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政治としての言葉 [Column Ansicht]

政治としての言葉
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 オバマ新大統領の就任式が1月20日に盛大に行われた。前の日に手術を受けたぼくは、本を読む気にもなれずベッドの上で他に何もすることがないので所在なくテレビを見ていた。これだけ沢山の人間がどこから集まったのかと思えるほどの群衆が首都の広場を埋め尽くしている。それが皆ある政治家の言葉を待っている。演出がよく練られていて人々を興奮の渦に巻き込むように周到にできている。この裏では大手の広告会社がきっと儲けているのだろう。だがアメリカはオバマも言っていたように一つにUniteするために、このようなイベントが必要なのだ。

 演説は良かったと思う。何よりも(ま)とリズムがいい。人によってはあのマーチン・ルーサー・キング牧師の名演説を彷彿としたかもしれないが… 今回のスピーチ原稿は20才代後半のスピーチライターであるジョン・ファブローが書いたらしい。若さがあるが、感情に流されない良い原稿だと思う。ファブローは今回何よりもリズムを大切にしたという。普通、大統領や大物政治家には専属のスピーチライターが何人も付いている場合が多い。オバマにも選挙戦の間に数人のスピーチライターが関わっているが、その中から去年の大統領選の勝利演説の原稿を手掛けたこのファブローに原稿を任せたということが幸いしているかもしれない。

 もちろん大統領のスピーチライターとは比べることはできないが、実はぼくも昔仕事の関係で自分の会社の社長の公式の挨拶や講演のスピーチライター的作業を数年にわたってやったことがある。社長のスピーチは上場会社のトップとして新聞や会社の広報にも載ることが多いから気が抜けない。オバマ新大統領の演説にスピーチライターがいたということを聞いてがっかりする人もいるかもしれないが、それは当たらない。スピーチライターは単なるゴーストライターではなく、いわば政治家の思想・信条に言葉の翼を与える役割を持っているともいえる。

だから、ある意味ではその政治家のことを誰よりも知らなければならない。ぼくでさえスピーチ原稿を書くためには別件で社長と話をする時にもいつもメモを持っていた。気のついた言葉や考えのキーになりそうな表現、論理展開の仕方や話し方の癖などを頭に叩き込んで本人になったつもりで考え、書き起こすことが必要であり、作者の自由に人物設定できるいわば芝居の台詞とは全く違うのだ。もちろんその原稿を使うかどうかは最終的は本人の決めることだ。そして、一旦放たれた言葉はもう彼のものだ。

 大統領に複数のスピーチライターがついているということは、彼らが政治においていかに言葉が大切であるかを知っていることの証左でもある。どこかの首相のように失言や暴言を繰り返して自分の政治活動自体の可能性を狭めてしまうのを見ていると残念でならない。ぼくは日本の政治家には「不言実行型」と「公約乱発型」があると思っているが、どちらも言葉を大切にしていないことでは変わらない。西洋の政治は言葉で動いている。ぼくはその凄さと同時に、その恐ろしさも感じている。

 去年の秋、日本で「わが教え子、ヒトラー」(ダニー・レヴィ監督)というドイツ映画が公開された。巷間ヒトラーは演説の天才と言われたが、ミュンヘン時代からヒトラーに演説の指導をしていたのがユダヤ人俳優のアドルフ・グリュンバウムだ。ナチスの政治活動はヒトラーの演説とシュペアー等による演説の舞台演出、ゲッベルスのマスメディア戦略を一つの基軸としていた。イメージ作りのメインターゲットは女性。もうベルリンも廃墟のようになってしまった1945年1月1日、ヒトラーは起死回生の演説をすべく準備をしていた。そこに再び演説の指導のために連れてこられたのが、今では強制収容所に入れられていたグリュンバウムだった。演説はベルリンの広場に100万人の群衆を集めて行われた。最初、静かに聞いていた聴衆もやがて演説の最後には大歓声をあげ興奮が沸きあがる。言葉が政治そのものになった瞬間かもしれない。

 日本はどうだろうか。日本にはまず広場で演説をするという仕組みがない。第一、広場といわれるのは東京でも皇居前広場ぐらいしか思い浮かばないし、昔フォーク集会が頻繁に行われた新宿地下広場などは広場ではなく通路であるということにされてそこでの集会は禁止されてしまった。それ以来日本では広場での集会はない。芝公園などでよく集会が開かれているが公園の奥まったところで一部の人間だけでやっていても民衆の力にはなりにくいだろう。それに対して欧米では何かあると必ず街の中心の広場に群衆が集まり演説が行われる、そしてそれをきっかけに大きな政治運動の波がおこり歴史を変えてきたという事実がある。しかし一方では、それはヒトラーの例を見てもわかるように美しい面だけではない。民衆を奮い立たせる政治としての雄弁な言葉は、民衆を天国へも地獄へも導いてゆく両刃の剣だということを忘れてはならない。

 西欧では広場という装置に政治の言葉がのって民衆の力になってゆくという図式があると思う。今の日本の閉塞的な状況を見ているとそれはある意味で羨ましくもある。今の日本の政治家のスピーチライティングは役人がやっている。当然、その内容と方向は民衆ではなく役人の自己の保身に向かうことになる。日本の政治家が政治漫談ではなく言葉で人を動かせる政治演説ができるようになるためにも、日本でもスピーチライターが必要かもしれない。

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 *日本語にもちゃんとした演説のスタイルというものが確立されることも大事だと思います。ぼくらの世代では演説と言うと学園紛争時代の学生運動家の「われわれはぁー」とか「~ではないのかぁー」などのおぞましい口調が耳に残っています。結局、それらの言葉は人々の耳には届かなかったし、理解されることもありませんでした。

**ゴーストライターの書いたものであれば、どこかの時点で実はあれは私自身が書いたものではない、ということができるかもしれません。麻生首相が書いたとされる文芸春秋の手記のように…
しかし、いったん政治家の口から語られた言葉は例えそのスピーチ原稿がスピーチライターによるものであっても、あれは私が言ったものではない、とは言えないのです。もっとも日本の政治家はそれに似たようなことを平気で言いますが…

***お陰様で明日退院できることになりました。いろいろご心配いただきありがとうございました。


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ニュースの残像 ~ギャンブル化する世界経済~ [Column Ansicht]

