SSブログ

日課力 [新隠居主義]

日課力

athrt01.jpg

 今年の自分のテーマは「日課力」ということにしている。ぼくはスポーツ番組はあまり見ないし、オリンピックにもさして興味はなく毎回アテネでやればいいのに位に思っているのだけれど、アスリートというものには強い畏敬の念を持っている。それは彼らが金メダルをとったり、優勝したからというより、背後で彼らを支えている「日課力」みたいなものを感じるからだ。

 彼らは優勝しようが、金メダルをとろうが翌朝の早朝にはもうランニングやトレーニングを始めている。彼らはそれなしにはどんな夢にも近づけないのを身をもって知っているから。もちろん才能と資質がなければ一流のアスリートにはなれないのだけれど、それだけでは十分ではない。それに加えて夢を設定する力とそれを日々の日課におとしこみ実践してゆく力がなければならない。

 それは時にはチームとして取り組むこともあるだろう。目標を設定してそれに向かって最終的には日々の行動レベルまでにステップ化、線表化してゆく。しかし実践するのはあくまでもアスリート自身なのだ。考えてみればこの目標を設定し、それを線表化し実践してゆくというのはビジネスでも同じことなのだ。自分もサラリーマンの現役時代には当然のこととして行っていたはずのものだ。

 やるべきことのリストである「ToDo」(もしくはタスク・リスト)やスケジュールそしてメモ書き文書管理などはずっと昔からZAURUS(シャープ製の電子手帳、後半期はLinaxで動いていた携帯端末)の時代から電子化していたので、日々のやるべきことを緊急性と重要性で類別し優先順位をつけてそれを時間刻みのスケジュールに落とし込んでいた。当時のToDoリストには常時100以上のアイテムが並んでいたと思う。尤もそんな生活が嫌で、はやいとこ抜け出したいとは思っていたのだけれど…。

 その頃の習慣でかToDoリストは今でも使っている。見てみたらリストアップされている項目数は300くらいに膨れ上がっていた。ただし、昔と違うことは昔は「やらなければならない」事柄が列挙されていたが、今は「やりたいこと」の項目が多くなっているし、何よりも忘れやすくなった頭をサポートする役目を果たしていることだ。それは少なくとも、ボーッとして何か大事なことを忘れているのではないかという年寄りの強迫観念から解放してくれるのだ。

 で、日課の話に戻るのだけれど、サラリーマンを辞めてからは大学院に行っていた時期以外は目標管理なんぞとは縁のない生活をしていたのだけれど、昨年春に歩けなくなってしまってから、とりあえずは旅行に行けるくらいは歩けるようになることを目標にしてアクションせざるを得ない状況に追い込まれた。リハビリの先生の指導でやるべきことは段々明確になってきた時点でそれをスケジュールに組立、日々の中でこなしてゆくことが不可欠になった。ということで回りくどくなったけど、今は自分自身の「日課力」が問われている感じだ。


todo201902sl.jpg


gillmans todey.gif


 *何か具体的な目標を設定すると、ステップや期日やモチベーションなどと言うものについて明らかにしてゆかないといけないので、急に頭が回り出したりして目が前に向くような感じがします。と言いつつ、目標ができるとじっとしていられない貧乏性な自分の性みたいなものにあきれています。

nice!(35)  コメント(0) 
共通テーマ:アート

nice! 35

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント