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断捨離 時代 [新隠居主義]

断捨離 時代


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 母の荷物は大方整理したのだけれど、先日母の使っていた小さなポーチが仏壇の戸棚からでてきて、その中からボロボロになった野村銀行の特別当座預金の通帳が出てきた。それは母の期限の切れたパスポートと一緒にしまってあった。古いパスポートは旅の思い出ということで分かるのだけれど、通帳の方はなぜこれだけが残されていたのだろうか。きっと何か特別の思い入れがあったにちがいないのだけれど…。

 ここにある野村銀行とは、
・1918年(大正7年)に大阪野村銀行設立。
・1925年(大正13年)証券部を独立し野村証券とする。
・1927年(昭和2年)信託を統合し野村銀行となる。
・1946年(昭和21年)戦後野村財閥解体の進行に伴い名称を大和銀行と改める。
 さらにその後→あさひ銀行との合併→現りそな銀行となる。

 というような経緯を経ている。この通帳は特別当座預金という口座だが、今で言う日銀の特別当座預金制度とは違うものかもしれない。当時父は母とお菓子の小さな町工場をやっていたのでそのための当座預金で当座預金は普通は利息が付かないのだがそれが多少つく預金があったのかもしれない。

 父がこの口座を開いたのが昭和18年7月だから戦時中になる。最後の預金が引き出されたのが昭和22年8月だからそこはもう戦後だ。通帳の5頁目には昭和21年8月12日「第一封鎖預金」と書かれている。国の預金封鎖実施の翌日である。

 これは預金を封鎖して少額づつしかおろせなくする措置で、庶民に対する第一預金封鎖と企業などの預金に対する第二預金封鎖があったようだ。通帳には同日「第一封鎖預金」と書かれているがその後も三回にわたって預金がなされているけど、これは新円なのかわからない。
 

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 というのは預金封鎖がなされた同じ年の2月の夕刻、幣原内閣はインフレ対策のため現行の円を廃止し新円を発行することを発表したからだ。一定の切り替え期間が設けられたけど限度額があったり1円以下の小額紙幣は切り替えの対象外とされたり大きな混乱が生じた。そこへもってきての預金封鎖だった。大変な時代だった。母は戒めのためにこの通帳を持っていたのかもしれない。

封鎖預金からの新円での引き出し可能な月額は、世帯主で300円、世帯員は1人各100円であった。1946年の国家公務員大卒初任給が540円であり、それを元に現在の貨幣価値に換算すると、世帯主が約12万円、世帯員が1人各4万円まで引き出せる。学校の授業料は旧円での支払いが認められていたが、生活費には新円を使うこととなった。(Wikipedia)

 父はこの預金を昭和22年の8月になってやっとおろせたようだ。その二月前にぼくが生まれていた。これを見ると両親が戦後の混乱の中で懸命に生きていた感じがして感慨深い。今ウクライナでは戦争が起こり人々が大きな混乱のなかに投げ込まれている。ぼくらの至近距離にもそういう混乱の時代があったことを忘れてはならないのだし、両親がそういう時代をかいくぐって自分たちを育ててくれたことに改めて感謝の念がわいている。
 

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 *断捨離だからこれもいつまでもとっておいてもしょうがないのだけれど…。幸いこの事を知った元同僚が有効活用してくれることになった。

 彼は中年で会社を辞して今は大学院で金融法などを教える教授になっており、授業やゼミの中で時代の資料として若いリーガルエキスパートを育てるための資料に使ってくれることになった。嬉しい限りだ。


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JUNKO

断捨離していなくて本当に良かったです。貴重な遺品です。
by JUNKO (2022-02-27 21:55) 

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