 ニュースの残像 ~ギャンブル化する世界経済
   サブプライムローンの本当の怖さ

 アメリカのサブプライムローン問題は対岸の火事のような気でいたのが、どうやら日本にも大きな影響を与えそうだということが分かって、やっとマスコミも騒ぎ出した。サブプライムローンの債権が色々な金融商品に組み込まれ、結果としてそれらの商品が汚染されているらしいということはかなり前からわかっていた。常識的に考えれば年収が二百万円くらいしかない低所得者に数千万円ものローンを貸し付ければ、いつかは焦げ付くことぐらい素人でも分かりそうである。事実、多くの場合貸主もそのことは承知していた。

 一般的にはローンがあっても不動産価格が上がるから担保力はかえって強化されるということが言われているが、ローン返済額はある時期から急激に増える契約になってるので、そのうち不動産を手放さざるを得ないのは目に見えている。さらに不動産価格自体もどこかで頭打ちになるから、どこかで破綻することは避けられなかったといっていい。それでは、そのようなことが分かっているのに、なぜ今回のようなことが起きたのだろうか。

 それには大きく分けて二段階の要因があると思う。そしてそれらの要因はこれから日本でも本格化してくることによって日本でも新たなリスクが生じてくる。まず第一段階は貸付と債権回収の機能の分離である。つまり以前は基本的にはお金を貸し付けた者がその貸付金、つまり債権を回収しなければならなかったが、現在ではサービサーという債権回収専門業者に回収を依頼することが出来る。(日本ではまだ一部制限されている部分もあるが) 第二段階は債権流動化と称して貸し付けた債権を他人に売却することができることだ。この二つの段階によって、債権は当初の貸付者の手を完全に離れてしまう。つまり悪質なローン業者は回収のことなど考えずに、いわゆる「貸し逃げ」することが可能になる。

 今回のサブプライムローンでも多くの場合貸付業者はすぐに債権を売却して、利ざや稼ぎをしている。というよりは、それが第一の目的である。債券はもちろん売られる時に統計学的なデフォルト率(貸し倒れ率)等のリスク表示はなされるが、それらは先ほどのような貸付現場の実体を反映してはいない。特に一般消費者が相手のローンは社会情勢雇用環境、その国の国状等で貸し倒れ率は大きく変わってくるため、過去の統計なぞはさして参考にならない場合が多い。貸付現場の実情を知らない買う側は、一見論理的に見える膨大なデータをつけられたそれらの商品に目を奪われて買ってしまうのだ。

 そのような債権が金余りの金融市場に急速に流れてゆき、他の金融商品にまぎれて細菌のように感染してゆく。いずれは破綻するのだから、ババ抜きと一緒で誰が持っているときにはじけるかだ。日本の証券会社や金融機関もそのような債権を意識するかしないかに関わらず運用の一環として買っている。日本でも先の金融改革以来、この貸付機能の分離、つまり貸付と回収の機能の分離、と債権の流動化が急激に進展しつつある。従って、今後日本はそのような債権をつかまされる被害者としての立場だけではなく、そのような危険な商品を作り世界に送り出す加害者の立場にもなりる可能性を持っている。

 実際の資金ニーズが発生する現場の実体とかけ離れたところで、いろいろな債権がマネーゲーム化してゆくのは、このサブプライムローンの問題に限ったことではない。このようなハイリスクの貸付債権、不動産の賃貸料から、はては映画や演劇の興行収益権までありとあらゆる不確定要素を含んだ債権がマネー市場に流れ、世界はこれから益々「ギャンブル経済」化してゆく。これらから我々はどう身を守ればよいのだろうか。

                  


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ニュースの残像 失言の効用 [Column Ansicht]

 ニュースの残像 失言の効用  ~政治家の失言を楽しもう

    

 先の参院選で自民党は大敗を期したが、その一因に挙げられるのが相次ぐ大臣の失言である。ちょっと挙げてみただけでも、柳沢大臣の「生む機械」発言、松岡大臣の「なんとか還元水」、久間大臣の「原爆投下しょうがない」発言、麻生大臣の「アルツハイマー症でも分かる」発言など、実に豊富である。自分の身内である閣僚達から足を引っ張られたことに、安倍総理に同情する向きもあるが、もちろんそれはその閣僚達を誰が任命したかという任命責任論としてブーメランのように安倍さんに戻ってくる。
 
 政治家の失言は今回の内閣に限ったことではないが、これほど判断材料と話題を提供してくれる内閣も珍しいといわざるを得ない。ぼくは政治家の失言はその政治家の本質を判断する貴重な情報だと常々思っている。政治家は最終的には国民に対してその政治活動の結果に責任を負っているが、往々にしてその結果の評価は短期的なスパンでは下しにくいこともある。中には半世紀を経て初めて正しく評価されるようなものもあるかもしれない。しかし、だからといって政治家を無条件で信じ今の全てを任せるというわけには行かない。我々は自分の日常生活の中で得られる限られた情報の中で政治家を選び、現在と未来を託すということをせざるを得ない状況にある。

 極めて単純化して言えば、どの政治家も政治信条政治手法という二つの側面を持っていると思う。政治信条とはなぜ政治家をこころざし、そして政治手法とは政治家としてどう政治を行うかだ。そのうち政治手法というものに関しては、比較的政治関係のマスコミ記事などで窺い知ることが出来る。よくいわれる政治家としての小沢氏の強引さや、青木氏の深謀遠慮的な政治手法の側面はマスコミの情報としても時として伝わってくる。一方、ある意味ではその政治家の根幹ともいえる政治信条というものは中々我々には伝わってこない。選挙の度の公約やマニフェストは必ずしもその政治家の本音の信条を示しているとは言えない。それは、主にその時の党や選挙区の状況によって決められることが多く、自らの信条を曲げてアピールしていることも多いのだ。郵政解散選挙の時に小泉首相が党員に踏絵を踏ませて以来その傾向は益々強くなっている。
 
 そのような状況を考えた時、政治家の「失言」は我々がその政治家の政治信条の底流を窺い知る貴重な情報であるといえる。もちろんそれは政治信条それ自体ではないが、政治信条がその人間の体験やものの見方で構成されているとすれば、いわば無防備に発言された言葉はその政治家の本音に近いところにあると言えなくも無い。試みに今までの政治家の失言を独断で五つのタイプに分けてみた。

