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生きる言葉  ひとは言葉で生きている [下町の時間]

生きる言葉  ひとは言葉で生きている

ひとは毎日言葉に囲まれて暮らしている。
ひとは毎日言葉を発している。
歓びも、悲しみも、口には出さなくても心の中で言葉を発している。

昭和二十年代

 僕は戦後に西新井で生まれて千住で育った。まだ小さいうちに千住に引っ越して大人になるまでずっとお化け煙突の見える千住に住んでいたから、僕の言葉の根っこは千住で出来たことになる。親父は茨城生まれで茨城育ち、青年になってから東京に出てきた。お袋は芝で生まれて、千住で育った。

 僕が育った頃は、家は千住でお菓子の工場をやっていたから、家には集団就職で東京に来た住込みの従業員が大勢いた。僕が中学校に入るくらいまではふすま一枚隔てたくらいで同じ家に皆住んでいた。新潟長野茨城等からきた人間が一つ屋根の下で暮らしているから色々な言葉が聞こえてくる。冬は大きなコタツに皆で入っていた。

 集団就職で田舎から出てきた若者の言葉も、時が経つにつれて段々と東京風になってゆくのが感じられた。ただ茨城弁だけは何故かどうしても東京風にはならなかった。だから、茨城から出てきた職人と親父の茨城弁はずっとそのままだった。お袋のテンポの速い、小気味よい下町弁にまくし立てられると、親父の重い口はなおさら重くなって黙ってしまうのが常だった。

 親父は自分の茨城弁が抜けないのを少し気にしていた風があった。お袋が「とうちゃんは外交が下手だ」というもんだから、余計気にしたのかもしれない。そういうお袋も子供には「とうちゃんは、お国訛りがあるから、実直さが分かってもらえて問屋さんに認めてもらえるんだよ」とよく言っていた。


  昭和三十年頃
 
千住の言葉はどちらかと言えばぞんざいな言葉遣いだ。北野たけしがしゃべっている言葉がそれに近いかも知れない。両親のことは「とうちゃん」と「かあちゃん」で大学に入ってから「親父」とか「お袋」とか呼ぶようになった。小学校の同級生もほとんどが家業や商店の子供が多く、お勤めさん(サラリーマンをそう呼んでいた)の子供は少なかったから、皆「とうちゃん」・「かあちゃん」だった。クラスの女の子の一人が母親を「ママ」と呼んでいるのを知って、皆で大笑いしたことがある。それから彼女は陰でママちゃんと呼ばれるようになった。

 僕が結婚して両親と一緒に暮らすようになると、新しい言葉が入ってきた。かみさんは深川生まれの深川育ちだから、また言葉が違う。かみさんがきて分かったことは、お袋が話す下町言葉の中に茨城弁の単語などが入っていたことだった。本人も気がつかないうちに親父の茨城弁が入り込んでいたのだ。僕も兄貴もそれには気がつかないでいた。かみさんの親父の深川弁を聞いたときは、ちょっと感動したことを覚えている。それまで落語でしか聞いたことのない江戸弁を間近に聞くと、つくづくいいなぁと思った。

 同じ日本語でもそれぞれが自分の軌跡を残した言葉になっている。毎日の生活の中で少しづつ、少しづつ変わっていって今の言葉になっているのだ。そして言葉が変わっていくにつれて、歓びや、悲しみの質も変わっていくような気がする。

 言葉がその人間の歴史を表しているということが、小津安二郎の「東京物語」を見ると如実に分かってくる。小津監督は完璧主義者で通っているが、それは台詞一つにも現れていたらしい。小津作品の「秋日和」や「小早川家の秋」などに出演している司葉子は雑誌「東京人」のインタビューにこう答えている。

…小津組では前日にセリフのリハーサルがあるんです。それは非常にユニークなものでしたね。「そこは半音上げて」とか「半音下げて」とか。わたしは先生の言うとおりに覚えて。『小早川家の秋』では京都弁だったでしょう。もちろん方言指導の方がいらっしゃるんですけど、標準語のセリフと同じで音程には細かい指導をなさっていた。…

 小津の作品のセリフ回しは独特で最初はちょっと不自然な感じがするが、言葉にはちゃんとその役回りの歴史が出ている。不自然さは主にセリフがゆっくりなことと、二つのセリフがかぶることがほとんどないことから来るのかもしれない。現実の世界では他人の言葉を遮ったり、同時に話したりする事が結構あるが、小津の映画にはそんなシーンは少ないように思う。

 昭和28年「東京物語」

 「東京物語」で原節子のセリフを聞いたときは、すごく人工的な日本語だという感じがした。言葉が美しすぎて、そんな日本語は今まで現実には聞いたことがなかったのだ。今のいわゆる山の手の言葉とも全く違う日本語だ。これはきっと小津が作り出した架空の理想の日本語なのだと思った。

