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天使たちの記憶 ~その2~ [Music Scene]

天使たちの記憶 ~その2~

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 押入れを整理していてカミさんが見つけた一枚の色紙が、糸を手繰るようにぼくの大昔の記憶をたぐりよせた。片っぱしから捨てて身の回りを整理したいけれど、もしこの色紙を見つけなかったら永久にこの記憶は蘇らなかったかもしれない。もちろん殆どの記憶は朦朧としているし、覚えていることも細かいところはいい加減かもしれない。でも、そこには確かに生きていたぼくの時間が残っていた。

◆Episode1…映画のように
1960年代始めに「青きドナウ(Born to sing)」というウィーン少年合唱団を題材にした映画があった。少年合唱団員の声変わりを巡る少年たちの葛藤と友情を描いて、その映画が当時としては珍しくオールロケだったのもあって評判になったらしい。

ぼくがその映画を知ったのは封切りからもうずっと後になってテレビで放送されてからなので、バイトをやっている1972年頃には知らなかった。もし知っていたら本当に映画のようなことがあるんだと驚いたと思うのだが。

ぼくがバイトをしていた頃のウィーン少年合唱団の演奏ツアーでの一日はこんな風だった。移動日や休息日を別にすれば通常の一日は、まず朝食後にホテルのバーなどのピアノのあるところでの合唱のレッスンで始まる。レッスンはその日のコンサートでの演目のおさらいをすることでもあるが、同時にそれは団員の少年一人ひとりのその日の声の調子を指揮者が把握する意味もあったと思う。

昼食後は、大抵マスコミの取材やファンとの交流など何かしらのイベントが待っていた。その日の夜にコンサートが控えている時にはそういうものは早めに切り上げて、コンサートに備えて子供達に昼寝をさせた。その後、軽いオヤツをとってからコンサート会場に向かう。ちゃんとした夕食はコンサートが終わってから食べていたように記憶している。

その日の朝もいつも通り朝食後にホテルの地下にあるレストラン・バーのグランドピアノを使って指揮者がレッスンをしていた。ぼくもいつものようにそれに立ち会っていた。今日歌う曲の出だしを何回か繰り返して練習した後、合唱団員一人ひとりのチューニングに取りかかった。今日に限って一番高く澄んだ声のA君の声が伸びない。

彼は第二部でやるフンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」をもとにした寸劇で、女装をしてグレーテル役を演じるので大事な役所なのだ。小柄だが端正な美少年で彼を目当てに日本中のコンサート会場についてまわるファンの女の子もいたくらいだった。指揮者は「風邪気味なのかもしれないな」と言って、すぐ次の少年のレッスンに移った。

結局、その日の舞台ではグレーテル役は別の団員のB君が演じていた。その状態は次の公演会場でも続いた。A君はそういう目で見るからかもしれないけど、食事の時にもなんとなく元気がないように思えた。テレビ局のスタッフの人がウィーン少年合唱団では、団員の少年が声変わりを迎えるとその少年は退団しなければならないのだと教えてくれた。彼はそれを恐れていたのだ。

それに比べてグレーテル役に指名されたB君は傍目で見ても明らかな位はしゃいでいる。ぼくはちょっと心配になってリーダー格のC君に聞いたけど、彼にもはっきりしたことは言えなかった。次の街への移動の時も少年達の間でもそのことが何となく囁かれ始めていた。

しかし、その騒動の結末は一週間後くらいにあっけなくやってきた。その日の朝のレッスンでA君の高音は、ぼくが聴いても分かるほどに澄み切って響きわたっていた。「やっぱり、風邪だったね」という指揮者の一言で全てが元通りに戻った。B君の気の毒な位ガッカリした表情以外は。


◆Episode2…通信簿の見せっこ
当時のウィーン少年合唱団の少年達は、普段はウィーンのアウガルテン宮殿に全寮制で住んでおり、そこで音楽のレッスンや義務教育の授業も受けていた。少年達は4つのグループに別れて、そのうちの常に2グループが世界演奏旅行のために海外にいた。国に残ったグループは次の世界演奏旅行までの間ウィーンで勉強をするというわけだ。