うっかり型…普段思っていることが不用意にでる、地元や講演会での過剰リップサービスなどに多い…例)アルツハイマー症でも分かる、生む機械
苦し紛れ型…国会質問やマスコミの質問に窮してでる…例)なんとか還元水
マジギレ型…国会質問やマスコミの質問に苛ついたり、キレたりしてでる…例)人生いろいろ、自衛隊のいくところが非戦闘地域だ、バカヤロー(吉田茂)
なんで?型…失言意識がなく、あとで指摘されて問題になる…例)原爆投下しょうがない
確信犯型…問題になるのを承知でアジる意味での発言…例)第三国人、シナ(石原都知事)

 タイプとしてはやはり①のうっかり型が多いと思われるが、小泉前首相などは③のマジギレ型、つまり売り言葉に買い言葉的なものが多いと思う。これはいわゆるまともな論戦ができない日本の政治家の幼児性を現しているかもしれない。失言というより暴言に近いものも多い。また⑤を自分のコメントスタイルにしている政治家もいる。ロシア・フランスなど海外にも結構いるがこのタイプには概して一流の政治家にはいない。いずれにしても、その発言の背後にはその政治家の品性、生活信条などその政治家の体温が感じられるようで面白い。さらに、それらの失言に対する事後対応がどうなったかを失言タイプと組み合わせて追ってみると面白いと思う。もしくは失言が問題になった時点で下記のどのタイプの対応になるか予想してみるのも面白い。

①とぼける、開き直る、②誤解を招いた表現だったと言い訳をする、③発言を撤回する、④ひたすら陳謝する、⑤辞任などの形でけじめをつける

 振り返ってみると、失言内容は違っても、いつも同じように①から⑤へと時系列で推移してゆくようだ。その間テレビを始めとするマスコミ報道は「感情論」と「政局論」の二つの方向で加熱し、そもそもその発言がなぜ失言とされるかについてはまともな議論もされないまま、いつの間にか収束しているという形をとる。考えてみれば空しい繰り返しである。とすれば、あとは我々が自らの皮膚感覚でその失言なるものの意味を推し量って判断してゆくしかないのではないか。そのためには既存のマスコミに期待できることは少ないが、せめてその失言のなされた状況とその失言の前後の文脈を正しく国民に知らせるべきではないか。その上であとは我々国民が判断する他はないと思うが、どうだろうか。

                                


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ニュースの残像 ~食の安全とは命をみつめること~ [Column Ansicht]

 ニュースの残像 ~食の安全とは命をみつめること
 
      
  ミートホープ社の牛肉偽装事件は単に一企業の商道徳に悖る行為というよりは、そこに現代の日本の社会が抱える多くの問題が集約している象徴的事件とみることもできると思う。それは、もちろん一義的には経営者であるミートホープ社の社長のコンプライアンス意識の欠如という、一連の企業不祥事のパターンであるが、その背後には熾烈な価格競争効率至上主義という日本のビジネス環境を支配する底流が流れている。

 もう一方では、牛肉偽装の内部告発を受けた役所が何の対応もしないで問題をもみ消していたという点やそれが明らかになってからも中央官庁と道庁が責任のなすりあいをするという、現代の日本を硬直化させている官僚社会の側面が浮かび上がってくる。それは社会保険庁だけでなく官僚に牛耳られていたこの国がいかにその内部で機能不全を起こしているかを我々に思い知らせてくれた。
 
 さらにもう一点は、もちろん食の安全性(特に食肉製品の)という観点からの問題だ。安全を確保するために精肉製品などのDNA鑑定などによるチェックの強化や生産段階まで遡れるトレーサビリティーの仕組みなど最新のテクノロジーを駆使した安全確保論が叫ばれている。そう遠くない将来、スーパーの店頭では次のような光景が見られるかもしれない。スーパーの肉売場の冷蔵ショーケースにおいてあるひき肉やステーキ肉を手に取り、携帯電話をかざすと〇〇畜産の農家のおやじのにこやかな顔写真が現れたり、首に肉のトレーと同じ番号のICタグを付けられた元気そうな牛の姿が写し出される。確かにそれで消費者と生産現場との情報的な距離は縮まるかもしれない。しかし、ここで言う肉の生産現場とは何なのだろうか。

 以前、日本に来たばかりのモンゴル系の留学生にこう聞かれたことがある。
「東京では羊はどこで買えますか?」
「余り売っていないけど、羊肉を売っているスーパーもあると思うよ」
「羊肉じゃなくて、羊です」
「羊なんか売っていないよ」
「じゃ、羊を食べる時はどうするんですか」
「だからスーパーにいって買ってくるんだよ」
「…」

 当たり前のことだが、彼の頭の中では「」と「羊肉」は別のものではなく一体のものである。彼にとっては羊肉とは現実に生きている羊という生き物の肉なのだ。同じような意味で我々の頭の中でも「」と「牛肉」は一体のものだろうか。牛肉は我々にとって最初から食べ物だったのではないだろうか。JICAで派遣されて二年間モンゴルで日本語を教え、つい最近帰国したばかりの友人に聞くと、モンゴルでは客のもてなしに目の前で羊を殺して振舞うのだという。それは一滴の血も流さず見事な捌き方だが、その肉をご馳走になるというのはかなりショックなのだそうだ。何を言いたいかというと、我々が普段食している様々な肉はそのように生きものを殺めて得ているという事実に基づいているが、そのようなことは我々はとうの昔に忘れているのだ。だから「いただきます」が本来は「あなたの命をいただきます」の意味であることなぞ知る由もない。

 どんな文化にも、主に宗教的な意味付けの形をとってはいるが、他者の命を殺めて我々が生きているということの重さや、一種の後ろめたさを暗示するタブーがあった。それはある意味では人間が食におぼれないための一種の「たが」の役目を果たしていたかもしれない。だが日本を含む近代西欧型社会は食に対するそのような「たが」を一切外してしまった社会である。ICタグやその他の情報手段は生産現場と我々の情報距離を短くすると同時に、命との距離感をも縮めてくれるのだろうか。日本はその食糧の六割を輸入している、さらに食材の四割を食べずに捨てている。テレビでは毎日、飽き飽きするほどのグルメ番組の連続、ただの大喰らいがアイドル扱いされる時代である。

