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三日月と星の国から Turkey Report 4  ~海峡~ [gillman*s Lands]

三日月と星の国から Turkey Report 4  ~海峡~

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                          May 2011, Istanbul Bosporus Channel Turkey by gillman


  …イスタンブールはボスポラス海峡によってアジア側とヨーロッパ側とに分けられているが、そのヨーロッパ側のイスタンブールも金角湾によって新市街と旧市街に分かれている。この新市街と旧市街を結ぶのがガラタ橋であり、アジア側とヨーロッパ側を結んでいるのがボスポラス橋である。
 桟橋を離れたフェリーは、ガラタ橋を左手に、ブルー・モスクやアヤ・ソフィアを右手に見ながら、弧を描くようにしてハレムに向かう。…   (沢木耕太郎 『深夜特急5』)

 1973年、26歳の沢木耕太郎はインドのデリーからロンドンまでバックパックでのバス旅行に出た。その時の体験を綴ったのが旅行記としてはもう古典になっているかもしれない『深夜特急』だ。沢木耕太郎はぼくと同じ1947年生まれだ。『深夜特急』にはぼくらの過ごしたその時代の喪失感と新しい時代の息吹がない交ぜになったような空気がよくでている。時々読み返すことがある。

 彼のその作品をぼくは他人事のように読めない。ぼくも彼より三年程前やはり長い旅に出たことがあるからだ。ぼくは1970年、23歳のとき横浜からソ連の船でナホトカに上陸し、そこからモロッコカサブランカまで長い旅をした。『深夜特急』に出てくるシーンがときどき自分の頭の中でもダブることがある。夢の中でいまだにモロッコの港町をさ迷っていることがある。

 「海峡」という言葉は独特の響きを持っている。狭い海の通路なのに何かを大きく分けるように人間の前に立ちはだかっている。海峡の両岸の人間はいつも恐れと憧れを持って対岸を眺めてきた。海峡はそれを渡る人間にとってもそれぞれ特別の意味を持つのかも知れない。沢木耕太郎にとって特別な海峡とはおそらくはアジアからヨーロッパに足を踏み入れたこのボスポラス海峡、そして彼の終着点のロンドンを目の前にしたドーバー海峡だったかもしれない。

 ぼくにも特別な海峡がある。津軽海峡ジブラルタル海峡。ソビエト連邦を目指して横浜をでた船は平穏に航海を始めたが、津軽海峡にさしかかる頃時化に出会い船は揺れに揺れた。船底に近い雑居船室だった。ジーゼル油の匂いが充満する蚕棚のベッドのパイプに掴まりながら、もう吐くものも無い胃から胃液を絞り出した。壁にあいた小さな丸窓のガラスに灰色の波が叩きつけて日本を離れたことをもう後悔していた。

 なぜか少年の頃から憧れていた夏のジブラルタル海峡はとても穏やかだった。さして大きくない船「アフリカの処女号」は凪いでいる海の上を滑るように走る。船と同じスピードで飛んでいるカモメたちがまるで空中に止まっているようだった。そのカモメの姿の向うにうっすらとアフリカの岸が見えた時の気持ちは今でもはっきりと覚えている。それらはぼくの心の中の海峡だ。

 トルコ人ガイドのTさんに聞いた。ずつと昔、このボスポラス海峡をやはり特別な思いで見つめていた日本人がいた。彼が言うにはその人物は今でもトルコで一番有名な日本人だそうだ。Tさんが彼に関する日本語の資料を見せてくれた。その人物山田寅次郎は、1890年に日本で遭難したトルコの戦艦エルトゥールル号の乗組員遺族のために自ら集めた義捐金を届けにトルコに来たが、結局そのまま十二年もトルコにとどまった。

 彼はイスタンブールに貿易商社を設立するとともにトルコの青年たちに日本語や日本文化について教えた。その中には近代トルコの父と今も崇められるアタチュルクことケマル・パシャもいたということだ。彼の滞在中に日露戦争が勃発、ロシアが対日戦線のためにバルチック艦隊に加えて黒海にいるロシア艦隊も投入する恐れがあった。

