大和沈む…吉田満、原勝洋
-太平洋戦争の終幕にふさわしい一大ドラマともいうべき大和の最期を、「総員退去」から沈没まで刻々と追い、その悲劇的全貌を明らかにする

③Others
▽空気の研究2…山本七平
-公害も外交も戦争までもがこの"空気"で動く
▽ヒットラー伍長の冒険…加瀬俊一
-左右両翼からの攻撃に揺れるワイマール体制
▽婦人年よ、驕るなかれ…上坂冬子
-真の「婦人問題」解決のためにあえてモノ申す
▽ワルシャワ労働歌を歌ったことがありますか…鈴木明
-全共闘も愛唱したこの歌の故地には意外や
▽わが漢方闘病記…堀米庸三
-西洋医学に絶望の後、私は漢方に光明を見た
▽ラガナの日本語教室…ドメニコ・ラガナ
-日本語に魅せられ悪戦苦闘した"独学十八年"
▽偉大なる書痴 鳴海完造…池田健太郎
-ついに世に出なかったあるロシア文学者の生涯

④連載小説
-「少年賛歌」…三浦哲郎
-「海は甦る」…江藤淳

⑤あの頃の広告
 

*この号に掲載されている日産セドリックの広告、デザインにまだアメリカ車の影響が残っているような感じがする
**ニコンF2は30年前のこの時点でも132,000円なので、その時の貨幣価値からいうとかなり高価な商品だったように感じられる。
同じ号に広告の出ている他のメーカーの価格を見ると
Nikon ニコマートEL…102,000円
Canon F-1…130,000円
Pentax  KM…59,900円
Minolta X1…179,000円
一眼レフカメラは貴重品だったんだなぁ。Pentaxの広告は価格を大きく打ち出していたので、当時の一眼レフとしては破格に安かったのかもしれない。


(*)/Ansichtは筆者のコメント、他は文芸春秋の見出しの原文ママ


nice!(12)  コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 12

コメント 13

GUSUKO-BUDORI

セドリックの広告に感動です。
こんな車に乗れる大人になりたいと思った…
今は…もう車より丈夫な足が欲しいなぁと思ってる。
時代には取り残されてるかも…
まぁいいか…ドンドン時代遅れになってやるのだ!
by GUSUKO-BUDORI (2005-10-21 23:41) 

gillman

時代に取り残されているのではなくて
時代が二つに分かれはじめているのではないでしょうか
めまぐるしい変化を伴う競争の時代と
緩やかに暮らそうとするスローライフの時代と
どちら側の時代に住むか
それとも一人の人間が二つの時代を使い分けるか
by gillman (2005-10-22 06:47) 

Baldhead1010

30年前と言えば給料が・・・7万円ぐらいだったような。
高嶺の花ですね。
by Baldhead1010 (2005-10-22 10:07) 

HAL

セドリックってこんな顔してたんですね。
またいつか名前が復活するかな?
by HAL (2005-10-22 15:15) 

女王猫

ねー。。中内さんはお亡くなりになりましたね~
堤氏も存じてましたが、「丸井の青井忠雄さん」は知りませんでした・・
そして文芸春秋・・あたしは昭和50年だとまだまだ幼くてこんな本が
読めませんでしたが、この本って昔からあったのですね~
もしかして、ずっと大事に保管されてらしたのでしょうか?
by 女王猫 (2005-10-22 21:55) 

gillman

大事にではありませんが
我が家には30年間の文春がおいてあります
by gillman (2005-10-22 21:57) 

Silvermac

どのカメラか忘れましたが、確か持っていたように思います。
by Silvermac (2005-10-22 23:48) 

としぽ

懐かしいですね。最近本を読んでいないな。
広告も懐かしいですね。
by としぽ (2005-10-23 22:53) 

gillman

そう言われてみると僕も最近は専門書以外
まとまったものは読んでいませんでした
広告はその時の様子がよくわかりますね
僕は雑誌は「時代の缶詰」だと思っています
by gillman (2005-10-24 06:50) 

夏Meg

セドリックがアメ車っぽい !
今、乗ってたら、ふりかえりますね!
by 夏Meg (2005-10-24 07:17) 

山猫庵

父のF2をほぼ自分のモノの様に使っている山猫庵としては
この広告がとても気になります(^^)
レンズのフォーカスリングも金属製の古いタイプのモノですね。
ゴムリングのモノよりこちらにひかれてしまうなぁ…
by 山猫庵 (2005-10-24 14:06) 

はなこさん

文芸春秋もしばらく手に取ったことが無かったけど・・・。
読書の秋、カメラ雑誌だけでなくなんか読んでみたくなりました~
by はなこさん (2005-10-24 20:12) 

ziziblog

ペンタックスKMは残念、SVとSPがあります。それからニコマート、手放せませんね。
by ziziblog (2005-10-25 08:16) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0