 安くて、安全で、おいしい肉は確かに消費者の願いであるかもしれない。しかし本当に安全で食べるに足る肉を望むのであれば、地産地消のように情報距離と命の距離感が離れすぎないシステムを考えることも大切ではないか。食の安全性とは、つまるところ殺めた命を我々が自分でどこまで見つめられるかということに他ならない。これはアメリカ産牛肉にまつわるBSE問題で日本人が骨身にしみて知ったことではなかったのか。

                                   
*食の生産現場ということで言えば、最近読んだ内澤旬子さんの『世界屠畜紀行』という本は大変興味深かったですね。世界各国で牛や豚や羊やラクダなどがどのようなプロセスで屠畜されているのかを、著者自身のイラスト入りで詳しくしかし淡々とレポートしています。決して奇をてらったものではなく我々が日々食べているということについて冷静に考える機会を作ってくれると思いました。

        
 **昔、モロッコを旅行していたとき、内陸部の地域でシシカバブのようなものを食べたことがあるんですが、その屋台の店先には今切ったばかりのような羊の首が置いてありました。結局、僕の食べたのはその羊の肉なのですが、これなどは正に素性の分かった肉というわけです。その羊の首の笑ったような目が今でも忘れられません。


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Face [Column Ansicht]

 Face



 近頃顔のことがとても気になる。人間五十(四十だったかもしれない)過ぎたら自分の顔に責任を持てと言われるが、確かに人間の顔は生活や心理的要素で月日とともに変わるものかもしれない。ぼくは占いの類は好きではない、というかどちらかといえば嫌いな方だが、自分の中では他人の顔を見ると無意識に人相占いのようなことをしていることに気がつく。恐らく誰でも初対面の人に会うと第一印象というもの持つと思うが、それもその人なりの経験に基づいた人相占いのようなものかもしれない。ぼくの偏見からいうと、人間の顔の中で知性は目元に、品性は口元にでると思っている。なんの根拠もないが、その基準でテレビに登場する有名人を見て密かにその性格等を想像して楽しんでいる。もちろん個人的な知り合いでもないから、本当のことなぞ確かめるすべもないから極めて無責任で、はた迷惑な想像ではあるが。

 以前、銀座の裏通りを歩いていたとき、背後からおばさんの大声が聞こえた。誰かを罵倒するようなだみ声である。振り返るとスーツ姿のおばさんがカツカツと靴音をたてながら足早に歩いている。彼女は後からついてくる初老の男性を叱りながら通りをわたってくる。これまたスーツを着ているそのおじさんは、腰を低くして恐縮しながら小走りにおばさんの後からついてくる。早口でまくし立てるおばさんの口元はいかにも品がなさそうで、街なかで男を叱り付けるその大声とともにぼくはちょっと不愉快になった。よく見ると、そのおばさんはあの田中真紀子だった。

 先日、ミスユニバースに日本の森さんが選ばれたが、その彼女の顔が物議を醸し出した。おそらくそれは今の我々日本人が持っている日本人の美形といささかイメージが違っていたことがその原因と思われる。昨年も日本人がミスユニバース大会で準ミスを獲得しているが、その背後にはミスユニバース日本事務局のあるフランス人女史の指導の力があったという。つまり候補者を選ぶ彼女の美的感覚などがミスユニバースという厳しいコンペティションを勝ち抜く原動力になったというわけだ。ぼくはミスコンの結果自体にはあまり価値を認めていないが、一部で言われているように世界の檜舞台で日本女性の美しさが認められた、というような言い方はナンセンスと思っている。森さんには失礼だが、彼女の顔はどう見たって欧米の人間が自分達が勝手に作り上げたアジア人女性の理想像に他ならないではないか。街中でよく見かける白人男性とカップルで歩いている日本人の女性のルックスは、ちょっとぼくらのテイストとは違うことが多い。そんな感じがする。それは、良い悪いの話ではない。したがって、他人がどうこう言う話でもないが、何かが日本的であるとか日本を代表しているというような評価がなされるのであれば、話は別だ。散々わけのわからないグローバルスタンダードなるものを押し付けられた上に、女性の美しさまで勝手に決めつけられたのではたまらない。

 もちろん人の顔の美醜の評価は時代によっても違ってくる。日本だって江戸時代と今とでは雲泥の差があるはずだ。日本も70年代には白人系ハーフなどのいわゆるバタ臭い顔が美形とされた時代もあった。この間新宿に行く途中駅構内のポスターやホームの大型ポスターを見ていたら、docomoのポスターが目を引いた。テレビでも頻繁に流されている広告で、数名の著名な男女のタレントがグループで写っている。メンバーの誰一人をとってみても単独でもCMをやれるタレントばかりだから金のかかったキャンペーンだ。最近この手の金に糸目をつけないタイプのCMが資生堂のシャンプー「椿」のシリーズなど結構幅をきかせている。それはそれとして、ぼくがこのポスターを見て思ったのは今、日本は西洋人が考えた日本人の美形とは異なった、また今までの日本人のイメージしていた美形とも異なった顔のイメージを持ちつつあるな、ということだ。それはあえて言えばアジア人の目線から見た汎アジア的な美形のイメージだ。韓国や台湾などの留学生の話を聞いても共通した美形のイメージがわいてくる。このポスターに並んだ顔を見ていると西欧至上の美的感覚から少しづつであるが、アジア人としての美のアイデンティティーを具現化するようなプロトタイプの顔が並んでいるような気がした。

                                    

 韓国でもいわゆるいい男のイメージは昔の顎のがっちりした顔のタイプから韓流スターのようなほっそりとした顔のタイプになっているようです。味のある顔が減っていくんですかね。汎アジア的になってゆくということは、純粋な日本的なものではなくなってゆくという面もあるのでしょうか。もっとも純粋な日本的なものって何かもはっきりは分りませんが…。
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花と蝶 [Column Ansicht]

 花と蝶 ~アキハバラの凋落と変貌~


 iPodの修理に銀座のAppleセンターに行った帰りに秋葉原に寄った。土曜日でお天気もいいということもあって銀座は凄い人出だったが、秋葉原もそれに負けないくらいの賑わいだった。ぼくは平均すると月に一回か、もしかしたら三週間に一回くらいは秋葉原に来ている。会社に勤めている時も大体は昼休みに秋葉原の電気街にこられるくらいの距離にあるオフィスにいたから、このペースは少なくとも三十年くらいは続いていることになる。ただ、会社を辞めてからは平日にくることが多いから久しぶりに週末に来てみてちょっとびっくりした。