日本公演の間のある日、本国から彼らがウィーンで勉強していた学期の通信簿が送られてきた。夕食後、子供達を大広間に集めてそのことを伝えると「ウォーッ」と歓声が上がった。中にはそんなもん見たくない、と手で顔を覆う仕草をする子供もいる。本国から同行してきた世話役の副指揮者のヴェンツェルさんが一人ひとりに通信簿を手渡す。

子供達は名前を呼ばれると、ひったくるようにして通信簿を受け取り、部屋の隅の方へ駆けて行って恐る恐る覗き込んでいる。全員に配り終わるとあちこちで通信簿の見せっこで盛り上がっている。素直に見せている子もいれば、見せたくないところを折って隠して良いところだけを見せている子もいる。

ぼくの方にあのプロレスごっこ以来よく話すようになっていた大柄のK君が通信簿を握りしめて駆けてきた。「どうだった?」とぼく。「へへへ…」他の子のように、ぼくに見せたくないところを折り曲げて一か所だけ見えるようにして、ぼくの方に通信簿を示した。"Guck mal hier! Eins!"(ほらここ見てよ、「1」だぜ!) 確かに通信簿の「体育」のところが「1」だった。なんだ、通信簿で「1」をとったのなんか見せてと思ったけど、どうやら「1」が日本の通信簿の「5」に当たるらしい。「そりゃ、すごいや!」と言うと、彼は今度はそれを他の子にも見せたくてまたすっ飛んでいった。

彼がいってしまうと、団員で一番秀才そうなR君が近づいてきて「あいつはいつも体育だけは[1]なんだよ。でも、いいヤツでしょ」とちょっと大人びた口調で言った。彼は自分の通信簿はぼくに見せなかったけれど、きっと「1」がズラッと並んでいそうな気がした。


◆Episode3…合唱団のプロ魂
演奏旅行は長期にわたるので、移動日とは別にコンサートやイベントを入れない休息日を設けて子供達を休ませる配慮をしていたが、それでもツアーの終盤になると疲労がたまるのか、ただでさえ白い少年達の顔色が心なしか青白くみえる。

ツアーの最終日は沖縄の那覇だった。ここが終われば後は東京へ戻って上野の文化会館での最終公演を残すのみだった。那覇に入った当日はコンサートもないので子供達をビーチに連れて行った。ところがそこで子供の一人が転んでサンゴ礁で膝をパックリと切る怪我をしてしまい、救急車を呼ぶというハプニングが起こった。

やはり疲れているのかもしれない。幸い数針縫っただけで翌日のコンサートには支障がないことがわかった。ツアー最後のコンサートはみんな緊張していた。何事もないように。第一部は教会音楽を中心とした合唱曲の部で、毎週日曜日の朝のミサにはウィーンの聖シュテファン寺院でウィーン少年合唱団が歌っている曲なども披露する。

第二部はフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」などをオペッレッタ風にした寸劇で、第三部はウィンナー・ワルツが中心だ。日本の五木の子守唄などを教会音楽風にアレンジしたコーラス曲も披露する。緊張はしたが第三部まで順調に運んだ。第三部では合唱団員は客席に向かって二段に作られたひな壇に並んで立って歌う形になっている。

プログラムが全ておわって、最後のアンコール曲は「小さい秋」だったと思う。ぼくらはもう舞台の袖でお疲れ様を言おうと待機していた。その曲も後半にさしかかった頃、袖で見ているぼくらにも分かるほど二段目の真ん中で歌っている少年の身体が前後に揺れ始めた。舞台の上でずっと立っていたので脳貧血を起こしたのかもしれない。

「倒れる!」と思った瞬間、両側の少年が客席から見えないように揺れている少年の後ろに手を回し腰のベルトを掴んだ。その間、立ったまま揺れている少年も支えている少年も歌い続けている。「あと一息だ」 幕が降りると同時にぼくらは舞台のところにとんで行った。まさに合唱団の少年たちのプロ魂を見せられた思いだった。


