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魚が出てきた日 [Column Ansicht]

魚が出てきた日

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    エーゲ海に浮かぶ小さな島の付近に爆撃機が墜落した。墜落する前に爆撃機のパイロットは原子爆弾二発と金属製の箱をパラシュートで投下した。爆弾は海中に没したが、金属製の箱は島に落下した。パラシュートで降下して助かったパイロットたちは何とかしてその金属製の箱を回収しようとやっきになった。その箱には高濃度の放射性物質が入っていたからだ。

 これは1967年に封切られた映画 『魚が出てきた日』(英・ギリシャ原題:『THE DAY THE FISH CAME OUT』)のイントロの部分だ。ぼくが、デビューして間もないキャンディス・バーゲンの水着姿を目当てにこの映画を見たのは随分昔のことなので細かいところは忘れてしまったが、この数年前に実際に起こった米軍の爆撃機が水爆を抱いたままスペインのカディス沖に墜落した、という事件をパロった映画だったと思う。

 映画では墜落後、島には観光客に扮してなんとか爆弾と金属製の箱を極秘裏に回収しようと政府関係の人間が押し寄せる。実はその放射性物質が入っている箱は何も知らない羊飼いに拾われていた。羊飼いはその宝物が入っていそうな金属の箱をなんとかこじ開けようとするがビクともしない。だが、ついに彼はその金属を溶かす強力な酸を街で手に入れてしまう。開けてみると中から出てきたのは、宝ものではなくただの卵型の容器が二つ。がっかりした羊飼いは、それを海に捨ててしまう。そして、しばらくすると海から…

 ドタバタのパロディーといっても、カコヤニス監督は最後には背筋の寒くなるようなシーンを用意していた。この頃は東西冷戦の真っ只中だったから、世界は米ソの衝突や突発的な事故で核戦争が起きるのではないかと恐れていた。一方、60年代は核の「平和利用」としての原子力発電が注目され始めた時代でもある。現在問題になっている福島原発などの原子炉が設計、施工され始めたのもこの時代あたりからだ。

  原子力は恐ろしいものというより、うまく使えば人類に与えられた「第二のプロメテウスの火」となり得るものだ、という積極的な肯定論もこの頃から力を持ってきた。プロメテウスとはギリシャ神話で人類に火を与えた神で、彼はその罪で未来永劫拷問を受けることになったが、そのおかげで人類は火を使うことによって今日のように発展してきた。そして今、人類は原子力という第二の火を手に入れたというわけだ。

  確かに効率の面やコスト、二酸化炭素排出量の少なさ等から見ればそれは人類にとっての第二の火となりうるものかも知れないが、その火が持つ第一の火とは比べ物にならない程のリスクの大きさを同じギリシャ神話に例えるなら、それはダモクレスの剣になぞらえることが出来るかもしれない。つまり第二の火によって得た繁栄の頭上には、いつも細い一本の糸で吊るされたダモクレスの剣が垂れさがっている。その細い糸はいつプツッと切れてぼくらの頭上に落ちてくるかもしれない。

 ぼくらは勝手に、専門家と称する人達がこのダモクレスの剣が吊るされていた一本の細い糸を、何重にも縒り合せて太いものにしてくれていたと思い込んでいた。ぼく自身は今とても後悔をしている。それは今ぼくたちが直面している原発の危機の一因は、ぼくたちが今まで明確な選択をしてこなかった結果として起こってしまった側面があるからに他ならない。もし今の原発社会がリスクを知った上でのぼくらの明確な選択に基づいていたのであれば、ぼくらはもっと安全について継続的に関心を払っていたはずなのだ。

 ぼくらはあらゆる情報を知る努力をし、論議を尽くして今日の原発社会を選択したわけではなかったのではないか。ぼくらの社会にどのようなリスクがあったのだろうか。リスクは二つあって、一つは「ダモクレスクの剣」としての原発自体が持っているリスク、そしてもう一つは「第二のプロメテウスの火」としての原発を使わなかった時に想定されるエネルギー危機や地球温暖化というリスク。これらについて社会として真剣に論議・検証してきたのだろうか。これからどういう選択をするか。もちろん必ずしも二者択一のように単純化して考えられるとは限らない。しかしいずれにしても意識して選択をしなければならない。それはこれから日本だけでなく世界レベルで論議され選択されてゆくべきなのかもしれない。


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anan

私も後悔しています。難しいことは人任せにしていたことを。いまさらなんとかシーベルトと言われても・・・。世界中のプロが対処法を考えていると思うのですが、上手くいかない。ひとたびコントロールを失うと、こんなに難しいものを、やすやすと導入させてしまったのは、大人の私たちに責任があります。今は福島原発の騒ぎがなんとか収まるよう、祈るしかありません。
by anan (2011-03-30 16:26) 

坊や

報いの先に在る物は。
今は福島原発のこれ以上被害広がらずに収束を祈るだけ。
後は日本国民全部で一から考え直す事が出来るか否か・・
 便利な道具は一度使うと手放しにくい・・
by 坊や (2011-03-30 16:45) 

JOY

痛みを乗り越えて、先を見据えた選択をしていかなくてはならないのですね。
どちらを選ぶというだけでなく、どう使っていくかの仕組み作りも必要に思います。生活意識も少し変えていかなくてはいけないかな・・・と思ったりも。
by JOY (2011-03-30 19:21) 

ナツパパ

こういう事態に直面して、初めて我が身の愚かさを思い知りました。
こういうものってきっと他にもあるはず、と思います。
by ナツパパ (2011-03-30 20:19) 

blanc

安全と信じきっていた事に後悔しています。
危機管理対策は万全なのだと勝手に信じておりました。
これ以上被害が広がらぬ事を祈ってます。
by blanc (2011-03-30 23:22) 

engrid

考えさせられました
安全と思いこみたかっただけなのかと
世界に発信する機会でもあると思います
即断でなく、考察し直す時ではないでしょうか


by engrid (2011-03-31 17:31) 

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