 JRの秋葉原駅で降りて電気街側の出口に出た。最近は地下鉄の秋葉原でおりて昭和通り側のヨドバシカメラに直行してしまうことが多いので、こちらの出口は久しぶりだ。改札を一歩出るとそこは電気街の秋葉原ではなく、まさに萌えの街アキハバラだった。ゴスロリ風のメイド姿をしたお姉ちゃん達が手にビラをもって何人も立っている。彼女達はもちろんメイド喫茶のPRをしているのだ。ビラを貰っているオタク系のお兄ちゃんやキャッキャ言いながら写真を一緒に撮っている若い女の子達もいて大変な騒ぎだ。


 


 ぼくが秋葉原の街を訪れるようになったのは中学校にあがった頃からだろう。当時科学少年だったぼくは夢中になっていた顕微鏡の世界から、鉱石ラジオに興味が移り始めていた。科学雑誌を見ながら部品集めのために秋葉原にいった。駅前はオイルの匂いがして煤けた街にゴチャゴチャと何だか分からない部品を並べた店が並んでいた。その中でも駅前のパーツ屋が並んだ横町は人一人がやっとすれ違えるような細い路地が続いていて子供の目にも何か怪しそうな場所に見えた。

  パーツ屋さんを回って持ってきた部品リストに従って抵抗器バリコンやリード線がそろう頃には一端のマニアの気持ちになっていた。何だかすごく大人になったような、そんな気がした。今考えれば当時は殆どは電子部品と言うよりも、もっとメカニカルな部品が大半を占めていたのだと思うが、見たこともない機械のパーツがジャンク屋の店先にまるで八百屋の野菜のように並べられているのを見て、なぜか「欲しい」と思った。何に使うのか、どういう機能をするものかは皆目分からなかったが形がいいとか、重量感があるだとか、少年の目には宝物のように映ったのだろう。

 高校、大学の頃は自作のスピーカーなどのオーディオ機器の部品を手に入れるために通った。もうその頃には街のどこら辺にどういう部品を売っている店があるかは熟知していた。まだパソコンというものはななかった。先日秋葉原に行ったのはスピーカーのサランを買いに行ったのだが、あらかた街中探してもそれを売っていたのは一軒だけだった。それも数種類の在庫しかなく色を選ぶような余裕はない。サランと言っても今は分からないかも知れないがスピーカー・ボックスの前面に張る布のことだ。

 ぼくの使っているタンノイのレクタンギュラーヨークというスピーカーは買ってからもうすぐ三十年近くになるのだが、その間に一度スピーカーのコーンを張り替えた。イギリスに船便で送って二ヶ月ほどかかったがすばらしい音になって戻ってきた。ところがそのスピーカー・ボックスのサランに猫がよじ登ったり、爪とぎをするものだからサランがボロボロになってきた。ときたまクロがイモリのようにスピーカー・ボックスに張り付いていることもある。このままではスピーカーのコーンまで傷んでしまうのだ。



 話はそれたが、今回そのサランを探すために久しぶりに駅前のラジオ会館に行ったのだが、その中は一変していた。このラジオ会館は駅前のパーツ横町と並んで一番秋葉原らしい一画なのだが、パーツ横町が多少の変化を見せながらもある意味では変わらない昔の秋葉原らしさを匂わしているのに比べて、こちらはもっと変わり身が速い。ラジオパーツビルとしての時代から、オーディオ家電時代、AV機器時代、コンピュータ機器時代そして今は「萌え」商品のメッカとなっていた。

  建物の中は若者で一杯だった。かなりの数の外国人の客も混ざっている。以前オーディオやAV機器を売っていたスペースは大規模なコミック関係のショップになっていた。コミックを始めとして関連するグッズが所狭しと並んでいる。コミックもガンダム系から美少女系まで巾も深みも備えている。一昨年、夏休みに日本語教室で教えたアメリカの少年はガンダムを見に毎日のように秋葉原に通っていたっけ。別のフロアーにゆくとそこはフィギュアの専門店が並んでいた。これもありとあらゆるものがある。

 海洋堂の精巧な生物フィギュアも並んでいる。フィギュアに混ざって中には世界最大の蝶と言われるゴライアストリバネアゲハなどの本物
の蝶の貴重な標本まで売っている。隣のショーウィンドウに目を移すと今度は美少女系のフィギュア。その向こうにはフェチ系のフィギュアも並んでいる。深夜番組のタモリ倶楽部のイントロで見るような見事なお尻のフィギュアがずらりと並んでいる。どんな人が買うのだろうか。結局ぼくの探していたサランはこのラジオ会館の中でかろうじて昔どうり営業しているオーディオ部品の老舗店でみつけることができた。ラジオ会館を出るときぼくは秋葉原にまた、あの「怪しさ」や「胡散臭さ」が戻ってきたと思った。

  


 そもそも秋葉原の凋落が始まったのは大型家電店が各地の郊外に展開され始めてからだ。早い時期から秋葉原に本店を置く秋葉原系の電気店も全国展開をしたが、結局はカメラ量販店系や専業の電気量販店に負けてしまった。全国の郊外にミニ秋葉原が出来たことで少なくとも冷蔵庫や洗濯機といった白モノ家電における秋葉原の優位性は無くなってしまった。次に訪れたパソコンブームに乗った感はあったがそれも電気量販店のパソコンショップ化とインターネット販売の普及で秋葉原の強みではなくなってしまった。

 パソコンオタクと隣接領域にある萌え族がその頃から秋葉原を渉猟するようになった。それを目ざとく見つけた店が彼らに合わせた店作りを始めた。パーツ屋を行き交う伝統的な電気族は次第に勢力を増す萌え族に眉をひそめるようになった。駅前のやっちゃ場の広大な跡地に近代的なビルが建ち始めた。昭和通り側には日本最大といわれる売り場を誇るヨドバシカメラができ、筑波エクスプレスの駅も出来た。今、秋葉原では近代的なビルが建ってきれいになってゆく一画とシャッターを下ろした旧秋葉原系の大手電気店、業態を変え生き残りを図る店々、それらが流れながらせめぎあっている。

 個人的にいえば、ぼくはこの秋葉原の猥雑さ胡散臭さが好きだった。中東のゲリラは秋葉原で手製ミサイルなどの部品を手に入れている、というまことしやかな噂が流されるところに秋葉原の凄さがあった。リドリー・スコットの映画ブレードランナーに出てくる街のような猥雑さ、それでいてその背後には極限までの専門的知識やフェティッシュな感性がある。世界に冠たるフェチマニアの街、アキハバラ。