 ◆◆◆

 ぼくは地方公演の演奏会で開場前のガランとした舞台上、ピアノの前に座っている指揮者のアングルベルガーさんと雑談をしながら客席を見渡すのがとても好きだった。機嫌のいい時は彼は「君の印象は、こんな感じだよ」といって即興でピアノを弾いてくれた。

 ウィーン訛りが殆ど分からないぼくに彼はゆっくりと話してくれた。「君達は良いなぁ」 君達とは日本人のことを言っているようだった。「君達には可能性がある」、「え、可能性って?」、「ぼくたちはね、もうどうやったってぼくたちの中からはモーツァルトベートーベンを超える音楽家は出てこないと知っている。君達にはまだそういう可能性が残されている」

 それは、どういう意味だかぼくにはよく分からなかった。ウィーンが謳歌した西欧文明のプライドともとれたし、本当に非西欧の未知数に想いを寄せているのか… よく分からなかった。 

 世間知らずだったぼくは、このバイトで少し自分が大人になったような気がした。テレビ局の人達を通じて上ばかり見ているサラリーマンの人間関係のうれしくない面や、ツアーコーディネートで派遣されていた旅行会社の社員が悪天候で宇高連絡船が動かない時、何とか間に合って合唱団が四国側に行けなければ演奏会が中止になる、そうなれば旅行会社の責任問題だと主催者側に詰め寄られてホテルの部屋で男泣きしていた姿などを見て、世間というものの厳しさも垣間見た。今、ふつふつとそんな光景が思い浮かんでいる。

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 *ぼくがドイツ語を何かのために使ったのはこれがおそらく最後の機会だったと思います。それ以来、就職もまったく関係のない仕事についたこともあって、短期の旅行を除いては40年近く話すことも聞くことも殆どありませんでした。また少し勉強してみたいな、とは思っていますが…

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めぇてる

ウィーン少年合唱団 素晴らしいです♪天使です
by めぇてる (2011-07-03 20:23) 

mimimomo

こんばんは^^
素晴らしい勉強の機会。
全く無関係な仕事に付いたとしても、この経験はきっと
gillmanさんの一生にかなり大きなウエィトがあったことでしょうね~
大きな思い出ですね。
by mimimomo (2011-07-03 21:08) 

hako

声変わりの話、当時話題になってましたね。
by hako (2011-07-03 22:49) 

manamana

歌が絶世な意外は、普通の少年たちと変わりませんね。
貴重な体験をされましたね。
by manamana (2011-07-03 23:25) 

親知らず

貴重な思い出ですね。
片付けをして思い出に浸るのも良いもんですね。
押し入れの奥には、他にも沢山思い出が詰まっていそうです。
by 親知らず (2011-07-04 08:16) 

坊や

少年達との希少な体験はかけがのいない時間を過ごされましたね。
素敵なお話しに感動してます!
by 坊や (2011-07-04 12:55) 

としぽ

貴重なエピソードをアップしてくださりありがとうございます。
家には貴重な物は何も残っていないです。
by としぽ (2011-07-04 19:07) 

aya

この映画見ました。変声期の少年の葛藤が、女性の私には
新鮮でした。 そしてウィーン少年合唱団の価値が私の中で上がったのでした。
ボーイソプラノは凄いですね♪
by aya (2011-07-04 22:01) 

小太郎

清楚な写真に心が洗われます。
天使の歌声が聴きたくなりました~♬
by 小太郎 (2011-07-05 09:21) 

fumiko

押入れから出てきた1枚の色紙
そこからさまざまな記憶が湧き水のごとく出てくる様子は、
プルーストのマドレーヌ菓子と紅茶の世界ですね。
「青きドナウ」はリアルタイムで観たような~
オーストリアには仕事で5回ほど行っていますが、
いまだ実現していないザルツブルグ訪問、死ぬまでには行かねば(笑)
by fumiko (2011-07-06 12:52) 

engrid

確かに生きていた僕の時間、
記憶から忘れ去ることのない時間なのでしょうね、
とても印象に残るお言葉です
by engrid (2011-07-06 16:57) 

blanc

こんなに細部まで思い出せるgillmanさんの記憶力がすごいです!
貴重なお話しありがとうございました。
by blanc (2011-07-07 00:39) 