 しかし、ある時偶然ラジオで昭和三十年はじめ頃の街頭インタビューの録音を聞いて愕然となった。インタビューされているのは中学生くらいの女の子なのだが、そこから聞こえてきたのは紛れもなく、あの原節子の日本語だ。端正で、美しく流れるような言い方。東京物語の原節子の日本語は小津の創造物ではなく時代の日本語だったのだ。

▽小津映画の日本語ってすごいなぁ

 「東京物語」の登場人物の日本語はそれぞれの演じる役の人生の軌跡を残している。
物語は、尾道に住む平山周吉70歳(笠 智衆)と、とみ67歳(東山千栄子)が、東京で暮らす子供たちの所へ旅をする話だ。
夫婦には三男、二女がいる。長男幸一(
山村聡)は東京の下町で町医者をしている。二男は戦死して八年になるが嫁の紀子(原節子)は東京で再婚せずに一人暮らしをしている。三男敬三(大坂司郎)は大阪で鉄道員をしている。長女志げ(杉村春子)は東京のお化け煙突が見える街で美容院をやっている。独身の次女京子(香川京子)が尾道で両親と一緒に暮らしている。

 子供達はぞれぞれ頑張っているが自分の生活に精一杯で、東京に来た老いた両親をなかなかかまってやれない。東京見物に連れて行ってあげる時間的余裕もないことから、両親を二人きりで熱海に行かせてしまう。原節子の演ずる戦死した次男の嫁だけが暖かく面倒を見てくれる。結局、老夫婦は東京にいずらくなって早々と尾道に帰るが、その直後母親は倒れて他界してしまう。母親の死を契機に一家は尾道の実家に集まった。

登場人物の日本語を少し追ってみよう。

老夫婦は尾道の地の人なので尾道弁もしくは広島弁なのだろう。
平山幸一(長男)荒川土手の下で「平山医院」を開いている。言葉は完全な東京言葉になっている。若いときに尾道を出て、東京で大学を卒業したのだろう。下町で医院を開業しているが、下町言葉でもない、いわゆる標準語。地元の患者家族との会話も標準語だ。自分の両親にも敬語を使っている。「疲れましたか?」、「お父さん手ぬぐいなんかお持ちですか?」 妻の史子(三宅邦子)は原節子と同じような山の手の東京言葉を使っているので、東京で知り合って結婚したのだろう。
史子(幸一の妻)…東京の山の手の言葉を話している。「およろしかったら、お風呂どうですか?」、「おじいちゃま・おばあちゃまにご挨拶なさい
実・勇(幸一の子供、小学生)…葛飾や足立の言葉に近い下町言葉になっている。「なんだい、どこで勉強すんのさ」、「つまんねぇやい、しょがなかねぇやい



金子志げ(長女)…お化け煙突の見える町で「うらら美容院」を経営している。言葉は、広島弁の混ざった下町言葉になっている。テンポはすっかり下町言葉だ。「ねぇ、ちょいと」「しょうがないわよ、連れてゆく人がいないんだもん」 所々に「おおきゅうなった」「まだそう思っとってん?」など広島弁のような表現がでてくる。多分、町の人や亭主とはもう完全な下町言葉で話しているのだろう。長男の幸一が町の人とも標準語で話しているのとは対照的である。
金子庫造(志げの夫)…何の商売かは分からないが、浅草あたりの下町の育ちっぽい。いずれにしてもお化け煙突の見える千住の街の言葉ではない。「明日はちょいとまずいな」「風呂行きましょ」の「風呂」がちょっと巻き舌。「あたしも気になっていたんだ」



紀子(次男の嫁)、原節子…夫と住んでいた山の手の一間のアパートに今でも住んでいる。育ったのも東京の山の手か鎌倉あたりかもしれない、いずれにしても下町ではない。小さな商事会社に勤めている。義理の姉に「おねえさま」と言ったり、両親に会ったとき「ごきげんよろしゅう」、両親を自宅へ誘うとき「およろしかったら、お寄りいただければ…」、また電話でも「ちょっとお待ちになって」などの極めて丁寧な表現がある。言葉だけでなく美しい所作が伴っているから言葉が嫌味に聞こえないのだ。
語尾に「~ですわ」「~ですの」が多いのが特徴だ。今この表現を嫌味なく使える俳優はいないのではないかと思う。
京子(次女)…尾道で学校の教師をしている。今風の広島弁なのか。両親の広島弁とは明らかに違う。「ええんです」などところどころに広島弁と分かる表現がでて来る程度だ。
平山敬三(三男)…大坂で鉄道員をしている。言葉はすっかり関西弁になっている。

 

 子供達は、尾道をでて各々都会に根を下ろしている。根を下ろしたところで精一杯生きているが、その生き方は様々だ。長女のように街に溶け込み両親や兄弟と話すときは広島弁を交え、街ではそこの人間になりきっている風に振舞っている者もいれば、長男幸一のように住んでいる下町弁でもなく尾道弁でもなく自分の言葉と感情をなくしたような言葉になってしまっている者もいる。
それぞれの歩みが己の言葉を変えさせている。言葉は生き方だけでなく、時代によっても変えられてしまう。尾道に残った京子の広島弁がもう両親の広島弁とも違ってきているのを見ても分かるかもしれない。同様に原節子の日本語も、もうどこへ行っても聞くことはできない。