 ちょっと裏路地に入ると怪しい男が近づいてきてそっと囁く「だんな、オルトフォンのSPUの凄い奴がありますぜ。2Ωで出力が0.5mVですぜ」、「スパコンの凄いのがありますぜ。この間までMITで使ってた奴ですぜ。今なら安くしとくよ」なんて未来はないのか。入れ物だけがきれいなアキハバラでは世界の中で光を放つことは出来ない。今だってそれなりの店に行けば真空管フェチの不可解な質問にも、フルトベングラーの第九の録音はどの板が一番いいか、などというわがままな質問にもちゃんと答えてくれる店員がいる。秋葉原は人が作っている。はたして秋葉原はどこへ行くのだろうか。

 万世橋の所までくると、両脇からメイド姿のお姉ちゃん達に手を取られた若者が宙を舞うような足取りで横断歩道をわたってゆく。両手にのオタク青年はのような軽い足取りでどこかへ消えていった。


                       

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朽ちてゆく時間 [Column Ansicht]

朽ちてゆく時間

         
                                                 2005/11/17


 去年の晩秋のある日、いつものように散歩をしていて、いつもの小高い丘にさしかかった時、木立の中に突然色鮮やかな青いソファーが置かれているのが目に入った。まるで「さあ、どうぞお座りなさい」と言っているように、なんの衒いもなく林の中に溶け込んでいる。

 恐る恐るそのソファーに座ってみると、木立の中の応接間のように心地よい安らぎがやってきた。立ち上がって、少し離れてもう一度ソファーの置かれている光景を眺めると、何となくシュールな光景に見える。不思議な空間だ。いいなぁ。ここで寝転がって本でも読んだらいいだろうな。

 しかし、ここはあまり人の来ない公園の未整備地区である。ということは、このブルーのソファは見捨てられたソファーなのだ。恐らく夜の間に持ち主が人目を忍んで廃棄して行ったのだろう。未整備地区の他のところにも時々冷蔵庫やバイクが廃棄されていることがある。そこから少し離れたこの丘の上に廃棄したところに持ち主の何らかの気持ちなり、メッセージがあるのだろうか。

 このライトブルーのソファが元の持ち主の家庭にやってきた日のことが目に浮かぶようだ。インテリアショップからやってきたこのソファは、家族の期待に包まれて応接間の真ん中に置かれて誇らしげに持ち主との対面を果たしたのだろう。それがいつの日か、何かの事情で望まれない存在になってしまった。ただ単に飽きてしまったのかもしれない。持ち主は自分にとって価値を失い、邪魔になったものを、まるで身体から老廃物を吐き出すように遺棄してしまった。現代ではペットの犬だって猫だっていつそんな目にあうかもしれないのだ。価値がないと決め付けられたものには厳しい現実が待っている。


 
2005/11/30                                       2005/12/29


2006/02/10                                      2006/03/11


2006/05/17                                     2006/06/04

          
                5006/06/29

 一旦、形あるものとして世の中に生まれ出たものは、瞬時に消えてなくなることはない。それがどんなに短い時間であったとしても朽ちてゆく時間を経て消えてゆく。そして、現代とはその朽ちてゆく時間が我々の眼には届かないところでおこなわれる仕組みになっている時代のことだ。それは見ていて決して愉快な時間ではないからだ。だから、価値を失ったものは声高に叫ぶこともなく、ひっそりとぼくらの目の前から消えてゆくのだ。

 昨日、あのピカピカで誇らしげだったブルーのソファは、骨だけの姿になっていた。小突き廻されながら、半年間の朽ちてゆく時間の後に消えて行った。残った骨組みには焼け焦げた、痛々しい痕があった。まるで自ら焼身して消えてゆこうとしたかのようだった。

                

  ぼくは昔我が家に初めてテレビが来た日のことを今でも覚えています。電気屋さんが真新しいテレビを居間に運んできたときのドキドキ感。画面はもちろん白黒ですし、スイッチをいれてもすぐには絵が出てきませんでした。真空管が温まるまで数分かかったんですね。その日は木曜日で、木曜日の晩は人気番組の「スーパーマン」が放送される日でした。その晩は家中がテレビの前に座って「スーパーマン」を見たものです。

 日本の高度成長が始まるころ、日本人は昼は真っ黒になって働き、夜は泥のように眠りました。そんな生活に少しずつモノが入り込んできたのもその頃からです。それらのモノが家庭に入ってくるたびに家族は目を輝かせ、なにかそれらのモノが輝かしい明日をもたらしてくれるような気にさせてくれ、また元気を与えてもくれました。家族があって、そしてモノが光っていた時代でした。世の中にそんなシーンを増やしたくて、その後仕事として自分もクレジットの世界に身をおくようになりました。

 しかし、今はモノが溢れ、その輝きは線香花火のように一瞬のものとなりました。マスコミは次々と新しいモノへの欲望を掻き立て、ちょっとでも古いものは急速にその価値を失い省みられることなく姿を消してゆきます。新しいモノを手に入れた興奮の持続時間はますます短くなり、その興奮を手に入れるためにまた次のモノを手に入れようとする。省資源やリサイクルというのは建前の話で何かを修理しようとすれば、コスト的にも買ったほうが安いし店の人間も乗り気ではないのがありありと見えます。

 大昔、一時期ドイツに住んだことがありますが、その時ドイツ人とモノの付き合い方はひとつの見識だろうと思いました。モノの価値は、その基本的機能がいかにしっかりしているかということ、そして頑丈で長く付き合えるものであること。そんな価値観を持っていたように思います。それはとりもなおさず江戸時代の日本人も持っていたモノの価値観でもありました。現在の日本人のもつ新しいモノへの渇望と飽きっぽさがモノだけではなくペットなどの命にも同じような感覚で向いていることに薄ら寒さを感じるのはぼくだけでしょうか。


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僕らは裸だ [Column Ansicht]

僕らは裸だ

 もうすっかりお馴染みになったGoogle Earthだが、ぼくは暇なときにはGoogle Earthで世界中のいろいろな町を訪れるのが好きだ。ぼくは特にベルリンの町並みを見るのが好きだ。ベルリンの町のランドマークとして旧帝国議会が登録されているがそこをクリックすると下の地球儀の画面から、急降下してシームレスに議事堂のアップまで到達する。