りぼん猫

押し入れの中の思い出を分けてくださって有難う。
すっかり忘れていたと思っていた記憶がよみがえってきました。
アンゲルベルガー隊は私にとっても懐かしい思い出があります。
当時私の友人が団員の一人とペンフレンドでしたので、ドイツ語をかじっていた私がよく、通訳として引っ張り出されていました。
つまり、会話の練習を兼ねた追っかけのお伴です。
その日、エレベーターのドアが閉まる寸前に、どこかから戻ってきた制服の団員達がドヤドヤと乗り込んできました。
面食らった私が壁に押しつけられる前に、一人の団員が私を中にして両手を壁に付き、「おい、みんな、ここに女の子がいるんだ。 そんなに押すなよ。」と制してくれたのです。
少年のくせに大人びた紳士的な態度にすっかり驚きましたし、女の子と言われて有頂天になりました。
本当に同年の女の子だったらよかったのに。
友人に誘われるまま何回か会っているうちに先生達と顔見知りになり、川崎公演の後では近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら世間話をしました。
友人は団員達からピピという愛称を付けられ、ある近郊のコンサートにはチケットが買えなかった私たちをアングルベルガー氏が特別に招待してくださいました。
前列の横に用意されたふたつの折りたたみ椅子。
そのコンサートでは、幕に引っ掛かったピアノの椅子がいっしょに上がってしまい、会場は笑いの渦となりましたが団員たちは体型を崩さず・・・ただ目が面白そうに輝いていました。
地方公演に発つ前にちょっとしたことで若いヴェンツェル氏と仲たがいをしてしまい、東京に戻った時に仲直りの手紙をM君に渡してもらうと、ロビーで電話をしていた私を見つけて「ごきげんよう」と挨拶に来てくれました。
写真に載っている彼の服には、飲んでいたコーラがかかってしまい、「どうしよう、すぐに洗った方がいいかな」と聞かれた時、「同じ茶色だからだいじょうぶよ」などと、無知なゆえに今思うと無責任なことを言ってしまいました。
あれは不器用な彼自身の失敗でしたが、シミになったのかもしれません。
手紙を渡してくれたM君は氏と私の仲がどうなったか詮索を入れてきましたので「ハンネスは私を姉妹のように思って(liebt)いるの」と言うと、同情するような顔つきで「わかります」と言って何か考え込むようにしていました。
演奏旅行が最後に近ずいた頃、エレベーターでのM君から愛らしいラブレターをもらい、私が彼よりずっとお姉さんであることを知らせました。
見送りの時は意志に反して涙が止まりませんでしたが、M君は自分のほっぺたにお別れのキスを求めました。
今は時代が変わって、こんな体験は話の種にもならないのかもしれませんが、私にとっては別世界に居るような日々でした。
これはもうすでに40年も前の話なのに、今また若いころの素敵な思い出としてまたほんの短い間だけ生き返っています。
あなたの奥様が押し入れから見つけてくださった思い出をありがとう。

by りぼん猫 (2013-03-13 04:48) 

gillman

りぼん猫さん
懐かしいですねぇ。少年合唱団のOBでもあったヴェンツェルさんは長身で髭を蓄えたイケメンでちょっと気が短いところもありましたがナイスガイでしたね。団員たちにとっては良きお兄さん的立場で面倒を見ていましたね。
もしかしたら当時どこかでお会いしていたかもしれませんね。
by gillman (2013-03-13 10:15) 

りぼん猫

gillmanさん、本当に懐かしいです。
あの当時はどこにいても派手に着飾ったファンの女の子たちが大勢詰めかけていて、私など目立たない存在でしたからgillmanさんには記憶が無いと思いますよ。
でも、きっとどこかでお会いしていたはずですよね。
当時のヴェンツェルさんは白黒をはっきりと決めたい青年で、日本的な灰色は自分には無いと言っていました。
彼とは何年もの後に電話で話したことがあり、M君から渡された私の手紙は今でも持っていると笑いながら教えてくれました。
後に来た手紙にはクリスマスで実家に戻った時に屋根裏から出して来て読み直したそうです。
年を取ると昔の事を愛しく想うのはインターナショナルなのですね。
私が初めて電話で話した時は、彼もアングルベルガ―氏もすでにウィーン少年合唱団の仕事から離れていました。
当時ヴェンツェルさんは高校の教師のかたわら、混声合唱団で活躍していて、大阪で行われた「一万人の第九」のGastchorで再来日した時のプログラムをわざわざ送ってきてくださいました。
OBで来日して、プレフェクトとして来日して、そして最後にまた合唱団員として来日して・・・そのときgillmanさんがご存じでしたら嬉しい再会があったのかもしれませんでしたね。
今日は早速のお返事、心からうれしく存じます。


