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壁はなくなったか [NOSTALGIA]

壁はなくなったか

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 1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊した日だ。ぼくは1970年と1971年の12月に当時の西ベルリンから東ベルリンに入れる数少ない場所のひとつチェックポイント・チャーリーから東ベルリンに入った。70年代当時は西ベルリンは言わば社会主義国の赤い海に浮かぶ西側世界の小さな孤島だった。そういう現状を世界の若者に訴えるためにベルリン市は当時、毎年暮れに西ドイツ国内の外国人留学生を西ベルリンに招待していた。そのツアーにぼくも二回ほど参加したことがある。

 ツアーは西ドイツからバスで国境を越え西ベルリンに入るのだけれど、当時の東ドイツと国交のない国の学生は空路で西ベルリンに入った。西ベルリン滞在は一週間弱でその間に西ベルリン市長の講演を聞いたり、また日程には東ベルリンでのガイド付き観光も含まれていた。バスで東ベルリンへの入り口であるチェックポイント・チャーリーを通って入るのだけれど、その時国家というものの可視化された姿を垣間見た気がする。

 チェックポイントは言わば国境なのでパスポートを提示するのだが一回目に行った時は全員が乗ったバスに東ドイツの国境警備隊が乗り込んできてパスコントロールをするのだけれど、二回目の時はたまたま外務省の研修留学で来ていたぼくも当時世話になった日本人のTさんが乗っていたので、彼以外の学生は全員バスを降ろされて、徒歩で国境を超えた。

 Tさんは日本の国家公務員で外交官パスポートを所持していたので、彼だけが残ったバスに国境警備隊が乗り込んできて一人でパスコントロールを受けていたことが今でも強く心に残っており、国家というものはそういう一面があるのだと思い知らされた。一緒に居た他の留学生たちはバスを降ろされてブツブツ言っていたが、Tさんにはどうしようもないことで国家の枠組みとはそういうものだと思い知らされた貴重な経験だった。


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 その検問所チェックボイント・チャーリーの西ベルリン側には当時の東ドイツの国境警備兵コンラート・シューマンが鉄条網を跳び越えて西側に亡命してきた瞬間を写した写真を載せたプラカードが置いてあった。そこには「ここで自由が終わってはいけない」と書かれていた。上のプラカードの写真はぼくが1970年に東側に入る時西ベルリン側に置かれていたものを撮ったものだったと思う。

 それからもうずっと後になって2012年に久しぶりにベルリンを訪れてベルリンのブランデンブルク門を旧東ベルリン側から見た時、その自由さと観光地化されている状況に驚かされた。その後に行ったときには街ではあの国境を跳び越す兵士の写真も売られていた。もう文化遺産みたいになっているような感じだった。チェックボイント・チャーリーの跡地にはそれを示す小さな小屋が建っていた。ドイツ人の若者でももうチェックボイント・チャーリーという名前さえ知らないようだ。

 あれから三十余年が経った。壁はなくなったか。確かに物理的にはベルリンの壁は今や観光名所としてシュプレー川沿いに一部残っているだけだ。しかし東西ドイツが統一して以来いまだに旧東ドイツ地域と西ドイツ地域には経済格差のようなものが残っており、それが新たな火種になりつつある。さらに世界をみても、パレスチナの壁やアメリカとメキシコの国境の壁など新たな壁が出来つつある。さらに今回のアメリカ大統領選で炙り出されたような人々の心の中の壁は無くなるどころか大きくなりつつあるようだ。世の中から壁を無くすのは容易ではない、特に心の壁は…。


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 *西ドイツに亡命したこの警備兵コンラート・シューマンは東西ドイツが統合するまでシュタージ(秘密警察)の報復を恐れて暮らしたということです。また東ドイツに残った家族はシュタージに彼に東ドイツに戻ってくるようにという内容の手紙を何度も書かされ続けていたということでした。


2016IMG_2797.JPGベルリンの露店で売られていたポスター

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