 下の写真は議事堂の近くのビルのアップである。修理中の建物の屋根から駐車している車までがはっきりと見える。ためしにぼくの自宅を見てみたがこれほどはっきりはしていないが、自宅の駐車スペースにぼくの車が置いてあるのまで確認することが出来た。

            

 宇宙空間に浮かぶ人工衛星の視点から途切れることなく自宅の屋根の上まで画面が急降下するのをみてちょっとぞっとした。よく考えてみると、そこには二つの恐怖感があるようだ。

 その一つ。宇宙の彼方から飛んでくるその視線は、紛れもなく弾道ミサイルの軌跡である。カーナビなどで便利なGPSは惑うことなく世界中の地点を襲うことができる。GPSが軍事用に開発された技術であることを考えれば至極あたりまえだが、インターネットの地図サービスによって、世界中の座標に情報と意味が書き込まれ、誰でも見、知ることができると言うことは別の意味での恐怖である。テロリストのような勢力がミサイルを手に入れれば、どこでも好きな場所に確実にミサイルを打ち込むことが出来るのだ。誰でもが知らないうちに標的となりうる時代になった。

 もうひとつは、心理的な恐怖感。今までは常に天から自分を見つめていたのは「神」とかの、ある意味では我々の英知を超越した存在だったように思う。それが現在では誰でもがその存在になりえる。自分も知らない間にだれかがじっと自分の家や周辺を見詰めていることがあるかと思うと、背中に薄ら寒さを感じるのはぼくだけだろうか。

 先日のマンションから人を投げ殺した犯人が防犯カメラで捕まった例を持ち出すまでもなく、ぼくらは何処へ行っても防犯カメラや定点カムで見張られている。これは昔、精神障害の人がよく冒されていた強迫観念などではなく現実のことなのだ。現在ではどの国の為政者も、ジョージ・オウエルの小説「1987」に登場するビッグ・ブラザーのような存在になりえる。

 種々のカメラを通じてぼくらを物理的に見つめる目と、インターネットなどに流れる情報を嗅ぎ分ける鼻をもった存在が、もはや未来小説の中ではない世界にぼくらはもう生きている。

                    

 *
環七などの道路の上にあるカメラ、高速道路の料金所のカメラなどは、記録のために見ているだけではないのですね。ナンバーを読み取り画像処理して「認識」しているのですね。それを思うと息苦しくなってきます。


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ニュースの残像 自己責任とは何だったのか [Column Ansicht]

ニュースの残像 自己責任とは何だったのか



 去年の年末のテレビでは相変わらず「今年の10大ニュース」なるものの画面が連日のように流されていた。数日経って年が明ければすべてがリセットされて新しい年になる。去年の出来事などすっかり忘れて新たな気持で新年を迎える。それはある意味では日本の良い習慣かも知れないが、反面日本人の忘れっぽさを象徴してもいる。そのような「わっとなって、すぐ忘れる」我々の性格がインターネットという新たなメディアと結びついた時、すこし薄ら寒い感覚を覚えるのは僕だけだろうか。

 インターネットは確かに、「リアルタイム性」や「自由な表現」という素晴らしい面を持っているが、しかしそれは同時に使い方を間違えれば「独断・偏狭」と「デマゴーグ」に陥る危険性をも孕んでいると思う。それに我々の「忘れっぽさ」が加わるとなるとその危うさは一層現実味を増してくるのではないか。どこかでニュースを、離れた距離・離れた時間から見る、いわば「ニュースの残像」を見つめるスタンスが存在することが必要なのではないか。

 例えば、イラクにおける邦人拉致事件ひとつをとってみても昨年の五月におきた日本人傭兵斉藤さんの拉致事件などは昨年の10大ニュースの中にも入っていなかったと思う。もうずっと昔の事件のように思える。さらにその前の年に続いた邦人拉致事件に際しての「自己責任」問題は一体どうなったのだろう。そのときインターネットの果たした役割はどうだったのだろう。つき引き離した「ニュースの残像」に何が見えてくるのか。

 大抵の日本人の頭の中からはもう殆ど消えかかっているイラクにおける邦人の拉致事件を簡単に時系列に並べてみると以下のようになる。
①2003/11…奥克彦在英日本大使館参事官井上正盛在イラク日本大使館三等書記官が武装勢力に襲われ殺害される
②2004/4…今井紀明さん、高遠菜穂子さん、郡山総一郎さん三名が拉致され、その後解放される
③2004/4…ジャーナリスト渡辺信孝さん、安田純平さん拉致の後、解放される
④2004/5…日本人ジャーナリスト橋田信介さん、小川功太郎さんが武装グループに襲われ殺害される
⑤2004/10…イラクを旅行中の香田証生さん拉致、殺害される
⑥2005/5…日本人傭兵、斉藤昭彦さん拉致、その後消息不明、生死未確認

人それぞれに事件の記憶は異なると思うが、上の事件ごとにインターネットを含むメディア、世間、政府等の動きを思い出してみると自分なりのニュースの残像が浮かんでくると思う。
 
 ①の奥参事官の殺害に関しては、政府によって殉職とされ大使に昇格するなど英雄的な扱いがされていた。奥大使の活躍については異論を差し挟むものではないがこの後に続く他の拉致事件などとの対比があまりに大きい。振り返ってみれば、NPOの拉致は自業自得のように言われて、役人の死は英雄なのかと腑に落ちないものが残る。

 ②NPO等でイラクで活動していた邦人三人が拉致された直後から「自己責任」という言葉は使われていた。インターネットと政府のどちらが先に言い出したかは微妙だが、いずれにしても極めて急速にこの言葉がキーワードとして浮かび上がってきた。国会では自民党の某代議士から「このような反国家的な輩の救出に血税を使うのか…」等との質問もとんだ。
この時点でマスコミを始め日本中が「自己責任」という言葉を「自業自得」と同義語で使い始めた。インターネットには拉致された三人の実家の住所や家族の経歴などの情報が飛び交い、今冷静に見れば情報テロとも言えるような狂気的な攻撃が繰り返された。事態が落ち着いた今もマスコミが本当はどうだったのかについて報道したのを僕は見たことがない。当時袋叩きにあった高遠さんが今も地道にアンマンと日本を往復しイラクのストリート・チルドレンの支援活動を行っていることなど大手マスコミなどは報じてはいない。(一部TBSの朝のラジオなどで紹介されたのみだと思う)