by りぼん猫 (2013-03-13 23:36) 

Kojuki

初めまして。以前の記事へのコメント失礼いたします。
現在ザルツブルクの大学におりまして(音楽関係ではないのですが)、大学の合唱団に参加しているのですが、アングルベルガーさんが指導してくださっています。日本人は私一人なのですが、1972年の来日のことはとても思い出深いようで、よく話してくださいます。ヘンゼルとグレーテルで日本語の「こどもたち~!」というのが大変気に入られたようで。
私たちは学生中心のアマチュアですが、いつも熱心に指導していただいて、みんなアルベルトと呼んでduzenしています。とてもお元気ですよ。来日当時の様子がわかりとても興味深かったです。ありがとうございました。
by Kojuki (2014-10-23 18:26) 

gillman

Kojukiさん

貴重なお話ありがとうございます。アングルベルガーさんお元気なんですね。それをお聞きしてとても嬉しいです。そればかりか、彼が日本公演の事を覚えていてくれたとおうかがいして、胸が熱くなりました。

実は、当時東京公演の後赤坂の料亭で皆で食事会をした時に彼と一緒にとった写真があったのですが、どうしても見つかりません。見つかればその写真を載せて少し書きたいと思っているんですが…。今のぼくの写真ではその頃の面影はないですから、アングルベールがーさんがご覧になっても分からないと思いますので(笑)。

リューベックなど北ドイツを旅行して昨日東京に戻ったばかりです。先年ザルツブルクとウィーンにも久しぶりに行きましたが懐かしいです。
嬉しいお話、ほんとうにありがとうございました。

by gillman (2014-10-23 21:16) 

ponko310

お久しぶりです。
今またコメントを以ってこのお部屋にお邪魔させていただきました。
あれから何度も読み返してはこの隊の思い出に浸っております。
ところで今回の私の記事にgillmannさんの◆Episode3…合唱団のプロ魂の部分を貼らせていただきたくお願いに上がりました。
当時の団員たちの舞台にはこんな場面もあったことを忘れたくないのです。
もしご迷惑ならすぐに消すことにします。
何しろ私は2度もYoutube から「著作権侵害」でブロックされましたから。
by ponko310 (2018-03-02 19:54) 

gillman

Ponkoさん、ご無沙汰しています。あれからもう50年近く経とうとしているのですね。当時きっとどこかでお会いしてましたよね。記事を引用していただけるということで光栄です。

最近の記事を拝読して、タウチュニッヒさんのあの大声と怒ったお顔を想い出してしまいました。ぼくは平気だったんですが、主催のテレビ局の部長はヘイコラしていて、まだ学生だったぼくはサラリーマンってやだなぁと思ったことがあります。
by gillman (2018-03-03 13:50) 

ponko310

コメントのお返事を嬉しく光栄に思います。
自分のブログでは言いたい放題の事を毒舌で書きなぐっていますが、あれをgillman様に読まれたかと思うと穴に入りたい気持ちになりました。
タウチュニッヒさんは団の経営面で厳しく、回りには余り評判の良くなかった方だと聞いたことがありますが、子供たちに対しては優しかったのかもしれません。もし私があの大きな図体のもじゃもじゃ眉毛に怒られたらテレビ局の部長のように縮込んでしまうかもしれませんが、平気だったというgillmanさんの当時の若さにほっとしました。
今でもその若さを十分に保っていてくださいますよう。
年老いたお母様の暖かい太陽でいてくださいませ。
by ponko310 (2018-03-03 18:32) 

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