 黒海にいるロシア艦隊がエーゲ海を抜けて地中海にでるためには、必ずこのボスポラス海峡とその先のダーダネルス海峡を通過しなければならない。そこで寅次郎は幅が狭く、通過する艦船を監視しやすいこのボスポラス海峡を日夜見張っていた。そしてある日、ついに寅次郎は偽装してボスポラス海峡を通過する数隻のロシア艦船を発見し日本に通報した。その情報は日本側の日本海海戦の勝利に少なからず寄与したと思われる。今もいろいろな人間がいろいろな想いを持ってこの海峡を眺めているのだろうか。


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   May 2011, Canakkale Dardanelles Channel Turkey by gillman


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  *『深夜特急』の時から40年近くがたって、ボスポラス海峡にはボスポラス大橋に加えて日本の石川島播磨等が建設した通称第二ボスポラス橋が掛かっています。さらにこの2月26日には大成建設等が工事をしていた海底トンネルの貫通記念セレモニーも行われたということです。

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Silvermac

私より14歳お若いのですね。
私達の世代は海外に出る冒険が出来た人はごく僅かと思います。かと言って、14年後に生まれていたら出来たとは言えません。(?_?)
by Silvermac (2011-05-28 17:47) 

mimimomo

こんばんは^^
わたくしも計算してみました^^ gillmanさんが出られた2年後にわたくしは
イギリスを目指しています。ソヴィエトのアエロフロートで^^
by mimimomo (2011-05-28 18:55) 

evergreen

山を越えて、金角湾に一夜にして現れた艦隊。
豊田譲の「艦隊山超え」や、
塩野七生の「コンスチンチノープルの陥落」に現れた描写は強烈な印象がありました。

当時最強の国家であったはずのオスマントルコも、
ボスポラス海峡を渡るのに、こんなに苦労したのかと、
思ったものでした。

同時に、
すでに孤立したコンスタンチノープルを落とすということが持つ象徴的意味と、
領土支配型国家の業を感じます。

by evergreen (2011-05-28 21:58) 

ぷーちゃん

いつも写真がステキですね
by ぷーちゃん (2011-05-28 22:10) 

kakasisannpo

私は、まだまだ貧乏学生でした
外国旅行など夢のまた夢でしたね

沢木耕太郎 (深夜特急)を読んで、数年前にポルトガルを訪れました
ロカ岬で、何となく、切なくなりました

by kakasisannpo (2011-05-29 11:12) 

hideyuki2007y

ボスポラス海峡のお話興味深く読ませていただきました。私は関門海峡の近くで長らく過ごしましたが、仕事では、最近まで、津軽海峡に縁がありました。ボスポラスのほうはもトンネルが出来るんですね。
by hideyuki2007y (2011-05-29 11:17) 

kasumi

こんにちは
ブログを再開しました。

長いお休みでしたが、
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
by kasumi (2011-05-29 16:31) 

kumimin

海峡…私にとって海自体が普段目にすることのない未知の世界なのでワクワクする言葉です。
何年か前に行った青森の津軽海峡とか関門海峡ぐらいしか見たことがないし。

ジブラルタル海峡はいろんな小説で名前を目のにしますがどれもドラマチックなイメージがあるのです。
トルコ、行きたいなあ♪
by kumimin (2011-05-29 17:05) 

aya

1枚目の写真は絵はがきのようです♪
by aya (2011-05-29 17:17) 

テリー

私と同じ年の生まれですね。
トルコは、昨年3月に旅行しました。ボスポラス海峡やダーダネルス海峡も見ました日本に友好的なトルコ人が多いのにはびっくりしました。逆に、日本人は、トルコを知らないですね。
by テリー (2011-05-29 18:46) 

ヤングコーン

深夜特急は今もなお、若者たちの心を旅へと掻き立てているのではと思います。
by ヤングコーン (2011-05-29 21:57) 

坊や

映画、飢餓海峡また観よう。
by 坊や (2011-06-01 11:36) 

sig

すばらしい体験をされましたね。外国には眼を開かせてくれるものがたくさんありますね。
by sig (2011-06-06 23:40) 

blanc

また『深夜特急』読みたくなりました。
by blanc (2011-06-07 23:56) 

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