 ③④についてはジャーナリストの使命と自己責任の問題が重大なテーマのはずだがそのような論議にはならなかった。テレビなどの番組では、ジャーナリストは自己責任を認識した上で行動しているのだから致し方ない、危険を承知の上で手柄や名声を求めている、などの表面的な解説が繰り返された。しかし、ジャーナリストが自己責任という重い荷物を背負って活動していることが、紛争地からはるか離れた所にいる我々にとっていかに大切なことか真っ向から評論した報道は少ない。事実、この後ファルージャの惨状などについては我々はアメリカを通じた報道以外には、そこで何が起こっているのか知る術を失ったままだ。

 ⑤のケースこそ本来の「自己責任」が問われてしかるべきケースであるが、今度は一青年の自分探しの旅とか家族の心痛などにスポットか当てられ、この時点ではもはや自己責任という言葉はあまり出てこなかったように思う。感情的報道が多く、死者をむち打たないとか、分かり切っていることは言わないなどの配慮があるとしたら、同じことを繰り返させる土壌をマスコミが作っているようなものだ。
 ⑥の場合は、自己責任以上のものがある。紛争地を転々とする日本人傭兵の存在をセンセーショナルに報道はしたが、なぜ今のイラクが彼らのようなものを引きつけるのかやそれも「自己責任」と呼ぶのかなどについて掘り下げた報道は少なかった。

 かくて事件は我々の心の中でも急速に風化してゆき、「自己責任」という言葉の本来の意味も定着せず自衛隊も当たり前のようにイラクに駐屯し日常のニュースからも消えてゆく。
今インターネットの中にニュースの残像を見つめるしっかりした目が必要なのではないだろうか。インターネットは「知恵の器」にもなる可能性も秘めているのだから。

                                             


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日本にもルーヴル博物館が必要だ [Column Ansicht]

日本にもルーヴル博物館が必要だ


2006年に六本木に完成する国立新美術館(写真:同HPより)

 小泉政権はその政策の一つに「観光立国」を掲げており、観光立国懇談会を立ち上げ報告書も作成させている。しかしその内容は総花的でインパクトに乏しいように思える。また、現在の関連政策も必ずしもその方向に向いているとは思えない。例えば、観光の重要なコンテンツのひとつである博物館・美術館を例にとっても観光立国のベクトルにあっているとは言いがたい。

 観光といえば日本人ならパリのルーヴル博物館やマドリッドのプラド美術館、ロンドンの大英博物館、北京の故旧博物院など各国の有名博物館や美術館を思い浮かべるだろう。日本の場合はどこを思い浮かべるだろうか。もちろん日本には数々の優れた博物館・美術館があるが、先にあげた博物館に比するようなところをひとつ挙げてみようとするとなかなか難しいと思う。本来であればそれは国立博物館であるのかも知れない。事実、僕はよく海外の留学生が日本文化や美術について知りたいと言うときは上野の国立博物館に案内するが、国にいる時から国立博物館の存在を知っていて、是非行ってみたいと言った学生は残念ながら今までいなかった。

 国立博物館の展示状況は平成館が出来てから以前よりは良くなったが、外国語の音声ガイドすらない。英語の解説も少ない。そもそも常設展は入場者が少なく部屋によっては少し怖い感じすらする。ちなみに年間来場者数を他国の有名博物館と比較してみると、ルーブル博物館が600万人、故旧博物院が800万人であるのに比べて東京の国立博物館は特別展を入れても100万人たらずである。特別展をのぞいた常設展だけだと、例えば昨年の9月などは5万人程度、そのうち外国人は5000人にも満たない。もっとも東京、京都、奈良、九州の四つの場所に分かれているから一概に比較はできないが、全体でも他国の有名博物館にはかなわない。

 日本も観光立国を目指しているかも知れないが、その国際競争はますます激しくなっている。世界遺産の獲得競争でも見られるように、アジア諸国の生活レベルの向上とともに、いろいろな国がその市場を狙っている。例えば、ドイツなどもベルリン博物館島そしてドレスデン民族博物館などの整備を5年以内に完了し一大観光地帯としての地位を虎視眈々と狙っている。

 それに比して日本はどうだろうか。国立博物館は先年、独立行政法人化されたが、それに従い毎年1%の増収と人件費1%、物件費3%削減のノルマを課せられてジリ貧状態に陥っている。もともと各国の有名博物館に比べて収蔵品量が少ないところにもってきて、これからはさらに文化財購入予算が年々減ってゆく。現在でも収蔵品の40%を寄贈に頼っている状態では観光立国の目玉になるなど程遠い状態である。

 一方、来年には東京の六本木に日本最大の展示スペースを誇る「国立新美術館」なるものがオープンする。黒川紀章氏の設計で巨額の費用を費やして建設されたこの「美術館」は、実は中は空っぽである。コンセプトは作品の収集を行わない美術館で、展示スペースの提供と情報の提供が使命だそうな。それも悪くはないが、文化はある意味ではストックである。日本には世界に誇るべきすばらしい文物がまだ沢山ある。どこかの国の美術館のように、よその国から奪ってきた文物を並べなくとも自国のもので立派な博物館ができるはずである。「観光立国」を目に見える形にするには戦略拠点が必要である。その意味でも日本にもルーヴル美術館のようなものが必要ではないだろうか。


Ansicht
*日本はバブルの時は世界中の美術品を買いあさって、美術品の価格を高騰させた。いったんは日本に入った美術品もバブルがはじけると二束三文の値で買い取られて、今ではヨーロッパの美術館あたりにちゃんと収まっている。誰が損をして、誰が賢かったのかは明白だ。無駄遣いをして他人の文化を追っかけたり、不必要な選挙に750億円もかける一方、長い時間をかけて蓄積された自国の文化も守れないで何が靖国参拝だ、と思う。
**この国立新美術館をみると、バブルの頃日本中の町々に作られた立派な市民会館やホールを思い出してしまう。流行でパイプオルガンも多く設置されたが、演奏者がいない。ホールも肝心なコンテンツがプアーでお荷物になっているケースが多いと聞く。入れ物行政の典型的な例だが、この新美術館もそうならなければよいが…。

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