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さくら散る頃 [新隠居主義]

さくら散る頃

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 「さあ、陰気な話はもう中止だ。こんな夜(ばん)は、ランプでも明るくして愉快に話すのだ。ここは横須賀よりまた暖かいね、もうこんなに山桜が咲いたな」
 浪子は磁瓶(じへい)にさしし桜の花びらを軽(かろ)くなでつつ「今朝(けさ)老爺(じいや)が山から折って来ましたの。きれいでしょう。――でもこの雨風で山のはよっぽど散りましょうよ。本当にどうしてこんなに潔いものでしょう! そうそう、さっき蓮月(れんげつ)の歌にこんなのがありましたよ『うらやまし心のままにとく咲きて、すがすがしくも散るさくらかな』よく詠(よ)んでありますのねエ」
 「なに? すがすがしくも散る? 僕――わしはそう思うがね、花でも何でも日本人はあまり散るのを賞翫(しょうがん)するが、それも潔白でいいが、過ぎるとよくないね。戦争(いくさ)でも早く討死(うちじに)する方が負けだよ。も少し剛情にさ、執拗(しつこく)さ、気ながな方を奨励したいと思うね。それでわが輩――わしはこんな歌を詠んだ。いいかね、皮切りだからどうせおかしいよ、しつこしと、笑っちゃいかん、しつこしと人はいえども八重桜盛りながきはうれしかりけり、はははは梨本(なしもと)跣足(はだし)だろう」
 「まあおもしろいお歌でございますこと、ねエ奥様」
 「はははは、ばあやの折り紙つきじゃ、こらいよいよ秀逸にきまったぞ」
 (『不如帰』 徳富蘆花)

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 さくらが散る頃になると何故か雨が降る。雨の中を大井町の病院に向かった。病院に至る一本道の両側には見事な桜並木が続いている。春の陽を浴びて、ほろほろと舞い落ちていたさくらの花びらも、あらかた落ちきって地面一面に広がっている。落ちた花びらは折からの雨に打たれて黒々とした地面や他の木の葉にまとわりついている。美しいな、と思った。眩しいような満開の桜から、いくらの時間もたっていない、瞬く間に散ってゆく桜の花がなぜこんなにぼくらの心に染みるのだろう。

 日本人の美意識の根底に「もののあはれ」があることは幾多の先人が指摘している。徳富蘆花の『不如帰(ほととぎす)』は数々の演劇にも取り上げられている名作だが、その中で蘆花はさりげなくそんな日本人の美意識に疑問を呈している。蘆花がこの作品を書いたのは明治三十年代だから、その時の危惧はそのまま戦前の「同期の桜」や「靖国の桜」へと続いている。いつの間にか「もののあはれ」が「潔く散る」という滅びの美学に摩り替えられていたが、その素地はぼくらの心の奥底に眠っていたのかも知れない。

 滅びの美学がぼくらの根底にあるとしたら、ぼくら日本人はタフな精神力と忍耐力が要求される国際社会の中で生き残ってゆくことは難しいように思う。本来の「あはれ」はそうではなく、他者に感情移入をしてそれに共感をする心のことだ。その気持ちは本来タフな精神と共存しえる感情であり、決してそれと相反するものではない。むしろその「あはれ」を忘れて、ただタフなだけの精神こそ憂うべき心情ではないか。桜はぼくたちに何を語っているのか。

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コメント 14

こうちゃん

「もののあはれ」と耽美主義は、違いますよね。
もう、国自体がタフでは、なくなっていますね。
by こうちゃん (2008-04-18 22:58) 

blanc

gillmanさんの写真凄く好きです。
こんな素敵な写真撮れたらいいな...
今回のお話も深くとてもいいお話で勉強になりました。
by blanc (2008-04-18 23:06) 

coco030705

最初の写真が特に素敵です。
徳富蘆花って、教科書の文学史で知っているくらいで、
小説は全然読んだことがなかったんですが、とっても
いい文章ですね。読んでみたいと思いました。

「もののあはれ」が「滅びの美学」にすりかえられている……。
う~ん、深い考察です。
それに、タフな人間がたたえられるのは、おかしいと思います。
柳に雪折れなし、のような柔軟な人間こそが素晴らしいのだと思います。
by coco030705 (2008-04-19 00:13) 

mimimomo

おはようございます^^
良い文章ですね~読んでいて一々納得してしまいました・・・
>本来の「あはれ」はそうではなく・・・をしてそれに共感をする心のことだ<
全くそのとおりだと思います。
残念ながら、日本はすっかり変わりましたね。
by mimimomo (2008-04-19 04:50) 

めぎ

散った花びらが美しく見えるのも、私のどこかに桜の潔さを美とすることへの共感が残っているからかも知れません・・・
by めぎ (2008-04-19 06:01) 

aya

待ちに待った桜の咲く季節・・散る桜に思うのは、その期待達成を
楽しむ暇なく終わらせなくてはならない、焦燥感みたいな・・・
四季のある国に居る私たちだからの感情に思います。
道に散った花びらを惜しいと感じますね~(^^)v
by aya (2008-04-19 10:09) 

tanaka-ma3

桜を楽しめなくなったら日本人はおわりでしょうね。
by tanaka-ma3 (2008-04-19 14:10) 

リフソロ

桜は散ってしまっても桜ですね。
mimimomo さんがおしゃられているように、最近の日本は辛くなってしまう。

by リフソロ (2008-04-19 20:32) 

花火師

桜はいいですねー
1枚目コントラストが実にいいですね
by 花火師 (2008-04-20 02:21) 

sera

1枚目も2枚目も、きれい♪
散っている花びらって、ランダムに転がって、
それ自体が自然が作った美のような感じです。

桜は私にとっては、まさに死と再生の象徴です。
花びらがいっせいに散って、その瞬間に、
重ねているかのように緑が
噴いて来る感じです。
感動♪

by sera (2008-04-20 19:57) 

seita

小学生の頃、昭和版の映画「日本沈没」で、沈み行く故国に対し「なにもせんほうがええ」という台詞に衝撃を受けました。こうした概念が刷り込まれていながら、外資系企業で働く身に大きな歪みが生じているのは確かです。
by seita (2008-04-20 22:42) 

GUSUKO-BUDORI

「もののあはれ」は“慈悲”につながっているのでしょうか?
美しい写真も素敵ですが…
いつもながら考えさせられる文章です。

by GUSUKO-BUDORI (2008-04-20 23:00) 

tm-photo

しっとりとして
桜散らしの雨も
また違った桜を見せてくれて美しいですね。
by tm-photo (2008-04-21 09:30) 

としぽ

こんばんは。桜の散ったところに雨が降ってしっとりして良い感じになって
いますね。桜は散っても絵になりますね。
by としぽ (2008-04-21 18:34) 

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