ひとは毎日言葉に囲まれて暮らしている。
ひとは毎日言葉を発している。
歓びも、悲しみも、口には出さなくても心の中で言葉を発している。
心の中の声はどんな言葉を話しているのだろうか。

                




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コメント 18

みぽこ

gillmanさんから頂いた談志のCDを繰り返し聞いています。聞いているうちに、自分の生きる時代が広がるんですね。聞けば聞くほど、話の時代がしみ込んでくる。まさに噺家のなせる業ですね。で、ちょっとしたいいまわしとか、ちょっとした単語の選択とか、ちょっとしたアクセントやイントネーションで、話が面白くもなればだめにもなる。まさに「言葉で生きている」んですね。
by みぽこ (2005-12-15 18:01) 

こんばんは。
じっくり読ませていただきました。言葉は生き物ですね。
『東京物語』観たことないのですが、gillmanさんの、この言葉の解説を読んでいて、これは是非一度観てみたいと、思いました。わたくしの実家も転勤族でしたから兄姉それぞれ何となく言葉が違っていました。言葉には転勤するたび
ちょっとした苦労がありましたよ・・・^^
 
by (2005-12-15 18:42) 

hiro

今晩は
言葉には私も父の転勤で転校をたくさんしましたので関心があります。小学生時代に言葉に興味を持ち大学では方言を研究しました。懐かしい思い出です。
by hiro (2005-12-15 20:41) 

ccq

いまの子どもたちは方言少なくなったなーと感じます。
by ccq (2005-12-15 21:01) 

かめむし

利根川を挟んだ野田の人と岩井(現、坂東市)の人の言葉遣いが、
まったく違うので驚いたことがあります。岩井の人はいわゆる茨城訛りでした。
by かめむし (2005-12-15 21:35) 

gillman

うちの親父は岩井出身です
by gillman (2005-12-15 21:55) 

観たくなりました、東京物語。
DVDもっと安くなるといいのになぁ。
by (2005-12-15 21:57) 

Silvermac

ViolaMacです。
東京物語はBSの小津安二郎特集で見ました。
解説を読んで各シーンを思い出しました。
良い映画でしたね。
by Silvermac (2005-12-15 22:44) 

lingnam

親が転勤族で茨城県にも長く住みました。
地元の子の中には「方言は恥ずかしいから使うのをやめよう」と
標準語を通していたグループもいました。味のある言葉だと思うのですが
方言=恥という考えはどこからわいてでたのでしょうね。
by lingnam (2005-12-15 23:51) 

mami

おはようございます。
いつも素晴らしい文を書ける人だと、尊敬しながら読ませていただいております。
「東京物語」はよく知りませんが、見てみたくなりました。
お越しいただきまして、ありがとうございます。m(_ _)m
by mami (2005-12-16 05:33) 

mayumi

言葉って大切ですよね。
最近特にそう感じます。
以前は自分の気持ちが自分の言葉で伝わる物だと思っていました。
でも、微妙なニュアンスで全然違って感じたり
言葉が少なくて誤解したり
一つ一つの言葉を丁寧に使っていくって難しい。
単語で話す癖が付いている私には
大変な作業。
でも、きちんと伝えたいことは
きちんと言葉にしなくてはいけないんですよね。
東京物語、素敵な映画でした。
by mayumi (2005-12-16 06:32) 

coco030705

おはようございます。
「東京物語」とてもよかったですね。言葉の違いというところに、焦点をあてて
みていかれたのが、読んでいておもしろかったです。
原節子のような、美しい日本語は、これからはもう聞かれないのでしょうか。
残念なことです。
by coco030705 (2005-12-16 08:08) 

もっといろいろ言葉を知りたいなぁ。そしたらもっと伝えられることもあるんだろうに。
by (2005-12-16 10:57) 

Baldhead1010

このページとは関係ないですが、今、日本放送協会で「新日本紀行」やってますね。
あのテーマ曲も好きだし、古い画像見るのは楽しみです。
by Baldhead1010 (2005-12-16 11:48) 

言葉は実際に使わないと忘れて行きます。
最近、痛切に感じています。
「東京物語」観てみたいです。
by (2005-12-16 16:19) 

mippimama

gillmanさんの文章はとても丁寧で感心する事ばかり...
じっくり読ませて頂きました。
改めて「東京物語」観てみたくなりました。ありがとうございます☆彡 
by mippimama (2005-12-16 17:03) 

ecco

私の実家は結城です。
父は転勤族でしたから
茨城弁は身につきませんでしたが
茨城出身というと
たいがいなまってないねっていわれます(笑)
by ecco (2005-12-16 22:38) 

Dublin Flats

Your site is realy very interesting.
by Dublin Flats (2006-03-21 20:10) 

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